ご注意ください。
「……先生。嘘だと言って下さいよ。嘘、ですよね……?」
「…………」
問われた言葉に対して何も言わず、ただそこに立つ男性。
白衣と悲壮感を身に纏い。
何かを噛み締めるように。
そして何かを堪えるように。
口を開けば、目の前の患者の兄を激高させてしまうと考えられるから。
「(僕は……医者だ。患者のことをご家族には話す義務がある。だが、だからと言ってこれは……!)」
これは死刑宣告だ。
読み上げるのが裁判官ではない、医師による死刑宣告。
そして読み上げられる側がその対象ではない、通常とはことなる死刑宣告。
目の前にいる患者の兄――兄だと思われる人物。
兄だったと思われる人間。
兄だったハズの人類。
その大きな瞳に大粒の涙を溜めた妖精っぽいナニカに、自分はこれから宣告をしなければならない。
この上なく残酷で。
この上なく残忍で。
きっと恨まれること間違いなしの、しかし一医師として―― 一人の人間として伝えなければならない大切な義務。
ならば言わなければならない。
どれ程恨まれようとも。
またどれ程己が苦しくとも。
意を決し、雨宮医師は口を開こうとした。
「先生!ウチの世界一可愛い妹が――さりなが、先生に告白したなんて嘘ですよね!???」
「……残念ながら事実です。もちろん妹さんには、16歳以上になったら考えると伝えましたが……」
「そんな、うそだウソだ嘘だ―――――!!」
この世の終わりだ。
地球最後の日だ。
天をも割かんとする絶望の雄叫びは。
その日、宮崎の地にて観測されたのだった。
「あ、天童寺さ――ん!!待って下さ――い!」
全力で逃走。
否。明後日の方向への逃避。
究極生命体シスコーンは、今日も今日とて絶好調である。
「(だから言いたくなかったんだよな……さりなちゃんが天童寺さんに言わなければ、こんなことにはならなかったのに)」
医者でも何でも、こんなことは言わずに済むのが一番だ。
面倒ごとは避けるに限るが、避けられないのなら誠実に立ち向かうしかない。
職業柄この手の話に慣れている若き医師は、心の中でため息を吐いた。
後刻。
ナースから「雨宮先生って、ロリコンで男の娘もイケるって聞いたんですけど……本当ですか?」と聞かれた時。
あれは自分への死刑宣告でもあったのか、と遅まきながら彼は悟ったのであった。
*
「まぁ?ウチのさりなは、宇宙一可愛いですから?先生が惚れちゃうのも分からなくはないですが……」
「全くの風評被害です。あと、いい加減女装止めて貰っても良いですか?天童寺さんがその格好だから、有らぬ疑いが加速するんですけど……」
病院の屋上で――横並びにベンチに座った状態で。
男たちの会話はひたすら平行線だった。
「……えっ?先生は、ウチのさりなが可愛くないとでも?」
お目目グルグル。
明らかに病んでる。
具体的にはヤンデレってる。
見目麗しい少女――のような顔で、その瞳は危険すぎる。
「違ーよ!どう転んでもダメージしかないじゃん。何この強制一択!?」
医師としての顔の下から、一人の人間としての顔が出ている。
もうこの患者のご家族様に遠慮は要らん。
というか遠慮していたら、自分が社会的に抹殺される。
雨宮吾郎は一医師としての仮面を、一旦横に置いておくことにした。
「というか、天童寺さん。ちゃんと寝てます?メイクで隠していますけど、明らかに調子悪いでしょう?」
「うーん。流石はお医者さん……バレてましたか」
舌を出して、悪びれた様子のテンドー。
だから己の性別は何なんだ。
多様性とか言う以前に、同じ人類としてカウントして良いのかも怪しい。
「一応、それで飯喰ってますからね。多分、さりなちゃんにもバレてますよ」
「あー、やっぱりか。まぁ、世界で一番可愛くて賢い妹ですからね。それは仕方ないですよ」
「結局そこに戻ってくるんですね」
「まあ、不変の原理ですから」
この性別詐欺にとっては、太陽が東から登ってくる位、当たり前のことなんだろうな。
そこまで好かれる家族がいるのは――少し羨ましい。
自らの人生と比較して、吾郎は心中でそう漏らした。
「先生」
「……何ですか」
今日は風が強い。
さっきまであった弛緩した空気は、あっと言う間に入れ替わっていた。
「さりなは――妹は今晩がヤマですか?」
冷たい空気が漂う。
雨宮吾郎は研修医だ。
まだ医師として活躍した――その仕事に従事した期間は短いと言って良いだろう。
未だにこの空気には慣れない。
慣れたくない。
だがこの後の長い人生を医師として歩むのであれば。
これは避けて通れないことなのだ。
自分にそう言い聞かせて、意を決してそれを告げる。
「…………はい」
「そう、ですか…………」
悲しさはある。
悔しさだって、もちろんある。
だけどこれは、避けて通ることが出来ない。
例え神になったとしても、回避することが出来ないことなのだ。
「(さりな……)」
どんな顔をして送り出せば良いのだろうか。
分からない。
分からない。
分かりたくない。
だがその瞬間は、刻一刻と迫っている。
色々と考えておいたのに。
いざとなると頭が真っ白で、何を考えられなくなってしまう。
行かなければ。
少しでもはやく。
僅かでも長く。
世界で一番可愛い妹と一緒の時間を過ごす為に。
――行きましょう。
そう言って立ち上がった、雨宮医師の後を追う為に。
*
穏やかな時間が流れている。
妹からのお願いが、いつも兄を困らせるお願いが。
終わらないで欲しいお願いが。
いつものように妹から兄に言い渡される。
「……良いかな、お兄ちゃん?」
「うん」
「私がいなくても、必ず毎月私の推しのライブ再現をするんだよ?」
「……うん」
「あと健康に気を遣ってよ?絶対早死にしたら許さないんだからね?」
「……分かってるよ」
「今度生まれ変わったら、お兄ちゃんのマンガ原作のドラマに出るから、ちゃんとキャスティングしておいてよ?」
「……もちろんだよ。世界で一番可愛くて、最強の妹なんだから。当然ヒロインの座は空けておくからね?」
「うん……ありがとう」
終わろうとしている。
一つの命が。
その灯が途絶えようとしている。
「お兄ちゃんってさ、ウザいくらいシスコンだよね」
「……ゴメンね」
「私さ。お兄ちゃん以外の家族には恵まれなかったけど……お兄ちゃんの妹で良かったよ」
「……ありがとう。お兄ちゃんも、さりなのお兄ちゃんで本当に、本当に……」
言葉にならない。
自分よりも辛くて泣きたい妹が耐えているのに。
どうして自分は耐えられないのだ。
「……もう。私が泣かせたみたいじゃない」
「……」
「お兄ちゃん。また生まれ変わっても、お兄ちゃんときょうだい……きょうだいで、良いのかな?そうなれたら、きっと楽しいだろうね」
「……うん。僕もそうなりたい。きっと楽しいよ。絶対楽しくさせるから」
「そうだね。私もそれが良いと思うな……」
音はない。
一切の音が消え失せたかのようだった。
「お兄ちゃん……ありがとう」
「さりな……こちらこそ、ありがとう」
兄に言うべきことは全て伝えた。
ここからは恋する乙女として、兄の横に座る医師に伝えたい。
「せんせぇ……これ、あげるよ」
渡されたのは――託されたのは【アイ無限恒久永遠推し!】とプリントされたキーホルダー。
数少ない、少女の外出の想い出。
体調の良い時に行けた推しのライブで手に入れた――大切な宝物。
「私だと思って、大事にしてね……」
「……分かった。ずっと大事にする」
握りしめる。
託された
視線を交わす。それを託した相手に。
「ずっとだ……」
力強い肯定。
その様子を見て、さりなは最後の力を振り絞った。
――せんせ、だぁいすき
自分の頬に向かって伸びてくる手。
吾郎はそれを振り払わず、優しく受け止める。
もうそれしか、自分に出来ることはないのだから。
――もし、生まれ変わっても、きっと……
星は巡る。
託す者と、託された者の思惑を載せて。
そして次の舞台の幕が開ける。
新たな演者がこの地に舞い降りる時。
その時再び――物語が動き出す。
今回は書いていて悲しくなりすぎた為、蛇足はなしです。