「……はい。あとはこちらで確認しておきます。自分の業務に戻ってください」
「失礼します」
社員が出ていくのを見届け、受け取った資料に再び目を落とす。
彼はこの会社の経理担当。無茶を言って、現在の資産状況をまとめた資料を早急に作らせた。
父はうまいことやっていたらしい。資金のやりくりは完璧だ。あれだけの事をやっておいて、社長としては申し分ない人物なのが鼻につく。
「人件費は削れないし……でも、もう少し開発に回さないとな……」
だがこれから悪魔を徹底的に根絶やしにするには、少しばかり資金が足りない。今の世間からの評価を見ても、他社からの融資は望めないだろう。
「とにかく今すべき事は企業イメージの回復か……」
彼女がそう呟きながらイスを半回転させると、突然、目の前にバルバトスの顔が現れ、思わず飛び跳ねた。
「悪魔の匂いがする」
「はっ……へ……悪魔の匂い?」
「お前の記憶によれば、ファウストスクエア一番区。そこにいる」
ファウストスクエア一番区は、会社から歩いて数十分の所にある区画。同じ悪魔だから、何かを感じるのだろうか。
「機動隊を集めろ。殺しに行くぞ」
「でも、目撃情報なんて無いから機動隊にどう説明すれば?」
「でっちあげろ」
「社員に嘘はつけません」
「……お前、何か忘れてるな」
黒手袋に包まれた華奢な手が、見かけからは想像もつかない力で髪の毛を引っ張ってくる。
「“復讐”したいんだろ? 父親に。俺はその為に血を与えた。立派で誠実な社長に育てる為じゃない」
「……っ」
頭皮が引き千切れそうになった時、顔面がデスクに激突。黒の糸切れが、数本ほど舞い落ちていく。
「つべこべ言わずやれ。どのみち博士のレーダーも監視カメラも悪魔を捉える。社員にウソはバレない」
バルバトスに立たされたルークは、唇を噛んだ。
―――兵器のくせに。
ルークは口に出さず彼を蔑んだ。
「やってやるわよ……悪魔」
◇
機動隊はすんなり着いてきた。会議であれだけ殺気立ってたディルクの事だ。この時を待ち侘びていたに違いない。
輸送車両に乗り込んだルークは、二人の全身パワードスーツの男に挟まれて座っていた。
「社長……失礼ですが、彼は?」
「あぁ、彼は――いえ、あれはエミリアに頼んで造って貰った、私の命令に従う人型兵器です」
「……人間そっくりですね」
「貴方達もやりやすいでしょう」
「確かに、そうですね」
――嘘をついた。でも、こうでもしなければ社長の信頼は得られない。もし彼を“悪魔”だとでも言えば、自分は父と同等にしか見られないだろう。
輸送車は停止し、機動隊員たちは続々と降りていく。
彼女も降りようとすると、二人に行く手を阻まれた。
「何をするのです」
「我々が状況を確認します。社長はここでお待ちを」
ルークは顔を顰めるも、屈強な男に勝てそうにも無く仕方無く引き下がる。
バルバトスの視線が痛い。
頭の中で『蹴り飛ばせ』という声が聞こえてきた。細胞の影響か、彼の心の声も共有されるらしい。
暫くしてから銃声が響き渡り、その次に耳に入ってくるのは男の上げる情けない悲鳴だった。
バルバトスと共に輸送車を飛び出し、高層ビルが立ち並んだ街を駆け抜けてゆく。
ファウスト社の子会社のオフィス前。人通りが良く、開けた場所が戦場と化していた。通行人も巻き込まれたらしく、大混戦に発展している。
機動隊と戦うのは、狐。長い耳と棘で構成された尻尾が特徴的な〈トイフェル〉。それも一体や二体ではなく、六体という群れで行動している。
「社長……!!」
「一度下がりなさい!! 市民の避難が優先です」
狐はバルバトスを見ると、機動隊には目もくれず二人の元へと迫ってくる。
飛びかかる狐の攻撃は、バルバトスの振り上げた脚によって軽々防がれ、肉体はそのまま地面へ叩きつけられる。そこから容赦の無い、ブレードワイヤーの追い打ちが降り掛かった。
血液が飛散し、市民たちの悲鳴が鳴り響く。
「ここは我々が対処します。市民の皆さんは、輸送車両の向こうへ!!」
ブレードを案内棒代わりに、ルークは逃げ惑う市民を誘導した。
全員が現場から離れたのを確認すると、形相を変えて駆け出す。
バルバトスに群がっていた狐のうちの一つ。がら空きな背中を尻尾もろとも斬りつける。不意をつかれても、咄嗟に振り返った奴の左目に刃を突き立ててやった。
断末魔にも聞こえる鳴き声へ耳を傾けることすらせず、彼女は敵の額にありったけの弾丸をお見舞いした。
激昂する狐は、甲高い、金属の擦れる音を奏でながら尻尾の棘を発射。ワイヤーによって繋がれたそれから、おびただしい数の散弾が爆ぜる。
四方八方に散る鉄球を、ブレードで幾つかは防ぐも、完全に無力化は出来ずに何発かに身体を穿たれる。
傷口から鈍い激痛と灼熱感が走り、攻撃の手が緩む。敵の追撃を何とか避け、石畳の歩道にべっとりと血痕を残した。
初めての感覚だった。銃で撃たれる痛みを、彼女はここで初めて味わった。
(痛い……)
傷口を握り潰すように押さえる。悪しき者を滅する、その一心で兵器を造ってきたが、使われる側の気持ちはこうなのか――。
(いや……関係ない)
今は思い詰める時間など無い。
眼の前の敵を殺す。社長としての責務を果たすのが最優先だ。
漏れ出る痛みに悶えながら地を踏みしめ、油断する狐の腹部にブレードを捩じ込む。レバーを引き、刃を無理矢理変形。体内へ9mm弾を撃ち入れる。
後方の狐が、再び散弾を放つ姿勢を取った。
倒れた狐の首を掴み、盾代わりにする。
散弾の雪崩を骸で凌ぐと、バルバトスのブレードワイヤーが狐を激しく貫いた。
残るは三匹。仲間が次々失われ、焦燥に駆られるようにして狐達はオフィスの中へ逃げ込む。
「社長……!! 大丈夫ですか!?」
機動隊員の一人が駆け寄ってきて、何発も撃たれた彼女の様態を確認する。
そういえば、と思って自分の傷を見れば、血の滲みさえあるものの、穴はすっかり塞がっているようだった。
「平気です。それよりも、早く悪魔の追跡を」
「りょ、了解!」
これも例の細胞の影響だろう。今一度、彼女は自分が既に
それでも、もう決めた事だ。
この力を使って悪魔を全て殺し、父親への復讐を果たす。その為なら人をやめることも厭わない。
しかしそれで、父親への復讐になるのか。
父親が造った物を全て壊す。やっている事はさながら、圧倒的な権力を持つ王に嫉妬し、その国を滅茶苦茶に滅ぼすテロリストと変わらないように思える。
それは、自分の求める復讐像では無かった。
「何をしている……? 早く殺しに行け、あれは機動隊ではなく、お前の獲物だろう」
「……えぇ。そうね」
悪魔の囁きが、立ち止まっていた彼女を再び歩き出させた。
◇
青い壁に無数の血痕が残り、銃撃の跡は数知れない。しがない金融会社である、戦いとは無縁なこの企業のオフィスが、一瞬として地獄に変貌していた。
この状況の言い訳を考えている暇は無い。残った狐を殺すことが最優先である。
バルバトスの感覚を頼りに弾痕だらけの通路を辿ってゆく。そして、荒れ果てた様子の部屋に着けば、機動隊と狐が大乱闘を繰り広げていた。
狐の〈トイフェル〉は一体、姿が変貌している。剥き出しの血塗られた牙、背部から飛び出たワイヤークロー。
足元に、食い荒らされた死体があった。
バルバトスの徹甲弾が取り巻きの一体に刺さり、機動隊のパワードスーツを鮮血で彩る。続けて、隣の狐へブレードワイヤーを刺し、近くに手繰り寄せる。
首根っこを掴み、荒れ狂う狐の尾から放たれた散弾を受け止めさせた。
「避けろっ!!」
ルークは声を枯らして叫ぶと同時に、機動隊員の元へ駆け寄り、頭の飛んだ死骸で降り注ぐ散弾を防いだ。
「社長! 申し訳ない……!」
「いいですから、切り替えなさい」
その瞬間、頭が少し痛む。
ぼんやりと、スピーカーに厚紙を重ねたかのような声が聞こえてくる。
動きを封じるから殺れ。
紛れも無く
ルークは考えるよりも先に走り、天井に向けて弾丸を放った。
こちらに注意を向けた狐の目玉へ、的確に9mm弾を撃ち込む。
バルバトスの持っていた狐の遺体を片手で軽々持ち上げ、奴に向かって放り投げた。
骸と激突し、蹌踉めいた狐の〈トイフェル〉をブレードワイヤーが拘束し、全ての攻撃手段を封じた。
この上ない好機。一目散に駆け出した彼女は、瞬く間に狐へ近づき、その腹部へブレードを深々と突き刺す。
全身が灼けるような感覚に身を委ね、ありったけの力を刃に乗せる。渾身の力でブレードを振り上げれば、大量の紅が天井を汚し、狐に大きな亀裂が走った。
コードや弾丸を散らし、狐は力無く倒れる。
荒く呼吸をするルーク。
喉が、目が、身体の節々が灼けるように痛い。
ふと、機動隊の方へ視線を寄せれば、マスクを外し、唖然とした表情でこちらを見ていた。
まるで――化け物を見るかのように。
「社長……何が……あったんですか?」
彼女が守った機動隊員が、恐る恐る、血を頭から被ったルークに尋ねる。
ルークは唇を噛んだ。
このまま真実を話さず、社員を騙し続けていては、前社長と同じ過ちを繰り返すかもしれない。
エミリアの言葉が頭を過るも、すぐに消えていった。
――私の目的は父への復讐。
復讐とは、相手を完膚無きまでに捻り潰すことだ。
何を考えている?
バルバトスの声が聞こえる。だが悪魔の囁きには、もう易々とは頷かない。
「一度、会社へ戻りましょう。皆に報告しなければならない事がありますから」