獪岳と善逸   作:山筋

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那田蜘蛛山 終幕

「ぐヴェっ……ひぐっ……おっ、おえっ……グズ……ひっく……」

 

 ひたすら汚い嗚咽、これと足音だけが唯一の音となって、森の中に響き渡る。

 森の中は静かだった。今までのような自然とそうなったものではない。意図して作れられた、というか作らざるをえなかった静寂。

 声を出す事が許された、ある意味この場における王、我妻善逸は全く人目を憚らなかった。いや、憚る余裕すらないのか。どちらであれ獪岳には分からないが、とにかく彼は泣き続けた。泣きすぎて、途中何度か吐きすらしている。それでもなお涙と情動は止まらない。

 彼の様子に対し、誰一人として文句は言わなかった。言う権利を持つ者はいなかった。それこそこの場にいない者もだ。ちなみにこの場にいない者は、善逸の様子に気まずさを感じ、あれこれ仕事があるとか言いながら逃げ出している。残されたのは、逃げることが許されない者か、そもそも彼の様子など気にしてない(空気の読めない)者だけ。

 その様子たるや、さすがの伊之助すら哀れに思って背中をさすり、炭治郎が黙っているほどである。

 

「ゴフ、ゴヒュッ……ぐぁ……ぐひゅ……」

 

 ちらりと善逸の方を見ると、顔から出せるだけの体液を出していた。拭うのは、追いつかなくなって久しく、綺麗にするのは諦められている。

 いたたまれなくなって思わず目をそらすと、こちらをじっと見ていた視線と絡み合う。胡蝶しのぶだ。彼女の瞳が、強く「早くなんとかしろ」と訴えかけてきている。

 ふざけるな、なんで俺が、と思う。が、言葉には出さないし出せない。こうなったのは概ね彼が原因なのは、誰の目から見ても明らかだったのだから。それこそ、本人の視点ですら自分が悪いと思っている。

 

「あー、善逸」

「ふぁぐぎゅるげぺっぺ」

「せめて言葉を喋れ」

 

 不思議な呪文を唱えられて困惑する。

 思わずここで諦めようとしたが、背中から突き刺さるものがあった。しのぶからの強い軽蔑と、急かす視線。ちくちくと背中に突き立てられながら、獪岳は嘆息した。自分はそんなに悪いことをしたかと言いたくなる。いや、したのだが。

 ひっそりと周囲を見る。何を考えているか分からないのが、冨岡義勇に少女――栗花落カナヲ。ぎゃん泣きしている我妻善逸を無言で慰めているのが、竈門炭治郎に嘴平伊之助。竈門禰豆子は筺の中に戻ってぐっすりである。最後に、少し距離を開け、胡蝶しのぶ。ここにいるのはそれだけだった。

 集まっている隊士は、戦闘可能な者だけでもこの数倍はいるが、先ほどの通り全員あれこれ理由をつけて離脱している。残っているのは、逃げる理由がない当事者だけだ。それは鬼討伐の主要人物という意味でもあり、禰豆子の存在を理解しているという意味でもある。

 

「ほんと俺が悪かったって。機嫌直せよ」

「じゅぼっべべ」

「だから言葉にしてくれって。俺には呻きを翻訳できる機能なんてついてねえんだわ」

 

 その後もしばらく善逸はえぐえぐとしていたが、幾度がつばを飲み込んで、やっとまともな言葉を発せられる程度に戻ると。

 

「獪岳が悪いんだろぉ!」

 

 全力でそう叫んだ。

 

「ああ、だから悪かったって」

「悪かったで済むかよ! 本当に怖いし心細いし風にすらびっくりするしで散々だったんだぞ! 最後は自分を死んだことにして耐えてたんだからな!」

「そうだけどよ。ああもう……」

 

 言い終えると、また大声で泣き出してしまった。様子に、どう言葉を続けていいのかも分からなくなる。

 言い訳が許されるならば、これは仕方なかったのだと獪岳は言う。そもそもが、後片付けで全ててんやわんやしており、細かい所まで気にしている余裕などなかった。

 ――鎹鴉から指令が下った直後、獪岳はカナヲを連れて柱との合流を考えた。

 まず現役隊士を連れて階級の最上位と会うことで、敵意がない事を示そうとした。この判断は、最善ではないにしてもまあまあ悪くない、と思っている。少なくとも炭治郎と合流を急ぐよりは、よっぽど現実に即していただろう。

 幸いな事に、柱二名にも命令は届いており、争いは収まっていた。といっても、わだかまりまで解けた訳ではなく、義勇は青筋を立てたしのぶに、何度も脇腹を小突かれていたが。ちなみに、少しだけ痛そうだった。威力はないが的確に肋骨を抉っていた。

 その後、伊之助を中心に他の隊士と合流しつつ、自己紹介も兼ねて情報のすりあわせをする。階級上位の者(獪岳含む)は隠に指示を出して、自体の隠蔽を図る。さすがにこの規模となると、誤魔化すにも限界があるが、だからといって数十人という死者を放置もできない。鬼殺隊は国家権力と結びたいが、現実的な案ではなかった。鬼を倒せる方法は限られているし、歴代産屋敷がそれを試行錯誤しなかった訳がない。この話も鬼狩りの合間に聞きかじっただけなので、試した事はもっと多いだろう。鬼殺隊が非公認組織なのは、そうなるだけの故がある。

 ある程度合流し、少々の警戒――重に炭治郎と禰豆子へ対する――をしながらも、山の麓へさしかかった所で。やっと獪岳は気がついた。あ、善逸忘れてた、と。

 かくして、その場にいた全員でとんぼ返り。獪岳の記憶を頼りに鬼がいた場所まで戻っていき。そこにいたのは、広場の片隅で膝を抱え、涙も涸れ果てたと言った様子で死んだ目をする善逸と、彼を中心に囲い込んで微動だにしない人蜘蛛の群れだった。

 はっきり言って、凄く気味悪い光景だった。精神が死んでる善逸まで含めて。

 とりあえず人蜘蛛の群れはしのぶがなんとかした(何でなんとかなったのかは未だによく分からない)。なんでも鬼になったわけではないため、人に戻せる可能性が高いとの事だ。そちらは彼女に任せて、獪岳らは善逸の相手をすることになった。

 最初は何をしても無反応だったが。揺さぶったり頬を叩いている内に、目の前の光景を正しく認識できるようになり。それと同時に、ぶわっと大量の涙を流し始めた。

 意識を取り戻したからと言って正気とはまだ言いがたく、とにかく涙する善逸をあやし続けて。皆して善逸を忘れていたため居心地悪く、今に至る訳だが。

 

「だいたい忘れる!? あんなに頑張って戦った俺の事忘れることってある!?」

「それは、うーん……」

 

 言うほど活躍したかと問われると、正直どうだろなあとなる。それこそ山の何割かを支配していた鬼を単独撃破した伊之助や、十二鬼月を一人で抑えていた炭治郎の方がよっぽどであるし。

 これを指摘するとまた泣きそうなので、黙っておくが。普段は優しさという物を親の腹に置き忘れたような獪岳だが、さすがにこの時ばかりは気を遣った。いつも通りに接すれば周囲から白い目で見られるから、というのもある。

 

「誰も善逸を忘れてなんてないぞ。ちょっと皆忙しかっただけだ」

「ええと、ああ、そう、そうだそうだ! 大五郎の言うとおり!」

「炭治郎ぉ……伊之助ぇ……」

 

 善逸が感極まって、仲間二人を潤んだ瞳で見つめる。炭治郎はともかく伊之助は特に何も言っていないのだが、それには気付いていない様子だ。こういうところが、すぐ騙される原因なんだろうな、とも思う。これまた口にはしなかった。

 

「だいたい獪岳は俺にキツくない!? もっと優しくしてよ! 俺が嫌いなの!?」

「あぁ? 嫌いな訳ねえだろ」

 

 訳の分からないことを言う善逸に。そこだけはどうしても容認しがたく、強い口調で被せた。

 答えに、善逸はぱっと顔に花を咲かせる。

 

「獪岳……!」

「ただどうしてもこう、お前のことは頭から抜け落ちがちというか、比較的にどうでもいい分類へ入りやすいというか。なんか気付いたらお前がぽっと頭から抜け落ちてるんだよな、たまに」

「獪岳ぅ……!」

 

 一転、善逸は鬼もかくやという形相になって、歯ぎしりをした。

 視線は一つではなかった。炭治郎はこいつ本当かよみたいに見てくるし、背後からはやはり、もう殺意と言ってもいいような熱閃じみたものが飛んでくる。

 

「獪岳さん?」

「やっべ」

 

 口滑らせすぎた、と反省する。しないと背中を刺されそうだった。鍔鳴りがしたのは、努めて気のせいだという事にする。

 しかし修業時代からこんな扱いだったのだから、いい加減善逸も学習して欲しい。彼を大切に思った事はあっても、大切に扱ったことはない。これは大体先生が甘やかすから仕方なくだが。

 ともかく、修行が終わったからいきなり優しくする、などという事はない。

 第一、善逸はもっとその気になってやればいいのだ。先ほどだって、あの人面鬼は善逸一人で十分撃破できた。彼が炭治郎や伊之助に劣る理由の大部分は、引けた腰だ。覚悟さえできて、後は変な突撃癖さえなくなれば十分並び立つ力がある。

 まあ、だから忘れないかと問われたら、多分すぽんと抜けるのは変わらないが。

 

「とにかく機嫌直せって。あとでアメやるから」

「いらないよ……獪岳は俺を何だと思ってるんだよ……」

 

 どっと疲れたように、肩を落としながら、善逸。今までとにかく感情の起伏が激しかったから仕方ない。そうでなくとも、鬼と戦えば体力気力共に消耗する。強さに隠れて忘れがちだが、彼らはまだ新人なのだ。

 過程はどうだかと自分でも思うが、とりあえずぎゃんぎゃん騒ぐだけの元気は取り戻せたようだ。すぐ力は抜けたものの、悲惨としか言い様がない空気からは解放された。

 善逸が普通にしゃべれるようになった事で、しのぶからの厳しい追及の視線はなくなった。ひとまずは、でしかないが。

 

「――で、獪岳さんはなんで鬼を隠してたんですか?」

 

 とまあ、一度落ち着けば、こう追求が来るわけだ。もしかしたらこちらの話に、より怒っていたのかも知れない。いや、どちらも腹立たしいのには変わりなかっただろうが。

 義勇は、ともすれば何も考えてないようにも見える、他人事みたいな顔をしていた。既に詰問した後なのか、それともこの後審問の場でもあるのか、とりあえず今は放置されている。

 この質問は想定していた。考える時間は合流するまでいくらでもあったし。まあ、答えは当然冴えたものなど出てくる筈もなかったが。

 という訳で、彼はいかにも阿呆らしい事を口走った。

 

「は? 鬼を隠したって何の話?」

「はい?」

「俺が知ってるのは竈門禰豆子っつうなんか竹噛むのが趣味っつう変なガキ。なんかにょきにょき体をでかくしたり小さくしたりできる妙な手品が使える。わあ不思議。でもちょっと不気味」

「……馬鹿にしてます?」

 

 不気味と言ったところで、炭治郎が禰豆子は不気味じゃないと抗議してきたが、捨て置く。

 獪岳は半ば意地になって続けた。

 

「俺は何も見てねえし聞いてねえし知らねえよ」

「そんな言い訳が通用するわけ無いでしょう」

「見てねえ、聞いてねえ、知らねえ」

「ちょっと!」

 

 笑顔のまま青筋を立てるという、器用な真似をしてしのぶが詰め寄ってきた。それに対し、獪岳はとにかく同じ言葉を繰り返して聞き流す。理由なんて絆された以外の何物でもないのだから最初から言い訳のしようなどなかった。

 子供みたいなというかまるっきり子供の駄々だが、他に採れる手がない事情はある。

 胡蝶しのぶ。鬼殺隊きっての穏健派。ただし、元と枕詞がつくが。

 最初出会った頃は、普通に温厚な人間だった。鬼に肉親を殺されて恨み骨髄な者からは、頭に花が咲いているなどと陰口を叩かれる程度には。

 それが変わったのは、彼女が柱になる少し前の事だ。花柱であり、しのぶの姉でもある胡蝶カナエが上弦の鬼に殺された。恐らくこれがきっかけだろう。それから幾ばくかして、花柱と入れ替わるように蟲柱・胡蝶しのぶが誕生した。同時に、その苛烈かつ加虐的に鬼を嬲る戦い方から、以前とは真逆の意味で頭のおかしな女扱いされている。

 下手に触れるとどう爆発するか分からない。馬鹿丸出しのやり方は、その実身を守るという一点に関してだけは優秀だった。怒りの方向を分散できる。

 最悪、その場でざっくりという可能性もあったのだから上々だろう。戦って負けるとは思わないが、かといってしんどいのも変わりない。斬って逃げるという選択肢は、さすがに外道が過ぎて考慮する気にもなれなかった。というかそもそも発想自体が鬼か殺人鬼のそれである。

 

「おい、女」

 

 重に獪岳のせいで続いた不毛なやりとりは、伊之助の言葉で止まった。善逸の相手をしていたはずだが、調子を取り戻した事で止めたのだろう。もしくは、ただ単に相手するのに飽きたか。

 女、と言われて二人が振り向いた。

 

「そっちじゃねえ、お前だ」

 

 と、彼はしのぶの方を指さす。

 ぞんざいに指名され、彼女は見せつけるようにため息をついた。

 

「伊之助君、先ほども紹介したはずですが、私は胡蝶しのぶです。これでも最上位の指揮権を持つ柱という存在なんですよ。別に敬語を使えとまで言うつもりはありませんが、もう少し態度をですね」

「そうか、身延」

「し・の・ぶ!」

 

 一語一語を噛んで理解させるように協調する。多少の怒気を交えた威圧と共に。

 だが、そんな気配に当てられても、伊之助は平然としていた。獪岳が、どんな時でも十分に体を動かせるようにと殺気を当て続けたたまものである。知られたら、またぞろしのぶに睨まれるだろうか。

 

「なんでお前が柱なんだ」

「……? どういう意味です?」

「お前が強えのは分かる。肌にビリッときやがるぜ。だが、どう見たって獪岳の方が強え。なんで弱い方が柱になってる? 強い奴がなるもんなんだろ」

 

 本人からしてみれば、それは素朴な疑問という程度の事でしかないのだろう。

 だがしのぶは、致命的な何かに触れられたという風に、気まずそうに顔をしかめた。そして、獪岳の方を済まなそうに伺い見てくる。

 

(せめて俺のいねえ所でやってくんねえかな)

 

 鬱陶しいので、視線はあえて無視した。

 獪岳に、特に柱になりたいなどという願望はない。もちろん、貰えるなら貰っておこうという程度には欲しいが。同時に、なれない事自体も特に気にしていなかった。他の要因があるならともかく、単に実力不足でしかないのだから。

 だが、それで哀れまれるのは、鬱陶しいとしか言い様がなかった。故に一切合切を無視する。

 どのみち、隠しきれるような事でもない。隊士の中では公然の秘密ですらある。

 それを肯定と捉えたのか、しのぶはやや言いづらそうに、しかし言葉は続けた。

 

「そうですね、まず一つ。まず、柱になるのは一番強い人ではありません。一番鬼を殺すのが上手い人、です。鬼を早く正確に始末する能力、この一点において、私は柱の中でも屈指の能力を持っていると自負します」

 

 はっきりと立てられた一本指。そこにもう一本を足す時は、どこかためらいがあった。

 

「二つ、これはその……あまり私が吹聴していい事ではないのですが。獪岳さんの“雷の呼吸”は不完全だからというのも大きく影響しているでしょう」

「不完全?」

 

 伊之助が聞く中、善逸がしまったという顔をする。今になってやっと、問題を理解した。

 どうにか話をそらそうと挙動不審になっていたが、上手い話題が思い浮かばず、やがてしのぶより遙かに陰気な表情で顔を伏せてしまった。その様子を、しのぶが申し訳なさそうに見ている。

 

「獪岳さんは、壱ノ型が使えません」

「あの。型が一つ使えないと何なんですか? 俺だって使えないとまでは言いませんけど、型の得手不得手くらいはありますし」

 

 炭治郎の質問に、しかししのぶは目を閉じながら首を振った。

 

「残念ながら、雷の呼吸で『壱ノ型が使えない』のは、他の型が使えないのとは訳が違うんです。ある意味において、雷の呼吸は全呼吸の中で、もっとも尖った性質を持った呼吸なんです。せめて壱ノ型でさえなければ良かったのですが……」

「ええと……善逸?」

 

 いまいちよく分からない風な炭治郎が、今度は善逸に聞いてみた。

 彼に悪意はない。全く。ただ、配慮というものは欠けていた。

 

「雷の呼吸には……明確な役割があるんだ。壱ノ型は頚を狩るためだけにある。逆に、他の型は壱ノ型に繋げるためだけにある。だから、その……獪岳は『鬼に対する決定打』がないし、俺の場合は『鬼に最後の一太刀を与えるための間合い』を取る手段が足りない。俺たちは二人とも不完全なんだ。本当の意味で、じいちゃんの……元鳴柱の後継者にはなれなかった……」

 

 今までになく真剣に落ち込む善逸に、炭治郎が慌てふためく。逆に伊之助は、どうでも良さそうに頭の後ろで腕を組んだ。

 

「なんだそりゃ、つまんねえ。強え奴が柱になりゃいいのによ。上から並べとけ」

 

 子供じみてすらいる言葉。しかし見方を変えれば、獪岳と善逸を上手く庇っているようにも取れた。

 しのぶが小さく、これは作った物ではなく笑う。

 

「そうですね。確かに強い人を順に並べるのでしたら、獪岳さんは間違いなく柱だと思いますよ。もちろん、隊士としての能力では私が勝りますが」

「なにせ俺が強さを認めたくらいだからな、ハハハハ!」

 

 何でだか、伊之助はやけに機嫌がよくなった。

 それに乗っかるように、獪岳も言う。

 

「さすが、一年で柱になった奴は言うことが違えな」

 

 わざと茶目っ気を出して自画自賛するのは、さすがに恥ずかしかったのだろう。いたずらに揶揄され、しのぶが頬を赤らめる。

 

「うるさいですよ。だいたい、初年度で甲にまで駆け上がった人に言われたくありません」

「俺からするとどっちも化け物なんだけど……」

 

 善逸が小さくぼやいた。

 そんなことをほざく彼自身も、平均からしたら十分に化け物である。普通は入隊一年目で、全集中の呼吸・常中を扱えるまで体ができあがらない。個人差はあるものの、異能の鬼を単独で撃破できるほど力をつけるのは、大抵二年目からだ。

 この場にいるのは、剣士の才能という一点においては完全に、上澄みにいる者だけだった。善逸は突撃しかできない関係上難しいかもしれないが、炭治郎、伊之助、カナヲあたりはあと二年もあれば十分甲に届くと思われる。

 鬼殺隊でも数えるほどしかいない最上位階級候補が同期に四人。豊作という次元ではない。とはいえ、一年で甲一人に柱一人を輩出した『蟲柱世代』も似たような扱いではあるのだが。

 昔はないないづくしで悩んでいたが。案外、自分の才能がどこにあるかなど分からないものだ。

 もしあの頃に自分の才を自覚していたら、などという事を考えて、獪岳は笑った。非常に下らない。全ては一本の線だ。曲がりくねりはすることがあっても、二本にはけっして増えない。ただ人を斬るのが上手い程度の才能、今まであった事全てを捧げるような価値があるものではない。誰かと生きる価値を知らなかった頃ならばともかく――今は、人と手を取り合う事を知っている。死んでいった仲間が、孤児院の家族が、そして善逸と慈悟郎が教えてくれた。

 満足したという訳ではない。いつだって何かに不満はある。ただ、安らぎを味わった。それだけ。

 

(これが大人になったって事なのかね)

 

 あるいは、ただ単に折り合いをつけるのが上手くなっただけかもしれない。

 何にしろ、獪岳もそろそろ少年という年ではなくなっている。まともな育ちをしていない彼に自分の正確な年齢を測る術はないが、少なくとも見た目はしっかりな大人だ。

 

(大人もどきの仕事として、ひとまずは呼び出しだろうな。降格くらいで済めば御の字なんだが……)

 

 恐らくそれはないだろうと見ている。そもそも鬼に与しただけで切腹を言い渡される程過激な組織であるのだし。

 どんな沙汰が下るかは分からないが、さすがに本部が出張るとなれば禰豆子のごまかしもきかないし、助けられない。そこまで面倒見切れないのではなく、根本的に不可能だった。

 よほどの阿呆でなければ、十分こちらを制圧できる戦力を用意しているだろう。つまりは、柱三人はいると思った方がいい。彼らを倒すのが不可能なら、炭治郎と禰豆子を連れて逃げるのなどもっと無理だ。

 結局、ほぼあり得ない温情に期待するしかないのは悲しい限りだが。

 いっそこの場で逃げ出したとして、状況が良くなる見込みはない。逃走成功率は柱複数名を相手にするよりいくらか高いという程度でしかないし。そもそも、本部からの命令が下った状況で義勇がまだ手を貸してくれるかも疑問だ。となると、今逃げる事の意味は限りなく零になる。

 

(やっぱ口八丁で誤魔化すしかねえな)

 

 そこへ行き着いてしまうのは、やはり自分が無能だからか。根本的に俺の頭は弱いんだ、と自嘲する。考えるより先に手が出る人間に、理性的な判断を期待してはいけない。

 弾んでいる会話の輪から離れて、一人考え込んでいると。頭に小さな衝撃があった。確認するまでもなく、何なのかは分かっている。獪岳に割り振られた鎹鴉がよくやる行為だ。

 

「なんだよ。俺ぁ本部に呼び出しだろ」

「カァー! カァー!」

 

 鬱陶しいが、頭を振っても手で払っても、この鴉は止めようとしない。人語を理解するだけの知能があるのだから、これはもうやだの嫌がらせだ。たまに頭をつついてさえくるあたり、完全に舐められている。強硬手段に入る一歩手前で止めるあたりがまた嫌らしい。

 その考えを肯定するように、鴉が嘲った、ような気がした。

 

「化野ニテ鬼ノ痕跡アリ! 十二鬼月ノ可能性大! 直チニ向カエ! 直チニ向カエ!」

「化野……って、どこだよ」

「確か京都の嵯峨野では?」

 

 口を挟んだしのぶに、獪岳は絶句した。横やりを入れられた事ではなく、彼女の言った地名に。

 

「京都……? お前、京都て。おい、知ってるか? 知らねえ筈ねえよな? 俺は命令で十七件鬼を探し待った後、わざわざ関東に出向きガキどものお守りをしながら十二鬼月相当の鬼と戦って、さらにここまで来て十二鬼月まで始末したんだぞ……。その俺に、今度は休みすらなく京都までとんぼ返りしろって? 本気で言ってんのか?」

「ケケッ」

「てめぇ今笑ったろぶっ殺すぞいい加減!」

「ま、まあまあ獪岳さん。鎹鴉に怒っても仕方ないですよ」

 

 なだめるしのぶだが、しかし彼女の顔も引きつっていた。まさかここまで窮屈な予定で動いているとは思わなかったらしい。

 

「なんだよこれ、虐めか?」

 

 獪岳は顔を両手で覆った。許されるなら、その場に座り込みたくすらある。

 確かに自分は強いし、柱と違って色々融通が利く。だからといって、少しばかり便利に使いすぎではないだろうか。胸を張って言える。獪岳の仕事量は、柱よりも上だと。それほど酷使されていた。

 柱になどしなくていいから、いっそのこと柱と同じく地区担当制にしてくれないかとすら思う。下手に甲なせいで、獪岳は本州において言ったことのない県などない。

 鴉と喧嘩するという間抜けな事をしていると、もう一羽の鴉が飛んできた。

 

「カァー! 栗花落カナヲ! 化野ヘ向カエ! 鬼討伐ニ参加スベシ!」

 

 どうやら、犠牲者は自分一人ではなかったらしい、と獪岳は内心安堵した。道連れができて嬉しいという下衆の考えでもあるが。

 

「チッ、クソが」

 

 すぐに走り出そうとして、咄嗟に止まる。

 あまりの衝撃に、禰豆子と炭治郎の瀬戸際だと忘れていた。融通の利かない炭治郎をこのまま放置すればどうなるか、想像して、あまり良い答えは思い浮かばなかった。

 ここで獪岳を任務に出す理由は何なのか。獪岳を無罪と判断したか……もしくは、厄介な獪岳を炭治郎と切り離しにかかったか。前者である事も十分考えられる。が、その希望的観測に頼るほど、獪岳は暢気ではなかった。

 

(しゃあねえ。無いよりマシ程度だが)

 

 獪岳は、急いで今までごちゃまぜになっていた思考を纏めた。同時に、刀を抜き放って近くの木を薄く削ぎ、即席の台を作る。

 

「ハヤク行ケ!」

「うるせえ、少しくらい長居しても変わんねえだろうが」

 

 ぎゃんぎゃん急かす鎹鴉を無視し、袂から紙と鉛筆軸を取り出した。紙を台に押しつけて、考えの纏まった部分から書き込んでいく。

 

「あいつ、何でも持ってやがんな」

「獪岳は昔っからああなんだよ。貧乏性というか、とにかく何でももったいなくて捨てられない系の人っていうか。その割にお金の扱いはぞんざいみたいだけど」

「へー。いいじゃないか、俺もあんまりもったいない事するのは良くないと思う」

 

 後ろでごちゃごちゃ言っているが、どうでもいいので無視する。ただしなんとなく、善逸は後で殴ろうと決めた。

 書く内容は決まっていたので、さほどつっかえる事無く全て書き終えた。最後に紙を吹き、残った煤を手で払う。多少擦れたようになったが、まあ仕方ないと割り切る。

 紙を四つ折りにし、それを義勇の懐に突っ込んだ。

 

「何をする」

「こりゃ保険だ。何事もなけりゃ出す必要はねえ。だが、禰豆子や炭治郎に差し迫った何かがあれば、もしかしたら役に立つかも知れねえ。……過信はしてくれるなよ。本当にかもって程度のもんだし、この程度の事を本部が考えてねえとは思えん。後はまああれだ、頼んだ」

 

 他の誰にも聞こえないよう、義勇に耳打ちする。

 本部との近さとも含めて、冨岡義勇は、唯一炭治郎達の味方でいられる人間だ。善逸では階級の低さから声が届かないし、獪岳は余所へ放られた。しのぶが味方でいてくれる筈もなく、他の柱にはつてがなく、第一時間もない。

 義勇は一瞬だけ目を見開いた。が、すぐに戻し、彼も小声になって返してくる。

 

「感謝する」

「勝手にやった事だ」

 

 返答を聞くに、この状況でも、彼はまだ炭治郎の味方でいてくれるらしい。

 気を抜けるほどの状況ではないが、まだ最悪でもなかった。禰豆子は助からずとも、炭治郎は助命されるだろう。

 全く。本当に。聞き分けのない後輩を持つと苦労する。そんな奴らを見捨てられない性分を持つ自分も同程度に。

 やることを終えて、カナヲへと向いた。

 

「行くぞ。とりあえずお前は俺の指揮下に入れ。勝手な真似はすんなよ。いきなり鬼に突っ込むとかだ」

 

 釘を刺すと、彼女はしのぶの方へと向いた。

 視線を向けられ、しのぶが小さく頷く。と、カナヲはこちらへ向き返り、似たような動作で頭を縦に振った。

 獪岳が一団を離脱すると、それにぴったりと張り付いてくる気配。少なくとも速度は及第点以上だと認めた。先に測った実力から、さらに一段上だと修正を加える。

 この分ならもう少し加速しても着いてこれそうだ。そう考えて、足を速めた。当り前に着いてくるカナヲに満足する。

 禰豆子の今後に後ろ髪引かれる思いはしたが、これ以上は何もできない。せめてまた会えればと思いながら、獪岳は京都までの道順を考えた。

 

 

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