「作戦会議を始めます」
見目麗しい少女。
艶やか長い黒髪と、星のような眩い瞳を持つ少女。
その魅惑的な、そして蠱惑的な笑顔で言い放った一言。
それが先述の言葉であった。
ここは、とあるマンションの一室。
彼女の背後には、およそ子育てをする環境には似つかわしくないホワイトボードなるものがあり。
そして目の前には二人の赤ん坊が座らされていた。
実にシュールな光景である。
「「しゃく、しぇん、きゃい、ぎ……?」」
舌っ足らずの言葉でオウム返しが行われる。
実に微笑ましい光景だ。
愛らしいことこの上ない。
ましてや、それは双子から同じタイミングで発せられたのだ。
余程の子ども嫌いとかでない限り、その愛らしさにノックアウトであったであろう。
「そう!作戦会議です!」
キリっとした表情で言い放ち、そしてすぐに弛緩する表情筋。
「あ~、もう!ウチの子たち、可愛すぎ~~~~!!」
一瞬にして双子を抱き抱え、頬ずりする美少女。
先程までの空気は完全に霧散していた。
どこに行ったよ、シリアスさん。
「まぁま……?」
「あぁ、ごめんねー?二人があんまりにも可愛くて――!!」
娘からの発言で、意識を現実に戻すことに成功した少女。
娘的にはこのまま幸せな時間を堪能したいところであったが、母が【作戦会議】という重要そうな何かを話そうとしているのだ。
何か緊急事態かもしれない。そう思って先を促した。
「うん。ママはね、どうしてもやりたいことがあるの……!!」
――ゴクリ。
双子から唾を呑み込む音が聞こえた。
……断っておくが、この双子はまだ生後1年が経過していない。
だから母親の言っていることは、あまり理解出来ていない……ハズである。
「うん!それはね……!!」
ホワイトボードに線が刻まれていく。
線は繋がり、文字が踊る。
かくして完成した文字列の正体とは……。
――テンドーせんせを驚かせる!(色気で!)
「「…………」」
何とも形容しがたい内容であった。
その証拠に先程まで愛らしい表情をしていた子どもたちは、今は死んだ魚のような眼をしている。
具体的に言うと眩い白星を宿した瞳が、ブラックホールのような漆黒に支配されていた。
「(何で
「(どうして
もしもこの赤ん坊たちが大手を振って喋れたのならば、きっとこのように言葉を発していたに違いない。
しかしながらここには双子の母親が居り、そして1歳にも満たない赤ん坊とは流暢に喋らない生き物なのである。
「あれー?何かさっきまでとは空気が違うような……ま、気のせいだよね!」
母は気が付かない。
子どもたちの瞳が濁っているのを。
そして夢にも思わなかった。
この状況を引き起こしているのが、自分が書いた文字だとは。
「テンドーせんせって、本当に男の子なんだよね……?」
それは当然の疑問。
当たり前すぎてすっかり忘れがちだが、アイの変装をできる存在は同性ではない。
女の子であるアイのドッペルゲンガーになれるのは、誠に遺憾ながらオスであった。
付け加えるのであれば、男の【子】と呼べる年齢ですらない。
――じゃあ、なんで私の裸を見ても全然照れないんだろう?
続く独白。
聞こえてしまった、聞きたくなかった母の呟き。
自分たちは推しの子どもに生まれるという、人類史稀にみるラッキーチルドレンなハズだ。
誰もが夢見て。
そして誰もが叶えることが出来ない現実。
そんな宝くじが当たるよりもレアな体験を、現在進行形で堪能している我ら二人。
だがしかし。
そんな強運は、今の状況では反転し生き地獄と化す。
殺せ。いっそ殺してくれ。そう言わんばかりの身を焦がす煉獄。
神も仏もいないのか。
そう言いたくなる程のシチュエーション。
元々一つの存在であり、今は分かたれた双子の胸中は、この瞬間に再びシンクロしていた。
「(おかしいなー。どこで間違えたんだろう?お兄ちゃんにアイのマネをさせたからかなぁ?…………私のせいじゃん!?)」
ヤンデる脳から繰り出されるのは、自業自得という出力結果。
美幼女――というか美乳児(女児)は、これまでの行い(前世)を振り返った。
人を呪わば穴二つ。
かつて兄を生かす為に放った
「(だって、分かる訳ないじゃん!?転生したら推しの娘になったけど、前世の兄が推しの隣にいるなんて……!?)」
それはそうだ。
むしろ想定出来る方がおかしい。
というか、そんなものを想定出来るのは人間じゃない。
美少女モドキに並ぶ、人モドキか何かに違いない。
「(そもそもお兄ちゃん!元々バグみたいだったけど、もう完全に人間辞めちゃってるじゃん!!)」
少女が――女児が死んだ時は、まだ一応人間だったハズだ。
自分が仕込んだアイの変装と、そのパフォーマンス。
当初から比べれば大分良くなったが、まだ推しの完コピとはとても言えない出来だったのだ。
――でも、今は……
四年。
そう四年間だ。
自分がこの世を去り、そして再臨するのに掛かった時間は。
その期間で兄は漫画家としても大成し、そして人間卒業という想定外の事象を発生させた。
具体的に言うと、推しへの変装能力の取得。
それもドッペルゲンガー、本人の前に立たせれば鏡と錯覚する程の出来栄えで。
「(実は忍者だった?それとも魔法にでも目覚めたとか……?)」
少なくとも生前の家族はどちらでもなかったハズだし、某英国ターミナル駅の魔法のプラットフォームに行った記憶もない。
となれば、アレはその身一つで成し得たというのか。
如何なる所業で、一体何を成し遂げれば、あの境地に辿り着くというのだろうか。
世が世なら、その成し遂げた業は英霊の所業として讃えられたかもしれない。
絵・物語・歌・踊り・そして演劇という皮を被った模写。
これだけを並べるのであれば、かの天才レオナルド・ダヴィンチにも並ぶであろう。
成る程。
確かにかの天才に並ぶモノを持っているのだろう。
それは認めざるを得ない。
だが忘れないで欲しい。
世に天才と認められる程の鬼才は、総じて変わっている。
もっと言ってしまえば変態であると。
「(そもそもお兄ちゃん。あれだけ色んなモノに恵まれておきながら、ラッキースケベまで会得してるなんて……!!)」
本人からしたら、要らんモノ筆頭であろう。
しかし世の中には需給の不一致という状況が存在するのだ。
欲しいという需要と、手に入る確率の供給率。
欲したとしても、容易に手に入るものではなく。
真に欲した者には手に入らない仕組み。
まるで物欲センサーを完備しているかのような素通りっぷり。
だから、ガチャは、外せと言ったのだ……!
*
「(あぁ、なんでこうなったんだっけ……?)」
少女の脳裏に過るのは、これまでの経緯。
当初はテンドーの家の隣の物件だということで、母の当ては外れる結果であった。
子どもたちはそれに歓喜し、母は落胆した。
しかし蓋を開けてみれば、新生活にはいつもヤツが居た。
……というと語弊があるだろう。
実際。テンドー本人としては、必要以上に星野家には関わらないようにしていた。
家族たちというコミュニティは、その構成要員で形成されるべき。
それが彼の持つ考え方だったからである。
だが実際には、そうはならなかった。
否。手を貸さざるを得なかったというのが正しい表現であろう。
いくら母の自覚があろうが、如何に双子が手の掛からない存在であろうが。
それだけで子育てが全て順風満帆に流れていく訳ではない。
赤ん坊に三大欲求の内2つ(睡眠欲と食欲)は我慢できるものでないし、母の身は一つしかないのだ。
母が持ち込んだウィルス等で病気になることもあるし、看病となると通常の倍以上の労力と時間を割かねばならない。
それはアイドル活動を再開予定のアイ一人では無理なことであるし、応援要員である斎藤社長夫人の協力があっても容易なことではなかった。
ましてや、二人に子育ての経験はない。
そうなれば当然、育児ノイローゼという単語も現実のものとして迫ってくる。
事実。
斎藤社長夫人であるミヤコは限界であった。
元々望んで子育てをしている訳でない。
だからそのストレス限界値は、アイのそれよりも圧倒的に低めに設定されていた。
人間、限界に達するとその思考は理路整然、とは全く逆の方向に向かう。
つまり支離滅裂。
そしてその地獄から解放される為には、どんなことでもしようとしてしまう。
――ピンポーン!
今まさに破滅の時は訪れようとしていた。
そんな瞬間に鳴り響いた救いの音。
その正体は、インターフォンであった。
「ミヤコさーん!自分、仕事が片付いたから、子守代わりますよー?」
「……っ!あぁ……女神様ぁぁぁっ!!」
ミヤコが見たのは、窮地に陥った自分を救う
たまたまタイミングが良かっただけである。
だがこのタイミングで降臨したことでアイとその家族、そしてミヤコは救われたのだ。
後日。
自分を見るミヤコの目が、まるで神を崇拝する信者のようになった。
そんな奇妙な感覚を覚えたテンドーであった。
閑話休題。
そんな感じで形成された、星野家+αの愉快な仲間たち。
そんな状況が続けば、いちいち玄関のドアを開けるのも億劫というもの。
テンドー本人は固辞したが、母は星野家の合鍵を
元々美少女モドキの家なのだから、それは別に構わない。
……一億歩譲って、血の涙を流しながらなら構わないと言ってやっても良い(断固たる決意)。
ただ流石にそれではフェアでないということで、
正確に言うと、テンドーの家と星野家を繋ぐ扉の鍵であったが。
元々は、アシスタントがテンドーを起こしに来られるように。
更に言えば、毎回玄関から入るのは面倒だということで、両物件は中で行き来できる仕組みを持った部屋を購入していた。
普段は戸棚の裏に隠されているが、その実一つの巨大な家としても機能できる仕組みがあったのである。
そしてテンドーの家の風呂は、自分たちの家のそれよりも大きい。
というか、大体のもののレベルが何段階か上の調度であった。
とりわけ風呂には拘りがあるようで、ジェットバスやサウナまで付いていた。
……ブルジョワめ。
※本当はアシスタント用の福利厚生の一環である。
つまり子ども二人とアイ本人が余裕で入れる、ゆったりサイズなのだ。
これには星野家のメンバーも心惹かれるというもの。
結局両者の家を隔てる扉の鍵は、機能しなくなっていた。
とは言っても、基本テンドーは星野家側に来ることはない。
もっぱら星野家が天童寺家を侵略しに行っているのが、日常であった。
*
アイが復帰を目指した体力作りの為にロードワークに出た後。
訪れたのは神の悪戯か。それとも悪魔の仕掛けた罠だったのか。
――ルビーが催した。それもちょっとではないくらい元気な感じで。
彼女の名誉の為に詳細は伏せるが、服類が犠牲になったソレは流石に服の交換と拭いた位では凌げなかった。
仕方なしに、テンドーはルビーを風呂に入れた。
乙女の尊厳は木っ端微塵である。
せめてもの救いは、風呂に入れる相手が推しの姿をした、かつての兄であったこと。
だからまぁ、許そう。
心の中に百個位鍵を作って、今日の記憶は封印しよう。
そうすれば、自分は再び推しの子どもという輝かしい日々に戻れるのだから。
そう思って洗われていたら、いきなり風呂場の扉がバンっと音を立てて勢い良く開いた。
「あれ?二人とも、お風呂入ってたの?」
そう。外出していた母がアラワレタのである。
それも全裸で。
これには流石に
それはそうだろう。
アイドルの――もっと言えば推しの玉体である。
いくら男を半分以上捨てている元兄とて、そんなゴッデスボディを見たら……
――スタンディングオベーションしてしまうかもしれない。
ルビーはその視線の先を、女神から美少女モドキに戻した。
「……ん?アイさん?あぁ、ロードワークの汗を流しに来たんですねー?すぐに出るので、ちょっと待っててくださいねー」
全く動じていない、だと……?
おかしい。おかしいよ?
兄よ。あぁ、元兄か。
ともかく、お前はそれで良いのか?
本当に人間(男)を辞めてしまったのか?
そう考えると、元妹は悲しくなった。
確かにここで暴走状態になられるよりは有難いが、そんな存在にしてしまったのは自分なのである。
胸中を去来するのは、
あの時の判断は間違っていなかったはずだ。
あれがなければ、兄は今日まで生き残っていなかったに違いない。
違いないのだが……
「(それにしても……これはヒドイ)」
これではもはや、人間のフリをしたロボットだ。
いや今の時代、ロボットの方が人間より流暢に喋って動くかもしれない。
兄は
そう考えると今のまま生かしておくのが、本当に兄の為と言えるのだろうか?
これではただの生き地獄に等しいのではないのか?
死ぬよりも辛い。
本来それは大罪人に課すべき処罰のはずだ。
だが何故。
どうしてこの兄にそれが降り掛かっているのか。
おかしいじゃないか。
兄は――元兄は変態になってしまったが、行ってきた所業はどれも偉業と言えるものばかりだ。
悪人ではない。
犯罪なんて犯していない。
だというのに、どうして。
どうして――。
思考の底に沈んでいたルビーを抱き上げて、風呂場から出るテンドー。
素晴らしき推しの玉体を――美の女神も裸足で逃げだしそうな造形美の横を過ぎ、脱衣所に移動していった。
その後ろで、「あれ?反応、それだけ……?」と小さく漏らしたアイを置き去りにして。
*
ここで話はようやく冒頭に戻る。
ホワイトボードを背にした母は、
ちなみにこのホワイトボード、テンドーのスタジオから持ってきたものだったりする。
「ママはね、これでもアイドルなのです!」
――知っとる。
推しの当然とも言える発言に、双子の胸中は一つとなった。
それは太陽が東から昇るのと同じ位当然の――地球の常識であった。
少なくとも推しにとっては。
「それでね、色んな人を見てきたの!」
ファンとか。業界人とか。スタッフとか。
まだ地下アイドルの域を出きっていないB小町だが、それでも今挙げた人たちとの交流があった。
「だからね、分かるんだー。男の人がどこを見てるのかは、ね?」
元成人男性である双子の片割れ――アクアマリンと名付けられた男児は、そっと目を逸らした。
覚えがあり過ぎる。後ろめた過ぎる。
しかし視線を逸らした先には、今生での妹の瞳。
絶対零度の双眸がそこには存在していた。
見ただけで凍り付きそうな瞳。
まるで前世で
「どんなに上手く隠しても、その目は嘘を吐けないんだよね?だからどこを見てるか分かったんだけど……」
――テンドーせんせは違った。
それはまさにそう。
ルビーが先程危惧したことであり、母からの追証明でもあった。
これには流石にアクアマリンも――アクアも同意である。
元々前世の自分と交流していた時でさえ、そういったことはほぼなかった。
ただ振り返ってみると、さりなが生きていた時は、そういった話をした記憶がある。
つまりそこから導き出されるのは、さりなの
「ショックだよねー?。これでも自信、あったんだけどさー」
ショックというには、あっけらかんと話す母。
だが一瞬。
一瞬だけその瞳の眩さに、影が差したようにも見えた。
あの存在と出会った当初、彼女は愛を知ることが出来るかもしれないと観察を始めた。
結果的に知ることが出来たのは、
アイの仮装という嘘を纏い。
作る物語は、妹が生きているという嘘で構成して。
そしてその生にさえも嘘を吐いて。
彼は今日も、生きているという嘘を吐き続ける。
それは妹への愛故に。
妹から与えられた
――何とかしてあげたい。
こんな
何とも言えない。
形容できない。
言語化できない。
だけどこの
あぁ、やっと分かった。
嘘じゃない感情を。
でも分からない。
だって知らないから。
だからこの名前も知らない感情をもっと知りたい。
きちんと分かりたい、理解したい――!
「流石にね、このままじゃアイドルの沽券に関わると思うのよ?」
でも自分は嘘を吐く。
アイドルは関係ない。
だけど分からないから。
だからそれっぽいことを言って煙に巻く。
「とりあえず、何からやれば良いかなー?」
そう言ってホワイトボードに、いくつかの作戦を書き出した。
・パンを咥えて、相手にぶつかる(相手はイチコロ)
・悩殺ポーズをとってみる(相手はメロメロ)
・赤ちゃんみたいに甘やかしてみる(相手はバブバブ)
――母よ。知識がいささか偏り過ぎているのでは?
双子はこれから猛攻に晒される美少女モドキの身を案じ、そして母のセンスから目を逸らした。
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とても励みになります!
推しの子アニメ第7話、最後のシーンでゾワッってなりました!
あかねなのに、「えっ!?アイの声……?」と錯覚してしまいそうな声色・演技。
テンドーもあんな感じで書けるようになりたいですねー(高望み)