6 意味
眠り呆けているうちに、いつの間にか夜は終わっていた。
身体が鉛みたいに重い。一晩眠っただけで、取れる疲れでは無かったらしい。
洗面所に赴き、蛇口を捻って手の器に水を貯め込んでから、それを顔に被った。滴る水滴を拭き取る間に、鏡に目が行く。
死んだような顔をしていた。それは今日に限らず、いつもである。
(嫌な顔……)
我ながら『生きてるのが辛い』と言っているような、腹が立つ顔だ。必死に取り繕っても、一人でいるときはどうしても向き合わなくてはならない。
そんな思考を振り払うように、首を横に振るった。
黒いハイネックと灰色のスラックス、黒のジャケットを順序よく身に纏って、髪を微かに整えてから、颯爽と部屋を後にする。
一瞬に感じられた、会社までの道を歩き切ると、今日もオフィスが彼女を出迎えた。
がらんとしたエントランスを突き抜け、エレベーターに乗り込む。静かな空間に、自らの鼻息のみが響く。
社長室に辿り着くと、デスクとチェアが彼女を出迎える。「今日も頑張ろう」と、それらが喋っているように聞こえた。
「しっかり……私」
両頬をぺちぺちと叩き、気をしっかりと保つ。朝から不調では、一日全体に支障が出てしまう。
コトリ。
鳥のさえずりに混じり聞こえてきたのは、そんな物音だった。初めは幻聴かとも思ったが、二度目にはっきり聞き取れた事で、確かに鳴っている物だと理解する。
社長室と繋がった、客人を招く応接室から聞こえてきた。
恐れる事なしに扉を開ける。強盗なら安々撃退できる彼女は、怖いもの知らずであった。
ところが扉を開けた先にあったのは、予想外の光景だった。
「……あ、ルークおはよう。借りてるよ」
ソファで、さも当然かのように眠りこけていたエミリアが、萎れた顔を向けながら腕をぶらつかせた。
「……何で?」
「いや、ルークの匂いがするとこで寝たいなぁって」
「社長室に勝手に入られたら困るよ」
「いいじゃーん、私とルークの仲なんだから」
彼女はいつもその言い分を使うが、同じ大学でとても親しかっただけであり、会社では免罪符にもならない。
「夜通しソロモンギアの開発してたら、まぁ……しんどくて」
「新しく造るの?」
疲れているのに、反射的に聞いた。
「えぇ。GF01だけだと、後々対応しきれなくなってくるからね」
「……何で断言できるの?」
「そうだ、私はそれを伝えに来たんだ――着いてきて」
眠気が覚めたのか、目を疑う体幹で起き上がり、手招きをしたエミリアにふらつく足取りで着いていく。
せっかく昇りきったのに、またエレベーターで一階へと降りていく。
二人分の鼻息が聞こえる空間で、エミリアは先程の続きを話し始める。
「開発部には、〈トイフェル〉の放つMシグナルを探知するレーダーがある。そのレーダーの情報によれば、鳥やネズミや狐とは比にならない悪魔が、ファウストスクエアに潜んでるの」
「……近いね」
「そう。我が社の機動隊に、まだ悪魔を殺せる程の戦力は無い。かといって、会社の評判が悪い中、兵器を市街地で使えば評価は地の底を突き抜けて奈落だしね」
彼女の言葉を聞いて、自分が回している会社の現状を改めて掴むことができた。
ファウスト・メカニクスは、一地域を牛耳る会社にも関わらず、その評価は現在地の底。会社の評判を元に戻さない限り、これ以上の発展は望めず、悪魔を増やすばかりである。
「鍵はソロモンギアか……」
一階に着き、開発部に立ち入った。
強化ガラスで仕切られた先で、何体かの作業用ロボが、誰もいないのにせっせと作業を進めている。
その部屋の中心には、天井から床に伸びる極太の柱に貼り付けられた、人型の何かがあった。真っ赤で、グロテスクな見た目。皮を剥がれた人間と揶揄するに相応しい。
「次こそ単体で使うわ。バルバトスの考えた“契約”っていうのは、確かに強力だけど……危険が多すぎる」
「私を煽ってるの」
「そういうわけじゃ無い。ルークだって、他の社員を危険な目に合わせる訳にはいかないでしょ」
どうにも聞き捨てならない一言だった。
“契約”は、自分なりに覚悟を決めて決行した。どんな危険でも承知の上である。
「ルーク、身体はどう?」
「……凄く重い」
「それは疲れてるからとして……他よ。何か、明らかにおかしいって事は?」
「別にないけど」
エミリアは額に二本の指先を押し付けながら、唸るように顔を歪める。
「そろそろ戻るね。今日も頑張って」
「……はーい」
彼女にそう言い残してから、ルークは開発部を去った。
◇
立ち並ぶ高層ビルと、その間へ蛇のように伸びているモノレールの線路。ファウストリビンスと呼ばれる区画。
滅多に事故を起こさぬ電気自動車が、車体を凹ませて煙を上げ、何台も道路に鎮座している。
道路の中心で暴れる鳥の悪魔に、弧を描いて飛んでいくブレードワイヤー。
巨大な白刃のようなそれが、鳥の〈トイフェル〉をたったの一撃で仕留めた。かなりの機 動隊を連れてきたが、蛇足だったらしい。
惨状を眺めながら、ルークはバルバトスの背中へブレードを収納した。
「社長さんよぉ、こうやってちまちま悪魔倒すことしか、できないのかね」
赤いライン入りのパワードスーツで身を包んだディルクは、厭味ったらしくルークに詰め寄ってきた。
「会社のイメージ回復が最優先です。半端な状態でやり合えば、我が社は滅びます」
「悪魔に滅ぼされるのと、自滅、どっちがマシだよ?」
これ以上話は聞いていられなかった。
バルバトスと機動隊に撤収命令を出し、本社へ帰還しようとしたときだった。
「ファウストの方々、少々お時間よろしいでしょうか?」
胡散臭い声音が、背後から聞こえてくる。
テレビ会社か、と思い、無視しようとした時、その声に反応して振り返った機動隊員が声を上げた。
「社長殿、少しですので、振り向いてもらえませんか?」
興味本位で振り返り、そこに立つ予想外な人物を見据えて、情けない声が漏れた。
真紅の帽子を頭に乗せ、赤いストライプのスーツに身を包んだ、紅髪の男。背は高く、年は彼女の倍はあるのだろうが、それが気にならない凄まじい貫禄を醸し出している。
「私はアヴァロン・エレキ・サービス――AESの代表、ルイス・D・アヴァロンと申します」
ルイスと名乗る男は、帽子を脱ぎながら栄華に会釈してみせた。
「私の事はご存知で?」
「勿論です」
ファウストに隣接する広大な地域を支配しているのは、紛れも無く彼の会社『AES』。知らない訳が無かった。
初めて間近で見た事による高揚と同時に、なぜわざわざ自身の業務を放ってまで
「何の御用でしょう」
「貴方方の噂は良く耳にしますよ。悪魔、でしたかね。それの退治に尽力しているのだとか」
「我が社の負債ですから、当然ですよ」
後ろに手を回したまま、ゆっくりと距離を縮めてくる。指を伸ばしただけで触れられるまでに至り、目線が上の彼が囁く。
「本日は少し、貴方と二人でお話したいことがありまして」
「……私と?」
えぇ、と返答するルイス。目蓋を落とし、にこやかに微笑んだ。
「どうかご招きいただけないでしょうか、ルーク社長」
見下してくる真翠の瞳に目をやりながら、ルークは暫く黙り込んだ。高い香水の、嘘くさい匂いが鼻につく。彼は一歩も引く気がないらしい。
聞いてみる価値はある。こちらを陥れるような事をすれば、然るべき対処を取るだけである。
「生憎、車両は一台しかございませんのでご了承を」
「感謝します」
胸元で押し付けていた帽子を被り、ルイスは屈託なく笑うのだった。
◇
オフィスに戻り、彼を応接室に招く。
ルイスと向き合って座っていると、次第に鼓動が高まってくる。眼の前にいるのは、社長。他の会社の頂点に立つ人間だ。
つまりは、自分と同等かそれ以上。急に怖くなる情けなさに、最早呆れる。
「いい会社だ。あなたのような若い人が率いる所とは思えない――お父様の功績でしょうかね?」
最後の一言で、ルークの眉間に皺が寄った。一言余計とはまさにこの事。だが、何も成果を残していない彼女には、彼の言葉は正論以外の何物でもない。
「……今回お話したい事は、他でもありません。
「協力……?」
帽子を脱いだ彼は、また屈託なく笑いながら深々と頷く。
「はい。私は、ファウスト・メカニクスへの出資を検討しておりまして、こうやって遠路遥々足を運んだのです」
「……我が社に出資を……大変ありがたいことですが、理由をお伺いしても? 今、我々と癒着を深めるのは、そちらとしてもデメリットが多いのでは?」
ルイスは立ち上がって、突然両腕を広げた。
「貴方方の勇姿に感銘を受けたからですよ! 前社長の残した、理不尽な負の遺産に対しても、投げ出すこと無く懸命に立ち向かう姿に!」
高揚するルイスは、その興奮を抑えるように口を繕いながら、帽子を深々と被り直す。
「……はぁ」
「私は、是非とも貴方方の力になりたい。悪魔狩りに、投資させてはくれませんか?」
ルークは返答に迷う。AESは、ファウストに比べればかなり大規模な企業。だからこそ、格下の会社に、感情論のような理由で投資するなど、何か裏がありそうな気がしてならない。
「……勿論です。感謝の一言に尽きます」
悩んだ末、ルークはそれを承諾する。この後どう出るかで、最終的な判断を下すことにした。
「具体的には、このくらいの出資を検討しております」
渡されたタブレット端末の液晶を見て、ルークは思わず声を上げそうになった。新しい兵器開発など幾らでも可能な金額が、そこには記されてある。
「……本当ですか?」
「私は、嘘が嫌いですので」
帽子を脱ぎながら、ルイスがそう答える。
「我々はあなたを心から応援しております。ルーク・ア・ファウスト殿」
あれだけの金額を出資するという事実を前にしても、彼をどうしても完全には信用できなかった。
差し出された手を渋々握る。
細まった目蓋から覗く翡翠の瞳が、どうにも恐ろしくて、直視ができなかった。
◇
「金が増えたらしいな、社長」
「お小遣いみたいに言うわね」
社長室で頭を抱えていると、勝手に開発部を抜け出してきたバルバトスが力強くデスクへ掌を置く。
正体を知られたらまずいというのに、隙を見ては脱走してくるのだ。
「金が増えたなら、悪魔を殺すために全て使え」
「そのつもりよ、彼は悪魔狩り事業のために多額の出資をしてくれたのだから」
予算を記入した端末を眺めながら、ルークは顔を顰める。懐は潤うものの、どうにも気がかりな点がある。
大昔は、土地に“国”という概念があって“政府”という組織がそこを支配していた。けれど今は企業が土地を支配する時代だ。昔は貿易などが盛んで別国でも互いに協力的な関係だったようだが、今は別区域企業は敵も同然の存在。誰も彼も、己の利益しか考えていない世界だ。
そんな世界で彼は『応援したい』というのを口実に他企業に出資を行った。無い事は無いが、今の時代には珍しい。
「裏があると考えているのか、あの男に」
「……悪い奴よね、私」
バルバトスに詰め寄られ、眉をひそめながら微かな笑みを溢した。
「邪魔をするなら殺すだけだ。お前は、余計なことは考えずに、悪魔を殺すことだけを考えればいい」
「……あなたはそればかりね」
「俺には人間の事情など知らない。悪魔を殺す、それが“兵器”として生まれた俺の生きる意味だ」
背もたれに身を預けて、天井をぼうっと見上げた。そして消えかかった声で
「いいね、生きる意味があって」
と呟く。
「私には会社があるけど、生きる意味にはならない。もっと曖昧で、それでいて確実な意味は、私には無い」
「だから何だ、悪魔を殺したくないと言うのか?」
顔を掴まれ、彼の冷酷な顔が迫る。
「俺はお前が悪魔を殺したいと、父親に復讐したいと言うから細胞を与えた。今更違うと言うなら、ここで殺すぞ」
「殺す殺すって……煩いよ。貴方は兵器だから、黙って私に従いなさい」
バルバトスは不服そうに眉を寄せながら、彼女を乱暴に解き放ち、社長室を出て行った。