獪岳と善逸   作:山筋

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深い深い闇の中

 夜が好きだった。

 月と星が淡く揺らめくその時間だけは、誰に対しても優しい静寂を与える。人だろうが鬼だろうが、等しく。

 そこに浸かるのは、心地よい事だった。少なくとも、我妻善逸という人間にとっては。

 世界は持たざる者に優しくなく、安らげる場所も多くない。だからこそ夜は稀少で、同時に希有なものだった。昔――とりわけ先生に拾われる前は、よくそこを拠り所にしていた。どんなに嫌なことがあっても、どんなに悲しくとも、月を見れば棚上げにできた。

 

(最近は、こんな風に、夜と交わる事はなかったなぁ)

 

 そんなことを思いながら、空を見上げる。半分ほどに雲がかかっていて、星も月もあまりよく見えず、お世辞にもいい夜だとは言いがたい。善逸が個人的に言わせて貰うなら、夜は雲一つ無いのが一番だ。昼は多少空を隠すくらいがありがたいが。

 隊士になってから大変だったな、と思う。なにせ鬼の活動時間は基本的に夜であるため、夜に逃げる時間は取りづらい。おまけにここ最近は必ず誰かが一緒にいたので、そんなことをする余裕もなかった。

 一人は寂しい。だから、夜に小さな心の癒しを求めた。唯一、何もない自分が他人と等しくなれる静かな時間がなければ、善逸は生きていなかったかも知れない。

 だけど。

 今だけは、そんな時間が恨めしかった。

 長く続く寂然の欠点。どれだけ考えたくなくとも、染みついた強い記憶を埋めることはできない。

 

(思えば、獪岳が死んでから初めてゆっくりと過ごすのか……)

 

 後片付けに移動に、お館様への報告。それらを全て終え、初めてゆっくり休めたのが今夜だった。

 どうにも眠れなかったのは、だからだろうか。胡蝶邸の片隅にある縁側で、そんなことを考える。

 産屋敷邸での合議を終えた後、彼らの傷も小さくなかったので、胡蝶邸に収容される事となった。中には、化野で共闘し、比較的怪我が少なかった者もいる。こちらも事情聴取の為だろうが、おかげで帰ってきてすぐは中々に悲鳴が耳に痛かった。

 頭が回る程度に静まったのは、布団に潜り込んだ頃だろうか。結局そのまま寝付けずに、深夜になって月見をしている。

 これは何なのだろう。頭の中でぐるぐると、幾重にも訳の分からない感情が渦巻く。こびりついたものがどうしても離れない。

 

(そうか)

 

 不意に理解する。自分は悲しいんだ。

 獪岳の死を知らされた時も、鬼となって目の前に立ち塞がった時も、己を取り戻して自刃した時も、全てが唐突だった。多分、動揺はしても実感はなかったのだろう。そして、疲れを忘れたところで、ようやく心が理解した。

 ああ――獪岳は死んだんだ。

 声は上げなかった。ただ、目の裏と頬が熱くなったのを感じた。

 

「善逸?」

 

 不意にかけられた言葉に、はっとして涙を拭った。振り返れば、そこには炭治郎と禰豆子がいる。

 彼らが起き出す音を聞いていなかった筈がない。感傷に浸りすぎて耳から通り抜けていたのか。

 

「どうしたんだよ、炭治郎。こんな夜中に」

「それは善逸も同じじゃないか」

 

 彼は苦笑しながら、善逸の隣に座った。禰豆子も真似をするように、善逸を挟んで腰を落ち着ける。その様子に、少しだけほっこりした。

 そう、少しだけだった。普段ならば小躍りしてもおかしくない状況にも関わらず、心が揺らいだのはごく僅か。それが、どれだけ善逸に獪岳の死が影を落としたか物語っていた。

 暫く、禰豆子が足をぱたぱたと遊ばせる音だけが響く。それを、居心地が悪いとは思わなかった。ただし、心が救われる事もない。初めて感じる、ちぐはぐな時。

 

「分かるよ、善逸。俺もそうだったんだ」

 

 雲が月を覆い隠して、闇が深まった頃。炭治郎がぽつりと、こちらを見もせずに呟いた。

 いや、違うか。こちらを見ないでいてくれた、が正しい。

 心中まで穏やかではいられないが。それでも、静かに次の言葉を待った。

 

「家族や親しい人が死んだのを本当の意味で実感するのって、大分後からだよな。俺も……家族の遺体を見ても泣けなかった。禰豆子には襲われるし、丁度居合わせた冨岡さんには禰豆子を殺されそうになるしで大変だった。なんとか冨岡さんに認めて貰って、家族を埋葬して……その後だったんだ。こみ上げてきたのは」

 

 布ずれの音。炭治郎が小さく震えているのだ。こんな時ばかりしっかりと音を捉える自分の耳が恨めしかった。

 

「泣いていい……泣いていいんだ、善逸」

「は……はは」

 

 目の奥が再度熱くなる。今度は先ほどまでの比ではなく、頭痛すら覚えそうだった。う、う、と意味の無い声が、喉から勝手に漏れた。

 

「そういうのはさ、自分が泣いてない時に言うべきだろ」

 

 善逸と同じように。炭治郎もまた、大粒の雫を零していた。

 二つの嗚咽と、伊之助のいびきだけが響く。彼もまた、いつか涙する日が来るのだろうか。多分泣くのだろう。誰もいない所でひっそりと。

 

「獪岳がどれだけ強いかさ、力を貰って初めて分かったんだ。自分じゃ頑張ったつもりだったんだけど、全然なってなかったんだなあって」

「俺もだよ。獪岳は、本当に沢山の事を教えてくれてたんだよな。まだ一つもものにできてないけど。俺たち、駄目な生徒だったなあ」

 

 多分、気付いていなかっただけで、獪岳は想っているよりもっと多くのことを教えてくれていた。

 今更になって、思わずにはいられない。なんでもっと真剣に耳を傾けなかったのだろう。なんでもっと真面目に修行して貰わなかったのだろう。後悔なんていくらでも出てくる。

 獪岳だけは分かっていたのだ。今という時はいつ終わってもおかしくない。だから、詰め込みすぎだと思っていても、限られた時間に与えられるだけのものを渡した。自分たちなどよりよっぽど理解も覚悟もしていたのだ。死というものはすぐそこにある。そこにあって、もしもの時は自分が飛び込むのだと。

 

「なあ、炭治郎」

 

 返事を期待した訳でもなく囁く。聞こえていたとして、蚊が鳴くような声のそれは、とても聞き取りづらかっただろう。

 独り言でもなんでもいい。床に小さな水たまりを作りながら、善逸は続けた。

 

「炭治郎は――いや、鬼殺隊のみんなは、こんなに苦しい思いを抱えて戦っていたんだな……」

 

 答えはない。優しい沈黙。

 代わりに、善逸の頭がそっと抱えられた。炭治郎の肩に頭を埋めるようにして、泣き続ける。

 

「ごめん……ごめんよ……。明日には、ちゃんと戻るから……。だから今夜だけは……ごめん……ごめん……」

 

 もはや声にもならなくなり、すすり泣く声だけが宙へと消える。

 後ろから禰豆子が、頭を撫でてくれた。きっと何も分かっていない。ただ泣いているからそうしてくれただけだ。今はむしろ、それがありがたい。

 それ以降、会話らしい会話はなかった。炭治郎が思い出したように他愛ない事を言って、嗚咽を漏らす善逸がそれに頷くだけ。つまらなく、何でもないし、意味も無い時間。それがとても長く続いた。

 涙の先には――泣き明かした所で、何もない。これはただ、そこから進むための儀式だ。人が強く振る舞って進むためには、時としてこういった事が必要になる。今回は、今までで一番根深い。それだけのこと。

 善逸は、ずっとずっと泣き続けた。涙が涸れるまで、涙が涸れてもなお泣き続けた。

 何もかもが曖昧になる。夜も、闇も、親愛も、心も、それら全て。悲しさと悔しさだけが確かなものだった。

 あらゆるもの全てが受け止められる。

 夜はどこまでも等しく残酷で。そして優しかった。

 

 

 

   ×××

 

 

 

「鳴女、もう良い。閉じろ」

 

 大きな西洋館にある書斎。間取りはかなり大きいのだが、所狭しと並べられた本棚のせいで、かなりこぢんまりと感じる。そこで、鬼舞辻無惨は宙に浮いた襖の向こう側で行われている化野の戦いを、肘をつきながら眺めていた。

 吐息を一つ吐く。そこに落胆も歓喜もない。はじめから何も思う所など無かったのだから当然だ。例えつまらない幕切れであったとしても。

 

「柱三人……いや、再起不能は二人か? 塵にしてはよくやった方か」

 

 襖が閉じて虚無の向こう側に窓が映るのを見届けながら、独りごちる。

 面白くはないが、得るものはあった。

 あの傀儡鬼――名前はなんと言ったか。まあどうでもいいか――は、思いのほか良い仕上がりだった。実のところ、実力は上弦の鬼でも下の方だと思っていたが、あの様子ならば猗窩座とでもいい勝負をできるかも知れない。

 

「隊士の鬼は作り飽きたと思っていたが……案外分からぬものだな」

 

 鬼殺隊の鬼化は幾度も行い、もう百年以上前には知り尽くしたと思っていた。その中でものになったのが黒死牟だけなのも、無惨が早々に見切りをつけた理由だ。

 傀儡鬼が奇跡的な出来だった、と言ってしまえばそれまでだが。正直なところ、誰の命令でも聞いてしまうという点を抜けば、自意識を持たぬあれは、無惨にとって理想的な姿だった。可能であれば、今後余計なことを考える鬼など作らず、あれをより扱いやすくしたものばかりを量産したい。

 といっても、それが簡単にいかないことは無惨が一番よく知っている。

 そもそも人を鬼に変化させる原理からしてよく分かっていない。無惨を鬼にしたのは太古の医者であり、鬼そのものが人を健常にする過程の姿でしかない。はっきり言って、鬼化について無惨は完全な無知だと表現してもいいくらいだ。

 仕方のない事ではある。彼にとって重要なのは、人が鬼になる理屈ではない。いかにして鬼が太陽光を克服するかだ。故に、個人差による血の許容量、記憶の保持能力、精神性の変化などは一切無視していた。

 だが、傀儡鬼は新しい可能性を見せた。あれを参考に余計な事など考えず、無惨の命令だけを聞く鬼を量産できれば、“鬼の軍”を作ることもできるだろう。

 無論、鬼の軍隊にも、そもそも他者を鬼にすることにも魅力を感じない。だが、鬼狩りどもを消滅させるまでならば、案外悪くない話だ。

 

「少しばかり、真剣に研究してみてもいいかもしれんな」

 

 すぐに芽は出ないだろう。早くて十年後か、二十年後か。片手間になってしまうから仕方がない。

 どうしたって鬼の完成薬たる“青い彼岸花”や“太陽を克服した鬼”に優先されるものではないのだし。原材料すら見つからない“青い彼岸花”に比べれば、素材なら文字通りいくらでもある所だけは利点と言えば利点だ。

 

「頭を壊した後に鬼にすれば、まっさらな人形が作れそうだ。完成傀儡鬼ができるまでは、精神か肉体操作の血鬼術を持った者に扱わせるか。下弦の鬼は予定通り解体だな」

 

 背に体重を預けるよう姿勢を変え、足を組む。

 前々から思っていた事だが、下弦の鬼はもはや害悪にしかならない。せっかく目をかけてやっていた累も、柱でもない者にあっさり殺されるどころか、話にならない弱者にも時間をかける始末。他の下弦はもっと酷い。それでも戦う気概があっただけマシであり、ほとんどが柱を前に逃げ回るだけだった。

 もうとっくに、下弦の鬼は鬼狩りの経験値、柱製造機としてしか機能していない。その上、生意気にも意見するのだから不愉快極まる。

 百年前から、無惨にとって鬼とは上弦の鬼だけだった。同じように、鬼狩りとは柱しか指さない。他の鬼や鬼殺しは、全て塵であり余分であり、ただの有象無象だ。

 矢琶羽や朱紗丸、後は鳴女のような、特異な血鬼術を持つ故に直参にした者もいる(まあ、これらもさほど役に立つとは言いがたい)が。これも所詮気まぐれだ。忠誠心だけは認めていたし、実際便利ではあった。が、それだけ。結局、矢琶羽と朱紗丸重要な仕事は終ぞ果たせず死んだ。

 利敵にしかならない存在を重宝していたなど、今でも怒りと怖気が走る。

 傀儡鬼含め、全て廃棄処分するつもりで戦わせたが、結果は存外の健闘。柱に容易く一蹴されていた塵を寄せ集めて、二人潰したのだから儲けものだ。さらに塵を処分する手間も省けたのだから言うことはない。

 

「とりあえず、水柱と恋柱が欲しいが……見つけられんだろうな」

 

 今から別の鬼を向かわせても間に合わないだろうし、そもそも下手な鬼では手も足も出まい。こんなことのために上弦を向かわせるのは馬鹿馬鹿しく、自ら出向くのはもっと下らない。鳴女に監視させ続けるには、存在を察知される恐れがある。稀少ではあるものの換えはきいた矢琶羽と朱紗丸とは違い、鳴女は唯一無二だ。使い潰すにはあまりにも惜しい。

 追跡しようにも絶対に撒かれる。

 産屋敷の采配はいっそ病的とも言っていいほどであり、未だに重要拠点の一つも発見できていない。今回の柱護送とて、絶対にこちらが干渉できない方法を取る筈だ。もしかしたら現時点で既に、こちらが実験台として二人を欲していると気付いているかも知れない。

 どのみち研究を圧してまですることではないと判断し、諦めた。どうせ柱など後からいくらでも湧き出る。「殺したら遺体を回収しておけ」とでも言っておけば、どこかで手に入れる機会もあるだろう。

 

「一先ずは目先の事だな」

 

 つまり鬼殺隊、というか産屋敷の動向。

 上弦の、特に資金源となっている者達については、かなり近いところまで手が伸びている。攻め込んでこないあたり、まだ確証はないようだが。特に童磨、玉壺、堕姫の周囲には常に怪しい人の影がちらついている。

 鬼殺隊の裏方は非常に優秀だ。ともすれば隊士たちなどよりもよほど。基本的に血の気が多いだけの無能な鬼共とは違う。この一点に関してだけは、素直に産屋敷がうらやましかった。

 ついでに言うなら、こちら側が相手の資金源を潰せた試しはない。歴代産屋敷は金融の才能は元より、その隠匿も非常に上手かった。産屋敷ほどではないが無惨も金融の才はあるため、互いに後方から崩すという手段が取れずにいた。無惨からしたら、資金源の一つや二つ潰された所で痛手ではないが。むしろ上弦の居場所が知られる事の方が問題だ。圧倒的な戦力を誇る上弦の鬼とはいえ、柱が五人も六人もいれば持つまい。なんとも情けない話だが。

 

「だが、見ようによっては好機でもある」

 

 目障りな鬼殺隊を任意に準備して迎撃できる、という捉え方もできる。

 さすがに上弦の鬼を複数投入してやる気まではさすがにない。特に童磨など、相手をたらし込んで余計なことをしでかしそうだ。下弦の鬼候補くらいならいくらでも送ってやっていい。なんなら新しく鬼を作ってやるのも。その中で、肉体・精神支配系の血鬼術持ちがいたら儲けものだ。

 できれば柱の死体も回収してこさせたいが、これはさすがに高望みが過ぎるだろう。こちらの準備も整っていないし、一先ずは呼吸の剣士の骸をいくらかでも許してやっていい。

 問題は、能動的に動くかどうか。

 

「……辞めておくか」

 

 結論はすぐに出た。

 鬼殺隊は、挑発をすれば必ずやってくる。これは過去の例からも明らかだ。鬼に異様なほどの憎しみを持っている連中は、鬼がいる場所に来ないという選択肢がそもそもない。

 それでも実行を留まらせるのは。偏に、配下の質に差があるからだ。

 仮に、産屋敷と無惨の采配が同等だとする。だが、これを実行する者に問題があった。

 早い話が、鬼は強い代わりに馬鹿が多い。無作為に任命しているのもあるが、大体が戦闘力に偏重しているのも理由の一つだろう。はっきり言って、駆け引きには全く向かない。事実、愚かで無能な鬼どもは、来ると分かっている鬼狩りどもに幾度も負けている。

 

「やるならば、わざと流出させた情報では駄目だ。あくまで相手が地力で勝ち取ったもので、かつ此方が察知できた時。仕掛けるならばそうでなければいけない」

 

 相手が手を打ったと思い込んだ瞬間こそ、一番奇襲を成功させやすい。さすがに先手を取ったと考えている相手ならば、愚図共であっても戦術的な遅れは取るまい。というか、それでなお負けるようならば、上弦の鬼だろうと不要だ。

 無惨は、上弦の鬼を他者が思っているほど信用していなかった。上弦の鬼が鬼殺隊に殺された記録はないが、負けた記録ならある。だいたいそういった者は、十二鬼月の階位を決定するために行われる血戦で位を奪われている。

 

「やはり、いざという時に信用できるのは私自身だけか」

 

 仕方の無い事ではある。ひたすらに忌々しいが。

 柱を纏めて圧倒できぬ程度の戦力。太陽を克服する鬼が現れなければ、薬の完成に必要な青色の彼岸花を見つけられもしない。本当に、全く、信じられない無能の集まり。こんな状態が一〇〇〇年も続いていると言うのだからたまらない。

 

「まあいい」

 

 激しそうになった心を制し、なんとか落ち着く。

 それこそ連中の無能など今に始まったことではない。こんなことで精神を揺らがせるのは馬鹿馬鹿しかった。

 優先順位こそ相変わらず鬼の進化薬だが、第二位に傀儡鬼の製造と入れ替える。自分の命令だけを聞き、余計な自己など持たない鬼の製造方法が確立すれば、戦力という一点に関してだけは解決する。反逆の芽さえなければ、鬼を作る事に対する忌避感すらなくなってくれるのだ。

 案外、薬よりそちらを研究した方が早いかも知れないとすら思う。まあ今は、血鬼術で操るだけでも良しとするしかないか。

 

「月彦さーん」

 

 声に、思わず舌打ちした。

 月彦。それは、鬼舞辻無惨が人間として潜り込む為に扱う擬態の一つ。

 人を偽る事には利点が多い。特に資金の確保と調薬材料の確保には。反面、面倒も多かった。例えば今のように、下らない呼び出しにも心地よく見えるよう答えてやらなければいけないなど。

 

(用さえ済めば、すぐに殺してやるものを)

 

 配偶者気取りの鬱陶しい女。輸出入に強い資産家の娘でなければ、相手にもしないのに。あの頭の中に何も入っていないのではとすら思える女は、一体誰のおかげで会社をこれほど大きくできたかすら理解していないのだろうか。

 どれだけ嫌悪しても、今は捨てられない。女の両親が可能な限り自然な形で死に、組織の全てを相続するまでは。その後は事故なり他殺なり、如何様にも調理できる。

 

「月彦さん、いらっしゃらないの?」

 

 再度の呼び出しに、首をねじ切ってやる妄想をしながら、無惨、もとい月彦は答えた。

 

「済まないね、今行くよ」

 

 可能な限り殺意を押し殺し、いかにも優しげな夫を演じて返す。

 家族ごっこは続けてやる。女が価値を失うその時までは。

 

 

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