偽物の仮面と真実のアイ 作:ななち
その要領で思いついたのが「君は完璧で究極のアイドルではない!このディオだ!」ってネタで。なんか疲れてんだなって思いました。
あ、ちなみに「君は完璧で究極の愛です。愛ですよ」は発見しました。やっぱり考える人いた。
その日、苺プロダクションの事務所は剣呑な雰囲気に包まれていた。
鴉の鳴く夕暮れを過ぎ、宵闇が世界を覆った時間。所属するタレントやスタッフはもう帰路につき、残っているのはマナトとアイ、社長である壱護と妻であるミヤコだけ。
この4人は、戸籍上は家族だ。別に事務所に残っていても、何らおかしくはない──が、その間に流れている雰囲気は、とても安穏とは言い難い。
それは何故か。壱護がマナトの胸倉を掴んで、詰め寄っているからだ。
「……もう一度聞くぞ。今、なんつった」
「ッ……アイさんを、妊娠させました」
壱護の表情に浮かび上がっているのは、怒りだ。サングラス越しの眼光が鋭くマナトを捉え、胸倉を掴んだ指先の力強さから、怒気が伝わってくる。声色は地を這うような低さで、今まで感じた事のないくらいの冷たさが宿っていた。
ガチン、と。壱護の嚙み合わなかった歯が音を立てる。ギリギリと鳴る音と一緒に、その肩は噴火前の火山のように細かく震え始める。腹の底に溜まった怒りが、怒号と共に吐き出された。
「この……馬鹿がッ!!」
「──ッ!!」
憤りのままに突き飛ばされたマナトが、尻もちをつく形で倒れこむ。顔を殴ったり、張り倒したりしなかったのは、芸能プロダクションの社長として、タレントの顔が商品的価値を持っている事を理解しているからだ。だが、それでも一瞬殴りそうになったぐらいには──壱護の理性は飛びかけていた。
「マナトッ!」
「社長、落ち着いて……!」
突き飛ばされたマナトに駆け寄るアイ。怒りのおさまらぬ様子の壱護を、ミヤコが止めようとする。だが、壱護は更に声を張り上げる事になる。落ち着いてなどいられるものか、と。
「落ち着いていられるかっ!! この馬鹿共……何やったか、分かってんのか!? 未成年のアイドルが妊娠! しかも孕ませたのは同じ事務所のタレントだぁ!? 小火どころじゃねぇ、全員燃やしかねねぇ大火事だぞ!!」
「分かっています……それでも、私は──「いーや、何も分かっちゃいねぇ!!」──ッ!」
マナトの反論を、壱護が遮る。この場において、もっとも最年長は壱護だ。酸いも甘いも知る、最も経験を積んだ"大人"。
壱護は"社長"だ。このプロダクションに所属する全てのタレント、スタッフに対する責任を背負っている。もし、マナトがアイを妊娠させた事が世間にバレようものなら、監督責任やバッシングで瞬く間に苺プロダクションは廃業となるだろう。そうなれば、タレントやスタッフも職を失い、場合によっては路頭に迷う羽目になるかもしれない。その事をアイとマナトは理解していない。理解できない。どれだけ大人びようが、まだ"子供"だからだ。
怒りに任せて叫んで酸欠気味になったのか、壱護がふらつきながらソファに座り込む。荒い息を繰り返し、肺から脳に酸素を補給して、つばを飲み込んでようやく一息つく。
……妊娠させたのは、良い。百歩どころか万歩譲って、良い。壱護だって、アイとマナトを見ていれば、遅かれ早かれこうなっていただろう、という事は想像がついてた。"家族"と言いながらも、その距離感は"恋人"のソレで、互いに依存しあってる、共依存の関係。どれだけ壱護やミヤコが親子として接しても、アイは大人への不信感を拭えておらず、マナトは望まれたままに生きる癖が抜けきらない。だから、この二人は、二人の世界で閉じてしまう。極論を言ってしまえば、互いがいれば他に誰もいらないからだ。
そんな事は分かっていた。それでもいつかは、時間が解決してくれると信じていた。だが、それよりも前に。
「お前ら……まだ若いんだぞ……16と18だろ……生き急ぐ必要なんて、どこにもありゃしねぇじゃねぇか……!」
壱護の声に込められていたのは、悔しさだった。社会的責任も取れぬ若輩者が、未熟な身体で命を宿し、産むのがどれだけリスキーか。不妊治療で知識を蓄えているからこそ分かる、危険性。若気の至りだ、と言えばそれまでだろう。実際、アイもマナトもお互いしか見えていなかったからこそ、こうなったのだ。だが、二人に──その決断をさせてしまうぐらいに、頼られていなかった自分に、怒りと悔しさを覚える。
静寂が、事務所の中を包む。無言の圧力となった静けさは、マナトの肩に重く伸し掛かっていた。
無論、後悔などしていない。マナトは自分の意志で、アイを『愛』して、その結果こうなった。その事に後悔など一つもない──が。"責任"という言葉を軽々しく使い、彼女を危険に晒したのではないか、という自責の念が、心に突き刺さっている。
「…………アイ」
「っ……うん」
壱護の静かな呼びかけに、アイが肩を震わせる。今思えば、壱護がこうやって本気で怒った所を見るのは、引き取られてから初めてだった。サングラスを外した壱護の視線が、アイに向かう。責めるような視線ではなかった。ただ、虚偽や取り繕った言葉を許さない、と告げるような真っ直ぐで力強い視線。
「産みたいのか」
「……っ」
短く問いかけられた言葉に、喉が詰まる。場や状況に合わせた、取り繕った"嘘"が出かかり、喉元に張り付いた。
……アイは『愛』が分からない。母親に捨てられた幼い自分が、心の中に巣食って『愛』を曖昧にする。母親から与えられた『愛』が嘘だったのならば。マナトが自分に与える『愛』が嘘じゃないって保証はどこにある。ファンの皆から与えられる『愛』が嘘じゃないって保証はどこにある。
────アナタが与える『愛』が、嘘じゃないって保証はあるの?
悪魔の証明。嘘じゃないって言いきれないなら、それは本当じゃない。
嘘は嫌いだ。人を幸せにする嘘があるって言われても、どうせだったら本当の事を言いたい。だから、ファンの皆にも、B小町の皆にも本心で接することが出来るように頑張っていた。時折、癖で無意識に吐き出してしまう嘘に自己嫌悪もした。それでも──『愛』だけは、分からなかった。どれだけ頑張っても、どれだけ『愛』を注がれても、アイは自分の吐き出す『愛』が嘘にしか思えなかった。
「…………たい」
でも、それでも。この時だけは。嘘だけは吐いちゃいけないんだ、と。呼吸が浅くなって、顔が青白くなるぐらいに怖くても。アイは──震える声でその言葉を紡ぎ出した。
「……産みたい……産みたい、産みたい! 産んで……『愛』してあげたい……!」
きっと、アイ自身も気付いていなかった。その言葉のどこにも"嘘"は含まれていなかった事に。
壱護が、その言葉を聞いて項垂れる。こうなれば、地獄まで付き合うしかないのだ、と。濁っていた覚悟が、透き通ってはっきりとしていく。「そうか」と、短く返して、少しの沈黙が続いた。そしてその沈黙を破ったのも、また壱護だった。
「……良い病院探しといてやる」
「「……!」」
アイとマナトが驚くのを横目に、緩慢な動きで壱護はソファから立ち上がった。「外の空気吸ってくる」、と。いつもより元気のない声で小さく告げて、事務所を出ようとする。それを「社長」と短く呼び止めたのは、マナトだった。事務所を出ようとしていた足が、止まる。マナトとアイの視線が、少しだけしょぼくれた様に見える壱護の背中に向かった。
「……ありがとうございます」
「……ありがとう、
「……けっ」
やっと覚えやがったか、と。小さく呟いてドアを開く。ドアの閉まる直前に見えた背中が、アイとマナト──二人の古い記憶の残骸の中に僅かに残っていた、父親の背中に見えた。
★
都会の夜は、明るい。人類の発展の為に、夜を克服した街は何時でも明るい灯に包まれていて、どれだけ空が澄んでいようとも星が見えない。事務所の入ったビルの屋上で、壱護は夜空を眺めて黄昏ていた。タバコは吸わない。ミヤコとの結婚を機に禁煙した。だから、少しだけ肌寒くなってきた夜の空気に溶けるように、火照った身体の熱を吐き出す。
……アイをスカウトした日の事を思い出す。己の夢である"自分が育てたアイドルがドームへ行くのを見てみたい"という欲望。この淀んだ都会の空と同じ、芸能界という世界で輝ける一番星。街中で一目見た瞬間に、壱護は確信した。この少女こそ、俺が導き育て、夢を叶えてくれる
……そうだ、星だ。一番最初のスカウトの時は、壱護はアイを星としてしか見ていなかった。だから、甘言を駆使して、嘘と『愛』に怯える少女を巧みに誘導して、アイドルという道に進ませようとした。断られた時は、どうしても逃がしたくなくて強引に名刺を渡した。そうして二度目のスカウトで成功した時は、内心では狂喜乱舞していた。マナトという、アイドルになる条件として提示された少年も、アイの輝きに比べれば大した負債にならない、とリスクリターンを計算していた。むしろ、ついでに売れてくれれば夢への早道になるかもしれない、とすら思っていた。
初めは、そうだった。
アイとマナトを引き取って、後見人として育て始めて。そうして、ようやく気付く。アイという"星"ではなく、マナトを通してアイを見た。見てしまった。
アイは、弱音をマナトに吐き出していた。アイは、嘘が嫌いだった。アイは、『愛』が分からなかった。アイは、苦しんでいた。アイは──"人"だった。幼く、弱い少女だった。一度自覚してしまえば、もう戻る事はない。折り目がついた鉄板は、溶かして再形成しない限り元には戻れない。壱護は、アイという少女を"人"として見てしまった。
……後悔した。芸能界という、子供達の心と人生を壊しながら回る世界に引きずりこんだ事を。それでも──憧れは、止められない。手が届くと分かった夢に、手を伸ばさずにはいられない。だから、方針を変えた。アイやマナト、B小町の少女達を夢へと向かうための"道具"として見るのではなく、一緒に夢を目指してくれる"宝"として見るようになった。
個々人の実力に差が生まれていたB小町の面々を、別の視点から育てようとした。結果的に、アイとその他大勢だったアイドルグループは、それぞれの個性が出た"B小町"として輝けるようになった。
タレント達を"宝"として大事に扱い、安売りはしないようにした。高値の付く宝石があるのに、それを二束三文で売るのは馬鹿だと思ったからだ。
軋轢が生まれそうになれば、積極的に介入した。ミヤコやマナトの力を借りながら、少しでも事務所内での不和を減らそうとした。
順調に回っていた。夢への道を、一歩一歩着実に歩めている実感があった──の、矢先にこれだ。大人として力不足だったか、と落ち込む気持ちと、それはそれとして何やらかしてんだよクソ共、という気持ちが混ざり合っている。
「はぁ…………」
フェンスに寄り掛かりながら、地の底まで響きそうなため息をつく。考えなきゃいけない事が山積みだ。出産するなら、"B小町"としての活動は無理。長期休暇を挟むしかない。"B小町"の他の面々は、個人名義の仕事も増えてきてるから、そこまで心配はしなくてもいい。稼ぎ頭が抜ける事には変わりないが、それでも何とかなる。マナトの役者としての知名度も上がってきており、最近はキャスティングのオファーも増えてきた。
……子供が生まれたら生まれたで、その世話はどうするのか。戸籍は? 養育費は? そもそも、アイはまだ高校生だった。中退するのか、あるいは休学するのか。多分、中退だろう。最終学歴が中卒かよ、と嘆きが止まらない。
ガチャリ、と音を立てて屋上のドアが開かれる。壱護が振り返ると、そこにいたのは妻のミヤコだ。少し疲れた表情を見せながら、薄着な事もあって肌寒い空気に身を震わせていた。彼女がここに来たという事は、多分二人は帰ったのだろう、と思いつつも。一応その辺を聞く。
「二人は?」
「帰らせました。マナトくんがいるから大丈夫だと思います」
「そうか」
予想通りの返事に、空へ向き直す。相変わらず星は見えない。ミヤコが、壱護と同じようにフェンスに寄り掛かる。
「良いんですか? バレたら終わりの、核爆弾みたいな不祥事ですよ」
「……ビジネスの面から見れば、堕ろせってのが正解なんだろうけどよ」
芸能界は、甘い夢の世界ではない。クリエイティブなアートで成立する世界ではない。裏で多額の金が動く、ビジネスの世界だ。その金の動く主な要因はイメージブランド。どれだけタレントという商品に付加価値を持たせれるかが鍵となる。その点で見れば、16歳で妊娠して出産して母になる、18歳で16歳孕ませて父になる──なんてのは、どう考えたってイメージを損なう。
で、あれば、取れる選択肢なんて決まってくる。一時の気の迷いだった、と自分を誤魔化して中絶させた方が、イメージも傷付かず、将来も安定するだろう。だが──
────……それでも、私は──!
────……産みたい。『愛』してあげたい──!
二人を見て、嬉しくなってしまったのだ。過ぎた行動なのは間違いないが、それでも。子供は、見知らぬ所で成長するんだな、と。壱護は、内心嬉しくなってしまった。なら、もう壱護が取る行動は決まっている。
──
「…………俺が、支える。あの二人をな」
「……私もです。二人で、支えましょう」
夜闇に溶けた言葉。二人の頭上には、目も眩むほどの輝きを放つ一番星が、煌めいていた。
★
翌日。小鳥のさえずる、すがすがしい朝。斉藤家のリビングテーブルの上には、一つの書類が置かれていた。少し格式ばった様式で作成された、壱護にとっても見覚えのある書類。
夫になる人。"宵谷マナト"。
妻になる人。"星野アイ"。
まごうことなき、婚姻届だった。
「……なんだこりゃ」
寝起きで寝惚けてんのかな、と眉間を揉む壱護。対面に座っているマナトとアイは、何を言ってるんだろうと首を傾げた。
「なにって」
「「婚姻届
「…………おう…………」
それは、知ってる。見れば分かる。問題はそこではなく、なぜそれを壱護の前に差し出しているのか。あと、婚姻する気満々なのはなんでだ、という点。ああ、頭が痛い。
「……なんで持ってきた」
「なんでって」
「「未成年は親権者の了承がないと婚姻できないから
「なんだ? 練習でもしてたのか? あ?」
異口同音。一切乱れることのないセリフの読み上げ。からかってんのかお前ら、と朝は低血圧気味のはずの壱護の血圧が上昇する。憤死はしないけど血管が切れる。実際、少しのからかいは入っていたようで。快活に笑うアイと、微笑を浮かべているマナト。あと、一番爆笑してるのは隣のミヤコである。昨日、あんなにカッコよく決めてたのに……! と大爆笑だ。小さく零された壱護の「うるせぇよ……」という言葉がさらにツボに嵌ったのだろう。しばらく笑いが収まりそうになかった。
ひとしきり笑ったミヤコの脇腹痛が収まった所で、マナトは表情を引き締める。眼には、真剣な色が宿っていた。
「これも、私の責任の取り方の一つです。私は、名実ともにアイさんと"家族"になりたい」
冗談も、からかいも一切混じっていない声色。考えて、考え抜いたうえでの結論。それを聞いた壱護は数度唸りながら首を回したり、頭を抱えたりして。最終的には、諦めたようなため息をついた。こんな表情見せられたら、反対なんぞ出来るわけがない。
「……同意書でもなんでも書いてやるよ、はぁ……ったく、デカくなりやがって……」
「……成長期は過ぎてますよ」
「分かってるっての……なら、後はこっちだな」
壱護が立ち上がり、リビングに設置されている戸棚へと歩いていく。その内の一つを開くと、中から冊子のようなものを取り出して、机の上に広げた。以前、マナトが見た、不妊治療で実績のある病院のパンフレットをまとめたもの。アイは初見だったからか、少し意外そうな表情を浮かべて冊子を見ていた。席に座りなおした壱護が、指でそれを差す。
「選べ。どこも信用できる」
壱護の言葉に、アイが冊子を手に取る。パンフレットを手に取り、並べて内容を見てみたりするが──正直、アイには病院の良し悪しなんて分からない。だから、こういう時は直感に従う方がいいよねーと。あとはまぁ、行ったことのない所がいいな、という旅行気分を乗せて、アイが選んだ病院は。
「んーじゃあ、これ」
日本の西端。九州地方、自然豊かな地方都市。宮崎県の、小さな総合病院だった。
デロデロに甘やかすのはマナトだけではない……この世界だ!
最近はキタニタツヤのプラネテスをリピートしながら書いてます。