かつて、英雄がいた。
彼女は誰よりも強靭な身体を持ち、また卓越した技術を持っていた。
その超人的能力によって数多の武器を操り、殺した相手は数知れない。
加えて信心も強く、数多の奇跡を我が物とし、しかし賢きが故に盲目にならず、星見の術を十二分に振るったことでも知られている。
その高潔が故に、祝福に正しき導きを見出したのだ。
数多の愚物のように惑わされることなく、ただ使命の為だけに自らを使い、その道中で多くのものを殺し、そして稀にだが導くこともしていた。
彼女に見えた褪せ人は言うだろう。
其れは偉大な英雄であった、と。
それでも彼女は、王には足りなかったのだ。
破滅とは時に、何の前触れもなく訪れるものだ。
……いや、違う。前触れは確かにあって、それに気が付かないフリをしていただけだろう。
我は英雄、しかし王たる器は持ち得なかった。
ずっと前に気付いて、しかし目を背け続けていたことだ。
器無きものが治世は、やがて根本より崩れ去るもの。前例たる、非才のデミゴッド。我はゴドリックの治めた国を知っていた。
初めからこうなることなど、分かりきっていたのだ。
「英雄よ、狂い火の王よ…」
そして目の前に立つは、どうしようもないほどの遺志を背負い込んだのだろう、黄色い炎に魅入られてしまった哀れな…しかし、確かに偉大な英雄の像。彼は今代、シャブリリに取り憑かれていると思しき男を従えており、我よりずっと王らしい佇まいをしている。
きっと、長らくお行儀良く纏まっていた我では、敵わぬ手合だろう。
我は、哀れな王に、静かに告げた。
「我を倒し、全てを焼くか」
もともと使っていた品の無い大槌…王になるにあたって捨てた、重厚な巨人砕きの代わりである、しなやかな儀礼剣を抜く。
背から抜き出したそれは、独特のきらめきを伴うもの。…しかしどれほど見栄えが良かろうとも、到底戦闘に向いたものではない。
美しく装飾された刀身。その大きさとは裏腹に、触れれば壊れてしまいそうな、儚い繊細さをはらんでいた。
「…構わぬさ、好きにするといい」
存在しない律を象徴するように、不安定な光が剣を覆う。
それは我が見出した唯一の奇跡。壊れかけの時代を象徴する、色褪せた黄金の刃である。
「力こそ、王の故…我は、そのように聞いているよ」
放たれた空烈狂火を刀身で弾き、返しの剣で衝撃波を放つ。地を這い迫るそれを、問題なく避けた彼の体捌きを見て、思わず笑みを浮かべてしまった。
……良き、戦となるだろう。
我の最期にしては、上等の過ぎるものだ。
数多の後悔はあるけれど、きっとやり残したことはない。
我は、其の者へと飛び掛かった。
「偉大なる王、レジーナ様。あなたは壊れかけの時代にて、混沌に満ちた狭間の地を良く治めました。…しかしその果て、貴女と、貴女の治世は砕かれたのです」
優しげな声があった。
同情?憐憫?…否、きっとそれは母性であり、慈悲であろう。
我が名を知るもので、我に慈悲を掛けるとは、とんだ変わり者も居たものである。
そこでふと、疑問を覚えた。
我は我⋯エルデの王レジーナとしては、取り返しが付かぬほどに死んだはずである。
それなのにどうして、こうまで明瞭に意識を保てているのだろうか。
ここまで来てようやく、自らが何処ぞ知らぬ場所へと移され、質素な椅子に座り込んでいることにも気が付いた。
「本当に、お疲れさまでした。…さて、私は女神アクアといいます」
そこにいたのは、水色の髪をした少女であった。
その身に纏う厳かな雰囲気は、彼女の力を察するに余りあるもの。彼女…アクアと名乗った存在は、その名乗りの通り、きっと本当に神なのだろう。
彼女の若々しい姿は、あるいはミケラのように、成長の止まった存在であることを示しているのか。
「本来は若くして死んでしまった人の転生を任されているもの、なのですが……」
視線を彷徨わせ、ええっと…と困惑したような声を漏らす。
それから彼女は「あなたは、若くない…ですよね」と呟いて、どうしてかこちらに縋るような視線を向けた。
「うむ、まぁ…そうなるな」
少しだけ、彼女の望む返答を返せないことを申し訳なく思いながら、返事を零す。
これを聞いた彼女は、小声によって、陰に向かって「こんなの聞いてないんですけど…」と囁いた。
裏方的な相手がいるのだろうか?
私には隠すつもりでいるのだろうが、正直なところ丸聞こえである。
もっとも、知らぬ概念の頻出する話など、聞こえたところで分らぬ故、盗み聞きに意味などないのだが。
「…上の神様も扱いに困ってるの?そんな仕事がなんで私に…えっ、転生の経験が豊富なお前なら、なんかいい感じに何とかしてくれると思った?…どういうことなの!?もっと他にも真面目っ子のエリスとか、他にもいっぱ…あっ待って、行かないで」
以降、女神アクアはしばらく、背後にいる何者かと話し込んでおり、我は数分。いや、十数分…あるいは数時間にも及んだかもしれない。
とにかく長い時間を、蚊帳の外のまま、待ちぼうけていた。
かくして幾ばくかした後、女神アクアの咳払いをきっかけに、話は再開されることと相成った。
「うん"ん"!よし、はい…お待たせ!随分と長い間、放っといちゃったわね!」
「ほう、それが貴公の、本来の性分か……」
「まぁ、そうね。堅苦しくやったって面倒ですし!貴女なら別に問題なさそーだから」
彼女は「それはそれとして〜」と言って話を切り替えると、先程までの堅苦しい姿勢とは打って変わって、緊張を解いた…いや、その表現は正しくない。
どちらかといえば、だらけた振舞いで言葉を続ける。
「それでぇ…今、生命の坩堝より弾かれたあなたには、ふたつの選択肢があります」
坩堝より、弾かれた…
我は彼の王直々に、焼き溶かされたはずだ。
彼がそのことへ躊躇うような存在であるようには思えなかったし、間際に焼かれゆくも自覚していた。
「今、なんと?」
問いかける。
我の動揺を悟ってか、女神アクアは少し眉尻を下げた、憐れむような表情を映した。
「あなたは、生命の坩堝に弾かれた…って言ったのよ。まぁ、あなたの暮らしてた世界を考えると、疑問に思うのもよく分かるわ」
混沌の炎に全てが飲み込まれ、何もかもが大きな一つに還りゆく流れ。生命の坩堝と成り行く世界で、どうして我が逃れ得た…?
そんなこと有り得るはずもないのだが、一体どういうことなのだろうか。
「理由は…」
いや。
「…いや、構わない。何も言わないでくれ」
説明しようとする彼女の言を遮った。
どうせ、きっとどうしようもない、下らないことが理由なのだろう。我の使命、我の偉業。その結実した全てにおいて、我が知るべきことは1つもなかったのだ。
すべて知らぬまま、覚悟もなく、愚かで、ただ強いだけのものであればよかった。
中途半端に賢い事。好奇心のためだけに真実を求めること。過ぎてから全てを悟る事。…それらすべては、ただ心を打ち砕くことにしかならない。
なぁ、メリナ。
君は我に何一つとして教えてくれなかったが、君は知っているからそうしたのだろう?
白痴とはきっと、幸福そのものなのだ。
それとも君は、我がそれ故に狂い火に走ると、王たる道を捨てると…思っていたのかな。
もう彼女との記憶もあやふやで、人心に疎い我では察することも叶わぬが、確かに言えることはひとつ。いずれにせよ、知識が救いをもたらすとは限らないのだ。
「それでだ。ふたつの選択肢がある、といったな。」
堕ちて死した我に提示される選択肢。
きっと罪人たる我に与えられるのは、愚王に相応しい罰そのものなのだろう。
「あなたの考えを否定できないのがちょっと申し訳ないわね。あなたは確かに凄い人です。…でも仕方ないとはいえ、あれだけ殺して天国に行くっていうのは、道理が通らないのよ」
彼女は小声で「まぁ、天国も地獄みたいなとこだけど」と漏らす。
地獄みたいな天国とは興味はあるが、行けぬところの想像などするだけ無駄だ。
「…だからあなたに与えられた選択肢は、記憶がリセットされた状態で新しい身体を得て、完全にあなたではない別人として生まれ直すか。それとも全てを持ったまま新しい世界に赴き、その地を制する魔王を討ち果たす協力をするかになるの。後者については、もし魔王を討伐出来たら、どんな望みでも一個叶えてあげることになっているわ」
「ほう…?」
生まれ直しか。…いや、きっと我の知るそれではないだろうな。
彼女の言が本当ならば、あれよりずっと完璧なものであろう。
我はもう、疲れてしまったのだ。
我が我で無いものになれる。
きっと今の我よりずっと気楽で、どうしようもなくありふれた存在に。それが許されるというならば、これ以上に幸福なことなどないはずだ。
「あー、念のため言っとくけど、前者はおすすめしないわよ。…っていうのもね、あなたはいろいろと強烈すぎるの。別にあなたが悪いって訳じゃないわ。でもその
あぁ、そうか。
そうなったら…発狂、するかもしれんな。
「そういうこと。ちなみに生まれ変わるなら、私が担当してるとこ…地球っていう星の日本っていう国になるわ。まともに生きていれば、あなたの経験したような凄惨な戦いなんて、きっとその片鱗すら味わえない場所でしょうね」
平和か…
それならばこの記憶は、なおさら悪影響だろうな。
トレントで駆けた記憶や、フィアに抱きしめてもらった記憶などは…まぁ、不思議程度で済むものかもしれないが、きっとほとんどが常人には耐えがたい。
何なら狭間の地の住人であっても、正気ではいられないものすら数多くあるだろう。
死に触れ過ぎた人間の記憶が、真面であるはずもないのだ。
そうなると…
「実質一択ということか?」
「そうなるわね」
「それなら後者のみを伝えればいいものを…随分と回りくどいのだな」
我の意地悪な返答に対し、女神アクアは白々しそうに目を細める。
それはどれほど鈍感なものであろうと「こいつ面倒臭がってるな」と分かるような…それはもう、分かりやすい挙動であった。
「…だって規則なんですもん、しょうがないじゃない」
「そうか、規則か」
まぁ、規則と言うなら仕方がない。
世界の律、社会の律、組織の律、個人の律。律とはその場毎にあるものだが、共通して言えることは、それに反することや律そのものを乱す行為をしてはならないということだ。
それがどれほど理不尽なものであろうと、律に従うことは最低限の倫理であると言えるだろう。
あの糞喰いですら…たとえそれが強要されたものだとしても、円卓の律には従っていたのだ。
「そうよ。…そうじゃなければ私も、好き好んでこんなセールスみたいなことはやってないわ。出来るなら私も遊び半分にぱぱぱって決めて、ぽいぽいってやっちゃうもの」
「せえるす…?」
知らない言葉だ。
それはそれとして、手で払ったり投げたりするような奇怪なジェスチャーと共に語られたのは、神の意外なる本音。かなり無責任で適当極まりない話であった。
あぁ⋯しかし、大いなる意志や指たちについても、勤勉であったかと問われれば否であったか。
そう考えると神。あるいはそれに準ずる存在は、思ったより人間らしい思考回路を使って生きているのかもしれないな。
もっともあれらと女神アクアは、比べることも烏滸がましいほどに、大きな差がある存在だろう。
女神アクアは親しみやすく、可愛らしく、また話をすることすら可能だ。
「セールス。つまり物売りのことよ」
それも分からないことを問えば、教えてくれさえする慈悲もある。
「…そうか」
逡巡。
決まり切った答えを飲み込むだけの微かな間を置く。
元より我は荒事に生きたもの、平和は好きだが少々退屈が過ぎる。全てを廃し、世を乱すほど求めてはいないが、それでも欲求は消えぬだろう。
本当は別の存在になりたかったのだが、リスクを背負ってまで強行したいことではない。⋯ならば理想ではなく、幸福で楽しそうな方を選びたいものだ。
「…そうだな」
我の言葉は一呼吸の後、続けられた。
「我が選ぶのは、後者だ。魔王討伐について、受命することとしよう」
「了解したわ。…ただ、そうね。ひとつ、言いたいことがあるの」
女神アクアは、立ち上がって、我に歩み寄る。
それから額に、そのしなやかな人差し指で以て触れると、囁くように言った。
「あなたの人生を見ていてつくづく思ったのだけれど、あなたは少し真面目過ぎるわ。特に内心、やりたいことすっごく我慢してるあたりも、見ていてむかむかするのよ。…立場的にあんまり言いたいことじゃないんだけどね。アクシズ教の主神として、あなたを放っておくことはできないわ」
彼女は少し前のだらけた態度からは、到底考えられないほど真面目に、そして神たる威信に溢れた様子で言い切った。
「すこし、手を抜きなさい。むしろサボりなさい。魔王討伐も、使命だなんて考えなくていいわ」
くるりと回転し、我に背を向ける。
それから片手を口に添え、遠くに向かって大声で「それじゃあ飛ばしてちょうだい!」と言うと、また振り返って続けた。
「あなたは元から強すぎるから無いけれど、本来は魔王討伐のために強大な力を与えることになっているわ。これをしょうもない私利私欲の為に使う子も山ほどいるのよ」
我の周囲を取り囲むように、不思議な光の壁が現れる。
微かな浮遊感。下方に現れた魔法陣が、大きな力で満たされていた。
「名目上はどうしようもなく過酷な世界ってことになってるけど、あなたのところと比べれば天国かと思うくらい気楽でいいとこだと思うわ。だからね…」
とうとう我の身体が宙に浮いた。
……しかしこれらの変化について、興味深いとは思考の片隅で思いながらも、しかしまったく意識を割けずにいる。
女神アクア。その存在より与えられる啓示について、あまりに強く惹き込まれていたのだ。
「
彼女がすう、と息を吸う。
その音すら、聞き逃さぬよう、集中する。
「これから先は、自由に生きなさい!この素晴らしい世界で、あなたは祝福されるでしょう!!」
瞬間、目の前からアクア様の姿が消失した。…いや、逆だ。
飛ばしてというセリフからして、きっと我の身体の方が消失したのだろう。
視界全体が白色に覆われ、その圧倒的な光の中で回想する。
啓示とは道。使命であり、達せねばならぬことであり、苦痛そのものだった。
そうであるというのに、他ならぬ啓示が使命を否定し、自分に正直になれなど…そんなことを許すなんて、こんなに神らしくないことは他にないだろう。
神とは、そういうものではない。
そんな我の無粋な思考は、しかし耐え難い歓喜の中にあった。
あぁ…いいな。
我の苦痛。我の絶望。
王になれかしと導きに従い続け、その後は王としてあり続けた。
長らく使命の奴隷であったが故に、常に心を満たし続けたあらゆる感情が、解放されたような気分だ。
彼女の啓示は、ただの怠惰そのものだったというのに、それがかくも心に響くものとは……
……そうだ。
許されたならばまず、この堅苦しい衣装を脱ぐことから始めよう。
王らしさとは、暮らしやすさとは掛け離れたもの。身動ぎすらできぬ衣服を嫌々身に纏って、そんな様で自由など嘯けば、それは大嘘も甚だしいことだ。
そうだな、自由を名乗るなら、何を着てゆくべきか…いや、恰好など決まっているだろう。
きっとあれほど『開放』という言葉に相応しい衣装は無いはずだ。
そうして刹那の内に諸々の準備を済ませると、その頃には視界のホワイトアウトが止んでいた。
映りこんだのは、非常に古風な街並みであった。
行き交う人群れは、ここが盛んな通りであることを示している。
なにより喜ばしいのは、その誰もが正気であったということだ。
ただ棒のように立ち尽くしている我を見て、すぐにでもブチ殺してやろうといった敵対的な面持ちを浮かべるものや、目から血が噴出しそうな眼力で睨み付けるものはいなかった。
ざわざわとした人の喧騒と、我を避けるように歩いてゆく知性。なんと人間らしいことだろう。
驚愕して二度見するものや、我からあからさまに目を逸らすもの。あるいは下心を伴って我を見るものもいたが、それらの存在はむしろ彼らが正気であるが故だ。
こんな真っ当な街に居たことなど、生まれてこの方初めての事だ。
ここが何処だかは知らぬが、きっと素晴らしい街に違いない。
「そして我には、もはや使命はない…」
息を吸う。そして吐く。
全身で自由を感じ、全力でこれからのことを夢に見る。
「なんと清々しい気分なのだろう」
そして思わず呟けば、その瞬間、背後より肩を叩かれた。
きっと触れたのは、皮のグローブだろう。その硬い感触が生肌に直接触れる。
振り返って「なんだね」と、その相手について行動の意図を問えば、彼…おそらく衛兵と思しき格好の男は、酷くやりづらそうにして言うのであった。
「君、服は…着ようか。まだ昼間だよ。清々しいのは結構だが、冷静になってくれ」
・しなやかな儀礼剣
今後一切登場しない武装。
エルデの王ちゃんのために王都の鍛治師が作った、装飾もりもりのかっこいいやつ。
すぐ折れる、すぐ刃毀れする、デカい、重い、斬れない。
ほぼインテリアといった様相を呈する剣のようなもの。
そのことを鍛治師に問い詰めたら、たぶん『性能度外視でかっこいい剣作れって言ったのお前じゃん』って返ってくる。
・アクア様
エルデの王ちゃんが、常に無表情で英雄の風格撒き散らしてるから、少しだけ緊張してた。
転生にあたって、珍しく様子を見るということをしていたが、転送完了してからアクセルの街に到着するまでの一瞬で早着替え(脱衣)して、公衆の面前で露出狂ムーヴ決めてる様子を見たところで、目を逸らした。
わたしなにもしてない、わたしなにもいってない。
・エルデの王ちゃん
元小姓。素寒貧。天才肌。顔色が悪い。
壊れかけの時代を統治したエルデの王(♀)だけど、あんまり王とかできるタイプじゃなかったコミュ障。
最期は狂い火の王にボコボコのボコにされて、這い蹲ったところを踏み躙られて、そのままBONFIRE LITされる。
転生に際し、口に出さなくても意思が伝わる状況を便利だと思って、特別伝えたいこと以外は黙ったまま返事をしていた。
その様子を他の褪せ人が見たら、たぶん「そういうとこやぞ」って言われる。
・アクセルの衛兵
街中で下着姿になって「清々しい」とか言ってる、幸薄そうな少女を見つけてしまった可哀想な衛兵。追い剥ぎの被害者かと思ったけど、なんかめっちゃ目をキラキラさせてたし、一瞬で変態だと察した。
エリス教徒。