偽物の仮面と真実のアイ   作:ななち

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(|)<「これ以上、情緒を壊されては困ります……月に触れる(ファーカレス)


 待ってください、黎明卿。私の脳内で暴れないで。お願いだから。

 よろしくお願いします。


☆3話

 

 施設を飛び出した後の事は、よく覚えていない。元々学校と施設の間を行き来するだけだった私に、土地勘なんてあるわけがなくて。いつの間にか見知らぬ風景の街中を、ただただ走っていた。

 胸が苦しい。脇腹が痛い。心臓の鼓動が耳に響いてうるさい。汗がぼたぼたと零れて、前髪が顔に張り付いている。でも、止まれなかった。

 

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

 

 どれぐらい走ったんだろう。道を歩いていた人たちが、私を変な目で見てくる。ああ、そういえば部屋着のまま飛び出してきたんだった。そんな事にも気付かないぐらい、私は焦っていたんだ。

 

 

 ────捨てられたのかもな。

 

 

 違う。嘘をつくな。お母さんは絶対に迎えに来てくれる。だって私を『愛』してるって言ってくれたんだから。お母さんはおっちょこちょいだから、道に迷ってるだけなんだ。

 

 

 ────捨てられたんだよ。

 

 

 違う。違う。嘘だ。私の声で、私を否定しないで。だって、ほら。

 

 見つけた。私と同じ黒い髪で、お母さんと同じコートを着ていて。後ろ姿しか見えないけど、背格好も体格も髪の長さも、お母さんだ。

 

 

「いた……お母さんっ!」

「きゃっ!?」

 

 

 お母さんに思いっきり後ろから抱き着いた。でも、聞こえた声はお母さんじゃなかった。

 

 

「いたた、一体何……ってキミ、どうしたの!? ボロボロじゃない!」

「…………え?」

 

 

 抱き着いた人は、お母さんじゃなかった。声が違う。顔も……違う。こんな表情、お母さんはしない。『愛』しているって言ってくれたお母さんとは、全く似てない。

 間違えた。間違えちゃった。また、お母さんに怒られちゃう。

 

 

「っ!」

「あ、ちょっと、キミ!」

 

 

 逃げ出した。恥ずかしい。知らない人を、お母さんと間違えるなんて。お母さんはもっと──もっと? 

 

 

 

「………………あれ?」

 

 

 

 …………お母さんって、どんな顔してたんだっけ。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 いつの間にか、雨が降っていた。鼓動は高鳴っているのに、息は熱いのに、打ち付けてくる雨が冷たくて、寒い。

 お母さんはいなかった。どれだけ探しても、どれだけ走っても、どれだけ呼びかけても。返ってくる声は無かったし、迎えにも来てくれなかった。

 

 私、今どこにいるんだろう。あてもなく走って、履いていたスリッパは脱げちゃって、途中から裸足でアスファルトの上を走ってた。きっと、足の裏は真っ赤になってるんだろう。

 

 ……痛い。痛い。何度も転んだから、手の平も、膝も、腕も擦り傷だらけだ。一歩一歩、歩くたびに頭にまで響くような痛みが、足裏から伝わってくる。

 

 

「あ…………」

 

 

 ……気付いたら、公園にいた。雨水が砂場に溜まって、茶色い水の海になってる。錆びついたブランコ、あまり手入れされていないシーソー。

 どこか、懐かしい気がした。そうだ、ここは──。

 

 

「……お母さんと、遊んだ場所」

 

 

 お母さんだって、はじめから私を叩いたり蹴ったりしていたわけじゃない。遊んでくれる事もあった。頭を撫でてくれる事もあった。確かに、私は『愛』されていたんだ。

 でも、私は──もう、お母さんの顔すら、思い出せなくなってる。

 

 膝をついた。足元にあった水たまりが跳ねて、泥水が顔に散った。もう、何もする気力も起きなかった。空を見上げた。曇り空から、シャワーみたいに雨が降り注いでいる……これなら、泣いたって分からないかな。

 

 

「私……捨てられたんだ」

 

 

 言葉に乗せると、実感が湧いてくる。走った苦しさじゃない。足をくじいた痛みでもない。きゅっと、胸が締め付けられる感じがした。苦しい。目の奥から、じんわりと熱い何かがこみ上げてくる。

 お母さんは、私を迎えにこない。私を『愛』してなんかいなかった。全部嘘だった。私は────独りなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、やっと見つけました。大丈夫ですか、星野さん」

「……………………え?」

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 顔に降り注いでた雨水が無くなった。代わりに、ぼやけた布のような何かが、パタパタと雨水を弾いてるのが分かった。

 ビニール傘を差し出されている。柄を掴んでいるのは、私と変わらないぐらい細い腕で。

 

 

「……マナト?」

「はい、マナトです……ずぶ濡れじゃないですか。風邪、引いてしまいますよ」

「……なんで?」

 

 

 その問いは、無意識だったと思う。少しだけ息を切らしながら、心配そうな表情でこちらを見てくる彼に、胸の底から湧いた疑問をぶつけた。

 

 

「なんで、とは?」

「……なんで、ここに?」

「ああ……施設のスタッフさん達が慌てていたので、何かあったんだと思いまして。聞き出したら、アナタが施設を飛び出していった、と……だから、探しに来ました」

「……なんで?」

 

 

 私が繰り返した言葉に、マナトは首を傾げた。私だって、何を言ってるか分からない。何が聞きたいのかすら分からない。でも、繰り返さずにいられなかった。

 私はもう、捨てられた子だ。『愛』されてもない。そんな子を、探しに来る理由なんて、どこにもない。

 マナトの目が、細められた気がした。どこまでも見透かしてくるような、浅葱色の瞳。私は、それがずっと苦手だった。

 

 

「…………私はアナタにこう言いました。"私は皆を『愛』している"と」

「……うん」

「当然、アナタも『愛』しています」

「……え?」

 

 

 理解できなかった。何を言っているのか、理解する事を、心が拒否した気がした。

 

 

「『愛』している人を、探しにくるのはおかしいですか?」

「……おかしいよ。だって、私と君は、他人で──」

「それを言うのであれば、アナタのお父さんやお母さんも、元は他人。私の両親もそうです」

 

 

 マナトが、泥で服が汚れる事も気にせず、膝をついた。彼の浅葱色の瞳に、私が映っている。

 ──ああ、もう。全部見透かされている。その瞳は、私の中身を暴こうとしているんだ。

 

 

「血の繋がりだけが、『愛』する条件ではありません。互いに『愛』する心さえあれば──()()()()()()()()()

「…………家族」

 

 

 喉の奥が震える。きっと、口に出すのが怖い言葉だった。私にとっての家族は、『愛』してくれるお母さんしかいなかった。でも、それも嘘だった。

 私には家族なんていなかった。そう思わないと、そう自分に嘘をつかないと、壊れてしまうんだって、分かっていた。

 

 

 でも。

 

 

「はい、家族です。だから──私と家族になりましょう、()()()()

 

 

 限界だった。差し伸べられた手が、輝いて見えた。独りじゃないんだって思ったら、もう、止まらなかった。

 

 

「……ふぇ」

「……おっと」

 

 

 今までに泣いたことないぐらいに、泣いた。目の奥が熱くて、熱くて。気付いたら、彼に縋っていた。

 

 

 

 

 

「お母さんに叩かれて痛かった! 怖かった!!」

「はい」

 

 

 

 

 

「寂しかった! なんで!? なんで迎えに来ないの!?」

「……はい」

 

 

 

 

 

「いやだよ! 置いていかないでよ! 独りにしないでよ!!」

「……大丈夫ですよ。私は、ずっと傍にいます」

 

 

 

 

 

 溜まっていた泥水が、心から抜けていった。何を言っていたか、自分でも分からなかった。

 

 でも、一つだけ。一つだけ、分かる事がある。

 

 

 

 

 

「……ねぇ」

「はい」

 

 

 

 

 

「愛してるって、言って」

「……はい。『愛』していますよ、アイさん」

 

 

 

 

 

 この人は、私を愛してくれる。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

「雨、あがりましたね」

「…………うん」

 

 

 揺りかごの中にいるみたいだった。足が痛くて歩けなかったから、私はマナトにおぶられて、帰路についている。

 マナトの言葉に、うつろうつろとした意識で、頭上を見上げる。

 

 雨上がりの雲の切れ間から、光が伸びているのが見えた。幾重にも重なるそれは、まるでスポットライトのようで。

 そのすべてを覆うように、七色の虹が、伸びていた。

 

 

「…………綺麗だね」

「……はい。そうですね」

 

 

 それを言うのが、限界だった。光の明滅みたいに、私の意識は途切れ途切れになって。

 

 ……何時ぶりなんだろう。眠る時に、息を殺さなくていいのは。

 

 ……何時ぶりなんだろう。眠る時に、こんなに暖かいのは。

 

 ……きっと、良い夢、見れる。そんな、気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おやすみなさい、アイさん。良い夢を」

 

 

 

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