本社に帰還し、エミリアに聞きたい事があったルークは、開発部を訪れていた。
ただ彼女の姿は見当たらない。また隠れて眠り呆けているのだろうかと、ルークは密かに微笑んだ。
エミリアが来るまで、バルバトスとグレモリーの面倒を見ることにしたのだが。思えば子守などしたことが無かった。
「ねぇバルちゃん、私とお話ししようよぉ」
「黙れ」
「それしか言えないのー?」
バルバトスに構って貰えないと知った彼女は、ルークの肩へ自分の肩を激突させてきた。鋼鉄の塊が肩に衝突すれば、耐え難い激痛がルークを襲う。
「ねぇ社長さん。博士から聞いたんだけどね、私の疑似血液を、人間に飲ませたら、その人と一つになれるんだって!」
「……はぁ」
(なに余計なこと教えてるのよあの子……!)
平然を保った冷たいマスクで、焦りの感情を必死に包み隠し、彼女に悟られないようにした。
そしてグレモリーは、夢見る乙女のように頬へ両手を当てて、上目遣いになりながらルークを見る。
「ねぇ社長さーん? 私の血、飲んでみなーい? 社長さんみたいな強い
目一杯の甘い声音で、彼女はルークの事を誘惑する。
これ以上何かを背負い込める程、彼女の身体に余裕は無かった。
後ろから目を光らせていたバルバトスが、うねうね動く頭を鷲掴みにし、そのまま背後の壁へ投げつけた。
部屋に凄まじい鳴動が迸り、蒼白い壁は紅の雫で汚される。
「これ以上勝手な真似をするのなら、お前を本気で殺す」
「ご、ごめんって。魔が差したってやつー」
頭の肉が抉れ、中身が飛び出ても尚、グレモリーは平然と笑っていた。
込み上げる何かを抑え込む。悪魔のそれは慣れっこだが、彼女に至っては見た目が人そのものだからきつい。
「だって……私、寂しいもの。勝手に兵器として造られて、用が終われば、皆私のことどうだって思わないんでしょ?」
声色を変え、瞳のシアンを目蓋で半分隠しながら、グレモリーはぼそぼそと呟く。傷はみるみるうちに塞がり、跡形も無く消える。
「……」
彼女の言葉を聞いて、心臓を握られたような感覚に陥った。悪魔に同情など、するわけが無いと思っていたのだが。
この悪魔、さっさと“契約”させた方がいい。そのほうが今より使い勝手も良いだろう。
そんなバルバトスの声を受け取ると、すぐにこちらも返答を送った。
社員と契約させる訳にはいかない。
意地を張るのも大概にしろ。全ては悪魔を殺すためだ。
互いに引かない。確かに、彼女を無契約のまま運用するのは、かなり骨が折れそうだ。
だが、社員の誰かを“悪魔”にするのは、まだ安心できない。余程の覚悟があれば別だが……そんな者は恐らく居ないだろう。
すると、突然スマホの着信が鳴る。エミリアからだった。
「もしもし、エミリア? どこにいるの?」
ルークがそう聞けば、受話器の向こうからとてつもない怒声が飛んでくる。
『こっちの台詞よ!! アヴァロンの社長さんが応接室に来て、あなたの事探してたんだから!! もう最悪!! だらしないところ見られちゃったじゃない!!』
「……ルイス社長が……?」
この前会ったばかりだ。少なくとも、あの日に必要な手続きや会話は全て終わらせたはずである。
何の用があって自分に会うのか、全く検討がつかず不気味であった。
「バルバトス、グレモリー。私はもう行くから、ここから出ないように」
「はいはーい!」
殺し合わないか不安だが、今はルイスへの不信感の方が勝っていた。
◇
応接室を訪れると、エミリアとルイスが向き合って座っていた。
エミリアは顔も目も真っ赤で、目尻に涙を溜め込み、腕で自分の身体を守るように座っている。
ルイスに視線を寄せると、帽子を脱ぎながら少し焦った屈託のない笑みを綻ばせてきた。
「私は何もしていませんので、ご安心を」
彼女の隣に腰を下ろして、今一度彼と向き合った。
「お帰りになられたかと思いました」
「少し観光を楽しんでいたのですよ。せっかくのファウスト区ですからね」
そう言って帽子を被ったルイス。縁の影から覗く翡翠の瞳が、不気味に輝いてルークの紅眼を見据える。
呼吸を幾らか繰り返す間、静寂が辺りを支配していた。
「エミリア・ソーグファルトさん。あなたは開発部の最高責任者であると聞いています」
「そうですが……」
机に両肘を置き、合わせた手の上へ顎を添える。
「ニュースを見ましたよ。あのような兵器を造れるのは、開発部の努力の賜物ですね」
「どういう意味ですか」
帽子の下で不敵に嗤った。
背筋が凍てつくような感覚が、ルークを襲う。
「〈ソロモンギア〉……ルーク社長がお使いになっている人に瓜二つな兵器。あれは、実に興味深い」
細長い指がエミリアに向けられる。
テレビ会社は、余計な事をニュースに流したようだ。
「あれ……〈トイフェル〉なんでしょう?」
その言葉を聞き、エミリアは「どこからそれを……!?」などと声を上げて立ち上がった。
「……図星ですか……私の憶測に過ぎなかったのですがね」
「え……じゃあ、情報が漏れたりは……」
「ニュースでは『人工知能搭載人型兵器』と、しっかり名義されていましたよ」
ルイスの笑顔を見て、エミリアは不機嫌そうに、後ろへ崩れ落ちた。
「カマかけかよ……」
「おや、そんなつもりは」
ぼそりと囁くエミリアに、ルイスはそう付け足した。
「何故、AESの社長であるあなたが我が社の兵器を気にする必要があるのですか?」
何か言いたげなエミリアを制し、ルークは固唾を呑んで彼に尋ねた。喉を締め付ける緊迫感が、一気に張り詰める。
「……実はですね。ファウスト区には、一つだけ我々AESの発電所を設置していまして。そこが現在、〈トイフェル〉に占領されているのです」
「……!」
初耳だ。発電所はあるにはあるが、この区域の最東端に近い場所だから、レーダーが行き届かなかったのだろう。
「何故、先日おっしゃってくださらなかったのですか?」
「あなた方はお忙しいかと思いまして。承諾される確証が、無かったもので」
――策士だ。
ルークは言葉には出さなかったが、ひしひしとそう感じた。
あれ程の支援をしてくれた相手からの頼みを、確かに誰も断れはしないだろう。
「よければ、我々も力を貸しましょう。そちらは悪魔の数を減らせ、我々は発電所を奪還できる……どうです? 悪い話ではないでしょう」
ある地域を直接支配する会社は、どこも戦力を保持している。例えそれが食品会社などの、闘いと無縁な企業であっても、土地を支配するということは、大昔で言う所の“政府”と同じ立ち位置であるのだ。
「……あなた方さえ良ければなのですが――」
ルイスの手が、何かを手繰り寄せるように前へ突き出される。
「〈ソロモンギア〉を、我々に譲り受けてはくれませんか?」
彼の一言に、ルークとエミリアは同時に驚愕した。
「ルイス社長! お言葉ですが、〈ソロモンギア〉はまだ、他社に渡せるような兵器では――」
「ほう。そんな物を、社長が使っておられるのですか?」
「いや、そうでは無く……」
エミリアは必死に説得しようとした。
社員にすら明かしていないD細胞の情報が不特定多数の外部に漏れるのは、あまりよろしく無い。ただでさえ悪い会社の信用が、回復不可能になるかもしれない。
だが、ルイスは引く気が無かった。涼し気な顔をしながら、頑固たる意志を持って交渉に当たっているように思える。
「ご安心ください。何か外部に漏れてはいけない秘密があるのなら、断固として漏らさない事を保証しましょう」
「っ……それ以外にも問題が多々ありまして――」
「ルイス社長」
焦るエミリアの横から、ルークが口を挟んだ。
「……私はあれに――悪魔に魂を売りました。父が残した負の遺産を、全て滅する為に……そして――」
紅眼が一度伏せられ、再び目蓋の下から姿を現す。
鈍い輝きを孕んだそれは、翡翠の宝玉を眼光で淡く貫いた。
「生きる意味を見つけるために。私は、悪魔に身も心も捧げました。
エミリアは黙り込んだまま、真剣な眼差しの彼女を、横から見守っていた。
「……身売りする覚悟? そんなもの、会社の頂点に立った時から出来ていますよ。如何なる時であろうと、会社に全てを捧げる……私は、この身が朽ちても惜しくは無い。AESが、より高みへ登るのなら」
ルイスは立ち上がり、これまでにない目つきで彼女の事を見下ろした。
また、静寂が辺りに張り詰める。
座り直したルイスは帽子を脱ぎ、屈託のない笑みでルークに問いかける。
「どうでしょう? 考えていただけませんか?」
この男の覚悟は、表情からは分からない。
だが、社長という名目そのものが、彼の覚悟を表している。
「分かりました。我が社に一機だけ、〈ソロモンギア〉が残っています。それをAESに譲り受けましょう」
「ルーク!!」
「ただし」
二本指を立て、ルークは彼に見せつけた。
「〈ソロモンギア〉に流用されている人工細胞 ―――デモンズセルの情報を、あなたに教えますが、それを外部に漏らさないこと。そして、事態が収束するまで、AESは我が社に協力すること。この二つが条件です」
「……何と簡単な条件だ。社長殿は太っ腹ですね」
ルークとしても、バルバトス一体で精一杯なのに、もう一体抱えろというのはかなり厳しい。欲しいと言うのなら、くれてやる。
それに、AESが味方につくのは大きい。孤立していた冤罪人が、優秀な弁護人が巡り合うような奇跡ともいえる。
利用しなければ、損である。
それから、誰にも聞かれぬよう、ルイスにはデモンズセルの性質を教えた。流石に製造法まで教えるわけにはいかなかったが、ソロモンギア――グレモリーを扱うにあたって必要最低限な情報を限りなく伝える。
「“契約”か……実にいい響きだ」
「ルイス社長……“契約”はまだ未知数の危険が潜む行為です。デモンズセルが人間の体内に入るのは、どんな危険があるか――」
「先程も言いましたが、私はとっくの昔に、会社の為に全てを捧げる覚悟は決めています。……そう、これは全て我が社の発展のためだ」
口を挟んだエミリアを、ルイスは完膚無きまでに沈黙させる。それ以降、彼女は余計な口を挟まなくなった。
「“契約”するかしないかは、ルイス社長の自由ですので」
「あなたに言われると、あまり説得力がありませんね」
ルークが一応注意喚起をすると、軽くあしらわれる。この男は、本気で悪魔に魂を売るつもりのようだ。
(好きにすればいい)
もし仮に、グレモリーが原因で死亡することがあれば、責任を負うのはこちらだろう。
リスクは大、されど得られる利益も計り知れない。
今この状況では、そんな賭けにも乗る価値はあった。
(利用させてもらうわ……アヴァロン)
「大丈夫です……一通り把握致しました。では、早速ですがご対面させてはくれますか?」
立ち上がったルイスは、帽子を被り、もうその気でいた。
「こちらへ」
エミリアが彼を開発部へ案内する。進行方向から察するに、非常用の通路を通じて行くようだ。
目配せされ、付いてこいと言われた気がしたので、渋々二人の後を追った。
◇
グレモリーは、目の前に立つ紅装束の紳士を不思議そうに眺めていた。
すぐに食いつくかと思ったが、彼の放つ貫禄に圧倒されているのだろうか(悪魔のくせに)。
「初めまして、君がGF02-グレモリーだね?」
彼は彼女に対し、まるで人間のように接した。その態度には、向こうも戸惑っている様子だった。
「GF02、あなたを引き取りたいと言う人よ」
「私はルイス。君は、私と一緒に来てくれるか? 私は、君が必要なんだ」
事情を知らない人間に、彼は孤児を引き取っていると言っても疑わないような光景だ。
「……私が……必要?」
「あぁそうだ」
グレモリーは理解が追いついていないのか、言葉が継ぎ接ぎでぎこちなかった。
長話は許されない。誰かに見られたら大変だ。
「社長、そろそろ」
「あぁ……では、帰ってゆっくり話そうか」
グレモリーの肩を何の躊躇も無く触り、裏口から外へ出ようとした。
「赤髪。そいつは悪魔だぞ?」
黙ってその様子を伺っていたバルバトスが、彼女を連れて行こうとする彼を引き止めた。
「そいつは悪魔で、お前は人間だ」
「……あぁ、だから何だい? この子は私の物になるんだ」
そう返され、バルバトスは口を閉ざすも去っていく彼を、悍ましい目つきで睨み続けていた。
それから彼は、開発部の人間二人に案内されて、ファウスト・メカニクスのオフィスから去った。
彼を見送ってから、肩の力が一気に抜ける。
「気味が悪いわね……悪魔の恐ろしさを知らない人間って言うのは」
エミリアは怪訝そうに吐き捨てる。
確かに彼は、〈トイフェル〉と対峙した事など無いだろうし、その危険性も知らないだろう。
「GF01、戻りなさい。ルーク! またあの部屋借りるからね」
けれど、同じ立ち位置な筈の彼らと、自分とバルバトスをどうしても重ねる事ができなかった。
◇
ルイスは長らく留守にしていた本社へと、ようやく帰ってきた。
出迎えてくれた秘書には、グレモリーの事を上手く説明する。ファウストの事はアヴァロン区にも広まっていたらしく、素直に受け入れてくれた。
デスクとチェア、硝子の先に広がるビルディングをバックに並べられた緑豊かな観葉植物がある社長室に戻ってくると、ルイスは迷わず椅子に座る。
「ねぇルイス。一つ聞いてもいい?」
「何だい、グレモリー」
グレモリーは唇を噛み締めた。質感も色味も、人間のものそっくりなそれに微かな皺が寄った。
「私、こんな気持ちになったの初めて。ありがとう」
「……悪魔にも、そんな感情があるんだね」
「あるわよ。悪魔って皆言うけれど、私たちだって生きてるもの」
そうか、と囁きながら立ち上がり、グレモリーに歩み寄る。
「なら、あそこでの暮らしはさぞ辛かったろう」
「辛くは無かった。けど、あそこの人は私を悪魔とか兵器としてしか扱ってくれないもの。私に、こんなにも良くしてくれたのは、ルイスが初めて」
優しく微笑み、チェアを引き摺って彼女の前に持って来て腰を下ろし、長い脚を組む。
首を傾げるグレモリーだったが、すぐに察して表情を変えた。
「“契約”を始めよう、グレモリー。いいね?」
「……いいわ。ルイスとなら、一つになっても構わない」
「いい子だ」
緑の匂いが広がっていた空間に、狂気と歓喜の香りが水を差した。