偽物の仮面と真実のアイ   作:ななち

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時系列がいきなり飛びますが、過去話です。

脳内の黎明卿が

(|)<「慈しみあう心が、人を家族たらしめるのです」

と囁いてくるので書きました。よろしくお願いします。


☆2話

 

 

 割れる音がきらいだ。お母さんに投げつけられたコップが割れて、破片が耳を掠めたから。血がいっぱい出て、服を汚しちゃって怒られた。

 

 靴音がきらいだ。お母さんが帰ってくる時は、決まって叩かれたり蹴られたりするから。お風呂に入るときは、いつもアザが体中に浮かんでた。

 

 白いご飯がきらいだ。割れたコップの破片が入っていて、口の中を切ったから。痛くて泣いたら、もっと怒られた。だから泣かなくなった。

 

 夜がきらいだ。物音を立てたら、お母さんが怒るから。いつからか、息を殺す事ばかり考えて、寝ようとしても寝れなくなってた。

 

 

 でも、それでも。私は平気だった。だって。

 

 

「ああ、ごめんねアイ……お母さん、こんな事するつもりじゃなかったの……貴方の事、ちゃんと『愛』しているのよ……」

 

 

 怒鳴った後も、叩いた後も、蹴った後も。お母さんは『愛』していると言ってくれるから。

 痛いし苦しいけど、それも『愛』なんだって思えるから。

 

 

「どうしてよ……私だけを『愛』しているんじゃなかったの……?」

 

 

 私を怒った後、お母さんは決まってお酒を飲む。飲みながら、お父さんの事を話してくれる。

 

 お父さんは結婚していた人がいたけど、お母さんの事を『愛』していたんだ、って。

 だから、お母さんはいつもお父さんが来てくれるのを待っているんだって。

 

 私は、お父さんの事を覚えていない。物心つく頃には、お父さんは家には来なくなっていた。

 でも、いつかきっと来てくれる。お母さんが私を『愛』しているように、お父さんがお母さんを『愛』しているなら。迎えに来ないはずが、ないから。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 お母さんが帰ってこなくなった。一日、二日と帰ってこなくて、冷蔵庫の中には何もなくて。お腹と背中がくっつきそうなぐらいにお腹が減って、喉がからからで。もう何もする気力が起きなくて。

 このまま死んじゃうのかな、なんて思いながら天井をボーっと眺めていたら、たくさんの大人が家に入ってきた。

 

 青い服に、青い帽子。それが警察だったんだって分かる頃には、私は病院にいた。

 白い天井。綺麗なベッド。お薬の匂い。どれも今まで感じた事の無かった匂いで、鼻がひん曲がりそうだった。

 腕に刺さってた管が気持ち悪くて、勝手に抜いちゃった時は「自分から死のうとするな」ってすごい怒られた。そのあと、土下座する勢いで謝られた時は「何をしてるんだろうこの人」って思っちゃったよ。

 

 その後、警察の人がやってきて、お母さんが捕まった事を教えてくれた。窃盗って言われて、よく分からなくて。人の物を盗んだんだって言われても、何でそれが悪いのか分からなくて。えらい人がそういうルールにしているんだ、と言われてようやくわかった。

 そうだよね、えらい人が悪いって言ったら悪いよね。私もお母さんに叩かれたり、蹴られたりしてる時に「お前が悪い」って言われてるもん。

 

 お母さんが帰ってこれないから、じどーよーごしせつって所に預けられるんだって、警察の人は言った。後から分かったけど、児童養護施設の事だったんだね。

 

 久しぶりにご飯が食べられた。おもゆ? っていうのは、白いご飯を思い出しちゃって食べられなかったけど。

 久しぶりに静かに、息を殺さないで夜を過ごせた。眠れなかったけど。今思えば、個室だったから遠慮する必要なかったなぁ。

 

 そうやって何日間か病院で過ごして。退院するときに、警察の人に児童養護施設へ連れていかれた。

 お母さんが迎えに来るまでの間だからって言われて、どれぐらいになるんだろうって考えてたら。

 

 

「アナタが、新しい子ですか?」

 

 

 私は、出会ったんだ。

 

 

「初めまして。私は"宵谷マナト"と言います。よろしくお願いしますね、星野さん」

 

 

 気持ち悪いぐらい、笑顔の仮面が貼り付けられた人に。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 "宵谷マナト"という名前は、私にしては珍しく簡単に覚えられた。

 怒られたり、叩かれたりしたくなくて、いつも周りの人の表情や動き、顔色を見てたから、人の名前とか顔を覚えている余裕が無くて。私の記憶は首から上はモヤモヤしてる映像ばかりだったのに。

 

 施設に入ったばかりの私を、マナトが気に掛けていたのは「年が近くて面倒見が良いから、スタッフさんに頼まれた」のが理由らしい。聞いたら2つぐらい年上だった。

 

 確かに、面倒見は良かったと思う。ちょっと良すぎるぐらい。本当に年が近いのか、って思うぐらい大人びてるし。

 私と同じぐらいの小さい子の面倒を見てあげてたり、スタッフさんのお手伝いを積極的にやってたり。まるで皆がやってほしい事が分かってるみたいに、気付いたらやってる。

 

 でも。

 

 

「白いご飯が苦手なんですか?」

 

 

 お茶碗に盛られたご飯に対して、箸が少し止まってただけで見抜かれたのは、流石に怖かった。全然気付かない内に隣に座ってて、思わず悲鳴を上げそうになったのを覚えてる。

 ……ご飯を食べている時に声を出しちゃうと、お母さんに怒られるから、そこは必死に我慢したけど。

 

 

「じゃあ、私のパンと交換しましょう。大丈夫、()()()()()()()()()()

 

 

 苦手な理由まで見抜かれた時は、背中がぞわぞわした。一体どういう目してるんだろう。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 警察の人がまたやってきた。お母さんが迎えに来るには、一年ぐらい掛かるかもって教えてくれた。

 長いな、と思ったけど、待つのはしんどくない。だってお母さんは私を『愛』してるから。『愛』してるから、絶対に迎えに来てくれる。そう思えば、何時までも待てる気がした。

 

 施設に入って一カ月が経った。

 私は全然、施設の人達と馴染めてなかったけど、マナトがいつも隣にいた。監視されてるみたいで、ちょっと気持ち悪かった。

 

 二カ月が経った。

 夜眠れてない事を見抜かれて、マナトから耳栓とアイマスクをプレゼントされた。全然効かないって言ったら、ちょっと落ち込んでた。

 

 三カ月が経った。

 全然叩かれたり蹴られたりしないから、体のアザがどんどん消えていった。お母さんが『愛』してくれた証が消えていくみたいで、悲しかった。

 

 四カ月が経った。

 五カ月が経った。

 季節が半分巡った。

 

 その頃には、私も多少なり施設の人達と馴染めていたように思う。どれもこれも、マナトが間に入っていたけど。

 正直、不気味だった。なんで『愛』してもない人に、そこまで出来るんだろう。疑問がふつふつと湧いてきて、気付いたら本人に聞いていた。

 

 

「私は皆を『愛』していますよ」

 

 

 返ってきたのはそんな答えだった。言葉自体は後から知ったけど、博愛主義者。

 ……嘘だと思った。『愛』はそんな、皆に与えられるモノじゃないんだって思った。『愛』は痛くて、苦しくて、それでも求めてしまうモノで──マナトがくれる『愛』は、偽物としか思えなかった。

 

 距離を置こうとして、置けなかった。いつの間にか隣にいた。私は耳も鼻も、目だって良いはずなのに全然気付けなかった。

 ……だんだんと、隣にいるのが当たり前に感じてた。呼べば来てくれるし、何か頼めば絶対にやってくれるから。

 

 

 

 

 そんな時だった。施設の人が、裏庭で話しているのを、少しだけ開いていた窓ガラス越しに聞いたのは。

 

 

「星野さんのお母さん、出所したんだって?」

 

 

 心臓が跳ね上がった感じがした。何も悪い事をしていないはずなのに、思わず隠れるようにしゃがむ。

 物音を少し立ててしまったけど、施設の人は気付かなかったみたいで、噂話を続けていた。

 

 

「ええ、でも……全然連絡がつかなくて。携帯電話にも出られないし……もう、出所してから一週間も経ってるんですよ?」

 

 

 聞きたくない。でも、無駄にいろんな音が聞こえる耳は、私が嫌がっても音を拾い上げる。

 耳を塞ごうとした。でも、お母さんの話をしているのだと思うと、それも出来なかった。

 

 

「んー……こう言うのは、あんまり言いたくないが……」

 

 

 やめて。言わないで。お母さんは絶対に迎えに来るんだ。だって私を『愛』してるって言ってくれたんだから。『愛』してるなら――絶対迎えに来るはずだから。

 

 

 

 

 

 

「捨てられたのかもな、あの子」

 

 

 

 

 

 ──気付いた時には、私は施設を飛び出していた。

 

 

 

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