獪岳と善逸   作:山筋

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獪岳・少年期 前

 粗悪な草履を履こうとして、獪岳はひっそり嘆息した。鼻緒が切れかけている。

 廃品を集めて補修しているだけなのだから仕方がないが、また子供らに直して貰わなければならない。いや、そろそろ限界で、またどこぞのゴミ捨て場を漁らなければならないだろうか。異臭の放つそこを長時間複数箇所、見つかるまで探し回るというのは、考えるだけでもうんざりした。

 あと数日は持つだろうと判断――もとい思い込んだ。都会で流行っている西洋草履なるものが手に入ればいいのだが。町でも見ないあたり、高価なのかまだ普及していないのか。どちらであれ稀少ではある。

 物音を立てないように気をつけて外に出ようとする。と、静寂の中から、ぬっと大きな、しかし静かな気配が現れた。

 

「行くのか、獪岳」

「ああ」

 

 短く答えて、足を試した。やはり右の草履が若干浮く。小さな違和感だが、多少の苛立ちを覚えた。

 

「朝だけにはならぬのか?」

「またそれかよ」

 

 眉をひそめてもの言いたげな行冥に、いつもの調子で手を振る。

 

「何度も言ってんだろ。小動物ならともかく、猪や鹿だと縄が持たねえって。夜のうちに他の獣に食わちまったのも一度や二度じゃねえ。深夜に罠を確認するのは必要な事なんだよ」

 

 罠猟は、だいたい五カ所前後朝に設置し、昼過ぎ、夜中、朝と三回確認に行っている。

 縄が弱いのは仕方がなかった。所詮子供が素人技術で雑に編んだのであり、強度など期待できるはずもない。ただ逃がすならいいが、無料とは言えない藁を持って行かれるのは痛手だった。そして、動けなくなった獲物を食うなと獣に言うのは、もっと無理な話だろう。

 行冥の気持ちは分からなくもないが、しかし彼も必要だとは思っているだろう。獪岳が獣を獲るようになって、誰かが空腹で倒れることはなくなった。肉と毛皮の稼ぎは、十分とは言えなくとも生きる糧になる。

 それでも、彼は納得しなかった。

 

「心配なのだ……獣を獲るからと言って昼の仕事を減らしている訳ではなく、睡眠時間が目減りしている。いつか体を壊すのではないかと思うと、言わずにはいられぬのだ」

「ガキじゃねえんだ、体調管理くらいできる」

「いいや、お前はまだ子供だ。体もできあがっていないだろう」

「はっ! 人間、(とお)も過ぎりゃ一丁前に働くもんなんだよ」

 

 当たり前に言ってやる。行冥に目は向けなかった。どんな表情をしているかは分かっている。わずかに眉じりを下げた、悲しそうな顔。

 それを直視するのは、少しだけ痛かった。

 かなり断片的ではあるが、行冥にだけは自分にどんな過去があるかを語っている。というより、当時の自分には言うべきことと言わなくていい事の区別がつかなかっただけなのだが。

 自分の生い立ちがかわいそうだとも、同情に値するとも思ったことはない。人とは違う、それだけだ。誰だってそうだ。一人として、同じ人生を歩んだ者などいない。もし哀れまれるとしたら、それは死んだ後にでも勝手にささやけばいい。

 ともあれ、気にしていない過去で気を遣われるのは、大分心地が悪かった。

 いつもならこれで解放してくれるのだが、今日は珍しく食い下がってきた。

 

「しかしな、夜には鬼が出るとも言うのだ」

「……あ? 鬼?」

 

 急にとぼけた事を言われて、思わず行冥の方を向いた。

 彼は多少困った風にはしているが、全くの真顔だった。聞き分けのない子供を躾けている風でも、鬼を言い訳に利用している風でもない。全くの本気で、鬼の脅威を信じているらしい。

 幾度か鬼の脅威について語られた事はある。彼が信心深い事も、知らなかった訳ではない。が、まさか真面目に忠告をされるなど思ってもいなかった。いや、実のところ彼の嘘など見抜けていなくて、危険を一緒くたに“鬼”と表現している可能性もあるが。

 呆れかえって、獪岳は言った。

 

「鬼なんていねぇよ。妖怪なんざいいちいち信じてたら一歩も外を歩けねえだろうが」

「だが、近くで死者が出ていると噂になっている。どれも尋常な死に方ではない。それこそ体をえぐられたかのような死に様だと言うのだ」

「どうせ熊か狼だろ。馬鹿馬鹿しい」

「それはそれで恐ろしいだろう……」

 

 と、今度は獪岳が呆れられてしまった。

 妄想の化け物ならばともかく、山歩きで獣も恐れないというのはただの馬鹿扱いされても仕方がない。さすがに、突っぱねるあまり頭の悪い事を言い過ぎた、と恥じる。

 

「お前も藤の花の香を焚く事には反対していないだろう?」

「確かにやめろとは言ってねえけどよ……安いし虫除けにもなるし」

 

 藤の花は、鬼が嫌うと伝えられている。

 真偽はさておき、需要は意外に高い――というもの、言ったとおり虫除けになるし、香りも案外悪くないのだ。おまけに藤花紋(どうかもん)の店(屋号は違うはずだが、獪岳は知らなかった。これは俗称だ)では、無料同然で売っている。

 藤花紋には抹香に限らず、頻繁に世話になっていた。どうしても食べ物がない時など、穀物を分けて貰った事もあり、気味が悪いくらいお人好しだ……などとは、そのおかげで生かして貰った側が言うことではないか。

 

「それとこれとは話が別だろ」

「そうだな」

 

 と、あっさりと行冥。

 面食らった所で、たたみかけるように続けてきた。

 

「だが、危険がある事まで否定はしないだろう? それらから子供たちを守るのが、保護者の役割だ。少なくとも私はそう思っている」

「…………」

 

 優しげにそう言われてしまえば、黙るしかない。

 行冥が過保護に感じるからと言って、想いまで無視できるものではなかった。実際、自分を受け入れてくれた事にはとても感謝している。だが、それだけで言い分を全て飲める訳でも、またない。

 生活と安全、両立するのは、持たざる者にとって難しいことだ。

 幾ばくかにらみ合うようにして、やがて折れたのは行冥の方だった――これも、いつもの事だ。

 

「何であれ、注意するに越したことはない。狙われた者は、いずれも社会から孤立していたのだよ。忘れてはいけない。我々は、世の中から半ばはじかれている者たちなのだ」

 

 はじかれている。鼻つまみ者。言葉を、口の中で噛みしめた。

 それは仕方がない。本当に、全くもって仕方がない。

 親どころか親族もいない。誰の役に立ったこともない。学がなければ、何を生み出す事もできない。群れをなして強がることすら。完膚なきまでに出来損ないで、役立たずの集まり。それが孤児という存在だ。誰からも必要とされず、誰にも拾われなかった存在。

 かつて自分たちが、たやすくうち捨てられたのと同じ。いくら道理や法がきれい事を抜かそうが、それが現実だった。

 外に出て、獪岳はしばらく佇んだ。月明かりに助けられながら、ぼやけた視界が次第にはっきりしていく。どれほどもせず月夜に慣れて、昼ほどとは言わずとも、森の中で十歩程度なら見渡せるようになる。

 寺の裏手に回って、薪小屋を探る。

 ふと気になって、柱に触れて軽く力を入れてみた。やはりというか、小屋が小さく傾く。

 

「ちっ。また補強しなきゃなんねえか」

 

 小さく悪態をついて、慎重に手を離した。

 薪は生命線だ。なければ湯を沸かす事もできない。という事は、ほとんど食えるものがなくなるという意味でもある。母屋の雨漏りは無視しても、小屋は台風の時すら表に出て守ったくらいだ。

 火をつけられなくなれば、冬なら一晩で死ぬ。もっとも、濡れた薪が一週や一月で渇くわけがないので、どのみち時間の問題ではある。

 ともあれ、早急に補修は必要だった。明日は予定を変えて、年長組総出でかかる必要があるだろう。下手に触れられて壊されてもたまらないので、行冥にはつきっきりで年少組を見てみて貰わなければならない。木槌はあっても余分な釘などなく、また素人仕事で木組みなど作る必要があり、粗雑な仕事のせいでさに寿命を縮め……

 そこまで考えて嘆息した。無い物ねだりをしても詮無いと分かっているが、釘箱一つでもあればどれほど生活が楽になるだろう。

 今悩んでも仕方のない小屋から意識を反らし、薪棚備え付けの台(柱にとっかかりをつけただけ)から鉈を取り出す。そのまま動こうとして、こちらも気になってしまった。手のひらに刃を置いて、軽く引く。

 血が出る事を期待したわけではないが、それにしたって肌の上を跳ねるというのは酷い。鈍器だってもうちょっと平らだろう。

 鈍らでは肉を痛める。可食部が減る訳ではないが、当たり前に、わざわざまずい肉を食いたい訳でもない。

 

「こっちも研がなきゃなんねえか」

 

 呟いたところで、まともな砥石がどこからか生えてなどきてくれない。あるのはそこらの石を削って、砥石だと言い張っているだけのものだ。

 いくら石に刃をこすりつけたところで、労力に見合った見返りはない。だが、やらないという選択肢もとれなかった。三倍の時間をかけて二割の出来を求める。気が遠くなるほど馬鹿馬鹿しいが、技術も知識もなければ時間で補うしかない。

 結局の所、全てを不足無く解決してくれるものは同じ。

 金。

 金がない。

 技術、知識、あるいは結果。どれも金を払って手に入れなければならないものだが、元手がない。対価があるならそもそも困っていないのだから、考えるだにくだらない話ではある。

 ない分は頑張るしかないのだが、頑張るにしても先人の知恵を得るための元手がいる。支払える何かがない者は何も得られない。それを覆せるのは、おそらく天才と言われる存在だけだろう。

 たまに、嫌になる。

 ここから抜け出そうと思った事はない。それなりに満足している。だが、少しましになろうとしても、手段がない。

 延々と同じ苦痛に喘ぐしかないのか。ほんの少しだけ生活を楽にしようというのは、それほど大それているのか。

 今度のため息は、なんとか堪えることができた。

 さしあたって今すべきなのは、糞みたいな利益のない文句を垂れる事ではない。獣が罠にかかっているのを願い、もし取れていたら、首に鉈を下ろす。それだけだ。

 鉈を腰紐に吊り下げ、しばらく歩く。昼なら注視すれば分かる獣の足跡も、こう暗いとさすがに判別がつかなかった。

 なるべく足音を立てないように進む――というのは、実のところただの癖以外に理由はなかった。どうしたって足音は立つし、獣の耳を誤魔化す事もできない。そして、逃げる獣に追いつくのも、当然不可能だ。

 罠を一つ、二つ巡るうちは緊張もあったが、三つ、四つと空振りするうちに弛緩していった。落胆ではない。狩りに失敗するなどいつものことだ。ただ、食べ盛りなガキどもの顔を思い浮かべると、憂鬱にはなった。

 いくら夜目が利くと言っても、森の暗がりに入れば意味を失う。

 獣は人が考えるより臆病で利口だ。彼らは絶対に人間を侮ってくれないし、近寄りもしない。特に群れを作る動物――つまり人間だ――には、足を運ぶ事すらまずなかった。必然的に、罠は寺からかなり遠くに作る羽目になる。

 一人でいる時間が長くなると、思考も勝手に動き出す。思い浮かぶのは概ね益体のない事であり、同時に後ろ向きな内容だ。

 暗闇は嫌いだ。恐ろしいと感じたことはない。ただ、目障りではあった。充足した光源のあるなしは、そのまま生活の豊かさに繋がる。環境も光も剥奪された冬など、時間の割に何もできることがなくなる。

 

(のんきに構えてられるのもそろそろ限界だな……)

 

 背の高い草を蹴る。

 そろそろいくらかでも収穫がなければ、冬を待たずして死者が出かねない。かなり運任せな狩り以外で何ならまとまった金が手に入るか、いい加減に本気で考えなければならないだろう。

 それも相談する必要がある、と考えながら――獪岳は足を止めた。息を殺しながら、鉈に手を添える。

 気配だ。

 獣のものではない。人が獣の感覚を凌駕する事はあり得ないし、ましてや逃げも襲いもしないのはもっとあり得ない。

 人間だ――それは確信して、しかし信用もできなかった。なぜこんなところで、特に意味もなく人がふらついている?

 奥まった、とは言えないまでも山間にある寺は、価値が極めて低い。だからこそ、何かしらの権利を持つでもない孤児たちがお目こぼしをもらえるのだ。つまりこの辺はよほどの物好きでも立ち寄らない場所でもある。そんな場所に来るのは、自分たちのようなはみ出し者か、あるいはもっと悪いか……。最悪、山賊の先遣隊(明治中期から向こう、夜盗の類いはかなり力を入れて征伐されているものの、未だ根絶にはほど遠い)という事も考えられる。

 いざとなれば首を狙う。その意思を固めて、柄を軽く握った。

 どんな理由であれ、自分たちを害する可能性があるなら躊躇しない。哀れむくらいはしてもいいが、それだけ。何がどうであれ仲間に優先される事はないし、獪岳は博愛精神など持ち合わせていなかった。

 音はまっすぐこちらへ近づいてくる。つまり、獪岳に気づいているという事だ。これで静かにやり過ごすという選択肢はなくなった。小さく舌打ちする。

 闇から染み出すように現れたそれは――

 わずかな月光の中で、嫌にはっきりと姿が映っていた男……いや、そもそも人で合っているのだろうか。

 “それ”の姿は、どうにも形容しがたいものだった。山中にいながら草履も履いていない。上半身は裸で、これも山歩きを考えれば異常だ。前腕部が硬質に……いや、変質と言えばいいのか。とにかくまともな人間のそれとは異なっている。

 なにより、顔だ。

 顔面は硬く亀裂が入り、眼球が肥大化している。両端を切り裂いたような、不自然に大きな瞼から、赤々とした目が覗いていた。そして、額から二本の角が生えている。

 町中で、そして縁日でもあれば、できの悪い仮面だとでも思っただろう。だが、人里離れた場所であれば。その上、顔面が脈動し、明らかに生きている事を感じさせれば。迫るものがあった。

 鬼――

 夜には鬼が出る――

 行冥の言葉が、頭の中で反響した。

 馬鹿馬鹿しい。その考えはいまでも変わらない。だが、目の前の光景がそれと比べて、どれほど馬鹿馬鹿しくないと言うのだろう?

 人間のような化け物――もとい鬼――が、獪岳を視認すると、めきめきとでも音が鳴りそうな様子で目と口を歪めた。おそらく嘉悦なのだろう、となんとなく予想した。

 

「みつけたぁ、うまそうなガキぃ」

 

 どう喉を絞っても出そうにない声に、思わず後ずさる。ひび割れ、反響し、ひたすら不気味だった。

 恐怖と言うより驚嘆で思わず走り出しそうになるのを、必死になって自制する。本能が告げてくる。これに背を向けるのはよくない。全くもってよくない。

 

「だが一匹の匂いじゃねえなぁ。もっといるだろぉ? 五匹以上……だが十匹はいねぇ。そうだろぉ?」

 

 にたにたとなぶるような言葉に、しかし返す言葉は出てこない。ただ、こちらの事情がある程度正確に知られている、という点だけを頭にたたき込んだ。そして、鬼の言葉を信じるならば、匂いで人を把握している――おそらく自分の位置も。逃げを封じる理由の一つには十分だった。

 

「ひっひっひっ、びびってやらぁ」

 

 笑う鬼が、ばっくりと口を開く。角のような歯が露出した。肉食獣でももう少し慎ましいと思えるような、鋭い牙。

 

「なあガキぃ。オレぁてめぇ一匹食っても腹ぁ膨れねえんだよ。だがなあ、藤の香のおかげで近づけねぇ。てめえ、あの香を消してこいぃ。そうすりゃてめえは見逃してやるぅ」

「……俺が、素直にんな話を聞くとでも思ってんのか?」

 

 なるべく生意気に見えるよう、顔をへし曲げて言う。

 鬼は一瞬きょとんとしたが、やがて激高するでもなく、くつくつと笑い出した。

 

「ひっひっ、クソみてえな強がりだなぁ。そんなもんが(オレ)に通ると、本当に思ってんのかぁ?」

 

 腹を抱え始めた鬼に向かい、獪岳は爆ぜた。

 飛びつくように疾駆し、首へ鉈を走らせる。瞬間、浮かんだのは殺人への忌避感ではなかった。が――行冥や仲間の悲しそうな顔が浮かんでは消える。きっとこれが表沙汰になれば、二度と会えないだろう。

 だが、獪岳は全ての要素を無視して、腕を振るった。後悔があったとして、それらは全て、檻の中ででもすればいい。ただ必殺を望み――

 全てが理想へ沿ったにもかかわらず、強烈に弾かれた。

 何が起こったか分からず、目を白黒させる。手には強いしびれがあり、今にも鉈を落としてしまいそうだ。

 反射的に元の位置まで飛び退く。

 鬼が何かしたのだろうか。しかし、相手は動いた様子はない。変化と言えば、嘲る目をより一層深めただけだ。

 

「今のはわざと食らってやったぁ。俺にんなもんが通用すると、本当に思ったかぁ? おめでたいガキが、くっくっくっ」

 

 冷や汗を垂らしながら、視線だけを鉈に向ける。刃の部分は、楕円形にへこんでいた。それが人間の首の形であろう事は、あえて確認するまでもない。

 さらに、鉈はひしゃげ、ひび割れもいくつか入っていた。理屈に沿えば、同等の強い衝撃があったはずだ。反動がそれを証明してもいる。だが、そんな一撃を食らいながら、鬼は怪我どころか小揺るぎもしななかった。いくら鈍らとはいえ、曲がりなりにも重量がある刃物をたたきつけてだ。

 

(化け物……)

 

 改めて、それを認識せざるを得なかった。

 

「ついでにもう一つ見せてやるよぉ。頭の足りねえガキにも分かるようになぁ」

 

 右腕を見せつけるように掲げる。ギリギリ人間の腕に見えない事もないそれが、みるみるうちに変化していった。

 顔のそれと同じように、形が変わる。違うところと言えば、もはや増殖と言ってもいい代わりようなのと、今度は実際に音を鳴らしている点だろうか。腕ごと膨らみ、硬質化し、鋭くなる。最終的に、腕は倍ほどの大きさになり、指から先を関節のある小太刀へ取り替えたような外見になった。もはや人間の部品でもなんでもない。

 うっすら煌めく刃を見せつけながら、鬼は腕を振るった。

 本当に何気ない仕草だ。腰や足を使った様子もなく、肩から先だけを使った、体技の才無い人間がよくする動き。

 ごりりっ、と悲鳴が鳴った。荒々しい五つの筋が、太い木に作られている。切ったと言うよりは抉ったような跡が、深々と半ば以上までつけられていた。木はゆっくりと傾きだし、やがて大きな音を立てて他の木にもたれかかった。

 ぞっとしながら、鉈を落とす。もはやこんなもの身を守る役にも立たないと、思い知らざるをえなかった。

 鬼の腕は巻き戻すように戻っていき、最後に軽く手を振った。おがくずが宙を舞う。

 

「これで分かったなぁ? てめぇの取れる選択は二つだぁ。今ここで俺のエサになるか、藤の香を消して逃げるかぁ。ひっひっひっ、オレが大食漢でなくてよかったなぁ? さすがにガキ十匹近くは入らねぇ」

 

 きりきりと、喉からすりつぶすような音が聞こえる。

 それを、獪岳は黙って聞いていた。

 黙って、静かに、声を発することもできず……ただうなずくしかできなかった。

 

 

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