獪岳と善逸 作:山筋
「っと、楽な仕事だったな」
「完全に能力倒れだわ。まあ、十二鬼月みてえなのが出てくるよりはいいが」
「いつもこうだと楽でいいんだがよー」
化野の開けた土地に、二十人以上もの隊士が集まって雑談をする。
鬼を始末した後とは言え、和やかな雰囲気が漂うのは、かなり珍しい光景と言えた。暢気なものだなどと思いつつも、指摘する気にはなれず、獪岳も刀を収める。
京都急行の報を受けてすぐ、獪岳はカナヲを引き連れて現地へと向かった。途中、幾人かの隊士を回収し、気付いたときには十人近い大所帯となる。
隠はさすがに優秀で、京都に潜む鬼は化野を拠点としているとうい予測は正解だった。近場から無数の隊士(と言っても、ほとんどは低階級の有象無象だった。それでも乙一人に丙二人は十分な大戦力だが)が集まり、化野を取り囲む。
予想では、およそ七人前後の鬼がいるか、十二鬼月がいると予想されていた。結果的に言えばこれは間違いだったが、まあ鬼を相手にしていれば良くあることである。それを責める事はできない。隠は基本的に非戦闘員だ。的の懐にまで潜り込んで正体を暴いてこい、などとほざくのは無知な阿呆の物言いだろう。
鬼は、極端に血鬼術へ特化した力の持ち主だった。
密かに延ばした針で他者を刺し、麻痺させ動けなくなった後を、針の先端から伸ばした触手でゆっくり吸収していく。麻痺もさることならが、真に厄介だったのはその射程距離だ。情報を統合するに、およそ五町近くも伸びる計算だ。鬼七人と計算するのも致し方ない。
だが。確かに血鬼術そのものは規格外とすら言えるものだったが、反面戦闘力はお粗末そのものだ。針の出現は隊士にとって早いとは言いがたく、そもそも最大出現数が少ない。おまけに、血鬼術に力を注ぎすぎたせいか、当人の身体能力は人間に毛が生えた程度だった。
遭遇して、鬼の脅威度は極端に下げられる。はっきり言って、派手に動くのが早すぎたとしか言えない。長ずれば十二鬼月にも届いただろう(実際、本部は十二鬼月と誤認していた)が、まあその前に発見できたのは幸運と言うべきか。
ここに至り、階級上位たちは経験習得をさせるよう動いた。基本的には各隊士の自主性に任せ、どうしても針に指されそうな場合のみ助けて注意する。こんな方法で上手くいき、最終的に辛が鬼の頚を断った。
いくら戦力をかき集めたとはいえ、損耗無しなのは珍しい。隊士らの気が浮つくのも仕方の無い事だと大目に見た。
「おい獪岳、お前これ終わったらどうすんだ? もう随分休んでねえだろ」
と、知り合いの乙である斉藤が話しかけてきた。
この場にいる隊士は……というか獪岳が組まされる隊士は、基本的に顔見知りが多い。というのも、獪岳の人間性に好き嫌いがはっきり出てくるせいだが。まあ、仲が悪い相手と無理に組ませようとしないのは、素直にありがたい。
「あー、暫く休みねえかも」
「ないってお前……もう随分休み貰ってねえだろ。なんで休めねえんだよ」
「ちょっと本部に逆らってな」
「何やってんだお前」
呆れたように、斉藤が嘆息した。
「おい、どうした?」
「お前らも交ざれよー。付き合い悪いよー」
かなり雑に絡んできたのは、丙の水無月と
「このアホ、本部に逆らって休暇返上だとよ」
「うげっ。何やったらそうなんだ」
「相変わらず馬鹿だねー」
けたけたと笑う三人。
口こそ汚いが、悪い奴らではない。話は通じるし、気も使える。まあ少なくとも、手が出ないだけ自分よりはマシだろうと獪岳は思っていた。とはいえ、周囲に受け入れられづらいのは変わらないので、基本的には爪弾き者だ。
ともあれ、こんな所で暇を持て余していても意味が無いので解散と相成った。
各々が退散の準備をする中、いきなり斉藤に肩を組まれる。
「せっかくだから飯に付き合えよ。水無月と四月一日も一緒で」
「酒は呑まねえぞ。俺はまだこれから任務来るだろうからな」
「分かってるって。仕事前の奴に無理矢理呑ましゃしねえよ。おい水無月、四月一日! 飯食い行くぞ!」
「なんぞー」
「奢りか?」
「馬鹿言え、てめえらもいい給料貰ってんだろうが」
無遠慮な事を言った水無月が斉藤に尻を蹴飛ばされ、げたげたと笑う。
こういう下らなく子供っぽい雰囲気はどこか安心した。記憶にある最古の光景、町の片隅でろくでもないガキ共とたむろっていたのを思い出す。
気の早い隊士が広場の外へさしかかった所で。
唐突に、背中をまるごと抉られるような寒気に襲われた。気付いたのは、獪岳一人だった。他の者はまだ、和気藹々と笑談している。
直感に任せ咄嗟に振り返り、いつでも刀を抜き放てるよう備えた。
視線の先にいたのは、鬼をも超えた化け物だった――少なくとも、獪岳にはそう感じられた。たたずまいこそ隊士のそれに似ているが、挙動が妙に古く、そして一分の隙もない。柱すら鼻で笑う程の剣士なのは、見た瞬間分かった。何より特徴的なのが顔だ。目が六つあり、中央の一対に文字が刻まれている。上弦・壱、と。
(上弦の鬼!)
悲鳴は、しかし声にならなかった。喉が渇いて張り付き、声帯を震わせるに至らない。
鬼殺隊の歴史において、ただの一度たりとて勝利したことのない化け物。それどころか、遭遇して生き残った記録さえ碌にない。鬼舞辻無残の手前で悪夢のように立ち塞がる壁、その中でも最強の存在。目の前の鬼がそれだと理解するのに、幾ばくかの時間が必要だった。
「ほう、私の接近に気がついたか……。お前一人だけ、実力が飛び抜けていると見える……」
言葉に。やっと他の隊士が、新たな鬼の出現に気がついた。一斉に剣を抜き放ち、しかし誰一人として口を開かない。鬼の尋常ではなく深い強さを感じ取れなくとも、ただならぬものには気付いたようだった。
そして、動揺は次第に恐怖へと移り変わっていく。ここに至って、死の宣告に等しい名、上弦の鬼だと気がつき始めた。
獪岳は即座に叫ぶ。
「斉藤! 水無月! 四月一日! 前に出ろ! 他の奴らは下がれ! 階級中位の者は中断、下位の者は後方に付け!」
指示がどれほど通じているかは分からないが、今は言うことを聞いてくれていると信じるしかない。それほどまでに集中して、なお全く足りないほど、上弦の壱の脅威はとてつもないものだった。
上弦の鬼の反応は鈍かった。というよりも、歯牙にもかけていなかった。仕方の無いことだろう。柱ですら子供扱いする化け物が、ましてや甲でもない者など気にするはずもなし。もっとも、その余裕のおかげで、こちらは初手全滅という目に合わず済んだのだから、文句など出せよう筈もない。
いくらかの間を置いて、上弦の壱が一言。
「ふむ、質が低い……。それなりの者は一人だけか……」
呟き。
鬼の手が、柄に触れた。
「避け……!」
ただの抜刀。居合抜きですらない。獪岳は強烈な吐き気に襲われながら、闇雲に刀を持ち上げた。
両手には痺れるほどの鋭い衝撃。斬撃を浴びせられたと気付いたのは、隊士三人の体が、胸あたりから滑り落ちる光景を見てからだった。
「水無月ィ!」
半端に持ち上げていた刀ごと、水無月の上半身だけが後ろに倒れる。血しぶきを上げ、自分が死んだことも忘れていたように直立していた下半身た、頭が墜落するのとほぼ同時に膝を突いて転がった。
誰一人として、何が起きたか分からなかった。間違いなく、全員間合いの外にいたはずだ。
今生きている者は、全員運が良かったに過ぎない。間合いの外にいただけ。山勘がたまたま当たっただけ。
上弦の壱が放った一撃は、技でも何でも無い。ただの抜き打ちだ。そんなものが必殺にまで昇華している。冗談のように練り上げられた技であり――同時に、どう足掻いたところで、この実力差を覆せる気がしなかった。
戦うように見せかけて時間稼ぎをし、少しずつ隊士を逃がしていく。夜明けが迫ったら逃げの一手。獪岳の中で、既にこれ以外の選択肢はなくなっていた。
「栗花落癸隊士! 全力で離脱しろ! 今見た事を本部に知らせるんだ!」
「え……」
予想外、というような、カナヲの声。気配まで気にしている余裕はないが、音がない所を考えるに、動いていないようだった。
「でも……鬼が……」
「早くしろ!」
「でも……でも……!」
まごついている。ガサガサと、何かを手繰っている音。
彼女の習性、というか特徴。当人に、自分の意見というものが極めて希薄だった。それこそ物事の決定を道具に頼るほどに。
また硬貨投げでも投げて決めるつもりなのだろう。しかし今は、そんな愚行を許してやるほど余裕はない。
「これは
一瞬の逡巡。また怒鳴りつけてやらなければならないかと思ったとき、彼女は疾走を始めた。
安堵する。一先ずは、でしかないが。
乗ってくれれば儲けもの、時間稼ぎのつもりで、獪岳は上弦の壱に軽口を叩く。
「案外優しいんだな。わざわざ逃がさせてくれるなんてよ」
「無意味……。私の力は、何に依るものでもない……ただただ、鍛え上げた体と技……。知られたところで、何ら損などなし……」
「ああそうだな、クソッ。全くもってその通りだ」
厄介さなど全く持ち合わせていない。ただただ強い。これに勝る強みなどなかった。
特殊な血鬼術は、確かに見抜くのも攻略も困難だろう。だが、逆に言えば、一度攻略法を見いだしてしまえば容易いという側面も持つ。しかし、ただ強いというのは。単純故に、対策の立てようがなかった。
崩れかけていた呼吸を戻し、さらに問いかけてみる。
「親切ついでに教えて欲しいんだが、間合いの外まで届いた斬撃、ありゃ血鬼術だよな」
「然り……よく見ている……。我が技に比例し、威力と射程が上がる」
「案外、簡単に教えてくれるんだな」
「何も考えぬ愚者になど答えぬ……。お前は半ば確信していた……。敬意を表し、それを肯定しただけの事……」
本当に、お優しくて涙が出そうだよ。内心だけで皮肉を毒づいた。
が、どうであれ、確信を得られたのは大きい。この情報を無駄にしないよう続けた。
「癸、走れ」
「は……はひっ!」
あわくって、もう一人だけいた癸が逃げ出した。この情報が届けば、上弦の壱に対し初手で殺される事はないだろう。弱くなければ、だが。
「私からも問おう……」
「答えられるこったらな」
言うが、そもそも獪岳の持っている情報で大したものなどない。仮に全て吐いたとして、鬼殺隊にとっては何ら痛痒を感じないだろうが。
「お前は柱か……?」
「残念だが、ただの甲だよ」
「成る程……。今代の柱は優秀と見える……」
言葉こそ少しばかり弾んでいたが、表情は全く変わらない。元より読みにくい類いなのか、それとも表情を変えるほどではないのか。
獪岳は手で小さく合図をして、斉藤と四月一日を集めた。
「お前ら、分かってんな」
「若い順から逃がすんでしょー。大丈夫大丈夫」
「ったく、損な役回りだ。獪岳、てめえの番が来ても逃げらんねえからな」
「指揮官が消えてどうすんだボケ。俺が逃げるならお前らと同じで最後だよ」
もっとも、そんな番が来ればだが。小さく付け加える。
「丁以下は支援に回れ。絶対俺たちの前になんざ出ようとすんなよ」
三人以外がじりじりと下がるのを見送った後、上弦の壱が呟いた。
「もうおしゃべりはお終いか……」
「夜明けまで付き合ってくれんなら、いくらでも喋ってやるよ」
「成る程……有象無象は無視しても良いが、甲のお前だけは生かして帰せぬ……」
上弦の壱が、抜いた刀の角度を少しだけ変えた。不気味な刀だ。形そのものはただの刀と言って良いが、刀身には肉が張り巡らされ、等間隔に目まで付いている。
あの刀は、間違いなく鬼の体から抽出したものだ。であれば、武器の破壊による戦力の低下は考えない方がいい。いや、それどころか、刀の形状そのものを変化させてくるかも知れない。体の一部ならば、それくらい平気でするだろう。
「是非も無し、では死に給え……」
宣言して。
上弦の壱から、妙な音が聞こえた。独特の呼吸音。透き通るような淡い光を幻視させる、特殊な
「ッ――! 元隊士か!」
「呼吸は元々、我らが編みだしたもの……。お前達は相続したに過ぎぬ……」
ただでさえ化け物なのに。この上まだ力が上がるというか。
もはや、変な笑いしか出てこなかった。
「斉藤、四月一日、悪ぃな。ここで死んでくれ」
「そういう自分が真っ先に死ぬんじゃないよー? キミ、生き汚いからさほど心配はしてないけどさ」
「死ぬのなんざご免だが、まあガキ共は守ってやらにゃな。てめえ一番階級上なんだから、一番前に出ろよ」
「当り前だ。お前じゃ一瞬で寸刻みだろうからな」
「言ってろ」
元より矢面に立たせるつもりはない。鬼の力に超人的な剣の腕前、これに加えて呼吸と型まで使うとなれば、援護としてすら期待できそうなのはこの二人だけだ。
本当の絶望というのは、こういうものなのだな。どこか他人事のように考えながら、獪岳は呼吸を深くした。
「お前らに一つ言っておく。俺に追いつこうとはすんな」
「どういう……」
答えを待たずに、獪岳は肺から雷鳴を走らせる。
雷の呼吸において最重要なのは足だ。それこそ走る速さは、ともすれば剣技にも優先される。
獪岳は上弦の壱を迂回するように歩を進めた。ともすれば同じ隊士ですら目で追えないほど、常人ならば動いたことに気付く事もできないような速度。空気に重みを感じる程の疾駆であるにも関わらず、しかし三対の目は、しっかりと獪岳を捉えていた。
上弦の壱の腕が、僅かに動く。これを獪岳は、横薙ぎだと決めつけた。理由はない。ただの勘でしかなく、そもそも上弦の壱の攻撃を読む能力など獪岳には無い。あまりにもな言い方だが、彼が鬼の攻撃に対処するためには、攻撃の位置や角度を限定し、後は運に任せるしかなかった。
身体能力に劣り、技量に劣り、経験に劣り、見極めすらも劣る。覆し得ぬ差がある以上、後は予測とも言えぬ天運でどうにかするしかなかった。
一瞬、手首の角度を視界の端に捉え、刀の角度を調整する。一文字薙ぎだと気づけたのは、振り終えた鬼の姿勢からだ。背中にまで突き抜けるような衝撃を、なんとかいなす。
(間合いがめちゃくちゃじゃねえか!)
見た目に惑わされてはいけない事は分かっていた。が、それでもなお驚嘆しかない。
新たに気付いた事実。飛ぶ斬撃は、不規則に変動している。そして発生は一瞬だけ。そして、今感じた物が事実なら、厄介などと言うものではない。
「ほう……よく“型”を防いだ……」
「そりゃ一度くれえはな。手下どもに格好付かねえ」
息を吐き出して、刀を確かめる。腕に残る痺れがまだ止まらない。
「お前の飛ぶ血鬼術の正体、見えたぜ。呼吸の印象を具象する、それがお前の術の正体だ」
「然り……やはり優秀な隊士だな……」
特に誤魔化す事もなく(肯定する事自体が嘘の可能性も大いにあるが)、頷かれる。
そもそも、なぜ呼吸の前に枕詞が付くのか。それは、型に呼応した現象が見えるからだ。当然これは見た側が受け取ったただの印象であり、例えば雷の呼吸の型を使ったところで、実際に帯電などしてくれる訳がない。
だが、上弦の壱が放つ血鬼術は、見事に印象と一致した。夢を
無論、これは朗報でもなんでもない。むしろ考え得る可能性の中で最悪ですらあった。
型が見せる印象は、技の精度に比例する。強ければ強いだけ、呼吸と適合すればするだけ、技術が高ければ高いだけ、それははっきりと強大に映る。つまり、刃の軌跡に乗った無数の三日月は、多く強力になりこそすれ、弱くなる事は絶対にない。
上弦の壱がその気になったら、一体どれだけの月を生み出せるのか。
(もっとも)
笑み、というよりはただ引きつった顔で。
(その気にさせられるかも分からんがな)
死ぬにしたって、ただの一撃でも本気を見せて貰わなければ採算が合わない。
自分でも、馬鹿馬鹿しいな、とは思っている。死にたくないのに、死んだ後の計算をするなど。
威力に負けて、止まりかけていた足を叱咤する。一瞬後、元いた場所を淡い閃光がずたずたに切り裂いていた。
がむしゃらにでも何でも、とにかく動き続ける。一定の空間にいる時間を減らせば減らすだけ、相手も的を絞りづらい筈だ。……上弦の壱程の相手に、どれほど効果があるかは分からないが、今はそう信じるしかない。
避けて、弾いて、吹き飛ばされて。一件無意味に見える行動をとにかく繰り出し続ける。上手くいったとは言いがたい。三日月一つ一つがとにかく強力で、しかも規則性が全くない。弱音など吐きたくないが、狙って捌けるものではなかった。
上弦の壱が獪岳を狙っているからと、迂闊にも背後から頚を狙った隊士は、例外なく殺された。巻き添えを食らって損傷した者すらいる。おかげで、今は乙すら迂闊に踏み込めない嵐となっていた。
見逃しそうな程素早く、そして自然な動きで、刀が振りかぶられる。危険を察知し、胸が破れそうなほど強く息を吸った。
雷の呼吸――
振り下ろされると同時に、思わず目を剥く。どういう理屈か、刃が増えていた。気づけたのは、月光の軌跡が獣の爪みたく跡を残していたからだ。
今からの回避は不可能。咄嗟に型を切り替える。
雷の呼吸 陸ノ型・電轟雷轟
体を狭め、自分を中心に雷となった斬撃を走らせる。刀を横から叩き、軌道をずらす、または浅くする。無数の月刃は浴びたものの、なんとか皮膚をかすめた程度で止まってくれた。
詰まりかけた息を一気に吐き出し、正眼に似た構えを取る。今までのように、いちいち刀を収めはしなかった。
「ほう……雷の呼吸の剣士が納刀せぬ……。攻撃を捨てたか……」
雷の呼吸には、明確な弱点がある。型の中に、壱の呼吸以外は鬼の頚を落とすための技が存在しないのだ。加えて、壱ノ型は抜刀術。故に納刀状態が必殺の起点となりわかりやすすぎるというのも短所だ。だからこそ、雷の呼吸の使い手は徹底的に壱ノ型を鍛え上げる必要がある。
獪岳が納刀しないのは、虚仮威しを続けるのも惜しいというだけだったが。都合良く勘違いしてくれたのは、悪いことではない。
相手の呼吸――便宜上、月の呼吸と呼ぶが――で、分かった事もある。恐らく本来月の呼吸として存在したのは四つ、多くて五つだ。それ以降は鬼になってから編み出したものだろう。攻撃の特徴とでも言えばいいのか、それが明確に鬼に対するものではなかった。はっきりと、人を殺すためのものだという面影が見える。
“型”とは、いわば絶招だ。一つ一つが何らかの形で“切り札”たり得る。そんなものを、数十年、あるいは数百年かけて、対人間に特化させた。しかも、見せられた限りでも十以上の型を。
次世代に次がれる事は少ないが、一つや二つは型を生み出す者もいるにはいる。そういったものと同質の術を十以上、それも人間に特化させた殺しの技。長命故、有り余る時間に飽かせたにしても、笑えやしない。
「中々の力を持つ……認めよう、お前は歴代鳴柱と比しても遜色ない……」
「嬉しくねえなあ」
つまり、上弦の壱に挑んでは殺されていった者と大差ない――お前の運命もそうだと言われているに等しい。
反論など出よう筈もない。実力の世界に生きているのだから。強い者こそ正しい。強い者だけが正しい。弱者の言葉など、全て戯れ言に成り下がる。獪岳のような性悪が大きな面をできていたのも、偏に強いからだ。
(はっ……。ならせめて、悪あがきでもさせて貰うか)
強さに言わせて偉ぶっていたのなら、それくらいはしなければ。
獪岳が呼吸を変える。
今まで攻撃を浴びせ続けていた上弦の壱が手を止めた。殺すだけならば、いつでもできる。ならば何をしてくるのかと、興味が勝ったようだ。
「シイイィィィ……」
下段に構えた状態で、とにかく呼吸を深く長く続ける。
常々、思っていたことはあった。霹靂一閃を使えないのは仕方がない。己の至らなさに依るものだし、無い物ねだりはもっと無意味だ。だが現実問題として、残りの型五つでは全くもって決定打に欠ける。
戦い方で補うには限界があった。強い鬼ほど首が硬い。とりわけ格上の首を断つには、何らかの方策が必要だ。霹靂一閃とは別方面の、新機軸の型。
――本当に、そうだろうか。
真の意味での必殺技が足りないのは、明確な欠点だ。だからこそいろいろな方法を考えたし、一時期は遠雷を練り上げて霹靂一閃の代わりに、と考えた事もある。しかし、何一つとして実現する事はなかった。
いつからか、考え方が変わりだした。本当に伸びしろのない短所を補うべきだろうか。むしろ重視すべきは長所ではないだろうか。
その結果、生み出された。一代限りの新しい型。獪岳だけの秘技。鬼に弱いという欠陥をまるごと無視した、奥の奥。
雷の呼吸 歩ノ型・
今までよりさらに速い速度で移動し、上弦の壱に斬りかかる。しかし、太刀筋そのものは、今までと比べて脆弱と言うより他ない。失望したのだろう、上弦の壱は動きに合わせて攻撃を放ち……
「なに……?」
獪岳の体が、血鬼術ごと斬撃をすり抜けた。
いや、正確に言えば、すり抜けたように見えただけだ。高速移動と特殊歩法の合わせ技。相手を幻惑し、座標そのものを誤認させる回避の局地。それこそが陰電荷の正体だ。
絶対の、とまではとても言えないが。それでも獪岳には自信があった。この型は、例え理屈を解き明かされても、攻略は不可能。こと強敵と戦い続けるという意味において、陰電荷は神通力とも言える力を発揮する。
幾度か上弦の壱が刀を振るうが、そのどれもが獪岳をかすめるだけに止まり。ぽつりと、彼は呟いた。
「見事……」
静々と、続けられる声。その中には、確かな賞賛と、剣士としての矜持が籠っていた。
「訂正しよう……お前は歴代鳴柱に匹敵するのではなく……雷の呼吸の使い手でも一、二を争う……」
ならば、と続け。
「非礼を詫びよう……。ここからは、私も全力だ……」
いとも容易く、死刑宣告を告げられた。
それを避けられたのは、本当にただの偶然だった。陰電荷を使用中であり、かつたまたま太刀筋が進行方向と同じ。故に、右腕を浅く切られたに留まる。
本当に、何をされたかすら分からない次元の攻撃に、強く罵る。
(攻撃の起こりすら見えなかったぞ!?)
今までは攻撃の予感と言うか気配と言うか、とにかくそういうようなものを察知して、間だけは捉えていた。しかし今はそれすら無くなり、しかも数段鋭くなっている。
普通の鬼ですら化け物なのに。目の前の相手は、そもそも人間が抗っていい相手なのかすら分からなくなる。災害。そんな言葉が頭をよぎった。こいつがその気になれば、一晩で町の五つや六つ消滅させるだろう。
(は……)
痰を吐き捨てるような心地で呟く。
相手がどんな存在であろうと、諦めることは許されない。ある意味、死ぬより辛い事だった。だが、仕方がない。逃げることも避けることもできないならば、後は砕ける事を願って壁に向かうしかないのだから。
陰電荷の精度を高める。精神、肉体共に限界が近かった上での、無理な出力上昇。自分の中の何かが、えげつない速度で削られていくのが分かる。とりわけ足は、一歩ごとに壊れていくのが分かった。
もしここで生き残ったとして、自分は二度と隊士としては働けない。そんな確信を得ながらなお、超加速と、残像を作り出す歩武は止めなかった。何かを考えてそうしたわけではない。考える余裕などなかった。ただただ無心になって、とにかく目の前の現実に対応する。
だが、そこまでしてなお、獪岳は急激に追い詰められていった。上弦の壱がかなりの型を開帳してくれていたおかげで、性能に差はありながらも、理解はできる攻撃が多い。それでも対応しきれない理由は、簡単だった。
獪岳が上弦の壱の技に慣れたのと同様、上弦の壱もまた、獪岳の速度に慣れ始めていた。ましてや陰電荷は頚どころか、攻撃をするための型ですらない。対応などいくらでも落ち着いて行える。
上弦の壱が放つ太刀に、荒さは皆無だった。どこまでも澄み切った、技術の局地。範囲を制圧するような攻撃はない。代わりに、一太刀対処するのにすら命を差し出すような心地になる。
水平薙ぎ。刃の霰。左右同時の剣撃。巻打ち。自分を中心に描く螺旋。外から内に食い込む変速軌道の刀。多彩という言葉では全く足りない無数の型を、不格好に過ぎる形で対処していく。もはや体に無事な部分などなくなり、致命傷を負うのが先か、失血死が先かという全く得のない二択を迫られた。
だが。それでも文句の一つすら吐くのは許されない。
離脱者四名。重傷五名。そして、死者七名。このうち重傷者と死者は、全員獪岳を生かすため、自ら命を捧げた。上弦の壱にとっては、うるさい小蠅ほどの価値もない彼ら。当人達ですら、自分が全く無力であり、相手にもされていないと分かっていただろう。なのに、獪岳が危なくなれば、本当に小蠅の如く、目障りになるためだけに突撃していった。
獪岳は善人などという存在とはほど遠く、また散っていった命に報いようと思うほど殊勝でもない。
だが。死んだ仲間を無視できるほど、小利口にもなれなかった。
今から自分がしようとしている事に、命を掛けるほどの価値があるのだろうか? ――知ったことではない。いつだってそうだった。常にそうやって生きてきた。分別のないガキの頃も、無駄に図体ばかり大きくなった今も、いつでも。気に入らない。そんなつまらない一言で事足りる。
一割の実力と六割の幸運、そして三割の仲間の献身によって、なんとか生きている……というより、まだ死んでいない。そんな状態で、細やかな抵抗を続けている時。不意に、降り注ぐ光刃が止んだ。
上弦の壱は攻撃を中止したのみならず、右手だけで刀を持ち、だらんと腕を脱力している。完全に戦闘姿勢を解いていた。
想定外の事態に、思わず獪岳も足を緩める。というより、抜けた気に影響されて呼吸を維持できなくなっただけだが。
いったん陰電荷を解いてしまうと、一気に無茶のつけが回ってくる。下半身ががたがたと震え、とりわけ膝から下は感覚が無い。正直なところ、立ち続けているのすら難しく、今すぐ倒れ込んでしまわないのが我が事ながら不思議だった。太ももの半ば辺りから紫色に変色しているのが、見ずとも分かる。
意図は分からないが、どのみち気を抜ける要素など何一つとしてない。目配せで仲間に再配置を命じ、自分は鬼の真正面に陣取った。
上弦の壱は、顔に哀れみを乗せ、語りかけてくる。
「お前がここで死ぬ事……あまりにも惜しい……。我らに下れ……。さすれば永遠の命を得られる……」
「……あ?」
いきなりの勧誘に、思わずぽかんとする。
上弦の壱は、獪岳の思考を丁寧に解すように続けた。
「不思議なことではない……。あのお方は配下に力を求めておられる……。鬼としての適合率が高いか、もしくは最初から強いか……。お前は後者だ……。十分に資格がある……」
つらつらと語られる言葉に。
獪岳は思わず笑ってしまった。こんなものは笑うしかない。他にどんな反応をしろと言うのか。おかしくて、本当に、おかしくておかしくて堪らない。
「お前、何もなかったのか?」
「何を言っている……?」
訳が分からない、と鬼は顔を顰めた。なぜだかそれが、とても鬼らしいと感じた。
「家族、部下、仲間……本当に何でもいいんだ。分からねえか? 背負ってるもんだよ。鬼になる前、なんも持ってなかった訳じゃねえだろ。捨てたのか? それとも失ったのか? 生憎と、俺はまだ下ろしてねえんだ。なんもなけりゃあ、それこそ土下座して足を舐めてでも生きようとしたんだろうがな」
肩をすくめて、冗談でも言うように。
上弦の壱に憎しみなどない。本当だ。今目の前に敵として存在してもなお、それ以外の感情はない。せいぜい仲間を殺されたから引くに引けないといった程度だ。
それが伝わったかは分からないが。鬼はなおのこと理解できないといった風に、小さく頭を振った。
「鬼になれば……月日が経てば……いずれ風化する……。その程度のものだ……。分かっていてなお固執するか……?」
「そんな簡単に捨てられたら、さぞや人生は楽で――つまらないだろうな。ご期待に添えず悪いが、こんなんでも、案外人生楽しいんだよ」
上弦の壱が大きく嘆息した。本当に、残念そうに。
「その怪我では、今すぐ治療を受けても夜明けを待たずして死ぬだろう……。ならばせめて、戦場にて沈むがいい……」
「はは。全く、生きるってなあつくづく簡単じゃねえな。簡単に死ねないってのは厳しいもんだ」
これまで暴いた月の呼吸の型、実に二五。殺人に特化したものと考えれば二〇を数える。これらが全て正しく本部に届くかは、もう信じてもいない神にでも祈るしかないが。
余計なおしゃべりをしてくれたおかげで、捻るように響いていた肺の痛みだけは引いた。
(あと何人逃がせっかな)
できれば斉藤は逃がしたい。この中では最も状況把握能力に優れており、一切の不足なく上弦の壱の力を伝えてくれるだろう。惜しむらくは、最初に彼自身の撤退優先度を低く設定してしまったことか。
できれば全員逃がしてやりたくはあるが、斉藤と四月一日は道連れにするしかないだろう。
まあ今更何を言ったところで詮無い。むしろここまで生き残っただけでも上出来というものだ。
(三人で波状攻撃をしかけている内に、傷が浅い隊士に重傷者を背負って逃がさせる……は、さすがに算段が甘すぎるわな)
あれこれ考えている暇はない。上弦の壱が構え直している。そもそもどれだけ生き残れるかだって、鬼の匙加減一つだ。
陰電荷はあとどれほど使えるだろうか。いくら根性論を持ち出したところで、物理的に壊れてしまえばどうしようもない。今のところ、獪岳らの命を繋いでいるのはそれだけだ。
残された時間を考慮すれば、受けに回るより積極的に引っかき回した方がまだマシか。そんな事を、どこか他人事のように勘定していた時。
「ギッ……ィ!」
本当に唐突に、前触れもなく、四月一日が死んだ。背中から氷の柱で突き刺されている。胸の中心を射貫かれたのだ、即死だっただろう。
磔になって物言わぬ死体となった四月一日の横を、一人の男がゆっくりと歩いてくる。いかにもお高そうな洋服。日本では見ない金色の髪は、何故だか頭頂部あたりから血でもかけられたように赤黒く変色している。上弦の壱ほどとは言わないが、かなり目を引く姿形だった。
そして。
そして――
目には、上弦・弐の文字。
鬼殺隊に囁かれる悪夢。伝わった話はほとんど無いのに、色褪せぬ噂。
或いは、死の具現。
「やあやあ黒死牟殿。夜明けも近いのに何をしているんだい? 俺も混ぜておくれよ」
「童磨……。こんな所まで何をしにきた……」
「いやあ、用事なんてこれっぽっちもないんだけどね。暇だからつい来てしまったよ」
まるで世間話でもするように、軽い調子の会話。
いや、それこそこの状況など、井戸端会議も同然なのだろう。彼らに脅威となるものは、この場に何一つとして存在しない。本当に、何も。恐るるに至らない。
上弦の弐、もとい童磨は、まるでいたずらをした幼子のように、鉄扇で口元を隠しながら笑った。
「なんてね。少し意地悪してしまったよ。実はちょっと前から見てたから、事情は知っているんだ。ちょっとだけ、君たちと遊びたくなっちゃってね」
「まったく、本当に鬼ってのはよ……」
さすがに、苦言の一つくらい漏らしたくなる。
楽観論から悲観論まで、全てが崩れ去った。新たな上弦の登場は、さすがに何も保証できない。それこそここに上弦の弐が現れたのを伝えるのも――つまり、誰か一人でも生かして逃がす事すら極めて困難だ。というか、上弦の弐がこの場を観察していたという時点で、隊士を逃がしたという前提すら疑わなければならない。
黒死牟の血鬼術だけでも伝わっていれば儲けもの。などと思いたくないが、それですらかなり都合のいい妄言に成り下がった。
(皆殺し、か……。本格的に覚悟しねえとな)
かつて上弦と出会った隊士達がそうだったように。
小さく目を伏せながら。自分たちが沈もうとしている悪夢に抗う術は、どうしても思いつかなかった。