獪岳と善逸 作:山筋
柱主導で構築した対万世極楽教包囲網は、早くも瓦解しようとしていた。
空腹に我を失った鬼は、下手な異能の鬼よりよほど恐ろしい。
熟練の隊士で死亡率が最も高い状況はどんなものか。これが実は、格上の鬼と対峙した時ではないのだ。中途半端に強い鬼は、実力相応に傲慢となる。それこそ十二鬼月級でなければ、案外逃げ切る者は多いのだ。
では死亡率一位は何なのか。答えは飢えすぎて見境を無くした鬼だ。例えば、鬼になりたての時など。
はっきり言って、正気の鬼とそうでない鬼とでは、全く勝手が違う。戦う相手が人か獣かくらいの差があるのだ。多くの隊士は最終選別でしか、下手をすると一度も見たことのない相手となる。これを隊士側の傲慢とは言えないと、数字がはっきり証明していた。
鬼殺隊は人斬りの専門家ではあても獣狩りは素人。鬼という超常的な化け物を殺し回りながら、皮肉にもそれを証明する結果となっていた。
ましてやそれが束になって襲ってきたら。
「ぎゃあああ!」
「ッヅうぅ!」
「糞! 糞が! 鬼めぇ!」
「伊黒様! 七班がもう持ちません!」
「三班も限界に近いです!」
こうなる。
鬼殺隊が敷いた包囲線は、一瞬でぐちゃぐちゃに食い荒らされてしまった。
この状況を隊士の惰弱と罵ることはできない。むしろこれでも、度重なる不測の事態によく耐えていると言っていいだろう。故に、これは現場指揮官である自分の落ち度だ。どれほど荒唐無稽に思えても、鬼がそうしようと思えば現実になる。故に、こんな馬鹿馬鹿しい状況も、小芭内は考慮しておかなければいけなかった。
「シイィ!」
蛇のように鋭く呼吸を吐き出しながら、曲がりくねった刃をとにかく走らせる。
型は使わない。派閥によって違いはあるものの、型とは基本的に一体の強大な鬼に対して、つまり格上を喰らう為のものだ。この場にいる鬼は、どれだけ厄介だろうとも所詮はなりたての鬼。いちいち型を使っていれば、むしろ討伐速度が下がる。
「はぁっ!」
「邪魔だ雑魚どもがぁ!」
純然たる流れに押し切られていないのは、この二人、阿呆の嘴平伊之助と、大馬鹿でクズでカスでゴミの竈門炭治郎がいるおかげだった。
特に竈門炭治郎は、鬼を庇うなどする希代の能無しだが、一応腕は立つ。あの無口な癖に口を開けば糞しか垂れないが強くはある冨岡義勇が預かっていただけはあった。
どちらもいけ好かない。いけ好かないが、二人がいるおかげでかなりの余裕ができているのも確かだった。
「今はとにかく耐えろ! 自分が落ち着ける時間を稼げ!」
全く底が見えない鬼の津波に圧されながら、それだけを言い放つ。
相手が奇策中の奇策を打って、攻守を無理矢理後退させられた。だが、こちらとてそれなりに腕がある隊士を揃えているのだ。隊列さえ整え直せば、そうそう押し込まれる事はないだろう。
なんとか攻勢を受け止められている、と考えてはいけない。恐らくだが、この陣地が一番陣営が厚い場所だろう。なにせ甲相当が二人も割り振られているのだから。
(ここを起点にして攻撃へと転じなければ、勝機は無い)
守りに徹して上弦の弐を逃がすだけならばまだいい方。最悪は、柱が各個撃破されここで無意味に四人も失う事だ。
「おい、馬鹿と大馬鹿」
近づく鬼を、三人ほど狙いも定めずになで切りにする。新米の鬼だけあって、再生速度は遅い。転がしておけば、誰かが勝手に始末してくれる。
そんなことより重要だと、小芭内は二人に声をかけた。
「ハハハ、単五郎、大馬鹿なんて言われてやがんぜ。……って事は俺が馬鹿か? なんだとてめぇ!」
「やめろ伊之助! なんですか伊黒さん」
こいつらは混乱などしなかったし、今も手際よく鬼を屠っている。
もしかせずとも、この二人は捨て駒扱いになるだろう。そこに痛痒を覚えなかった訳ではない。だがそれでも、小芭内は告げた。
「お前たちは本来ここにいる存在ではない、例えるなら余剰だ。いなくても問題ない」
「んだコラァ!」
「伊之助! それで、俺達は何をすればいいんですか?」
頭の足りない伊之助と違って、大馬鹿炭治郎はある程度察しているようだ。これで鬼を人に戻すなどという妄言を吐かなければ、少しは認めてやるのもやぶさかではなかったと言うのに。
まあ、賢者が賢者である理由はあっても、愚者が愚者たる理由など無いのだから言っても仕方ない。
「お前たちはこれから、可能な限り鬼を殺しながら、真っ直ぐ敵の本拠地に突っ込め」
言うと、ぎゃあぎゃあ騒いでいた伊之助も、ピタリと口を止める。一瞬鬼を刈り取る手すら止まりそうになったほどだ。
「敵を背後から攪乱しろ。お前たちが暴れれば暴れるだけ、味方が楽になる。隊列を組み直せれば被害者が減り、いずれ攻勢にも転じられるだろう。この中で切り離せるのは、途中から参加し、最初から配属部隊のないお前たちだけだ。そして、可能なら上弦の弐を足止めしろ。見つからなければ真っ直ぐ通り抜け、胡蝶部隊に合流だ。分かったな」
有無を言わせぬ物言いに、非難の一つでも飛んでくるかと思った。実際、それだけ無茶苦茶な事を言っている。味方に「突っ込んで盛大に爆死しろ」などという指揮官がまともなわけ無いのだから。
だが、返ってきたのは非難でも、ましてや悪感情ですらなかった。
「ハハハハ! それでいいんだよそれで! ごちゃごちゃ守れだなんだ面倒臭え事ばっか言いやがって! 突っ込んでぶっ殺せ、分かりやすくていいじゃねえか!」
「いや違うぞ伊之助、伊黒さんは鬼の流出を止めてくれって言ってるんだ」
「あぁ? ごちゃごちゃうるせえ。やるこた同じだろうが」
「まあそうだけど……」
あくまで気軽な会話をする二人に、一瞬呆気にとられたが。
この感覚には馴染みがあった。柱の半数ほどが、似たような空気を醸している。いずれも頭のネジが外れてしまった者たち。
だからといって柱ほど働けるとは、当然考えない。それでも、敵陣を真っ二つにして胡蝶しのぶと合流するくらいはやってのけるのではないか、そう思えた。
が、それとこれとは別。小芭内は、二人の尻を蹴り上げる。
「下らん事を喋ってないで早く行け」
「痛ぇ! ケツ蹴んじゃねえ!」
「あだっ、すいません!」
猪の方はともかく、馬鹿は妹さえ関わらなければそれなりに従順らしい。
並の隊士では追いつけない速度ですっ飛んでいく二人を見送り、ひっそり考える。実弥は耄碌したかと思ったが、あれで中々見極めが冴えている。あの分ならば、風柱担当を我妻善逸とやらが請け負い、実弥が上弦の弐へ突撃できるかも知れない。合流できれば、或いは今の二人も生き残ることができるだろう。
これからは木っ端鬼を散らして、戦線を少しずつ押し上げる。ある程度の所で柱が一斉に突入し、上弦を始末すれば終わりだ。
「……などと、簡単に行くわけも無し、か」
小芭内は皮肉げに口をつり上げた。
柱が複数来ると分かっていたのならば、むしろこちらが本命だろう。奇策は所詮奇策でしかなし。戦いの王道とはつまり、より強力な武力を用意する、これに尽きる。
未だ燻る前方から、理性を感じられるゆっくりとした歩みでこちらにやってくる姿を、確かに確認した。
夜の本番はこれからだ。
名も知れていない、どころか名もつけられていない小さな小さな村。そこは一夜にして、地獄道もかくやという光景になっていた。
満足を忘れ、狂った鬼の波濤。配属戦力で言えば、まだ蟲柱が到着していない胡蝶班に次いで乏しい東方軍は、しかしかなり優位に戦況を運んでいた。
これには障害物が多くて鬼の移動経路が限られていたとか、たまたま隠の配属数が多く、支援が充実していたという理由もあるが。最大の要因は、霞柱たる時透無一郎の存在だろう。
対多数において、最も優れた呼吸、それが霞の呼吸だった。
相手の行動に対する反応が乏しい飢えた鬼に、霞の呼吸特有の、幻惑する動きは効果が薄い。代わりに独特の歩法で相手の懐に潜り込み、複数の鬼を確実に仕留めるという手腕は、乱戦にてすこぶる力を発揮した。
これで恋柱・甘露寺蜜璃が健在であれば、また話は違っただろう。彼女の間合いは一般的な剣士の三倍以上。加えて体の柔軟性から型のつなぎ目がほとんど無く、広域をなぎ払う型を連続で放てていた。
彼女のが居ない以上、柱最大の殲滅能力は無一郎が持っている。故に、東方戦線はかなり余裕を持って鬼に対処できていた。
そして、参加している柱の中で、一番現状をよく理解しているのも彼だった。
上弦の弐は、自分の信者大半を鬼にして、飢餓状態で地下牢にでも封印してきたのだろう。そして、こちらの準備が整いきらず、かつ太陽が沈みきった絶妙な間で策を発動した。
計算、という程ではないが、頭の中で勘定をする。
対面に当たる西方線は見えないから仕方ないとして。南方は最初混乱していたが、後退を繰り返しながらも徐々に隊列を整えつつある。問題は、未だ柱不在の北側だ。今は人数でなんとか押しとどめているが、そう遠くない間に食い破られ、町の中に漏出するのが目に見えている。
霞の呼吸 弐ノ型・八重霞
霞の呼吸 肆ノ型・移流斬り
連続した型で、鬼四人の頚を跳ね、八人の四肢を削ぐ。自分の後ろに頚を落とす専用の隊士をつけておくだけで、こんなに大雑把なやり口でも十分だった。
「隠」
「ここに」
呼ぶと、無一郎の数歩後ろに音もなく現れる。決して近づいては、とりわけ刃の届く範疇には入らず、邪魔をしない事に徹していた。やはり優秀だ。
「君達で北の鬼をこちらに誘導することはできる?」
「不可能ではありませんが……」
隠の返答は暗い。恐らくは顔も青ざめているだろう。
無一郎が言っているのは、つまりお前たちの命を餌にして鬼どもをこちらへ引張れ、という事だ。
そんな真似をすれば、少なくない犠牲が出る。ここで死ねるか、と問うてるも同然の質問だった。だが、言わなければならない。
「胡蝶さんの到着が遅い。このままだと北側は崩壊して町に雪崩れ込んじゃうよ。あちらを守ると同時に、胡蝶さんが到着したと同時に内部へ突入できる状況を作っておきたい。無茶でもやって」
「承知」
今度の返事には、躊躇がなかった。
代わりに、無一郎が小さく呟く。
「……ごめん」
「いえ、我々も鬼殺隊の一員たるならば、もっと早くに覚悟を決めておくべき事柄ではございました。時透様は最善を尽くしております。ただ我々の番が来た、それだけなのです。どうかお気に病まぬよう」
慰めの言葉たれど、それで簡単に割り切れはしなかった。
できるのは、彼らの献身を絶対に裏切らないという決意と、必ずやこの外道を行った鬼に落とし前をつけるという決断。
悪鬼滅殺。全ての柱が己の剣に刻む言葉。悪たる鬼を許すまじ。そして無辜の民に安寧を。過去の記憶が曖昧で、自意識も薄い無一郎は、柱の中でも自覚が一番低いと分かっていた。
だが。既に理解できるできないなど、言っていられる場面ではない。
全力を。とにかく死力を。
皆が断固たる決意を持って鬼を殺すならば、自分は意思なき鬼斬り包丁。それでいい。自分すらも捨てて、最速最短最多を、効率のみを追求する。
「行って」
「霞柱もご武運を」
「危険なのは君達の方だよ」
軽口、と言えばいいのかも、無一郎には分からないが。隠が一足で消える。
程なくして、北方から大量の鬼が流入してきた。幾人か、尖った爪の先に血が付着している。隠からの連絡は……ない。
無一郎に怒りという感情はない。ただこの時は、無性にやるせなかった。
右翼を少し開かせ、鬼が無一郎へ流れて気安いように調整する。まるで蝗の群れだな、と光景を嫌悪感と共に吐き捨てた。
背後と、ついでに残党狩りは任せ、とにかく自分は中心へ割って入り所構わず斬りまくる。こういった時、相手が鬼であるというのは便利だ。付着した血油は勝手に溶けて消える。これが実態ある存在だったならば、たかだか一本の刀でこれほど連続で切り続けられなかっただろう。
ただひたすらに悪鬼滅殺を実行し続ける。
と――
無一郎は、咄嗟に体を捻った。頬を何かが掠め、一筋の血が流れる。間に存在していた、無数の鬼をも切り裂いてだ。
「ああ本当、厄介だなあ」
手は止めないまま、攻撃が飛んできた方を真っ直ぐ見る。
手間ではあるが、所詮はそれだけの塵芥。そんなものとは次元の違う化け物がやってきた。順当に力をつけて、強力な血鬼術を得た、いずれ下弦の鬼に届く程の鬼。
それ単体ならばたいしたことは無い。奴の頚を跳ねるのに瞬きほどの時間も要らないだろう。同様に、鬼の群れだけでも無一郎なら時間がかかるというだけだ。
だが、暴れる能無しを異能の鬼に上手く使われたとなれば。それは、北側の危機を考慮してやれないほどの重圧となって彼に襲いかかる。
(手は緩めず、でもこの中から異能の鬼を探し出す。ちょっと、他の事を気にしていられそうにないな)
理想で言うなら、ここを手早く片付けて最低限の隊士だけ残し、自分は万世極楽教本部へと突入するつもりだったが。
ままならない。が、それこそ愚痴っていても仕方が無い。
今すべきなのは、こそこそ隠れてこちらに嫌がらせをしてくる敵を確実に殺すこと。それに深く集中しながら、バラバラにしていった鬼の体を掻い潜り走った。
胡蝶しのぶは継子である栗花落カナヲを連れて、全速力で走っていた。
周囲は既に、万世極楽教本部の異常に気がついて、逃げ惑う人で溢れている。そのため通り近くにいるにも関わらず、屋根を跳ねるよう強要されていた。
既に混乱が広がっているという事は、既に戦闘は始まっている。明らかな出遅れ。気持ちは逸っていたが、それで実際に足が伸びる訳でもない。焦燥感は増すばかりで、その一因に自分の足が遅いというのも理解していた。
「師範、大丈夫ですか?」
「なんとか」
小さく返す。
元より身体能力ではカナヲと比べるべくもなく、しのぶは低かった。だが、それを加味しても、今の彼女は鈍足に過ぎる。
原因は分かっている。毒の過剰摂取による肉体の損壊。体を運用するには力を伝達する必要があるわけだが、その力の発生源である筋肉が壊れかけている。今の胡蝶しのぶは、人というより柱というより、鬼特攻の毒袋と言った方が正しい。
とはいえ、これだけ体が鈍るのは計算外だった。前々から総合的な力量はカナヲに抜かれつつあると思っていたが、今は確実にカナヲの方が強い。
(上弦の弐に会うまでは、激しい動きは避けたかったんだけど……)
来る前に、最後の毒を注射した。血の巡りが早くなれば成る程、毒がしのぶの体をも蝕む。服薬の影響で彼女の最盛期はとうに過ぎ、後は衰退していくばかりだ。
――幾度となく見た悪夢がある。決して振り払うことはできず、しかし現実にも届かない。故に夢幻。
鬼は強くなれば成る程毒の効果が下がる。上弦の鬼ともなれば、あっさり対応してくるだろう事は簡単に予想がついた。なにより自分は、いずれ鬼舞辻無惨と対峙した時、確実に戦力たり得ない。
なればこそ、命の使いどころは間違えてはならなかった。
(最弱の柱一人と上弦の鬼一人なら、採算は取れている)
悪夢に追いつかれて死ぬくらいなら、自ら悪夢に飛び込む。それが、自分が最後にできる奉公だ。その程度の覚悟、無いわけがなかった。ましてや相手が姉の敵ならば、言うことなど無い。
幸いにも、次世代は育っている。しのぶが直接関与したのは、義勇が面倒を見ていた竈門炭治郎だけだったが。彼はいずれ柱になるだろう。彼の話を信じるならば、同格の者があと二人いるらしい。自分の継子にもカナヲがおり、彼女もまた、いずれ柱に届くだろう逸材だ。後顧の憂いはない。
だからこそ、そうさせるにも上手く騙す必要がある。
柱と思わせる程度の能力を残し、抵抗し抵抗し抵抗し尽くしてなお届かず、最後に自分を喰わせて死ぬ。そこまでしてやっとしのぶの策は完成だ。
故に、ここで毒を巡りきらせるのは良くないのだが。さすがにこれだけ遅れてしまっていれば、四の五の言っていられない。
「カナヲ、そちらの状況は分かりますか?」
「風柱様と、あと一人誰かが、かなり奮闘なさっているようです。それでもまだ手が足りないのか、優勢とまでは言えなさそうです」
「そうですか。私不在の負荷は、かなり不死川さんと時透君に面倒見て貰ってしまっているようですね」
状況は、無一郎が盾として機能し、他の二方面が矛となって挑んでいるようだ。とりわけ無一郎には、かなりの数の鬼を請け負って貰っているらしい。柱不在の北方線は、悲しいかな完全に足手まとい。これから挽回するしかない。
守勢に回るにしろ攻勢に出るにしよ、まずすべきは戦線の復元だ。今のままだといずれ町に鬼が雪崩れ込む。死者の数は勘定するのも馬鹿馬鹿しい程になり、町中に散った鬼のいくらかは逃がす羽目になってしまう。
鬼と戦う時は、殲滅戦以外ありえない。鬼狩りの鉄則だ。
(可能な限り運動をせずに立て直して、上弦の弐へ向かわないと)
かなり難しい要求だ。が、それが何だというのだ。そもそも鬼を殺すという行為からして、簡単だった事など一度としてない。
最後に一花咲かせるならば、それくらいやりきってみせる。
かなり近づいて分かったが、鬼達はどれも『成り立て』のようだ。考えてみれば、見えている範疇だけでも百に近い鬼を各所から集めるのは難しい。恐らくはこの地に住まう人間を片っ端から鬼にしたのだろう。胸くそ悪い話だ。
本当に長く思えた時間をやっと乗り越え、最前線へとたどり着く。同時に刀を軽く捻り、刃に毒を染みこませた。
蟲の呼吸 蜻蛉ノ舞・複眼六角
神速の六連突き。
本来ならば一人に対して調合を変えた六種の毒をたたき込む技だが、今回は六人に対して放っている。これはある程度の力を持つ鬼だと、一種類では持ち前の肉体強度と再生力で無力化される恐れがあるため、多重の毒でそれを防いでいる訳だが。成り立てであるならば、一種類だけでも十分だ。
あくまで、殺すという点に限って言えば。
確実な死の脅威を前にして、しかし鬼達は止まらなかった。むしろ狂暴さを増して、手当たり次第に襲いかかっている。
(空腹が苦痛を凌駕している……もしくは双方の区別がついていない!?)
蟲の呼吸には明確な欠点がある。他の呼吸と違って、相手に毒が浸透する必要がある、つまり即効性で劣った。
体が崩れ落ちるまでの幾ばくか、鬼は勢いを僅かも削がずに近場の隊士に掴みかかり。
花の呼吸 弐ノ型・御影梅
その手が届く前に、カナヲによって頚を断たれた。
同時に地面へ立った二人が、背中合わせになる。
しのぶは小さく舌打ちした。ただでさえ今の力はカナヲに劣る上、しのぶにとって状況があまりにも劣悪すぎた。
この手の鬼は、最終選別でいくらか相手をした事がある。その時問題が起きなかったのは、鬼の数が少なかったのと、周囲に人が居なかったからだ。敵も味方も多数である事が、これほど厄介だとは思わなかった。もっとも、こんな状況を経験した事がある隊士など、それこそ一人も居ないだろうが。
いくら相手を確実に殺す毒を打ち込んだ所で、その前に仲間を殺されるのでは意味が無い。現状において、しのぶは完全にカナヲの下位互換となってしまった。
(足首か膝裏の腱を狙う? でも、それだと毒の周りが遅い)
足を壊せば、確かに鬼の動きは止められるだろう。だが、毒は鬼の頭にまで回らなければ死なない。つまり、頭から離れた位置に打ち込むほど死ぬまでの時間が遅くなる。あまり有意義とは言いがたい。かといって、しのぶは刀の形状的にも腕力的にも、鬼の体を破壊する能力はなかった。
悪い状況はさらに続く。
ただ飢えて暴れ回るだけの鬼とは明らかに格が違う、強力な鬼が姿を見せた。どういった理屈か空を飛び、悠然とこちらを見下ろしている。飛行能力、いや、浮遊能力を持った鬼か。
支援型の血鬼術を持った鬼は攻撃性こそ高くないが、代わりにやたらとしぶとい。付け加えるならば、空中から一方的に攻撃されるのは、それだけで強い圧力となり気を散らされる。
幾多もの可能性を考えて、しのぶは即座に決断した。
(優先順位を間違えては駄目。第一が人に被害を出さない事。第二に上弦の弐討伐。鬼の殲滅はあくまで三番目)
命に序列を付ける。我が決断ながら、非道にして卑劣だと思った。
だが、どうしたって譲れない。
即座に納刀。毒を補充し、体を撓ませた。十分に力を乗せた所で、一気に解放する。
胡蝶しのぶ。最弱にして鬼殺隊の中で最も非力な隊士。しかしたた一つ、加速力と、それに連動した突きの鋭さだけは誰にも負けない。
彼女の姿は影すら置き去りにせんばかりに跳ね上がり、一気に空飛ぶ鬼の眼前まで迫った。鬼の表情は、にやけ面のまま。一瞬でこの距離を詰められたと理解していない。
蟲の呼吸 蝶ノ舞・戯れ
すれ違い様に両肩と股関節を突き刺し、ついでに上空で体を捻り、脳天にかかと落としをたたき込む。未だ鬼は何が起きたかも分からず、為す術無く墜落していった。軽い音を立てて着地するしのぶとは対照的に、鬼はえげつない音を立てて頭から叩き付けられる。
さすがに蹴りと地面に叩き付けられた程度でどうにかなるほど脆くはない。が、確実に毒は回った。毒の影響で、再生能力や血鬼術にも少なくない影響が出るだろう。
「カナヲ、ここは任せます」
「師範!? 待って下さい師範!」
声に振り向きもせず、しのぶは走り始めた。珍しくカナヲが声を荒らげる。
しのぶは、毒の服用も上弦の弐を殺す手立ても、何一つとして伝えていない。あらゆる可能性を考慮した結果、心が芽生え始めたばかりの少女は知らない方がいいと判断した。
彼女は思慮をどこか捨てているところがあるものの、決して察しが悪いわけではない。事実、ここに来るまでも、幾度となくこちらに何かを言いたげにしていた。決死の覚悟は見抜かれていただろう。
だからこそ、これ以上を見せるわけにはいかない。
しのぶが死んだ後、実弥か小芭内が弱った上弦の弐を始末してくれるだろう。泣きはらすのも後悔するのも、全てその後でいい。
毒で弱った鬼は、カナヲならば問題なく倒せるだろう。そのまま死ぬ可能性だって低くはないのだ。
憂いは、ない。
だから。しのぶは後の全てを己の継子に任せ、仇に向かって怨念の炎を燃やした。
西方戦線は、鬼殺隊圧倒的優位で進んでいた。
時透無一郎が北側の敵を引っ張ったおかげで、他の戦場は大分楽になった。西は一番恩恵が少ないものの、しかし戦力という意味では一番高い。ましてや鬼殺隊屈指の経験を持つ実弥(何しろ日輪刀なし呼吸なしで延々鬼を狩っていた男である)がいれば、攻撃の要になるだろう事は分かっていた。
だが、西方軍――というより不死川実弥と我妻善逸は、それこそ当人たちですら予想していない速度で鬼を殺し回っていた。
理由は自分だ、と言いたいところだが、それはつまらない意地ですらないと実弥が一番分かっていた。
原因は我妻善逸。こいつがひたすらに上手い。強い、ではなく上手い。それこそ単純な戦力であれば、実弥の方が二段は上だろう。だが善逸は、連携――とりわけ人に鬼の頚を取らせるのがすこぶる得意だった。
軽く刃を振るっただけに見える。鬼にかすり傷を与えただけに見える。しかしその度に、鬼は大きく姿勢を崩し、まるで首を差し出すように隊士の前に倒れ込んでいた。
(力の流れと人体の急所を把握する能力がとてつもなく高え。恐らく善逸は自覚してねえだろうが)
という事はつまり、これは獪岳の技能だ。
他者の剣技を覚えるなど眉唾だと思っていたし、今まで彼と一緒にいても、蓄積した技術が開花しただけだと思っていた。こういうのは思い込みが大事なため、善逸に面と向かって言わなかっただけで。
が、これは単に眠っていた才能がどうので片付けられる程度を超えている。圧倒的な経験がなければ実現しえない。広い戦域、自分が前線に立ちつつ敵味方不足なく把握しつつ手元で転がすなど、それこそ自分どころか柱の誰一人としてできないだろう。
実弥とて、五大呼吸を把握している。善逸の動きは、とてもではないがつい最近まで壱ノ型しか使えなかった者の動きでも、大規模な戦闘を経験した事の無い者の考え方でもない。
(経験やら技術やらの譲渡、ねえ。信憑性持たせてくれるじゃねェか)
しかも本人に自覚はないが、実弥に完全な追従をし、的確な援護をしている。おかげで鬼を斬るのが楽で仕方が無い。
(これが全部獪岳のおかげだってんなら、成る程、壱ノ型さえ使えればなんて惜しまれる訳だ)
技術は贔屓目なしに柱級、これは善逸の指導にあたってすぐ知った。だが、人を率いらせてもこれほどとは思わなんだ。人を率いて戦わせれば、間違いなく鬼殺隊最強だろう。少なくとも実弥には、逆立ちしたって真似できない。
同時に、成る程と納得する部分もあった。確かにこんな技能があって階級上位を率いるならば、上弦の鬼二匹相手に、情報を抜き出しつつ時間稼ぎ等という離れ業も不可能ではない。もっとも、それとて命を投げ捨てるに等しい覚悟が必要だっただろうが。
とにかく、今戦場を支配しているのは実弥ではなく善逸だ。鬼の殺害率、隊士の生存率共に他所とは比較にならない。
実弥は一瞬、方針を変更すべきかと考えた。つまり、今の実弥を活かす方策から、善逸に合わせる作戦へ。恐らくその方が、討伐速度が速い。
一瞬だけ考えて、止めることにした。
単に善逸の性格が、一番前に出て戦うのに向いていないと言うのもあるが。それ以上に、これが獪岳から与えられたものに根差すならば、小器用に戦い方を変えられるという信頼は持てなかったからだ。
より良い選択はあるものの、さすがに未知数が過ぎる。今のままでも十分ならば、妥協も必要だろう。
(鍛え方を変える必要があんな。技の高度化を目指すんじゃなくて、とにかく
当然、そんなものはここを両者が生きて抜けた後という、絵に描いた餅ではある。
その後も大した被害はなく、討伐は順調に行われた。当初は戦力比二〇対一以上だったのは、今は五対一未満なのだから、これは誇っていい戦績だ。
こちら側もそこそこ死者戦闘不能者が出てしまたが、それはまあ仕方が無い、無傷で倒そうなどと言う都合がいい事は考えていなかった上、他の人員は元々ただの上弦の弐包囲要員だったのだから期待もない。酷い言い様になるが、この程度で死ぬ奴は端から戦力たり得ないのだ。可哀想だが所詮使い捨て、死んでも已む無し。
そんなことより、考えなければいけないのは、この作戦の意味だ。
上弦の弐がただの嫌がらせで鬼をまき散らしたならいいが、希望的観測は厳禁。一番厄介なのが、適度に荒らしてとっとと逃げ出すという方策だろう。次に厄介なのが、こんな程度で手こずっている所を柱各個撃破。どちらであっても面倒くさいことこの上ない。
(ンなら、相手が予想外の速度で攻め込むしかねえよなァ)
それが現実的なのは、間違いなくここ西方戦線だ。
「善逸ゥ! こんな奴らとっとと始末すんぞォ!」
「うえ!? はいっ!」
一瞬ぎょっとする弟子であったが、しかし動きには澱みなど無く、どこまでも正確に実弥の動きに追従する。
思考を捨てた、ただひたすらの鏖殺。今日だけで鬼の討伐数が五〇を超えるのではないかと思えるのではないかと思えるほどの勢いで、ひたすらに殺しまくった。もっとも、いちいち数など考えていない。この程度の相手など、数えるに値しなかった。
戦力比が三対一を切る。隊士に大分余裕ができた上、戦列も完全に立て直した。これならば、よほどの失敗をしなければ鬼を取り逃がす事はないだろう。
実弥は決断していた事を、即座に実行した。
「俺たちゃ本丸を叩くぞ! ついてこい!」
「へぁ」
なんだか訳の分からない返事だったが、まあ体はついてきているので良しとする。
行きがけの駄賃とばかりに直線上の鬼を斬り殺しながら、万世極楽教本部へと一直線に突っ込み。
「んぐッ!」
「ぐえぇ……」
いきなり、背中を引っ張られた。
(なんだ!?)
さすがにその程度で転ぶほど、柔な鍛え方はしていないが。それでも姿勢を崩してしまう。
次の瞬間にでも攻撃が飛んでくる事を想定し――自分ならそうする――上半身だけでも保つが、幸いにと言うべきか相手が阿呆だと言うべきか、追撃は飛んでこなかった。
強襲があったと思われる背後に転じながら構える。
そこには今まで確かに存在しなかった一匹の鬼が、悠然と立っていた。背丈は小さく、胡蝶しのぶよりさらに頭半分ほど低い。全身を梵字だかなんだかが細かくぎっしり刻まれた布で巻いており、露出しているのは口元近辺だけ。ぱっと見では珍妙な装いではあるものの、特に異形という訳ではない。が、実弥の感は告げていた。こいつは強力な鬼だ。
「血鬼術・
甲高い声。子供という風でもない。生前は女だったのだろう。それが、端的に血鬼術の名を告げていた。
鬼と実弥らのちょうど中間点あたりに杭が刺さっており、そこから伸びた鎖が二人に絡まっている。重さや動きづらさは感じず、本当にただその場に縫い付ける事だけが目的の能力らしい。もっとも、この状態が長く続けばどうかるかまでは分からないが。
あくまで実弥の経験則になるが、血鬼術にそこまで理不尽な能力は無い。必ずどこかに抵抗手段がある。これは鬼の力が足りないだとか、想像力の欠如だとかいう問題ではない、と考えている。いかな血鬼術といえど、土台はあくまで自然の摂理、この世の理があり、それを超越することはできないのだろう。
「我が縛赫牢は人を捉える力。一人だけ、良いか、一人だけじゃ。我が檻に捉えられた時点で、二人が抜け出る事は叶わぬ。片方だけが外へ抜けて良い。必ず半分を見捨てなければならぬ」
「随分とまあ、べらべら喋ってくれるじゃねえかァ」
「これから死にゆく者への手向けじゃ」
成る程、この鬼は縛赫牢とやらで今まで一人も逃さず殺してきたのだろう。運のいい事に。
試しに鎖を切ろうと試みる。鎖はそこに存在しないかのように、刃は通り抜けていった。見かけだけで本質は別の所にあるのか、それとも他に絡繰りがあるのか。今は解き明かしているほど余裕はない。
鬼が語った内容は、逆説的に血鬼術の万能性を否定するものでもある。全員を完全に閉じ込める事はできない。穴であったりほころびであったり、どこかに必ず限界ないしは制限がある。
血鬼術は確かに不可能を可能にする。ただし、不可逆たりえはしない。今の今までこうして生きてこれたのがその証だ。
(なら、こっからどうするかって話だ)
高速で取り得る手段を計算する。
取り得る手段は三つ。実弥が残る。善逸が残る。二人とも残る。
(まず最後はありえねえ。上弦の鬼に対して徒に時間を与えるだけだ。ここだけに時間稼ぎの鬼が来た可能性は、まあ無いとは言わねえが低いだろうな。てこたあ、どの方面も柱が動けてねえ可能性が高え。胡蝶と時透の所は知らねえが、伊黒の所は善逸の友人だっつう小僧二人が空くか。だとすりゃあ……)
実弥は鬼から視線を切らないまま、善逸に向かって手を振った。
「お前は先に行け! 俺はコイツを始末してから行く!」
「え? でも、二人でやった方が……」
「その間に上弦の弐が仕掛けてきたらどうすんだ! いいからはよ走れ!」
善逸は、なおももの言いたげにしていたが。檄を飛ばすと、歯を食いしばりながらも言うとおりにした。
彼の数少ない長所。泣こうが喚こうが叫ぼうが、言われたことはとりあえず素直に聞く。
消えつつある気配に満足しながら、実弥は眼前の鬼へと集中した。
(これでいい。アイツの腕は俺程じゃねえにしても、柱にそう見劣りしねえ。小僧二人が向かわせられた場合、総合力は俺よか善逸が行った方が圧倒的に上だ。仮に伊黒が向かってたとしても、そもそも連携なんてしたことねえんだから状況は大して変わらねえ。今はこれが最適解)
まあ、と一息入れて。
(強え方が残って即座にぶっ殺しちまえば、どっちが残るかなんざ関係なくなる)
実のところ、それが最大の理由だった。
瞬で片付ける。意思を殺意に変えて、柱最高峰の速度で鬼の頚に食らいつかんと刃を煌めかせた。
が、剣は標的の遙か手前で弾かれる。いつの間にか、鬼の周囲に深紅の柱が何本も立っていた。まるで、と言うか、まるっきり鬼を囲んで守るように。
「血鬼術・
ぎりぎりと、口惜しげに歯を食いしばる鬼。様子から、本当にそうだとまるで疑ってはいないのだろう。
もっとも、頭から否定できる事でもない。血鬼術の強度に、それだけは認める。いくら型ではなく、打撃点も違ってたとはいえ、柱になってから実弥の一撃を受けきった鬼はほとんど記憶にない。
(強くはねえ。所詮は雑魚狩り専門の血鬼術だ。が、厄介ではあるな)
とりわけ今の状況に限って言えば、この上ない血鬼術の持ち主だと言えた。
一つ、舌打ちを吐き捨てる。どうやら最良の計画は破棄せざるを得ない。
(俺が着くまでやられんじゃねえぞ)
刀を翻し、呼吸を深く吸いながら。この『城』を名乗るに相応しい鬼をどう攻略するか、慣れない行動に愚痴りたくなりながらも、頭を回転させ始めた。