獪岳と善逸   作:山筋

25 / 63
第二次化野決戦 稲光走る刃

 ――人生において、希望には限りがあるが、絶望には底がない。

 そんなことを悟ったのは、果たしていつ頃の事だろうか。これを確信している者は少ないが、感覚的に触れている者は多い。だからこそ人間は、幸せの箱を小さく、そして漏れ出る物がないよう細かく補修し続ける。小さな幸せでも満足し続けられるように。

 最初に『普通の幸せ』なるものを失ったのは、これははっきり覚えている。両親に捨てられたときだ。では、普通の幸せを諦めたのはいつだろう。これは分からない。自分という存在を失望され続けたという現実の中に、自覚は埋められていった。

 小さな幸せは、集めるのに苦労しなかった。

 女の子に話しかけられる。誰かに頼りにされる。そんなものに幸せを感じられるようになってからは、苦労はなかった。

 少し欲深くなったのは、師範である桑島慈悟郎に拾われてからだろうか。桑島慈悟郎、獪岳、そして我妻善逸。三人の生活は、とても心地よかった。今までの小さな満足とは違う、別種の幸福がそこにはあった。同じだけ苦労もあったが。

 だが、いや、だからこそ、善逸は『幸福の箱』を広げようとは思わなかった。小さな小さな箱庭の、小さな小さな充足。それだけで事足りる為に努力した。

 箱は小さければ小さいほど、漏れがなければないほどいい……

 夜。後は闇。

 真実を知る者にとって、それは絶望の名だ。

 世界の間隙に住まう化け物が宴を始める。贄が逆らうことは許されない。超越者の宴会は、人が持つ全てを平らげてしまう。

 覚悟はなかった。あろう筈がない。だが。こんな。日が。来る。かもとは。思っていた。

 自分が、宵闇に沈められるその日が。恐怖を超えた絶望の時間が。

 ……本当だろうか。問い詰められれば、是と言い切ることはできない。なぜならば、今こんなにも震えているのだから。恐怖しているのだから。闇にのみ存在する化生がどんな意味を持つか、今まで分かっていなかったのだから。

 間隙を、鬼殺隊は“鬼”と呼び称している。名に込められた意味を、彼は今の今まで理解できなかった。しようともしなかった。必要がなかったから……そう言ってしまえば、逃げることだけは簡単だ。

 (あか)――

 漆黒から姿を見せる、一対の紅い目。

 人の中より出でて、闇の中にのみ生きる者。ああ――だから鬼というのだろう。

 紅い目。(くれない)の瞳。それが茫洋と、“人”を捉えている。

 鬼の眼球を持ついと深き闇の魔人は、かつて獪岳と呼ばれていた。

 

 

 

 現実は、あまりに受け入れがたいと脳が理解を拒否すると、我妻善逸は初めて知った。

 目の前に鬼がいて、自分は鬼殺隊である。そんな状況であるにも関わらず、柄に触れた指は力が入らない。

 血しぶきを上げて倒れ伏す行冥。彼は死んでいないと善逸は思った。

 柱ほどの者が、ほんの僅かな防御もせず斬られて終わる筈がないという信頼。初手は必ずこちらを嬲って来るであろうという鬼への達観。死んでいるのであれば、他の柱がすぐ撤退を指示していたであろうという前提。

 そんなものは、全て後付けだ。

 この期に及んで、まだ善逸は信じていた。いや、信じたかった、か。

 獪岳がこんなことをする()()()()と――

 返り血を浴びてなお、獪岳は眉一つ動かさない。少なくとも今現在、彼の意識がここにないのは間違いないだろう。そう思いたい。同時に、あれは間違いなく獪岳であり、幻覚や返信の類いでない事も。

 どれだけ嘘をつこうとも、体に染みこませた技術だけは騙せない。一太刀で分かった。あの技の冴えは、確実に獪岳本人のものだ。

 あくまで獪岳が操られているという前提の上で、それを行っているのは後ろにいる鬼二人に違いない。

 善逸程度には、下弦の二人と獪岳の間にどれほど差があるかは分からなかった。しかし、どうしたって埋めようのない差があるのくらいは分かる。もし獪岳が自発的に暴虐の限りを尽くすならば、こう言ってはなんだが、下弦の鬼は足手まといにしかならない。

 獪岳は二人がかりで操縦せねばならない。そして操縦範囲はさほど広くない。そう考えれば、他の下弦を使い捨てにしてまで一カ所に集めたのも、わざわざ姿を見せている理由にもなる。後者に関しては、ただただこちらを侮っているだけという可能性も大いにあるが。

 つまるところ、こいつらは獪岳に望まぬ仲間殺しをさせようとしている。

 それだけで、善逸は沸騰しそうになっていた。今なら恐怖も何もなく、全力で殺しにかかれるとすら思える。意味も理由も無く、ただの怒りで誰かを殺したいと思う事があるなど、知りたくもなかった。

 だが、どんな激情も、今は無視するしかない。他に僅かでも気を取られればあっさり死ぬのは、過去何度も行った獪岳との訓練が、これでもかと証明している。

 下弦の鬼に対する物とは別種の吐き気に襲われる。

 獪岳はどこまでも静かで、それがなお一層不気味だ。彼の気配は、本来極端に苛烈なものった。制御などせず、無作為に叩き付けるような荒々しさがある。記憶との差異が激しすぎて混乱が起きそうだ。

 だが、隔たりを埋める作業に没頭していた事が、逆に功を奏す。

 獪岳に技の癖は存在しない。本人が技の起こりを何年もかけ必死になって潰していたのは、善逸もよく知っている。故に、それを知れたのは勘としか言えなかった。

 初動が極端に捉えづらい呼吸。そして、垂れ下げられたまま微動だにしない刀。しかし、善逸はそれが一瞬で兇刃となる事を知っている。

 雷の呼吸 肆ノ型――

 

「! 避け……」

「しゃがめぇ!」

 

 ――遠雷

 頭上を、漆黒の雷閃が通り抜けていく。

 それが型に乗せた血鬼術だと即座に察せた。というか、黒い雷が水平かつ半円形に走る光景自体、血鬼術以外にあり得ない。

 鼓膜が破れんばかりの雷鳴が完全に過ぎ去った後。砕かれそうになった戦意をなんとかつなぎ止めて顔を上げ、即座に再び飛散しそうになった。

 今の状況を一言で言うならば、壊滅だ。

 あれだけいた隊士が、ただの一撃で軒並み潰された。ざっと確認した限り、死者はいない。だが、それは本当に死者がいないというだけの意味でしかなかった。ほぼ全ての隊士が地面に転がり、血を流しながら呻いている。戦うどころか、誰一人として動くことさえままならない。

 咄嗟に反応できたのは、善逸、炭治郎、伊之助、そして義勇と蜜璃。たったこれだけ。

 

(強……過ぎる……)

 

 善逸には、あまりにも次元が違いすぎて、もはや冗談にしか感じられなかった。今まで見たことのある血鬼術とは比べるのもおこがましい出力。防御すら無為に見えるのに、加えて雷がごとき攻撃速度。凶悪すぎて、もう乾いた笑いも起きない。

 この上で、獪岳にはまだ鬼の身体能力に底上げされた剣術が残っている。どこをどうすれば勝てるのか、想像すらできなかった。

 

「塞がれたか」

 

 ぽつりと、義勇が漏らす。

 最初は、それをどういう意味だろうと考えたが。すぐに答えは出た。逃げ道だ。

 被害が大きかったのはまだいい。死者がいないのならばなおさら。問題は、自由に動ける人間がいなくなってしまった事だ。見捨てるには生存者が多すぎる。かといって連れて逃げるには、走れる人が少なすぎる。

 もはや、ここで決戦を挑むより他無くなっていた。

 鬼はこれを意図したのだろうか。意図したとして、ここまで細かく血鬼術を指定できる物なのか。鬼ならぬ身の善逸には理解する術はない。

 分かるのは、鬼のにやけ面は未だぴくりとも揺るがない、という点だけだ。

 瞬きにも満たない間で壊滅した鬼殺隊に対し、零余子が哄笑を上げる。

 

「あっはははははは! 無様だなあ鬼狩り! 一撃でこの有様とは本当に笑わせてくれる!」

「……下品だなぁ」

 

 その様子を、魘夢が嫌そうに見ていた。

 相方の白い目にも気付かず、彼女は気分を高揚させ続ける。この二人の相性が悪そうなのはありがたいが、そこに付け入る余裕は今し方失った。むしろ、いつ瀕死の仲間が襲われてもおかしくない分、戦況は悪い。

 鬼達は、こちらを今すぐ殺す気はない。それだけが救いだった。

 

「嬲るのだ人形! 簡単に皆殺しになどするなよぉ!」

「そこだけは同意するよ。さあ、苦悶と煩悶の顔をよく見せておくれ」

 

 命令に、獪岳の体は雷となる。それに合わせて、善逸もまた体を振った。

 根本的に、獪岳と善逸では持ちうる技術が数段違う。はっきり言って、両者を比較することそのものが馬鹿馬鹿しい。実際、善逸が獪岳に持つ優位などほとんど無かった。

 だが。逆に言えば、ごく少数の項目に限るならば、善逸が優位に立てる部分もある。例えば直線的な――獪岳に言わせれば無謀な――真正面への疾走など。もっともこれに関しては、急加速はできても急停止や軌道の変化はできないため、型を使って無理矢理ねじ曲げるしかないのだが。

 獪岳の動きは、見てからでは絶対に間に合わない。故に(不可能だという事に目をつぶってでも)先手をとり続ける必要がある。一度でも後手に回った時、それが善逸の死だ。

 彗星すらも置き去りにし黒い稲妻が迸る。その様を見届けるより早く、五人は動き出す。

 

(速っ……!)

 

 鬼の身体能力を全開にした獪岳の動きは、善逸にとって正しく雷だった。目には残像しか残らない。

 瞬転。鬼の体と雷の呼吸の組み合わせは狂暴に過ぎる。視覚は全く意味を成さない。聴覚で追ってすら、ほとんど知覚できない――単純に、音が遅れてやってくる。

 音で“過去位置”を把握した後は、ほとんど経験で補った。獪岳との模擬戦は、数え切れないほど行っている。その中で選ばれた選択を思い出し、反応した。これが本来の獪岳ならば、容易く次手を見極められ、裏を掻かれるだろうが。正直に言って、あまりの地力差にそこまで考慮する余裕はない。

 過去の動きを現在に投射し、大雑把に速度差を計算して、刀を掲げる。まともに受けては刀ごと両断されかねないため、斜めに滑らせようとする。目論見は成功したにも関わらず、上から押しつぶされるような衝撃を味わった。痺れる手を気にする間もなく、素早く刀を振って余波の黒い雷を散らす。

 圧されるのに身を任せて位置の移動……をするより早く、獪岳が背面に回っていた。倒れ込みつつ無理に体を捻り、予想上の太刀筋に刃を潜り込ませる。受け流す事もできず本当に間に挟んだだけでしかなく、今度は思い切り吹き飛ばされた。ほとんど肩を峰で殴られたような形になる。

 転がれば、待っているのは死だ。立ち上がる合間もない。覚悟を決めたが、その時は訪れなかった。柱二人による横やりが、善逸に迫る兇刃を留めてくれた。

 柱の、とりわけ義勇の技量はとても高い。彼は先を読み、獪岳と互する技量を持って、なんとか戦線を保っている。水の呼吸が防御に高い適性があるのも幸運の一つだろう。攻め手にまでは回れないものの、今のところ多少切り傷を喰らっただけで堪えている。

 蜜璃の呼吸は奇態であるため、善逸には理解しきれないが、少なくとも獪岳の速度と鋭さに対抗しきれていなかった。本人も理解しているようで、義勇の援護に徹している。

 善逸は素早く起きて、同時に意識を過去へと埋没させた。幾千幾万と繰り返した、獪岳との訓練へ。

 義勇と獪岳を囲う形になる。腕が振るわれるより早く、善逸は判断した。

 

(電轟雷轟)

 

 四方をなぎ払う連撃。飛散する雷も相まって、射程距離外にいた三人にすら攻撃は届いた。

 

「きゃあ!」

「っぐ!」

「あっ、づぅ!」

 

 義勇と善逸はなんとか無傷で逃れたが、他の者はそうもいかなかった。重さのある雷の束に刀を叩かれ、外へと弾かれる。五人でもやっとなのに、皆が戻ってくるあと数瞬、二人だけで凌がなければならなくなった。

 獪岳が体を完全に義勇へ向けて、斬殺せしめんとしていた。一対一では間違いなく防ぐことは不可能だ。

 背中に向かって斬りかかった。霹靂一閃ではなく、普通の一撃だったのは、納刀する時間も無かったからだ。間違っても鋭いとは言えないが、必殺を破棄させて気を引く程度の意味はある。

 死角からの不意打ちは簡単に止められ、同時に獪岳の体が強く捻られた。

 

(聚蚊成雷)

 

 相手をぐるりと一周し、なます斬りにする技。善逸は速度を下げずにそのまま突っ込んだ。ほとんど義勇に体当たりするような状態になったが、そこは柱、上手く対処してくれると信じるしかない。

 右肩、背中、左脇腹をそれぞれ浅く斬られながらも、なんとか刃の結界から抜け出す。

 不意の体当たりに、しかし義勇はあっさりと迫る体を投げた。義勇の体を中心にほとんど一周し、足から地面に叩き付けられる。衝撃が体を伝い脳天にまで突き抜けたものの、なんとか隙だけは晒さずに済んだ。

 命拾いしたものの、ここで止まる事はできない。相手を纏めて一網打尽、獪岳の好む手だ。

 

(稲魂!)

 

 今にも発動されんとする型を、足下を掬う一撃で解除させる。

 仮に足を寸断されたとして、鬼となった獪岳には何の痛手にもならないだろうが。人間だった頃の癖で、獪岳は軽く引いて避けた。

 こちらは必死で対処しているのに、相手は何ら苦労がないように振る舞っていた。それは当然だ、と善逸は知っている。獪岳は捨て身の一撃を好まず、下手に相打ちを狙うなら時間を掛けてでも敵の手口を暴く癖がある。

 つまり、獪岳が本気で攻めない限り、常に回避する余裕を持っているという事だ。

 とはいえ、殺す気で来るようになったからと言って、攻撃をくらってくれる訳でもない。むしろ殺す算段が付いたという意味で、遙かに厄介になるだろう。彼は危険を冒さない。冒険もしない。確実にすべき事を遂行する。

 一連の攻撃を捌いて、両者に距離が空き。義勇はやや目を見開いて、善逸を見た。

 

「お前は……獪岳の攻撃が分かるのか?」

「ええと、多分、一応……自信はあまりないですけど」

 

 弾かれた者が戻ってくる足音を聞きながら、曖昧に首肯する。

 その間に吹き飛ばされた三人が復帰し、いくらか余裕が戻った。とはいえ、その程度で自体が好転するとまでは言えない。相変わらず、この場の絶対強者は獪岳だ。

 善逸を左右で半分にしようと迫る熱界雷を、なんとか体半分ずらして避ける。今までより遙かに楽ができたのは、攻撃が放たれる直前、蜜璃のしなる長い刃が獪岳へ絡みつかんとしたからだ。そのため一歩分遅れ、攻撃が遅まった。

 一応隙と言えなくもないそれに、しかし炭治郎と伊之助は飛び込まない。それは正解だ。彼らは獪岳の強さを、よく知っている。もし迂闊に飛び込んでいたら、あっという間に殺されていただろう。そこれそ型を使う必要すら無い。

 自然と、善逸と義勇が矢面に立った。倒す目処どころか可能性すらない現状、こうするしかない。

 獪岳が次に使いそうな技を考えながら、善逸は呟いた。

 

「獪岳の技は、多分全部知っています。当然、獪岳が俺に本気になった事なんてないでしょうけど……。それでも、癖は分からないけど、好みはよく分かってるつもりです」

「そうか。他に分かった点は何かあるか?」

「後は、その、なんて言うか、今の獪岳はとても()()です。普段ならこんな戦い方はしないんじゃないかと思います」

 

 わざと言葉を濁して伝える。

 獪岳は自分をよく知っていた。身体能力、技術、戦略、全てにおいて、自分を過大にも過小にも評価しない。それは、誰よりも自分が鬼に劣る部分を理解していた、という意味でもある。

 故に、彼は鬼がほとんど行わない手口、詐術を好んで使っていた。相手を欺し、裏を掻き、頚を狩る。

 まあ、面と向かうまでは大した事もないのだが。その分、直接対峙した時の駆け引きは化け物じみていた。とりわけ虚実は化け物じみていた。獪岳は必ず――そう、必ずだ――善逸の裏を突いた。相手が強ければ強いほど、武の心得があればあるほど欺される。虚実の扱いが、鬼に対する手札として呼吸の次に信頼を置いていたのは疑いようがなかった。

 しかし、今の獪岳にはそれがない。ひたすら素直に最適解を出し続けている。それが厄介ではない、とは言わないが。動きが読みやすいのもまた事実だった。

 それをこのまま口にしてしまうと、武に対して素人だと思われる鬼二人に気付かれてしまう。だからこそぼかして言った。

 

「分かった」

 

 果たして、義勇は裏の意図まで全て理解してくれたようだった。

 今までの戦いで、心当たりがない訳でもないだろう。だが、明確にそうと分かったか否かでは意味合いが大分違ってくる。

 もっとも、獪岳から戦術が抜け落ちている事実は喜べる事ばかりでもない。予想を裏切る行動はしてこないと言うことは、逆に言えば、こちらからの駆け引きも通用しないという事だ。ただひたすら最高効率で殺しにかかってくる。容赦、躊躇、迷い、戸惑いなどがないというのは、ただそれだけで脅威だった。

 獪岳という圧倒的な個に対して、編隊はほとんど役に立っていなかった。まるで紙でも切り裂くかのように、容易く破ってくる。五人で囲んでおきながら、なんとか殺されていないという程度でしかなかった。それすら魘夢と零余子の思惑である可能性が高い。

 せめてあと一人、下弦の鬼を討伐しうる者がいれば、獪岳を操る鬼を倒すという手もあったのに。などと思うのは、さすがに無茶が過ぎるだろう。そもそも鬼殺隊で、確実に下弦の鬼を討伐できるからこその柱という地位だ。善逸の注文は、投入する柱をもう一人増やせと言っているに等しい。戦場一つに柱を三人も投入している時点で、大盤振る舞いどころではない扱いだった。

 

(この状態は、いつまで持つ?)

 

 鬼殺隊側の損耗は激しい。残された五人も、体のどこかしらに異常を来している。それは獪岳から受けた傷であったり、過剰に動いた代償であったり。

 獪岳の戦い方が分かったと言っても、それで戦況が傾いてくれる訳ではなかった。相手の技量はこの中で一番上であろう冨岡義勇に近しい。身体能力、とりわけ体力で負けているのは致命的だ。既にどうやって逃げ切るかを考える段階だが、損害を無視しどれだけ楽観してもなお、朝まで持たせる事はできない。

 余計なことを考えている間に、また無茶な形で一撃を受けてしまう。刃こぼれし、損害も芯近くまで届いたように見えた。善逸に限らず、皆が似たようなものだった。

 誰か一人でも武器を失ったら、それもまた死に直結する。かと言って温存できるほど甘くもない。どうしようもなさに、背筋を寒気が襲った。

 迅雷が如き太刀筋は例外なく、一切の容赦が存在しない。かといって、殺意と呼べるようなものも一切無い。言うなれば、人の形をした芥に振るう剣だった。鬼殺隊が鬼に対するそれすら、もう少し何かしらの感情が籠っている。これもまた、やりにくい点の一つだ。人間は感覚的に感情を捉える事ができる(善逸なら耳、炭治郎なら匂いといった面で、それを補佐できる)のだが、それが一切働かない。完全に頼りというのは、炭治郎と伊之助には大きな負担だろう。

 

「隊を二つに分けろ……!」

 

 背後からの声。

 いつの間にか意識を飛ばしていた行冥が身を起こし、苦しげに命令を下した。

 

「甘露寺は冨岡の援護に、炭治郎、嘴平は我妻の援護に徹するのだ! まずは被害をこれ以上拡大させない、それだけを考えろ!」

 

 必死になって叫ぶ行冥の姿は、控えめに言って凄惨たる有様だった。出血こそ呼吸により少なくなっているが、傷の深さまでは隠せない。肋骨は何本か寸断されているし、当然肉も繋がっていない。

 鎖を持って武器を持ち上げようとしているが、痙攣する指から何度もこぼれ落ちていた。

 呼吸とは身体操作の根幹にして要だ。とはいえ、万能とはお世辞にも言いがたい。そして、鬼に対抗できる技術と言っても、鬼そのものではないのだ。物理的に不可能なことを可能にしてくれるほど、便利なものではない。

 ましてや行冥の武器は、鎖付き鉄球と大斧だ。その重量は、軽く見積もっても標準的な刀の四〇倍は下らないだろう。破壊された肉体で振り回せるものではない。そもそも立つ事すらままならないのだから仕方ない。

 

「了解した」

「分かったわ!」

「自信ないけど……やってみます!」

「任せろや!」

「はいっ!」

 

 各々、返事を返す。

 さすがは最強の柱かつ、現役隊士で最も経験豊富なだけあり、行冥の指示は素早かった。

 獪岳を知り尽くした善逸と、柱随一の防御力を持つ義勇で攻撃を受け止める。捌き漏れて二人に迫った攻撃を、後衛が弾くことでなんとか誤魔化していた。今まで漠然としていた役割を明文化する。これだけで、随分負担が減った。

 獪岳の攻撃は些かも衰えない。それどころか、対人戦を学ぶかのように、刻一刻と精度を増していった。が、それ以上に厄介なのが血鬼術だ。

 鬼に対処できるのは鬼殺隊だけ、という表現にはやや語弊がある。正しくは、鬼に対抗できるのは日輪刀だけ、だ。

 鬼唯一の弱点は太陽光であり、日輪刀は微弱ながらに太陽の性質を持っている。これの意味するところは、日輪刀は多少ながらも鬼の能力を低下させる、という効果を持っているのだ。

 上位の鬼ならば艦載砲の直撃を喰らっても無傷である鬼の体を、鋼を上回る程度にまで低下させられる(それでも鋼鉄を超える強度を持つため、隊士は必須技能として斬鉄を求められるのだが)。また、日輪刀で斬った傷跡はやや治りが遅い(これもまた上位の鬼に対しては申し訳程度の効果でしかない)。つまりそれらと同じように、日輪刀であれば、本来感傷不可能な血鬼術に干渉する事ができた。

 獪岳の放つ雷神の血鬼術を弾く事ができる理由はそれだった。もし普通の刀で受けていたら、武器ごと破砕し、体を抉られていただろう。

 斬撃の方は、体を削られながらもまだなんとかなる。しかし、余波の血鬼術まではそうもいかなかった。不規則に発散される黒い雷撃は、かすっただけにも関わらず、どういう訳か体をひび割れさせる。今のところ肉深くまで潜り込む程ではないが、代わりに断面が広い――というより、雷が走った場所が消し飛んでいる。出血量で目眩を覚え始めていた。

 可能な限り血鬼術を払おうとしているが、どうしたって斬撃の方が優先順位が高い。刃に刺されれば、剣と血鬼術の二重攻撃で、あっという間に体が解体される。細やかな黒い雷は、寿命と引き換えだと分かっていても喰らうしかなかった。

 鬼との戦いはいつもこうだ。円満に解決など、鬼が見つかった時点で捨てるしかない。

 鬼のせいで泣いた人を何人も見てきた。八つ当たりされたのも一度や二度ではない。そんなものは自分のせいじゃないと割り切れれば、一体どれほど楽だっただろう。いつも、残るのは悔恨だ。自分がもう少し早くたどり着けていれば。鬼の被害が出る前に見つけられていれば。獪岳が鬼になどさせられる前に、自分が助けられていれば――

 我妻善逸は、いつだって無力だった。剣ですら、壱ノ型しか使えない半端者。クズで、のろまで、終いには兄弟子の助けにすらなれなかった無能。兄弟子に助けられてばかりで、何一つ返せなかった恩知らず。

 今更、無意味極まる人生は変えられない。どうしようもなくて悲しくなるほどの情けない人格も。

 だからせめて。獪岳の信頼を損なうような事だけは、したくなかった。

 行冥指示の元、劇的にとは言わずとも被害は減った。が、それは遅きに失していたのだろう。既に、誰一人として満足に力を発揮できる状態になかった。

 

「うぅ……!」

「んがぁ!」

「くっ!」

 

 支援組からの悲鳴が、次々と上がる。現状、最も負担をかけられているのが彼らだ。

 善逸と義勇の取りこぼしを一手に引き受ける彼らは、当然無茶な割り込みをしかけざるを得ない事が多い。そんな状態で行えるのは二つ。獪岳に直接攻撃を与えて攻撃を崩すか、さもなくば既に放たれた攻撃を無理矢理受け止めるか。鬼の膂力に対抗せよというのは、どう安く見ても無謀なのにだ。

 善逸も満身創痍だが、炭治郎と伊之助はほぼ死に体だった。これ以上の負荷は戦線の崩壊に繋がる。

 蜜璃も似たようなものだった。善逸らは柱と比べ何段も劣るとは言え、連携だけは完璧だ。人数と連携の差を技量だけで補っている彼女は、炭治郎らに負けず劣らずの状態だった。

 刃の直撃は数えられる程度。逃げに徹しているため、それもさして深くない。だが、かすめた血鬼術が、傷跡を容赦なく広げ、抉り去って行く。浸食する雷は小さいが、しかし確実に肉を抉っていた。裂ける肉による膂力の低下、出血による意識の混濁、あらゆる不運が押し寄せてくる。

 

「く……」

 

 余裕のない隊士の中でもただ一人、義勇だけは下弦の鬼に対し、たまに意識を飛ばしていた。

 鬼二人は動かない。これは動けないのか、それともただ単に動かないだけなのかは分からない。ただ事実として、これは鬼殺隊にとっては最悪であった。もし獪岳を操作したまま戦線に加わってくれれば。そうでなくとももう少し近づいてくれれば。

 五秒。たった五秒だけでいい。残りの四人が死を引き換えにして、獪岳を止めただろう。その間に、義勇が二人の頚を跳ねてくれたはずだ。

 鬼に嘲笑されなかがらの硬直状態。鳴り止まぬ鋼がぶつかり合う音。水流、雷鳴、獣の嘶き、恋の炎、あらゆる幻影が乱れて交差する。

 紙一重で保たれていた均衡。それが破られたのは、あっけないものだった。

 たった一人で義勇を援護し続けなければならない蜜璃の負担は、あまりにも大きい。そのツケを払うときが来てしまった。

 彼女は間合いを間違えた。義勇への照準を僅かでも引き剥がすため、踏み込みすぎてしまったのだろう。瞬間、獪岳は合理性に支配された頭脳で、瞬間的に優先順位の第一を蜜璃に繰り上げる。

 少女の脇腹から胸を通り抜けるように、深く肉に食い込む刃。それに付随し迸る黒い雷が、彼女の体を今までに無く強烈に食い破った。

 吹き出る血と反対方向に倒れ込みながら、彼女はか細く呟く。

 

「ごめん……なさい……」

「甘露寺!」

 

 行冥の悲鳴に、しかし返される言葉はなかった。

 ぞっとする。暗くて見えなかったため、死んだかまでは分からなかったが。最低でも、もう二度と隊士としては働けないだろうと思わせる負傷だった。

 

「ひひっ! まずは一人!」

「『ごめんなさい』か。ん、いいねえ。悔恨と無念が同居する、とても深い懺悔だ。素晴らしいねえ。できるなら、もっとじっくり見せて欲しかったけど。まだ四人……ああ、死に底なっている君も入れれば五人かな? まだまだお楽しみはあるさ」

 

 あからさまな挑発をする鬼の言葉は、しかし善逸には全く入ってこなかった。

 頭の中を締めたのは、これで秤が傾いてしまった。もう戻すことはできない。助けだって、あるはずもない。

 死に神の手が、確かに自分の肩に触れたのを感じた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。