1 血の契約 その①
白い壁で囲まれた会場は、マスコミやテレビ局の人間で溢れ返っていた。愚かな姿を捉える為に、今か今かとカメラのシャッターを押すことを待ち侘びている様子だ。
会場のざわめきが耳に障る。緊張はしなかったが、代わりに湧き出てくる嫌悪感と底知れない悔しさは、どんなものにも代え難い苦痛であった。
「社長。そろそろ会見のお時間です」
「……分かりました」
秘書の言葉で、暗闇を見つめていたルークは踵を返し、数歩進んだ先にあるステージに目をやった。
あそこに立ったら、自分は何を言われるのだろう。
良くない妄想ばかりが頭を巡って、思考を狂わせてくる。考えに考えたテンプレートの返答も、ぼんやりとしか思い出せない。
意を決し、ルークは一歩、二歩と踏み出していき、ステージの中央に立つ。
「ファウスト・メカニクスの社長がたった今、ステージに立ちました。これより、人工生命体に関する記者会見が始まる模様です」
マイクの置かれた台を隔てて、社長、と呼ばれるには若過ぎる女性がステージに立つ。
艶のある漆黒の髪を腰まで伸ばし、きりりと細まった赤色の瞳。黒のハイネックと灰色のコットンパンツ、紺色のジャケットを纏った華奢な風貌は、若さに合わない雰囲気を醸し出している。
「ルーク社長!! あなたの父親が開発した〈トイフェル〉というものは、一体どのようなものなのでしょうか!?」
マイクに向かって、ルークは言い放つ。
「〈トイフェル〉は、前社長アドルフォ・ファウストが考案した人工機械生命体です」
「具体的には、どういった用途で使われるのですか!?」
「……〈トイフェル〉は知能を持ち、自我を有する人間に近い存在です。我々ファウスト・メカニクスは、社会にそれを取り組むことで、より過ごしやすい世界を作ろうと考えました」
カメラのフラッシュがうざったい。目がチカチカするのに、目蓋を落とすことも許されない緊迫感が漂っていた。
「人を襲う化け物だという情報がいくつも寄せられています!! それについてはどう思われますか!?」
ルークはバレないように唇を噛む。
市民の混乱を防ぐためにも、ここは虚偽の事実を言わねばならない。だが、それをするにはもう遅いという事を、彼女は分かっていた。
「……間違いはありません。〈トイフェル〉は、人間に敵意を向ける、我々人類の敵です」
会場がざわついた。当然と言えば、当然である。
「そんなものを!! 我々の社会に取り入れるつもりでいたのか!!」
「ふざけるな!!」
「何がより過ごしやすい世界だ!! 人類の裏切り者め!!」
この者達は、人の話を聞くことを最も重要とする記者なのか、と疑い深くならざるを得ない。
〈トイフェル〉――悪魔と呼ばれる兵器を造ったのはルークではなく、その父親だ。彼女に一切の非は無い。
唇を噛みしめる。溢れ出る生温い液体が舌に触れると、屈辱の味とも言える味が口いっぱいに広がった。
それから、何を聞かれてどう答えたのか記憶に無い。
ただ、悔しくて、悔しくて。唇を噛んでいたことを、鮮明に覚えているばかりだ。
◇
黒塗りの社長室で、一人チェアに座るルーク。デスクに突っ伏して、虚空をただただ眺めていた。
「私は何も悪くない」
彼女はそんな独り言を、ぼそぼそと繰り返す。赤い瞳は、酸素を失った動脈血のような色合いだった。
悔しくて堪らないが、涙は出てこない。
昔から泣きたい時に泣けない子供だった。父は、今でも思い出せば頭が痛くなる程に厳しい親だった。幼くして母を亡くし、次期社長としての教育を叩き込まれたルークに、泣く暇なんて無かったのだ。
「生きてますかー? 社長ー」
軽い感じで話しかけてくるのは、社内で唯一同い年で気の合うエミリアだった。ロングヘアに整えた栗色の髪に、蒼い瞳。ぴっちりと着こなしたスーツの上から、黒のダウンパーカーを羽織っている。
こんな見た目をしておいて、現科学部門の最高責任者である。
「お若いトップは大変だって、ようやく分かってもらえた?」
「あなたと私じゃ、訳が違う」
「一緒よ。“よそはよそ、うちはうち”なのよ」
「……どういう意味よ」
ルークは深いため息を吐き散らす。
「ねぇ、そんな暗い顔しないでよ。可愛い顔台無し」
「じゃあこの状況どうにかして」
「そりゃあ……無理な話ね」
エミリアはデスクの側にしゃがみ込んで、机に突っ伏せる彼女と視線を合わせた。
「クソ親父が……結局私に全部丸投げかよ……」
「はい言葉が暗い、怖い、汚いよ」
「もうほっといて」
こんな状況でも明るく振る舞おうとするエミリアが鬱陶しく思えてきて、つい冷たい言葉をかけてしまった。本当は大切な友人なのに。
何もかも、クソ親父のせいだ。
そう思うと胸が苦しくなり、熱いものが一気に込み上げてくる。
けど泣けない。涙が出てこなくて、ただ胸が詰まるばかりだ。
「ルーク、あなた社長でしょ。これからは、あなたが会社を引っ張っていかないといけないのよ」
「分かってる」
「そんな事してないで、社長としてやるべき事をきちんとやらないといけないんじゃないの?」
「当たり前でしょ!! そんなこと!!」
デスクをバン、と叩きつけ、ルークは勢いよく立ち上がった。
エミリアはしゃがんだまま、彼女に見下される形になる。
「私は社長よ、この会社の……そんな当たり前のこと、いちいち言われなくてもやるわよ!!」
「じゃあやりなよ、今すぐ」
現実を受け入れた筈なのに、体はそれを拒絶しているようだ。
父は確かに凄い社長だった。圧倒的なカリスマ性を誇り、誰からも慕われる人物――。それを間近で見てきたからか、ルークには「勝てない」という気持ちが芽生えていた。
「……っ」
反論を考える余地も無く、黙ったまま颯爽と部屋を出た。彼女の視線が、カメラのレンズよりも痛かった。
廊下に飛び出た彼女は、行く宛も無く歩き始める。歩幅が覚束ず、間隔も一定ではない。明らかに動揺しているのが自分でもよくわかる。
今の自分には責任がある――分かっていても、受け入れ難い事実。父ほどの人物が回してきた会社を、自分が引き継ぐなど――。
「クソ親父……」
社長室から伸びる長い廊下は、今のルークにとっては最悪な道であった。宛も無く飛び出してしまったのを、心底後悔する。
父のせいで、何もかも台無しだ。
突然会社を引き継ぐ事になるし、その上悪事を巻き起こした責任を全て背負わされることになるし、たった二十三年に生きてきた娘にやらせる所業では無い。
ルークは叫びたくなった。
だが、そうしようとするとエミリアの言葉が頭で何度も木霊する。
「どいつもこいつも……」
そう呟き、唇を噛みしめた。会見で噛み切ってしまった部分は瘡蓋になっており、すぐにでも傷口が開いてしまいそうだった。
暫く歩いていると、突然、人影が視界の中に入り込んでくる。
壁に寄りかかった、同い年かそれより下の青年。髪は黒く、男にしては少し長め。瞳の色は青色。黒いダウンパーカーとカーボンパンツに身を包み、こちらをじっと見つめていた。
(こんな子いたかな……)
「お前……憎悪の匂いがするな」
青年はポケットに手を突っ込んだまま近づいてくる。社長への態度が、恐ろしいほどになっていなかった。そしてルークに鼻を近づけ、すんすんと臭いを嗅いだ。
「血の匂い……俺が何度も嗅いできた匂いだ」
その言葉に、どこか嫌悪感を覚えて彼を思わず突き飛ばしてしまう。
「私は社長ですよ、無礼な行為はよしなさい」
「……社長……?」
彼女に突っぱねられた青年は、その場に立ち尽くしたまま、去りゆくルークの背中を見つめていた。
(冷たかった……)
彼を押し退ける瞬間、その手に触れてしまったが、その温もりは、決して人の体温とは思えないものだった。
色々と靄を抱えたまま、彼女はエレベーターに乗り込む。
(どこに行くのよ……)
大きなため息を吐き、とりあえず一階へのボタンを押した。
すると、けたたましいサイレンの音がエレベーターの外で轟いた。
「……何?」
普段なら、兵器開発の事故か何かだと思うだろう。
だが、この状況だ。考え得る要因はもう一つに増える――。
状況を飲み込めないうちに、エレベーターの扉が開いた。
扉が開くや否や、巨大な人影が彼女の視界に飛び込んできて、ルークの小さな身体へ覆い被さる。
頭を床に強打して、視界が揺らいだ。
揺らぐ視界を埋め尽くすのは、恐ろしい存在。
棘々しい鋼鉄の肉体。裂けた頭部から覗く悍ましい一つ目は狂気に染まっており、こちらの喉元を掻っ切ろうと皮膚に鋭い爪を突き立ててくる。
(〈トイフェル〉……!)
父の造り出した“悪魔”が、自分を殺そうとしていた。
「あっ……がぁ……」
凄まじい力で押さえつけられ、身動きはできず、呼吸もままならなくなってくる。
脚をジタバタさせて足掻くも、藻掻くことすら許されない。
首が分断されそうになった時、エレベーターの扉が勢いよく閉まり、奴を圧縮。その衝撃で首から両手が離れた。
その一瞬の隙を見て、彼女はその場を転がるように離脱。
ふらつきながら立ち上がり、後ろも見ずに駆け出した。
「げほっ……ぉえつ……」
咳き込んで、歩くこともできなくなる。
奴に追いつかれ、再び状況は絶望的に。
(武器……何か武器は……!)
兵器会社の令嬢として、兵器の扱いは一通り学んできた。物さえあれば扱えるが、ここはエントランスホール。簡素ながら豪華な装飾が施されているだけで、武器なんかありはしない。
暴れ狂う〈トイフェル〉に、銃弾の嵐が降り注いだ。
装甲に刺さった徹甲弾は次々爆ぜ、奴の動きをいとも容易く阻害した。
「死なれたら困るな、社長殿。お前には父親の意志を、何が何でも継いで貰わなければならない!」
その言葉と共に現れるのは、全身を白銀のパワードスーツに包んだ機動隊員たち。その隊長らしき人物のスーツには、真っ赤なラインが走っていた。
「とっと逃げろ。お前が死んだら、会社の人間全員が困るんだよ!!」
「っ……!!」
アサルトライフルを乱射する隊員に背を向け、ルークは駆け出す。
エントランスには大量の社員がおり、広場に現れた悪魔と機動隊に恐れ慄いていた。
(何なのよ……何なのよ……!!)
ただ、悔しい。
屈辱の連続だ。
父親に見限られ責任を背負わされて、その父親が造った兵器に殺されかけて、挙げ句の果てには、会社の人間からは凄まじいプレッシャーを浴びせられて。
こんな人生を送るために、必死になって生きてきた訳じゃないのに。
途端に走る気力が失せて、その場に崩れ落ちる。
「全部……全部あいつが悪いのに……」
目頭が熱くなって、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちてくる。
何十年ぶりに見た涙に戸惑う暇もなく、彼女は肩を震わせて静かに泣いた。
――父親が憎い。
あいつのせいで、私の人生は滅茶苦茶だ。
涙で霞んだ視界の中に、どこかで見た足元が映り込む。
見上げれると、そこには、あのときの青年がこちらを冷たい目つきで見下ろしていた。
そして口を動かしたかと思えば、涼し気な顔でこう言い放つ。
「社長、俺を使え」