ナイトクラウド   作:三概井那多

1 / 14
プロローグです。



深淵鏡変1

 

 襲ってきたのは胸の奥からせり上がってくる嘔吐感の気持ちの悪さ。たまらず胃の中のものを全部吐き出す勢いで吐き出した。

 

「おえええ~~~!!」

 

 喉が焼けるような痛みとスン、とくる異臭が鼻に襲ってくるのと引き換えに胸の気持ち悪さは一先ず納まる。

 

 意識が遠くなるような眩暈を覚えてこのまま倒れてしまおうかと思ったが、パチパチと簡素ながらも部屋によく響く拍手の音が耳に入ってきたことで気を失いそうになるのを耐え、顔を上げる。

 

 見上げた先にいたのは真っ黒な格好したヘルメットを被った、全体的にどことなく宇宙服のように見える恰好をした男だか女だかよく分からない存在。それがこちらを見ては、まるで祝福するように拍手を送ってくる。

 

 視界がぼやける。視界の先に黒い何か、おそらくは人だろう。それから声をかける。

 

「……あん、……ふぁ、ば?」

 

 本当ならば『あんたは?』と訊ねているはずが、吐いた後で上手く舌が回らず、発声するだけで呼吸困難に陥ってしまう。

 

『あまり無理をなさらないでください。大切なお体に触ります』

 

 機械音声、アナウンスのような無機質なもので声だけでは男か女か分からない。何だったらもう相手は人間じゃなくロボットだと言われた方が納得してしまいそうなものだった。

 

 そんな声で労わってくる宇宙服は優しく、手を取り介護のような俺を扱ってくれる。弱っている状態もあり、その手に身体を預けてこのまま意識を失いそうになる。

 

『頑張って。意識を強く持ってください。……メディカルチェック。体温は低く、脈拍も低下、呼吸も不安定。ですが外傷、内部事態は無事……ほぅー、ほぅー、これはこれは。急ぎ安定剤Fを』

 

 何かを言っている声が聞こえるが意識が途絶えそうなっている俺にはその意味の殆どが頭で理解できていなかった。今はもうただ深く眠ってしまいたい。

 

 完全に意識が闇の中へと落ちていくのを感じながら深い眠りへと沈んでいく。

 

 ブスリ。

 

 突如として突き刺された鋭い痛みが右肩辺りに走る。そしてそこから何かが流れてくる。

 

「ガハッ!」

 

『無事だったようで何よりです』

 

 意識を吹き返す。ぼやけていた視界が鮮明に世界を映し出す。そして最初に見えたのはあの、黒い宇宙のような恰好をした男なのか女なのか、人なのかロボットなのかもわからない存在だ。

 

「……あ、あんたは?」

 

『初めまして、異世界よりお越しいただいた勇者様。私は『深淵卿』などと仰々しい名で呼ばれているモノです。あなたは?』

 

 機械音声でありながらも不思議と優しさと温かさを感じさせる声色でそう告げてくる。前半は意味が分からなかったが、後半は名を聞いてきているのだと分かったため、数度の深呼吸の後、緊張しつつ答える。

 

「の、埜本豊和(のもととよかず)

 

『埜本豊和ですね。ええ、記録(おぼえ)ました』

 

 反射鏡のヘルメット越しで分からないが、おそらくはニコリと微笑んだであろう、無機質な機械音声の返事。ヘルメットガラスに映る俺はだいぶ酷い顔をしていたが、顔色自体はそう悪くない。

 

『栄養剤を打ちました。直に動けるようになるでしょう』

 

 

 手に持つ銃の形をした注射器をみせてくる。

 

 栄養剤? さっきの痛みはその注射器だったのか? 通りで数秒前と違って身体の気分が良くなっているように感じるのは。やけに効き目が早いな。

 

 数分の間、ランニングの後に乱れた息を整えるだけインターバルを挟む程度の間で俺の体調は回復する。

 

「もう大丈夫、平気だ」

 

『それは僥倖です』

 

「ここはどこなんだ?」

 

 周囲を見回して気になっていたことを口にする。

 

 真っ白は部屋だった。何というか、研究室? あるいは何か実験室のようなそんな言葉が似合いそうな白い部屋。よく分からない機械が置いてあり、少し段差のあるにピット? そう白くて丸い人一人が入れそうな転送装置のようなものから俺は這い出て来たのだ。

 

『そんなことよりも記憶は? 最後に何を覚えていますか?』

 

 言われてそういえばどうして俺は今ここにいるのか、気を失う前に何をしていたかを思い出そうと記憶を探ってみる。

 

 そう、俺はいつものように大学に行って、いつも通り遊んで……可もなく不可もない生活を送って、家に帰って……そしてブラブラとコンビニへと外に出たら、なんか変な穴が開いてそこに吸い込まれたんだ。

 

「思い出した! そうだ、俺変な穴に吸い込まれてそして気が付いたらここに! ここどこなんだ!?」

 

『―――素晴らしい』

 

 ここまでに至った経緯を思い出して、どういうことだと問い詰める。すると、深淵郷はまるで赤ん坊が初めて言葉を発したことを喜び、天に感謝し、祝福を贈るかのような感極まった声色を感じさせる機械音声を放つ。

 

 その声にゾッと背筋が(おぞ)った。

 

 声だけじゃない。体調不良によって介抱されたことで気づくのが遅れたがそもそも宇宙服に似た怪しげな恰好も、彼が放つ独特な雰囲気も、よく考えてみれば、いや、よく考えなくても普通に危険人物だということは丸わかりだ。

 

 恩人であるけど、体調が回復し脳がクリアとなってまともな思考になったことで俺の中で警戒心が強くなる。

 

 今すぐ逃げるべきか、と直感が働くが、だが見慣れない場所で下手な行動はできない。今はこの男から情報を引きずり出して現状を把握する必要があるかと冷静に判断を下す。

 

 宇宙服は機械音声ながらも優し気な声色で語る。

 

『まずここはあなたがいた世界とは別の世界です』

 

「別の世界? まさか異世界転生ってヤツか?」

 

『ざっというとそうです。より詳しく話すならば〝蒼碧〟による鏡面宇宙による多世界間移動。これは宇宙における並列ライン上に存在する―――』

 

 と小難しい説明が長々と話される。めっちゃ早口で言ってくるわけではないが、この人オタクなんだろうか?

 

 う~ん、わりとSFチックな話だ。この手の話は基本、魔法による転移って話が普通なんだけど、実はそうではないらしい。

 

 一方的に転移について、果てや宇宙のどうのこうの話をぼーと聞き流していると、俺が話についていけてないと気づいたのか、『小難しい話は一先ずここまでしておきましょう』と愉し気な調子を終えて話を戻す。

 

『この世界に辿り着いた異界の人間は〝蒼碧〟によって特殊なチカラを得ます。あなたにもそのチカラが秘めていることでしょう』

 

「お! 俺にもそんな力が!」

 

 コレコレ、ようやく異世界特有のチートスキルが発動することができる話が回ってきた。うきうきとする隠しきれない俺の心情が伝わってきたのか、宥めるように告げてくる。

 

『理解が早くて助かります。まずどんなチカラか、確認してみましょうか。あなたの深層心理……深く魂に問いかけてみてください』

 

「魂に、問いかける?」

 

『目を瞑って、自分の中にある核心、魂の訴えを聞くのです。おのずとそのあなた自身魂の欲求が応えてくれるでしょう』

 

 簡単にやり方を教えられて、俺は言われた通りに目を瞑って自分の魂とやらに問いかけてみる。

 

 俺自身が何を望み、求めているのか。

 

 

 ―――欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい。

 

「走りたい!」

 

 俺は、ずっと速く走りたかった。早く、速く、迅く。絶対的な疾風さが。

 

 子供の頃から走るのが好きだった。走っている時は、自分が生きていると感じられた。中学時代にスプリングとして成績を残した、高校だって活躍してきたんだ。

 

 だけど、もっと速く走りたいと思って練習に励んだ結果、オーバーワークによって膝を壊して、高校二年の冬で途絶えた。

 

 その後も俺は悲惨だった。両親からは腫物で触るように気を使われて、友人から憐れんで同情され、彼女からも魅力が失われたと別れて、教師からは将来の心配をされた。

 

 のうのうと適当な大学に入学しては陸上から忘れようと、必死に遊び歩いたり、バカ騒ぎをしたけど、そんなことじゃあ俺の中に空いた穴は埋められることはなかった。

 

 違うんだよ、違う、こんなことを望んでいない、俺はまだ、まだ、

 

「俺はずっと走りたかったんだ! 怪我で走れなくなったけど、それでもまだ走りたいって想いが募って、毎日が退屈だった、遊びも酒も女もそんなじゃあ誤魔化せないほど、ああ、そうだ俺の脚がずっと悲鳴を上げているんだ、奔りたいって!!」

 

 

 ―――俺は、また走りたい。まだ、走れるんだ!!

 

 

 そう叫ぶ。

 

 毎日、毎晩、瞼を閉じて観る夢は……走っている俺の姿。

 

 スタートラッシュから一気にゴールを目指して、トラックを駆け抜けるあの頃の俺であり、本当ならまだ続いているはずの、あの影を。

 

 俺は、あの影がどうしようもなく欲しい!!

 

 瞬間、俺の身体の周囲に蒼碧が沸き起こる。この蒼碧は知っている。元いた世界で、俺をこの世界に呼び寄せた、あの穴。表面上は真っ黒な穴だったが、吸い込まれてその中身は蒼碧に染まっていた。

 

 オーロラのような、あるいはそれ以上に宇宙の神秘を感じさせる、美しくも何処か不気味さを感じさせる蒼碧。

 

 それが俺の肉体から溢れてきては、それはまるで何かが生まれてくるように蠢き、やがて俺から切り離される。

 

 切り離された蒼碧は形付いていく。その姿は幽霊のようなデザイン。風の精霊とも言えばいいのか、何者に捕らわれずに颯爽と過ぎていく軽快さと、何者から拒まれても吹き飛ばす力強さを感じさせる。

 

『これが、あなた魂としての形。あるいは並列世界にてあなたが望んだ、あなただけの幻影の形。〝望身幻影(デザイアファントム)〟』

 

「デザイア、ファントム。……俺の望み、俺だけの幻影」

 

 望身幻影と呼ばれる風の精霊は俺の方を視ると、やがて全てを理解したかのように蒼碧の光の粒子へと変えて、俺の足へとやってきて、新たに形付く。

 

 俺の足に白を基調にした翠のラインのシューズが形成される。……いや、デザイン的には膝まで存在するため、ブーツかもしれないが、俺にとっては、故障した膝のフォローがされているシューズという認識してしまった。

 

 そして、このシューズによって、俺はこう思えてならない。

 

 これなら、また走れる、と。

 

『望身幻影は二つのパターンが存在します。幻影型と武装型。基本的にはもう一人の自分としての影法師として姿の幻影型ですが、その人の望みを反映させようと装着できる、武装型。あなたは武装型のようです』

 

「なんだか、よく分からねえけど、……これで俺はまた、―――走れるのか!?」

 

 ゾクゾクと身震いする。シューズから物凄い力が伝わってくる。今すぐ走り出したいという衝動を抑えきれない。

 

 嬉々とした表情で宇宙服を見ると、俺の隠しきれない思いが伝わったのか、頷いてくる。

 

『ええ、もちろん。それがあなたの魂として叫び、だったんでしょう。どうです、試運転をしてみては?』

 

 了承を得て、俺はこの場を疾風(はし)った!

 

 走るにはあまり適していない狭い部屋だったが、俺は構わずに縦横無尽に置いてある機会だか機材なんて気にせずに疾風した。

 

 その迅さは明らかに普通の速さは超えた代物、高速で、音速に等しい速さと言ってもいいだろう。ビュン、ビュン! 幾つもの風を切る音は旋風を巻き起こし、竜巻にすら近い代物。

 

「俺が、最速だ!!!」

 

 たまらず、心の底から歓喜の言葉を叫ぶ!!

 

 あの頃を思い出す。この風を切る感覚。足のバネが弾み、全身に血が巡る感覚。頭はクリアになり、視界の景色の変化が次々に移り変わっていく。

 

 あの頃に戻った。いや、あの頃以上に俺は成ったんだ!

 

 そのまま体力が続く限り、走り続けてやがて止まる。懐かしい、程よい疲労感に襲われて、口角が釣り上がって笑みを浮かび上がる。

 

『ふぉ、ふぉ、ふぉ、これはこれは。まるで竜巻ですね。あなたの望身幻影はさしずめ、《〝竜巻の足跡(ストームキック)〟》という名はどうでしょうか?』

 

 感嘆と、自分の住み家の一室で荒らされたというのに、ただ現状を讃えるようにしては俺のチカラにそんな名前を名付けてくれる。

 

 へへ、と俺はそれに笑いながら、呼吸を何とか整えていると、『アレを』と実験室の外にいた宇宙服の助手のようなものか、こちらは宇宙服というよりも、全身を纏う黒い防護服のようなものを身に着けており、何か石か、宝石か、を持ってきた。

 

 それも蒼碧だった。……いや、藍か。

 

 蒼碧よりも濃く、深く、暗く、強く凝縮されている藍。蒼碧い海の底に沈んでいて、コレによって浸食され、引き起こされて生み出されたのが、〝蒼碧〟だと言われれば納得してしまいそうなほどに濃い結晶だった。

 

 とても高価なものなのか、クッションが詰められた箱の中に大事に入れられていた。

 

『ではコレに触れてもらっても構いませんか?』

 

 ははん、コレは所謂異世界もの特有の魔力計測器のようなものだろう。少し怪しいとも感じたが、見た目はともかく宇宙服は良い奴であることは分かった。また走れるようになったことに感謝しかない俺は特に深く考えずにそれへと手を伸ばす。

 

「ああ、分かった」

 

 俺は頷き、意気揚々とその石へと触れる。

 

 

 ―――そして、俺、埜本豊和の精神は死んだのだ。

 

 

 × × ×

 

 

『ほぅー、ほぅー、ほぅー。今回は上手く適正したようですね。流石は〝蒼碧〟から渡ってきては原型を保つことができた、まさに『勇者』と呼べる存在ですね、ただ残念ながら〝藍の結晶体〟には適正されず呑まれてしまいましたか』

 

 宇宙服の存在、深淵卿は目の前に倒れた、埜本豊和だったものを見下ろす。

 

 彼の肉体そのものは普通だが、その瞳は光を宿していない。体温も冷えきっているが、肉体や髪といったものの色素が失われているが、生物としてはまだ生きている状態。

 

 だが、その器に本来収まっているはずの豊和の精神は、魂は、もはや残影しかなく、どちらかという廃人の状態だろう。

 

 記憶媒体(メディカルメモリー)Cを与えてください、と自身の部下である代仕(オルタナティブ)と呼ばれる黒い防護服を着た人形達に埜本豊和だったものを運ぶように指示を出す。ついでに、豊和が暴れまわったことでぐちゃぐちゃになったこの部屋の修繕するようにも指示を出す。

 

 深淵卿は藍の結晶へと視線を下ろす。

 

 濁ったようにも澄みきったようにも感じさせる蒼碧の結晶。直接触れたそれだけで、豊和と同じ目に、いや、むしろ豊和はまだ良かった方だった。

 

 コレに直接触れた存在は肉体が維持できずにゲル状に溶け崩れてしまった存在に成り果てしまうのだ。

 

 少なくとも、とある人間達以外は、この世界の住人は誰もが、深淵卿自分自身ですら、この蒼碧のチカラに耐えられない。

 

 豊和のように蒼碧に選ばれて、別の世界からやってきた存在以外は。

 

〝蒼碧〟を通して異世界から転移してきただけで十分な偉業、まさに『勇者』と呼べる存在だ。

 

 深淵卿はショーケースの中に入った〝藍の結晶〟大事に持ったまま、豊和が暴れても無事だった、大きな円盤状の装置、次元転移装置を見る。これがメイン基板であり、これと接続された豊和が出て来たピットが端末として役割だ。

 

 ビリビリと焼き切れたような音。オーバーヒートしたのだとハッキリと分かる。また、壊れたのだ。

 

『まだ安定しませんね? 出力の方だいぶ絞って、座標も細かく指定しましたが、……やはり足りませんか』

 

 この実験ももはや軽く五百は超えた。最初は藍の結晶の触れた生物の末路のゲル状の何かですらない、ナニかだったが。出力を絞り、異世界とのおおよその座標を認識させることで安定し、ナニか、ゲル状、肉体の一部、生物と呼べる存在、五体無事、健康体、精神も入った状態、会話ができる状態、記憶がある状態、と徐々に安定していき、現在ようやく豊和と同じようにちゃんと五体無事で精神と肉体が存在し、記憶も会話もできる状態の良質な勇者を召還することに成功することができた。

 

 だが、まだ〝藍の結晶〟に選ばれるほどの良質な勇者は現れない。

 

 装置だけではこれ以上の性能は望めない。新たなアプローチが必要だ。

 

 

『……そろそろ郷村溟にご足労頂きますか。郷村家の秘術《無限鏡》』

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。