偽物の仮面と真実のアイ 作:ななち
黎明卿黎明卿、精神隷属機で私の代わりに書く人一人ください。どっちも書けるようになります。
6月に入ると、リアルが忙しくなるので、更新頻度が落ちます。可能なら1週間に2~3話更新を目指します。
出産を控えた夫婦がするべき準備は多い。アイは立場が立場なだけあって、極秘出産という特殊な状況ではあるが──必要になる物は、一般的な家庭と変わらない。すわなち、出産する母の為の道具と、生まれてくる赤ん坊の為のベビーグッズである。肌着はもちろんの事、オムツやベビーベッド、哺乳瓶、ベビーカーetc……と多くの物が入り用になるのだ。
だが、それをアイとマナトが表立って購入する事は出来ない。アイは身重であるし、マナトは購入した事がバレでもしたら、誤魔化す事は可能かもしれないが面倒な事になるのは間違いないからだ。そのため、そういった道具の購入は全て斉藤夫妻任せである。任せっきりであるのは心苦しいが、そればっかりはどうしようもない。
となれば、アイとマナトがやるべき事はそう多くないが──この二人だからこそやれる事がある。
「うーむ……」
病室の中で、ノートとペンの前で唸っているマナト。ノートにはいくらかの人の名前らしきものが書いてあるが、どれも横線を引かれていたり、バツ印がついている。そう、両親だからこそやれる事。そして、マナトが頭を悩ませているのはすなわち、名付けである。
検査で既に男女の双子である事は判明している。なので、男の子の名前と、女の子の名前を決める必要があるのだが──その名付けに、かれこれ1時間ほどマナトは悩んでいた。
「……決まんない?」
アイが、悩んでいるマナトを心配そうに覗き込む。何故マナトがこれほどまでに、名前を決めるのに悩んでいるのか──それには理由があった。
まず、親が子供に名前を付ける時には、多くの場合は「こう育ってほしい、こういう人間になってほしい」と言った願いを込めた言葉や漢字を入れるのが一般的だろう。だが──マナトには、それが無い。いや、無いというには語弊がある。
……子供に託したい程の"自分"が無いのだ。望まれたままに生き、望まれた事を達成しようとしてきた彼にとって、この名付けは鬼門だった。流石に、産まれる前の赤ん坊から「私、こういう人間になりたいんです」という望みを聞けるわけがない。
むしろ──親の願いが、子供を縛ってしまう。そんな事を考えてしまうほど、マナトは自分から望む事に慣れていない。
「……はい。健やかに育ってくれればそれで、と思うんですが」
じゃあそれを名前に込めればいいじゃないか、とは思うものの。「それは親だったら誰でも望む事だ」という考えが邪魔をする。別に特別な願いを込めなければいけない、というルールはないのだが……ある意味、今まで望みが無さ過ぎた反動なのだろう。どれだけの願いを込めればいいのか、本人も分からないのだ。
念のために補足するが、彼は大真面目に悩んでいる。それこそ知恵熱を出すんじゃないか、というぐらいには。
「じゃ、私が考えた中から選んでよ」
だから、ここは私の出番だ、と。アイはペンを手に取る。マナトが名前に自分の願いを込める事が難しいなら、アイが考えた願いに自分の願いを乗せる。それなら、二人で考えた事にもなるよね、と。意気込んで、自分の中で考えていた名前をサラサラとノートに考えていく。相当数考えていたのか、あっと言う間にその数は10を超えていた。
……さて、ここで名前を付ける時に気を付けなければいけない事を考えよう。マナトのように、託したい願いが自分の中から生まれてこない、というのは論外だが。だからといって、アイのように何でもかんでも名前に込めてあげたい、という欲張りもまた危険なのだ。日本語──特に漢字は多種多様な意味を持つが、それでも一文字や二文字に大量に意味を込める事は出来ない。それを無理くり実現させようとすれば、どうなるか。それは、こうなる。
「ということで、決まりました」
「男の子は"
誇らしげに、そう書かれた紙を見せてくる二人に、壱護は思わず天を仰ぎ見た。蛍光灯の光がサングラス越しでも目に染みる。
なんつー名前を付けやがったんだ、と。まず一発で読めない漢字にするなよ、と。海って書いてマリンって読ませるのは、もう当て字の域を超えてるんだよ、と。だが、それもニコニコと嬉しそうにしている二人を見ていると、どうにも指摘しずらい。まさかマナトがいて、こんなキラキラネームを付けるなんて、思ってもいなかったのだ。
「……良い名前だな。なんでその名前にしたか、聞いていいか?」
視線を戻して、そう問いかける。慎重に言葉を選んだ。表情を見れば、真剣に悩んで考えた上での結論なのは分かるから、出来るだけ棘が立たないように。頭ごなしに否定するのは子育てにおいて悪手だ、と自分に言い聞かせる。
「えっと、16歳の誕生日の時にマナトからもらったネックレス。ラピスラズリの。アレ選んだ理由を聞いてね」
ラピスラズリの石言葉は、"幸福と成功"だ。マナトがアイにラピスラズリのネックレスを送ったのは、幸福を得てほしいという願いと、アイドルとしての成功を願う意図があった。そこから着想を得たアイは、我が子に宝石の名前を付けようと考えたのである。
「宝石みたいにキラキラして欲しい。この子達の未来に願い事をいっぱい託したい。欲張りかもしれないけどさ」
海のように広い愛を持った子に育ってほしい。宝石のように美しい子に育ってほしい。勇気のある子になってほしい。色んな人と仲良くなれる子になってほしい。賢い子になってほしい。情熱のある子になってほしい──アイの口から溢れ出てくる止めどない我が子への願いに、壱護は再度天を仰いだ。その願いのどれもが真摯に考えられたものなのが分かったからこそ、どうするべきか悩む。
将来、その色んな意味でキラキラとした名前で生きる子の事を考えて、もう少し考えてみないか、と方針修正を促すのか。それとも、このままアイとマナトの考えた名前で突き進ませるべきなのか。壱護の灰色の脳細胞に走った電気信号が導き出した答えは──
「……そうか。良い名前だなぁ」
「えへへ、でしょ?」
──折れる事だった。将来、苦労を背負い込む事になるかもしれない双子に心の中で謝罪しながら──いや、良い名前だと思ってるのは本心なので、複雑な心境ではあるのだが。
ごほん、と壱護が場を仕切り直すように喉を鳴らす。元々、別の用事があってアイとマナトを訪ねて来ていたのだ。それがアイに「社長社長ー名前決まったよー」とあれよあれよと流されてしまっただけで。
「マナト」
「はい?」
アイが入院している病院のある宮崎県高千穂は、芸能の女神である"
「お前にドラマのオファー持ち掛けたいって人がいてな」
「ドラマ、ですか?」
聞けば『ジキルとハイド』を見た芸能関係者から、更に今回繋がりを持てた芸能関係者の方に話が伝わっており、次回の想定キャストに加えさせてほしい、という話になったのだ。アイの事もあり、しばらくは自分で営業を掛ける余裕がない──マナトはある程度、セルフプロデュースでの裁量権を与えられている──現状だと、渡りに船ではある。壱護が、確認したい事がある、と人差し指を立てた。
「ああ。それでお前、キスシーンNG出してなかったよな?」
「……? ええ、別に出してません……が……」
海外ロケや、露骨な性的描写のあるシーンは未成年である事もあってNGを出しているが、キスシーン程度なら問題ない、という事で通っている。なのでマナトも、いつもの仕事の話をするノリで答えていたのだが──チクリ、と。首筋に刺すような視線が向けられている事に気付き、視線の方向を見る。
「…………むー」
「………………ええと、NGです」
頬を膨らませて、眉をひそめて。いかにも「私、不機嫌です」とアピールしているアイが、そこにいた。壱護もマナトも、そこで出産を控えたアイの前でする話じゃなかった、と気付く。少しだけ冷や汗を流しながら、マナトがキスシーンもNGだと伝えた所で、アイが首を横に振った。
「いいよ、別に。お仕事だもんね。でもさ」
じとり、と湿度を伴ったアイの視線が壱護に向けられる。
「それをさ。出産前の奥さんの前で言わなくてもいいんじゃないかな。ねぇ、さ・と・う・しゃ・ちょ・う!」
「ぐっ……わざとだな……悪かった」
せっかく覚えた名前を、わざと間違えられた壱護は思わず胸元を抑えて後退った。今回は全面的に自分が悪い、と頭をガリガリしながら、そのぶっ刺さる非難の視線を受け入れる。まぁ元々、未成年にキスシーンだのをやらせるのもイメージブランド的に良くないな、と考えていたのもあり──今回の話は断るか、もしくは別役を当ててもらえないか相談してみるか、という結論を、壱護は内心で出した。
「……ぷっ、あっはっは!」
しょぼくれている壱護が面白かったのか、アイが堪えきれずに笑い始める。それに釣られて、マナトも顔を隠して口元を抑えた。肩が震えているので、笑いを堪えているのは見て分かる。このクソガキ共、と憤る気持ちはあれど──怒るに怒れない。だって悪いのは自分だと自覚しているから。
病室の中で、しばらくの間笑い声が響いていた。その光景は、見る人によっては家族の団欒のように見えただろう。
そして、その日はやってくる。
臨月を迎えてから段々と悪くなっていく体調を何とか整え、もういつお産が始まってもおかしくない状態が続いた妊娠40週目。アイの出産予定日に、吾郎はアイの病室を訪れていた。病室の中には、リクライニングで傾斜の掛かったベッドに横たわるアイと、その手を握っているマナトがいる。
「お疲れ様、先生」
「お疲れ様です、雨宮先生」
「おう」
手を上げて応えながら、吾郎はアイの様子を観察する……少し顔色が悪いようにも見える。精神的には安定したとはいえ、それでも前駆陣痛などで掛かった負担は大きいのか、疲労の色を隠せていない。いよいよだ、という不安もあるのだろう。何度もマナトの手を確かめるように握り直していた。
「……先生は一度帰るんだっけ?」
「ああ、って言ってもすぐ戻ってくる。1秒でも早く駆け付けたいからな」
16歳という未熟な身体での出産。一体どんなトラブルが発生するか分からない。むしろトラブルが発生する事を前提に、吾郎は当直として夜勤も引き受けていた。1秒の遅れでも母体、赤子の命取りになる可能性を考えれば、それは吾郎にとって当然の決断だった。
「すぐ来てね、先生」
「おう、約束だからな。最悪、俺が来られなくても、他の先生も来られるように連絡はしてあるけど」
一応の保険として、別の産科医の先生にも緊急で対応できるように根回しはしてあった。もちろん、その保険が使われないに越したことはないが、念には念を入れた方がいい、という判断だ。だが、それはアイにとっては少し不満だったようで、ぷくりと頬を膨らましている。
「やだよ、先生がいい」
「そうですよ。雨宮先生だから任せられるんです」
「……じゃあ応えないわけにはいかないな」
向けられる信頼にこそばゆくなって、吾郎は頬を指先で掻く。別に自分が優れた医者である、といった自惚れはしていないつもりだが、それでも嬉しいものは嬉しい。
じゃあまた後でな、と告げると、吾郎は病室を出ていく。病室には、アイとマナトの二人が残された。ゆったりとした動きで、アイが自分の大きくなったお腹を撫でる。その瞳には、いつもの星のような輝きは無く、不安げに揺らいでる光があった。そして、それに気付かないマナトではない。
「……不安ですか?」
「……うん」
……出産という一大事に対して、父親が出来る事は少ない。せいぜいが側にいて、その不安を和らげてあげる事だけ。大丈夫、という言葉すら軽々しく言えないほどに、出産は壮絶だ。
もし、その痛みを肩代わりしてあげられるなら。もし、アイと双子、どちらかが危機に陥るぐらいなら──自分の命を捧げる事すらいとわないのに、それも出来ない。今までにないほど、マナトは内心で無力感を抱いている。だが、それを表に出すわけにはいかない。余計にアイを不安にさせるだけだからだ。ぎゅっと、アイの手を強く握った。
「……ずっと側にいます。ずっと手を握っています」
「……うん。絶対に、放さないでね」
「はい。絶対に放しません」
指を絡め、握られる手と手。不安を隠すことのない、マナトにだけしか見せない弱気な笑顔。規則的に襲い掛かってくる陣痛と戦いながら、1時間ほどが経過し──ついに、ピークを迎える。痛みに涙を浮かべるアイの手を取りながら、助産師に連れられ分娩室へと向かう。もう、双子との対面は間近まで迫っていた。
★
看護師の女性が、院内の電話を手に取る。アイが産気づき、分娩室へと移動したが──まだ、吾郎は病院に戻ってきていない。家も近い吾郎であれば、移動も10分そこらで済むはずなのだが、その姿が見られない事に連絡を取ろうとしたのだ。
1コール。2コール。3コール……無機質な呼び出し音が、受話器から返される。一体何をしているのか。何が何でも立ち会う、と言ったのは貴方じゃないのか、と看護師は段々と焦りを覚え始めていた。そしてコールが10を超えそうになった時──ついに、電話が繋がった。
「もしもし!? 雨宮先生! 宵谷さんが産気づきました! 早く戻ってきてください!」
「……………………」
慌て気味の看護師の声に、応答は無かった。その代わりに、ガサゴソといった物音が聞こえてくるだけ。以前、睡眠を取っていた別の先生に連絡を取っていた時に、同じように物音だけがする事はあったので、看護師は呼びかける……絶対に駆けつける、と言っていた吾郎が、寝ているわけがない、という事には、気付けていない。
「雨宮先生? 雨宮先生!!」
「…………さい」
ボソリ、と応答が帰ってきた。だが、僅かに聞こえたその声は──雨宮吾郎の声ではなかった。看護師が怪訝そうな表情を浮かべる。流石に、様子がおかしいと気付く。
「…………雨宮先生?」
「……ご……ん……さい……ごめん……い……俺……」
震えた声色。断続で、聞き取りづらいが──謝罪しているように、聞こえる。それは、決して吾郎の声ではない、男性の声で。「誰ですか、貴方」と恐る恐る看護師が聞いた瞬間に──電話が、切られた。ただ事ではない様子だった。慌てて、もう一度電話を掛けるも──いくらコールしても、電話に吾郎は出ない。
……何かが起きている、と看護師は思った。だが、今一番に優先すべきは──母子の命だ。だから、一瞬でも心中に過った不安を無視して、吾郎が根回しをしていた別の産科医の電話番号へとダイヤルを回す。念のための保険、と言われていた連絡が使われ──幸いにも、その連絡は通じ、すぐにでも来るという事になった。
「………………」
もう一度、吾郎へ連絡を取るべきか。そう悩んだ末に、看護師はその考えを切り捨てた。今は、母子のサポートに回るべきだ、と。無理やり自分を納得させた。
そして──アイとマナトの、長い戦いが始まる。
「今! いきんで!」
「──────っああっ!」
生命を産む行為は、神秘的であり、凄絶だ。今までに見た事の無い、アイの苦悶の表情。眼は大きく潤み、涙が止めどなく零れていく。
分娩室にアイが入ってから、既に2時間が経過していた。周期的に襲い掛かってくる陣痛と戦って、荒い呼吸を整えてを繰り返して。産まれるまであと少し、あと少しという所まで来ている。
「もう少し! もう少しよ! はい、いきんで!」
「うぅ──────あ、ああぁっ!!」
叫び過ぎたのか、ガラガラという異音が混じり始めた声。額から零れ落ちる汗と涙が交じり合い、ベッドを濡らしている。その全てが、この戦いの壮絶さ、長さを表していた。
「マナト、マナトぉ……っ!」
「はい、ここに……ここに、います!」
潤んだ目には、何が映っているのだろうか。視界が滲んで、マナトの姿もよく見えない。だから、呼び続ける。その存在を、近くに感じる為に。
いきむ度に強く握られる手。普段のアイからは考えられない、万力のような力で締め付けられた手は、青くなり始めている。でも、そんな痛みはアイの何百分の一にも及ばないのだ、と。マナトはただ、祈り続ける。アイの無事を、生まれてくる赤子の無事を。信じてもいない神に、もし必要ならこの命を持っていけ──と。そんな風に願い続ける。
永遠にも思えた時間だった。だが、それでも終わりはやってくる。長い長い戦いは──天使の声で終わりを告げるのだ。分娩室に響いた赤子の泣く声。それが、合図だった。助産師が取り上げた双子が、泣き声をあげている。元気な男の子と、女の子だと、助産師が伝える。
酸欠になって、少し朦朧とした意識の中で、滲んだ視界が晴れて、ようやく。愛しい我が子を、アイはその腕に抱く。疲労困憊で、もう何時意識が落ちてもおかしくない状態。それでも、どうにか意識を繋ぎとめる。
────産んだ。産んであげられた。私、お母さんになったんだ。
「ま、なと……」
「……はい」
アイの瞳から、涙が零れ落ちる。星の瞬く夜から降る、流星のような涙。胸の内にこみ上げてくる感情が、堰を切ってあふれ出してくる。
「わ、たし……お母さんになれた……なれたよ……っ!」
「……はい……っ!」
マナトもまた、涙を流していた。泣いた所なんて、滅多に見せない彼もまた、己の内側から込み上げてくる感情に。"願い"に──焦がされるように、涙を流していた。
そして、そう決めていたわけでもなく。差し合わせていたわけでもなく。ただ、心の内から紡ぎだされた言葉を、二人は全く同じタイミングで、同じように双子に言うのだ。
────生まれてきてくれて、ありがとう────
そして、その生命の誕生を。
雨宮吾郎という男が見る事は、無かった。
お母さんってすごいよね……出産までに掛かる精神的負担とか肉体的負担とか、色々と考えると原作アイってホントよく産んだよな……って思っちゃいます。