そして現在。
トレーナーはミホノブルボンと共に、故障した車に寄り掛かりながら水平線に沈みゆく太陽を眺めている。
「マスターの車を破壊してしまい、申し訳ございません」
「謝らなくていいよ。電装系がやられちゃっただけだし」
深々と頭を下げるミホノブルボン。トレーナーは手を横に振って気にしていない風を装うが、内心では滂沱の涙を流していた。トレーナー業の稼ぎがそれなりとはいえ、修理費はかなりの痛手になる。
しかしながら、よく考えれば悪いのは自分だ。
先ほど、逸るミホノブルボンを落ち着かせようと頭を撫でた。考えてみれば、それは血のつながっていない少女に大人が気安くするべきことではない。いくら相手が苦楽を共にする担当のウマ娘であってもだ。
それに気づいて、逃げとも償いともとれる行動に…飲み物を買いに行った際に、ミホノブルボンの特殊体質を忘れてスマートキーを預けた結果がこれだ。
――ドアに触れた直後、電撃のような音を確認。ドアが開きません
――…あっ
トレーナーが戻った時には、車はお陀仏となっていた。
車が元の形を保っていることは、不幸中の幸いと言えよう。ミホノブルボンは、時に電子機器を故障のみならず爆破させることまであるのだから。もしそうなっていたら大惨事もいいところだ。
「とりあえず、学園と寮長には連絡したから。大丈夫だよ」
「……」
スマートフォンをポケットに仕舞い、安心させようと努める。トレーナーのスマートフォンで連絡したのは、彼女に連絡させて特殊体質でスマートフォンまで壊れては踏んだり蹴ったりもいいところだ。ミホノブルボンの体質は学園内でそれなりに知られているし、実際に声も聞かせてあるのですんなりと聞き入れてもらえた。
ロードサービスにもすでに連絡はしてある。とはいえ、今いる場所が市街地よりも離れた場所にあるため、10分15分で来るのは難しいとのことだ。
太陽を眺めるミホノブルボンの耳は垂れている。今回ばかりは大分ショックだったらしい。トレーナーの気休めの言葉にも、あまり反応を示さない。じっと、太陽が沈みつつある水平線を見つめたままだ。どう声をかけたものかと悩んだが、だんまりなのも場の空気が悪い。
「…そんなに気に病まなくて大丈夫。ブルボンに怪我がないのが何よりだし」
言うと、ミホノブルボンがトレーナーに身体を向けてきた。不思議なものを見る目で、トレーナーを見上げる。
「マスターは、なぜそこまで私に優しくしてくれるのですか?」
「えっ?」
「マスターの私物を破壊してしまったため、大なり小なり責められることの方が自然と判断できますが」
その質問は、意外も意外。トレーナーの、ミホノブルボンに対する感情についてのものだ。それについての答えは別に悩むほどではないが、それを口にするのは少々悩ましい。
「どうして優しく、って言ってもなぁ…」
「……」
何とかお茶を濁したいが、ミホノブルボンの目がしっかりとこちらを捉えて逃さない。何かしら答えるまで、この視線は外れないとまで感じる。腹を決めて話した方がよさそうだ。
「ブルボンが車を壊したのはわざとじゃないって分かってるよ。俺がうっかりして鍵を渡しちゃったせいでもあるし、責められはしないよ」
ブルボンの視線から、ほんの少し硬さが消える。それに、とトレーナーは付け加える。
「俺にとってもブルボンは大切だし、無事でいるのが一番だから」
ミホノブルボンの瞳が、ほんのわずかに揺れた。
格好つけているわけではない。トレーナーにとってミホノブルボンは大切な存在だ。数年あまり一緒にトゥインクル・シリーズに挑む中で情というものは芽生えるし、サイボーグが如きストイックなその性格を気に掛けることも多い。
彼女が、ちゃんとした「ウマ娘」であるからこそ、愚直なほどに走ることに向き合い続ける姿を、時に不安に思う。そう思うということは、逆に言えばそれだけミホノブルボンを大切に思っているということだ。
「だから…そう気を落とさなくていい」
そして、安心させるようにミホノブルボンの頭に手を置いた。置いてしまった。
気づいた時には、もう遅い。ミホノブルボンの耳が、驚いたように揺れている。ミホノブルボンもまた、トレーナーに対して無機質ともとれない目を向けていた。
「あ、ごめん」
「いいえ」
謝りながら手を離すが、ミホノブルボンは即座に否定した。そして、離した手をまじまじと見ている。
「マスターの話を聞き、頭を撫でられると、バッドステータス『しょんぼり』の解消、同時にステータス『安心』への推移を確認」
「え?」
「総合的に、私は『マスターに触れられるのが嫌いではない』と判断いたします」
「……」
大真面目に淡々と説明するミホノブルボン。てっきり男から頭を撫でられることなど嫌だと思っていたのだが、まさかその逆だとは思わなかった。そして、今なおミホノブルボンが自分のことを…自分の手を見ているので、次にどうするべきかは割とすぐに分かった。
「じゃあ…もう少し、そうしてた方がいい?」
ミホノブルボンは、首を縦に振って答える。
担当ウマ娘の気持ちに応えたい、しかし体裁も、という葛藤の末にトレーナーはミホノブルボンの頭を再び撫でることにした。彼女の目が細くなり、表情から硬さが消えたのを見て、先ほどの言葉に嘘はないんだろうなと思う。肌触りの良い髪や香りから意識を背けつつ考える。
陽が沈みかけ、辺りが暗くなってきたのが幸いだ。でなければ、自分も気恥ずかしくて顔が紅くなっているのに気づかれてしまうから。
そしてロードサービスが来るまでの間、ミホノブルボンの頭を撫で続けてはいたものの、不思議と気まずさはあまり感じなかった。
◆ ◇ ◇ ◇
ありがたいことに、ロードサービスの車でミホノブルボンとトレーナーは最寄りの駅へと送ってもらった。流石にトレセン学園までとはいかなかったが、これでも十分だとトレーナーは言っていたし、ミホノブルボンも同意見だ。
「さて、これからどうするかな…」
スマートフォンを取り出すトレーナー。
一方のミホノブルボンは、陽が落ちて暗くなった夜空を仰ぎ見る。ここは都心部と違って民家もまばらなため、星は幾分かよりきれいに見える。流石に満天の星とまではいかないが。
そんな夜空を見上げながら思うのは、トレーナーとのことだ。
頭を撫でられることは、自分で言った通り嫌ではなかった。海辺で肩を抱かれたことも、不快などとは思わなかった。
しかし、誰かにそうされることは初めてではない。両親からされたことが何度もある。しかし、トレーナーからそうされたことは、親からされた時とは違うように感じた。
(…分析、不能)
行為自体は同じはずなのに、トレーナーからされることは特別に感じてしまう。
どうしてなのかが、自分で分からない。どれだけ頭で考えても、分からない。
「ブルボン」
思考がこんがらがり始めていたところで、トレーナーが声をかけてきた。
「とりあえず、帰り道が分かった。幸い、電車ももうすぐ来る頃だし」
「了解しました」
どうやら帰路が判明したようだ。例によって、ミホノブルボンはスマートフォンを壊す可能性があるため、調べたのはトレーナーだった。本当に、今日はトレーナーの世話になってばかりだ。自分の特殊体質故に仕方ないとはいえ、こうなると車の件もあって流石に罪悪感が無視できなくなる。
「まずはターミナル駅まで行って、そこからは特急だ。夕飯は…途中で何か食べよう」
切符を買って、1枚をミホノブルボンに手渡してくる。ミホノブルボンであれば、交通系のICカードをタッチするだけで自動改札を壊しかねないため、これも配慮だ。ミホノブルボンが何も言わずとも、トレーナーはミホノブルボンにとってその時最適な手を、さりげなくしてくれる。
(私は、ただマスターの厚意に甘えているだけで良いのでしょうか)
自分で自分に問うが、答えは否だ。トレーナーにそれを直接聞いたところで「うん」と答えるだろうが、やはり自分でそれを良しとできない。
では、何ができるだろう。
ホームに立ち、遠くからやってくる電車のヘッドライトを見ながら、考えた。
◇ ◆ ◇ ◇
休み明け、トレーナーはいつものように専用のトレーナー室でこれからの計画を立てていた。
元々、3か月後のGIIレースに向けてスケジュールは立てていた。しかし、気分転換の休日があんなことになってしまったので変更を余儀なくされている。それも、ミホノブルボンがそれなりに落ち込んでいたのに加え、帰りも長時間電車に揺られて帰寮が遅くなってしまったからだ。メンタルの立て直しと身体への影響は考慮するほかない。
恐らくミホノブルボンは、それらのことを苦ともしないだろう。自分の不手際で招いた事態なのだから、気遣いは不要と言うかもしれない。しかしながら、トレーナーの立場としてはミホノブルボンに無理をさせられない。どう言われようとも、不安なところがあればそれは徹底的に詰める。そういった面で、担当ウマ娘の気持ちを抑えるのも時にはトレーナー業に必要だ。
「失礼します、マスター」
「やぁ、ブルボン」
やがて、ミホノブルボンがやって来た。学生鞄を肩に提げているが、既にトレーニングウェアに着替えている。時計を見れば、既に授業は終わった時間だ。トレーナーは、新しく組み直したスケジュール表を印刷して席から立ち上がる。
「今日のトレーニングだけど、こないだの休みのこともあるし、少し軽めにしておこう」
言いながら、ミホノブルボンに新しいスケジュール表を手渡す。確かにメニューは調整したが、次のレースまでには十分間に合うよう組み直した。1日のメニューを軽くしたぐらいで、次のレースには大した支障はない。
「…了解しました。新しいスケジュールをインプット。メモリに保存します」
ミホノブルボンは特に反論せず新しいスケジュール表を受け取り目を通し始める。思うところはある、と言う具合だが。
「マスター」
やがて、通読し終えたミホノブルボンが改めて声をかけてきた。
「本日のトレーニングの後、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「?」
普段耳にしない要望に、トレーナーも目をしばたかせる。
確かに今日のトレーニングが軽めになったことで、切り上げる時刻も少々早めになっているので問題はないが。
「マスターをお連れしたい場所があります」
◇ ◇ ◆ ◇
普段と比べて軽いランニングトレーニングの後、ミホノブルボンに連れてこられたのは、学園からほど近い場所にある公園だった。
「へぇ…これは…」
そこにあったのは広大な花壇。色とりどりの花々が咲き乱れ、絨毯のように広がっていた。鮮やかに咲いているそれらは、見ているだけで心に落ち着きとほんの少しだけの高揚感を抱かせる。傾き始めた陽の光が包み込むように照らしているのも、また一層良さを引き立てている。
「フラワーさんより教わりました。『リラックスするのであればここがおススメ』とのことです」
「フラワーさん」とは、彼女のルームメイト・ニシノフラワーのことだろう。飛び級でトレセン学園に入学し、とても心優しい性格だと聞いている。そんな彼女は花が好きらしく、ここも彼女イチオシの場所だったようだ。
「確かに…いい場所だ。でも、急にここに連れてくるなんて、どうしたんだ?」
しばしの間花壇に見惚れていたが、気になったことを改めて尋ねる。ミホノブルボンがゆっくりと歩きだしたので、トレーナーも並んで行く。立ち話も何だからだろう。
「先日の休日に、私がマスターの車を壊してしまったことをフラワーさんに相談しました」
「え、それって…」
「それだけではなく、私は普段からマスターのお心遣いに甘んじているだけで何も返せていないことに、先日気づきました。それについて、私に何ができるかをフラワーさんに相談した次第です」
その状況を思い浮かべてみる。ニシノフラワーはさぞ面食らったことだろう。電子機器をなぜか破壊してしまうのは知っているとして、トレーナーの私物(しかも車)まで壊したとなれば、驚かずにはいられまい。
「最初は修理費をお渡しするのが最適と考えましたが、フラワーさんに止められました」
それに関してはニシノフラワーの英断と言わざるを得ない。もしも、正直にミホノブルボンから金を渡されたら、丁重に断っていた。ミホノブルボンに悪意がなかったのは事実だし、事情がどうであっても生徒から金をもらうなど気が引ける。
「その後どうすればよいのかを話してみたところ、『贈り物をするのがよい』と言う結論に達しました」
「なるほど…でも、どうしてここに?」
太陽も傾いだ頃合いにここまで来たものの、ミホノブルボンはその「贈り物」と思しきものは持っていない。
「マスターの趣味や私生活に関する情報が不足していたため、何らかの贈り物を用意してそれが不本意だった場合を考慮し、物質としての贈り物は用意できませんでした」
「そんな、別にいいのに…」
「ですので、先日できなかったオペレーション『リラックス』をマスターもできるようにと考えた結果、こちらにお連れするのが良いと考えた次第です」
どうやら、あの日はトレーナーもリラックスできていないと思っていたようだ。確かに、あの日はそれがまったくできなかったと言うわけでもないが、色々ありすぎたせいでいまいち疲れが取れていない感覚もある。それを踏まえた今回の計らいは、トレーナーにとっても十分すぎるお返しだ。
「…ありがとう」
「どういたしまして」
お礼を告げると、ミホノブルボンはやはり機械的な返事をする。
だが、その顔には穏やかな笑みがあった。
公園の近くにはちみつドリンクのキッチンカーが来ていたので、トレーナーがミホノブルボンにそれを買ってくれた。ここを案内してくれたことへのお礼らしい。ミホノブルボンとしては、これまでのことを兼ねてお礼をするべきはこちらだと思ったが、トレーナーはそこで引かないのも知っているので厚意を甘んじて受け入れることにする。
「でも、ここは本当にいい場所だな」
はちみつドリンクを片手に、トレーナーが改めて周囲を見渡す。陽は大分傾いてきて、ほどなくして辺りは暗くなるだろう。ミホノブルボンも同じく花壇を眺めつつ、ニシノフラワーから教わったことを思い出す。
「フラワーさん曰く『季節によって咲く花々が異なり、見える景色も異なる』とのことです」
「へぇ、それじゃまた季節が変わったら
トレーナーは、特別なことは何も言っていないつもりだろう。季節が変わってその「違った景色」を見るためにまた来ようと、それ以上でもそれ以下でもないつもりで言ったに違いない。
だが、ミホノブルボンは違った。
「…了解しました。スケジュールに、ミッション『マスターと一緒にまたここへ来る』を追加しておきます」
「いや、流石にまだ早すぎな気もするけど…」
トレーナーは困惑気味だが、ミホノブルボンは続ける。
「マスターはこれから先、季節が変わっても、私と共に居続けるという認識でよろしいでしょうか」
「え、あぁ…そういうことね。でも確かに」
確認を込めて聞くと、トレーナーはようやく意味を理解できたように頷いてはちみつドリンクを飲む。
「ブルボンとの契約は続けられる限り続けていきたいし。三冠達成って目標はもう過ぎたけど、これから先ブルボンが目指したいものや成し遂げたいことがあるのなら、俺は全力でそれをサポートする。支えるから」
ミホノブルボンもまた、はちみつドリンクを飲む。それは喉が渇いていたから、と言うだけではない。
「…心拍数、脈拍の上昇。並びに体温の微増を確認」
「え? もしかして、体調悪いとか?」
「いいえ。日常生活には問題ありません」
心配してくれるトレーナーだが、ミホノブルボン自身は身体の変化を理解できても、それが不調とは感じていない。
それは、先日食堂で店の人から応援のメッセージを貰った時、自分の中で生じたものにかなり近い。応援の言葉をかけられて、「走りたい」と言う抑制困難な欲が自分の中に噴出した。その状況に似ているが、かけられた言葉は少し違うし、自分の中で生じたものも今回は説明がつかない。
そもそも、だ。トレーナーから掛けられる言葉には、いつもミホノブルボンに対する気遣い、思いやりを感じる。当人はそれがトレーナーとして当たり前のことと言っていたし、ミホノブルボンも間違いではないと思う。
それでもミホノブルボンは、そのトレーナーの言葉からそれ以上の意味を感じていた。
(過去のログから、類似する身体及び感情の変化を来したシチュエーションを検索…)
花の説明プレートを眺めて「へー」「ほー」と感嘆の息を洩らすトレーナーを横に、これまでを顧みる。似たような経験がなかったか。あれば、それはどういう状況だったか。今と共通するものはあるか。
(…マスターとの会話ログがヒット)
だが、思い出したのはトレーナーと話をした時だけだ。そしてそれを意識すると、またしても自分の心臓が震えるかのように錯覚し、また顔が熱を持ってくる。これほどまでに、自分の感情を読み解こうとするまでに心と体が揺らぐのは初めてだ。それも、そうなってしまうのはトレーナーのことについて考えたり、彼と話をしたりする時ぐらいだった。
(分析不能)
トレーナーと担当ウマ娘がそうやって交流を持つことに、何もおかしなことはない。トゥインクル・シリーズで目標を持って挑む以上、トレーナーとコミュニケーションを取ることは不可欠なのだから。そしてそこにあるのは、信頼関係のはずだ。
だが、ミホノブルボンは自分とトレーナーとの間にある関係を意識すると、自分の中で説明のつかない奇妙な感覚に陥る。その「奇妙な感覚」の正体は分析できないが、自分にとって害のあるものではないということだけは確かだ。
(……)
トレーナーを見る。彼は黄昏時の花壇を眺め、風情を楽しんでいるように見える。ミホノブルボンの中で新しい何かが芽生えつつあるのにも気づかないように。そしてそれを思うと、ミホノブルボンの中に生じるのは「閊え」だ。
(私にとってのマスターは、「トレーナー」以上の存在であると定義)
結局、自分がトレーナーのことを具体的にどう思っているのか、明確な結論は出ない。無論、信頼はしているし、愚直な自分のことをできるところまで支えると断言してくれるほどに心優しいのも分かっている。
だが、今のミホノブルボンに出せる答えは、トレーナーを「トレーナー」以上の人だと思うことだ。
それがどういう意味なのかは、
◇ ◇ ◇ ◆
ミホノブルボンとのお出かけから数日が経つ。
調子を取り戻したミホノブルボンは、次のGIIレースに向けて順調にトレーニングを行っている。この日行っていたのはグラウンドの周回だ。
「一旦そこまで。10分間の休憩を取ろう」
「オーダーを受理。休息に入ります」
計測用ウォッチを止めて、スポーツドリンクとタオルを差し出す。契約して間もない頃はこうした休憩の指示すら齟齬が生じてしまったが、今となっては慣れたものだ。
汗を拭き、スポーツドリンクを静かに飲むミホノブルボンを見て、トレーナーは感慨深くなって頷く。
「どうされましたか?」
「いや、何でも。それよりさっきの周回だけど、ラップタイムの平均が前よりも縮んできてる。また力がついてきてるよ」
計測したタイムを書き上げたボードを見せる。ボトルの蓋を閉めたミホノブルボンはそれを見て、トレーナーに向き直る。
「先日の外出で、モード『リラックス』を正常に完遂できた賜物と思われます」
「そっか…よかった」
それは休日に海辺に行ったことか、それとも例の公園に行ったことか。恐らくは後者だろうが、どちらにせよ気分転換になったし、こうしてポテンシャルをまた引き出すことができたのだ。まずは良しとするべきだろう。
「マスター」
「?」
タオルとボトルを返しながら、ミホノブルボンが話しかけてくる。トレーナーが聞く姿勢を示すと、ミホノブルボンは自らの胸に手を当てながら口を開く。
「マスターは先日、『私との契約はできる限り続けたい』と仰っていたと私のメモリにはありますが、これは相違ありませんでしょうか」
「それは~…うん、言ったね」
相も変らぬミホノブルボンの機械的な物言いには未だ冷や冷やさせられるが、確かにトレーナーはそう言った。ミホノブルボンのことは、状況が許す限り支えていきたい。その気持ちに偽りはなかった。
「それでは、マスターにひとつ共有すべき項目がございます」
「?」
そのうえで、ミホノブルボンがさらに続けてくる。
「私は、この身体が許す限りはレースの世界で走り続けたいと考えております」
「……」
「また、目標『勝利』を達成するにあたってはマスターの力が不可欠と、私は判断しております。なのでこれからも、よろしくお願いいたします」
ぺこり、と頭を下げるミホノブルボン。
今まであまり聞くこともなかった、「夢」とも言えるミホノブルボンのこの先のビジョン。それは今と変わらず、レースの世界で徹底した走りをし続けること。そして、勝利を重ねること。
クラシック三冠達成のさらに先の、ミホノブルボンの夢。
その夢を実現するためにトレーナーの力を借りたいと、ミホノブルボンは言っている。
「…分かった。元々俺もそのつもりだし、ブルボンがそれを望むのなら」
下げている頭に、トレーナーは手をそっと優しく添えて撫でる。先日、ミホノブルボンが頭を撫でられることは嫌ではないとのことだったので、少しだけならそれをしても許されるだろう。
髪に手が触れた直後だけ、ミホノブルボンの尻尾と耳が僅かに揺れるが、やがて落ち着き、ミホノブルボンは頭を上げる。
「ありがとうございます」
それからミホノブルボンは、次の坂路トレーニングに向けて軽くストレッチを始める。それを眺めつつ、トレーナーはミホノブルボンの今後のことを考えた。
ウマ娘の身体には「ピーク」が存在する。そのピークを迎えた後は緩やかに力が衰えていき、いずれレースの世界から否が応でも身を引くことになる。
ミホノブルボンは、それまでは走り続けたいと願っている。クラシック三冠達成を切望していたことや彼女の性格から、それは決して道半ばで取り下げたりはしないだろう。そしてトレーナー自身、その時までミホノブルボンを支えると口にした。
それはつまり、ミホノブルボンがトレセン学園を卒業してからもトレーナーとして支え続けるということになる。
長い付き合いになりそうだとトレーナーは思う。しかし、場の雰囲気に流されて軽はずみなことを口にしたつもりはない。その言葉を取り下げるつもりはないし、これまで年月を経てミホノブルボンと共にトゥインクル・シリーズに取り組んできたのだ。この先も、行けるところまで付き合うつもりだった。
「10分の休憩終了。次のトレーニングに移行します」
「よし、行ってこい!」
背中を軽く押し、ミホノブルボンがトレーニングを始める。
その背中からは、先ほど目標を聞いたからだろう、強い意志のようなものを感じた。
これにて、ミホノブルボンのお話は終了でございます。
最後までご覧いただきありがとうございます。
以下、あとがきでございます。
今回のお話は、Twitterで独自に行った企画を基に執筆したものであり、初めての前後編構成の短めなお話でした。
ヒロインにミホノブルボンを選んだのは、普段は機械的でストイックながらも時折見せる感情豊かな面が非常に面白可笑しく、また何よりも可愛らしいと思い、彼女の物語を書いてみたいと考えた次第でございます。
その独特な口調からセリフを考えるのは中々に難しかったのですが、慣れてくるとむしろセリフを考えるのが面白くなり、とても楽しく物語の中で動かすことができました。
最後となりますが、ここまで読んでくださりありがとうございます。
ウマ娘に限らず、また新しい作品を投稿し、ご覧いただく機会がありましたら、その時はどうぞよろしくお願いいたします。