獪岳と善逸   作:山筋

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那田蜘蛛山 伊之助としのぶ

 自分は上手くやっていた。誰よりも上手に立ち回っていた。時には累に媚びへつらい、時には愚かな“母”や“兄”を生け贄にして。人を狩る時ですら、鬼殺隊を可能な限り避け、なおかつ一番多く捕まえて歓心を買った。

 はっきり言って、彼女は累の事が嫌いだ。彼の行った“教育”により、人としての記憶は愚か、鬼になった後に自分がなんと名乗っていたかも覚えていない。それほど徹底されて苦痛と改造を施された。今では“姉”という単語ただそれだけが自分を指す。これで好意を持てという方がおかしい。

 それでも累に付いているのは、単に彼が強いからだった。十二鬼月だけあって、自分たちが束になった所で勝ち目はない。同時に、彼は裏切り――累に言わせれば、家族にあるまじき行い――を許さない。だから顔や与えられた血鬼術が崩れれば、精神が壊れるほどの拷問をされる。ましてや逃げたりなどしたら。半日切り刻まれ続けた後、太陽に晒されて殺される。そうして処分された“家族”を、姉はもう三人見送っていた。

 未だに、あのイカれた糞野郎を頼ったのが正解か分からない。家族だかなんだか知らないが、ごっこ遊びに本気でのめり込んでいる。

 それでも今まではなんとかなっていたのに。失敗してしまった。

 鬼殺隊が攻め込んできた。“母”“兄”“姉”がそれぞれの方向を担当し、始末を始めた。自分の担当は人数が少なく、また弱かったため、処分は難しくなく、後で食うための餌として丸める。

 その後はとろい母の方へ向かい、さりげなく母が張った罠の方へ誘導した。これで終わりだ、と思ったときだ。鬼狩りの後発隊、もしくは遅れてやってきた先発隊が来たのは。

 こいつらの強さは、今までの連中より一段も二段も上だった。中でも危険だったのが、隊長格の男だった。自分が累頼りの弱い鬼であり、真に強い鬼狩りを知らない点を差し引いても、次元の違う強さを持っていた。動きの一部が見えないだけならまだしも、動き全てが理解できないなど初めての経験だ。同時に、相手を確認できるほどに接近してしまった迂闊に、底冷えする恐怖を感じる。

 気がつけば、一目散に逃げていた。彼らが追ってこなかったのは、まだ母の繰り糸を攻略しきっていなかったからだろう。

 それから累の元へ着くまで、悪い情報は続いた。

 母の切り札である人形鬼は一瞬で消滅させられ、迎撃に父が動いた。四人いた鬼狩りは四手に分かれ、それぞれの鬼の方へ向かっていく。

 父は最強の鬼狩りと当たり――そしてどれほども持たずに細切れにされて死んだ。次に死んだのは母だった。これは予想していなかった訳ではない。元々一番弱かった上、不意打ち以外に何もできないのだから。五歩ほどの間合いまで近づかれれば、それこそ新人隊士にすら劣る。父を殺した鬼狩りは、次に兄の方へと向かった。父が勝てなかった以上、兄も長くは持つまい。

 彼女は恐怖に犯されたまま、累に縋り付いた。どうすればいいのか。いや、もういっそ逃げるべきではないのか。

 咄嗟に出してしまった迂闊に、顔面蒼白になる。家族に尽くさない、それは累の最も嫌うものだ。

 気がついた時には、自分の頚は落ちていた。痛みに叫びたくなるが、許される事ではない。ここで失敗を重ねれば、累は自分を姉と見なさなくなるだろう。かつて何人も“家族”が入れ替わったように。

 下手な言い訳は逆効果。故に、挽回を望み出た。かくしてそれは認められ、代わりに山に散っている残りの鬼狩りを始末してくるよう命令された。

 その場を逃げるように去りながら、考える。自分は強力な血鬼術を与えられ、確かに強くなった。下手な鬼狩りに怯える事もなくなった。だが、これは果たして幸福なのだろうか。四六時中、累の顔色をうかがい続けるのは、自分の望み通りなのか。

 ……考えてはいけない。涙すら零れそうになりながら、あらゆる懊悩を遮断する。

 誰に阿っても、誰を踏みつけにしようと、自分は生き残る。必ず幸せになってみせる。他人の不幸など知った事か。大事なのは自分だ。己だけが、己の価値を味わう事ができるのだから。

 幸いにして、鬼殺隊残党は雑魚の集まりだった。

 まあ、それは当然だろう。こちらの攻撃で三々五々散らされ、運良く逃げた者ばかりなのだから。楽な仕事だ。これなら挽回も難しくない。

 そう、思っていたのに。

 

「ガハハハハハハ!」

 

 よりにもよって、強い隊士に見つかってしまった。猪の面を被った、頭のおかしな二刀流。こちらが全速力で走っているのに、難なくとは言わないまでも、普通に着いてきている。

 

「てめえ弱味噌の屑野郎だな! 俺ぁ分かるぜ! お前みたいな奴なら斬るのに悩みも何もねえ! ギャハハハハハハ!」

 

 なんでだかやたら興奮している猪面に、何も言い返せない。

 呼吸が追いつかないという訳ではない。そもそも鬼と人では基礎能力が桁違いだ。いかな隊士と言えど、人間より先に鬼の体力が斬れるなどという事はあり得ない。

 ならなぜ言い返せないかと言えば、理由は二つ。猪面はとにかく言葉が通じなかった。累とは別の意味で狂っている。意思疎通を試みる行為そのものに、多大な労力を必要とする類いの人間だった。

 そしてもう一つ、こちらが問題なのだが。猪面は、自分が思っていたよりも遙かに強かった。

 彼女は糸を出せない。代わりに糸を束ねて布状にした繭を操る。精密性やらが皆無な代わりに糸の強度は累に次ぐ。にも関わらず、あの猪面は容易く繭を切り裂いて見せた。それも、人を閉じ込めて溶かすために作られた最高硬度のそれすら。

 自分は血鬼術に特化した鬼だ。母ほど極端ではなく、接近戦でも並の鬼以上には戦える自信はあったが。繭糸を容易く切り裂くような化け物と戦おうなどと考えるほど自惚れ屋ではない。

 

(どうしろって……どうしろって言うのよ! なんで私ばっかりこんな目に!)

 

 不条理を吐き捨て続ける。

 侵入者の撃退に失敗した。その上、口を滑らせて累を怒らせた。汚名返上しようにも無闇に強い隊士がこちらを見つけて襲いかかってくる。このままではどうしたって自分の安全を確保できない。

 なんで。いままで上手く渡ってきたのに。ここに来てどうして回避不能な不幸ばかり襲ってくる。今まで見たいに他の奴のところへ行けばいいのに。なんで私ばっかりがこんな目に遭わなければならない!

 

(まだよ、まだ終わりじゃない! この猪面の変態は山歩きがやたら上手い。そのせいで私と走る速度が同じなんだ。ということは平地にさえ入れれば逃げ切れる! 累なんかもうどうでもいい。あのイカれ野郎の家族ごっこになんてもう付き合ってられないわ! 私は失敗した、でもまだ致命的じゃない。生き残りさえすれば挽回できる!)

 

 そうすることに否などない。十二鬼月だろうがなんだろうが、利用できるならばするし、いらないならば見捨てる。馬鹿な鬼殺隊が累の気を引いている今こそが好機だ。

 猪頭は強いが馬鹿だ。こちらを上手く追い込むような知能はない。後は時間さえあれば問題ない。

 幸い、と言うべきなのだろうか。累から貰った血鬼術は、戦闘面において強力とは言いがたいものの(と言ってもそこらの鬼殺隊なら相手もならない位には強いが)、人を食うという面については飛び抜けて扱いやすい。彼女の得意血鬼術である“溶解の繭”は、非常に効率的に人を食えるのだ。消化能力に優れ、大量の人食を可能とする。おかげで今まで三桁近い人を食べられたし、今日だけでも十五人ほど食って肉体面は充実している。それだけ食ってなお、累の足下にも及ばないのだが。

 

(ひとまず問題なのは怪人猪男よ! なんであいつ、何度も撒いてるのに、的確にこっちを追跡してくるの!)

 

 速度が同じなら、地の利があるこちらが有利な筈だ。実際、相手は幾度かこちらを見失っている。どういう理屈か、そのたびにまっすぐこちらを見つけるのだが。

 一瞬、いっそ戦ってしまおうかという、鬼故の傲慢さが首をもたげた。すぐにその下らぬ思考を否定する。

 なぜ自分が、少しでも負ける可能性のある相手と戦わなければならないのか。それをしなかったから生き残れてきたというのに。全くもって馬鹿馬鹿しい。短気を起こすような場面ではない。少なくとも今はまだ。

 いや、変態猪と戦うだけならばまだいい。問題は、あれに時間を取られて、“父”すら一蹴してみせた化け物隊士がやってくる余裕を与えてしまうことだ。まかり間違ってあれに追いつかれたら、万に一つも生き残る目がない。

 こういう時、自分の血鬼術にもっと自由度があればと思ってしまう。捕食という面では間違いなく最高峰の血鬼術だろうが、繭糸は堅さと柔軟性を両立する代わりに、かなり鈍い。大きさもかなりのものなので非常に目立つ。せめてもう少し隠密性があれば、足止めの一つもできたろうに。

 

(役立たず! 役立たず! 役立たず! 役立たず! どいつもこいつも泣くかでかい顔するばかりで何もできやしない! せめて私の身代わりにくらいなれって言うのよ!)

 

 体を動かしながら、ひたすら悪態をはき続ける。

 

(イカれ集団の鬼殺隊も、無能な家族も、狂人の累も、どいつもこいつもクソばかり! 私は……私は幸せになるべきだって言うのに!)

 

 放っておけばいくらでも湧いてきそうな罵倒を腹に抱え、しかし急に彼女は足を止めた。

 失策を悟る。猪男から逃げるのに集中するあまり、前方への警戒を疎かにしていた。何者かがやってくる。間違いなく鬼殺隊だろう誰かが。

 ただでさえ追い詰められているのに、まともに相手などしていられない。即座に手を振り上げて、血鬼術を解放した。

 布束にも見える太い繭糸の乱流が、木々の隙間を埋める。糸は粘性が強く、体のどこかに触れればもう解くことはできない。そうなれば後はこちらのものだ。どれだけ逃げようとしても接着した糸から手繰って体を包み、溶解液で中を満たす。後は四半刻もあれば餌の完成だ。

 だが。

 逃げる場所などない筈の繭糸乱舞を、その小さな人影はいとも容易く潜り抜けた。

 

(……は?)

 

 繭糸を斬られる事くらいは想定していた。他にも触れたのが服ならば、そこだけ破って逃れるなども。しかし、不意打ちをしておきながら触れることさえできないというのは、全くの予想外だ。

 顔面が青ざめる。一撃を失敗しただけで悟った。この相手は、自分では絶対に敵わない、高い階級の鬼狩りなのだと。

 

「あらあら、いきなりご挨拶ですね」

 

 出てきた小柄な女隊士は、いかにも暢気にそう囁いた。殺気も何も感じない。それどころか、今の攻撃にすら何も思っていない。本当に、この女隊士にとっては『ご挨拶』でしかないのだ。

 全身から血の気が引く。そう味わったことのない感覚。しかし、一度知ってしまえば二度と忘れられない感覚。鋭く強い、絶対強者の空気。遊びと無駄がある累のそれとはまた別な、本当に鍛え上げられた一筋の刀。真の意味での鬼狩り。

 女隊士がうっすらとした笑みを浮かべたまま、細剣のような刀を持ち上げる。その姿にぞっとしながら、彼女は思わず叫んでいた。

 

「やめて! 助けて!」

「おや? 鬼が鬼殺隊に向かって助けてとは、どういう事でしょうか」

 

 女は微笑のまま問い返してきた。その顔はまるで、笑顔をかたどった仮面を被っているような不気味さがある。

 必死に頭を回転させ、言い訳を捻り出そうとする。命乞いに意味があるのかとは思う。だが、ここで話を聞くなら、希望がないわけではないだろう。少なくとも、隙を作って逃げるくらいはできるかもしれない。

 

「わ、私はずっと脅され従わされてたの。累っていう十二鬼月がいて、その頭がおかしい奴に家族である事を強要されてた。本当は人なんて殺したくないし、戦いだってしたくない。降伏するわ、だからお願い、許して」

 

 嘘と本当を織り交ぜて、命乞いをする。即興ではあるが、悪くないもののように思えた。

 女隊士はやはり微笑んだまま、しかし器用に哀れみの感情を作る。

 

「十二鬼月ですか、そんな存在に支配されているのでしたら、逆らえないのも道理ですね。分かりました、助けてあげましょう」

 

 言葉に、歓喜と恐怖が同時に襲ってきた。相手を上手く言いくるめられた嬉しさと、十二鬼月と聞いても全く動揺しない恐ろしさ。

 あちらには、既に十二鬼月ないしはそれに準ずる鬼がいるという情報が入っており、それに対抗できる人員が投入された。つまり、目の前の彼女がそれなのだろう。当り前に十二鬼月を討伐する存在、つまりは“柱”だ。

 

「でも――」

 

 女隊士は、少しだけ顔を崩した。目を細め、こちらを見定めるように。あるいは、嬲るように。

 

「嘘はいけません。お嬢さんのその鬼の力、喰った人の数は十人や二〇人じゃ利きませんよね。もしかしたら一〇〇人近く、食べているんじゃないですか? ああ、言い訳はしなくて結構ですよ。ここに来るまでに一四人は殺しているのは確認していますから」

 

 にこにこ、にこにこと。

 やっと彼女は気がついた。この女は、楽しさや親愛で笑っているのではない。そうでもしなければ、顔を保てないからしているのだ。

 

「だったら……なんだって言うの?」

 

 再び、理不尽がこみ上げてくる。イカれた累に圧制され、イカれた猪男に追い回され、今度はイカれた女隊士に問い詰められている。どいつもこいつも狂っている。なぜ自分を幸せにしようとしないのか。他人の事なんてどうでもいいではないか。自分が幸福を得るために、他者を蹴落とすなど誰もがやっている事だ。鬼の場合は、それがただ死に直結するだけで。

 どいつもこいつも。本当に、どいつもこいつも。吐き気がするような身勝手ばかり押しつけやがって。

 

「お嬢さんが殺した分だけ、同じ苦痛を与えます。目玉をえぐり出し腸を引きずり出し……と思ったのですが、よく考えてみれば、それでは同じ苦痛になりませんよね。なので酸の池に八〇回沈めます。大丈夫、お嬢さんは鬼なのだから死にはしませんよ。そうして禊ぎを終えて、改めて仲良くしましょう」

 

 名案だ、とばかりに女隊士は手を打った。楽しそうに、このときばかりは仮面が外れていると思えた。

 

「ふ、ざけるなぁ!」

 

 一方的な物言いに、思わず叫んでいた。今まで感じていた恐怖と、処世術も忘れて。

 

「結局あんたが私を苦しめて殺したいだけだろうが、クズ女が!」

 

 後先考えず、人を食って補充した燃料全てを血鬼術に変換する。先ほどと倍する量の繭糸が手から吐き出され、視界全てを埋め尽くした。

 そして。

 繭糸が視界を埋め尽くすより早く、女隊士の姿は消えていた。

 

「…………!?」

 

 何カ所かは分からないが、体を刺された。首は切られていないようだが、喉も貫かれたため、声が出せない。

 が、ただの怪我ならばどうでもいい。自分の再生能力ならば、いくつも数える前に元に戻る。それより、どうやってあの淫売を殺してやろうか。本当ならば苦しめたいが、これを殺しても同格の隊士と累がまだいる。時間はかけていられない。即座に反撃に出ようとして。

 自分が地に伏せって、体も動かないのに気がついた。いくらか遅れて、全身を焼かれるような痛みが走る。再生は終えているはずなのに、今度は苦痛で声が出ない。

 

「私、剣士としては柱の中でも最弱ですが、調薬には一家言あるんですよ。それで、鬼を殺せる毒を作り出したんです。体が熱くて痺れて動かないでしょう? 大丈夫、苦しめて殺す趣味はありませんから、程なく死ねますよ」

 

 小柄な女の、足下だけが擦れた目で映る。

 もう勝負はついたと言わんばかりに近づき身をかがめ、耳元にそっと唇を寄せた。

 

「お嬢さん、今まで殺してきた人間からこう言われた事はありませんか? 『このクズ女め、地獄に堕ちろ』って。そっくりそのまま、返ってきてしまいましたね」

 

 どこまでも甘く優しい、しかし強烈な毒。

 それが、彼女が最後に聞いた言葉だった。

 

 

 

   ***

 

 

 

 胡蝶しのぶは、刀を収めながら深く嘆息した。

 かなり長い距離を走り、そのまま戦闘したにも関わらず、汗一つかいていない。鬼が弱かった、というのもあるが、この程度で動作の質を下げるようでは、柱などやっていられない。

 何がどうという事もない、いつも通り。当り前のように、諦めに似た諦観だけが過ぎ去る時間。これが、しのぶは嫌で嫌で仕方なかった。

 鬼と仲良くできるならば仲良くしたい。この言葉に嘘はない。ただ同じだけ、鬼を皆殺しにしてもなお足りないという怨念があった。

 鬼と共存したいという、いっそ甘ったるいとも言える、今は亡き姉の理想。その姉を容易く踏みにじり、当り前のように喰った鬼への怒り。この矛盾を抱えている事を知る者は少ない。そして、矛盾を()()()()()()()()事を知る者は、しのぶ以外に存在しなかった。

 今殺した鬼も、哀れだと思う。同時に、忌々しいとも思う。

 人を食わなければ生きていけない。それだけならば、百歩譲って許せただろう。だが、鬼というのは全て、あの女のような存在なのだ。

 極めて自己中心的で驕傲。そもそも他者と協調するという程度すら理解しない。だから悪びれもしない。平気で殺した人間の数を詐称し、つい今し方喰ったばかりの人間すら無かったことにする。

 分かってはいるのだ。これこそ鬼舞辻無惨がすり込んだ、鬼の性質だという事くらい。鬼どもに自発的な階位の上昇を促す処置を施す。いずれ太陽を克服する者が現れるように、そして現れたら自分がそいつを喰えるように。同時に、鬼が自分の手から離れる事を防ぐために、慈愛と協調を取り払った。その結果が、今の残虐で粗暴で、人を人とも思わぬ下賎の輩集団。

 だからといって許せるかとはまた別の話だ。

 鬼に共存を説く度に空しくなる。

 鬼は死なない。それどころか、時間さえ経てば傷すら残らない。しかも痛覚まで鈍いと来ている。なのに、自分が他者に与えただけの苦痛を求められれば絶対に拒否する。自分さえよければいい。これが、これこそが鬼の本質だ。

 

(人を害しておいて、上辺だけの謝罪で許されるなんて、本当にそんな風に考えてるのかしら?)

 

 処刑と言うか拷問というか、には、多分に皮肉も混じってはいるが。本当に頭を下げただけで済むと思っているならば、もはや頭痛すら覚える。

 罪人は罪を購う。それでやっと社会的な責任を果たしたと言えるのだ。その後ですら、人の心は許さぬ事だってあるというのに。

 徒労は、倒した鬼の分だけ積み重なっている。もはや重荷の重圧そのものが麻痺しかけていた。

 

「さて」

 

 剣先を紙で拭い、鞘に収めた。

 日輪刀で頚を斬れるならば、鬼の残滓は跡形もなく消える。しかし毒で殺した場合、少なくとも日光に当たるまでは残り続けた。いちいち刀を拭かなければならないというのは、地味に面倒ではある。

 

「十二鬼月なんているんだから、先を急がないと」

 

 同輩の柱である冨岡義勇が別方面から入っているので、そちらが先にたどり着いていると期待したいが。那田蜘蛛山にある死者の数を考えると、順調にたどり着けるというのはあまり期待しない方がいい。最悪、生存者は一桁だろう。

 いつも通りの、つまらない感傷に浸っている暇はない。そう思って先に進もうとした時だった。

 前方から、どたどたと騒がしい足音が藪を蹴破って迫る。

 一瞬、また鬼かと思って構えるが。飛び出してきたのは、鬼などよりもよほど奇妙な何かだった。

 

「ウォラァ! いきなり気配小さくしやがってちょっと見失いそうなったじゃねえか! ようやく追いついたぞ!」

 

 なんというか、これは、その、なんと表現すればいいのだろうか。

 猪の剥製を被った、多分少年。何故か上半身は裸だ。外見の奇抜さにとらわれて見逃していたが、よくよく見ると両手に日輪刀を持っている。彼がこの鬼を追ってきた隊士であり、だからこそ鬼は焦っていたのだろう。多分。あまり自信はないが。正直な所、鬼狩りだろうがそうじゃなかろうが、猪の面を被った半裸の変態に追いかけられたら誰だって必死になる。

 

「ん? オイコラなに寝てんだ」

 

 猪面の少年は転がる鬼に気がつくと、遺体をげしげしと蹴り始めた。反応がないのに苛立ったのか、勢いはどんどん増していった。

 関わりたい相手とは言いがたかったが。一応上官として無視する訳にもいかず、仕方なしに声を掛けた。

 

「もし、そこの少年。鬼殺隊でいいんですよね」

「あ? 俺に言ってんのか? 見りゃ分かんだろ」

(見たら完全に蛮族か何かだから言ってるんだけど)

 

 野獣だってもう少し慎みがある、とまでは言わないでおく。

 こちらに注目をして(もしくは鬼を蹴るのに飽きたのか)、いくらか首をかしげ、やがて何か自慢げに、剣先をこちらに向けながら宣言した。

 

「お前強えな。ザクッと来やがるぜ!」

「できれば擬音で表現するのはやめていただきたいのですが」

 

 解読にいちいち時間がかかる。多分、雰囲気的な何かが琴線に触れたという事でいいのだろう。こういうのは大雑把にだけ掴んでいればいい。ちゃんと理解しようとすると頭痛を超えて精神崩壊を起こすし。

 なぜだか興奮している少年が、転がっている鬼に向かって刃を振り上げた。放っておいてもいいのだが、まあ指摘しない理由というのもない。剣が頚に沈む前に言った。

 

「その鬼はもう死んでますよ」

「騙そうったってそうはいかねえぜ! 鬼は死ぬと体が消えんだ。こいつは消えてねえ、だから生きてる」

「毒で体の内側だけを壊したんです。まあ頚を落とされた所で不都合があるわけでもないですから、好きにしていただいて構いませんが」

 

 指摘され、猪少年は怪訝そうに鬼に触れてみた。しばらく顔の辺りを弄って、そして呟く。

 

「そういや鬼が生きてるかどうかなんて判断できねえや」

「じゃあなんで触診したんですか……」

 

 呆れた声を出すしのぶに、少年はなぜかげたげたと笑っている。

 ひとしきり笑い終えると、再びびしっと剣を向けてきた。

 

「ところでお前」

「お前ではありません。胡蝶しのぶです。そういう貴方は?」

「俺は嘴平伊之助だ! おいしのぶ、俺と戦え! お前に勝てば俺はさらに強くなるって事だ! アハハハハハ!」

「私、これでも貴方の上役なんですけど……その上戦いって、もう何が何だか」

 

 半ば分かっていた事だが、話が通じない。というか何を言っているかも分からない。人と人ってどうやってい意思疎通していたんだろう、そもそも意思疎通って何なんだろう、などという哲学的な疑問さえ浮かんでくる。

 

「というかですね、伊之助君。鬼殺隊同士の私闘は御法度ですよ」

「……そういや大五郎がそんな事言ってたような言わなかったような。しゃあねえな」

「分かってくれましたか」

 

 ほっと胸をなで下ろす。大五郎というのが何者かは知らないが、とにかく感謝した。さぞや根気よく彼と接したのだろう。

 伊之助は刀を収め、そして改めて拳を握って構えた。

 

「喧嘩なら私闘じゃねえ! さあやるぞ! ハハハハァ!」

「……何も……分かってないじゃないですか……」

 

 元気に拳を振り回す獣(もう野生児とすら言いたくない)に、思わず頭を抱えた。

 

「喧嘩のやり方は獪岳に聞いたからな! 一昔前の俺とは訳が違うぜ!」

「獪岳? ここに獪岳がいるんですか?」

「ああん? 鬼をぶっ殺して回るって言ってたから、中のどっかにはいるだろうよ。ちなみに俺は一番強えから助けねえし面倒な鬼を確実に殺せって任されたぜ!」

 

 成る程、と頷く。

 今現在における獪岳の階級は知らないが、少なくとも丙未満という事はあるまい。十二鬼月が倒せるかはともかく、負けた隊士の時間稼ぎや支援には十分期待ができる。具体的には生存者無しが一割生還できるくらいには。

 となると、この少年に対する見方も変わってくる。性格もやることも奇天烈そのものだが、自分が思っている以上に腕は立つのだろう。よくよく観察すれば、全集中の呼吸・常中も会得している。そこまでできれば全ての基礎を会得したと言ってもいい程であり、単独で異能の鬼を任せられるだけの力はあるわけだ。仲間が手足をもいでいる間に、自分が十二鬼月の討伐ないしは遅延を行う。理にかなった利口な手だ。

 加えて、この中には冨岡義勇もいる。妙な絡まれ方をして困っていたが、これなら問題ないだろう。

 

「ちなみに、剣だろうが拳だろうが、どのみち私闘ですよ」

「あんだと!? ……じゃあどうやって戦うんだ」

「戦うなと言ってるんです」

 

 と、伊之助少年はしゅんとしてふて腐れ、その辺の小石を蹴りなどしている。思考回路が理解できないのは変わらないが、案外素直でいい子なのかもしれない。

 下らないやりとりをしているうちに、背後から足音が迫った。というか、やっと追いついてきた。

 

「はっ……はっ……遅れ……すみま……蟲柱」

「落ち着いてからで結構ですよ、村田さん。どうやらそう急ぐ状況でもないみたいですし」

 

 単独で那田蜘蛛山を脱出、救援要請を行った村田がやってくる。彼が追いつて来るのを待ったため、どうでもいい余話をしている合間があった。

 部隊の全滅自体は、上空で監視していた鎹鴉から届いていた。そのため、実は村田が戻るより早く、柱の出動は決定していたりする。とはいえ、彼の行動は全くの無駄という訳でもない。地形やら鬼の特徴やら、得られたものは多い。

 彼が言うには、上位の階級に怒鳴って命令されたという事だが。つまりそれも獪岳なのだろう。相変わらず、思考が雑なようで事態を上手くかみ合わせる人だ。

 肩で息をしながら膝に手を当てる彼を見て、伊之助は何気なく言った。

 

「なんだ、雑魚助じゃねえか」

「だれが雑魚助だ!」

 

 そこに関しては、あえて口は出さなかった。いい加減もうちょっと強くなって欲しいと思っていたのは秘密である。村田に限った話でもないが。

 二人はそのまま、ぎゃあぎゃあと言い合いを始めた。知らない仲ではないようだが、良好とも言いがたい。まあ、伊之助の様子を見れば今までどう接してきたか大体想像がつくので、何を言っても詮無い気はする。

 

「ぁ痛ッ! やったなお前!」

「ハハハ! 今のは殴ったんじゃなくて蹴ったんだから問題ねえ!」

「ありに決まってんだろこのバカ!」

 

 ほんの少し放っておいただけでこの有様だけは、さすがにどうにかして欲しい。このまま放置したら殴り合いでもしそうだ。その場合は、さすがに看過できない。

 なんで自分がこんなことで疲れなきゃいけないのか。悩みに、ひっそりとため息が出た。

 鬼殺隊は癖の強い人間が多い。鬼などという化け物に対し命がけで戦い、しかも生き残った者が集まっているのだから、ある意味当然だが。が、そういう人間と比較しても伊之助は大分アレだった。

 

(大丈夫大丈夫、私はもう柱を何年も務めてるんだからこれくらいどうという事はない)

 

 指先を額に触れさせつつ念じる。というか自分に言い聞かせる。絶対に、下弦の鬼の弱い方を相手してる方が楽かもしれない、とか思ってはいけない。

 柱の中でもぶっちぎりで問題を起こす不死川実弥に比べれば……比べれば……まあその、うん。世の中には論じない方がいい事もある。

 

「村田さん、貴方が知っているのはここまでですよね」

「このっ……! え、あ、はい」

 

 現在、後続部隊は柱二名を先頭に、山狩を行っている。一部だけとはいえ、中を知っている村田だけが蟲柱の従卒として率いられていた。遅れてやってきたのは、単にしのぶが鬼の気配を察知して先行しただけである。

 ふと、伊之助は周囲を見回した。

 

「そういやここはさっきまでいた場所だな。お前が小便漏らした」

「だから漏らしてねえよ!」

「はい、そういういざこざは後でにしましょうね」

 

 続きをしたら両方しばき倒すけど、とは秘しておく。

 一度手拍子をして注目を集めると、やっと伊之助も聞く姿勢になった。元々あまり村田にこだわりはなかったのだろう。

 

「私はこのまま、恐らく十二鬼月がいるであろう方へ向かいます。伊之助君、貴方は村田さんと一緒に残されているかも知れない人員の救出と、鬼の探索をお願いします。多分途中で私の継子と合流できると思うので、その場合も協力してください」

「あん? つったってお前よ、こいついても足手まといだぞ」

「んぐ……っ!」

 

 伊之助が村田を指さして言う。そこには嘲りも何もない。本当に、ただただそう言うことが許されるだけの実力差があった。分かっているから、村田も何も言い返さない。

 案外自分を正しく評価できている、としのぶは伊之助への評価を修正した。柱との差も理解はしていたのだろう。彼は尊大なのではない。ただ無鉄砲なだけで。どちらの方がいいかと問われたら、まあ困るところではあったが。

 

「元より彼を戦力として数えてはいません。刀も鈍らになっていますしね。ああ、私の継子は栗花落カナヲと言います。多分何を言っても反応がないと思いますが、話はちゃんと聞いているので放っておいてください」

「嫌だ。俺は十二鬼月を斬りてえ。雑魚の相手はかったりい」

 

 引っぱたいてやろうか、と思わず手が出そうになる。なんとか堪えて、浅く呼吸をして整えた。

 彼のような者は、真っ直ぐ頼んでも駄目だ。もう少し、こう、自尊心をくすぐらなければいけない。

 

「そうですか、残念です。伊之助君は強いから頼んでいるんですが。自信がないならば無理にとは言いません。ここにいる程の鬼でも単独で倒せると見込んでのお願いだったんですが、そうですかそうですか、実はあまり強くないんですねえ。頼りにさせてもらえないのは残念です」

「んだとコラァ! 倒しまくるわ! 見てろよやってやるからな!」

 

 憤慨し子供のように暴れて、声を張り上げる伊之助。

 態度はどうあれ、しのぶの予想通りに上手く誤魔化されてくれた。悲しそうに隠していた口をさっと戻し、にこりと笑ってお願いする。

 

「まあ、受けてくれるんですね。ではお願いします」

「おうよ!」

 

 力こぶを作って見せる伊之助に、手を合わせて喜ぶ、ふりをする。

 ついでに、伊之助から見えない角度で、村田に向かいだしにして申し訳ないと手で謝っておいた。不満がないとまでは行かないが、仕方無しといった風に村田が頷いた。この辺り、やはり彼は大人だ。

 

「おら行くぞ便所虫!」

「お前っ……ほんと、お前……っ! 後で覚えてろよ! 絶対ぶん殴るからな!」

「ハハハ! いつでもかかってこいや!」

 

 最後まで子供でもしないような言い合いをして、騒がしく去って行く二人。姿はすぐ見えなくなるが、このやかましさは、大分遠くなるまで届くだろう。

 どっと肩に押し寄せるこりをほぐし、しのぶは向かう先を定めた。

 胡蝶しのぶには、というかほとんどの柱には、特殊な感知能力など存在しない。それこそ盲目なのに岩柱などしていられる悲鳴嶼行冥くらいだろう。だが、それでも長いこと鉄火場で過ごしていれば、説明できない勘が身につくことがある。それは戦いの最中、致命的な血鬼術を察知したり、あるいは今のように、なんとなく強い鬼がいる方向に気がついたり。

 十二鬼月ないしは、それに近い力を持つ鬼が発する、気のようなもの。毎回必ず感じるというほど確かなものではなく、信用できるほどの能でもない。だが、高確率でそれが当たるというならば、感じるときくらいは絶対無視をしない。

 

(さて、私が手に負えない鬼でなければいいのだけれど)

 

 彼女の対鬼戦闘能力は、そのまま毒の有効性に比例する。はっきり言えば、毒が効かない時点で手も足も出なくなるのだ。それこそ、手足を削いで味方の支援をするというのも難しい。逆に毒が効けばかすり傷でも殺せるのだから、善し悪しを論じるのは難しいが。

 毒が通じない時は、他者に討伐を任せるしかない。胡蝶しのぶという柱が、他の柱と併用される事が多い最大の理由だ。

 いつか、毒の通じない鬼に、為す術無く殺される未来があるかもしれない。

 

(でもそれは今日じゃない。今日にはしない)

 

 誓いというよりは願望の、つまらないものだが。

 鬼の頚も切れぬ身で隊士になった時から、覚悟は決めている。その時が来ても、誇れる自分であり続けよう。

 ひとまずは、もう一人の柱は今どうしてるだろうかと考える。

 水柱・冨岡義勇。強さは文句なしなのだが、口下手な上に天然なので、いまいち動きを合わせづらい。あと変な言い回しをよくするので、柱の中でも短気な不死川実弥と伊黒小芭内をよく怒らせる。まあこの辺はどうでもいいか。

 ともあれ、迷ってたどり着けていないという事も十分ありえそうな男ではあった。いちいち探すのも面倒くさいので、引っ張って連れたかったが。この規模の山を探索するとなれば、分かれて動かざるを得ない。

 

「ついた頃には倒している、とかであれば言うことはないのだけど」

 

 案外、あっさり見つけて倒し終えているという事もある。

 変なことにだけはなってほしくないな、と軽く考えながら、しのぶは勘の働く方へと走り始めた。

 

 

 

 この時は、まさか相方が鬼を庇った上に、関節技を極められるなどとは夢にも思っていなかった。

 しのぶ曰く稀に見る天然男である義勇が彼女を本気で怒らせる、ほんの少し前の出来事だった。

 

 

 

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