戦いは疾風怒濤の熾烈さを極めていた。
競技場では通常の視力では追える者はほぼいない。例え追えても何かが横切ったと程度に感じて、具体的に何が起こっているのか殆ど捉えられないほどの超スピード。
まるで風の精霊の悪戯、と表現するにしてはあまりにその拭き抜ける風達はあまりに激しいもの。カマイタチ達が縄張り争いをしていると言った方がまだ納得できる。
(……五足!)
我一の《弾弦》は五足目へと足が弾んだ。ジャーン、とまるで弦楽器を激しく弾くような音を立てながら加速してはN.T.に対して拳を放とうとするが、あっさりと躱されて反対にカウンターの回し蹴りを放たれる。
(六、………なな、っ!!!)
六足で躱しきり、更に七足まで加速しようとした時、足に強烈な違和感、もたれるような感覚。踏み込みのチカラが明らかに甘かったことでムラが生じてしまい、七足目が失敗する。そこで生まれた隙を当然逃すことなく、N.T.は我一へと蹴りを放って地面へと落す。
地面へと転がっていく我一は仰向けに倒れながら荒い息を零す。
数十分の短くも長い攻防は果てしないほどに消耗させられる戦いだった。
常に最高速を超えながら、高速戦における攻防のやり取りをし、一瞬の隙が、気の緩みが、致命的なものになる。
何とか五足、六足とまで加速を仕上げた我一だが、速さが出せるだけでそのスピードに対応した戦いは全くできていない。精々、分かりやすく真っ直ぐ突っ込んで殴る蹴るか、躱されてカウンター狙いから逃げるためのもの。高速機動における戦闘ではまだまだあちらが上である。
(六でもまだ、アイツの方が上。じゃあ、七でも無理だな。九か十でようやくか。上等、十一行ってやるよ!!)
激しく乱れた息を無理矢理抑えつけ、起き上がり対面する。
正面の先に存在する異世界より来た勇者ことブルーレイブN.T.は魂が抜け落ちた感情のない人形である彼、夜名津に対して優位に立っている存在ながらもその表情は疲労の色を見せ始めていた。
「ハハ、どうした? スカした顔がバカ面になってぞ、イケメン。嗤えよ、こんな愉しいことそうそうねえぞ」
反対に邪悪に愉しそうに嗤い声をあげて挑発する。いや、我一にとっては挑発ではなく、心底からの本音だろう。彼は今至極愉しいんでいるのだ。
好敵手との極限までに集中させられる闘い、闘いを通して自身の成長していくのを肌で実感しているのだ。愉しくないわけがない。
この闘い通して自身がまた一段階成長するだろうと、
―――蹴りが放たれた。
一瞬にして距離を詰められては顔を狙った横から来る足蹴り。ガードを取って一撃を受け止めるが勢いを完全に殺せずに後退りで地面にラインを引く。
「って~えな。こういう時は『早々に攻撃』と『高速バトルだけにな』ってくっだらねえこと言うもんだぜ」
「…………」
「負けた時の言い訳しねえところはいいが、無駄口叩かないってえ~のもなんか調子つかねえな。なんか言えよ。さもなきゃあ泣かすぞコラ」
「…………」
―――そして再び二人は駆け出す。
一足でおいて最高速に到達するN.T.に対して、二足の加速で対抗しようとする我一。三足目の緩急で一撃を避けて、四足目で不意打ちを放とうするがそれを読まれて、円を描く蹴りで切り返される。四足目を維持しながらそれを受け止めて、五足目の加速へと図る。
五足目まではまだ維持できる。速さ自体に身体が反応出来て付いて行けるのだ。
攻撃を何とか掻い潜り、六足目を踏み込む。急激に身体への負荷が変わる。脚の筋肉が軋みを上げ、肺が押しつぶされそうになり、見える景色がブレ始める。
N.T.の叩きつけるような蹴りで迎え撃とうする、拳を前に対抗し激突する。
ぶつかり合う二人の力と力に衝撃波が生まれる。
N.T.は我一の拳を上手く払いのけてからの流れるように顎を狙った蹴り上げを仕掛けてくる。反射神経でギリギリ捉えた我一はもう片方の腕で防ぐ。が、切り替えて逆の脚から一撃入れられて、怯んだ隙に二、三発撃ち込まれる。
(七足……!)
疾風の攻撃の痛みに耐え、七足目へと踏み込む。下半身が断裂するような痛みに襲われて、肩から上半身の骨が軋む。一拍の呼吸も肺が潰れたように無くなって、視界が大きくブレてぼやける。ピキピキと割れるような頭痛と意識が遠のく、登山病に似たものに襲われる。
それでも構わず我一は、周囲の空気を切り裂くような七足目の裂風を以って唯一視界にハッキリと捉えていたN.T.へと駆ける。
「…………」
だが、我一の予想通り、七足目の裂風を以ってしてもN.T.には届かずにあっさりと躱されて後ろへと回れて蹴りを入れられる。
ほとんど、真っ直ぐ加速する全力疾走の暴走列車の状態でしかない我一にとって、六足目以降は正面から単純な一撃を放つことができない。
そんな相手にスピードで上回れるN.T.にとって何の脅威でもなく、単純に正面以外の方向に回り込んで攻撃すればその勢いを殺せる。逆に反動によって自滅させられることができる。
背後の蹴りが決まると、突っ込んだ勢いのまま痛々しく、激しく何回も転がる我一はここで倒れると思われた。
(八足!!)
だが、負けん気と根性で転がった勢いを利用して無理矢理八足目と繋ぎ止めた。
これには流石に予想外だったN.T.はこれまでずっと無表情だった顔が初めて驚いたように目を見開き、突進をまともに喰らってしまう。
「ぅつ!」
小さな嗚咽。N.T.は苦悶の表情を受けて地面に倒れる。その姿を見て、ここまで闘いの中でノーダメージだったのをようやく一撃入れたことで我一はしてやったりの邪悪な笑みを浮かべる。
「どー、おぶ!?」
どうだい、地面の味は! と声を大にして叫ぼうとするが、言い切る前に起き上がったN.T.が高速移動で接近しては何発も蹴りを入れ込んでくる。
明らかにこれまでとは違う。ただ捌くような敵対した相手を排除するような機械的な攻撃に対して、今回の蹴りは明らかに違うもの。頭に血が上った怒り任せの攻撃。キックボクシングや空手の蹴りといったものからヤクザキックを打ち込まれる。
それを喰らう我一は唾と血が混ざったものを飛び散らせながら、邪悪に高々に嗤い飛ばす。
「ぎゃはははは、なんだよ、なんだよ、感情がねえと思っていたけど、ちゃんとあんじゃんかよ! そうだ、もっと本気でこい! そっちの方が愉しいだろぉぉおおお!!」
狂った声で我一が放つヤンキーキックの一撃をN.T.は貰う。重々しい一撃によろめくのに、逃す我一は襟元掴んで無理矢理引き寄せてぶん殴る。そのままラッシュをかける。これまで散々受ける一方で当てられなかったことのフラストレーションが爆発したように怒涛の拳。これにはN.T.もたまらない。
最期の一撃で吹っ飛んだことで一旦距離を取れたN.T.は殴られたことで冷静になったのか、自分の闘い方を思い出したようにして再び駆ける。
我一もそれを追い、再び《弾弦》を発動させる。
高速戦闘が再び始まる。速さ比べになった途端、優位性はまた逆転して我一が一方的に攻撃を受けながらも食らいつこうと必死になっている。
戦闘の興奮状態で何とか踏み止まっているが、蓄積されたダメージと馴れない連続性《弾弦》による疲労で我一の肉体の限界は近い。
決着が付くのは近い。
× × ×
我一達の闘いをヘルメット越しの画面で認識していた深淵卿は、N.T.の肉体に僅かに残った魂の残滓によって感情が出たことに、やはり興味深いと思えた。
言ってみればただの肉体の反射反応といえばそれで話が終わるが、精神、自我を完全に破壊された状態でありながらも、己の願望が叶った世界線から〝蒼碧〟を通して自分自身を怪物として呼び出す《望身幻影》を使えているのだから。
あの状態の彼らにも魂そのもの、というよりか肉体にこびり付いた魂の残滓があると言った方が正しいのだろう。
魂そのものは完全に破壊されていることは、深淵卿は何度も実験してきたからよく理解している。故に、記憶媒体を打ち込むことで生物としての機能だけは正常化させた。
肉体には記憶と魂が残っているというのだろう、本来魂の叫びである《望身幻影》が使えることを知り得たのは本当に偶然だった。
空っぽの器に記憶媒体を埋め込めばどうなるのか、という思い付きで普段代仕に使っている記憶データを与えたら、当然代仕のように深淵卿に従う人形化したが、同時に《望身幻影》も使えることを知った。与えた記憶はあくまでも生物として必要な機能や深淵卿の命令を従うこといったもの。その人物の記憶など与えてはいないし、そもそも会ったばかりで即座に実験に使っている人物の記憶を取り出すことなどしない。
魂の呼び声から召喚する《望身幻影》が魂のない器から召喚できるのは、器そのものに残っているからではないかと考える。
記憶喪失の人間が失う前のルーチンを肉体が憶えているように。
肉体にも魂の残滓が残っていてもおかしくないのだ。
これまでブルーレイブ達も無感情の人形として忠実に従ってきたが、N.T.が今我一から不意の一撃を受けたことで激怒したことは発見だ。これまで感情という感情らしいもの見せてこなかった個体に感情を露わにしたのだから。
これがN.T.だけのものか、あるいは我一と接したことでの変化なのか、非常に興味深い代物。
だが、あくまでもそれは二の次、三の次でしかない。
今は目の前の存在についてだ。
警戒心と敵意を剝き出しにした母猫のような態度の溟と怯えながらどうすればいいのかと戸惑った様子の朱月。
溟はまだ体調は不調のまま、それに霊能力はもう使えない、無力な、いやそれ以下の一般人でしかない。朱月に関しては、実力は不明だが戦闘向けではないことは明らか。識神達も地面に転がったままで起き上がる気配はない。
現状、深淵卿の優位なのは変わらない。実力で従わせるのは簡単だが、対話の出来る相手に力付くで無理に従わせるのは深淵卿の中のポリシーに反するのでどうしてもいう場合以外はそうはしない。
故にアプローチを変えることにする。
『彼の方も頑張っているようですが、残念ながら〝蒼碧〟に選ばれし異世界より来た勇者。万が一の勝ち目はありません』
「彼? ……我一君のこと!? 我一君に何かあったの!?」
我一の存在を示唆され、朱月は大きく動揺する。想い人が今どうなっているのか、分からないがそれでもここまでまたやってこないことや深淵卿の言葉から察するに相当な苦戦を強いられている。
途端に身体が、心が、縛り付けるような不安感に襲われる。
―――我一君、今、君はどうなっているの? 大丈夫なの? 無事なの?
彼はすぐに倒して追い付く、と言ってくれた。だけど、離れてどれくらい時間が経っただろうか? 数十分? 一時間? 分からない。別れてから時間はだいぶ経つ。今の深淵卿の口振りでは押し負けているということが予想される。
朱月の動揺っぷりを見て、やはり郷村家の女を責めるならばここの部分か、と溟から仕入れた情報から分析し推測したデータの正しさが証明された。
郷村家の女は惚れた男の事になると途端に脆くなる。
ココを上手く付いて行けば、朱月自身を上手く操縦できるだろう、と考える。
「朱月!」
負の感情に囚われて、思考が闇の中に引きずり込まれそうになっていた所に母からの言葉が届く。まだ怯えと不安な迷子の子供のような瞳の朱月は届いた声に導かれるように、あるいは縋りつくようにして視線を向ける。
娘の弱った心情に対して溟は強く瞳を以って応える。
「惚れた男を信じなさい! 彼は私に言ったわ。『自分は強い霊能力者だ』って。異世界からの勇者なんておかしな代物に負けるはずがないわ!」
「……お母さん。……うん!」
母の叱咤の言葉に励まされて、朱月は負の感情から光を取り戻す。
『残念ながら彼は〝蒼碧〟に選ばれた人間。〝蒼碧〟のチカラの一旦を手にし、使いこなせる存在。この世で最も神に近い存在です。貴方の想い人が敵うことはないでしょう』
けれど、そんな希望をへし折るようにして淡々と冷徹に告げてくる。実際問題、一時的には押されてしまったN.T.であるが、今は元のペースに戻しては速さを上回っていることで一方的なものとなっている。我一の損傷具合から見ても決着はもう数分とないだろうと予想される。
その言葉に圧されそうになるが朱月は敵意のある視線を以って返す。
「そんなことない、我一君が勝ちます! 約束したんです、護るって、私達を護ってくれるってそう約束したから、私はそれを信じます!」
彼女は真っ直ぐと自分の想いを深淵卿へとぶつける。だけど、それをちゃんと聞いたか聞いていないのか、すぐさま機械音声で無機質に訊ねてくる。
『提案です。貴方が私に協力してくれれば彼のことは手を引きます』
「……え?」
『溟さん、貴方のお母様は私に臓器の一部と霊能力を提供することで自身の命を護りました。貴方が彼を助けたいならば私に協力してください。そうすれば彼の命を保障します。なんなら彼も迎い入れて、貴方共々私の実験の協力をしてくだされば、私の管理下ではありますが貴方方が結ばれることを祝福いたします。そうなれば溟さん、貴方の望んでいた初孫もご尊顔できます』
「ダメよ、朱月、コイツの言うことを間に受けては!」
義務的な機械音声ながらもこれ以上ない提案の譲歩と言わんばかりの明るい声色で語ってくる深淵卿、コレが最適だと本気で告げてくる。が、溟は娘にそんな言葉を惑わされていけないと注意する。
それに対して、朱月も分かっていると頷く。
「そんなこと受け入れるわけない! お母さんと我一君と一緒に家に帰ります。妹達も待っているんです! あなたの言いなりなんてならない」
深淵卿の提案を真っ向から振る。彼女が望んでいるのは自分と彼の命ではない。ここから無事に帰って、母と妹達、そして彼を加えたいつもの日常であり、新しい日々を送りたいのだ。
決して目の前の危険人物に命を掌の上に握られた状態での日常なんて望んでなんかいない。
敵意と決意に満ちた絶対に覆せえない朱月の瞳に、深淵卿は肩を竦める。
『困ったお人ですね。できるだけ荒事にはしたくないのですが、―――仕方ありません』
「!!」
「あか、ぅ!?」
言葉を放つと否や深淵卿は己が両の腕を再び伸縮自在の鞭の事操っては朱月の首根っこを掴んで捕まえて無理矢理引き寄せる。溟が叫ぶけど、空いていたもう片方に頭を掴んで軽い電気ショックを放って気絶させる。
お母さん! とたまらず叫ぶ朱月に淡々と機械的に対応する。
『安心してください。少し気を失った程度です。命の安全だけは約束しましたから』
深淵卿の無遠慮な言葉に強く睨み付ける。一度までならず二度もお母さんを! と怒りで頭に血が登る朱月だったが、捕まれた首を強めに絞められ、嗚咽を漏らす。
抵抗は無駄だった。
『―――ッ!』
瞬間、朱月の目にそれを捉えた。背後から忍び寄る三日月の刃を握った、月で餅をつくかの如くウサギの一振りが迫っていたことを。
タタラだ!
朱月と溟に注目していた時からずっと気を失った振りしながら体力を回復させ、隙を見つけるのを待っていたのだ。
美しくも綺麗な、残忍な弘を描くこの一振りは深淵卿の頭を両断しただろう必殺の一刀。
その刃が届く前に宇宙服の背中の突起部分がまるで触手のように三日月の刃を受け止めては払い退けては、タタラを叩きのめした。
『グッ!』
『見事な攻撃です。見た目に反して狩人ですね。探知能力がない者ならば確実に死んでいました』
地面に倒れたタタラを反撃させないように踏みつけから、ハンターとしての動きに心の底から称賛の言葉と、拍手を送る。朱月の掴んでいた手を背中の触手の方に切り替えてから。
もぞっと、踏みつけられた足が全身を使った抱きつくように捕まえては冷たくも強い眼差しでタタラは告げる。
『……捕まえたぞ、ノンヘイ、オレごとやれ』
『〝冷凍亀〟!』
ノンヘイは甲羅に篭った状態でありながら頭、両手足、尾の六ヶ所の出入り口から地面から這い寄るように冷気が流れ込んでくる。
地面は氷山のごとく氷付いていき、地面に転がったタタラの肉体も凍りつかせて、掴んでいた深淵卿の足も徐々に凍っていく。
そこから逃れようと動こうとする前に、タタラの不意打ちを察知したヘルメットの探知装置がそれを捉え、理解すると同時に一つの衝撃が走った。
『なるほど、上手い連携ですね』
『〝翼断〟!』
称賛の言葉を送ると放たれる空を切る一撃。
ムツの翼を使った居合い切りが朱月の掴んでいた触手を裂こうとする。夜の闇を引き裂く疾風が如く一刀両断。
が、触手は必殺の一撃をもろともせずにあっさりと弾いた。
『!?』
『すいません。見た目のわりに頑丈に出来ております。〝蒼碧〟以外は基本通じないんです』
そう機械音声ながら申し訳なさそうに告げると、次の瞬間ボワッ! と火炎が舞った。
纏う黒き宇宙服の隙間から小さなノズルから吹き出す火炎は足下の凍りついた肉体とタタラ、そして接近していたムツを焼き払う。
ぐああ!! 二体の苦悶の悲鳴が部屋中に響き反響する。二体だけじゃない、燃え上がった炎と焼き上がる二体の姿を間近で見てしまった朱月も鳴き声を上げる。
燃え上がるオレンジと紅色の熱はすぐさま、プシューと冷やす冷却機の音と共に冷まされる。ノズルが炎から冷気に切り替わったのだ。
そして、まともに炎を浴びたことで完全に焼け消えたようにタタラの姿はなく、炎から逃れようと離れながらも冷気まで浴びたムツは気を失っていた。
特段気にせず、深淵卿は無機質な機械音声で朱月へと言葉をかけた。
『お怪我はありませんか? 朱月さん。大事なお身体です。そうでなくとも女性の身体、火傷一つでも大きな傷です』
慮っての優しげなもの。朱月は涙を流しながら怒りを込めて瞳を向ける。
あなたがしたんでしょ! ウサギ君を! 梟君を! それなのにそんな言葉をかける神経が酷く信じられなかった。
怖くて、悔しくて、悲しくて、辛くて、惨めで、弱くて、許せなくて、やるせなくて、そんな負の感情が溢れてくる。
だが、朱月に今の事態を解決する力はなかった。
(―――我一君!!)
ただ想い人の名を心の中で叫ぶ。ほんのりと勇気付けられた。
深淵卿のヘルメットモニターに何かが映り込み、興味深そうに呟く。
『おやおや、これは面白い。唯曇千寿、あなたまで来ましたか……ん? いえ、まさかあり得ない。ただの霊能力者が……いや、これは……』
突如としてぶつぶつと独り言を呟き始めた。最初は楽しげな驚いた調子のものだったが、途端に様子は急変した。ありえない事態が起こったような、これまで冷静に自分ペースを崩さなかった深淵卿がみせる初めての動揺。
やがて全てを理解したように朱月へと告げてくる。
『朱月さん、あなたの仕業ですか』
「?」
× × ×
「ここは?」
気が付くとそこは見知らぬ倉庫のような場所だった。真っ暗な部屋であり、必要最低限にしか設置と出力されていない照明灯の薄明かるさが不気味さ際立てされる。
ポケットから携帯端末を取り出すと、時間は夕方六時を過ぎていたことに驚く。バカな、あの公園から四時過ぎだった。約二時間ものの間空間移動していたというのか? いや、肉体の感覚が軽く仮眠を取った時のようなだるさが残るような寝起きの状態。空間移動による酔いか何か?
詳しくは知らないが、空間転移系の能力において酔いを覚えるものもあるらしい。極端な話をすれば普通の平地から高い登山に移動したら空気濃度違いによって引き起こされる一時的な登山病みたいな。
肉体がそんな奇妙な気味悪さを覚えながら、呼吸しながら〝血縢(ぢから)〟を循環させて体調を整える。
血縢とは、俺達血統者が持つ特殊の血液。血統者のみが体内に存在し、肉体の中で循環させることで超人的な肉体、運動神経、そして異能の力を発揮できる。
血縢の循環によって肉体が活性し、酔いが醒めたらもう一度携帯端末を確認する。予想通り電波はない。
禮との連絡は付かないことは痛いが、禮のチカラならば何とかこの場所を特定して応援を呼んで駆けつけてくれるだろう。
周囲を見回して誰もいないことを確認して、奥へと繋がっている通路の方を見つけてそこへと警戒しながら進んでいく。
敵地の侵入に緊張感が否めない。しかもただの犯罪者ではなく、特級犯罪者である深淵卿のアジト。何があるのか分からない警戒に警戒を重ねてもまだ足りないくらいだ。
昼間に安在教官から強く注意されたばかりなのに、まさかこんなにも早く約束を破ることになるとは。
だが、目的はあくまでも深淵卿の確保ではなく、連れ去られた三名の救出だ。無茶はしない、救出してからの脱出が優先。
そう自分に言い聞かせるのと同時に安在教官に謝りながらも目の前の事に集中する。
通路は長く続いている。等間隔に設置された最低限の照明灯に照らされた薄暗い道。光の出力は一定のはずなのに、進めば進むほど何か不安を感じさせる、まるでいずれ光が閉ざされる闇の中へと知らず知らずのうちに誘われているような不安感に襲われる。
己を律し、恐怖を呑み込んで先へと進んでいく。
「? なんだこの匂い? 血、いや塗料か何か?」
鼻に香ってきたのは鉄と油が混ざったようなやや刺激臭を感じさせるもの。不穏な匂いが何か嫌な予感のようなもの感じながら先に進み、匂いが近い角を曲がってみると。
「なんだこれは……」
曲がった先にあったのは死屍累々の黒い屍の大地だった。黒い緑色の塗料のような血を流しては機能を停止した人形のように破壊された状態で倒れている黒い防護服の屍。
代仕、と呼ばれている深淵卿が従えている人形だった。その人形達がまるで嵐の被害にでもあったかのように次々に屍となった道を作り上げているのだ。
……考えられることとしては何者かと戦った……侵入者を撃退しようとして逆に返り討ちにあったのだと予想される。
そしてそれをしたのは深淵卿によって連れ去られた溟という名の女性を追っていた娘とバイトの男の存在。その二人がこの屍の道を作り上げたというのか。
凄まじい実力だな、と戦々恐々を覚えながらも、同時にやってくれたな、という思いも募る。
こちらとしてはできるだけ穏便かつ秘密裏に深淵卿の目を上手いこと欺いて、戦闘せずに人質含めて救出と脱出を考えていたが、こうも派手に暴れまわってくれては、俺以外の人間を無傷で家に帰すことができなくなってしまう。
手柄や功績はいい、無事に人質と追っていた人間達を救出できればそれで。と考えがここにきて甘く、無為なことだと理解してしまった。
「……気を引き締めて、進むしかないか」
前提が崩れてしまったが、やること自体は変わらない。ここまでやられた以上深淵卿の目を掻い潜り事なきを得ようとした甘い考えは完全に消えて、最悪正面から戦うことも覚悟せずにいられない。
そう思って、屍の道を頼り進んで行っては、途中から消えても一歩道を直進していき、三か所の分かれ道のようで唯一シャッターが開いている一つの道の方へと進んで行く。
そして、やがて如何にもと言わんばかりの一つの部屋に繋がる扉を発見しては、慎重にその中へと入っていく。
そこには―――
「ぎゃはははは!! 地獄でまた戯ぼうぜぇ、―――〝ゲェム・ブレイク〟!!」
黒い緑色の髪をした狂喜の鬼のような笑みを浮かべた同い年くらいの少年が手に持った刃で、白い衣服の大学生くらいの男を袈裟斬りで切り込んでは霊力の刃で切り伏せたのだ。
白い衣服の大学生は真っ二つに両断されて大地へと伏せて、黒緑色髪の鬼はその姿を余韻に浸るようにして嘲笑う。
それが俺と夜名津我一との出会いだった。
第一印象は……危険極まりない、どうしようもない悪党か何かとしか思えなかった。
いつ設定を回収をするのか分かりませんが、もしかしたら回収しないかもしれませんが、一応後出し設定と言われないために二つだけ伏線のヒントを出します。
1. このアジトに通ってきた〝蒼碧〟の穴にまともに通れたのは朱月と千寿だけです。
2. 第一話のプロローグにてチョロと出てきた設定部分読み返してみるといいかもしれません。
もう一度だけ言います。
『このアジトに通ってきた〝蒼碧〟の穴にまともに通れたのは朱月と千寿だけです』