偽物の仮面と真実のアイ 作:ななち
お待たせしました! 精神安定剤です!
(|)<「実に興味深い……」
アイが斉藤家に帰宅したのは、19時を回る直前だった。
斉藤家のリビングでは、すでにアイの誕生日祝いのための準備が整っており、あとは主役を待つだけの状態だ。
その準備もあって「18時以降に帰ってこい」とメッセージを送った壱護も、流石に遅すぎないかと心配になっていた所で、ガチャリと扉が開く音と、ちょっと慌て気味の足音が聞こえてくる。
「ただいま! ごめん、遅くなっちゃった!」
そう言いながらリビングに入ってきたアイは、確かに慌てていたようで少し息が荒い。走ってきていたのか、少し額に浮かんだ汗がリビングの照明の光に反射した。
「遅かったな。何やってたんだ?」
「んーと、ショッピングしてたら迷子の男の子拾って、迷子センターに届けてた」
明瞭と返ってきた答えに、そりゃ仕方ねぇなと壱護は頷く。危ない事やトラブルに巻き込まれていた訳ではないと知って、内心ホッとしていた。
「ホントはすぐ帰ってくるつもりだったんだけどさ、迷子センターのお兄さんが"B小町"のファンだっていうし、男の子も寂しそうにしてたからさー。
お母さん来るまで付き合っちゃったよ。あ、マナト! 今日のご飯何?」
「────ビーフシチューとバケットですよ。デザートにケーキも用意してあります」
キッチンで料理の仕込みをしていたマナトがそう返すと、アイも「やった!」と喜ぶ。
その光景は、何もおかしくない。何もおかしくないのだが。
────…………?
違和感。壱護が感じ取った、息を吐けば吹き飛んでしまいそうなぐらいに小さな、埃程度の感覚。
アイの様子はいつも通りだ。普段と何ら変わりがない。言動がおかしいとか、実は体調が悪そうだ、とか。そんな事は一切ない。ないはず、なのだが。
どうにも言語化できない違和感が、壱護の眉を顰めさせる。
「あ、っていうか私着替えなきゃ。マナト―、家入るからねー!」
「はい、どうぞ」
またもや慌ただしく、バタバタと家を出ていくアイ。同じ階層にあるマナトの家に向かったのだろう。住民票に記載されている住所こそ斉藤夫妻の家であるアイだが、私物も含めた実際の居住はマナトの家だ。合鍵もいつの間にか作ってる。
壱護は、どうにも拭えない違和感に、ふとキッチンにいるマナトへ視線を向ける。もし、アイに何かしらの異変があるなら、真っ先に気付くはずだ、と。
その本人であるマナトは、味見皿にシチューを一口分垂らし、そのまま口に含める。満足のいく出来だったのか、目を細めて頷くマナトを見て、気のせいだったかと、その違和感を捨て去ろうとしたところで。
「斉藤社長」
やけに耳に通るマナトの声に、もう一度壱護がキッチンへ視線を向ける。透き通る蒼の瞳が、壱護に向けられていた。
「……私に任せてください」
「……なんかあったんだな?」
たったの一言。ただそれだけだが、壱護にはマナトが言いたい事が分かった。そして、その言葉が意味する事も。
壱護が気付くような違和感なのだ。マナトが気付かないはずがない。小さく頷いたマナトに、壱護は少しだけ眉間を抑える。せっかくの誕生日だってのに、と。
そう、今日はアイの誕生日なのだ。そして、アイはその誕生日を楽しみにしている。毎年、彼女は時期が近づくと少しソワソワしたり、浮ついた様子を見せるのだ。
……アイは噓をつくのが得意だ。それは幼少期の虐待からくるトラウマから身に着けた技能で、本人すらも時にコントロールできてない事がある。
だが、それと同時に、アイは嘘をつきたくないとも思っている。嘘をつきたくない、でも嘘をつく心身の防衛術が備わっている矛盾した存在。
そして、その嘘は普段から親しい人間にとっては、見抜く事こそ難しいが、確かな違和感として感じられる事がある。今回はそれだった。
────
やっと言語化できた違和感。そして、そこまで分かればアイの思惑もわかる。
……自分のせいで、楽しい時間を終わらせたくない。そんなところだろう、と壱護はあたりを付けて──それは、実際にあたっていた。
いつしか壱護が話していた"誰かを幸せにする嘘"。"優しい嘘"を、実践していた。
「……あーったく」
天井を向いて、ため息をつく。どうしようもない。仮に壱護がその嘘を暴こうとしても、彼女は余計に嘘で自分を固めて身を守ってしまう。そうなれば、最終的に傷つくのはアイ自身だ。
だから──頼るしかない。唯一、アイが心身ともに委ねられる、そんな存在に。大人としては、クソ情けないと自嘲しながら。
「……任せた、マナト」
「はい」
ガチャリ、と音がする。バタバタと慌ただしく足音が聞こえてくる。
今は、この嘘に付き合おう。そう決意した壱護が、「16歳の誕生日おめでとう」を言うためのシャンメリーの封を切った。
★
誕生日会は、開始こそ遅かったが、つつがなく進んだ。マナトの作ったビーフシチューに舌鼓を打ち。ケーキに立てられた16本の蝋燭を一息で吹き消し。シャンメリーで乾杯し、プレゼントを渡した。
斉藤夫妻は最新のコスメをプレゼントし、マナトは小さなラピスラズリのネックレスを。それを受け取ったアイは、普段通りに喜んでいた。
その後、誕生日会がお開きになり、簡単な後片付けをしたマナトとアイは、帰路についていた。とは言っても、同じマンションの同階層だ。せいぜい数十メートルほどしか離れていない。
鍵を開け、扉を開く。先ほどまでの誕生日会での快活さはどこにいったのか、と思うほどに俯いたアイは、無言でマナトの家に入った。それに続いてマナトが家に入り、しっかりと施錠をしたところで。
とんっ、と。マナトの背中に軽い衝撃が走った。
「……アイさん」
「…………」
振り返らずともわかる。アイが、マナトの背中に縋りつくように、手を、頭を当てている。
「……何が、あったんですか?」
「…………」
アイは、答えない。だが返答の代わりと言わんばかりに、ぐりぐりと頭を背に押し付けてくる。
息が震えていた。肩が震えていた。手が震えていた。寒さにこらえるように、アイは震えていた。
「…………寒いよ」
「…………」
「…………寒い。マナト、寒いよ…………」
言葉通りの意味ではないだろう。気温や体温の話などでは決してない。
──心だ。心が、ひたすらに凍てついている。
振り返ったマナトが、そっとアイを抱きしめる。マナトの腕の中にすっぽりと納まったアイは、その温かさを享受するように、眼を瞑って心身の全てを預けている。
アイの胸中に、じんわりと温かさが広がってくる。求めていた優しさ。愛。凍てついた心が溶け出し、穴だらけになっていた感情が満たされていく。
もっと。もっと欲しい。もっと満たして、もっと愛して。そんな声なき声が、アイから伝わってくるようだった。
だから、マナトはその望みを叶えるために動く。
「……お風呂、入れますよ。一緒に、入りましょうか」
「……うん」
壱護に禁止させられてからは、一度も一緒には入っていなかった。だけど、この家はマナトの家で、誰も彼らを止める人はいない。
自動給湯装置が、湯舟を作るまでの間。二人は、ソファの上で何をするわけでもなく──ただ、お互いの熱を感じ取れるように。強く、強く──抱きしめあっていた。
次回、入浴シーン書きます。