獪岳と善逸   作:山筋

12 / 63
那田蜘蛛山 ガキ

 高速で後ろに流れながらも、けっして見通しが良いとは言えない景色。起伏の激しい足下。おまけに、石や木の根といった踏めば足を切るか挫くかする危険。そのどれもが、しかし嘴平伊之助にとっては何ら問題にならなかった。いや、むしろ親しみすら感じる。

 平らで指に食い込む地面の、なんと頼りない事か。やはり足下はこうでなくてはならない。無慈悲で、万物に牙を剥き、時に助ける。それが大地というものだ。人のため平らに均らされた地面は、なんかこう、違う。あれは床とかそういうものの分類だ。

 単独行動かつ本気で山の中を走る伊之助を、鬼が補足できるか。答えは否だ。こちらを絡め取らんとする糸は、全く間に合っていない。

 

「チッ、またウゼェな」

 

 とはいえ、影響が全くない訳でもない。

 鬼は上手く糸を繋げる事は諦めたのか、むやみやたらに蜘蛛を落としている。それこそ伊之助の視線が通る中では、小蜘蛛が降ってこない場所はないくらいだ。

 偶然肩に乗った蜘蛛を手で払う。どうという事はないが、刀を持ったままだと中々に鬱陶しい作業ではある。予想外の仕掛けがある可能性を考えれば、納刀する事もできない。

 獪岳の言うとおり、この鬼は狩りのなんたるかを分かっていないようだった。通じない事を延々と繰り返している。これだけ繰り返して変化があったのは、数に飽かせた蜘蛛の雨だけ。それだって枝葉に阻まれ効果が高いとは言えない程度も理解していない。

 邪魔なのは障害とも言えない小細工のみ。手札がないのは仕方が無いが、確かにこれは阿呆と言われても仕方がない、と納得した。

 鬼に近づいている実感はある。その前兆も。進む度に、糸がどんどん強く、太くなっている。

 糸を斬るのに苦労はしていない。大雑把な感覚でだが、この進み具合でなら、斬るのが難しくなる前に鬼へたどり着けそうだ。

 もっとも、真に驚嘆すべきは、恐らくここまで予想していた獪岳だろう。

 

(あのヤロウ、やっぱヤベェな)

 

 獪岳。伊之助が今まで出会った中で、唯一「こいつには勝てない」と思ってしまった相手。

 剣閃の冴え一つ見ただけで、次元が違うと確信してしまう。しかも剣が上手いだけではない。何でも利用するし、油断もない。おまけに何でも利用する。経験豊富だという自己申告も、嘘は全くないだろう。今のところ彼の忠告が(理解できなかったり興味が無くて聞き流したものを除き)外れたことはない。

 総じて、クソ強いくせに隙がない。少なくとも伊之助は、今まで会った鬼と獪岳、どちらが化け物かと問われたら獪岳こそ化け物だと即答する。

 まあ、それほどの奴に一番強いと言われるのは悪い気はしないが。島次郎のように《ホワホワ》などさせず、適度に《ビリッ》としている所もいい。実際、獪岳がいない頃は妙に気が抜けて調子が狂っていた。どこかそれを悪くないと思わせてくる所が、余計にたちが悪い。

 

『釈迦に説法だとは思うが』

 

 思い出されるのは、獪岳の呟き。

 

『どんだけ弱くとも、絶対に油断するなよ。どれだけ相手が間抜けでも、鬼は人に触れれば捩切り殺すなんて朝飯前なんだ。お前が生きてきた獣の世界の、さらに百倍危険だと考えとけ。要らねえって思っても、心の中にしまっとくだけなら損はねえ。控えるってのは案外大事だ。必要な時に引き出せるんだからな』

(わかってらァ)

 

 と切り捨てはするものの。やはりこれにも嘘はなく、逆らうだけの意味もない。

 あえて反発するほどでもない助言、というのは思いのほかすんなり入ってきた。そして、一度受け入れると出て行かない。そういう手管なのかどうかは知らないが、学がなく気性も荒い伊之助ですら、さしたる問題にしていなかった。

 口先だけの弱っちい奴らとは違う。他者を使うのが上手い人間を見るのは初めてだった。

 まあ、だからといって、いつまでも獪岳の下に甘んじる気などさらさらなかったが。

 

「そのためにはまず鬼をぶっ殺さなきゃな! ギハハハハハハ!」

 

 獪岳に失望されるのは、極めて癪だ。自分は暢気な平地の抜け作どもとは違う。弱肉強食が掟の山に君臨してきたのだ。油断せずちょちょいと片付けてやるくらいお茶の子さいさいだ。

 

「近え! 近え! 近え! もう逃げ場はねえぞ鬼め!」

 

 げたげたと笑い声を上げたまま、伊之助は直進した。

 言葉に応えるように、糸と蜘蛛は密度を増していく。だが、そもそも対応が伊之助の速度に全く追いついていないのだから仕方ない。

 ぱらぱらと降る蜘蛛に、背後で大量の糸と蜘蛛が重なり合う気配がする。それだけだ。たまに命中するそれも、軽く払うだけで終わる。

 

「もう気配を探るまでもなく感じるぜぇ! ビンビンによ!」

 

 生き物は全て気配が違う。同時に、種族という大雑把な区切りによってもまた、気配は区切られていた。

 例えばウサギならふわふわと綿のようだし、犬ならごわりとした強い毛皮だ。猪であれば固く鋭く、人であればのっぺりしている。そして鬼であれば、ごわごわとでも言うべきか、ヤスリのような感触だった。個性というのはそういった大きな分類からさらに細かい違いを指す。

 どうもこの感覚は特殊かつ稀少なようで、得難いものだというのは獪岳に会って初めて知った。他の二人が別種で似たような感覚を持っていたため、気がつかなかった。おかげで索敵能力に限って言えば獪岳以上であるし、頼られてもいる。なかなか悪くない。

 この鬼の個性はもう覚えた。どこに行っても捉えられるだろう。元より逃がすつもりはさらさらないが。

 半ば茂みを蹴飛ばすように突入した先は、小広い広間だった。

 戦うには少々狭い空間にある岩の上に、女が座っている。少し前に会った鬼と同じく白く長い髪に、顔に独特の入れ墨。年の頃は三十路を少し過ぎたくらい、ではあるのだが。少なくとも外見上は。

 

(…………?)

 

 そこで、なぜだか伊之助は強い違和感を感じた。

 こちらを見てあからさまに怯えている点ではない。劣勢になれば伊之助を恐れる鬼など、今までにいくらでもいた。だから、そこではない。

 ずれた感覚の正体は分からない。しかし致命的にかみ合わない。まるで慣れた森の中に異物が紛れたかのようだ。苛立ちというよりは、どうにも据わりが悪い。

 

「……ま、関係ねえ」

 

 へっ、と全てを鼻で笑い飛ばした。

 そう、関係などない。どうせここで始末してしまうのだから。感じた事とて、寝れば忘れるだろう。そんなことよりも。

 

「オラついに追い詰めたぜ! とっとと頚を出しやがれ!」

 

 これこそが重要だった。

 切っ先を向けられた女は、岩の上でうずくまるようにしながらも、必死になって手を動かそうとしていた。どうやらこの鬼の血鬼術は、手を起点としなければいけないらしい。指先からだけ糸が伸びている。

 

「ひ……ああぁ!」

 

 恐怖に顔を引きつらせながら、攻撃というよりは駄々をこねるように手を振るった。それ自体が攻撃というよりは、直接糸を繋ごうとしているらしい。

 当然、伊之助がそんな緩慢な糸を受ける筈がない。ましてや強度を高くするためか、糸は太く見えやすかった。これならば、あの間抜けな操られていた隊士達でも対応できる。

 彼はわざと刃こぼれして切れない部分で糸を受け、同時に一カ所へ集めた。纏めた糸を、もう一本の刀で両断する。確かに今までの糸よりは硬いのだろうが、脅威を覚える程でもない。少なくとも彼にとっては、ちょっと斬りにくくなったのかもしれない、という程度の差しかなかった。

 一連の流れだけで悟る。この鬼は弱い。

 ろくな近接戦闘手段はなく、やることと言えば蜘蛛に糸を張り付かせるだけ。それで操作した相手だって、精々ヘボ隊士程度にしか通じない。動きからして、一つ前の鬼のように、特に戦いの心得がある訳でもなし。

 もっとも、慢心していい程でもない。操っている蜘蛛を全てここに集めて一斉にたかる事を思いつかれれば、さすがに対処のしようはなかった。相手が小さく、また多すぎて迎撃に現実性がない。

 

「おら死ねェ!」

「いや、いやぁっ!」

 

 何も通じないと知るや、鬼は一目散に遁走した。

 一瞬呆気にとられた伊之助だったが、すぐに絶対逃がしてはいけない事を思い出した。

 

「背ぇ向けてんじゃねえぞ弱味噌が!」

「来るなぁ!」

 

 鬼は山歩きが上手くない様子だったが、如何せん元の速度が違う。遠からず追いつけるだろうが、すぐにともいかなそうだ。

 が、伊之助が思っていたほど長く鬼ごっこは続かなかった。

 木の根にでも躓いたのか、足をよろけさせる。鬼は受け身も取れずに、そのまま派手に転んだ。

 

「コケてやんの、だせえな」

 

 鬼は地に伏せた姿勢のまま、逃げるのと伊之助を遠ざけるのとを同時に行おうとした。違う動作を同時に行おうとなどするものだから、ちぐはぐな動きになる。

 じりじり後ずさりながら、近場のものを手当たり次第に投げてきた。大半は落ち葉であり、僅かに混ざっている小石すら明後日の方向に飛ぶ。鬼の抵抗は、意味が無いどころか、自分を殺す存在が近づく助けにしかなっていなかった。

 ただただ無意味。鬼狩りへの反抗から、自分の命すらも。それを一番よく知っていたいのは、他ならぬ鬼本人だった。

 ゴミを投げる手がどんどん鈍くなっていった。後ろへ這いずるのすら、みるみるうちに弱々しくなる。やがてその場で体を抱えるようにしながら、嗚咽を漏らし始めた。

 

「う……ひっく……なんで私ばっかりこんな目に……」

「あァ? 逃げたり泣いたり、なんだお前」

 

 訳が分からないと、刃が届く範囲まで接近したにもかかわらず、伊之助は困惑した。

 初めて会う手合いだった。いや、初めてではないのだろうか。ただ、行動と見た目が合っていないだけで。

 小さくなってぼろぼろ涙を流す鬼を見下ろしながら、伊之助は気付いた。いや、気がついてしまった。

 

「お前……もしかしてガキなのか?」

 

 もはや戦う事すら諦めた鬼を、伊之助は呆然と見続けた。

 違和感の正体は、見た目と中身が致命的なすれ違いだった。婆に片足突っ込んでるようななりをしながら、その実、精神は自分よりも大分幼い。

 そんな事があるのだろうか、と思いもしたが。人の外見を保ったまま首の位置を変えるなどという真似に比べれば、遙かに容易いのではないだろうか。難易度がどれほどであれ、結果は目の前に、確かに存在する。

 気付かなければよかった。だが、一度気付いてしまえばもう無視はできなかった。

 否が応でも思い出す。鬼とは、鬼舞辻無惨とかいう始まりの鬼によって、無理矢理化け物に返られた者たちなのだと。その中には当り前に、こういうただの子供が悪徳に塗り替えられただけの場合もある。そんなこと思いもしなかった。もしくは、わざと目をそらしていた。

 知らなければ、無視もできた。何も考えず何も感じず、鬼を殺すことができた。だが、一度知ってしまえば、もう見て見ぬふりはできない。

 鬼はかつてただの人間だった。

 人間、だったのだ。自分と同じような。

 おそらく、この時が初めてだった。伊之助が正しく鬼による被害を理解したのは。

 全身が痺れて腕が重くなった気がした。まごうことなく錯覚だが、実感を持ってしまえば、ただの夢幻とも言いがたい。

 同時に、なぜ鬼殺隊が鬼を憎むのかも理解した。どうという事のない、どこにでもいる子供ですら()()してしまう。だから、だから鬼を殺すのだ。自分が殺して食った獣を埋めるのと同じ。弔いだ。

 もっとも、それが分かったからと言って、この状況に何も感じないわけではなかった。

 

「やだよぅ、なんで、なんでなのよ……!」

 

 鬼は頭を掻きむしりながら、恨みと理不尽で嘔吐く。それで少しでも自分の痛みが相手に伝わればいいとばかりに叩き付けた。

 

「訳も分からず鬼になんてされて、あんたたちに死ぬほど追いかけられて! なんとか助けてもらえそうな場所に入れたと思ったら、頭のおかしな奴に家族ごっこなんてさせられて! 失敗すれば何度も何度も切り刻まれる! 挙げ句の果てにはあんた見たいな奴に殺されるの!? 冗談じゃない、冗談じゃないわよ! なんで私がこんな目に! なんで私ばっかりこんな目に遭うの! お父ちゃん、お母ちゃん、なんで私を助けてくれないの……」

 

 どんどん声は弱まり、最後にはかすれるだけになる。

 言葉はやがて、しゃくり上げる声に溶けて消えた。だが伊之助でも、怨嗟までもが流れてくれた訳ではないのは分かる。

 この大人のなりをした子供は、延々理不尽を呪った。それを卑しいとまで言うつもりはない。実際、いきなり化け物にされた恨みは正当なものではあるだろう。だが、それだけだった。

 この子供は何も悔いてはいない。人を殺し、食い荒らしても。

 その事についてだけは、伊之助は何かを言うつもりはない。獣の世界は弱肉強食、弱ければ殺され食われるという摂理があるだけの世界だ。そういう意味で言えば、伊之助は隊士の中で最も鬼に近い。

 だが。どれだけそれが当然だと勝手に主張しようとも、残された存在が行いを許すわけではない。獣だって子を殺されれば逆襲を行う。当り前の事だ。

 この鬼は散々命を奪ってきた。伊之助が知っているだけでも十人近い。

 大きな報いから逃げることはできる。報いから、自分の命が尽きるまで逃げ切れる事もあるだろう。それと同じように、追いつかれる事はある。

 伊之助が鬼を殺そうとする事に、大した理由はない。ただ、巡り巡って鬼の番が来ただけなのだ。

 摂理が理解できないこの子供は、ただ幼いというのもあるのだろうが。それ以上に、と伊之助は思う。この子は、もう心の底まで鬼なのだ。同族を殺しても何も思わない、いや、人を既に同族だと思っていない。精神が完全に鬼だ。人であった事を言葉にするのは、自分が不幸だと主張するためでしかない。

 

「うっ、うぅっ……。死ね、みんな死んじゃえばいいんだ……!」

 

 戸惑いはあった。自分のような人間が、この子に刃を振り下ろすべきではないのかもしれない。それでも、殺さない事はできない。彼はもう鬼殺隊の一員であり、それ以上に、背負うものができたのだから。不本意であっても。

 手からこぼれ落ちそうになっていた剣を掴み直す。ゆっくりと、永遠に等しい距離を進んだ。ほんの数歩が限りなく遠く、同時に一瞬でもあった。嫌みなすれ違いにもどかしさを感じる。

 掲げた刀が断頭台になる。その拍子に、刃が目に入った。刃こぼれし斑に尖り狂暴なそれ。普段は抉り削れて丁度良いと思っていたが、この時ばかりは恨めしく感じた。安らかに逝かせてやる事もできない。

 鬼のうなじが目に入る。顔は伏せられて見えないのに事にほっとした。涙でぐちゃぐちゃな顔を見れば、きっと自分の中の何かが揺らぐ。

 何か言葉をかけるべきか。思って探したが、結局冴えた答えなど思いつくはずもなく、出たのは陳腐な一言だった。

 

「じゃあな」

 

 刀を下ろすと、鬼の頚はあっけなく落ちた。頭と共に、顔を押さえていた手首が散らばる。

 それを信じられないもののように見届けた後、やっと体から痺れが取れた。代わりに湧き上がったのは、形容しがたい感情。

 

「くそっ」

 

 意図せず漏れた言葉。それを皮切りに、理性が決壊する。

 

「くそ、くそくそくそくそ、クソッ! なんだこのイライラもやもやは! ふざけんじゃねえ!」

 

 絶叫する。他の鬼を呼び寄せる事にもなりかねないが、知ったことか。とにかく胸につっかえるものを取り払うため、伊之助は叫びながら近くの木を蹴飛ばした。

 頭が纏まらない。ただでさえ考えるのは苦手なのに、今は普段と比べものにならない。思考が越流を起こして、とにかく何もかもがぐちゃぐちゃだ。

 自分は正しかったのだろうか。子供は見逃すべきだったのではないか。いや、ただの因果なのだから仕方がない。そもそも善悪などない、あるのは自然の掟だけ。だが自分は迷っている。いらないと思っていた正しさを求めている。誰かに一言貰えれば、あるいは良心の呵責などなく始末できる鬼であったならば。

 分かっている。そもそも悩むのが間違いだ。それでも止まってくれない。どうしても納得ができない。

 

「……まだ鬼はいんだ。突っ立ってらんねえ」

 

 己を鼓舞するように、わざと口に出した。鬼は最低でも、あと二体はいる。

 そこまでしたのに。伊之助は、死んで崩れる鬼が溶けて消えきるまで、ずっとその場を動けなかった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。