獪岳と善逸   作:山筋

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残したもの、残されたもの

 呼吸の極意とは何か。答えはそれぞれの流派によって異なる。

 炭治郎に聞けば『間合い』だと返ってくるし、伊之助なら『腕』だと答える。前、しのぶに聞いたときは『背中』だと言われた。

 雷の呼吸においては、師や兄弟子に問えば『脚』と解をなす。つまりそれほど速度を重要視しているという事だ。雷の呼吸はあらゆる要素に優先して――それこそ剣技ですら二の次になりかねないほど――走行能力に主眼を置く。

 逆に言えば雷の呼吸は、()()においてのみ、鬼をも超えようと試行錯誤された、ある意味で唯一無二の呼吸だった。

 

()()ッ!」

 

 鬼殺隊の歴史でも、ほとんど例が無かったのではないだろうか。緩急による誤魔化しで鬼を追い抜くのではなく、純然たる数値で鬼を圧倒した事というのは。

 獪岳の生み出した秘技にして絶技にして欠陥技。歩の型、陰電荷。これを説明するには一言で事足りる、早く上手く疾走する、それだけだ。壱ノ型という必殺が使えない獪岳は、これを苦肉の策と考えていたのだろう。しかし――贔屓目もあるのだろうが――善逸の解釈は違った。上弦の鬼を相手する場合、これより頼りになる型は存在しない。

 今の彼は、隊士百人を瞬く間に全滅させるほどの血鬼術を、容易く避け、潜り込んでいた。童磨の血鬼術は、冷気の霧を除いて対多数で最大の力を発揮するものだ。こちらの動きに付いてこれない時点で、価値は半分以下となる。

 上弦の弐ほどの相手を翻弄する様は、まるで冗談じみていた。もはや対童磨の主力は、完全に善逸へ移っている。

 

「凄いなあ! 本当に凄い。これはもしかして、獪岳を超えたんじゃないのかい?」

「随分と……余裕のおしゃべりですね!」

「余裕なんかないさ。これでも一杯一杯だぜ」

 

 だが。敵もまた上弦の鬼。

 手足くらいは簡単に取れるが、頚までは届かない。これは総合的に見れば鬼が圧倒した能力を持っているというのもあるが、それ以上に経験の差があった。童磨が鬼となって何人の隊士を始末したかは知らないが、その中には確実に雷の呼吸を使った隊士も居る。つまり、精度は違えど手口は割れているわけだ。

 同時に、以前獪岳と戦ったことがあるというのも大きな意味を持つだろう。

 善逸が扱う技術と経験の大半は、獪岳から貰ったものである。童磨の裏を掻けるような手などなければ、それを思いつけるほどの応用力は、善逸にはまだなかった。これまで経験は善逸に味方していたが、ここに来て価値が逆転した。行く先を悉く先回りされ、どうしても頚に手が届く範囲に近寄らせて貰えない。

 

「うーん、さっきまでとは違う意味で千日手だぜ」

 

 呟くが、趨勢がどちらに傾きやすくなっているかなど承知だろう。

 相手がしのぶを完全に無視したとしても、決定力を持つ者が三人。間合いに入れば自分もろとも、と考えざるを得ない以上、常に三方向から狙われている事になる。どちらの集中力が先に途切れやすいかは言うまでもない。

 だからこそ童磨も、対処しやすいよう誘導しているのだが。

 冷気の波動と極冷凍氷は(少なくとも善逸にとって)ほぼ脅威とならない。厄介なのは広域かつ唐突に生み出される氷と霧だ。童磨はとりわけ霧を使って蠢く斑のように展開している。狡猾なのが、それの制御を半ば手放している事だ。

 意識していないため、極端に位置を読み取りづらい。下手に踏もうものならあっという間に肺が壊れる。相手からしても、大雑把な誘導さえできれば、行動の制限には十分だろう。完璧とまでは言えないが、相手にとってはそれで十分。

 酷い言い方だが、こちらは一人までなら脱落していい。ここに実弥がいれば、同じ判断をするはずだ。無論、彼みたいに死んでも仕方ないとまで割り切れはしないが。

 

(炭治郎、伊之助!)

 

 行動ごとに、視線で二人と示し合わせる。しのぶは元より彼らとて、さほど長い付き合いではないが。それでも僅かが連携の是非を分け隔てる。

 半ば確信していた。自分たちの体力が切れるより早く、相手の小細工を上回れるだろうと。

 

「うーん……」

 

 その考えを補強するように、童磨が悩んだ。攻撃が鈍った訳でもないが、それでも確信する。相手は引き時を測った。

 同じものを感じ取ったかのように、しのぶが懐に飛び込んだ。

 

「逃がしませんよ」

「おや、君の攻撃はもう効かないって言った気がするんだけどね」

 

 鉄扇の一扇ぎと共に、鋼より硬い吹雪が当たりを薙ぐ。当てるつもりがあったのかどうかは知らないが、しのぶはギリギリで範囲外に逃げていた。

 襲撃者を特に追おうともせず、善逸の方に向き返って。唐突に、童磨が膝をついた。

 

「あれれ?」

「私の毒は、何もお前たちを殺すためだけのものしかない訳ではありませんよ。例えば体を縛る事に特化した毒などは、殺すためのそれとは素材からして別物です」

「へえ、凄いや。痩せても枯れても柱という所かな。さすが、簡単にはいかないぜ」

 

 言いながら、ぎらりと輝くしのぶの瞳に、何か危ういものを感じた。何というか、わざと自分に注目を集めているというか。

 

(そういうの考慮するのって、普通は柱の役割だろ!?)

 

 内心絶叫するが、前のめりになっているしのぶに届くはずもなく。彼女はかなり無茶に見える攻めを続行した。

 だがそこにありがたさがないかと言うとそうでもなく。確かに、童磨の足が止まったという事実は追い風だ。血鬼術の冴えに些かも陰りがないのは痛いものの、足踏みさせるだけで大分楽にはなる。

 

「このままじゃあ逃げることもままならないねえ。じゃあ――血鬼術・さざれ冬花繚乱(とうかりょうらん)

 

 扇をぐるりと一回りするように舞わせる。

 一瞬、血鬼術の不発かと思った。しかし、影響はすぐ後に現れる。

 地鳴りがしたのだ。自然に生まれるものとは違う、不自然で不規則な歪み。水面のあらゆる位置から強烈な波紋が生まれた。

 

「壁へ!」

 

 咄嗟に叫ぶ。言葉が届く前に、全員が反応していた。全員が壁の高い位置へ剣を突き立てて、様子を見る。

 水の中できらつくそれは、種とでも表現すべきだろうか。みるみるうちに育って、水上通路をも破壊し、辺り一面に氷でできた蓮の花を作った。

 氷像の植物が侵したのは、水面だけではない。根は下に伸び、容易く床が砕け散る。水を張れる程なのだから、相当な強度があるはずなのに。鬼にかかれば、朽ちたベニヤ板ほどの意味も無かった。

 底が抜け、全てが一階へと墜落していく。その振動たるや、しっかり壁に固定しているはずの体が、危うく落ちそうにはる程だった。

 振動が終わり、壁の一部から水がちょろちょろと下に落ちる。眼下では氷の花と瓦礫に囲まれながら、童磨が脳天気に声をかけてきた。

 

「おーい、降りてこようぜ。まあ、君達がそこに引きこもるっていうなら止めはしないけど、俺は帰らせて貰うよ。ここに来た隊士全員、無駄死にだねえ」

「ッ……! 相変わらず」

 

 小さく毒づくしのぶに、内心で同意する。本当に、挑発が上手い。そんな風に言われてしまえば、降りざるを得なかった。

 足下が不安定な床にも、難なく着地する。降りる場所は選ばなかった。既に、水と氷がない場所など無いのだから。

 

「さて、実はここ、面白い絡繰りがあってねえ」

 

 言いながら、童磨が何かをした。何をしたかまでは分からない。と言うのも、血鬼術が発動したのは視界の外だったからだ。音でだけ、何かを操作したのが掴める。

 床の何点かが開き、そこから水が溢れた。決して大量ではないが、床を湿らせるには十分な勢いだろう。

 

「忘れて貰わないように言っておくけど、ここは俺の領域だぜ。当然、自分が有利になるような機能くらいあるさ」

 

 中央は既に水浸し。八方からも水が迫ってくる。覆した状況を、さらに逆転された。

 童磨が意地の悪い笑みを浮かべて、宣言した。

 

「第二回戦だ。頑張って戦わないとすぐ死んでしまうぜ?」

 

 攻めるなら今。判断し飛び込もうとするが、さすがに上弦の弐の方が早い。

 落ちて砕けた氷が繋がっていき、あっという間に元の花園へと戻る。一輪ごとが子供ほどもありそうな、巨大な蓮の花。それらが一斉に咲き、そして散った。

 

大結晶(だいけっしょう)厳冬(げんとう)(まい)

 

 氷の花弁が舞い散る、と言えば聞こえはいいかもしれないが。実態はそんな生やさしいものではない。

 一枚一枚が人間の胴体を両断できるような程の花弁が、数百枚。童磨の掌に合わせて高速で駆け巡っている。やっていることは霰の霧と同じだが。直接的殺傷能力、攻撃範囲共に桁違いの性能だった。

 花弁の強度も、極冷気の氷に比べれば柔らかいが、それでも鉄板くらいは簡単に切断する。事実、広間内の鉄板が張られた柱やら床やらが、ほとんど抵抗なく切られていた。接触したときの音がほとんど無いのが、花弁の強度と切れ味を教えている。

 さらに厄介なのが。

 

「くそっ! 増えんのかよ!」

「半端は駄目だ! 細かく切り刻め!」

 

 花弁は、切ったところで消えないという点だった。元々巨大だから、半分になったところでさして問題無いのだろう。以前人を殺すには十分な大きさのそれは、当り前にように冷気に乗って猛威を振るう。

 

(おまけにこの部屋の狭さ……! 自由に動けない!)

 

 先ほどの部屋に倍する大きさの広間ではあるが、氷刃は内部全体を覆って有り余る。得意の高速移動を半ば封じられた形になっていた。

 しかも、散った花に再度つぼみが作られようとしていた。血鬼術の限界か、それとも水の量が足りてないのか、速度は遅々としたものだったが。どちらにしろ、これから数が増えこそすれ、減りはしない事の証左である。

 いっそ花弁を振り切れれば、と幾度か試したが、駄目だった。さすがに限られた空間内で鬼の知覚能力を振り切るののは不可能だし、そもそも氷刃は広間を満たしている。逃げ場はない。

 刃が通る度に地形を変えられ、余裕を持った踏み込みを要求されるのも、この切羽詰まった状況では地味に面倒だった。

 

「ほらほら、のんびりしてる暇はないぜ。外からも水は迫ってきているし……ほら、第二陣だ」

 

 蓮の花が開ききると、またもひらりと冷気に乗った。さすがに一度目ほどの量はないが、それでも減らされた花びらを補って有り余る量がある。

 

「あぐぅっ!」

「いっ……でぇ!」

「善逸!? 伊之助!」

 

 善逸は脇腹に、伊之助は左太股に、それぞれ刃を喰らってしまう。慌てて刀で弾いた。そんな真似をすれば傷口は広がるが、接触部位から凍らされて壊死してしまうよりは百倍ましだ。

 不味いことになった、と自覚する。剣筋が鈍り始めているのだ。善逸のみならず、同程度の階級なら斬鉄くらい鼻歌交じりにできる。それを斬り損じたと言うことは、それだけ体力が目減りしているのだろう。

 とりわけ体が小さく、また調子が悪いしのぶは深刻だった。善逸らのように大きな傷は負っていないが、既にそこら中切り傷だらけで、羽織が目を覆いたくなるような色をしている。刀すら刺突特化にするほど偏った技術の持ち主だと考えると、むしろ自分たちより遙かに上手くやっているのだろうが。

 ともあれ、全員の共通認識はある。第三波は耐えられない。

 

「く……! 二人とも俺の所へ! しのぶさんは俺の後ろに!」

 

 炭治郎が切羽詰まった声で叫ぶ。

 言葉の意図は分からない。ただ、この物量を前にして、一カ所に集まるなど危険極まりない。炭治郎が無策である可能性は考慮する価値もないが、それにしたって恐怖が強かった。「対策があるかも」で賭けるには、後がなさ過ぎる。

 それでも、従わなければじり貧である以上、無視もできなかった。

 

「ちくしょー! 炭治郎ほんとどうにかしてくれよ!」

「なんかすんのか、ははは! っつぅ」

 

 この時ばかりは、伊之助の脳天気さがうらやましかった。際に立たされて脳天気でいられるといのは才能だ。彼の半分でも図太さがあれば、もう少し楽に生きられただろうに。

 障害物をなぎ払いつつ、一点に集中した善逸らに、童磨は呆れたように声を上げる。

 

「それは悪手だと思うんだけどなあ。まあいいや、お望み通り……全て一度に喰らわせてあげるよ」

 

 開かれた鉄扇が、上下から挟み込むように閉じられる。

 一筋の冷気が過ぎ去り。次の瞬間現れたのは、八方上下まで囲む、氷刃の壁だった。人間どころか、髪の毛一本通り抜ける隙間すらない。

 

「しのぶさんは休んで、二人は後ろだけ頼む! 他は全部……俺が斬る!」

 

 確定された死を前にして、しかし炭治郎の心音には、不安の一欠片さえなかった。恐怖がない訳ではない。自信とも違う。こういうものを、覚悟と言うのだろうか。

 炭治郎の呼吸が切り替わる。とてつもなく深くまで響く、しかしどこまでも透き通るような音。これだけで尋常ならざる技だというのが分かる。

 

「拾壱ノ型・凪」

 

 呟きと共に、刀が腕ごと消えた。いや、消えたと錯覚するほどに素早く振られている。

 ありきたりな言い方をするならば、それは斬撃の結界だった。射程内に入ったもの全てを切り伏せる。防御の極みにある型だ。

 宙を支配していた白が、次々と剥がされていく。まともに受ければ日輪刀すら折れる程の無限刃が、まるで粉雪を払うが如く散っていった。もっとも、見るほど簡単な技じゃないのは、体から聞こえる異音から知ることができる。

 

「……すっげえ」

 

 伊之助が思わず呟くのも、無理なからぬ事だ。本当に、絶技としか言いようがないのだから。一方面を二人がかりで担当している善逸らからすれば、異次元の防御力である。

 

「もしや……冨岡さんの型?」

「これはさすがに予想外だなあ。しかも、二人目の痣持ちか」

 

 上弦の鬼が何故『痣』とやらを重視しているのかは分からないが。炭治郎にも痣が現れているならば、この獅子奮迅の活躍も納得がいった。痣は、体力の消耗を早める代わりに、身体能力を大きく上げてくれる。

 時間にすればほんの僅かだっただろう。体感では一刻にすら感じる守勢が終わり、やがて花弁の弾丸が尽きた。

 

「ッ……はぁ! はぁ!」

 

 炭治郎は今にも倒れ込みそうな状態で、息を荒くしている。常中すら維持できないほど消耗している証だ。

 童磨も何が手がある事を考慮して、花びらを全て投入はしなかった。だが、これで一割未満にまで減ってしまったのには変わりない。彼は目を見開いて、鉄扇で口元を覆っていた。

 手も動かさず。ひっそりと舞った二枚の花弁が、炭治郎に襲いかかった。

 

「させるか!」

「温いんだよ!」

 

 善逸と伊之助で、きっちりと破壊する。

 こちらの手が終わり気が抜け、さらに自分自身は動かない事で攻撃はないと思わせての不意打ち。こういった策略において、童磨は如才なかった。とはいえ、これだけ何度も食らっているのだ。獪岳の経験など関係無しに慣れてきた。

 奇策まで対処して。初めて、童磨の顔から、ほんの少しだけ余裕が失われた。

 今までの涼やかなものとは違い、がりがりと音を立て、床を鉄扇で削る。その軌跡に沿って、極冷気で作った塊が大きくなっていき、やがて子供ほどの大きさになった。外見は童磨とほぼ同じで、二回りほど小さくしたような姿だ。それが四体。

 

「結晶ノ御子。こいつは俺と同じだけの能力を発揮できるぜ。外も佳境だし、いい加減君達の相手ばかりしてられないから、そろそろ決着付けさせて貰うよ」

 

 一人につき一体、爆ぜるように飛んできた氷像。咄嗟に氷扇の一撃を刀で受け止め、そして吹き飛ばされた。

 

(おっ……も!)

 

 腕から背中までの骨が軋む。今まではなんとか受け流していたものを、まともに貰ってしまった。腕が痺れて、反撃ができない。

 なんとか間合いを作ろうとしている時、音を聞いた。童磨が血鬼術を扱うときに奏でる、特有の音色。

 ぎょっとしながら、咄嗟に体を捻る。

 側頭部を半ば削るようにして、氷の刃が過ぎ去った。花弁のように洗練したものとは違い、とても荒々しい刃。刃の側面から棘のように飛び出た氷柱が、耳の上を細かく裂きながら凍らせた。

 

「あっぐ!」

「この人形、血鬼術まで使えやがんのかよ!」

「ぐ、がふっ」

 

 不味い。善逸と伊之助はまだ余力はあるが、今のしのぶと炭治郎には荷が重すぎる。とりわけ炭治郎は全力を絞り出した直後で、まだ呼吸すら整っていない。呼吸が使えなければ、隊士などちょっと体力がある普通の人間だ。

 

(でも、分かったことはある!)

 

 反撃の為に作った呼吸を中断し、声を上げた。

 

「みんなぁ! この人形は本人より大分弱い! 頑張ってくれ!」

 

 恐らく、善逸だけが気づけた事実。聴力に優れ、獪岳と実弥、両者の薫陶を受けた善逸だけが。

 結晶ノ御子とやらで作った人形は、あくまで『童磨が認識する限り』で自分と同等の力を持つのだろう。でなければ、洗練されてほとんど異音のない童磨の血鬼術と違って、非常に無駄が多く不細工な音を出す訳がない。近接戦闘能力も、同じ身体能力と技術があるだけで、術者ほど上手く運用できていない。でなければ、善逸は追撃で死んでいたし、炭治郎としのぶが生き残っているのもおかしい。

 どれだけ能力があろうとも、使い方が杜撰ならやりようはある。

 

「伊之助!」

「おう!」

 

 ここに術者が交ざってくるのか、それとも大技を準備しているのか。どちらであったとしても、時間をかければ待っているのは死だ。即座に決めなければならない。

 獣の呼吸 肆ノ牙・切細裂き

 伊之助の技は、簡単に避けられる。だがそれで構わない。元から人形を集めるのが目的だ。

 雷の呼吸 壱ノ型・霹靂一閃・四連

 一撃では破壊しきれない可能性を考慮し(何しろ氷の塊だ。頚を斬ってどうにかなると楽観はできない)重心を狙って十文字に切る。すかさず伊之助が粉々に砕くが、その必要もないようだった。これで二体撃破。

 やはり氷人形は本体より弱かった。血鬼術の規模そのものは同等なのかも知れないが、判断力がないのでは宝の持ち腐れ。一応こちらの攻撃に反応し防御をする仕草は見せたが、はっきり言って全く無意味だ。体と同じ強度の氷扇を掲げたところで、氷が切れるなら問題ないに決まっている。

 やはり、童磨は戦いを生業にする者ではない。判断力が、反応速度が、ほんの少し違うだけでどれだけ大きな差ができるか分かっていなかった。氷人形が自分と同等と言ったのもそうで、強さを表面的な数字でしか見られていない。

 

(これでもまだ氷人形にこだわってくれれば楽だけど……)

 

 当然、それほど甘くなかった。

 今の一瞬で、善逸と同等以上の力を持つ隊士なら、さほど意味が無いと知られた。彼はとっとと氷人形に見切りを付け、何かの準備に集中している。つまり、残り二体を破壊するより、血鬼術の発動が早いと判断している。

 端末など無視して斬りかかるべきか、一瞬迷ったつけは、伊之助が支払うことになってしまった。

 

「っでぇ!」

 

 ぎょっとして振り向くと、氷像とほぼ二対一の状態で一撃を食らい、猪の面を吹き飛ばされる姿。

 

(何やってんだ俺は!)

 

 自覚は無かったが、頭がどんどん鈍っていた。普段から使い慣れていないのだから、獪岳の真似をしたって無理が出てくるのは当然だというのに。

 急いで救援に向かう。氷像の一体が翻って来たものの、問題にはならない。蔦のような血鬼術は全部切り伏せ、胴体を破壊する――と見せかけて刀を腕に絡め、もう一体へと投げつけた。伊之助との合流を優先する。

 

「大丈夫かよ?」

「あぁ? こんなもん何でもねえ!」

 

 がしがしと、荒々しく額を拭う伊之助。出血量は多いが、本当に大した怪我ではないらしい。意識も動きもしっかりしている。

 

「おや? 君の顔、見覚えがあるねえ。いつだったかなあ。割と最近だと思うんだけど」

「あ? 俺はお前なんざ知らねえ!」

 

 伊之助を見ながら、童磨がそんなことを呟く。

 正直、相手にしている余裕はない。いつ攻撃に転じられるか分からない以上、聞き耳だけは立てる必要があった。しのぶの不調は相変わらず響いており、戦力として数えるのは難しい。炭治郎の復帰もまだ時間がかかりそうだ。

 時間をかけながらも、しかし確実に氷像を削っていく。そんな中、ぐぢりという異様な音が響いた。肉と骨を同時に潰す、酷く不快な音。それだけで吐き気を覚える。視界の端に映った童磨は、指を頭の中に突っ込んでいた。

 

「うんうん、思い出した! 十四年くらい前だったかな、君そっくりの女の子が万世極楽教(うち)に駆け込んできてね。可哀想な子だったぜ。亭主に暴力を振るわれる上、頭が弱い子だったんだ。自分では何一つできず、誰かに頼る事でしか生きていけなかった。ちなみに、その子は小さな赤ちゃんを抱えていたなあ。確か『伊之助』って名付けてたよ。おや、君もそう呼ばれているね。偶然かなあ?」

「聞くな伊之助!」

 

 炭治郎が割り込むように絶叫する。だが、もう手遅れだった。伊之助の動きがあからさまに鈍る。

 歯を食いしばりながら、再び霹靂一閃を二連続で放つ。彼の働きが効いている間に、最低でも氷像一体は撃破しなければならない。

 思惑は成功し、氷像を片方破壊できた。しかし伊之助は意識をほとんど童磨に取られており、これから下弦の鬼すら軽く屠るであろう人形を単独で相手する事になる。

 

「そう言えばそっちの子、しのぶちゃんだったっけ?」

「私の名前を呼ぶな。汚れる」

「刺々しいなあ。ともかく、しのぶちゃんと顔立ちが結構似ているね。もしかして母の面影を追いかけたりでもしたのかな。だとしたら泣ける話だねえ。ああ可哀想に、君も、とても可哀想だ」

 

 伊之助の手がブルブルと震え、ほとんどその場で棒立ちになる。炭治郎が焦って戦線復帰するが、まだ全集中の呼吸を使えるまでには回復していなかった。

 しのぶの上手な援護もあってなんとか形にはなっている。だが、血鬼術の完成を考えれば猶予はない。

 現状を忘れたかのように、伊之助は、心から吹き上がるものを堪えるように呟いた。

 

「テメェ……その女をどうした……?」

「ん? 現実が分からない訳じゃないだろうに、もしかして認めたくないのかい。彼女――琴葉はね、馬鹿だったけど勘だけはとても良かったんだ。同時に好奇心旺盛で、哀れな事にそれを抑えるだけの自制心がなかった。おっと、勘違いして欲しくないんだけどね、彼女はいるよ。俺と共に、永遠を生きているんだぜ」

「回りくどい言い方してんじゃねえ! はっきり言いやがれ!」

「はは、何を怒っているんだい? ()()()よ。当然じゃないか。だから、嘆く必要はないんだぜ。()()()()だ。だから安心しておくれ」

 

 言葉を半ばにすら聞いていない善逸ですら、ぞっとする様子。童磨は全くの、心の底から本気で言っている。

 童磨が、無邪気な笑顔を浮かべて手を叩く。

 

「そうだ! いいことを思いついた! 俺は普段女の子しか食べないんだけどね、伊之助、君も特別に食べてあげるぜ。そうすれば俺の中で、母親と一緒になれる。どうだい、いい話だろう? 俺の中で親子水入らず、過ごすといいさ」

 

 言葉に。

 ぶちりと、何かが切れる音を確かに聞いた。

 

「あああああアアアアアァァ!」

 

 伊之助が吠える。室内を割るような慟哭の中、人の心を知らぬ鬼だけがきょとんとしていた。

 伊之助の左肩あたりから首筋にかけて、渦を巻くような痣が生まれてくる。同時に、気配が爆発的に膨れた。いや、叩き付けられたと行った方が正しいかも知れない。それこそ伊之助のように気配など察知できない善逸が、肌にひりつくほどの圧力を感じているのだから。

 怒れる獣が姿を消す。瞬間移動じみたそれが突撃だと気づけたのは、氷人形が粉々に砕けてからだった。舞い散り反射された光を浴びながら、男は絶叫する。

 ある意味これは、予想できた結果だった。痣の効果は身をもって体験したし、他者に現れたらどれほどの力を得るかも炭治郎が教えてくれた。ましてや、自分たち三人の中では一番強かった伊之助に発現したのだ。簡単な事ではないだろうが、難しくもなかっただろう。

 

「ぶっ! 殺してやるぅぁァァ!」

「怖いこと言うなあ。せっかくお母さんと一緒にしてあげるって言ってるのに、何故そんなに怒るんだい? でもどっちにしろ……」

 

 獣の呼吸 参ノ牙・喰い裂き

 首を起点に、両側から食いちぎらんとする、獣の様な牙。もしこれが初撃だったならば、童磨の頚を取っていたかも知れない。しかし、一度見せてしまった以上は。

 伊之助の体が、真逆に吹き飛ぶ。善逸と炭治郎が慌てて受け止めた。あまりの勢いと足場の悪さから、いくらか圧されたが。それでもなんとか受け止めきる。

 

「もう俺の血鬼術は完成してるんだぜ。霧氷・睡蓮菩薩。ついでに白鳥舞踊(しらとりぶよう)

 

 身の丈の五倍はありそうな巨大菩薩像。それと童磨を囲み現れた無数の、武器を持った氷の兵隊。時間をかけて作り上げただけある規模だ。

 そしてもう一つ、童磨から感じる『自信』の音。この血鬼術、とりわけ菩薩の方は、恐らく対柱に編み出された技だ。どこがどう、と問われれば困るが。とにかく音が違う。なんと言えばいいのか、とにかくとてつもなく深く重い。

 伊之助の体を確認してみる。幸いなことに、目立った外傷はなかった。打撲程度はあったが、動けない程ではない。骨折も……まあ隊士などしていれば良くあることだ。ただ、咄嗟に変な受け方をした為か、それとも古い刀を使っていた為か、片方折れていた。

 

「伊之助、立てるか?」

「こんなもん大した事ねえ!」

 

 跳ね起きるものの、動きは微妙に鈍い。最悪、骨折の可能性を考える必要がある。

 もっとも、怪我に関しては伊之助一人が問題ではない。この場に居る全員がもれなく重傷と言っていい程だし、一度落ち着いてしまえば体が動かなくなるだろう。

 

(救援は……柱はまだ来ないのか!?)

 

 頭を、弱音がよぎった。あまり意味の無い弱音。

 柱の到着を察知すれば、童磨は当然、決着を急ぐだろう。逃げるにしても戦うにしても。鬼の体なら無茶はいくらでもできる。今、再生力にものを言わせた戦い方をしないのは、この後にある戦いの温存と、しのぶが扱う毒の脅威を忘れてないからだ。

 後詰めに柱が居ること、そして柱の到着がまだであること。相反する二つの要因が、皮肉にもまだ善逸らを生かしている。

 

「皆」

 

 しのぶがぽつりと呟いた。

 

「後を頼みます」

 

 何を、と問う暇も無く。納刀したしのぶの刀が、きちきちと幾度も機械音を立てる。そして抜刀した瞬間、童磨へと突撃を始めた。

 獪岳の技術は柱に勝るとも劣らない。逆に言えば、凌駕している要素はないという事だ。彼の技を相続し基礎技術が格段に向上した善逸は、もうどれほど脆くとも、床を踏み抜くような事はない。つまり、全ての柱も同様だと言うことだ。

 なのに、しのぶの踏み込みは、ひたすら強力だった。一歩一歩が床を割り、めくり上がらせるほど。

 その型を、善逸は知っていた。一度だけ見せて貰ったことがある。蟲の呼吸の中でも、唯一、速力に優れた雷の呼吸や、緩急を利用した幻惑の歩法を持つ霞の呼吸に匹敵する技。蜈蚣ノ舞・百足蛇腹。とにかく敵に捕捉されない事と、速度より貫通力に重きを置いた一撃。

 最重の一撃にも、しかし童磨は対応して見せた。氷の兵を間に割り込ませ、反撃に剣を突き出してくる。

 避けようのないそれを、しのぶはとんでもない方法で対応した。左腕を盾のように掲げ、骨と骨の隙間にわざと突き刺させる。そして腕を捻りながら外に追いやり、勢いを僅かも減衰しないまま、刀を兵士ごと童磨に突き刺した。

 溢れる血を知りながらも、上弦の弐はなお余裕の表情だった。氷の兵隊が剣を再度振れば、呆気なく吹き飛ぶ少女の矮躯。氷に張り付いた肉が剥がれ、ぶちぶちと音を立てながら千切れる。小さな体に一拍遅れて、細かい血肉が宙を舞った。

 悲鳴を上げたくなるような、凄惨な光景。だが、今はそんなことを考えている余裕はない。理解しなければいけないのは、しのぶはもう戦闘不能だという事だ。いや、もしかしたら再起すら不可能かも知れない。

 

「捨て身の一撃かい? でも残念だね、君はもうとっくに、戦力たり得なかったんだ。大丈夫! か弱くて足手まといな君でも、ちゃんと後で食べてあげる……から……」

 

 嬉々として語る童磨の様子が、みるみるうちにおかしくなる、

 今までの毒とは違うのが一目で分かった。肌に発疹が広がっていき、呼吸が荒くなる。元々血色がいいとは言えない顔がさらに青ざめ、意識も朦朧とし始めているようだった。体調の急激な悪化に伴い、血鬼術にも悪影響が出ている。

 

「なん……だい……これ」

 

 こきゅーこひゅーと、か細い息をしながら問いかける。しのぶは顔に己の血を貼り付けた状態のまま、凄惨に嘲った。

 

「アナフィラキシー現象という言葉を知っていますか? 人間の免疫系が過剰反応を起こすことによって、全身を逆に攻撃してしまう現象らしいですよ。まだ明確な定義とは言いがたく、論文程度の情報でしかありませんが。現状でも悪用するには十分な知識ではあります」

 

 しのぶの攻撃は、自滅覚悟ではあったものの、自殺と同義のそれではなかった。明確に計算された上での『戦術』。

 

「それは……」

「ふふ、そうですよ。貴方は解毒を()()()()()()()症状が悪化する。上手くいくかは賭けでしたが、どうやら私の勝ちですね。さあどうしますか? 解毒をしなければ死、でもすれば地獄。中々面白い状況でしょう?」

 

 しのぶは笑みを深めて続けた。

 

「私は頚も切れない隊士ですが、あらゆる毒を発明し、鬼に通じるものをいくつも生み出した、ちょっと凄い人なんですよ」

「い、い、意地の悪い……事を……考えるなあ。でも……治療しきってしまえば……終わるって事だよね……?」

「ええそうですとも。彼らがそんな余裕をくれれば、ですが」

 

 しのぶの宣言通りに、善逸らは攻撃を厚くした。

 

「しのぶさんの死を無駄にするなぁ!」

「まだ死んでねえだろ!」

「洒落にならない事言うな善逸!」

 

 冗談は非難囂々だった。いつもの自分なら、こんな事言わないのだが。一体どこから出てきたんだろうか。獪岳の影響かも知れない。

 何かを捨てなければいけない童磨の選択は、至極単純かつ当然のものだった。血鬼術の精度を落とさない程度に治療を続けるというもの。苦痛だけは甘んじて受け入れる。他に方法がないのだから、当然と言えば当然だろうが。

 今までも毒の影響で自由自在とは言いがたかったが、今度は完全に案山子だ。しのぶがくれた千載一遇の好機、逃すわけにはいかない。

 とはいえ、こちらも万全とは言いがたい。善逸は腹の深い傷から出血しすぎて目眩が起きかけているし、炭治郎も先の型が祟って両腕が酷く鬱血している、伊之助などは一番酷く、足を貫かれている上に体の何カ所をも骨折していた。全員が全員、戦闘不能になっていてもおかしくない。

 でも。

 

「根比べなら負ける気ないぞ!」

 

 泣いても。叫んでも。逃げても。罵っても。結局最後には修行を続け、ここまで来た。今更止まれなどしない。

 菩薩像に特殊な能力は無い。ただ早くて頑丈で力が強い。動きと共に冷気の霧をまき散らしてはいるが、それはもう脅威ではないので無視していい。総じて、単純であるが故に厄介だ。氷の兵隊は、童磨像程ではないとはいえ血鬼術を扱えるが、こちらは細やかなものだ。ただ一つ、間合いが伸びるため、その判断だけは誤れない。

 完全に守りを固めた童磨を相手に、善逸らは弧を描くように動き回りながら、なんとか隙を探した。いくら守勢といっても、気を抜けば血鬼術か、巨大菩薩像に捻り殺される。とりわけ菩薩像はこちらの気にでも反応しているのか、的確に攻撃の始まりを潰してきた。正直に言って、これ一体だけで上弦の鬼と言われても納得できそうな程に強い。

 誰かが菩薩像を引き受けなければならない。あの素早く強力な攻撃を回避できる速度があって、いざという時には、即座に攻撃へと参加できる、そんな能力を持つならば言うことはない。

 つまり、善逸だ。

 

(怖ぇよ、怖ぇけど――覚悟を決めろ、俺!)

 

 恐怖を押しつぶせないまま目を閉じる。全身に力を入れた際、脇腹の筋肉に圧されて吹き出る血と同時に、体を爆ぜさせた。

 飛び込むと同時に、空を砕くような音を立てて唸る豪腕。それを皮一枚で避け、腕に深く切れ込みを入れた。上半身しかない故に足を狙うことはできず、巨体のせいで、刀の長さより手や首の直径が長い。すぐ直されると分かっていながら、少しでも動きを制限するのが精々だった。

 

「善逸!?」

「オメェ何やってんだ!」

「いいから! 敵に集中しろ! こ、こっちは俺が請け負う!」

 

 震える声で精一杯格好付ける善逸に過ぎったのは、後悔。やらなきゃよかった、という類いのものではない。何故これを、獪岳が隣にいる時、発揮できなかったのかという苦悶だ。

 

(違う!)

 

 強く否定する。

 

(今はまだ、感傷に浸る時じゃない! 後でいいんだ! 何もかも、喜びも悲しみも、全部後で!)

 

 瞼を強く閉じながら唱えた。

 見る必要は無い。氷像ら全ての音はうるさい程だし、動きを欺瞞する程の知能も無い。恐らく状況ごとに決められた動きをこなしているだけ。これほどまで無為に動くのならば、視覚はむしろ邪魔だ。倒せと言われたら、善逸には攻撃力――具体的に言えば刀の長さ――が足りないが。気を引くだけならば今のままでも十分。

 掌の一撃を潜り、蔦を切り、勢いよく落ちてくる蓮の花を砕く。時折炭治郎や伊之助に向かいそうになるのは、力押しで留めた。

 兵士の隙間を掻い潜って、童磨に接近しようとする伊之助を潰さんと、巨腕を振り上げる菩薩。しかし伊之助は、その姿を一顧だにしなかった。信じている、というほど上等なものではないかもしれない。だが、必ず善逸が止めると、そう確信していた。

 相手がどんなつもりであれ。そんな風に扱われれば、心だって躍る。

 雷の呼吸 伍ノ型・熱界雷・飛

 元から上に切り上げる熱界雷を、さらに高く飛びながら放つ。菩薩はすぐ優先順位を欠けて、空中で身動きの取れない善逸を、両手で挟み潰そうとしてきた。

 善逸には、それに対処する術はない。だが。この手の嘘と駆け引きは、獪岳の十八番だ。

 即座に伍ノ型を中断、体を斜めに倒す。そして、合掌しようとする掌を足場にして再加速、別の型へと切り替える。

 弐ノ型・稲魂

 菩薩の顔面に幾重もの切創を入れてやる。鬼どころか生物ですらないため、この程度でひるみはしない。さらに追いかけてくる拳は肩を滑るようにして避け、追いかけてくる噴霧を刀で散らした。

 帰りがけに手首を半ばまで切断し、背中側に降りる。

 その頃には、伊之助の刃が届く範囲にまで童磨に接近していた。

 

「死イイイィィねエエエェェェ!」

 

 双刀が、上段から振り下ろされて。

 二つの鉄扇が、それらを完全に受け止めていた。

 

「別に……全く動けないって……訳じゃないんだぜ」

 

 苦しそうに喉を鳴らしながらも、しかしはっきりと言い切る。後は後ろから串刺しにされて終わりかと思われたその時。

 伊之助は、力で競り合うことなど全くせずに、刀を捨てた。

 

「!?」

 

 これに驚愕したのは童磨だけではない。あまりの無茶に、しのぶすらも絶句する。

 だが。しのぶがただの無謀でなければ、彼もまた、ただの突撃ではなかった。

 

「ヴぉらァ!」

「ぐ……っ!」

 

 伊之助は懐に潜り込むと、拳を叩き付けた。一度ではない。二度、三度と的確に人体急所へめり込ませる。

 上弦の鬼の吸収能力はとてつもなく、拳を叩き付ける度に拳が抉れていく。だがそんなものお構いなしに、彼は連打を早く、強くした。日輪刀を介さない攻撃は傷にこそならないが、しかし痛みはある。実際、童磨の顔は歪んでいた。

 

「ラぁ!」

 

 強烈な蹴り上げが、童磨の顎を捉える。衝撃が脳まで達したのか、一瞬、彼の体が弛緩し自分の位置を見失った。

 おまけとばかりに、肩から体当たりをぶちかます。頭を揺らされた上、体も浮いていた鬼は、為す術もなく防衛網の外へはじき出された。

 途中、兵士の攻撃は何度か伊之助を掠めていた。深くはないが、決して浅くもない傷だ。それでも彼は、折れていない方の刀だけ持って逃げ出しながら、元気に雄叫びを上げた。

 

「喧嘩する時は体を小さくして力を貯めながら懐に潜り込み、下からかち上げる、だったなあ! どうだ、ガハハハハハ!」

 

 それは、いつか貰った獪岳の教え。

 自分だけではない。皆の中に、獪岳が生きている。そこに意味があるかどうかなど分からなかった。ただ、自分だけではない。それだけが事実。

 地面に着地する前、菩薩の背中を足場にし、体に思い切り力を貯めた。冷気に当てられすぎて、足首から先の感覚がなくなっていたが、ここで弱音など吐いていられなかった。納刀しつつ全身を大げさなほど引き絞った、獪岳に言わせれば「前のめり過ぎる」攻撃姿勢。

 ――思えば、今日は獪岳の声があまりにも聞こえすぎていた。疑問がなかったわけではない。獪岳の技術を吸収するにつれて、声は小さくなっていたのだから。なぜここに来て、急に感度が上がったのか。善逸の力が一定を超えたから。童磨と対峙したから。時間が経過したから。謎は尽きない。

 ただ、これは全くの思い込みだが。獪岳の言葉をはっきり理解できるのは、あと何度もないと、そんな風に感じて仕方なかった。

 

『善逸、お前は俺にゃなれねえ。誰にもなれねえ。それはな、お前が既に「我妻善逸」っていう替えようのない確固とした一個人だからだ。どうしようもねえなら、それを貫き通すしかねえんだ。少なくとも俺はそうした』

 

 雷の呼吸

 

『お前は飛べねえ。だが、誰よりも早く走れる。それこそ俺よりも。ないものを悔やんで生きるより、あるもので楽しく生きようぜ。これは、俺がお前に教わったんだ。』

 

 壱の型

 

『どこに行ったっていい。どこにだって行ける。俺なんざいなくたってな。もう、頼れる仲間だっているんだろう? 前を向け。突っ込むのはお前の短所であり――長所だ。俺が保証する。多分、他の奴らだってな』

 

 神速・霹靂一閃

 

『見せてやれ。お前の歩んできた道、生きた証を』

 

 菩薩像が撓んで弾ける。それほど強烈な踏み込み。

 いつも霹靂一閃使用したときは、視界が歪むが。神速はさらに極端だ。ほんの一瞬だけだが、視界を失う。厄介なのは、その僅かな間には、既に相手を切り終えている所だ。強力な分、扱いもすこぶる難しい。霹靂一閃の最大連発数である六連に並ぶ、現在一応形になっている切り札。

 視界が真っ黒から、白黒に戻りかけて。感じ取ったのは、切った感触が半端であるという点だった。

 

(外した? いや、避けられた!)

 

 背後から強烈に咳き込む音と、血の臭いを感じる。

 即座に何をしたか理解した。毒への抵抗を止めて、アナフィラキシー現象とやらを収めたのだ。

 だからといって、神速・霹靂一閃を避けるなど並大抵ではないはずだ。元の才能が飛び抜けているのに加え、超人的な精神力。いや、むしろ精神が無であるからこそ可能な芸当だろうか。

 

(逃げるのでも反撃でもいい! とにかくすぐ……)

『その必要はねえ』

 

 あっさりとした、獪岳の一言。

 善逸とてぼんやり待ちぼうけしていたわけではない。必死に足掻いていたが、その必要はなかった。いきなり童磨が、半ば断たれた頚を掻きむしり始めたのだ。

 

「な、なん、なん、だ、これ」

 

 さして大きなものではなかったが。善逸の作った断面を中心にして、()()()()が生えていた。

 

「毒、分か、できな。鬼血じ、使えな」

 

 理由やら理屈やら、そんな細かいこと、善逸が理解できようはずもない。ただ、それは確かに、あの日あの時に見た獪岳の血鬼術だ。

 頭の中を、いろいろなものが駆け巡る。なんで獪岳の血鬼術が発動したのか。血鬼術だけが独立して物質に宿るなどという事があるのか。そもそも獪岳の血鬼術は物質を幾何学状に破壊するものではないのか。どのみち善逸に獪岳の全てを与えた現象と合わないが、どうであれ、鬼の頚に優先する事柄ではない。

 即座にもう一度霹靂一閃を放とうとして、しかし足は動かなかった。かくん、と膝から折れる。

 歯を食いしばって抜刀術の構えを取ったが、どうしても踏み出せなかった。これが最初で最後の勝機だと言うのに。

 だが、その思いに答えるようにして、炭治郎が走った。

 

「伊之助ぇ! 獣の呼吸、参ノ牙!」

「! おォ!」

 

 二人が前後から迫る。

 毒による苦痛と、血鬼術からくる痛みによる判断力の低下。その結果、炭治郎と伊之助、どちらに対処すべきかの逡巡。瞬きにも満たない間だったが、虎視眈々と今を狙っていた炭治郎にとっては、十分すぎた。

 

「喰い!」

「裂きィ!」

 

 鬼の頚に鋼が食い込む。鉄と鉄がぶつかり合うそれは、鐘の音に似ていた。

 天高く登った音色が消える頃、ごつんと一つの首が墜落する。時をほぼ同じくして、氷の軍団は少しずつ動きを鈍らせ、やがて倒れ込んだ。

 三人が倒れ込んだのと、首無し胴が転がったのは、ほとんど同時だった。もう誰一人として動く力は無い。辛うじてしのぶが剣をつっかえにして立ったが、それだってこれ以上戦えるようには見えなかった。

 

「おか、しいな」

 

 童磨のうわごと。

 こちらに語りかけているのか、或いはただの独り言か。はっきりとしているのは、彼はもう、どこも見ていないという事だ。

 

「俺が……こんな雑魚達に負けるなんて、あり得るのかい? 失敗したのは、どこだろう、なあ。一体どこ、どこで」

 

 ぶつぶつと、続けられる声。

 まだ死んでいない。少なくとも、血鬼術は動いていないだけで健在だ。もしかしたら、上弦の鬼は頚を斬っただけでは死なないのだろうか。だとしたら、早く立たなければ。戦わなければ。頭を粉々になるまで刻まなければ。思うのに、体は這うだけで精一杯だった。

 

「ああ、そっか」

 

 不意に、何かに気付いたような、童磨のやけにさっぱりした声色。

 

「これが、悔しいって、事なのか。これが、感情、なんだね。そうか、そうか……」

 

 はは、と声が上がる。不思議と、そこには作ったものがないように思えた。

 

「ありがとう。君達のおかげで、俺は最後に、感情を知る事ができたぜ。共感ってやつさ。悔いが残る、死に方だなあ。でも、これで、いいんだろう、なあ。本当に、感謝する、よ。ありがとう。心の底から、ありがとう……」

 

 どこに向けているかも分からない感謝を述べ続けながら。やっと滅びを受け入れるかのように、童磨の頭は綻び始めた。

 氷像らが崩れ落ち、広間に小さな振動を作る。とりわけ菩薩像が倒れ込んだときは、地震が起きたと錯覚するようなうなりを上げていた。世界がひび割れる。童磨という化け物が作り上げた、人を信仰という地獄へ引きずり込む世界が。

 

「これは、手向けさ。俺を、満足、させてくれた、せめてもの」

 

 呟きと同時に、童磨の胴体部分から冷気が舞った。今までのように攻撃的なものではない。多分、これはただの雪だ。はらはらと舞い、肌に落ちては溶けて消える。儚く、だからこそ美しい。

 

「俺には、理解、できない、けど。君達、は、こういうものを、好む、のだろう?」

 

 まだ喋りたそうではあったが。言い終えたところで、童磨の口が消えた。どこか名残惜しそうに目を細める。

 四人全員で、髪の一本まで崩れたのを確認して。やっと理解し、力を抜くことができた。

 上弦の弐討伐成功。実感できた時に覚えたのは、歓喜ではなく安堵だった。

 そこら中砕け散って非常に心地の悪い床に突っ伏しながら、息を吐く。疲れ切っているのに、全く眠れそうにない。そういう事もある。それでいいんだ、思うことにした。

 朝日がなくたって、明ける夜はある。鬼が消えた夜には、それを味わったっていい。

 

 

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