獪岳と善逸   作:山筋

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覚悟の輝き

 そう言えば昔、思ったことがある。

 祭りが終わって、片付けが済んだ後。櫓の建っていた場所に戻ったことがある。

 既にただの広場となっていたそこからは、いろいろな音が聞こえた。楽しかった祭りを惜しむ残滓。実行委員会がお疲れ様と言い合いながら酒を呷る音。興奮冷めやらぬまま、親の諫める声に反発しまだ寝たくないという子供。色々な残り香。

 そんな中、帰る場所のない善逸は、ぽつりと立っていた。寂しいとかそういうものではない。ただ、この場所は、まるで皆が避けているように何もなかった。何もない事に、なぜ誰も何も思わないのだろう。

 幼い頃に持った疑問を、今更にして理解した気がした。ああそうか、みんな満足したから振り向かなかったのだ。

 あの時の気持ちが、ほんの少しだけ分かった。そんな感傷に浸りながら、善逸は寝そべっていた。

 半壊した万世極楽教本部の、ほとんど中心地。首から上くらいしか動けない状態のまま、仰向けで底の抜けた天井を眺める。鬼との戦いを「祭り」と言えるならば、善逸は間違いなく、祭りの余韻に浸っていた。遠くから静まりつつある雑音が響いているのも、いかにもそれっぽい。違いがあるとすれば、全く心地よさはないという点だろうか。

 戦場跡地は、童磨の血鬼術が観測史上最大だったことも手伝い、酷い有様だった。

 頑丈な二階の床が抜け、膨大な質量が降り注いだ為、一階の床もほぼ全損。花弁が所構わず切り刻んだせいで、壁にも無事な場所はない。というか、一部崩れて向こう側の部屋が見えてしまっている場所もある。当然階段も崩れ落ちていた。最後の仕上げとばかりに、巨大菩薩像が倒壊した事により、遠くの床まで余すところなくひび割れている。溢れた水がこちらまで届いたのもあって、びちゃびちゃして気持ち悪い。それを抜きにしても天井だっていつ崩れるか分かったものではないし、体が動けばすぐにでも外に出ていただろう。

 

「みんなー、無事かー」

 

 気の抜けた炭治郎の声。さしもの彼も、上弦の弐と戦った後では強く保っていられないようだ。

 と、今になって筺から出てきた禰豆子が、死屍累々とした有様にオロオロしている。今まで寝ていたのか、状況を全く把握していない様子だった。とりあえず彼女が無事であった事にほっとする。さすがにあの極限状態で、禰豆子を庇いながらは戦えなかった。

 

「大丈夫に決まってんだろぉが」

 

 意地を張る伊之助の言葉も、全く気合いが入っていない。それもそうだ。

 全身至る所を骨折し、足を貫かれ、拳部分すら抉られている。総合的に見れば一番の大怪我だ。そもそも両腕がどす黒い紫に変色している上、全身切り傷がある炭治郎が一番軽傷だというのだからおかしい。

 

「私も大丈夫ですよ」

「俺はもう駄目だよぉ。助けてくれよぉぉ」

「……よし、みんな大丈夫だな」

 

 さらりと無視される。ちょっと傷ついた。

 とすん、と小さな音は、しのぶが尻餅をついたからだ。ほとんど気合いだけで立っていたのだから、なるべくしてなったとしか言えない。骨が見えるほど肉を抉られておきながら、鬼にとどめを刺そうとしたのだ。一体どういう精神力をしていたらそんなことが可能なのか。

 弱音を吐いたら、小さくなった禰豆子がやってきて、どうしようかとあたふたした後頭を撫でてくれた。癒やされた。

 

「ねえ、善逸くん」

「はい?」

 

 いきなりしのぶから声をかけられて、やや声音を裏返らせつつも返事をする。

 声色は非常に弱々しい。伊之助ほどではないにしても、彼女だって死にかけているのだから当然だ。というか落ち着き初めて分かったが、どうも怪我や戦闘の余波とは違う不協和音がしのぶの体から聞こえている気がする。

 

「仇、取りましたね。何か感想はありますか?」

「ええと……思っていたほど、こみ上げるものはありませんでした。なんて言うか、相手への怨みがどうのより、ああ、これでやっと獪岳が安らかに逝けるんだなって感じって言えばいいのかな」

 

 この辺り、上手く表現できない。ただ、童磨の死を確認した時点で、怨念じみたものは一切合切消えていた。

 

「そう、ですね。私も似たようなものです。元々は姉の敵を前にして煮えたぎっていた筈なのに。ほんと、不思議ですよねえ」

 

 小さく、クスクスと笑う。なんだか妙に幼く感じた。

 思い返せば、彼女はまだ十八歳だった。年上ではあるものの、たった二つ。情緒は自分と大差ない事を思い出す。感情が高ぶっているだけかも知れないし、もしかしたら、こちらが本来の胡蝶しのぶなのかも知れない。

 

「あはは。なんだか本当にもう、馬鹿みたい。あはははは」

「え? ちょっと、その、しのぶ……さん?」

 

 というかこれは、壊れ始めてないだろうか。一人でけたけた笑い続ける様は、控えめに言って怖い。

 こちらが引いている様子など全く無視して――或いは気付かず――独白を続けた。

 

「私の戦い方は、所詮弱者が生んだ苦肉の策。毒が通じない敵には絶対勝てない事は分かっていた。だってそうじゃない? 私は姉さんと比べて、こんなにも弱いんだから。多分、格上相手だったらカナヲにだって劣るわ。だから切り札を最後の最後まで隠して、次に繋げるため、上弦の弐に致命的な一撃を加えるはずだったのに。そうなのね、案外現実ってこんなものなんだわ。本当に笑うしかないわ。これって裏切られたって言うのかしら? 少なくとも肩すかしではある。私って本当に、涙すら出ないほど馬鹿だわ。喜劇極まってる。あは、あはは!」

「ちょ、しのぶさん? しのぶさん! 善逸ぅ、そっちからしのぶさん見えてる!? 明らかにおかしいぞ!」

「ヤベェぞ、どうしちまったんだ!」

「見えてるけどわかんない! 目の焦点が合ってないし滅茶苦茶怖いよ!」

 

 三人が戸惑っている間も、なんだかよく分からない独り言を続けた。ただ意識が朦朧としているだけには見えない。この高揚、というか酩酊にも似た感覚は、戦闘後の興奮だけでは説明がつかない。

 既にしのぶの目は、焦点が合っていなかった。どころか、眼球が僅かながら伸縮している。

 善逸とてそれほど見た経験があるわけではないが、この症状をあえて当てはめるとするならば、麻薬中毒者だ。まさか薬学に通じ、自制心が強いしのぶが、阿片やら大麻やらになど手を付けると思ってはいないが。いや、痛み止めとして無理矢理服用している可能性もなくはない。柱として働くためには、それくらい平気でしどうだ。

 

「ははは……がぼぶべぼぶぼぼ……」

「ギャアアアァァァ!」

 

 異様な高笑いを続けていたしのぶの急変に、善逸は絶叫した。

 

「善逸!? 何があったんだ! なんかすっごい血の匂いと藤の匂いが溢れてるんだけど!」

「おいおいおい! しのぶの気配がめちゃくちゃ薄まってんぞ! 死ぬぞこいつ!」

「ち、ち、血を! えらい勢いで吐血した! 何これ何これ何これ!?」

 

 柔らかい笑みを維持したまま、吐くだけ吐いて。しのぶはいきなり昏倒した。

 先ほどのように、最低限の力を残したまま、姿勢を保って座り込んだのとは違う。完全に脱力して倒れ込んだ。頭を割れた床にたたきつけ、軽く跳ねさせる。そんな状態であっても、表情が全く変わらなかった事に症状の重さを見せつけられた。

 善逸は顔面蒼白になりながら、しかしその様を眺めているしかない。

 

(体調の著しい悪化、意識の混濁、おまけに失神……おまけに炭治郎が言っていた、血の中に混じった藤の匂い。これってもしかして……!)

 

 全てが頭の中で繋がる。

 しのぶはこの戦いの中、多種多様の調合をした薬(あえてこう表現する)を使っていた。普通の毒に麻痺作用、おまけに“あなふぃらきしー現象”とやら。もしかして、それらを切り札に見せかけて布石であり、真の切り札は別にあったのではないか。例えば、仇討ちに目を曇らせているように見せかけて、違和感を感じられない程度に無茶な攻撃を繰り返し、最後に自分を喰わせる。相手は自分が、上弦の鬼すら死に至らしめる、ないしは致命的な量の毒を盛られると気づけないように。

 だとすれば、彼女は今日死ぬ気だったのだ。死んでも倒す、ではなく、死んで倒すという覚悟で。

 生き残った事で、そのツケが一気に回ってきた。

 

「ちょおっ! 誰か、誰か動けない! このままだとしのぶさん死んじゃう!」

「んなもん俺が、ぬおぉ、ぐべっ」

 

 伊之助がなんとか立ち上がろうとして失敗し、歪んだ床の斜面を転がり落ちる。

 

「無茶すんなバカ! お前一番重傷なんだぞ!」

「誰がバカだやんのかアァ!?」

「禰豆子、なんとかならないか?」

 

 炭治郎に問われるものの、あまりにも藤の花の香りが強すぎて、どうにも近づけないようだった。

 彼女の血鬼術は、対鬼特化である。特化しすぎていると言ってもいい。これがただの炎だったら、周りの血だけを焼いて救援に向かうという手も打てたのだろうが。藤の香を警戒して、周囲をぐるぐる回るだけしかできない。

 と、言うかだ。

 

「しのぶさんも心配だけど、正直俺もやばい……さっきから痛み全然感じないし、なんか眠たくなってきた」

「寝るなー! 堪えろ善逸!」

「へん、弱味噌め。俺はまだ……まだ……」

「伊之助も! なるべく安静にしろ!」

 

 童磨討伐実行部隊。曲がりなりにも精鋭部隊として派遣された筈なのだが、勝った上で全滅しそうになっていた。このままどれほどか放置されていれば、本当に全員死んでいただろう。

 死ぬのって案外怖くないんだなー、などと暢気な事を思う。自分がそうなった時は、もっと泣いて騒ぐだろうと考えていた。現実は、ただただ眠気との戦いだ。

 外から響く音が静まって、いよいよ炭治郎も口数が少なくなった頃だった。やっと応援、というか救援がやってきたのは。

 最初に飛び込んできたのは、女の子だった(栗花落カナヲと言っただろうが。確か、炭治郎と仲が良かった。恨めしい)。内部の惨状を見てぎょっとしながらも、足早にこちらへ向かってくる。

 

「…………! 炭治郎!?」

 

 真っ先に見付けた炭治郎に、思わず絶句するカナヲ。一番軽傷といえど、立てないくらい消耗しているのだから当然だろう。が、そんな状態でなお、炭治郎は声を張り上げた。

 

「俺よりしのぶさんを! 本当に死にかけてる!」

 

 え、と思わず呆けた表情で当たりを探して。目に入ったのは、血だまりの中に沈み、意識もないしのぶだった。声を詰まらせたような、小さな悲鳴が彼女から上がる。

 

「師範!」

 

 絶叫しながら駆け寄るカナヲに向けて。善逸は気力を振り絞って、声を上げた。

 

「毒だ! しのぶさんは大量の毒を服用してる! だから、ゲホッ、怪我の治療だけじゃなくて、解毒もしないと……」

「うん、分かった!」

 

 言って、しのぶに触れようとした瞬間、気がついたように顔を上げる。

 

「でも、あなたたちが。師範だけなんて……」

「いいからはよ行け! 俺様がこの程度でどうにかなると思ってんのか! んなこと言ってる間に運べ! 死ぬぞそいつ!」

「っ……! ごめん! それと、ありがとう!」

 

 言って、今度こそカナヲはしのぶを担いだ。身長差がほとんど無いため、背負うのに苦労している。

 カナヲは体重が、しのぶよりおよそ三割近く重い。これはカナヲが重すぎるのではなく、しのぶが極端に筋肉が付きづらい体質のせいだ。それでいて身長は指一つ分程度しか変わらない。ましてや完全に脱力した人間というのは、極端に動かしづらいのだ。荷紐もなしに負ぶって走るのは、相当苦労する。

 それでも師を助けたい一心か、相当な速度でカナヲは走って行った。

 ここで助けて貰えなかったのは残念だが、重傷者から優先になるのは仕方ない。外傷だけで言えば優先すべきは伊之助だが、毒がことのほか、しのぶに負担をかけていた。というか、一体どれほど毒を盛ったら身体能力が極端に下がるほどになるのか。

 ともあれ、これでカナヲも通りがけに、隊士なり隠なりに声をかけていってくれるだろう。後はそれを待つだけだ……まあ、来るまで生きていればだが。

 

「たんじろぉー。いのすけぇー。俺、実は遺言状書いてないんだよ……」

「いきなり何言ってるんだ!?」

「俺も書いてねえぞ。そもそも字が書けねえ。……ところで“ゆいごんじょう”って何だ?」

 

 アホの伊之助は放置するとして。善逸は弱々しく続けた。

 

「俺さ、お前らと一緒に居るの、嫌いじゃなかったよ」

「なんだおめえ、急に気持ち悪ぃな」

「この状況で遺言は本当に洒落にならないから本当にやめろ!」

 

 弱音を吐いたらかなり本気で炭治郎に怒られた。ちょっと怖い。そう言えば炭治郎は初対面の時もかなりの塩対応だったな、などと思い出す。いい人ではあるし優しくもあるのだが、決して甘やかしてはくれない男だ。

 

「そいつの言う通りだァ。テメェはいつも馬鹿な事ばかり言いやがる」

 

 いきなり近くで声をかけられて、びくりとした。いや、体は動かないので、気持ちだけだが。

 善逸の耳を当り前のように掻い潜るような相手は、そう何人も居ない。だから最初から誰だかは分かっていたが。それでもなんとか首を回し、相手を見た。そこには予想通りに、ここ数ヶ月ですっかり見慣れた、全身傷だらけのヤクザ顔。不死川実弥がいた。

 

「あ、不死川さん。俺、死にます」

「死なねェよ、こんくらいで」

「いや、結構本気で、体の感覚がないんですけど。腹に大穴空いてるのに痛みとか全然無いですし」

 

 前にしのぶ(いや、アオイだったか?)から教えて貰ったのだが、戦闘中に痛みを感じない事はよくある。だが、戦闘後まで痛みを感じないのは、かなり危険な状態だと言われた。だから注意するようにとも。

 まあ実際そんな場面に直面したら、どうしようもないという身も蓋もない現実が待っていただけだが。

 

「ちゃんと呼吸して体に活力送りこめや」

「ずっとやっててこれなんです」

「チッ、本当に死にかけじゃねえか」

 

 だからさっきからずっとそう言ってるじゃないですか、と思ったが。言えば、こんな状態でも拳骨が飛んできかねないのでやめた。

 呼吸は血液に影響し、血液内で一緒に流れる何かに影響する――らしい。だから呼吸によって身体能力が上がる。のだが、そもそも出血しすぎて血液の絶対量が少なくなれば、そんな小細工(本当にしのぶはこう言った)も実行できなくなってしまう。

 呼吸の技術が小細工かはさておき、血液の循環量が少なくなれば、効果が弱まるのも確かだ。まさか自分の体で証明する事になるとは思わなかったが。

 下らない話をしている間も、応急手当――簡単な止血程度だ――を施していく実弥。実際、これはありがたい。呼吸から得る力を、全て気付けに回わせるのだから。

 手当が終わるか終わらないかという所で、どたどたと慌ただしい音を立てて、幾人かが飛び込んでくる。小芭内を中心とした上位隊士だった。

 彼はあたりの惨状を確認すると、小さく舌打ちをする。

 

「全部終わった後か。おい、お前達。ここに上弦の弐はいたのか? お前たちだけで倒したか?」

「ええと、上弦の弐は倒しましたけど、俺達だけじゃないです。しのぶさんもいました」

「その胡蝶はどこに行った」

「うーん……。その、一番怪我が大きかったので、先にカナヲ――あ分かります? しのぶさんの継子です。彼女に連れて行ってもらいました」

 

 本当は、怪我ではなく毒こそが一番の問題だったのだが。さすがにそこまで説明するのは面倒だったのか、ぼかして話す炭治郎。

 一通り話を聞き、小芭内は満足はしてないが納得はした、そんな表情で言う。

 

「まあいい。胡蝶がいたとはえい、よく上弦の弐を倒したと褒めてやろう。他の柱が間に合っていれば、あいつも倒れるような事はなかったろうがな。それでも討伐は討伐だ。貴様ら小僧も、少しくらいは認めてやっていい。竈門炭治郎以外は」

「あ、俺やっぱり嫌われてるんですね……」

「なんでそんなにねちねち言うの」

 

 口を開けば、ねっとりした言葉が出てくる人だった。多分嫌味ではないし、その自覚もない。言っている事も大体は事実だろうし。ただまあ、真面目に相手すると非常に面倒くさい手合いなのは確実だった。

 

「はっ! 間に合わなかった雑魚が! 俺様が倒してやったぜ、讃えろ!」

「…………」

 

 そして調子に乗った伊之助が余計な事を言って、創傷がない場所を蹴飛ばされ悶絶していた。骨折した部分が狙われたのは、多分わざとだ。余計な一言が付く人間同士が揃うとこうなるのかあ、と、どうでもいい事を考えた。正直被害がなければ何でもいいし、何なら早く助けてくれるなら他の事は知ったこっちゃない。

 

「俺は隠と一緒に、こいつらを藤の花の屋敷に放り込みに行く。面倒を押しつけて悪ぃが、大丈夫か?」

「こちらは俺と時透が居れば問題ない。なんならそのまま別の仕事に向かっても構わん」

「相変わらず口の減らねえ。上弦を討伐した後の情報なんざ、喉から手が出る程欲しい。どんな影響があるか分かったもんじゃねえ……っつうことは、柱を複数滞在させておいても、損はねえだろ。幸いにもここは、上弦の弐の支配下にあった町だからなァ。支配を入れ替えて調査するにはうってつけだ」

 

 つうわけで、と実弥が呟き、善逸を見ながら肩に担いだ。

 

「テメェらから聞きたい事も山ほどあんだ。今晩だけは寝るのを許してやるから、明日聞き手が現れたら、仔細余すところなく説明しろ。漏れがあったらブッ殺すからな」

「ちょっとこの組織、俺達を酷使しすぎじゃない?」

 

 平気で地獄のような事を言ってくるのだから笑えない。以前炭治郎も、「鬼殺隊って休みとかあったんだ……」と漏らした事があるらしいし。弱い事ってそれだけで価値があるんだなあ、と改めて思った。自分達程度ですらこれなのだから、そりゃあ甲だった獪岳もさぞや酷使されていただろう。

 程なく隠がやってきた。元から待機していたのだろう。まあ内部の騒音が収まれば、鬼を倒したか、もしくは全滅したかの二択なのだから当然の判断だ。

 炭治郎と伊之助も背負われて、移動を始める。

 

(あ……これやばい)

 

 浮遊感を感じて早々、善逸は眠りそうになっていた。

 殺気までの無駄話は、実のところ善逸達の為に行われていた事だったのだろう。とにかく無意味な会話でもし続けて、意識を維持できるようにと。

 今感じられるのは、精々腹に肩がめり込んで気持ち悪いな、という程度。頭を冴えさせるには全く足りない。

 そろそろ意識が途切れそうだ。危険を感じながらも、ぼやける視界に抵抗できずにいた所で。

 

「何寝ようとしてんだテメェ! 今寝たら死ぬぞ! 今まで散々喚いといてどういう体たらくだオラァ!」

「うぼァ!」

 

 頬に肘打ちがめり込んだ。痛みは伝わってこなく、それが逆に怖い。衝撃からして、腫れ上がるくらいの勢いはあった筈なのに。こういう所、実弥は容赦が無い。

 

「うぅ……じゃあ何か眠らないようにしてくれよぉ」

「甘えんなボケ。テメェでなんとかしろアホが」

 

 ぼかすかに言ってくれる。

 なんとか歯を食いしばって意識を保ちながら。強くなると言うのは、鍛える事からその責任から、本当に何一つとして楽じゃない。そんな事を考え続けた。

 

 

 

「おかしい」

 

 とある隠が呟いた。

 此度の捕り物は、鬼殺隊の歴史でもそう何度もない大合戦だった。鬼はもちろん、味方の被害も多い。屍の園を他者に見せるわけにはいかないので、無事な隊士が人を遠ざけつつ、隠が検分しているしているのだが。

 体の大半がない者。頭を食い潰された者。全身を数十の部品にまで分解された者。いろんな死体が転がっている。それなのに、いや、だからこそ分かる。

 

「死体の数が少なすぎる」

 

 十数人という人間のそれが交ざったであろう、血の池。なのに死体はたった数人分しかなかった。

 鬼に全て喰らい尽くされた者がいたのだろうか。全く居ないとは言えないが、しかし可能性は低い。なぜなら、捕食中が一番頚を切りやすいのだから。大抵は、肉体を全て失う前に転がる。

 だから、理屈の上で言えば、肉片を寄せ集めて十数人分の遺体がなければおかしい。

 

「なのに……なんで足りないんだ……?」

 

 それこそ日輪刀と骸の数すら合っていなかった。

 普通に考えれば、後から押し寄せた鬼に喰われたのだろう。少なすぎる日輪刀だって、実は思っていたほど数が居なかっただけかも知れない。密かに町人が持ち帰った可能性だってある。ここは地方の寒村だ。刀という鉄の塊なら、それなりの金になる。

 言い訳ならいくらでも浮かんだ。

 だが、経験と理性が、どうしても現実を否定する。

 

「死んだ隊士は、どこへ消えた……?」

 

 

 

   ×××

 

 

 

 上もなく下もなく。また右も左もない、ただただ部屋という概念の連なった空間。忍者屋敷というよりは、ただあらゆる“屋敷の内部”を滅茶苦茶に貼り合わせたかのような、異質の塊である世界。その名を異空間無限城。現存する血鬼術の中で、最大最高の規模を誇るものだ。扱うは、単眼琵琶の血鬼術を扱う、無惨親衛隊の鬼、鳴女。

 序列の上では、確かに無惨親衛隊は十二鬼月(もっとも、下弦の鬼は壊滅済み、再建の予定もないが)の下部に位置する。が、彼らを親衛隊と位置づけるのは重に二つの理由だ。珍しい血鬼術を持っている事、そしてなにより忠誠心に篤い事。故に、無惨はある意味十二鬼月より親衛隊を重宝している。

 鳴女などはその最たるものだ。他は使い潰しても惜しくないが、彼女の“どこでもないどこか”を常時創造し続ける力は替えの効かないものだ。一時的に亜空間を作るくらいならいくらでもいるのだが。

 損な場所に、上弦の鬼が次々と呼ばれてくる。()()全員が揃ったところで、無惨は姿を現した。洋式の椅子に座り足を組んだ状態――つまり、今まで童磨の戦いを観察していたままの姿勢で。

 いつもならここで童磨の不調法者が声を上げるのだが、今はそれがない。柱の一人も倒せなかったのは、失望の一言では言い表せない有様だったが、それでもまあ得るものはあった。顔を合わせて鬱陶しい思いをしなくて済むくらいには。

 上弦の鬼は、無惨の姿形に惑わされる事無く、発見した瞬間平伏した。やはり、上弦の鬼は感知能力一つとっても、下弦の鬼とは隔絶した能力を持っている。解体は悪くない判断だった。まあ、そこそこ力を付けた鬼を遊ばせておくのも勿体ないため、選別して他の形で編成しようかとは思っているが。それは数十年がかりの話だ。

 

「童磨が死んだ」

「ヒィィッ! 恐ろしや、あな恐ろしや!」

 

 言葉に、半天狗が悲鳴を上げながら顔を伏せる。上弦の鬼の中で、最も気の弱い鬼であり、かつ直接的戦闘能力では一番低い鬼。

 しかし無惨は、彼を評価していた。その臆病さ故、“感情を起点に”自分を分裂、隠れた本体を撃破しなければ倒せないというのは貴重な才能だ。その才覚により人間を大幅に辞めているのも好ましい。徹底して自分の弱点を晒さないのも。

 この執着心が、上弦の肆と上弦の陸を隔てているものだろう。堕姫と妓夫太郎は、己の不死性を活かすには、少々頭が足りていない。堕姫とて旧下弦の壱を一蹴できるくらい強いのだし、性能自体は悪くないのだが。長所を生かせないというのは、かくも度しがたい。もしそれができていれば、半天狗と階級が入れ替わっていただろうものを。

 まあ、できない事を惜しんでも仕方が無い。今は童磨の話だ。

 

「私は一部始終、戦いを観察していた。こちらも手を貸してやったものの……所詮は理性の無い獣が大半。産屋敷には二つの遅れを取った」

「二つ……とは。お伺い……しても……よろしいか?」

 

 静々と代表して問いかけるのは、上弦の壱たる黒死牟。

 

「上弦の鬼を倒すのに、下位の隊士など要らぬ。にもかかわらず多数動員していたのは、鬼の集中運用が予測の一つにあったためだ。その中には恐らく、柱を足止めする為の鬼も数えられている。もっとも、これは現場も知らぬらしかったが」

 

 そして、と忌々しく思いながら続ける。

 

「二つ目の敗因。それは、こちらは鳴女を通じて既に動員される柱が()()だと掴んでいた。にもかかわらず、童磨は柱一人と、ただの隊士三人と戦って負けたのだ。この意味が分かるか? 産屋敷は、柱に相当する者、もしくは次期柱をひっそり潜り込ませていたのだ。結果、奴は事実上、柱七名との戦いになってしまった」

 

 ちらりと、上弦の鬼達を見る。言葉の意味に気がついたのは、黒死牟と猗窩座だけだった。

 改めて思わざるを得ない。こういった方面において、鬼は全くの無能揃いだ。戦闘力(正確に言えば太陽光の克服)と青色の彼岸花の捜索以外に注視していなかった弊害と言えばそれまでだが。元々、基本的に鬼が党勢を組む事を禁じてきたのは無惨であるのだし。

 

「つまり我々は、基本的に、産屋敷に対して情報戦と戦略で競ってはいけないという事を改めて知った。入念に準備しようと呼び込むくらいなら、無意味に暴れるか完全な奇襲を仕掛けた方がマシだ。実行する側がこの有様な上に、これだけ裏を掻かれれば如何ともしがたい」

 

 ここで初めて、無惨は肘をついてため息を吐いた。

 

「おお無惨様、お労しや」

「そりゃ力になりてえけどよぉ……俺ぁ馬鹿だからなあ……」

「あたしも、頭を使うのはちょっと」

 

 あからさまなおべっかを使う玉壺に、心底悔やみしょんぼりする妓夫太郎と堕姫。反応こそ違うが、所詮中身の程度に変わりは無い。

 それこそ頭など悪くてもいいから、上弦の鬼に相当する鬼が十体もいれば話が変わってくるのだが。そすうれば、他の部分など親衛隊でどうにでもなる。それこそ細かい戦術戦略など無視して、上弦の鬼を投入するだけで済むものを。

 舌打ちする。もはや動くのに厭う理由など無くなった今、調薬に忙しくなければ自ら動けば全て終わるものを。だがそれ以上に、それこそ今更、産屋敷一族殲滅()()にかまけるのは、無駄な労力甚だしい。

 期待せず、できる範囲の部分を下っ端の鬼、ひいては上弦の鬼に任せる。迂遠極まりないが。

 

「とりあえずだ。疲弊しているだろうとはいえ、柱が一点に集まっている現状、派手に動くのは宜しくない。堕姫と玉壺は暫く潜伏しろ。そうだな、五年程度を目処にしておけ」

「はい」

「承知いたしました」

 

 これに関しては慣れたものだ。人間の寿命を考えれば、活動期間は長く取っていられない。玉壺はこれで数度目だし、“女の消費期限”を気にしなければいけない堕姫にとっては、もはや数十度目だ。

 童磨が捕捉されていながら、彼らが影も踏まれていないとは思わない。両者とも決して弱い鬼ではなく、状況を整えれば不死身にすらなれる存在だ。だがその優位も、柱に囲まれれば無きに等しい。

 

(私も、“月彦”としての立場は捨て時かもな。非常に惜しいが……)

 

 無惨の数ある“表の顔”が一つ。他国にまで交流のある、華族が運営する製薬会社会長の立場。勿体なくはあるが、代わりの顔はいくらでもあった。鬼殺隊如きのために一つ破棄するのは業腹だが、意地を張って今までの研究成果を破壊でもされたら、それこそつまらない。

 自分を餌に柱も何もかも呼び込んで鬼殺隊を全滅させる、という事は過去に幾度か試した。結果は、まあ言うまでもない。産屋敷、育手、鍛冶士、この三つが揃っている限り、鬼殺隊はいくらでも再生可能なのだ。隊士は確かに要の実働部隊ではあるものの、決して支柱たりえない。故に、産屋敷一族を見付けるための根比べを強要されている。本当に全く……生き汚い点だけは賞賛に値する。

 まあいい。金は貯め込んであるし、最悪輸出入など委託でも構わないだろう。重要なのは“鬼舞辻無惨”、ただそれだけ。

 

「しかし無惨様! 私めが朗報を掴みかけています! それがあれば必ずやお役に……」

「玉壺」

 

 言葉を遮って、名を呼ぶ。彼の小うるさい言葉がぴたりと止まった。

 

「私の前まで来い」

 

 玉壺は壺を滑らせるようにして、無惨の前までやってきた。期待と恐怖が入り交じった貌。

 身を乗り出して、玉壺の頬を撫でてやる。途端に、彼は恍惚とした表情をした。

 はっきり言って、こいつは馬鹿な男だ。だが特異な血鬼術を持ちながらも、上弦の鬼にまで昇る力を得た。戦術面で役に立たないところが玉に瑕ではあるものの、忠誠心も親衛隊並。

 だからこそ、多少の失言は許してやれる。

 親指で頬を擦りながら、子供を諭すように続ける。

 

「不確定とは、つまり揺らぎだ。成否どちらにも転ぶ。玉壺、私はな、“成”か“否”か、どちらかで良いのだよ。この際どちらかというのは重要ではない。どちらか確定している、それこそが大事なのだ。理解したな? その上で、お前の重要な情報とやらを言ってみろ」

 

 忠告に、玉壺は嘉悦に満ちた声で答えた。

 

「は、はい無惨様ぁ! 私は徹底して隠密し、鬼殺隊の流通路を探りました! 鬼殺隊の()()()流通路をです! その結果、鬼殺隊専属の刀鍛冶が集まっているおおよその場所を特定できました! あと幾ばくか時間をいただければ、必ずや“確定”させてみせます! さすれば鬼殺隊の長期にわたる戦力低下は必至! どうか、どうかこの玉壺に機会をお与え下さいませ!」

 

 手が頬を滑り、首筋に触れる。びくりと震えたのを確認して、動きを逆転し頭頂部を軽く抑え、そして手を離した。

 

「普段ならば、正確ではない情報をさも大事なものと見せかけて持ってきたお前の首を千切ってやる所だが……」

 

 乗り出した体を元に戻し、玉壺を見下ろす。

 

「私は気分がいい。多少の妄言ならば許してやれるほどにな。特別に猶予を与えてやろう。例え鍛冶の里でなくとも、日輪刀の運搬を必ずや阻害、略奪しろ。――猗窩座」

「はっ」

「玉壺が刀鍛冶の里を見付けた場合は、一緒に向かえ。貴様の対鬼狩り能力は黒死牟に次ぐ。柱がいた場合、優先的に殺すのだ。鍛冶士どもの抹殺は玉壺に任せろ」

「承知しました」

 

 返事に、満足する。

 猗窩座の血鬼術も、便利とは言えないが無二のものだ。惜しむらくは、当人の資質及び技術と結びつかなければ無意味だという点だろう。実に惜しい。

 全員を睥睨しながら、無惨はさらに続けた。

 

「お前たちの階級を一つずつ繰り上げ、空いた上弦の陸には鳴女を加える。良いな、鳴女」

「光栄の極みにございます」

 

 無機質だが、同時にしっかりした返答は、さすが親衛隊筆頭とも言える者だ。満足し、小さく頷いた。

 軽く手を振る。と、次の瞬間、無惨は元の場所まで戻っていた。

 

「さて……」

 

 上弦の鬼への命令は終わった。後は――非常に面倒だが――無惨が直々にすべきことが残っている。

 童磨の欠員について、これはどうでもいい。確かに鬼としては強かったし、そこそこの資金源でもあった。だが、それ以上に気色悪さにうんざりもさせられていた。血鬼術についても、初見での殺しに失敗すれば力の価値は大幅に下がり、恐らくは猗窩座に劣る。そこら辺、忠実で力の価値に上下がない猗窩座とは格が違った。はっきり言って、死んで清々した部分もある。

 理想を言えば、上弦の陸には戦力に富んだ者を入れたかったが、まあ鳴女以外には適任もおらず、今更弱い鬼など入れても誤差にしかならない。

 どうせそのうち、自分以外の鬼全てに価値がなくなるのだし。太陽を克服するまでの辛抱だ。

 とりあえず今考えるべきは、“月彦”及びその一族の処遇だ。正直、始末はもう決定しているのだが。

 

「そうだな、火事がいい。悪意ある放火で一族郎党、見分けが付かなくなる形で焼け死ぬ。これが最適だな」

 

 確実に無惨の仕業だとばれるだろうが、それはどうでもいい。重要なのは、そこより先の痕跡をたどれない事だ。適当な浮浪者でも捕まえて、“月彦”を作るべきだろうが。これは鳴女か堕姫にでも調達させればいい。

 研究の成果は全て頭の中にあるため、薬品類だけ回収しておけばいいのだが。まかり間違って書類でも残り、鬼殺隊に渡ったら面倒なので、そちらも撤収すべきか。

 まあどうするにしろ、結果は決まっているのだから三日もあれば全て片が付く。

 そんなものより考えるべきは。

 

「隊士の遺体、中々の数が集まったようだな」

 

 今回、わざと大きな戦を開かせただけはある。

 鬼として強くなくてもいい。血鬼術など付かなくとも良い。鬼の身体能力を持ち、呼吸を扱え、優れた剣の使い手。

 未だ自立した人形の製造は完成を見ないが、道具は使い方次第だ。

 唯一不満なのは、この中には所詮、鬼になりたての雑魚に負ける塵しかいない事だが。まあそれも許そう。全ては戯れでしかない。

 

「堕姫……あれは妓夫太郎のおまけ程度にしか思っていなかったが、案外価値が変わってくるかもしれぬな」

 

 柱にさえ当てさせなければ、十分な働きをする見込みがある。元より素の力量だって、下弦の壱を軽く上回っていたのだし。木っ端隊士を専属して担当させれば、案外いい働きをするかもしれない。

 それより楽しみなのが。

 

「くくく。産屋敷、貴様の狗同士が殺し合う様を見せられて、何を考える?」

 

 今まで散々手間をかけさせられた産屋敷一族に意趣返しができる。それができるならば、塵の山とはいえ、中々悪くない玩具だった。

 真に悪魔が囁く夜は、実のところ、まだ始まってすらいなかった。

 

 

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