老トレーナーの晩餐会   作:品☆美

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何しに来やがったお前

手元にある資料をまとめ漸く人心地がついた。

椅子に座るとサングラスを外し目元を揉む。

年齢のせいか最近は少し無理をするとすぐに疲労が押し寄せて来る。

若い頃なら徹夜の強行軍を数日しても平気だったもんだが。

机に置かれた湯呑の茶はとっくに冷めていた。

安物だがベルノがわざわざ淹れてくれた茶を捨てるのは気が引ける。

冷めた茶を啜りながら瞼を閉じる。

思い出すのは昨日のマイルチャンピオンシップ。

俺もトレーナーとして長くやってるがあれ程のレースはそうそうお目にかかる物じゃない。

おそらく日本のマイルレースに於いては名勝負として多くの者の記憶に刻まれただろう。

オグリキャップとバンブーメモリー。

どちらが欠けてもあの接戦はありえなかった。

 

『ウチのバンブーは強いよ』

 

憎たらしい野郎の言葉を思い出し、つい舌打ちが出てしまう。

実際ハナ差で勝利したとはいえ勝負としては此方の敗北に近い内容だった。

オグリがレース中に走者として一段階成長しえたからこその皮一枚の勝利だった。

そんな物が偶然に近い物が勝負の決め手となるのはトレーナーとして下の下に近い醜態と言わざる得ない。

反省点は多々あるが、今はジャパンカッブの方が最優先事項だ。

マイルチャンピオンシップに出走する前に出来る限りの資料を集めておいたが情報は日々更新される。

本来なら万全を期してオグリを送り出してやりたいが、とにかく今は時間が足りない。

ウマ娘は人間より頑丈と思われがちだが、実際には肉体を構成する成分に双方の違いは無い。

人間は本来時速60kmで走れる構造や強度を有していない。

遥かに強靭な肉体を持つウマ娘でもレース本番は肉体への負荷がデカ過ぎる。

一度レースに出たら数週間のインターバルが必須だ。

それをたった一週間で調整するのは不可能と断言できる。

そもそもオグリは春先に繋靱帯炎を発症し危うく選手生命の危機だった。

これ以上無理はさせられない。

必然的に足りない部分を知恵や作戦で補う事になっちまう。

一息入れたら作業再開だ。

 

コン コン コン コン

 

ドアをノックする音が室内に響く。

ベルノが戻って来たか?

いや、礼儀正しいベルノとはノックの回数が違う。

オグリはそもそもドアをノックするような奴じゃねぇ。

 

「どうぞ」

 

入室を求める相手に返事をする。

部屋に入って来たのは顔も見たくない野郎だった。

 

 

奈瀬英人。

日本でウマ娘のトレーナーを志す者なら知らない方がおかしいレベルの名伯楽。

異名は『ターフの魔術師』『勝負師』『名人』と数多い。

担当するウマ娘に合わせた指導を行う事で知られ、コイツに見込まれるのは一流の素質を持つウマ娘と太鼓判を押されると言っても過言ではない。

その整った外見からメディア露出も多く社会認知度も高く、URA上層部に対して影響力も持つ。

コイツの提唱する育成論は何冊か書籍化され海外からも高く評価されている。

現役日本人トレーナーでは間違いなくトップクラス。

尤も、俺にとっちゃ付き合いが長い腐れ縁の憎たらしい敵に他ならねぇが。

 

「何しに来やがった?」

 

冷静になろうと努めるが語気は無意識に荒くなる。

茶でもぶっかけてやろうかと考えたが忌々しい事に手元の湯呑に入っていた茶は俺が先程飲み干しちまった。

幾度コイツの担当ウマ娘に俺の担当ウマ娘が煮え湯を飲まされたか数えきれない。

 

「君は僕と会う時はいつも喧嘩腰だね」

 

呆れた口調で奈瀬はそう言うとゆっくりとした動作で椅子に腰掛ける。

忌々しい、せめて俺の許可ぐらい取れ。

 

「互いの担当ウマ娘が勝負してから一日しか経ってねえのに気安く訪ねて来るんじゃねぇ」

「レース中の感情をいつまでも持ち越すのはいただけないね。そもそも勝ったのは君達じゃないか」

 

昔からコイツとは反りが合わない。

何を言ってものらりくらりと言い包められてる気分にされる。

 

「まぁ良いさ、少し君と話がしたくてね」

「俺はするつもり無え、さっさと帰れ」

 

そう言ってドアを指差す。

机の上には必死で集めた資料や未記入の書類が散乱してる。

コイツは限られた情報からでも此方の対策を編み出しかねない危険性を持っている。

そもそも奈瀬の担当ウマ娘であるバンブーメモリーもジャパンカッブに出走する予定だ。

俺が敵に塩を贈るほどお人好しと思うんじゃねぇぞ。

 

「此処で話すのは差し障りかあるだろうから場と時間は此方で用意しよう」

「勝手に話を進めるんじゃねえ」

「本格的なトレーニングは今週の後半からだろう?君の事だから面倒な手続きは事前に済ませていると思ったんだが」

 

何もかもお見通しといった風で自分の主張を押し通すのがコイツのやり口だ。

憎たらしい事に長年の付き合いで互いの手の内はある程度バレてる。

 

「今日の5時に府中駅の改札口で待ってる。無理にとは言わない」

「俺は行かねえからな」

 

奈瀬は俺の返事に首を竦めそのまま退室する。

あの野郎、本当に自分の言いたい事だけ言って帰りやがった。

怒りと脱力感で頭痛がしてきやがる。

ちくしょう、何で勝った筈の俺がアイツのペースに巻き込まれるんだ。

 

 

奈瀬が部屋から出て行ったのを尻目に作業を再開する。

今日の仕事は事務処理が中心だ。

イラつく頭を空にしてひたすら手を動かしていけば気は紛れる。

黙々と必要事項に記入をしていけばいつかは終わるが来るもんだ。

部屋の静寂と窓から差し込む陽光が穏やかな秋の午後といった風情を感じさせる。

思えばカサマツからオグリとベルノが来てから随分と賑やかになった。

メイクンツカサ、クラフトユニヴァ、ゴッドハンニバル。

他にも担当しているウマ娘はいるがあの二人は別格と言って良い。

優秀な奴らは周囲を惹き付ける引力みてえな物を発している。

俺の長いトレーナーとしての経歴において最強と言って良いオグリキャップ。

稀に見る頭脳の優秀さとサポート能力を備えたベルノライト。

優秀な奴を丹念に育ててやりたいと思うのはトレーナーの習性だ。

他の担当ウマ娘をついつい後回しにする事に若干の罪悪感を感じ心の中で詫びる。

尤も、他の奴らもそんな事を理解した上であの二人と仲良くしてくれるからありがたい。

本来は俺が担当する筈じゃなかった。

バカな甥っ子が中央に来るまで面倒見るだけの筈だった。

なのに今の俺はオグリに対し過剰なまでの期待と信頼を寄せている。

 

「いけねぇな、こりゃ」

 

さっさと中央試験に合格しやがれ譲。

オグリがずっとお前を待ってるだろうが.

ぼやぼやしてたらオグリが引退しちまうぞ。

そう毒づきながら黙々と仕事を熟していく。

最後の書類に記入を終え時計を見る。

午後4時30分。

今から府中駅に向かえばギリギリで5時に間に合う時間だ。

理性と感情が争いを始め思考が逡巡する。

奈瀬の野郎は大嫌いだ、面を見るのも正直癪に触る。

だが実力だけは本物だ、俺を凌ぎ日本どころか世界トップクラスのトレーナーと言っても過言ではない。

今の俺達に必要なのは情報。

もし奴が有益な何かを掴んでいてそれを手に入れる事が出来たなら?

そんな思考が頭よぎる。

感情では否定したいのにトレーナーとしての性分がそれを肯定する。

再び時計を見る、あれから5分経過した。

 

「ちくしょう、忌々しい」

 

机の近くに立てかけたステッキを思い切り掴む。

舌打ちして俺は足早に部屋を去った。

 

 

「ほら、やっぱり来たじゃないか」

 

息を切らせて府中駅に来た俺にそんな事を言い放つ奈瀬。

ぶん殴って今すぐ帰ってやろうか、この野郎。

 

「来るつもりは無かった、来なかったらお前から逃げ出したみてぇで気分が悪いだけだ」

「それらしい言い訳を用意する辺り、君は昔から真面目だね」

「ぬかしやがれ」

 

秋は日が暮れるのが早い。

おまけに5時を回れば帰宅する人の波が駅に押し寄せる。

腰が曲がって杖を突く年寄りに無茶をさせるな。

 

「で、いったい何処へ何をしに行くんだよ?」

「損はさせないから付いて来てくれ」

 

奈瀬はそう言い放つと駅の改札近くから歩き始めた。

駅に呼び出したのに電車に乗らねぇのかよ。

文句こそ口に出さないが不満は溜まる。

ゆっくりと駅から出て駅前商店街を通ると賑やかな声が耳を、様々な匂いが鼻をくすぐる。

陽は落ちて街灯が点く道を暫し歩いてゆく。

何処に行くかは分からねえが、俺から奈瀬に話しかけるのも癪だった。

そうして杖を突きながら歩いていると奈瀬が足を止める。

周囲に何とも香ばしい匂いが漂い腹の虫を刺激する。

そして奈瀬の左側の建物に目を向けた。

 

「鰻屋…?」

 

サングラスをずらし目元を揉み、暖簾に書かれた文字を再度見る。

やはり、どう見ても鰻屋だった。

この店には幾度か訪れた事がある。

若い頃はレース前の勢い付けに、年を重ねてからレースに勝った担当ウマ娘の褒美に。

建物が若干古くなってこそすれ相変わらずの佇まいだった。

 

「おい、どういうつもりだ奈瀬?」

「どういうつもりって鰻屋に来たんだよ」

「何で鰻屋に来たんだ?」

「鰻屋に来たら鰻を食べるに決まってるじゃないか」

 

何を言ってるんだ?という奈瀬の表情が腹立たしい。

どうにも会話が噛み合わねぇ。

過去を振り返れば昔からこいつはこんな感じだった。

いまいち何を考えているか分からねえのにいつの間にかこいつのペースに巻き込まれる。

いつも奈瀬が何かをしでかし俺が怒るのがパターンだった。

奈瀬は不満気な俺を無視して暖簾を潜り扉を開ける。

溜め息を吐き出して後に続く。

 

「いらっしゃいませ」

 

年嵩の仲居が頭を下げ俺達を出迎えた。

以前も見た気がするがよく憶えていない、まぁ頻繁に訪れている訳でもないのが仕方ねえか。

 

「予約した奈瀬だが」

「はい、承っております」

 

予約してたのかテメェ、一体何のつもりなんだよ?

手入れの行き届いた店内を案内され和室に通された。

年寄り二人が食事に使うには若干広いが居心地は悪くない。座布団に座るとようやく人心地がつく。

 

「失礼します」

 

先程とは違う若い仲居が部屋を訪れる。盆の上には茶が注がれた湯呑とおしぼりが置かれていた。

おしぼり受け取りまず手を丹念に拭い、次いで茶を啜る。

寒空で冷えた体に茶の温かさがありがたい。

 

「こちらはお品書きとなります」

 

ゆっくり手渡された品書きを見つつ奈瀬の反応を伺う。

コイツが俺と一緒に食事をしたがるような奴か?天地がひっくり返ってもありえねえ事は確実だ。

まず、あらゆる可能性を探るのがトレーナーという人種の特徴だ。

ましてや担当ウマ娘が昨日のレースで競い合い、次のレースでも対戦するなら疑ってかかるべきだ。

 

「とりあえずビールを瓶で半ダース。それと日本酒はそれぞれの銘柄を燗と冷で一本ずつ」

「なに勝手に決めていやがるッ!?」

 

品書きに目も通さずに酒をお注文しやがったぞコイツ。

おまけにその量に仲居が顔を若干引きつらせている。

 

「だいたいその量は何だ、俺はそんなに呑めねえぞ」

「君の分じゃないよ、僕が呑む分だ」

 

答えを聞いてこめかみの辺りが痛くなる。

そうだ、コイツは凄まじいザルだった。

若い頃からとにかく酒を黙々と呑んでいやがった。

俺と他のトレーナーと宴会で呑んでた時に奈瀬は会話に交じわらずぐびぐびと酒を呑み続け、酔い潰れた俺達を尻目に飄々として帰って行きやがった。

あの時コイツが呑んだ代金は何故か俺達が支払う羽目になった。

思い出したらムカついて来たぞこの野郎。

品書きを手渡し溜め息をつく。

コイツに振り回されるのは昔から、いつだって俺の方だ。

とりあえず料理を幾つか注文して仲居が部屋から去ったのを確認してから奈瀬を睨みつける。

 

「何が目的だ?」

「疑い深いな。ただ食事を一緒にしようと思っただけだよ」

 

そう言って足を崩した奈瀬は呆れたように俺を見つめる。

 

「本当はマイルチャンピオンシップ後にバンブーと一緒に此処へ来る予定だったのさ。けれど君達が勝ったから予定が狂った」

「俺達が原因って言いたいのかよ」

「バンブーにはジャパンカップに向けて英気を養ってもらうつもりだったんだけどね。彼女に断られたんだ」

「俺を誘った理由は?」

「せっかく予約していたのに直前でキャンセルしたら店に申し訳ない。僕が誘っても恐縮して断らないのは君ぐらいしか居ないから」

「友達居ねぇからな、お前」

 

最初からそう言えバカ野郎、無駄に身構えちまったじゃねえか。

 

「一杯のコーヒーが鰻になるなら割が良いだろ?」

「俺が今まで何度お前に奢らされたと思っていやがる」

 

肩を竦めてしらばっくれるんじゃねえ。

まぁ良いだろう、この所考える事が多くて些か気が張りつめていた。

少しばかり息抜きしても問題は無い。

コイツから何か聞き出せる可能性を考えれば悪くはねぇ筈だ。

 

「失礼します」

 

タイミングよく仲居が酒を持って来た。

奈瀬はビール、俺は燗酒。

座卓に置かれた銚子から猪口へ酒を注ぎ一息に飲み干す。

喉を通り胃の腑へ到達した酒が腹に火を灯すように熱くなる。

こうして俺と奈瀬の奇妙な酒盛りが始まった。




ウマ娘の魅力の一つは豊富な騎手・調教師の逸話がウマ娘やトレーナーに還元されて深みを出す事だと思います。
奈瀬パパはモデルになった武邦彦さんの史実ネタが多くて楽しいキャラです。
「武邦彦さんネタなら酒ネタは避けて通れないでしょ!」という認識で酒ネタを入れました。(誤った認識
あと会食場を鰻屋にしたのは
蕎麦屋→食事シーンがいまいち映えない
寿司屋→本編で既にやっている
鰻屋→会話シーンが多くても無理にならない
という作劇上の都合です。
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