獪岳と善逸   作:山筋

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招集

 その日、鬼殺隊に激震が走った。

 始まりは、蛇柱・伊黒小芭内による一つの報。鎹鴉の足に括られた文に記されたそれは、ある意味簡素なものだった。曰く「鬼の根城発見。上弦の弐である可能性大。我は監視を継続する。至急、討伐対を編成されたし」。

 この情報に、本部は沸き立った。鬼殺隊の歴史の中、上弦の鬼と偶発的に遭遇することはあれど、居場所を掴んだ事はなかった。そもそも上弦の鬼を倒せたという記録自体が、少なくとも公式の物には存在しなかった。上弦の鬼入れ替わり自体は確認しているが、これに関してはより質が上がっているだけで、吉報にはほど遠い。

 つまり、此度の連絡は最大の好機だった。攻め込んでくるのを待つしか無かった上弦の鬼に対して、攻め入る事ができる。

 これが罠である可能性は決して低くない――が、それを加味してもなお、上弦の鬼討伐の可能性は魅力的だった。いっそ毒とすら思えるほどに。

 本部は即断を要された。時間をかけてはいけない。もしかしたら逃げられるかも知れない。こちらに気付いていなかったとして、長引かせれば気付かせてしまうかも知れない。元々張っていた罠がより堅牢になるかも知れない。

 緊急招集は、もはや隊士の確認を取る間すら惜しかった。鎹鴉が飛び回り、近くの主要な隊士全員に伝達される。

 かくして、蟲柱、蛇柱、霞柱、風柱という大戦力が応じた。実に、現在稼働可能な柱二人を除いた、本来ならばあり得ない動員数である。

 狙うは万世極楽教、そして万世極楽教教祖が童磨。

 血に濡れた夜を少しでも拭わんとする大戦が始まろうとしていた。

 

 

 

 我妻善逸は、全力に近い速度で不死川実弥の後を追っていた。元から足の速さが違うため、置き去りにされるという心配はない。が、非常に居心地が悪かった。

 現在は夕方、太陽が茜色にさしかかるかと言った頃である。当然、周囲に人気が多く、馬より早く走る二人に周囲はぎょっとしながら見送っている。中には「天狗だ!」「いや鬼だ!」という声も多数混じっていた。

 通常であればこんな真似は絶対にしない。隊士はただでさえ刀を持っているため悪目立ちしやすいため、可能な限り目立つ行動を避ける。そうでなくともどのような理由であれ、鬼殺隊の周囲に人がいるというのは面倒しか生まない。悪い噂が立つというのもそうだが(何しろ端から見ればただの人殺しである)、特に鬼退治の際に第三者がいると、与えた傷が人を喰って回復されかねない。

 だが、そんな問題をなげうってまで急行する必要があった。

 上弦の弐発見。その連絡に、実弥は珍しく――本当に珍しく、揺れていた。しばし沈黙の後、狂暴凶悪な笑み付きで。

 それを端から見ていた善逸とて、思うところがなかったわけではない。仇の片割れなのだから。ただ、あまりにも人間離れした貌をした風柱に、かなり本気で引いてしまっただけだ。

 にしたって。

 

「し、不死川さん! こんなに急ぐ必要あるんですか!?」

「あァ!? 何糞みてえな事言ってんだてめェ! 状況分かってんのか! 寝ぼけんのは全部終わってからにしろ!」

(そんなにきっぱり言われても……)

 

 子供がびっくりしてひっくり返り、手に持っていた何かを落として泣いている姿はさすがに心苦しい。いや嘘だ。本当は、子供をあやしながらこちらを凄い形相で睨んでくる美人さんが胸に刺さる。

 

(急ぐ気持ちは十分分かるけど)

 

 善逸らが命令を受け取っている間にも、鎹鴉らしき鳥が四方八方に飛んでいた。様子を見るに、近隣の隊士全てに連絡が行ったのだろう。

 ちなみに善逸は実弥の鎹鴉から一緒くたに命令を受け取った。鎹鴉は名の通り鴉なのだが、善逸には何故か雀だった。しかもしゃべれないので基本的に意思疎通ができない。いや、人間並みにしゃべれる鳥の方がおかしいのだが。

 とにかく、近年では最大の大物取りなのは間違いない。逸る気持ちも分からなくはなかった。

 この動きに、当然上弦の弐は気付いているだろう。何しろやり方が派手すぎる。だが、その上で即座に叩き潰すというのが上層部の判断だった。間違いなく今夜中に決着をつけるつもりだ。

 

「っ。不死川さん」

「分かってる。合流すんぞ」

 

 音が迫ってくる。強く、そして深い音だ。さすがに実弥には及ばないが、恐らく自分と同等の力を持っている。そんな存在が二つ。

 まず町の中腹あたりで飛び込んできたのは、炭治郎だった。音を聞き分けずとも分かる。最後に会った時とは別次元の強さだ。

 

「善逸、久しぶりだな!」

「たんじろぉ~」

「なんでいきなり涙声なんだ?」

 

 無論、四六時中おっかないおっさんと二人きりから解放された安堵のためだが、口にはしない。怖いし。

 

「不死川さんもお久しぶりです!」

「……ふん」

 

 挨拶に、しかし実弥は小さく鼻を鳴らすだけだった。これでも比較的愛想がいい方だ。とはいえ、彼は案外顔見知りをするたちで、横柄な態度は逆にそれだけ相手に馴染んでいるという事でもあるのだが。

 

「禰豆子の事認めて下さってありがとうございます」

「認めてなんざねェ」

「禰豆子も喜んでますよ! 後で話がしたいって!」

「黙って走れ」

 

 実弥がちょっと苛立ってきたのが怖かったが、善逸に口を挟む勇気は無かった。

 ふと下を見る。人が増えたことで、より一層注目は大きくなっていた。この程度の速度であれば、全員が無音で走れているのだが。それでも民家の上を人目も憚らずひょいひょい跳ねていれば、注目は免れない。

 こういった所も鬼殺隊に妙な噂が立つ理由なんだろうな、と考えた。まあ、これでも政府非公認とはいえ、全く連携ができていない訳ではないから配慮はされている方ではある。後処理は警察なり隠なりが適当にお茶を濁してくれるだろう。

 

「あ。そう言えば不死川さんっておはぎが好きなんですね。餡子と餅米のいい匂いがしますよ。お礼に今度差し入れします!」

「……あァ?」

(やばっ)

 

 善逸は内心で冷や汗をかいた。ついでにひっそりと距離も開ける。

 

「おはぎおいしいですよね! 不死川さんは甘い物が好きなんですか? そう言えば不死川さんって兄弟いますか? 前に似たような匂いの人がいたんですけど」

「…………」

 

 実弥はみるみるエグい顔つきになっていった。炭治郎は知ってか知らずが、それでも話しかけ続ける。

 炭治郎の長所であり短所でもある部分が出た。良く言えば人なつっこく、悪く言えば人との距離感が掴めていない。今回は大分悪い方へ出てしまった。本人には全く悪意がないどころか、むしろ善意全開なのが手に負えない。

 そういう所に善逸は何度も助けられた。が、今回ばかりは相手が悪い。何しろ気難しさでは他の追随を許さない男だ。むしろなんで鼻がいいのに怒りの匂いを嗅ぎ取れないのかとすら思う。

 誰にだって触れられたくない部分はあるが、実弥は特にその範囲が大きい。他人に弱みを見せたがらないのか、それともただの恥ずかしがり屋なのか、はたまた特に意味のないこだわりなのか。ともあれ嫌がっているという事だけは分かっていた。

 善逸も、隠れておはぎを中心に菓子類を食べていたのはひっそりと聞こえてしまっていた。だが、いや、だからこそあえて口にはしなかった。隠し事というのは、得てして当人以外には意味が無い。逆に言えば、本人にとっては極めて重要という意味でもある。

 だからあえて触れなかったのに。炭治郎が明け透けすぎてちょっと泣きそうになった。

 

「そうだ! 今度一緒に食べに行きましょう。どこかおすすめとかありますか?」

「チッ」

 

 かなり強烈な舌打ちが飛び出ていた。それはもう、これから仕事じゃなかったらぶん殴ってると確信させる勢いだ。というか腕に血管が浮き出ている。怖い。

 可能な限り存在を空気にする。とばっちりはご免だった。

 善逸が現実逃避している間も二人の、というか炭治郎の話は止まらなかった。仲良くなろうという意思は伝わって来るのだが。正直、もうちょっと空気を読んで欲しい。実弥は怒ったら怖いし、なんなら怒ってなくとも怖いのだから。そもそも怒ってない時があるのかという疑問もある。

 逃げている間に、もう一つの音が届く。

 

「ハッハァ! 猪突猛進! 猪突猛進!」

 

 伊之助だった。控えめに言って最悪だった。

 

「天狗となまはげがあああぁぁぁ!」

 

 おまけに周囲の目も厳しかった。この世の終わりみたいな顔で見上げられると、もうどうしていいかも分からない。善逸以外の誰も気にしていないのが凄い。当り前だが、全く褒めていない。

 

「ハハハ! 気配で分かるぜ、傷のおっさん。お前柱だな。髭島ほどじゃねえが強ぇだろ!」

「悲鳴嶼さんだぞ」

 

 炭治郎が注釈するが、当り前に聞く奴ではない。

 

「勝負しろおっさん! お前に勝てば俺様が柱だぜ!」

「なんつったてめェ」

 

 実弥から、理性が蒸発しそうな程の怒気が溢れているのが見えた。もう怖いとかそういう次元ではない。命の危機すら感じた。しかもとばっちりで。

 いっそ何もかも捨てて逃げようか。できもしない事を茜色の空に描きながら、せめてこの時が早く終わってくれと願った。

 

「なんだ怖ぇのかそんな面して! ゲハハ!」

「チィッ!!」

 

 炭治郎の時より数倍大きな舌打ちが響く。

 炭治郎が無遠慮な所に腹が立つのだとすれば、伊之助はそもそもそりが合わないのだろう。

 この手の危惧は、前にもあった。伊之助と獪岳が初めて顔合わせした時だ。あちらは獪岳が大人であったのと、年下のあしらい方をわきまえていたので問題なかったが。もし一歩間違えていたらこうなっていてもおかしくなかった。やっぱりこの手の人間は滅茶苦茶仲良くなるか死ぬほどいがみ合うかのどちらかなのだろうな、とぼんやり考えた。

 善逸の胃に多大な悪影響を与えながらも、一応順調に進んではいた。ここら辺、実弥はもちろん他の二人ももう新米とは言えないので、わきまえている。

 標的である万世極楽教なる組織の本部は、小さな町の中心にあった。見た目は大分古いが、しっかりと手入れされているのが分かる。寺と神社を混ぜたような、妙な違和感があった。これは神仏分離令以前、推定で一五〇年は昔からあった為だと説明を受けていたが。それにしたって妙にちぐはぐに見えた。これは万世極楽教が、所詮は地方の小さな宗教団体だからだろうか。

 小さなとは言ったが、それはあくまで真言宗などのような超巨大団体と比べての話だ。地方で細々と続いている宗教という意味では、恐らく最大級の規模だろう。

 事実、今いる場所は既に万世極楽教の領域内だ。つまり、この小さな町がまるごと万世極楽教のものなのである。

 これは鬼殺隊にとって都合がいいとも悪いとも言えた。

 ある種の治外法権にあるこの町は、物事の隠蔽が非常に簡単だ。なんなら信者達が勝手に隠蔽工作をしてくれる。隠の負担は最小限だろう。

 反面、厄介なのがこの町にいるほぼ全ての人間が万世極楽教信者という点だ。つまり、今までのように化け物と超人の戦いに混乱して乱入するのではなく、明確かつ指向性のある殺意を持ってこちらを襲ってくる可能性があった。鬼が教祖をしている以上、無視できる話ではない。

 所詮は普通の人間だ、と思うかも知れないが。前から鬼、後ろから人に襲われ、さらに人は殺せないという制約が合わされば、危険などという陳腐な一言では済まされなくなる。間違いなく被害の拡大を免れない。

 善逸は、まあ“人間に刃を向ける”事の恐怖を知らなかった。恐らく鬼殺隊にいる多くの人間がそうだろう。

 本部も対策はしていると言っている。今はそれを信じるしかない。最悪の事態は……正直今は考えたくなかった。

 

「……本当なら日が沈む前につきたかったがな」

 

 地平線の彼方に消え、僅かな光を漏らすばかりになった太陽を見ながら、実弥。

 

「仕方ないですよ。そもそも日が出ている内に攻め入ったら、出てこないかもだし」

「分かってらァ。だが上弦の鬼を相手に『頚を切らなきゃならない』のと『外に引きずり出すだけで殺せる』のとじゃ精神的にかなり違ってくる」

 

 言うものの、そこまで気にした様子はない。世の中を甘く見ていなく、また鬼も侮っていない証拠だ。根本的に鬼が日中にわざわざ戦ってやる理由などない。それが例え苦労して作り上げた組織だろうと、鬼の寿命を考えればまた作り直せばいい程度のものでしかないのだから。

 所定の路地裏近くに着地する。

 その近辺では、蛇柱・伊黒小芭内が隠から絶え間のない報告を聞いていた。

 

「万世極楽教本部、未だに異常ありません」

「むしろ不気味なほどに沈黙しています」

「隊士がある程度集まった時点で、察知されていない筈がないのですが……」

「こちらも同じく」

「秘密通路らしきもの、発見できません」

「耳のいい隊士に確認して貰った所、かなりの物音はするものの移動をしている様子はない、との事」

「やはり本部の中枢に近い信者は取り込めません。内部構造は未だ不明瞭な点が多いです」

「人避け完了しました。再結集して挟撃を企むような様子は今の所見せていません」

「煙幕弾の設置完了しました。一般民衆の目と動きを制限するには十分だと思われます」

「隊士の集合、六割を超えました」

「風柱・不死川様ご到着です」

 

 一つ一つに小さく頷いていた小芭内が、最後の報告で初めて背後を、つまりこちらを見る。

 じろり、と肌に絡みつくように見られ、身震いする。実弥とは別方向に、同じくらい目つきが悪かった。なんと言えばいいのか、実弥が表面的な脅威を与えてくるなら、小芭内は根源的な恐怖を覚えさせる、とでも言うべきか。

 どう表現すればいいかは置いておくとして。とりあえず、手放しに気を許していい相手ではないという点だけ覚えておく。この手の人間は、平気で人を地獄に蹴落とすのだから。なんなら落とした後笑ったりもする。

 小芭内はこちらを、というか三人を確認すると、嫌そうに顔を顰めた。何故だかは分からないが嫌われているらしい。

 

「遅かったな、不死川」

「これでも最高速度で来たんだ。勘弁しろや」

「足手まといまで連れてか?」

 

 と、今度は露骨にこちらを睨んでくる。咄嗟に小さくなって、なるべく視線から外れようとした。

 

「こいつが使える事だけは保証する」

 

 言いながら、乱暴に善逸の頭を叩いた。

 言外に他二名は保証しないと言っていたが。炭治郎は気にしておらず、伊之助はそもそも気付いていないので大事には至らなかった。

 小芭内は言葉に、小さく鼻を鳴らした。なんでこんなに嫌われているんだろう、とぼんやり考える。

 いや、どうも意識が炭治郎に集中している気がする。もしかして鬼関係で拗れたのだろうか。だとしたら、まあ仕方が無い。大方の隊士は似たような目で見てくるだろうし、むしろ直接行ってこないだけ分別があるくらいだ。禰豆子を庇った自分も同罪なのだから、これは甘んじて受け入れるより他なかった。

 

「ふん、まあいい。時透は概ね予定の範囲内に到着するが、胡蝶がやや遅れている。そのため胡蝶担当の北に隊士を多く割り振った。不死川、お前は西へ回れ。他のは……まあ、どこでも好きにしろ。貴様ら如き、どこにいようと関係ない」

「んだとコラァ!」

「落ち着け伊之助!」

 

 いきり立って襲いかかる伊之助を、炭治郎が羽交い締めにして押さえる。怒れる獣すら完全に無視しているあたり、徹底していると言うかなんと言うか。

 

「善逸は貰う。俺と連携が取れるし、一応継子だからな」

(えっ)

 

 言葉に驚く。いつの間に自分は継子になっていたのだろう。

 表に出た表情は、小芭内にだけ見られていた。そしてこちらを見ながら、多分小さく嗤ったのだろう。あっと失策を知る。これは弱みを握られた。

 

「最低限の人数は揃った。お前たちが配置についたら攻撃を開始する」

「あいよ」

 

 言うが早い、善逸は後ろ襟首をもたれて運ばれた。

 空から下を確認する(不本意ながらこの扱いには慣れていた)。炭治郎はどこに行くべきか、とまごついていた。が、伊之助が平気な面してその場に残っていたため、右にならうことにしたようだ。いざという時、伊之助を止めるという意味もあるだろうが。

 なあなあに見えるが、意味の無い行動でもない。現場最高司令官のそばにいるという事は、真っ先に意思を反映できるという事でもある。自分が一番の適任かはさておいて、もしもに備えられるというのは大きい。

 実弥の近くにいると、自然とこんな考え方もできるようになっていた。

 万世極楽教本部の西側に回り込むのは、そこそこの時間を要した。とにかく建物が大きい上、さすがに敵前で見つかってもいいとはならない。地を這うように音を殺しながら、長屋やらの間を縫って動く。途中、いくらかの隊士と遭遇したが。誰も彼も、こちらを気にする余裕もなく息を潜めていた。

 

(みんな緊張してる。当り前か)

 

 自分だって、心臓が張り裂けそうなほど高鳴っている。上弦の鬼という未知の恐怖と、獪岳の仇かもしれないという二つがせめぎ合う。

 配置について、通りに面した家屋の脇で、実弥を伺うように背中へ張り付く。そうしていると、こちらも見ないまま話しかけてきた。

 

「善逸、てめェは細けえ事考えなくていい。とにかく俺にひっついて、鬼だと見たら片っ端からぶった切れ。だが、上弦の鬼だけは別だ。見付けたら無理せず撤収、可能なら俺の方へ誘導しろ。そうすりゃ――」

 

 話の途中で。万世極楽教本部から、無数の爆発が起こった。

 瞬時に耳へ神経を集中させる。爆発は一つや二つではない。そして、火薬を利用したものでもない。

 粉塵に交ざって、木の屑が宙を舞っていた。これが火薬で起こされたものでないとすれば、尋常な力と勢いではない。

 何が起きたのか全く理解できず、体を強ばらせる。

 場数が多い実弥は、この程度で硬直する事はなかった。かといって周囲に気を遣うほどの余裕があったわけでもない。間抜け面を晒したままな善逸を無視して、瞬時に戦闘態勢へ入っていた。

 

「クソが、先手を取られた!」

 

 彼が発した言葉は端的に、この場で地獄が作られると宣言していた。

 

 

 

   ×××

 

 

 

 静謐というのは素晴らしい。そこには悩みも変化もなく、故に揺らぎがない。

 以前、変化は忌むべきものだと言ったことがある。それは正確には間違いだ。いや、もっと正しく伝えるなら、“不変”に余計な要素が割り込む事、それを嫌悪している。太陽光によって“劣化”してしまう、これが最たるものだ。

 人喰いに忌避感など無い。今の時代ならばいざ知らず、人間だった頃ならば平民などそれこそ塵屑も同然だった。だが、それとて特に好んでいる訳ではない。鬼殺隊というひたすらに鬱陶しい連中や、思い出すのすら憚られる忌々しい、“呼吸”などという余計な技術を生み出した継国縁壱を度外視しても。

 ある意味、太陽の克服などというのは通過点に過ぎなかった。

 彼に人間を支配したいなどと言う欲望はなかった。物欲というものにも乏しい。あえて言うならば、不快を嫌っているだけだ。

 最終目的、或いは理想の姿は明確に思い描ける。外的要因による変化を受け付けない。生命維持に食事などという非効率な行動を強要されない。いや、そもそも栄養補給という概念すら必要ない。完全なる個、個に全が詰まっている。究極の完全物質、及び完全生命体。自己だけで全てを完結できる存在。それこそが、鬼舞辻無惨の最終的な目標だった。太陽の克服は、あくまで手始めだ。

 最終目的へ至るまでの面倒はひたすら多い。部下の無能に憤慨することも数知れず。が、それでも耐えるしかない。少なくとも第二段階、外部からの栄養補給を必要としなくなるまでは。

 そして面倒と苛立ちに、また耐えなければならない時間がやってきた。

 

「上弦の弐様が、お目通りをご希望です」

 

 べん、という琵琶の音と共に、鳴女の声が届く。

 

「通せ」

 

 簡潔に告げる。と、異空間の外側から童磨が降り立った。

 

「やあやあ、俺の言葉に耳を傾けて頂き、後衛の限りです。おやおや、今日は子供の姿ですか?」

「余計な話をするな。要件を言え」

「これまたすげない」

 

 この姿では俊國と名乗っているが、まあそんなものは誰にとってもどうでもいい話だ。それこそ、無惨ですら。

 童磨は胡散臭い笑みで、へらへらと笑っている。癪に障るが、これを真面目に相手するのは、この世で最も無駄な行為の一つだと理解していた。つまらない対策だが、殺意が湧かぬよう視界から外しておく。

 こんな奴でも稀少なのだ。戦力という意味では、黒死牟に次いで手放しに期待してやってもいい存在だ。柱如きを一人二人始末しただけで誇らしげにする他の雑魚どもとは違う。その一点だけは褒めてやってもいい。他に認められる事は何一つないが。

 

「どうやら俺の居場所が嗅ぎつけられた様でして」

「知っている」

 

 短く答えた。

 あれだけ鬼殺隊子飼いの鴉が飛んでいれば、真面目に情報収集などしていない無惨にだって察知できる。同時に、童磨だけが逃げるならともかく、万世極楽教なる資金源は既に手遅れであるのも。

 やはり情報戦に限って言えば、鬼では手も足も出ない。

 

「つまらぬ報告をしに来た訳ではあるまい」

 

 言外に、もしそうなら、お前に未来はない。そう匂わせる。

 だが、威圧など童磨はものともしなかった。目障りな薄ら笑いをより一層深めておきながら、さも悲しげに口元を覆う。

 

「俺の信者はですね、とても可哀想な子ばかりが集まってくるんです。今の時代に、自分の居場所がない。こんな風に生きているならしんだ方がマシだ。ああ神様教祖様、どうかどうか、私に救いをお与え下さい。そんな子達が、沢山沢山、とても沢山」

「御託はいい。とっとと要点を言え」

 

 いちいち回りくどいのも、気に入らない理由の一つだ。このおしゃべりは、とにかく話全てが長ったらしく迂遠だった。

 下らない話がしたいなら、それこそ自分の信者にでもしていればいい。

 困ったなあ、などと呟きながら、全く困っていない様子で、童磨。

 

「少しばかり、無惨様にお力添えを願いたいんです。具体的には、俺の信者の中でも飛び抜けて可哀想な子達に、最後の華を咲かせるべく――」

「……ほう」

 

 童磨の話は、まあまあ興味を引かれるものだった。なにより鬼殺隊に()()()そうなのがいい。

 本当に、この手の悪巧みだけは得意な男だ。もっとも、本人は完全な善意のつもりで言っているのだが。頭の中に何かが足りない利口な馬鹿、こういう奴はいつの時代にも、一定数いる。

 こいつは気色が悪い男だ。そこだけはどうしたって変わらないが、発想だけは嫌いではない。

 実に――実に面白かった。

 

「いいだろう、貴様の口車に乗ってやる」

「わあ! さすが無惨様だぜ。信者たちも喜びます」

 

 満面の笑みで手を合わせながら謝辞を伝えてくる童磨。そんな姿も薄っぺらく見えるのだから筋金入りだ。だがまあ、今回に関してだけは同意してやれる。

 “権限”を与えて、童磨を下がらせた。消えるか消えないかのあたりで、虚空に声をかける。

 

「鳴女」

「はい」

 

 無惨の意図を先回りして、複数の鏡を開いた。向こう側では、万世極楽教(で合ってただろうか)を取り囲まんとする隊士たちが見え隠れしている。これで、今から行われる“催し”を観察できる。

 やはり持つべきは忠実で気の利く部下だ。自分が完全な存在になった暁には、残してやってもいい。その程度には気に入っている。

 

「ついでにおまけも送ってやれ」

「了解しました」

 

 反応が早い。さすが最も忠実な部下だ。

 命じたのは十二鬼月予備軍……と言えば聞こえはいいが、実際にはただの出来損ない集団だ。まあ、たかだか下弦の鬼程度を目指す塵どもは勝手に奮起するし、殺されたところで痛くも痒くもない。

 血の気だけは多いから、精々使い潰せばいい。まあ、童磨に使えればの話だが。

 

「さて」

 

 全ての予定を一時停止し、鑑賞に集中する。

 鬼と鬼殺隊。全ての環境は整った。実験場としても文句なし。おまけに、この後は素材が山ほど手に入るだろう。

 見世物としてなら中々悪くない。精々高みの見物を決めさせて貰おうと、人知れずうっすら笑った。

 

 

 

   ×××

 

 

 

 やりやがった――

 誰かの絶叫が、まだ始まったばかりの沈黙の夜を裂く。せっかくの隠密行動を台無しにしてまでの叫び声。本当に、誰一人として。

 既に全員が理解していたのだ。これまで積み重ねてきたものが全て無に帰した事と、鬼に盤面そのものを根底からひっくり返された事を。もはやこれは、攻城戦ではなくなってしまった。

 粉塵の中から浮かび出てくる無数の人影。統制とはほど遠い、ただの群れにして狂奔。目的と、理性と、そして生きる意味まで失った哀れな者たち。

 鬼の一番恐ろしい所とは、一体何だろうか。一番厄介な所と問えば答えはバラバラだろうが、恐ろしいとなれば皆が同じ答えを返す。

 どれだけ刻んでも殺せない圧倒的な再生能力か? 違う。人間を簡単に引き千切る膂力か? そんなものはおまけだ。千差万別変幻自在の血鬼術か? 厄介ではあるだろうが、所詮は付属品。殺戮に僅かな忌避感すら覚えない異常な精神性か? そんな者は人間にだっている。どれも、どれもどれもどれもどれも、全て違う。

 食欲。

 飢餓感と共に発露される、超常的とすら言える暴力性に、それを上回る理性の消失。それこそ太陽に対する生物的な恐れすら忘れて暴走し続ける。一度我を失えば、満腹になるまで決して止まることはない。ざっくり言ってしまえば、「腹が空けばとにかく手当たり次第殺して喰う」。これこそが鬼の最も恐ろしい点だ。

 目の前の人影、その全てが鬼の大群。目を血走らせ涎を垂らす様は、明らかな捕食形態だ。

 正面だけでも数十人。恐らく総数は、百を軽く超えるだろう。

 

「クソが、ふざけんなクソがァ! 野郎、てめェの信者を全部鬼にしやがったァ!」

 

 怒りと吐き気のあまり、実弥が空に向かって吠える。その姿を嘲うかのように、鬼達は直線上に存在するあらゆるものを砕きながら進んだ。

 亡者と呼ぶに相応しい津波が、鬼殺隊どころか町ごと飲み込もうとしていた。

 

 

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