偽物の仮面と真実のアイ 作:ななち
プロット自体は当初から変わってないんですけど、こうやって細かく書きたくなるからこう……進行が遅いんですよね。やはり私も祈手を作るしかないのでは?
太陽が顔を出してからまだそう経ってない時間帯。朝露が葉先にまだ残るぐらいの早朝に、白髪交じりの一人の初老の男性が、病院の関係者用の駐車場に停めた車から降りてくる。少しばかり恰幅の良い体型の上から、清潔感のある白のシャツとズボン、そして白衣を纏っている男性だ。胸元に下げられた顔写真付きの名札には、この高千穂の総合病院の院長である事が記されていた。
梅雨に入ろうか、という季節だからか少しばかり空気が湿っている。じめっとした空気と、上がり始めた気温が日本の夏特有の不快感を与えてくるのを、首元を手で仰ぐ事で誤魔化しながら、院長は病院へと踏み入った。待合室まで進むと、そこで院長に気付いた一人の看護師の女性が駆け寄ってくる。
「おはようございます。院長先生」
「ああ、おはよう」
把握している職員のスケジュールでは、確か当直で夜勤だった子だな、と院長は記憶を漁りながら挨拶に応える。小さな病院という事もあって、コミュニケーションもそれなりに取りやすい職場だ。看護師が院長に挨拶をするのも、別に珍しい事でもおかしい事でもないのだが――今日は、少し様子が違った。看護師が、少し困ったような表情を浮かべているのだ。
「その、院長先生。少しお話良いですか?」
言い辛そうにそう切り出した看護師に、院長の脳裏で過った言葉は「職場の不和」だ。過去にこうやって悩み事を打ち明けようとする職員は、何かしらの職場の問題点を指摘してくれる事が多い。働きやすい病院を目指している院長にとっては、それは是非とも欲しい情報だった。
「もちろん良いとも。院長室で聞こうか」
頷いた看護師を伴って、院長室に入る。さて、どんな話が飛び出してくるのか。看護師長への不満だろうか。あの人、心優しいんだけど言葉がキツい人だからなぁ、とか。それとも最近転勤してきた外科医の先生の件だろうか。少し気難しい人のようだから、馴染めるか心配していたんだ、とか。院長が想像していた話は――そのどれもが当たらなかった。
「雨宮先生が?」
「はい……昨日、担当されてる患者さんの出産予定日だったので、当直を入れられてたはずなんですが……」
院長にとっても、雨宮吾郎という医師は印象深い人物だった。なんせ研修医の身で、患者の病室に入り浸っていた事もあったからだ。今思えば、あれはサボっていたのではないか、とさえ思う。
その吾郎が、当直を無断欠勤した。記憶が正しければ、彼自身が担当している患者の出産予定日だから、勤務スケジュールを調整して欲しい、と頼みに来たはずなのだが。院長が、怪訝そうな表情を浮かべて、口元に手を当てる。普段の様子を見ていれば、少なくともそんな大事な日に無断で欠勤するような人物ではないのは分かる。
……病室で患者とアイドルについて熱く語り合ってるとか、患者の病室でアイドルのDVDを流していたとか。そういう話はちらほら聞くが。
「電話は一度繋がったんです。ただ……雨宮先生じゃない、別の男性の声が少し聞こえた後、切れてしまって。それ以来繋がらないんです」
「ふむ……その、男性の声というのは?」
「分かりません。ただ……何か、謝っていたようにも聞こえました」
聞けば聞くほど、あまり良い予感のしない情報だった。少なくとも、爆睡しているだけ、なんて事はないだろう。雨宮吾郎という人物は親族も逝去しており、一人暮らしだったはずだ、と院長は記憶している。自宅で倒れているのでは――など、看護師の言う"別の男性の声"も含めて、嫌な予感がどんどんと膨れ上がってくる。
院長は、パラパラと自分のスケジュールを記している手帳を開く。吾郎の住所は――本来であればプライバシー侵害に抵触するかもしれないが、四の五の言っていられないと、職員データから探す。
「午前に往診があるから、そのついでに雨宮先生の自宅に立ち寄ってみるよ。報告、ありがとう」
「いえ……何か、嫌な予感がするんです。お願いします」
看護師が、思いつめた表情で頭を下げる。その言葉には、院長も同意していた。医者として、様々な人の生死に関わってきた経験が――最悪の可能性を、予感させていた。
そして、往診を終えたその帰り道。院長は雨宮吾郎の自宅を訪ね、帰宅した形跡が無い事や――病院に、彼が使っていた自転車が残しっぱなしだった事を確認し。悩んだ末に――警察に捜索届を出した。天涯孤独の身であった吾郎に、身内はいない。職場の上司である院長にしか、捜索届は出せなかった。
★
捜索届が出されてから、警察が捜索開始したのは、4日後の事だった。吾郎自身が自衛能力、自活能力のある男性であった事が、緊急性を和らげ初動が遅れたのだ。だが、病院関係者からの聞き取りで、最後の通話記録を辿った時――発信源が、病院よりそう離れていない山中だったのが決め手となり、山岳捜索が始まった。
そして、捜索開始からさらに4日後に、雨宮吾郎は発見される。山中で、物言わぬ骸として。
パシャリ、と鑑識のカメラが事件現場を撮影する音が、青々とした木々が立ち並ぶ山中に響いている。複数人の警察官が、現場検証と証拠探しを兼ねて歩く足音が、時折起こる葉擦れの音に交じっていた。
吾郎の遺体は、うつ伏せの姿勢で手を伸ばしたような状態だった。医師である事を印象付ける白衣は土に塗れ、その大半を乾ききった血がどす黒く変色して染め上げている。
無精ひげをこしらえた中年男性の警部補と、まだ年若い刑事の男性が仏となった吾郎に手を合わせている。既に遺体の身元は、所有していたクレジットカードから判明しており、病院の同僚からも雨宮吾郎本人である事の確認が取れていた。
「……背中を一突き、だな」
警部補が、吾郎の遺体を見ながらそう告げる。血で染まっている為分かりづらいが、その白衣には鋭い物で貫いたような痕が残っていて、それが致命傷だったのだろう、と推測する。
「どこかで殺害されて、ここに運ばれたんでしょうか」
刑事が、山中に遺体がある事から、別の場所で刺殺してからの死体遺棄なのか、と推測を立てるが――それを、警部補は首を横に振って否定する。吾郎の遺体がある場所から、100メートルほど離れた藪の中に、最後に病院と通話したであろう携帯電話が発見されたのを、鑑識から聞いていたからだ。「見ろ」、と。警部補が遺体を指で差す。その先には、ボロボロになった遺体の指先があった。
「刺された現場は、恐らく携帯電話が見つかった近辺だ。多分、そこからガイシャは此処まで這ったんだろうな」
「……助かろうとしたんですかね。この方角、確かガイシャの勤めてる病院がありますから」
「……いや……」
警部補は、否定しようとした言葉を止めた。そこから先は、現場の状況にもとづく推測ではなく、ただの想像に過ぎないからだ。彼が行方不明になった当日は、担当している患者の出産があった。
恐らく、戻ろうとしたのは、命を惜しんだというよりは。その患者の出産に、立ち会う為なんじゃないか、と。自分の命よりも――医者としての務めを果たそうとしたのではないか、と。そんな予感が、警部補の中に生まれていた。
だが、それは単なる想像に過ぎない。警部補が、首を振ってその想像を頭の中から消す。重要なのは、ここで雨宮吾郎という男性が殺された、という事実だけだ。警察官として、必ずホシをあげると、心中で誓った。
「近隣住民、病院関係者への聞き込みは?」
「手分けしてやってます」
「何か有力な情報はあったか?」
「見慣れない人物を事件当日より少し前から、この辺りで見かけたって情報が出てきてます」
近隣住民への聞き込みで分かったのは、事件当日より数日程前から、フードを被った見慣れない人物が病院近辺を歩いているのを見た、という目撃情報。夏場にフードを被っているのも怪しいが、何よりここは地方都市で、そう人の出入りが多い土地ではない。となれば、その人物がこの事件に関与している可能性は高かった。
「よし、引き続き聞き取りを続けろ。住民が見慣れてないって事は、ホシは外から来た人物の可能性がある。それも念頭に入れて捜査を進めよう」
「はい!」
吾郎が死に至った経緯や、犯人の特定の為には更なる証拠や目撃情報が必要になる。今後の捜査手順を考え、警部補と刑事の二人が現場を立ち去ろうとした、その時。
――カァ、とカラスの鳴き声が聞こえた。
森の中だ。カラスが生息しているのはおかしくない。だが、警部補はその鳴き声がなぜか、無性に気になって――空を、見上げた。鬱蒼とした木々の葉が、太陽の光を遮っている。不規則に風で揺らぐ、伸びた枝の先に――カラスが一羽、留まっていた。
――カァ、とそのカラスが鳴いた。
……カラスが鳴いているだけだ。それだけなのに、やけに頭の中に鳴き声が反響する。言い様のない感覚に「不吉だな」、とボソリと警部補が零して――その予感を振り払うように、現場を後にする。
――カァ、とそのカラスが鳴いた。
カラスの無機質な黒々とした眼。それから伸びる視線は――ずっと、吾郎の骸へと向かっていた。
山中で起きた医師の殺人事件は、それなりの速度を持って地方局に報じられ、少しの間ネットニュースに載った。だが――人の命に貴賎はないとは言うが。その話題性は、決して大きな物ではない。雨宮吾郎が死んで、悲しむ人間はいただろう。だが、全国区のニュースには特に取り上げられる事もなく、その事件は地方都市の中でだけで完結していく。
一方で、警察署で設置された捜査本部では、一人の容疑者が浮かび上がっていた。フードを被った、恐らく体型からして男性――だが。それ以上の、情報が出てこない。目撃情報もある。確実に、そのフードを被った男性が重要人物なのは間違いない。にもかかわらず、その男の詳細な容姿などについては、誰も――
――捜査線上にあがった男は、本当に存在したのか、と刑事達の頭を悩ませるほどに、不可解に――その姿を消していた。
6月から投稿頻度落ちます。一応、目標としては1週間に2~3話を掲げてますが、もしかしたら1話になるかもしれません。
基本ストックとか考えずに書いて投稿するを繰り返してるから、規則正しい投稿が出来ないタスク管理下手。