偽物の仮面と真実のアイ 作:ななち
心の中の黎明卿がウッキウキになっています。
(|)<「アイです。アイですよ、ななち……!」
なお情緒は死にそうになってます。
"本日は────航空、宮崎空港行き──をご利用いただきまして──"
少し上擦った声色のキャビンアテンダントのナレーションが、機内に流れる。"劇団ララライ"による演劇『ジキルとハイド』が千秋楽を迎えたその翌日。マナトは、壱護と共に宮崎行きの飛行機の中にいた。エコノミークラスの柔らかくも硬くもない座席に座り、少しばかり疲れた表情を見せているのがマナト。背を丸め、片手で頭を抑えて明らかに疲労した様子なのが壱護だ。
公演が終わったからと言って、はい解散、というわけにもいかない。業界人としての付き合いもあるし、この舞台公演を足掛かりに更なる仕事を取ろうとするなら、それこそ営業が必要になる。つまるところ、"大人の付き合い"が発生するのだ。
"劇団ララライ"の代表でもある金田一敏郎。アイやマナトを"劇団ララライ"に紹介したプロデューサーの鏑木勝也。招待で演劇を見に来ていた業界関係者。壱護自身が世話をした、世話になった人々も含めての、呑みの席である。それに、マナトと壱護は参加していた。
さて、呑みの席である。飲み会である。参加者は当たり前だが成人済みで、当たり前だがアルコールの類を飲む。マナトは未成年なのでお酒が飲めない。となれば、悪い大人の「飲め飲め」というアルハラは、壱護が全面的に食らうわけで。
結果的に、壱護は重度の二日酔いを患った。現在進行形で、頭が割れるように痛い。
「……寝てて大丈夫ですよ? 起こしますから」
「……せいぜい1時間そこらのフライトだろ。寝たら余計に疲れる」
マナトの気遣いを頭を振って断る。それだけでずきずきとした痛みが走る。
目的地までのフライトは、1時間程度のフライトだ。そこから車を使って2時間程で、アイの入院している病院に辿り着く。合計で3時間だが、その3時間をフルに休息に当たられるわけではない。そんな中途半端な眠りを取るぐらいなら、まだ起きてた方がマシ──というのが、アラサーを迎え体力の衰えを強く実感してきた壱護の最後の足掻きだった。
それよりも、壱護には気になる事が一つあった。飛行機に乗り込んでからのマナトの様子だ。見かけ上は普段と何ら変わりないが、数年でも一緒に暮らした経験もある壱護から見ると、少しだけ落ち着きが無いようにみえる。そわそわしている、という表現が当てはまるだろうか。まるで遠足前に眠れなかった子供みたいだ。
「……お前こそ、ちゃんと昨日寝たのか? なんか、やけにそわそわしてないか」
「……? そう見えますか?」
「ああ。なんだ? "アイツ"に会えるから興奮してるのか?」
少しばかりからかい混じりに、壱護が肘でマナトを小突く。色々な面で頼っている身からすると不甲斐ない、と思う面もあるが。昔から大人びた一面しか見てなかったマナトが、こうやって"自分"を出しているのを見ると、少しばかり壱護は嬉しくなる。
マナトの事を一言で表すなら、奉仕体質だ。他人の為に動かなければ気が済まない、常に誰かの助けになっていたい。自分の存在意義や、生存理由すら他人に委ねてしまいそうなぐらいに、誰かに尽くす事を生きがいにしている。一種の依存と言ってもいい。生き方の一つとしてそれを否定する気はないが、壱護もそれを歪だと感じる瞬間があった。ファンに「一緒に死んでください」などと言われようものなら、本当に心中するんじゃないか、と心配になる事もあった。
が、それもここ一年ぐらいだろうか。ある種の破滅的思考も徐々に改善されていき、"自分"を出せるになっている事を、壱護はマナトの成長だと感じている。だからこそ"アイツ"──アイに会えるのが嬉しいのか? とからかったのだが。
「……ええ、早く会いたいです」
「…………お、おう」
思った以上に、会えない事へのフラストレーションが溜まっていたのか。漏れ出したマナトの願望は、それはもう……コールタールみたいな重みを含んでおり。壱護は、内心ちょっと引いた。
────いや、アイ。多分、これお前が思ってるより『愛』されてるぞ。
"皆様、もう間もなく離陸します──"
離陸を知らせるアナウンス。徐々に掛かり始めるG。大空へ飛び立った鋼鉄の翼は、1時間の旅へと向かった。
★
その日は、我が人生において最悪の日であり、最高の日であった。吾郎は、書く予定もない自伝小説に書くならこうだろうな、という一文を脳内で生み出す。アイの出産予定日まで、あと一カ月を切ろうかというタイミング。現段階では順調だが、油断は出来ない。ここから、更に慎重に母体や赤子の状態を診ていかなければ、と気合を入れてアイの病室を訪れた日。
「えへへ、大きくなったでしょ」
「ええ、本当に……ここに、私達の子達がいるんですね」
「そうだよー……あ、今蹴った。起きてるのかな。ほら、マナトも呼びかけてあげて。この人がパパだよー」
「……聞こえますか? パパです。私がパパですよ」
病室の中にいたのは、リクライニングで傾斜の掛かったベッドの上で、大きくなったお腹を優しく撫でるアイと、そのお腹に対して呼びかけているマナトだ。吾郎からすれば、見知らぬ男と推しのアイドルが同じ病室にいて、しかも仲良さげに話している事になる。
「耳当ててみる? 多分聞こえるよ」
「……大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。ほら、当ててみて」
膨らんだお腹に耳を当てるマナトと、近づいたそのふわりとした金髪を指で弄ってるアイ。
──アイドルオタクの雨宮吾郎は叫んだ。推しのアイドルが男とイチャイチャしてやがる、と。
──医者の雨宮吾郎は叫んだ。推しのアイドルが──違う、アイ幸せそうな表情だなぁ。良かったなぁ、と。
医者としての自分が優勢だから良いものの、もしアイドルオタクの自分が優勢であれば滂沱の涙を流していたかもしれない。理性を司ってくれた前頭葉に感謝である。
「あ、先生」
アイが病室の入り口に立っていた吾郎に気付く。部屋の中にいるのは、アイとマナトだけで、壱護は仕事の連絡ついでに外に出ていた。アイと吾郎は患者と担当医の関係なので当然交流があるが、マナトとはない──が、アイと毎日やり取りしている中で話題には出ていた。親身になってくれる良い先生。あと、隠してるつもりだけど多分私のファンだよ、と。
病室によくある背もたれのない簡易的な椅子からマナトが立ち上がると、吾郎へと近づいていく。そしてそのまま流れるような動きで、両足を揃え、両手を真っすぐ伸ばし、すっと斜め45度に腰を折り。
「アイさんがお世話になっています。"宵谷マナト"と申します」
「あ、ああ……ご丁寧にどうも。担当医の雨宮です……えーと」
された側も反射的に腰を曲げて会釈してしまうぐらいに、綺麗なお辞儀だった。社会人の間でよくある、お互いに腰を折り合う光景が繰り広げられる。
……吾郎は、"宵谷マナト"と名乗った青年が、アイとどういう関係なのかが気になってしょうがなかった。内心でサイリウムを鬼の角のように額に巻き付けたアイドルオタクの自分が、推しのアイドルとどんな関係なんだと唸っている。その疑問の視線を察したのか、マナトが微笑みながら。
「はい。アイさんのお腹の子達の──父親です」
アイドルオタクの雨宮吾郎に、容赦なくトドメを刺した。もし漫画的表現が許されるなら、石になってひび割れて最後には砂になっているだろう。
「あと籍も入れてるよー。だから本当は、私は"宵谷アイ"だよ」
「……"星野マナト"で良いんですけどね?」
「やだ、マナトの苗字使いたい」
さらにアイからの追撃が入る。もはやアイドルオタクの雨宮吾郎は、真っ白に燃え尽きた灰となり果てている。それほどまでに強火の情報だった。が、この場に立っているのは医者の吾郎である。マナトが来れて嬉しそうなアイの表情を見る事で心の安寧を保った。それもそれで複雑な心境なのだが。
「それで、先生どうしたの?」
「……あ、ああ。いや、単に様子を見に来ただけだよ。出産予定日まで遠くないしな」
アイと吾郎も、それなりに砕けた会話の出来るレベルに気安い関係を構築できている。だから、暇があればなるべく様子を見に来るようにはしていた。一歩間違えればストーカーのそれだが、医者と患者なので何の問題もない。
……まぁ、頻度が多くて「暇なの先生?」とアイに言われた事もあるのだが。
「大丈夫大丈夫! 今日も問題ないよ!」
ぐっと親指を立ててそうアピールするアイ。ここ最近、出産に対する不安もあってか不安定になっているな、と診断していた吾郎の目から見ても、アイは花が開くような笑顔を浮かべていた。マタニティブルー、産前うつの可能性も考えていた頃に比べれば、かなり精神状態は改善されているのだろう。
「そうか。じゃあ、何かあったら言ってくれ。すぐ駆けつけるから」
元々昼休憩前に少し様子を見ておくか、と言った具合の往診だったのだ。普段であれば、それでも少し話をして違和感がないか、などを探っていくのだが──今日に限って言えば、それは野暮だろう、と吾郎は自分を納得させる。そそくさと病室を出ようとした吾郎を──マナトが呼び止めた。
「雨宮先生」
「は、はい?」
別にやましい事は何もないのだが、マナトの蒼の眼から向けられる視線が、吾郎を縛り付ける。まるで心の底を見透かされるような、そんな感覚を覚えてしまうような、透き通った瞳。数秒ほど見つめられた吾郎が、なんかやったかな俺と唾を飲んだ辺りで、マナトの表情が綻ぶ。
「──アイさんを、よろしくお願いします」
「…………」
……なんの事はない。きっと、夫として。父親として。愛しい人の大事を任せられるのかを、見極めようとしていたのだろう。そして、雨宮吾郎は、その信頼には応えるべきだと考えた。
「……はい、お任せください。万全の体制で、星野さんの出産をサポートしますから」
「……よろしくお願いします」
そう言って頭を下げるマナト。良い子じゃないか、と吾郎がアイを見れば──誇らしげに頬を朱く染めている少女がそこにいて。吾郎は、内心でこりゃ認めるしかないな──というファン目線での結論を出していた。
……それはそれとして、今日は家に帰ったら秘蔵のお酒の封を切る事を決意した。傷心を慰めるのと、認めるのは別の話だった。
(|)<「パパです。私がパパですよ」
マナトの声がCV森川〇之さんで再生されます。いや、合ってるんだけどさ。
原作最新話まで追っかけてるんですけど、なんかもうお労しや案件ばっか出てくるので心が辛いです。ハッピーエンド迎えてくれるんかな、原作……