獪岳と善逸 作:山筋
鬼――仮に鬼舞辻無残を神と称するならば、その前に泰然と立ち塞がる六人の王。それが上弦の鬼だ。
彼らの力は、単独で柱を含む一部隊を壊滅せしめる。同時に事実として、鬼殺隊が上弦の鬼を撃破した記録は存在しない――いや、百年ほど前に一度討伐されたのだっただろうか。どちらでも結果は大差なさそうだが――どころか、そもそも遭遇即ち死という存在であるため、どのような面子がいるのかもはっきりしていなかった。
夢の中でのみ語られる、しかし実際に存在する王。夜を喰い、闇を喰い、人を喰う。光に灼かれながら、光に焦がれる。或いは、鬼殺という夢を終わらせる者だろうか。
深淵のさらに深き場所にて君臨する王が二人。静かに満身創痍な死兵達を見下ろす。
獪岳は確かに強い。純粋な『強さ』という面においては、彼自身も否定しなかった。ただしそれは、枕詞に『人としては』と付く。悲しいかな、人を逸脱する程の力は持っていなかった。
所詮は柱になれなかった、雷の呼吸を使う剣士の出来損ない。これもまた、否定できない要素だ。
闇の中へ飛び込めば鬼がいる。鬼の中には王がいる。もし王と遭遇してしまえば、死ぬしかない。こうなる可能性は誰にでもある。それこそ鬼殺隊以外の者ですら。
死を覚悟していたと言えば嘘になるが、かといって、さすがに上弦の鬼二人同時出現は想定外に過ぎた。
(どうする?)
などと考えるが、正直なところ、もうできる事などほとんど無かった。
ただでさえ黒死牟相手ですら、今生きているのが奇跡なのだ。この上に童磨など、それこそ死ぬ前に何かできることがあるのかという次元である。
だが。獪岳が答えを出すより早く、動き出した者が二人。
「獪岳甲隊士、無駄死ににさせんで下さいよ」
「はは、俺たちの命が上弦に一矢報いるって言うんなら、案外悪い気分じゃない」
「おい……待て。待て!」
必死の言葉も聞かず、利き腕を失った隊士と、胴体を半ば寸断された隊士が童磨へ切りかかる。
襲われた童磨は、それこそ眉一つ動かさなかった。にこにこと――刀の届く範囲に入る前に吐血し倒れた二人を眺めている。そして、いきなり空中に現れた氷柱十数本が、倒れた隊士にとどめを刺した。
死した二人を一瞥もせず、童磨は獪岳へと視線を向ける。
「これは俺なりの、君への敬意というやつさ。どうだい、俺の血鬼術で何か分かったことはあるかい?」
言ってごらん、というように、扇を扇ぐ。
推測はある。今日は満月のためか、普通の夜よりはいろいろなものを見つけやすい。例えば、童磨の周囲を包むうっすらとした白い靄であったり、四月一日を貫いた氷は地下から突き出た様子も生えた様子もなかったり、氷柱を本人からある程度遠方で生み出したり。
血液が足りず、頭を回せば貧血を起こしそうになる。それでも気力だけで自分を支え、一番高い可能性を提示して見せた。
「お前の血鬼術は、『冷気の操作』だ」
「――へえ。なんでそう思うんだい? 氷を生み出し操るとは思わなかったのかい」
とても楽しそうな相手の顔を見ながら、獪岳は続ける。
「それも考えなかった訳じゃねえがな。にしては氷を生み出す起点が見当たらねえ。地面を抉って出てきたんじゃなければ、周囲から集まった様子もねえ氷の柱。あいつらに刺さった氷柱から、出血する様子が見えねえのも気になる。加えて薄い霧だ。中に入った瞬間、二人は吐血した。ありゃ目に見えねえ程小さな氷の礫たったんだろ? 体内を切り裂いたのか、凍らせてひび割ったのか、そこまでは分からねえが。総合すると、氷じゃなくて冷気を操ったって方がしっくりくる」
「ご名答。うんうん、さすがは黒死牟殿の血鬼術を一度だけで見極めただけはあるね」
作ったような笑みのまま、幼子を褒めるように、童磨。
「その通り、俺の血鬼術は冷気を操るのさ。その気になれば冷気で生み出したものを操縦するなんて真似もできる。いやあ、全く見込み通りだよ。この答え合わせは俺からの
手放しの賞賛に違和感は感じたものの、何も言わないことにした。
この程度、上弦の鬼からすればどうと言うことのない情報なのだろうとはすぐに分かった。絶対的な自信と自負と、それを裏付ける結果。全てが、血鬼術を知られた程度、どうという事はないと語っている。
実際、童磨の考えは正しい。少なくとも獪岳程度では、それを驕りと指摘する事はできなかった。間違いなく全ての鬼の中で一番血鬼術に卓越した者、それが童磨だ。そして、ここからはただの予想だが、血鬼術なしの戦闘に関しても下弦の鬼を軽くあしらう程度はある。
獪岳が激励するより早く、一人の隊士が離脱を始めた。さすがにここまでの激戦を生き残っただけあって、判断が速い。
いざとなれば迎撃をするために構えていたが。予想に反して、上弦の鬼は黙って隊士を見送った。
無意味な挑発ではあったが。獪岳は強引に笑みを作って問いかけた。
「逃がしてよかったのか? 本部にお前らの情報が伝わるぜ」
「無為……」
「おいおい、冗談にしては笑えないぜ。俺たちの事を少し知ったからって、一体君たちに何ができるって言うんだい? そういうのはもう少し強い剣士を集めてからじゃないと」
(あいつらにとっちゃ、俺たちなんて蟻以下か)
相手の認識はさておき、そう思ってくれるのはありがたかった。おかげで、今まで逃がしてきた者も生きている希望が持てる。或いは『鬼の配下の鬼』などというものが配備されてるかもしれないが、そこに関してはもう自力で突破して貰うしかない。
「獪岳、俺は上弦の弐を相手する。上弦の壱は任せていいか」
斉藤から発せられた言は、質問ではなくほぼ確認だった。
生き残りはもう、獪岳と斉藤しかいない。どちらがどちらを相手した方が時間が稼げるかは、はっきり言って微妙な所だ。いや、斉藤も獪岳に負けず劣らずの満身創痍である以上、そもそも夜明けまでの時間を気にすること自体が無意味か。
できれば、これからの戦いも届けて貰いたくはあったが。それは無い物ねだりを通り越して、図々しくすらある。
恐らく今生最後になるであろう型を発動し、黒死牟の制空権へと潜り込む。
陰電荷は、既に敵から慣れられてしまった上、その性能も今までとは比べるべくもない。一合と持たずして切り伏せられてもおかしくなかった。
であるにも関わらず、獪岳は黒死牟の刃の結界を潜り抜ける。
(…………?)
なぜだか分からないが、彼には先ほどまでの鋭さはなかった。能力や身体能力に制限でもあるのか、と一瞬思ったが違う。明らかにやる気を失っていた。
単独でなければ気分が乗らないのか、それとも単に童磨が嫌いなのか。どちらかは分からないが、そのおかげでほんの僅かだけ寿命が延びる。
縦横無尽に駆け巡り、しかし責め気は決して見せない。いかに気力を無くしたと言っても、攻撃へ意識を向ける一瞬の隙間、それを見逃すほど上弦の壱は甘くない。入り乱れる三日月を弾きながら、ふと気がついた。
黒死牟に切り伏せられた一人の隊士が、まだ生きている。手足を失い、顔の半分を凍傷で焼かれ、虫の息ながらも、しかし確実に命は残っていた。
獪岳は一瞬だけその生き残りに目配せした後、邪魔な隊士の遺体を蹴り避けるふりをして、生存者に被せた。もしかしたら、この一人が最後の情報を届けてくれるかも知れない。念を入れて、隊士の死体を“掃除”されなければだが。それでもあり得ると思えるのは悪いことではない、と思いたい。
……などと、そこまで都合良くいくわけもなかった。
直感が鳴らした警報のままに、体を思い切り倒す。直後に、毛先を切りながら氷の刃が通過していった。
視界の端に、全身が凍り付いて倒れ伏す斉藤の姿が見える。生死の確認をするのが馬鹿馬鹿しくなるくらいに、体は破壊されている。
(分かったつもりじゃ、いたんだがな)
童磨の持つ、広域に呼吸を使用不能にする血鬼術は、正しく隊士を殺すためにある技だ。接近して呼吸を続けられないというのは、手足をもがれたに等しい。乙ほどの実力者が、ほとんど何もできずに負けたのがその証左だ。
「黒死牟殿、彼の相手を譲って貰えないかな」
「好きにしろ……」
もはや戦う気すらなくしたというように、上弦の壱は刀を収めてしまう。
ひとまず足は止める――が、呼吸は続ける。停止状態の陰電荷だ。
童磨はこちらに向いて、にこりと笑いかけてきた。人をたらし込む、しかし全く信用のできない笑み。
「君とは話して見たかったんだよ。ねえ、鬼になる気はないかい?」
「最初から全部見てたんだろ。なら一度断ったのも知らねえ訳がねえ」
「うんうん、無論知っているとも。でも、君が背負ったものというのは、もう全部消えただろう。だからわざと他の者を逃がさせてあげたし、君以外の人間も処分したんだぜ。そろそろ手を取ってくれてもいいんじゃないかな」
そんなことを、当り前の面して言う鬼に。
獪岳は笑った。今までのようにわざと作ったものではない。本当に、どんな顔をしていいのか分からなくて、最終的に出てきたのがそれだった。
下らない。本当に下らない。馬鹿馬鹿しくて涙が出そうだ。
「何も、下ろしちゃいねえよ。まだ同じもんを背負ったままだ。こいつからは、ちょいと逃げ出せねえな」
「……何故だい? 分からないなあ。もう君が気にするべきものは何もない筈なのに。これ以上、何が残っていると言うんだい?」
心底不思議そうな童磨。
(ああ……)
ため息をつく。
鬼になると、忘れてしまうのだろうか。それとも生来持ち合わせていないのだろうか。少なくとも、この点に関して、黒死牟はまだ理解を示していたのだが。
目に見えるものだけが重荷なのではない。この場にあるものだけが重要なのではない。なぜ、それだけの事が分からないのか。
「俺は欲深えんだよ。まだまだ足りねえ。残したもんがありすぎる。もう無理なんだよ。鬼になる誘いを受けるには、積み上がった物が多過ぎだ」
重ねて断じてやる。
童磨の笑みは崩れた。代わりに出てきたのは涙だ。はらはらと、心底こちらを哀れむように涙している。
「なんて可哀想なんだ。君は呪われてしまったんだよ。壊れてしまっている。君は人に尽くす事でしか、人の顔色を見る事でしか喜びを感じられないんだね。僕を頼って集まった信者でも、君ほど哀れな人間はいなかったぜ。ああ、なんて可哀想なんだ」
「そうかな……そうかも知んねえな」
心当たりがない訳ではない。
何もかも忘れてしまいそうなほど昔、しかし決して色褪せないあの頃。仲間が全員病に倒れ、自分だけが生き残ってしまった、その残滓。これを呪われてないと言うのは、少し難しいかも知れない。
ずっと、誰かと一緒にいたかった。輝ける時間を共にしたかった。いずれ無くなると分かっていても、どうしても手放せなかった。
これは信念ではない。ただの執着だ。
それでも、
「仕方ねえだろ。これが俺なんだ」
やんちゃをした馬鹿な子分たちの顔が。行冥の顔が。寺のガキ共の顔が。先生の顔が。善逸の顔が。隊士らの顔が。無数に流れてきて、そして消えてはくれない。
全て、己の人生が積み重ねてきたもの。一つとして嘘はない。だから、裏切れない。
童磨は、静かに頭を振った。
「俺は、君のような人こそを救ってあげたいんだぜ……?」
「もうとっくに救われてんだよ。例えそれが歪んだ形でもな」
つまらない戯れ言が途切れる。
童磨が、二体の氷像を生み出した。それは氷で作られているとは思えない程なめらかに動いて、獪岳を食らいつくさんとする。
強力な血鬼術ではあるが、黒死牟に比べれば攻撃がぬるい。近寄れないので反撃こそできないものの、回避だけならばそれなりに余裕があった。
だが、それも終わる。獪岳の命の蝋燭が尽きたが故に。
体はもう死んでいる。それを自覚して、獪岳は最後に一つだけ、生き残った隊士に見せることにした。柱に限りなく近い甲が、命もろとも引き換えに特攻した場合、どう対処するかを。
ほとんど直角に進行方向を変え、童磨に突撃する。刀を鞘に収め、陰電荷を停止し、ただただ直線的な疾走。
童磨の間合いに入れば、ただの一呼吸で肺が破壊し尽くさせる。だがそれは、逆に言えば、
雷の呼吸 壱ノ型・霹靂一閃・不完全
急な攻勢に、童磨が面食らう。慌てて冷気煙を作ってきたが、関係ない。二度と息をするつもりなどないのだから。
二つの氷像をすり抜け、抜刀術を見舞う。今まで試した霹靂一閃の中でも、それは会心の出来だったと言えた。弾かれた刃が、童磨の頚に食い込む。
それでも……壱ノ型の完成形にはほど遠かった。
首の半ばで、刃は鉄扇に受け止められていた。反撃とばかりに繰り出された氷の柱が、自分の体を縫い止めている。
(善逸くらいに使えてりゃ、一人道連れにできたかもしれなかったんだがな……)
悔しい。が、仕方がない。本当に。自分が弱いのが悪いのだから。
尽きた命が眠りを誘う。二度と目覚めることのない誘惑。抗う術はもうない。
走馬灯などと言う言葉があるが、残念ながら獪岳は昔を思い出す事はなかった。代わりにあったのは、たった一つの細やかな自負。
呪われたのかも知れない。いい人生じゃなかったのかも知れない。上手く使われ利用されただけだったかも知れない。ただの能無しが、勘違いをしただけだったかも知れない。
胸を張って、とは言えないが。それでも言いたいことはある。
最後の最後まで、俺は自分の人生を自分で決めた。
×××
「ゲフッ」
喉と口からいくらかの血を吐き出しながら、童磨は首の半ばまで食い込んでいる刀を弾く。日輪刀にて傷つけられた部位は再生が遅いものなの――これを仮に陽の毒とでも言おうか――に蝕まれながら、刀が抜けた瞬間、まるで逆再生のように戻る。鬼殺隊にとっては哀れな話だが、本物の日光でもない一撃など、上弦の鬼にとってものの数ではなかった。さすがに刺さったまだまだと多少苦労するかな、その程度である。
瞬時に回復した喉に触れる。傷跡を気にしたわけではない。出血が服を濡らしていたら嫌だなあ、その程度である。
目の前で串刺しにされた隊士の男――確か獪岳と呼ばれていただろうか。まあどうでもいい――を前に、童磨は流れた涙を拭った。ああ、なんて哀れで幼い魂なんだろう。自分の喜びを知らずに死ぬなんて、それこそ生きた甲斐がない。
人は我儘に生きるべきだ。あるがままの自分を愛するべきだ。それができない愚昧で無知な人未満を導いてあげるのが万世極楽教であり、それを率いる教祖たる童磨なのだ。
人に尽くさなければ喜びを感じられないなど、そんな非道い事があるだろうか。彼はもっと自分を見るべきだった。あるがままに生きるべきだった。人の顔を伺いながら生きるより、人を殺してでも自由自在に生きた方がいいに決まっている。
そんあ当り前のことすら分からなかった。いや、理解する機会を得られなかった。それを阻害したのが鬼殺隊だ。
「やっぱり、鬼殺隊は酷い組織だなあ。なんでもっと人の心を労れないんだろうね」
「…………」
話しかけている黒死牟は、無言だった。まあ珍しいことではない。彼は上下の月でも最も寡黙であり、必要最低限の反応しかしない。それすら必要ないと思った時は無反応だ。まあ聞き上手だと思えば問題ない。いつものように、一方的にまくし立てることにする。
獪岳というこの男は、酷い姿だった。全身が切り刻まれて血に塗れ、所々肉もはみ出ている。血液で着物が張り付き変な形状となっているため、初見では奇妙な置物にしか見えないだろう。よく確認してそれが人間だったものと分かった場合、人はどんな反応を示すのだろうか、と少しばかり思う。
結果は、最初は悲鳴こそ上げるが最終的にはどうでもいいと思うだろう、だった。所詮は自分のことではない。時が経つにつれて、嫌な物を見たという程度になる。
そう、獪岳の死とはそんな底辺にまで陳腐化されてしまう程度のものなのだ。
だからこそ哀れで仕方がない。彼の生は無意味だった。彼の死は無意味になる。
なんでこの子は、思うがままに生きられなかったのだろう。せめて少しだけでの自分のためだけに生きられたら……
そこまで考えて、童磨ははっとした。
「ねえ黒死牟殿。無残様に彼を鬼にしてもらったらどうかな」
「何……?」
「ほら、もう死んじゃってるけどさ。もしもがあるかもしれないじゃあないか。このまま、ただ死ぬだけなんて可哀想だぜ。例え短時間でも、自分のためだけに生きられるかもしれないじゃあないか」
今までの涙など忘れたかのように、童磨は満面の笑みになる。
その様子を見て、なぜだか黒死牟は嘆息していた。
「……勝敗は決し、その戦士はお前に討たれた……。であれば、私から言うことはない……。既に誘いを断られた身である故……」
「そうかいそういかい! 賛成してくれて嬉しいよ!」
黒死牟は、何かを言いたげにこちらを見ていたが。相変わらず、いまいち掴みづらい反応だ。とはいえ、悪い様子ではなさそうだとも思う。
上弦の壱である黒死牟と、上弦の参である猗窩座は、求道者の類いだ。強さこそが全てだと信奉している。まあ、その変の感覚は、童磨には分からないのだが。とにかく、彼らは鍛え上げられた力が失われるのは惜しいと常々語っていた。
我ながら名案だ、と目を輝かせる。生前使われるだけでしかなかった子が、死後になって自分の思うがままに振る舞えるようになる。なんて、これを西洋の言葉でなんとか言ったか。そうだ、確か『ろまんちっく』だ。とても『ろまんちっく』で、心まで躍りそうだった。
「ははあ、彼は絶対にいい鬼になるよ。俺にはなんとなく分かるんだ。絶対に無残様も喜ぶ。俺の勘はよく当たるんだぜ」
「お前の、そういう所は好きになれぬ……」
「つれない事言ってくれるなよ黒死牟殿。俺は貴方と……いや、十二鬼月みんなと仲良くしたいんだ」
だと言うのに、とやれやれと肩をすくめる。
「半天狗殿と玉壺殿はあまり相手をしてくれなくて悲しい。猗窩座殿に至っては、目に見えて俺を敵視してくるしなあ。仲良く話せるのは堕姫と妓夫太郎だけで悲しいよ」
「お前がいちいち煽るから嫌われているのだ……」
「煽るだって? とんでもないなあ。俺は心から猗窩座殿の事を心配して言ってるのに」
本当に、なんでこんなに嫌われているんだろう、と思う。だって、仕方がないじゃあないか。全部全部、猗窩座が自分より弱いのが悪い。
まあひとまず、そんなことはどうでもいい。猗窩座とはいくらでも語り合って、相互理解を深めればいいのだ。お互い鬼なのだから、時間などいくらでもある。
獪岳を磔にしたままの氷柱を消す。骸が地面に倒れる前に受け止め、そして、片手で軽く鉄扇を振った。
「鳴女殿。鳴女殿ー。俺を無残様の元へ送ってくれないかい? できれば今すぐにがいいんだけど。ああ、無論無残様の用事を最優先でね」
言うと、目の前に襖が現れた。先にあるのは、武家屋敷を滅茶苦茶に組み合わせたような空間。どうやら鳴女の血鬼術の中にいるらしい。
「という訳で黒死牟殿、俺はこれでお暇させてもらうよ」
「まあ……ほどほどにしておくのだな……」
どこか諦めたような調子で言われるが。
全てひっくるめて、理解など後からでいい。結果は自ずと付いてくる。そう気軽に考えて、童磨は大事に抱えた遺体ごと、敷居を跨いだ。
「――何故に下弦の鬼はこれ程までに弱いのか」
強烈な怒気が、遠方の童磨にまで伝わってくる。それを聞いて、童磨はやや肩をすくめた。
(やれやれ、無残様は大層ご機嫌斜めのようだ)
もっとも、ご機嫌な無残など見たこともないが。
いつも不機嫌なら、いちいち気にしたって意味は無い。気軽な足取りで踏み入る。
無残は、何故か女の姿をしていた。まあ、彼の生活基盤は数十とある。そのため、どんな姿をしていてもおかしくないのだが。
その場は、ちょっとした修羅場になっていた。鬼が四匹ほど土下座をし、一匹は無残の左腕から生える触腕につり上げられている。そして、さらに枝分かれした捕食用の口で、頭から喰われそうになっていた。
普段ならばその様を眺めた後に話しかけるのだが。時間を掛けすぎると獪岳が完全に死んでしまうため、残念ながらすぐ前に出ることにした。
「やあやあ無残様。ご機嫌麗しく、はなさそうですけど」
「……鳴女」
「上弦の弐より要請がありましたので」
無残は童磨など無視して、なぜこいつがここにいると言った様子で鳴女を睨む。これに、彼女は端的に答えた。
これは仕方のない事ではある。鬼の中で、序列とは絶対だ……と黒死牟も言っていた。童磨はそのあたりほとんど気にしていないが。まあともあれ、普通の鬼は異能の鬼に、異能の鬼は下弦の鬼に、下弦の鬼は上弦の鬼に逆らえない。これで無残が『他に誰もこの空間に入れるな』とでも言っておけば話は別だっただろう。いちいちこんな空間にまで干渉してくる者はいないので、その可能性は放置されていたらしい。
チッ、と舌打ちし、無残が童磨に向き返った。同時に、下弦の――ええと、誰だろうか。まあ誰でもいいし、なんなら彼がどうなっても興味など無い――が落とされる。
「私は今、非常に気分が悪い。何のつもりだか知らんが、言葉はよく選べ」
「ひとまず報告で。京都につり出された鬼狩りどもは、大方始末しました」
「まさか――」
怒気に、みしりと空間が歪む。下弦の誰かが小さく悲鳴を上げた。
「そのような当り前の事を、さも成果だと誇るつもりでははないだろうな。柱ですらない者を葬っただけで驕っているならば、お前ももう要らん」
「まさか。これは前置きです」
怒っている無残も素敵だ。だけど、いつか喜びに満ちあふれている姿も見たいなあ、などと考える。
今喰われそうになっていた者を含め、下弦の鬼は皆顔面蒼白だ。いや、一人だけなんだか楽しそうに見える。彼とはいずれ語り合ってみたい。まあともかく、見世物としては面白い部類ではあった。
「この彼についてなのですが」
「……襤褸雑巾が何だと言うのだ?」
襤褸雑巾、と揶揄された獪岳。思わず苦笑が漏れる。全身なます切りにされ、唯一無事、というか守ったのであろう足も血液がこびりつき、乾燥しかけて酷い有様だ。おまけに土手っ腹に大穴まであいている。これを塵ではないと言ったところで、まあ説得力はない。
死してなおそんな扱いを受けるなど、ああ、本当になんて彼は可哀想なのだろう。
「この子はね、とても悲しい子なんですよ。他人の為に生きて、他者の喜ぶ姿でしか悦楽を感じられなくて、最後までそれを信じて、俺たちに殺されました。どうです、無残様。こんなに非道い事ってないと思いませんか? 俺はね、彼に自分勝手に振る舞って欲しいんです。鬼になって、己の望むままに力を振るって、自分のためだけに生きて欲しい。だから、彼を鬼にして貰おうとお願いしに来たんです」
「ほう……」
なんとか興味は引けたのか、無残が考え込む。
ダメ押しをしようと、童磨は続けた。
「それに彼は、中々優秀なんですよ。本気の黒死牟殿と戦って、ある程度時間稼ぎをできていたんです。さらに、ほとんど死体も同然だったのに、俺の頚を半ばまで断って見せました。戦力としても、中々悪くないんじゃないかなー、と思いますよ。実際、黒死牟殿も歴代の雷の呼吸の使い手で一、二を争うって言ってましたし」
そもそも黒死牟と戦った鳴柱など何人もいないだろうが、それでも大評価には違いない。
忌々しげに睨まれる。その様子に、童磨は交渉の成功を知った。
「いいだろう。お前の口車に乗ってやる」
「わあ! さすが無残様! きっと彼も喜ぶぜ!」
笑顔を向けると、なぜだか途端にうさんくさいものを見る目を向けられる。
なぜだか分からないが、他者が童磨に向ける視線はとにかく極端だ。ひたすら妄信的か、極端に嫌うか、或いは今みたく全く信用されないか。やれやれ、と思う。自分ほど正直で誠実な人間はいないと自負しているのに。信じて貰えないとは寂しい限りだ。
「――興が削がれた。鳴女、こやつらを帰せ」
べべん、と琵琶が鳴る。同時に、下弦らの姿が消えた。
(おやおや、もしかして無残様は下弦の鬼を処分するつもりだったのかな? だったら悪い事したなあ。まあ、無残様も後悔したのかな。下弦
正直な所、下弦の鬼は強い鬼でもなんでもない。これは童磨個人ではなく、上弦の鬼の総意である。
そもそも、鬼舞辻無残が鬼に求めているものとは何か。一つに、太陽を克服する事。二つに、太陽を克服するための材料と思われる青い彼岸花を見つけ出す事。三つに、鬼殺隊の中でもとりわけ目障りな柱を始末する事。
前者二つが難しい以上、十二鬼月に求められるのは柱の始末なのだが。これにおいて、下弦の鬼は全くといって良いほど寄与していない。どころか、まま経験値になってしまってすらいる。
加えて、長期利用を考えなければ下弦の鬼程度の鬼を量産するのは難しくなかった。鬼になる適性を持つ者ならば、一晩限り下弦の鬼相応にするのは簡単だ。自分の中にある“鬼の血”が、許容量を教えてくれる。
それでも今まで任命していたのは、単に『柱が九人いる』からだった。ごくごく単純に、柱より強い鬼を九人備蓄しておきたかったのだろう。試みは、まあ、嘆きたくなるほどに上手くいっていない。
そうなると手っ取り早いのが、人の頃から強かった者を鬼にする方法だ。ここには黒死牟、猗窩座、妓夫太郎などが分類される。
隊士の鬼はもうわざわざ鬼にするほどではない、と無残が昔、語っていたが。逆に言えば、鬼にしたところで特に損がある存在でもない。
無残の生み出した肉腫を押し出すように、針が出てくる。骨を形成し直した物だろうか。ぶちゅりと気色悪い音を立てながら肉を貫き、血液に似た粘液を滴らせていた。それが針から出た物なのか、それとも肉を破った影響か、どちからは分からない。
針は、童磨にすら視認が難しい速度で獪岳へと突き刺さった。
どくり、と鬼の血が注入される。物言わぬ体は、こんな時ですら何ら反応はなかった。普通であれば、鬼化する時はすぐに苦しみ悶えるか、もしくは死ぬかなのだが。
(うーん、これは手遅れだったかな?)
さすがに死体へ鬼の血を注入した場合どうなるかは、童磨の知識にはない。無反応と言うのは、数ある可能性の中では一番あり得そうではある。
暫く沈黙を保っていたが。やがて死体もどきが奇妙な痙攣をし始める。肉の塊が内側から泡立つ音が立ち、血で斑になった白い脂肪があたりに飛び散った。変化が終わった頃には、粗挽き肉の塊だったものが、薄汚い衣を纏った人間――もとい鬼――へとなる。
「お前が面倒を見ておけ」
「もちろんでございますとも」
背を向ける無残に、恭しく頭を下げる。
生まれ変わった獪岳の体を、童磨は愛おしげに撫でた。
(うふふ、これで如意自在に生きてくれたらいいなあ)
人生に迷った子を喰ってあげるように。人の世に絶望した愚か者を導いてあげるように。迷い子を教壇で受け入れてあげるように。そして、心に穴が空いた破綻者を導いてあげるように。
良いことをすると、とても気分がいい。本当に、胸がすくようだ。
剣で教えてあげられる事はないから、まずは血鬼術を徹底的に鍛えよう。人の身で上弦の鬼に食らいつくのだから、血鬼術を覚えればさぞや強くなるだろう。
そして、思うがままに暴れるのだ。
彼が自分を解放した時、一体どんな顔をするのだろう。想像し、童磨は掛け値なしの笑みを作った。
×××
「くく……くくくくくく」
この世のどこでもない場所で、含み笑いが狭い空間内で反響する。
本来、こんな真似は恥だ。唾棄すべきですらある。しかし、どうしてもこみ上げるものを止められない。
こんなものは、即座に制御すべきだ。
鬼舞辻無残という人間は、変化を嫌う。というよりも、不変を愛していた。変わらぬ命。変わらぬ寿命。変わらぬ力。変わらぬ体。悠然足る姿のなんと美しいことか。満ちもせねば尽きもしない。揺らぎなどは悪だ。あってはならない。多くの場合、変化は現在を下回る。
無残が太陽を克服したがるのも、何も命を惜しんでだけの事ではない。陽光ごときで死へ変化する命。そんなものは、到底受け入れられなかった。
感情もそうだ。大きな怒りも大きな喜びも、あるべきではない。ただひたすらに凪ぐ精神こそが求める物だった。
だが、それを信条とする無残でさえ、この歓喜に嘘はつけなかった。
呪い。
無残が産屋敷を呪ったように、無残もまた、過去に呪われていた。それは決して曖昧なものではない。ひたすらに明確で、そして確実に無残を蝕んでいた。
獪岳。はっきり言ってこの隊士には、何の期待もしていなかった。鬼殺隊そのものが、最も手に入れやすい素体なのだから。とりわけ呼吸の使い手に関しては、血液の作りから神経の変化まで、全てを把握していると言っていい。
だが、それだけ体を暴いたところで、さすがに血鬼術までは予想できない。血鬼術を発現する鬼自体が、さほど多いとは言えないのだから仕方ないだろう。
「お前は、とても有用だったぞ、獪岳よ」
棒立ちになっているそれに語りかけるが、反応はない。だが、不動に対し怒るような事はしなかった。
これは不変だ。絶対に無残が嫌う変化をしない。ならば全てを許せる。何より、血鬼術は非常に有用だった。
そう、有用だった。
「しかし、もう要らんな」
机に肘を付き、微動だにしないそれを眺める。
獪岳の戦闘能力は、上弦の弐に匹敵するだろう。あくまで十全に扱えれば、の話だが。それにしたって、破格である事には変わりない。
既に要らない玩具ではあるが、かといってこのまま捨てるのも惜しい。どうせ使い切った所で損など無いのだから、目一杯使い潰したくはある。
そこで、ふと思い出した。
「いたな。これ以上に要らない連中が」
これを鬼殺隊にぶつけるだけでも嫌がらせになるだろう。柱の一人でも道連れにできれば儲けもの。所詮、全てが塵の再利用だ。躊躇する理由こそ存在しない。
「鳴女。下弦を集めろ」
遙か彼方、どこでもない場所から響く琵琶の音。即座に世界が裏返る。
下弦の脳足らずどもは、いくらか戸惑った様子だったが。すぐに無残へ向かって頭を垂れた。誰も口から無駄な糞を漏らすような真似はしない。前回の調教は、まあまあ上手くいったという所だろうか。
「本来であれば――」
一歩階段を下るごとに、かつん、かつん、と洋靴が音を立てる。一音一音に、下弦の鬼は怯え身を竦ませていた。いい傾向だ。身の程を知るのも、理解させるのも、とても大事なことだ。どれだけ阿呆でも、犬ならば躾け様はある。
「前回の招集で、貴様らを処分するつもりだった。今もその考えは変わらない。だが、一度だけ機会をやろう。可能な限りの鬼殺し共を始末してこい。もし柱を倒せたならば、下弦の鬼の存続は約束してやろう」
できるわけがない、という思考と、単純な柱への恐怖感情。それらが強く伝わってくる。全て暴かれているとも知らずに。
つくづく、役に立たない連中だ。自分たちの役割を全く分かっていない。
十二鬼月に求められているのは、純粋な戦力だ。太陽を克服するのも重要だが、どうしたら陽光に勝つ鬼ができあがるか分からない以上、いつかでいい。それより問題は、鬼殺し共によって分母を減らされてしまう事だ。鬼に最大の被害を出すのが柱であり、柱へ対処する為の存在が十二鬼月だというのに。本当に、全く、なんでこいつらは、ここまで頭が回らないのだろう。
いっそ全てをひと思いに潰したくなる衝動を抑える。いくら愚鈍で見る度に苛立つとはいえ、まだ利用価値はある。少なくとも、獪岳の性能を試すまでは。
「貴様達に期待などしていない。故に、一つ道具を与えてやろう」
手招きすると、上段から獪岳が飛び降りた。全くの無音で、無残の斜め後ろに着地する。まるで黒死牟のような身のこなし。
いや、と訂正する。正確には、獪岳だったもの、か。
「これは鬼狩りの人形だ。戦闘力だけに限れば、上弦の鬼でも上位に位置する」
――結局、獪岳は鬼として出来損ないだった。壊れた体は治っても、壊れた脳までは戻らなかった。あらゆる命令を聞き、しかし命令無くば黙って頚を切られる。ただそれだけの傀儡。
ただし、強さだけは見るべき物がある。技量は猗窩座に匹敵し、血鬼術も童磨に次ぐ。これでもし意識があれば、上弦の参にもなれていただろうに。実に惜しい。
立ち尽くすだけの人形に、無残は命じた。
「こいつらを殺せ」
短い指示に、独特の呼吸音が響く。鬼狩りどもが必ず発する、忌々しい轟き。
板間を叩いたような乾いた音が響くと同時に、獪岳の姿はかき消えていた。下弦の鬼程度では到底認識できないその速度に。
「ヒッ……! いや、やめて!」
女の、甲高く耳障りな命乞い。こんな無様を鬼狩りに見せていたかと思うと、より一層苛立った。
そのまま五匹の命を容易く刈り取ると思われた雷神の鉄槌は――しかし、その直前で停止する。
「え?」
「見たとおり、これは
ちらりと、下弦の壱と肆を見る。
「夢に潜り込む血鬼術と神経を操る血鬼術。これらがあれば、鬼狩りどもの言葉を無視して運用できるだろう」
言葉に、全員がはっと気がついた。そして、反応が二分される。つまりは、鬼人形を運用する側と、そうでない側。
下らないことだ、と愚かしい境界を作るゴミ共を見下す。強力な武器を運用する側になれれば、確かに絶対的上位者として振る舞えるかもしれない。事実、下弦の肆が見せているのはそういった優越の笑みだ。壱の方は、どちらかというと嫉妬や屈辱といったものに喜びを感じているようだが。
とりわけ肆は随分調子に乗っているようだ。しかし、悪くはない。これで本当に結果を出せれば、下弦の弐にしてやってもいいと思う程度には。柱と出会っては逃亡する愚図にも、目をつぶってやってもいい。こういうことは、馬鹿ほどよく踊るのだから。
まあ、蠅どもがどんぐりの背比べをしているだけ。下らぬ権威争いなど、端から興味の外だ。誰が上に立とうがどう振る舞おうが、好きにすればいい。自分に反抗しない限りは。
「委細理解したな。では行け。くれぐれも、私をこれ以上失望させるな」
「はい! もちろんでございます無残様! 必ずや柱共の首をお届けいたします!」
早くも代表面して、下弦の肆が叫んだ。鬱陶しい。聞くに堪えない。救いがあるならば、これ以上妄言を聞く必要が無い点だろうか。
鳴女に合図をし、転移させる。一瞬視界が暗転し、次には元の研究室へと戻っていた。
「さて……」
椅子に座り、足を組む。
立ちこめる無数の薬品臭は、心地よいとは言えないものだ。机の上には西洋から取り寄せたビーカー、メスフラスコ、試験官が所狭しと並んでいる。それ以上に、棚には各種薬品が詰め込まれていた。異臭の原因はこちらだった。中には硝子瓶に詰められないものも多くあり、密室である事も手伝って、無理してまで匂いを消すのは利口ではない。元々嗅覚など、少し体をいじればどうにでもなるので我慢する。
世界を股に掛けた製薬会社を立ち上げて、もう何十年経つだろうか。年月を数えるのは無意味だと分かっていながら、変化せざるをえない状況に焦燥は隠せない。
仕方がない、と諦める。どのみち調薬など、今日明日で結果が出るものではないのだ。
それより先に見るべきは、獪岳の性能試験だ。これが上手くいけば、量産を考えてもいい。精神、肉体を操る血鬼術を持つ鬼はいくらでもいるし、戦力利用できそうな剣士などはそれ以上に多い。これこそエコロジーという奴だ。いや、少し意味が違うだろうか。まあ、どのみちどちらも無残にとっては、ただの資源に過ぎない。
結果が見えてくるのは、順調に鬼狩りをおびき寄せられたとしても一週間はかかるだろう。その間は鳴女に監視させ、その時になればのぞき見すればいい。
全てゆっくりでいい。重要なのは、変化の存在しない終着点へたどり着く事だ。
その時を待ちながら、無残は目の前の代ほ型四五六七次試験の続きを開始した。