獪岳と善逸   作:山筋

37 / 63
鳴柱の章
温泉に行こう


 善逸は珍しく、うっきうきな気分だった。それはもう、こんなに嬉しいのは何年ぶりだろう、というくらいの浮かれ具合だ。ある意味においては、人生で初の体験をする。

 思い返してみれば、と自分の人生を懐古する。貧民街で親無しに育った。物心ついた頃には一人だったため、親に捨てられたんだか死んだんだかも分からない。うらぶれた者達の中でもさらに最下層で糊口を凌いだ。あれよあれよというまに背丈だけは大きくなり、見た目だけはまあ大人に見えなくもない程度に育つ。が、それが同時に運の尽きでもあった。

 同年代より体が二回りは大きかった為、ちょっと気が大きくなっていた、というかはっきりと図に乗っていた。出身地(後から知ったが牛込というらしい)から少しばかり遠出をして、そこで綺麗な女の人に優しくされたため有頂天になる。かくして、当時文字も読めない善逸は借用書に血判を押した。当り前のように女性は金だけ持ってとんずらし、かくして善逸は十余年の身空で十八円近くもの借金を背負うことになる。

 ここで借金を肩代わりしてくれたのが、師であり父でもある桑島慈悟郎だが。ここからもまた大変だった。何せ来る日も鍛錬鍛錬また鍛錬。師の目は鋭いわ兄弟子にボコられるわで休まる日などない(実際には獪岳が厳しかった分、慈悟郎が結構甘やかしていたが)。……そんな日々が楽しかったのは否定しないが、それはそれとして辛くもあった。

 鬼殺隊の正規隊員になってからは、あえて語るほどのものはない。皆と同じく馬車馬のように働かされた。凄く怖かったし、その点に関してだけは産屋敷を絶対に許す気はなかった。

 だが、そんな日々に、ついに、ついに癒しがやってきたのだ。これを喜ばずしてなんとする。

 

「善逸、嬉しそうだなあ」

「ああ、楽しみだぜ!」

 

 にっこにこに笑って返す善逸に、炭治郎も微笑みを返した。

 

「俺、温泉って人生初なんだ! それにまともな休暇も!」

「なんだオメェ、温泉入ったことねえのか! 俺はしょっちゅう入ってたぜ!」

 

 そう、柱としての任務を行うに当たって、まず治療から行うことになったのだ。

 童磨との激戦で残った傷は、一月二月で快癒するものではない。かといって蝶屋敷のベッドを長々占拠するには、善逸らの体は動きすぎていた。あまりに回復が早く、これは痣の影響ではないか、と言われている。

 伊之助は刀が一本折れたし、炭治郎も研ぎ直しが必要な状態だ。どうせなら湯治もできる刀鍛冶の里へ行ってこい、という事らしい。

 ちなみに、柱になると『悪鬼滅殺』と掘られた専用の刀を新調してもらえる。本来なら要望書を書き、それが届くまでは元の刀で戦うらしいのだが。どうせならその場で要望も出してこいという事で、誰も伝える事はなかった。ちなみに善逸は獪岳の刀を手放す気はないので、悪鬼滅殺と掘ってもらうだけになる。

 

「俺はちょっと気が重いよ……」

「なんでだよ。炭治郎は温泉が嫌いなのか?」

「温泉は入ったことがないから楽しみではあるんだけどさ、これ」

 

 渡された紙を、伊之助と二人で見る。

 そこには、びっしりと呪詛の言葉が綴ってあった。ご丁寧に擦れたり太くなったりで、雰囲気まで出ている。

 

「うわぁ……」

「なんだこりゃ」

「俺の担当刀鍛冶の鋼鐵塚さんがさ、刃毀れさせちゃったの怒ってて……。前にも一度怒られてるし」

 

 語る炭治郎の背中は、どこか煤けていた。確かにこれは普通に怖い。善逸なら間違いなく逃げ出している。伊之助は興味なさげで、文字が読めているのかどうかも分からない。

 

「その鋼鐵塚さんって怖い人なのか?」

「怖いって言うか、凄い人かな。いろんな意味で。前は包丁もって追いかけられた」

「凄いじゃなくてヤバい人じゃん。何その物理的に影響力がある呪い」

 

 もしかしたら妖怪絵巻の方がまだ可愛いのではないだろうか、と思えてくる。

 善逸は、そっと炭治郎のご冥福をお祈りした。前回は追いかけられただけで済んだかも知れないが、今回は確実に刺される。迷わず成仏してくれよ、と唱えた。間違っても俺の枕元には立たないように念を押して。

 

「それと、あまり気を抜きすぎはよくないぞ。柱の仕事は、一般隊士のそれとは比べものにならないほどの激務だって言うし」

「やめろよ旅行に行く前に下がるような事言わないでよ!」

「いやまず旅行じゃないぞ」

「あれだろ、獪岳以上にこき使われるんだろ!? 炭治郎だって知ってるだろ、獪岳にあった時死にそうな顔してたの! あれ絶対鬼が強かったとかじゃなくて純然たる疲労だぞ! やだー辞めたい! 柱やーめーたーいー!」

 

 絶叫に、炭治郎は困ったような微笑みを返すだけだった。実際、辞めたいだけで辞めはしないのだが。

 そもそも柱の仕事など、限られた一部の天才すら超える化け物しかこなせないのだ。質の面でも量の面でも。善逸のような一般人に毛が生えた程度の人間ができるものではない。隊士は続けるが、それはそれとして柱など辞退すべきだった、と今は後悔している。まだ戦いの余韻があって興奮していたため、受けてしまった。勢いって怖い。

 というか、根本的に柱に怖い人が揃いすぎているのだ。言わずもがな実弥と小芭内の事だが。あと行冥は怖いを超えてやばい。なんで獪岳と戦った時、真っ先に脱落したんだと愚痴りたくなるくらいには。

 頭を振って叫ぶ善逸の背中を、炭治郎が軽く叩いた。

 

「悪かったよ。ひとまず全部忘れて、ご厚意に預かろう、な?」

「俺は温泉なんざどうでもいいがうまいメシが食いてえ。天ぷらはあんのか? あとすき焼き」

「すき焼きは分からないけど……どこかの山間部らしいし、天ぷらはあるんじゃないかな。多分、山菜の掻き揚げ天ぷらとか」

「!? 山菜……掻き揚げ……天ぷら? そりゃ一体どんな味がすんだ!?」

「食べてみれば分かるさ」

「ハハハ、俄然楽しみになってきたぜ!」

 

 特に理由無く力こぶなど作りながら、伊之助。本当にいつもいつも楽しそうな男だ。

 

(童磨の言ったこと、気にしてないのかな)

 

 ふと疑問に思う。童磨から明かされた『真実』、そして『傷』は、善逸のそれと大差ない程の筈だ。

 折り合いを付けたのか、それともよく考えたら矛盾点を見付けたとかで間違いだと思ったのか。後者であればいいが、前者の場合、まだ柔らかく血の滲む傷口に触れるような真似になってしまう。問うてみたい気持ちはあったが、堪えることにした。

 期待に若干水を差されながらも待っている。と、迎えの隠が三人やってきた。

 

「竈門様、嘴平様、我妻様、お迎えに上がりました。これより皆様を刀鍛冶の里へ案内させて頂きます」

「ありがとうございます。でも、できれば敬語はやめて貰えると……その、苦手で」

 

 しゃちほこばった隠に、炭治郎が代表して言う。

 と、彼らは若干、緊張を解した様子だった。

 

「本当かい? そう言って貰えるとこっちもありがてえや。俺らの方が年上だし、なんかくすぐったくって」

「柱は気難しい人がいるからなあ。こっちも緊張しちうもんねえ」

「伊黒様とか不死川様とか、おっかねえもんなあ。特に伊黒様は延々説教されるし……。宇随様も、普段は優しいけどちょっとでも失敗すると怒られるし」

 

 あ、やぱりそんな感じなんだ、と顔が引きつる。実弥は基本的に誰に対しても荒っぽいだけだが、小芭内は割と上下関係を気にする気配があるなとは思っていた。

 そういう人達と頻繁にやりとりしなければいけないと考えると、隠も気苦労が多いのだな、と改めて認識する。

 

「そんじゃこれを」

 

 言いながら差し出されたのは、布の塊だった。

 真っ先に伊之助が広げた。中身ははちまきが一つと、よく分からない布の塊が二つ。

 代表して、女性の隠が続けた。

 

「目隠しと耳栓よ。刀鍛冶の里は、鬼殺隊最重要施設の一つ。柱であっても正確な場所を明かす事はできません。なので、目隠しと耳栓を。あ、竈門さんは匂いで位置を特定できるらしいので、鼻栓もお願いします」

「うわー、炭治郎は移動中、口呼吸しかできないのか」

「う、ちょっとしんどそう」

「悪いが耐えてくれ。こっから何人もの隠と鎹鴉が中継して、道中を欺瞞しながら進むことになる。目標地点を知ってるのは最後の隠だけだ。当り前だが、夜になったら鬼に見つかる可能性があるから、日が出てる間にたどり着く必要がある。結構な強行軍になるから覚悟しといてくれ」

「いきなり脅さないでくれよぉ」

 

 善逸が弱音を吐くと、隠の一人がひひっとからかうように笑った。

 いたずらっぽさに恨みがましさを感じた反面、安心もする。変に敬意を払われるよりよっぽどいい。

 渡されたものを付けて、背負われる。

 

「――――」

 

 隠が何か言ったのを、背中から伝わる振動で感じた。さすがに何を言っているかまでは分からない。が、まあ「じゃあ行くぞ」あたりだろう。

 風から伝わる隠の走行能力は、かなり高いものだった。

 隠にも色々な人がおり、それを適正ごとに分けられる。隠には階級の他に部隊名も存在するが、正式なものは善逸も知らなかった。彼らを名付けるとするならば、“実働部隊の隠”といった所だろう。

 実働部隊の隠には、元隊士や、何らかの理由で隊士としての仕事ができなかった者が就く。そのため、大抵は“型”は扱えずとも“呼吸”の使い手だった。そういう意味では、神崎アオイも医療部隊の隠という扱いになる。もっとも彼女の場合は、まだ隊士としても席を置いているため、多少扱いが面倒くさいらしいのだが。

 とにかく、走ることが前提の隠は、身体能力という一点において現役の隊士に引けを取らない。さすがに瞬発力に特化した雷の呼吸ほどではないけれども。

 道中の移動は早く、また引き継ぎも円滑なものだった。確かにこれだけ中継と方向転換をされると、位置感覚がなくなる。分かるのは精々走行距離程度だが、それだって回り道を考えれば、目的地までは曖昧だ。こうやってわざと感覚を狂わせる方式を考え出した人は、間違いなく天才だろう。善逸では目で見ていたとしても、刀鍛冶の里を特定できる気がしない。

 夕暮れが近づいた頃――つまりほぼ時間いっぱい使って、目的地へたどり着いた。

 目が久方ぶりに光を捉えて。目の前の光景に、思わず感嘆の声が漏れる。

 

「すっげえ……」

 

 土地自体はさほど広くないながらも、どれもかなり大きな建物ばかりだ。最低でも三階建ての家ばかりが揃っている。まるでここだけ都会を切り取ってきたかのような様子だ。

 振り返って見れば、そこに道はない。碌に資材も運ばず、これだけの施設を作り上げたのだろう。恐るべき忍耐力だ。

 刀鍛冶の里は定期的に移動していると言うので、こんな場所が国内に何カ所もあるという。鬼殺隊はとんでもない組織だと、改めて認識した。

 

「それでは我々はこれで」

「はい! ありがとうございました!」

 

 去って行く隠に手を振った。気のいい人達で、手を振り替えしてくれる。忙しいのだろう、早々に切り上げて、すぐに消えてしまった。

 見送った後は、とりあえず隠に教えて貰った里長への挨拶へと向かう。

 刀鍛冶の里は縦に長い。これは渓谷の間で隠すように作ったからだろう。

 言われたとおりに角を左へ曲がると、小さな家があった。里長の家というのだから、もっと大きなものを想像していたが。案外他の家より小さなくらいだった。とはいえ、周りが集合住宅なのに対し、長は二階建ての一軒家だと考えれば、あながち小さい訳でもないのかもしれないが。

 入ると二階の広間へ案内される。そこに居たのは、とても小さな老人と、両脇に控える二人の男だった。これが正装なのか、それとも単に身元を隠す為なのか、全員がひょっとこの仮面をしている。……顔を隠すにしたって、もう少し何かあるんじゃないかと思った。

 

「どうもコンニチ……」

「なんだジジイ小せえなあ!」

「ワシがこの里の鉄地河原鉄珍……」

「そういや俺が知ってるジジイも小さかったぜ! ジジイはみんな小せえもんなのか?」

「畳におでこが付くくらい頭下げ……」

「お、なんだこれぼりぼりしてて甘くてうめえじゃねえか! もっとくれ!」

「……のう、彼、自由すぎん?」

「ごめんなさいごめんなさい!」

「すみませんすみません!」

 

 勝手に茶菓子のかりんとうをむさぼる伊之助。炭治郎と善逸は、畳に額をこすりつけながら謝った。我妻善逸、幼少のみぎりから土下座には一家言あるのだ。

 

「まあとりあえず頭上げたってや。柱の貴重な時間奪っても申し訳ないわ。ちゅうわけで」

 

 パンパン、と里長が二度手を叩いた。

 襖が開くと、二人の男が出てくる。こちらもやはりひょっとこのお面をしていた。片方は、刀を二本携えている。

 

「嘴平殿担当の鉄穴森と申します」

「我妻殿担当の金剛寺と申します」

 

 紹介を終えて、ふと炭治郎が首を傾げた。

 

「あれ、鋼鐵塚さんは?」

「すまんのう、炭治郎ちゃん。蛍は今山ごもりなんちゅーてどっかに行っとっての」

「蛍?」

「そ。鋼鐵塚蛍。ワシが名付け親。なんで可愛い名前やー言うて本人には嫌がられてるけどな」

「えー、いい名前だと思うんですけどね」

「そうやろ。炭治郎ちゃんもかりんとうお食べ」

 

 言われて、炭治郎もぼりぼり音を立て始めた。忘れがちだが、炭治郎も炭治郎ですごい胆力である。常識人は俺だけか、と善逸は一人黄昏れた。

 

「いうわけで炭治郎ちゃんの要望はワシが聞いとくから。他の二人は当人に言ってや」

「あ、はい」

「おうおっさん! それ俺の刀か?」

「ええそうですよ。急ぎの代理なんで、あり合わせの刀を持ってきただけなのが申し訳ありませんけど」

 

 言って、鉄穴森は刀を渡した。刀には既に色がついており、誰かの中古なのが窺える。恐らく、元からあったものを多少手直ししただけなのだろう。

 刀の、鋭く均一な輝きを確認しながら。伊之助は、きょろきょろと当たりを見回した。

 

「どうしたんだよ、伊之助」

「なんか硬ェもんねえか」

「そんな藪から棒に言われても」

 

 或いは獪岳なら、懐からあっさり出しそうだが。

 悩んでいると、ふと鉄穴森が砥石を差し出した。

 

「こんなものならありますが。これから別の仕事をしようとしていたもので、ついでに持ってきたのですが」

「おう」

 

 呟きながら、伊之助は手の中で長方形の石を確かめ。唐突に、刀の横っ面を殴り始めた。

 一撃ごとに、銀の鋭い塵が舞う。

 

「オワー! 何をやってるんですか伊之助殿!?」

「刃が綺麗すぎんだよ。こうやってギザギザにすれば、斬った時相手を削れんだろ。俺の剣は相手を穿つんだから、平らな刃じゃいけねえんだ」

「は、はあ、そうですか……。まあ、真打ちを作る前に知れて良かったです。さすがに手ずから打った刀をそんな風に扱われたら、私もブチ切れない自信がありませんからな」

 

 はっはっはっ、と朗らかに笑う鉄穴森の近くで、炭治郎は冷や汗を掻いていた。彼の様子から、ブチ切れる程度じゃ済まないんだろうな、というのは簡単に分かった。

 大分怯えながら、金剛寺の方をちらりと見る。彼は(雰囲気だけ)朗らかに笑いながら答えた。

 

「気にしなくて大丈夫ですよ。私は彼らほど過激ではありませんから」

(絶対嘘だ)

 

 心の中で断言する。同時に、刀鍛冶は怒らせないようにしようと強く誓った。

 おっかなびっくり、とりあえず簡単な質問を投げかけてみる。

 

「あの、金剛寺さんは俺の刀を作ったんですか?」

「いいえ、私が作ったのは獪岳殿の刀です。本当ならば、善逸殿の刀を作った刀匠が来るのが筋なのでしょうが。善逸殿が獪岳殿の刀を使い続ける可能性を考慮して、まず先に私が向かわされました」

「分かったような分からないような……」

 

 その辺の事情というか誇りは、刀鍛冶のものなのだろうから置いておく。実際、理解は難しいだろう。

 

「それで、刀をどうなさいますか? 変えるなら私の担当はこれまでです。使い続けるなら、多少くらいならばいじる事は可能ですよ」

「できれば、刀はこのまま使い続けたいです。なぜだか分からないけれど、驚くほど手に馴染むんで」

「ですか。ならば彫り物を入れておくだけにしましょう。その程度であれば一晩あればできますが、代理の刀は必要ですか?」

「えっと、大丈夫……かな? 念のため聞きたいんですけど、ここが襲われるなんて事は」

「少なくとも今までは一度もありませんね」

「じゃあ大丈夫です」

 

 刀というのはこれで結構重いし鬱陶しいのだ。鬼殺隊は実用性を考えて鉄鞘なので余計にだ。下手をすると、刀本体より鞘の方が重たい。なので、善逸はできれば刀を佩きたくなかった。まあ取ったら取ったで均衡が取りづらくなっていたりするので、一概にどちらの方がいいと言えるものでもない。

 刀を渡すと、金剛寺はすぐさま作業に入ると言って、刀を包み去って行った。これから夜になろうと言うのに大変なものだ。

 自分の話が終わってしまったので、二人の話をなんとなく聞いてみる。伊之助は相変わらず訳の分からない独自言語で欲しい刀の説明をしており、逆に炭治郎は鉄珍から質問攻めにあっている。

 手持ち無沙汰の所に、すすっと里長の側近がやってきた。

 

「お茶とお菓子をどうぞ。二人の話が終わるまで、まだ時間がかかるでしょうから」

「これはどうも、ご丁寧に」

 

 頭を下げると、小さく返される。

 渡されたのは、緑茶にふわふわしたパン菓子(確かカステラと言っただろうか。高級品の筈であるが)だった。それに手を伸ばそうとして――横から伊之助にかっさらわれる。

 悪意がないのは一目見て分かった。何せ彼は、鉄穴森との会話に集中している。ただ単に、そこにうまそうな匂いがあったから手を伸ばした、という程度ではないだろうか。仕方なく緑茶の方に手を伸ばして、これもまた勝手に奪われた。

 やるせない思いに呑まれていると、側近の人がもう一度、同じものを持ってきてくれた。苦笑しているのが雰囲気で伝わる。善逸は申し訳なく思い、もう一度礼をした。

 それから四半刻ほど経って、二人の会話は終わった。伊之助は満足そうに、炭治郎はどこか疲れたようにしている。まあ、刃に注文があった伊之助はともかく、平均的な刀で満足していた炭治郎は、何がいいと聞かれても困るだろう。善逸だって、居合い刀にして以外に言いようがない。

 だが、何はともあれ湯治の時間だ。風呂桶に手ぬぐいや浴衣を入れたものを持って、温泉へと向かう。

 

「お・ん・せん♪ お・ん・せん♪」

「善逸は本当に楽しそうだなあ」

「当り前だろ! 自慢じゃないけど俺は風呂にだって碌に入った経験がないんだぞ!」

 

 孤児時代は水など貴重品であり、飲む以外の使い方など考えもしなかった。慈悟郎に拾われてからも、薪は貴重品だったので、ほとんどが水風呂である。隊士になってからだって、金を使うという行為にどうしても忌避感があったので、藤の家紋の家でお世話になった時くらいだ。

 似たような境遇なのに、どうして獪岳は金をああも使えたのだろうか、と時たま疑問に思う。昔だって散財していた形跡などなかったのに。金を使い慣れている内に覚えてしまったのだろうか。やはり浪費は悪だ。賭場で金を使い切るまで賭けるとかいう意味の分からない趣味も持っていたし。

 『湯』と簡素に一言書かれた看板を見ながら坂道を登っていると、前方からやたらめったら騒がしい音が聞こえた。

 

「あーっ! 炭治郎くーん! 善逸くんに伊之助くんも!」

「はわーっ!」

 

 善逸は思わず鼻血が出そうになった。

 やってきたのは、浴衣が着崩れて乳房が半分ほどまろび出ている甘露寺蜜璃だ。控えめにいってえっちである。

 彼女の隊服も大変刺激的で、以前にも見たことがあるのだが。その時は緊張と獪岳の死で頭がごちゃ混ぜになり、意識していなかった。改めて見るとこう、非常にえっちである。善逸の語彙力は溶けた。

 

「胸! 出そう! 甘露寺さん胸が出そうですよ!」

 

 炭治郎は紳士的にも襟を正した……ように見せかけて胸を触った。善逸には分かる。後で処刑しようと心に決めた。

 

「今そこで見ない隊士の子が居たから挨拶したのに、無視されたのよ! 酷いでしょ! 無視は酷いと思わない!?」

「分かりましたからとりあえず落ち着きましょう、ね? 色々と無防備過ぎますよ」

 

 おっぱいが炭治郎の胸に押しつけられる。後で頭をかち割ろうと強く心に決めた。

 嘆いている彼女の気を逸らそうと、炭治郎はいくらか頭を悩ませ。いくらか考えた末、口にした。

 

「そう言えば甘露寺さん、柱を引退されるって聞いて。残念です……」

「うん、そうなの」

 

 彼女もまたやや悲しげに、話題に乗った。いいように気を逸らされたとも言う。

 

「もう右腕にほとんど力が入らなくてね。日常生活程度ならなんとかなるだろうけど、もう柱としては働けないからって引退をお願いしたの。右上半身の引きつるような感覚は、一生取れないだろうって。医者が優秀で傷跡はほとんど残ってないけど、よく見るとひび割れたような跡があるのよ」

 

 言葉をいいことに、善逸は胸元を凝視した。こんなに幸せでいいの? 善逸が狂喜乱舞していたら、横っ面を炭治郎に殴られる。理不尽だ。

 残念そうに、蜜璃。その姿に、伊之助は不機嫌そうに吐いて捨てた。

 

「なんだ、せっかく俺がぶっ倒して柱になってやろうと思ったのによ。柱をぶっ倒す前に柱になっちまうし、三人も引退しちまうし」

「うふふ、伊之助くんは男の子ね」

「当然だぜ! 強え奴を倒してこそだ!」

 

 語る蜜璃には、あまり悲壮感を感じられない。志半ばで、なお気丈に振る舞えるのだから強い人だ。

 ついで、という訳ではないが。善逸も気になることを聞いてみることにした。

 

「甘露寺さんはこの後どうするんですか?」

「え? ご飯食べに行くけれど」

「いえそういう意味ではなく。隊士を引退した後どうするのかって事です」

「あら、嫌だわ私ったら」

 

 蜜璃は頬を抑えて顔を赤らめた。可愛い。あと食いしん坊だ。

 実際、これは気になっていた事ではある。隊士を引退した後、どういう道を辿るのか。

 師である慈悟郎は足がなくなるまで戦った後、育手などしているが、これは例外だと思った方がいい。柱にまで成り上がり、かつ剣を教えられる程の手前があったからこそだろう。普通は無理だし、善逸は普通だ。柱になれたのだって、ほとんど獪岳の手柄である。

 

「傷があらかた癒えた後は、暫く隠をすることになっているわ。その後は炎の呼吸の育手に――あ、恋の呼吸は炎の呼吸が基礎になっているからなのよ――ならないかって打診はあるんだけど。私はその、人にものを教えるのがあまり得意じゃなくて……。適性がなかったら鬼殺隊後方支援部隊のどこかに配属されるか、藤の家紋の家で働くようになるんじゃないかしら」

「へー」

 

 とりあえず、隊士として働けなくなったから食いっぱぐれるという事はないようだ。そこだけは安心する。まあ二十五歳まで隊士務められたらの話だけどね、と自虐などしながら。

 これが割と洒落になる話ではない。隠はともかく、隊士の平均年齢は極端に低い。どんどん死んでいくからだ。柱ほどであっても、二十五歳以上は悲鳴嶼行冥ただ一人である。彼にしたって隊士になったのは二十歳過ぎてからだと聞くし。

 

「改めて、地獄みたいな職場だな」

「どうした善逸?」

「いや、なんでもない」

 

 なんでこいつら平気な面してるんだろう、と異国人を見るような目で二人を見るが。当り前に伝わりはしなかった。

 

「今度は隠として頑張るわ。そのためにはもりもり食べて早く怪我を治さなきゃ駄目よね。それじゃあね、みんな!」

 

 言って、蜜璃は鼻歌を歌いながら去って行く。なんだかんだ、いつもご機嫌な人だ。

 それから温泉にはすぐ着いた。どうも作りを見るに、上流から温泉を引っ張っているらしい。いちいち山を登るのは面倒なので、素直にありがたかった。

 温泉は、予想していた、と言うより聞いていたものと違った。

 噂で知った程度の話では、温泉なるものは脱衣所があり、竹の柵で周囲を囲い、また男女でも入る場所が分けられているというものだった。ここにはそういったものが一切無く、岩で湯船を囲っているだけだ。どう考えてもこちらの方が景観がいいので、善逸としてはこちらの方が好みである。

 温泉近くの立て札には、効能なるものが書いてあった。

 

「……いやこれおかしいだろ」

 

 切り傷やら火傷に効く、というのは分かる。だが性格の歪みや思いやりの欠如、失恋の痛みにどうやったら効果があるのか。そんなものに聞くのなら、不死川実弥や伊黒小芭内のような人格化け物存在しない。

 いや、もしかしたら効能があってあれなのかもしれない。もしかしたら素の性格は……怖い事を思いつき、善逸は考えるのをやめた。世の中には知らない方がいい事など山ほどある。無知は罪だが、同時に安心だ。

 と、湯気の向こう側に人影が見える。煙が深いため、それ以上は何も分からないが。もしかしたら女の子かもしれない。これが混浴というやつなのか。胸がときめく。

 ゆるやかな風で煙が晴れて――現れたのは、全身傷だらけの大男の姿だった。善逸はすん……とした。

 まあ現実なんてこんなものだろう。いつだって期待すれば裏切られる。

 

「お、なんだ番茶じゃねえか、お前もここにきてたのか」

「誰が番茶だボケ! 玄弥! 不死川玄弥だ!」

 

 よく分からないが伊之助と知り合いらしい。仲はあまり宜しくないようだが、まあ伊之助と和気藹々としてる者なんて炭治郎くらいしか知らないのでそれはどうでもいいが。

 炭治郎と伊之助がとんでもない勢いで服を脱いで、風呂に飛び込む。この様子でそれもどうかと思ったが、一人温泉を前に突っ立っているのも嫌だったので、善逸も入ることにした。

 

「久しぶりだな玄弥! 最終選別以来か?」

「なんで友達みたいに話しかけて来てんだテメェ!」

「その人を何人か殺してそうな目やめてよ……不死川さん、じゃ被っちゃうか。風柱思い出しちゃうじゃん」

「あァ!? 俺より先に柱になったからって調子に乗ってんじゃねえぞ! ……てかお前、兄貴と知り合いなのか? どんな調子だった?」

「えぇ……いきなり大人しくなるじゃん。情緒不安定かよ」

 

 いきなり顔を寄せてくる玄弥に、やや引いてしまう。目つきの分を差し引いても、顔は普通に怖いのだ。

 

「風柱なら今も変わらず、元気に鬼をぶっ殺してるけど」

「そうか……元気ならいいんだ、それで」

「というか、風柱と兄弟だったの? いや、そもそも風柱の私生活なんて一つもしらないんだけど」

 

 元々興味も無いし。極道者の秘密を覗いて引き返せなくなる感もあって、一度も踏み込みはしなかった。

 

「ああ、まあな……」

 

 どこか歯切れが悪く、玄弥。

 こちらなど気にしない風を装っているが、しかしチラチラと見てきてもいる。

 

「所でその、お前ら、どうやって柱になったんだ?」

「なんだ、お前まだ柱じゃねえのかよ。雑魚が!」

「ぶっ殺す」

 

 二人、湯船の中でいきなり殴り合いを始めた。

 

「やめろって二人とも!」

「血が滲む! せっかくの温泉に血が滲む!」

 

 必死になって取り押さえる。

 善逸は玄弥に掴みかかった、が、そこで妙な音を聞いた。

 玄弥からは、“呼吸の技術”の音がしないのだ。常中を会得していないという意味ではない。全集中の呼吸を扱う者には、肺に独特の残滓があるのだが。彼からはそれすらも聞こえなかったのだ。

 また、別種の異音まであった。どこかで聞いたことがある。混ざり物があまりにも多いので、判別が難しいが。しかし確実に聞いたことのある音。

 とりあえず二人から抗戦の意思がなくなったのを確認して、手を離した。

 伊之助がまた余計な事を言う前に、善逸はまくし立てる。

 

「で、どうやって柱になったかだろ? 正直言って運だよ。甲に昇格する時は柱が三人もいたし、上弦の弐を倒す時だって、しのぶさんの働きが大きかったし。だいたい十二鬼月と遭遇するのだって、よっぽど運が悪くなきゃかち合わないって」

「チッ、やっぱりそうか。鬼を五〇匹殺した方が早えな」

「俺からしたら、なんでそこまで柱に固執するのかが分からないんだけど……」

 

 はっきり言って、柱になれて良かった点などない。使う当てのない給料が増えたからって何だと言うのか。むしろ仕事が増えてただの地獄まである。

 

「色々あんだよ」

 

 そっぽを向いて、すげなく告げる。理由を明かすつもりはないらしい。まあ、喧嘩を止める為に振っただけなので、まともな答えなどなくてもよかった。

 

(でも、どう見ても不死川さんの兄弟だよなあ)

 

 顔立ちといい音といい、似通っている部分が多すぎる。玄弥も明言している以上、実の兄弟ではあるのだろう。やたらめったら攻撃的な性格までそっくりである。多分、問題は実弥の方にあるのではないだろうか。もっとも、あの人で強さ以外に問題の無い場所など無いが。

 ヤクザの杯を交わした的な意味で兄弟という可能性もなくはないが、その意味だと恐らく善逸も舎弟扱いになるのでとても嫌だ。

 

「あ、あと玄弥。甘露寺さんが話しかけたのに無視するのはよくないぞ。悲しそうにしてたから後で謝っとくべきだ」

「……だよ」

 

 消え入りそうな声で、玄弥。そんなものお構いなしに、炭治郎はずけずけと踏み込んだ。

 

「なんて?」

「だから! 緊張して何言えばいいか分からなかったんだよ!」

「ごばぶべぼばばばば!」

 

 炭治郎の頭を鷲掴みにして、湯の中にたたき込む。八つ当たりもいいところだ。

 そんな彼に、善逸はにっこり笑みを浮かべた。そうかそうか、思春期か。甘露寺さん美人だもんなー、そりゃ緊張の一つもするよなー。などと思っていると。

 

「何にやけてんだテメェ!」

「ぶぼべばびばぶぼ」

 

 善逸も頭をたたき込まれてしまった。暫く炭治郎と一緒になってがぼがぼ言っていた。

 その後、玄弥はいくらか伊之助と言い合った後、とっとと温泉を出て行った。まあうるさいのは嫌いそうだったし、仕方がないだろう。

 丁度玄弥が居なくなった頃、禰豆子が筺から這い出てくる。服を脱ぎ、湯船に飛び込んで泳ぎ始めた。惜しむらくは十歳の見た目だという点だろうか。

 などと考えていたら、炭治郎にすっごい目で睨まれた。とても怖かったので二度と考えないことにする。

 そのまま暫く、四人でゆったりと風呂に浸かった。伊之助でさえ騒がずに、のんびりと温泉を堪能している。

 

(あー、これだよこれ。やっぱ温泉ってのはこうでなくちゃな)

 

 人生初めての温泉は、思っていたより遙かに心地よいものだった。疲れと傷、果ては心までがどんどん癒やされていくのを感じる。こうしていると煩悩までどこかに飛んでいきそうだ。いや、さすがに蜜璃などと混浴していれば絶対無理だが。

 効能の半分は与太だとしても、納得のいく心地よさだ。

 いつまでもこうしていたいな、と堪能しながら。夕食の連絡が来るまで、一年分の疲労を溶かすべく、ゆったりとした時間を堪能した。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。