獪岳と善逸 作:山筋
化野には天狗が住まう――
ここ最近、京都で囁かれている噂だ。
無論、話の真偽を問う事に意義はない。少なくとも鬼殺隊にとっては。彼らにしてみれば、ただの蒸発か、鬼の仕業かの二択でしかなかった。だからこそ、化野への再派兵は速やかに可決された。
問題は。
相手の示威行為が、あからさますぎた事だ。
鬼の仕業に見える事件というのは、実のところ、そう少なくない。大体は隊士を返り討ちにする自信がある鬼か、もしくは考え無しに人を喰い漁っているかのどちらかだ。だが、今回はそのどちらとも様子が違う。なにせ人食いに無頓着なのではなく、明らかにこうといった噂を流すのが目的だからだ。
挑発。あるいは罠。
分かっていても無視できないし、何より鬼殺隊は、幾度も同じ状況を打破してきた。さらに言えば、鬼によって無辜の民が犠牲になるのを許せる組織ではない。鬼殺隊は鬼を殺すための組織であるが、第一の目的は人を助ける事だ。
だが……今回は上弦の鬼、それも二体同時の出現地。さすがに生中な戦力を派遣できない。故に、現在投入できる柱の最大数、悲鳴嶼行冥、甘露寺蜜璃、冨岡義勇の三名が投入を決定された。
上弦を相手に、これが少ないかどうかは、善逸に判断できなかった。これでもかなり無理をした結果だというのは分かるが……心許なさを感じるのは仕方ない。
あくまで善逸の目線でだが、獪岳と柱を比べた場合、戦闘力はどうか。行冥は間違いなく大幅に格上。義勇は同程度、少なくとも勝敗に大きく差が出るほどの違いは無い。蜜璃は、失礼な物言いだが、恐らく獪岳の方が強い。
対鬼殺戮能力なら話は変わるのだろうが。獪岳が為す術無く負けた事を考えたら、少なくともあと一人、獪岳と同等以上が欲しいと思うのは仕方ない。
此度の討ち入りにおいて、投入された隊士は優に四〇名を超える。鬼殺隊の歴史でもほとんど例のない大戦力だと言っていた。これ以上を望むのは、贅沢が過ぎるという物言いも分かるが……納得しきれるかどうかはまた別の話だ。
今、善逸の中には、上弦が出てくれと言う思いと出てくるなと言う思い、相反するそれらがせめぎ合っている。
仇は取りたい。だが、今戦うのは自殺行為だ。かと言って、将来的に上弦の鬼に対抗できる力を得られるかと問われれば、それも全く自信が無かった。
(怖えよぉ……)
心の中でだけ弱音を吐く。何度も何度も。当初は激情が胸を支配していたが、それを長続きさせるというのは案外大変な事だ。目の前に明確な怨敵がいない状況ならばなおさら。
救いと言えそうなのは、善逸ら階級下位の者は戦力を期待されていない点だろうか。これは炭治郎や伊之助にも言えることだが、彼らに期待されているのは、むしろ索敵能力の方だ。
本当ならば、ここに栗花落カナヲも編成される予定だったらしい。だが、極端に崩した体調をまだ戻せておらず、現在は機能回復訓練に努めている。ちなみにカナヲと炭治郎の距離がやたら近いことに腹を立てた善逸が、炭治郎に襲いかかったりもしたが。これは全くの余談だ(余談の余談だが、カナヲは善逸が今まで見た中でも五指に入る美少女であり、それがまた怒りを助長した)。
さておき、善逸はその類い希な聴力で、全体の目として機能していた。
生来の臆病も手伝って、常に神経を尖らせていたが。今のところ、襲撃は一度しかない。それも行冥がただの一撃で倒していた。一瞬でよく見えなかったが、鬼の瞳には下参と刻んであった気がする。
下弦の鬼ですらそこらの雑魚鬼と同じ扱いを見て、ちょっとちびりかけた。
「……おかしいな」
「ひっ、な、なんですか?」
急な行冥の独り言に、思わず肩をふるわせる善逸。
巨漢の男は振り向きもせず、訝しげに呟いた。
「襲撃が少ない上に散発的すぎる。かといって血鬼術でこちらを封殺しようとする動きもない。他の隊に集中し各個撃破を目論んでいる可能性もあるが……恐らく状況は似たようなものだろう」
今回の攻略において、部隊は三つに分けられている。悲鳴嶼隊、甘露寺隊、冨岡隊と、柱を中心にしたものだ。伊之助は甘露寺隊に、炭治郎は冨岡隊に配属されている。
それぞれが別方面から進み、確実な勝ちよりも鬼を逃がさない事を優先していた。この方法は鬼殺隊によく見られるものというのもあるが、それ以上に柱の力が信頼されている証とも言える。
ついでに、隊士の数以上に鎹鴉を放ち、連絡は密に行っていた。もしどこかの部隊が危機にさらされた場合は、即座に合流できるよう計らっている。
「一カ所に集めてから一網打尽、とかって可能性はないですか?」
「ないでもないが、ならばそれこそ先ほど言ったように、各個撃破をした方が利口だ。まさかそれも分からぬ訳ではないだろう」
「という事は……」
「無思慮でなければ、よほど戦力に自信があると見える。もしやすれば、存外当たりかも知れん」
(当たり)
行冥の言葉を、口の中で転がす。
柱を相手取りながら、なお必勝を狙える存在、上弦の鬼による待ち伏せ。確かにそれならば、柱を一人倒して残りを逃がすよりは、三人纏めて葬った方がいいと考えるかも知れない。
だが、それは鬼殺隊にも同じ事が言えた。柱三名を含む、隊士四〇名もの大攻略部隊。これより良い条件で上弦の鬼と戦える可能性は、まず無いと思った方がいい。
「各員、気を引き締めよ。もしもの時は即座に離脱できる準備をしておけ。我妻は少しでも気付くことがあれば知らせるように。どれほど些細でもよい、決して聞き逃すな」
「は、はいっ!」
自分が聞き逃すか否かで、隊の命運を分ける可能性がある。のしかかる責任に、少しばかり寒気を覚えた。
各部隊の距離はそう遠くない。加えて、障害物は多いものの地形の起伏はあまりなかった。おかげで、かなりはっきり別働隊の動きを把握できる。
別の部隊も、襲撃は一度きりのようだった。当り前のように、柱に一蹴されている。速度からして、十二鬼月ではないにしても、かなり強い鬼の筈なのだが。鬼も鬼殺隊も、上は化け物揃いだ。
鬼、しかも少なくとも一人は十二鬼月がいた。進路上に何かしらの仕掛けらしきものはないが、無防備である訳でもない。
鬼がいる以上、現段階で撤退するという選択肢はない。ましてや十二鬼月がいるのならばなおさら。進む理由は山ほどあるのに、退く理由だけは一つも無い。これではまるで……
「その、悲鳴嶼さん。これ明らかにおびき寄せられてますよね」
「そうだな」
おっかなびっくりした発言に、男はなんという事もないように答えた。同時に、現状も理解している。
「下弦の鬼は、わかりやすい餌だ。いくら次から次へと任命されるとは言え、一網打尽にできるなら、一時的にでも鬼側の戦力は減る。ここに集まった時点で選択肢を奪われた。我々はもう進むしかない」
「危ない、ですよね?」
「それをなんとかするのが、私たち柱だ……と、そう信じて貰うより他ない」
彼は頭を振った。
「そうでないと信じてはいるが、臆病風は振り払って覚悟を決めよ。君はもうとっくに、いっぱしの隊士なのだから」
言われ、善逸は少しだけ顔を歪めた。
自分には、ご大層な戦う理由など無い。今は獪岳の敵討ちで染まっているものの、そうでなければ、目の前で人が殺されるのは嫌だという程度だ。人のために命を掛けるなど、間違っても断言できなかった。
能力や精神性を考慮したら、隊士に不適格なのは分かっている。自分でも悲しくなるほど情けない人間だ。
今、鬼殺隊が勝つつもりで進んでいるように、鬼もまた、こちらを皆殺しにできるつもりで誘い込んでいる。それが堪らなく怖い。
腐った性根は、今更変えられる気がしなかった。だったらせめて、見栄くらいは張ろう。前向きなようでとてつもなく後ろ向きに、そんな決意をした。
暫く。結局、甘露寺隊、冨岡隊と合流するまで、鬼の襲撃はなかった。が、それは何も反応がなかったという意味ではない。こちらが少しでも退く気配を見せれば、挑発的に音を揺らしていた。
攻撃部隊全員が集まると、柱が代表して話を始める。
「私の所に来たのは、下弦の参だった。そちらはどうだ?」
「ええと、私の所には下弦の陸が来ました」
「こちらは弐だった」
「ふむ。ならばこの先にいるのは、下弦の壱と肆、補充があれば伍なのだろうが……」
その程度では、柱一人倒せない事など善逸ですら分かる。ましてや柱当人の危機感は、彼のそれとなど比べものになるまい。
(負けると分かってて、挑発と散発的な攻撃をしてきた。どう考えたって、特大の危険がこの先にある)
もっと恐ろしいのは、それらしい何かを、音では全く捉えられない事だ。
(死ぬことが分かってて無謀な吶喊なんて、俺なら絶対に嫌だな……獪岳には突撃癖どうにかしろって散々言われてたけど。それでもしてくるって言うのは、どういう事なんだろう? 鬼を操る血鬼術? それとも鬼舞辻無残に命令されてるとか? うーん)
死んだのは三人。一人くらいは死を厭って逃げ出す者がいそうなものだが。
可能性で言うなら、恐らく血鬼術はマシな部類だろう。鬼百体くらいたたき込めば倒せるだろ、という程度の雑な精神でやってくれているならば、それこそ儲けものだ。柱を中心とした階級上位にほとんど押しつけて、自分は隅の方でちょろちょろしていればいい。
鬼舞辻無残の言葉にそれほどの強制力があると仮定して、命令された場合。これに関しては、はっきり言ってあまり意図が読めない。少なくとも、どこかに勝算があるからだとは思うのだが。と言うか思いたい。まさか「下弦が使えないから在庫処分しよう」などというつもりだったら、とんでもなく怖い。あっさり下弦を切り捨てる精神性もだが、それ以上に、鬼舞辻無残にとっては下弦の鬼ですらその程度の価値しかないという事実が。
「君達、この先には何があるか分かるか?」
「ええと、相変わらず二人分の音しかないです」
ここは細かく報告していたので、よどみなく答える。今だって、ずっと鬼と思わしき音から意識を反らしていない。
「匂いがする場所は同じなんで、動いてもないです」
「強さはさっき襲ってきた奴らと大して変わんねえくらいの気配だぜ」
炭治郎と伊之助も続ける。
下弦の鬼総戦力という事になるのだが、逆に言えばそれだけでしかない。
「できれば、ここで撤退したいのだがな……」
困ったように、ぽつりと行冥が小さく漏らす。その声は、柱と、耳のいい善逸にしか聞こえなかっただろう。これが知られれば士気に関わる事くらい、彼にも分かったので、余計な口は挟まなかった。
鬼殺隊とは、言うなればただの剣客集団。ただ強い者が上に行く、それだけの組織。これは概ね正解ではある。
だが、地位が上がれば責任が発生し、向き不向きに関わらず人の命を預かることになる。損な役割だ。獪岳だって、同じようなものを背負っただろう。死にたくなどなかった筈なのに、責務を果たした。
(なんだろうな……)
たまに、胸を空しさが通り抜けていく。鬼に人を喰われるのも、そんな奴らの為に死にゆく者を見送るのも、全部うんざりだ。そんな舞台から降りられない所など、特に。
「どうしましょう?」
「退く理由を与えてくれぬ以上、進むしかない。我ら“柱”の威信を傷つけぬ事は、全てに優先される。幸い相手が動いている様子はないから、ここで少し休憩だな」
行冥が決断し、少数の警戒人数を残して各々座り込んだ。
この程度で柱達が疲弊している訳もなく、また前線に立っていたとは言いがたい隊士も万全だ。索敵を担当していた善逸らを気遣ってのものだろう事を、あえて言わないでくれたのはありがたかった。ただでさえ癸三人だけという事もあって、居心地が悪い。むしろなんで炭治郎と伊之助が全く気にしていないのか理解できない。
神経を落ち着かせるには十分すぎる時間を貰って、部隊は再び進む。
それなりに開けた場所へ出る。待ち構えていたのは、二人の鬼だった。
男と女。目に刻まれた文字から察するに、下弦の壱と下弦の肆だ。
おかしい。そう思わない者はいなかっただろう。
今まで襲ってきた下弦は、ほとんど破れかぶれと言った様子の、かなり酷い有様だった。放っておけば命乞いすらしそうな程に。
しかしこの二人は違う。
下弦の壱は嫌悪感を催すにやけ面を晒しており、下弦の肆はもっと分かりやすい。明らかにこちらを小馬鹿にしている。圧倒的な優位に立って、弱者を嬲るそれ。大抵の、特に鬼になって間もない者が見せる表情。
真っ先に飛び出そうとした義勇を制するように、下弦の肆が嘲った。
「くくっ。死にに来た死にに来た。柱が三人とは大量だね、あのお方もさぞや喜んでくれるだろう。なあ魘夢」
下弦の壱――魘夢が、どこか恍惚と笑みを深めた。
「ああ、彼らには本当に感謝しないといけないねえ」
柱の誰一人として、余計な口は開かなかった。いつの間にか、鬼を囲むように位置取りしている。速さではない。恐ろしく自然であったため、意識がそれらを見逃した。
「あのお方のお役に立てる機会をくれて、他の下弦の、あの絶望的な顔まで拝ませてくれたんだ。しかも、ここで君達を皆殺しにすれば、褒めていただける。あぁ、夢心地だ。とても楽しくて嬉しくて仕方がないよ」
くすくす、くすくす……。二重の微笑が木霊する。
なぜこの鬼達はこんなに余裕なのか、まるで分からなかった。
確かに下弦の壱と肆なだけあって、強い。そんな事は耳を澄ませずとも分かった。善逸程度では逆立ちしたって勝てない。
だが、それらと同じように、彼らだって理解しているはずだ。柱三人はそれより――とりわけ悲鳴嶼行冥は、単騎で下弦の鬼全員を相手取ってなおねじ伏せるほど――強い。彼我の差が分からないわけもないだろうに。
圧倒的強者を前にこの余裕、根拠は一体何なのか。
「くふっ。ああ心地よい! 驕り高ぶった柱どもを殺せるぞ! 貴様ら下等生物相手に逃げ回るのはもう終わりだ!」
「はしゃぐねえ、零余子。私はひと思いになんて殺したくないなあ。とても苦しんで、恐怖して、絶望の顔を見せながらゆっくり事切れる様を眺めたいんだ」
「……下種が」
汚穢を垂れ流す口に向け、義勇が吐き捨てた。
鬼殺隊全員、油断のない警戒状態から構えへと移行する。多くの者は刀を掲げ、善逸は鯉口を切った。
柱らの構えは、妙なものが多かった。義勇こそ炭治郎のそれと同じだ。蜜璃が抜いた刀は薄くしなやかにうねっており、長さも平均的な刀の三倍はあった。行冥のそれはもはや刀でもなんでもない。棘つき鉄球と手斧を鎖で繋いだものだ。鉄球や手斧と言ってもとんでもなく大きく、単体で刀の何倍重量があるか分からない。そんなものをほとんど手首しか先から動かさず振り回しているのだから、本当に鬼じみた膂力だ。
実のところ、鬼殺隊の刀はかなり融通が利く。今までも直刀や刃が内側に反り返ったものは見たことがある。しのぶのそれだって刺突剣だ。さすがに刃物とすら呼べないような武器を手にしているのは、行冥が初めてだが。
千差万別の日輪刀と殺気を叩き付けられ、しかしなお、鬼は余裕を崩さなかった。いや、むしろ嘲笑を深めてさえいる。
「どういうつもりかは知らないけれど!」
最初に、派手に動いたのは蜜璃だった。縦横無尽に翻る刃を反し、鬼に宣言する。
が、それは布石だった。
ほんの一瞬、彼女が気を引く。瞬きにも満たない空隙。柱にとっては、それだけで十分だった。
柱二人の姿が消え失せる。およそ五間強ほどもあった間合いを潰し、行冥が魘夢に、義勇が零余子に斬りかかる。
それで終わる――筈だった。本来ならば。視線を戻す時間すら無く、鬼二人の頚が宙に舞う。そんな変えようのない現実はしかし、訳の分からない闖入によってあっさりと否定されてしまった。
なんの前触れもなく唐突に、地面から襖が生えた。それが開かれたかと思うと、何かが弾かれ様刃と交わり、そして柱二人をあっさりと弾き飛ばす。
「!?」
ぎょっとして、鬼二人が視線を戻した。目を白黒させながらも、しかし下弦の鬼。ここで反応すらできないほど愚鈍ではない。
血鬼術――
誰かが、あるいは全員が、止めようと動いた。しかし、柱ですら間に合わないのに、たかだか一般隊士が間に合うはずもなく。
「
「
二つの血鬼術が、着地した何かに放たれる。
それにどんな効果があるのかまでは分からない。だが、会心の効果であったのは疑いようがなかった。
いつの間にか襖は消えていた。全く同じ場所に、飛び出てきた何かが着地する。
当り前に。鬼側に切り札があるのは当然のことだった。それがとてつもなく強力である事も、柱すら上回る能力がある事も。もしかしたら、上層部にとっては、それが人型の何かである事も想定内だったかもしれない。
だが。
だが――
「か……」
行冥の言葉は最後まで発する事を許されず。暗闇の中に銀の輝きが閃き、紅い華が咲いた。
血を舞い散らせながら、行冥の体が傾く。それでもなんとか膝を付き、倒れ込む事は阻止した。だが、震える右手から鎖が滑り落ち、既に戦う力などないのは明白だ。飛び散った暗い赤が、闇夜に吸い込まれて消える。
「な……」
「うそ……!」
義勇と蜜璃が、目を見開いて驚愕していた。最強の手札である行冥があっさり戦闘不能に追いやられた事にではない。返り血に濡れて、静かに佇むその男の顔から目が離せない。
善逸は。ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた心に、何もかもを忘れた。自分が指をかけている刀は、一体何のつもりなのか。どうしてこんな所にいるのか。なんで鬼と戦っているのか。何と戦うのか。己は、一体何なのか。
一つとして纏まりがつかない。泣いて、叫んで、喉が焼けるほど吐いて、疲れ果てた先にぐっすり眠れてしまえば、いったいどれほど楽だろう。あるいは、こんなものは全てが
あらゆる都合のいい夢想は、しかし圧倒的な現実が、全て否定してくる。今この時、目の前だけが事実だと。
息が乱れる。全集中の呼吸は、常中は、一体どうやってするものだっただろうか。そんな事すら、今は思い出せない。
「お、驚かして! だが早速、一匹脱落だ」
「さすがは柱だねえ。ああ恐ろしい。くわばらくわばら」
暢気にすら思える鬼達の声が、今は憎くて悲しくて仕方がない。
乱れた呼吸を収める術など思いつかないまま、善逸は目の前のそれを眺め続けた。見てはいる。しかし脳が理解してくれない。そのくせ、視線はちっとも逸れてくれない……
「ははっ! 凄いだろう。これはな、あのお方が直々に私へ下賜していただいたのだ。他のカス共は扱うに適さなかった。しかし私は違う! 無能共とは違い見初めていただけたんだよ!」
零余子が何かを叫んでいる。それを言葉として受け取ることができない。
なんて馬鹿な事をほざいているのだろう。本当に愚かだ。本当に、本当に……
「あのお方曰く、これは上弦の弐にも匹敵する
わざとらしく、へばりつくような物言い。
無視すべきだ。分かっているのに、こんな時ばかり音を言葉と理解してしまう。含まれた毒は、確かに善逸に、へばりつくような形で掴みかかった。
こんなものはただの悪夢だ。だから醒めてくれ。醒めてくれ。醒めてくれ。醒めてくれ。醒めてくれ。
早く、何でもいい。目を醒ませ。
頭の中に叩き付けた嘘が逃げていく。残るのは、真となった悪夢と、ただひたすらに無情な現実。ただの地獄。よくある地獄。
何度も、何度も何度も何度も何度も。見てきたはずのそれ。善逸が気付かなかった、あるいは目をそらし続けてきたもの。この世の事実が、目の前に立ち塞がる。
鞘を背負い、所々破けた鬼殺隊の黒い作業服姿。収まりの悪い髪。鋭い筈の目は、今は虚ろで、焦点が合っているのかすら分からない。手に持つ刀の側面に走る黄色い筋は、稲妻のようにも見える。
「かい……がく……」
全身をだらりと脱力し、まるで生気を失った顔で。
しかしはっきりと、死んだはずのかつての兄弟子が、自分たちの前に立ちはだかっていた。