獪岳と善逸   作:山筋

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奇襲

(なんだろう……)

 

 落ち着かない気持ちをどうにか制御しようと苦闘しながら、布団中で寝返りを打つ。

 刀鍛冶の里は、朝も夜も早い。都心ならばガス灯が普及しているので、夜のない街というのもままあるのだが。薪がせいぜいなここでは、太陽の動きと活動時間は全くの同一となる。どうしても夜間に動かなければならない場合、提灯の使用すら規制されるほどだ。とにかく、夜間に明かりの利用は制限されている。

 これは他にも利点があった。鬼に察知されづらいのだ。言うまでもなく、奴らの活動時間は夜に限られる。よって、夜に騒げばその分この隠し里が見つかる可能性も高まるのだ。

 夜間に活動するのは、常中隊士のみ。これは明文化された規則である。いかに柱になったからとて、彼らもその法は侵せない。

 

(だから、これは当り前の事なんだ)

 

 自分に言い聞かせる。

 夏でもない夜は、非常に静かだ。虫が鳴く事もない。たまに草花のさえずりや、獣の遠吠えが響く程度。何度も繰り返してきた夜、その一つでしかないはずだ。

 目を閉じていられなくなって、思わず開く。これは隊士全員に共通することだが、夜目が利く。僅かな月明かり、星の照らす灯火で、はっきりと輪郭を掴めた。これもただの技術で個人差はあるらしいものの。少なくとも一〇歩分の範囲で見えない者はいない、というか見えなければ最終選別を突破できない。

 実のところ、この感覚に似たものを感じたことがないわけではなかった。例えば獪岳と一緒に二人の鬼を倒した時。例えば鬼にされた獪岳と戦った時。例えば童磨と初めて顔を合わせた時。いずれも戦場であり、自分の中の臆病に触れられた時だった。

 だが……いや、だからこそ、余計に頭が混乱する。自分は今、何とも戦っていない。怯える理由などないはずだ。

 こういった時、思い出さずにはいられない。獪岳の言葉を。

 

(理屈では説明できない直感。もしもの時はそれが頼りになる事もある、だったっけ)

 

 獪岳は優秀なだけではなく、経験豊かな剣士だった。彼の言葉を疑うことはできないが……さすがに今感じている恐怖を、そのまま鵜呑みにはできない。

 だから落ち着かない事をあれこれ否定してみた所で、胸騒ぎが消えるわけでもなかった。むしろ時間経過と共に酷くなっている気さえする。

 もう一度寝返りを打って、今度は寝ているはずの二人へと向いた。

 当り前に、彼らは静かだ。炭治郎は真っ直ぐの姿勢で瞼を閉じており、伊之助は枕を弾き、頭の後ろで腕を組んでいた。禰豆子が入っている筺は、部屋の隅に寄せてある。ここ暫く見慣れた光景。

 

「なあ炭治郎、伊之助」

 

 小声で囁いてみる。

 

「どうした?」

「なんだよ」

 

 答えを期待していなかったので、逆に声をかけた善逸が驚いた。二人とも静かにしているが、しかし視線だけははっきりとこちらを捉えている。

 

「いや、なんか眠れなくてさ」

 

 あたふたと言い訳をする。言葉は全くその通りなのだが、少々言い訳がましいかと感じた。少なくとも、二人の眠りを邪魔するに値する理由ではない。

 が、善逸のそれに反発される事はなく、むしろ同意の声が上がった。

 

「わかんぜ。なんかモヤモヤして眠れねえんだろ」

「俺もだ。自分でもよく分からないけれど、なんでだか今日は寝ちゃいけない気がする」

「二人もそうなのか……」

 

 思わず眉をひそめた。

 これが自分一人だけなら、偶然だとか体調だとかで無理矢理納得し、静かにしていただろう。しかしそれが三人ともとなれば話は変わる。何か――とにかく良くない事が起きようとしているのではないかと、そう思えて仕方が無かった。

 

「なあ、剣を取りに行かないか?」

 

 藪から棒に、炭治郎がそんな事を言い出す。

 

「杞憂ならそれでいいんだ。音は立てないし明かりもつけない。武器を持って、落ち着くまで里の中をふらふらしてさ。なんにもなければ眠ればいい。もしかしたらちょっと叱られるかもしれないけど、しょうが無いって割り切ってさ。悶々としたものから目を背けて、もし何かあった時に何もできないよりはいいと思うんだ」

「いいぜ。どうせ寝れやしねえんだ。一汗かいて風呂入って、それから布団に入るのも悪かねえ」

「まあ、無意味にごろごろしてるよりはいいか」

 

 否定する要素も特に見つからず、控えめに同意する。

 全員が起き上がる。特にこれといってすることはない。一瞬、隊服に着替えようかとも思ったが。さすがにそれは、徒に不安を煽るだけだ。夜間警備の隊士だって、柱が夜に何事かと思うだろう。刀だけならば、どうにも眠れないからちょっと修行、で言い訳が効く。

 炭治郎だけ筺を背負って、部屋を後にする。

 当り前に、外に出ても里は静かなままだった。初めて見る夜の里は、まるで死んだ小村にも思える。これは、多分に今の感情が影響されてのものだろうが。

 炭治郎も伊之助も、まだ刀の真打ちは完成していない。伊之助の場合は、刀の形状が特殊なため。炭治郎は、担当の刀匠である鋼鐵塚蛍が修行と称して行方をくらましていたため、打ち始めに時間がかかったせいだ。結果、ちゃんとした自分の武器を持っているのは善逸だけである。

 刀の保管場所は全員同じだ。

 壁に掛けてある刀帯を巻き、剣を佩いた。長年刀を持っていたせいだろう、やはり怪我がない時は、腰の物があると落ち着く。

 暫く、申し訳程度に散策した。ついでに警備の隊士へ挨拶しておく。いきなり遭遇するよりかは、先に一言かけておいた方がいいという判断からだ。代表して善逸が声をかける。

 

「お疲れ様です」

「柱のお三方が、夜にどうしたのですか?」

「いえ、実は昼にうたた寝しちゃって。頭が冴えちゃってるから、皆でちょっと散歩しようかなって。警備の邪魔になるような事はしません。もし目障りならおっしゃって下さい」

「そんなことありませんよ。ここは夜に見回って面白いものなんて何もありませんけど、気が済むまで」

 

 と、隊士は快く答えてくれたが。内心に苦笑があるのは分かった。

 面倒ごとだけは起こさないでくれよと願われたのか、それとも柱といえどもまだ子供と微笑ましく思われたのか。とりあえず、さほど悪い感情を抱かれていない事だけはほっとした。

 とりあえず里の中を、人気がない場所を中心に回る。建物の周りと一周し、鍛冶場も一応覗く。

 分かっていたが、誰かと遭遇することはほとんど無かった。たまに夜遅くまで働いていた鍛冶士と顔を合わせる事はあったものの、ここ暫くで善逸らの顔は知られている。そのため特に何も言われることはなく、軽い挨拶だけで通り過ぎた。

 総じて、普通の夜である。鬼の居ない、静謐で穏やかな夜。

 

「やっぱり何もない、よな」

 

 言葉は、話しかけるというよりは、自分に言い聞かせるためのものだった。

 

「でも、油断はできない。俺の中の何かがそう言ってるんだ」

「こういう夜は必ず何かがあるぜ。俺は詳しいんだ」

「何に詳しいんだよ……」

 

 どこかとぼけた事を言う伊之助に、そんな言葉を返しながら。

 改めて知ったのは、夜は思っているより長いという事だった。鬼を探したり追いかけ回されたり、そんな事をしていると時間はすぐに過ぎていく。何もない事を待ち構えるというのは、案外苦痛だった。柱になったならば、今後はそういったものに耐えるのも必要になると思うと、ちょっと憂鬱だ。

 三人それぞれの感覚で、何事も無い事を確認し合い。まだ拭いきれない不安を押し殺すようにして、善逸は呟いた。

 

「温泉、行くか」

 

 まだ胸のつっかえは取れないが、かといってここを放浪し続ける意義を感じない。体が温まれば少しは気が晴れるのではないかと思っての提案だ。

 

「そうだな、行くか」

「夜の露天風呂っていうのも中々乙だよな」

 

 ちょっとわくわくしながら、善逸。返ってきたのは呆れだった。

 

「なんでお前はそんなに浮かれてんだ」

「え? だって夜に温泉だぞ? ちょっとドキドキするだろ?」

「風呂なんて好きに入ればいいじゃねえか」

 

 どうでもよさそうに、伊之助はばっさり切り捨てた。ちょっとしょんぼりする。

 

(そう言えば、伊之助は山育ちで温泉もあったって言ってたっけ。そりゃ星空風呂くらい入った事があるよな。というかむしろそっちの方が当り前なのか)

 

 とはいえ、まあ反対意見とうい訳でもない。連れ添って坂道を登っていく、その途中で。

 

「血の匂いだ……!」

 

 炭治郎が顔を強ばらせて呟いた。その表情から、匂いがちょっとやそっとでない事は容易に察することができる。

 彼に釣られるようにして、一斉に走り出した。しかし善逸は、同時に諦めもしていた。

 音がしない。炭治郎が向かう先には、人の音がなかった。似たようなものを伊之助も感じ取っていたのだろう、意識は既に進行方向とは別にある。

 先導されて向かった先は、元々温泉までどれほど距離があるわけでもなく、すぐにたどり着いた。

 道の真ん中に、ぽつりと転がる黒い影。それがかつて人であったものだと理解するのに、いくらかの時間を要した。手と足と頭、それらは分解されているものの、まだ原型を保っている。しかし胴体部分は、一体どうやったらこうなるのかと言いたくなった。無理矢理ねじ切られ、腹も肋骨も関係なく引き裂かれ、臓腑が全て潰された状態で転がっている。誰もがこんな死に方はしたくない、と考えるような遺体だ。

 怒りに、炭治郎の音が膨れる。しかしそれもすぐに収まった。事態がどれだけ悪いかを、即座に理解し収めたのだろう。

 

「善逸、伊之助! すぐに里へ戻って……」

 

 言葉は、最後まで続ける事などできなかった。

 里を挟んでちょうど対面から、馬鹿でかい気配が膨れ上がる。上弦の弐と言われたあの化け物に匹敵する、人間の根源的な恐怖を煽る威圧を、隠しもせずにわざとまき散らしている。

 善逸は即座に頭を回した。自分はいまこの瞬間だけ獪岳だ、そう念じながら。

 

(鬼の気配は全く無かった。上弦の鬼だと思われる相手が出てきたのは、俺達の反対側。運が悪い……いや運がいいのか。そうでなきゃこの遺体に気づけなかった。間違いなくあっちの鬼は囮、俺達をつり出そうとしている! なら目的は何だ? 挟撃? 違う、あっちの鬼が柱を釘付けにしている間に、刀匠を残らず始末する……これか!?)

 

 確証はない。だが、これだけ隠密性に富んだ鬼がいるというのも確かである。最悪が過ぎった以上、無視もできなかった。

 まずは自覚しなければいけない。今、鬼殺隊の屋台骨が一つ、消されようとしている。そして、自分たちは柱だ。まだ自覚も覚悟も力も、何もかもが足りないが、すべきことだけは分かっている。

 

「炭治郎、伊之助! お前達は気配の方へ向かってくれ! 俺が刀鍛冶を守る!」

「んなっ! 全員でぶっ殺しに行くんじゃねえのかよ!」

「違うぞ伊之助! 恐らくこの人を殺した下手人は別にいる! どっちを放置してもここは終わりだ! まず俺達がそっちを足止めするんだ!」

 

 言って、炭治郎はこちらをちらりと見た。

 

「すまない、善逸。皆を頼む。それと……死ぬなよ」

 

 彼は恐らく察していたのだろう。この遺体を作り出した鬼も、間違いなく上弦の鬼だと。

 上弦の鬼に対し、二人がかりとたった一人。どちらが危険かは言うまでもない。

 善逸とて命は惜しい。だが、そんなもの、目の前で殺されそうな人を見捨てる理由にはならなかった。命を掛けるなんて柄じゃないし、それこそ死ぬほど嫌だが。そうしなければならない時というのはある。

 だから、強がりながら震える声で返した。

 

「死ぬつもりなんて全くないよ! だから、そっちも気をつけて」

「ああ。行くぞ伊之助!」

「仕切るんじゃねえ! 俺は最初から行くつもりだ!」

 

 それ以上、彼らを顧みる事はせず。善逸は全速力で里へと向かった。

 耳に意識を集中し、なんとか鬼を探ってみようとするのだが。さすがに里に入られたのに気づけなかっただけあって、見つけ出すのは難しそうだ。ただの予想でしかないが、闇雲に走り回った方がまだ遭遇率が高い。

 だからこそ、真っ先に警備している隊士の元へと向かった。

 急に飛び出てくる善逸に驚く警備隊士。彼の反応も無視して、とにかく指示を出した。

 

「警鐘を!」

「は?」

「鬼の襲撃です! 早く皆を逃がさないと!」

 

 刀鍛冶の里に配備されているだけあって、優秀な隊士。言葉を一瞬で理解して動き出した。すぐに櫓の上へすっ飛んで、鐘楼を鳴らした。里中へ響き渡る不吉な音色に、全ての人間が忘れていた悪夢へと引き戻される。

 鐘を鳴らした隊士が戻ってくるのとほぼ同時に、他所で見張りをしていた隊士がやってきた。

 

「鳴柱!」

「我々はどうすればいいですか!?」

「ご指示を!」

 

 柱の言うことに間違いは無い――そう言いたげな視線の数々に怯む。改めて思い知った。善逸は今、この場に居る全ての人間の命を背負っている。

 迷うな。己を叱咤する。自分が迷えば、不安が広がるだろう。それはつまり恐慌へと繋がりかねず、そうなった場合、鬼から人を守るのはさらに難しい。だから短時間で最善と最悪を模索し、両者の秤が釣り合う部分で指令を下した。

 

「里の人達を連れて、速やかに逃がして下さい。鬼は里の内部に一人、里の外、南から一人来ています。鬼と遭遇した場合は下手に抗戦せず、声を上げて。俺が全力で足止めないし討伐を試みますんで。とにかく、一人でも多くの刀匠を逃がす事を優先して下さい」

 

 それはつまり、いざという時は、町人の為に死ねと言っている。言葉にして、口の中に苦い物が広がった。

 しかし彼らは、そんな理不尽にも、一切の躊躇をせず頷いた。非道な思考の中、もう一つ冷たい現実に目を向ける。

 

(多分、全員を逃がすのは無理だ。少なからず犠牲が出る)

 

 それもまた、認めなければならない。

 鍛冶士達は隠とは違う。彼らは生まれながら刀匠となるべく育てられた者がほとんどであり、呼吸の訓練などしたこともない。これは音を聞いても分かった。運動能力、判断力共に人並みか、精々毛が生えた程度だとすれば。こうして夜間に襲われ、人も散り散りに寝ており、さらに敵は上弦の鬼二人。犠牲を覚悟しなければならない。

 命の選別を繰り返す。そんなことを繰り返さなければならない。もしくは、上弦の鬼ほどの鬼を速やかに倒すか。

 

(どっちか選べるんなら、そりゃみんなが生きてる方を選びたいけどさ!)

 

 吐き捨てながら、善逸は屋根の上へと飛んだ。

 生半な存在でない事は、童磨で痛いほど思い知らされた。はっきり言って、そもそも勝てる自信が無い。

 歯を食いしばりつつ、目に意識を集中した。音で捉えられないのは既に分かっている。

 ちらりと、炭治郎達が向かった方へ視線を向けた。まだ戦いは始まっていない。が、火蓋が切られるのも時間の問題だ。戦いそのものより、鬼が現れた位置の悪さに舌打ちした。炭治郎らが鬼と接触するのは、里にさしかかる直前だ。血鬼術の種類にもよるが、巻き込まれて死ぬ者が出てくる。

 屋根の上を何度も飛び移って往復し、里の中をくまなく探した。急いで飛び出した人が多く、判断が難しくなった。

 自分一人、戦わずにこんな所でふらついているのに、苛立ちすら覚えた。しかし、鬼が潜伏している可能性が高い以上、少なくとも里人の避難が終わるまではこうしていなければならない。

 移りゆく視界の中、情報をより分けていく。建物、人、人、人、隊士、建物、隊士、人、人、壺。

 

(……壺?)

 

 いきなり訳の分からない物が目に飛び込んできて、思わず混乱した。なぜ道のど真ん中、それも人が避難している状況で壺なんて置かれているのか。誰かが捨てて逃げたのだろうか。それにしては皹一つ入っていないし、そもそも直立しているものおかしい。運が良かったと言えばそれまでだが。

 しかし善逸は、別の可能性を考えた。鬼の仕掛け、もしくは血鬼術そのもの。

 屋根から軽く飛び降り、壁を思い切り蹴って。壺に対して刃を走らせた。

 ぶれる視界の中。初めて、音を効くことができた。壺から何者かが現れ、それを守るように爪で受け止められる。

 一瞬の交差の後、背後に回って、およそ首があるだろう位置を一閃。これもまた防がれる。鈍い感触と共に、刀は受け止められた。

 

「きゃああああああ!」

「鬼、鬼だ!」

「わああああ!」

 

 いきなり現れたそれに、周囲の人達が散り散りに逃げ始めた。

 くそ、吐き捨てる。逃げてくれるのはいいが、なら一方向、隊士達が守る場所へ向かって欲しかった。これで守ることの難易度が爆発的に上がる。もっとも、鬼もそれを見越して、わざわざ中心に現れたのだろうが。

 確認もせずに一歩踏み込み、距離を開ける。一瞬後、背中を掠めるようにして鋭い何かが通過していく。考えるより先に足を動かしていなければ、今頃上半身と下半身が泣き別れだった。

 前足を軸に半回転し振り向く。一応刀で体を庇うようにしていたが、追撃はなかった。

 振り向いて、目に入ったのは。

 多い、とは決して言えないが、善逸もそれなりに鬼を見てきた。中には元が人だったと思えないような者も多数いた。だが、そんなどいつと比べてもなお、目の前の鬼は化け物だった。

 もう輪郭からして人ではなかった。体から腕が無数に生えている様は、むしろタコやイカのような軟体動物の触手に近い。肌は異様に青白く、下の血管がうっすらした月明かりの上からでもはっきりと分かる。何より特徴的なのが顔だ。目と口がそれぞれ二つずつ、奇妙な位置についている。それでも辛うじてこれが人だと判断できたのは、触手の先に五指がある事、顔らしき部位に鼻がついている点だった。額と口があるべき場所についた二つの目からは、上弦、伍とそれぞれ入れ墨がある。正直、ここまでの異形だと、本当にそれらが目や口の機能を果たしているかも疑問だった。なぜ壺から体が生えているのかも謎だ。

 

「判断力、良し。早期に襲撃を見抜くとは勘もいい。成る程、確かに柱ですな」

「そういうあんたは上弦の伍だな?」

「あのお方に頂いた位を呼んで頂くのも悪くはありませんが、玉壺と呼んで頂いた方が私としては好ましい。いやはや、なんだかんだ言っても柱、流石ですよ。本当ならば発見されるのはもう少し後の予定でした。おかげで計画を前倒しする必要があって、()()に裂く時間もありませんでした」

 

 ヒョヒョ、と奇妙に笑う上弦の伍、改め玉壺。とりあえず声は、目の位置にある口から出ているようだ。口が二つあるため、声が二重に聞こえて微妙に聞き取りづらい。

 

「運が良かっただけだ。あんただろ、温泉へ向かう道に死体を放置したの。あれがなかったらもっと遅かった」

「おや、これは痛恨の失敗ですな。一度、刀鍛冶の肉を喰ろうてみようとしたのですが、あまりのまずさに思わず吐き出してしまいましたよ」

 

 激発しそうになるのを、呼吸で無理矢理押さえ込んだ。この鬼は間違いなくそれを狙っている。

 童磨で知った、今までに無い鬼の偏向。上弦の鬼には、策を弄し感情を揺さぶる者がいる。心の上振れは人を強くするが、同時に隙も生む。可能な限り平静を保ち、瞬間的に感情を爆発させる、これが大事だ。獪岳は当り前のように行っていたし、実弥も獪岳ほど徹底はしていなかった、上手く利用している。

 

「自制心や見事。流石に安い挑発には乗りませんか」

「それに乗って守るべき人達を殺させたんじゃ意味ないだろ」

「然り然り。ですが、そんな単純なことを理解していない者は案外多いのですよ。それこそ、今まで私が殺してきた柱などもね」

 

 その点お前は合格だ、と言われたが、全く嬉しくない。

 

「所で私の作った壺はどうですかな!? 素晴らしいでしょう!」

「え、何急に」

 

 無数の手から、それぞれ柄や形状の違う壺を持ち、玉壺。

 とりあえずこれは挑発でもなんでもなく、ただ単に好みの問題だという事は分かった。意味は全く分からなかったが、時間があればそれだけ逃げ切れる人数が増えるという事なので、ひとまず乗ってみた。

 

「どうだって言われても。壺、だよね?」

「馬鹿が! 壺への感想を聞いているのだ! 私が作った一流の美というものを堪能させてやっているのだぞ!」

「その、学がないもんでまず善し悪しが分かりません」

「あぁ嘆かわしや嘆かわしや。剣ばかり振っているから脳みそまで筋肉でできたような頭の悪い回答しかできないのだ。時代は芸だぞ、より良き物を見て、より多くを学んで、理解を深めなさい」

「はい、ごめんなさい……。なんで俺、謝ってるんだろ」

 

 そこはかとない理不尽を感じる。まさか生き方で鬼に説教される日が来るとは思わなかった。的を射ているのがなおさら悔しい。

 下らない話だが、少しでも時間を稼げた。そう思っていたのが、鬼にも伝わったのだろう。

 玉壺は不気味に笑った。

 

「なぜ私が、貴方にしか利のないおしゃべりをしていたか、そう思ってるのでしょう? 私は何も、自分を誇示したいだけで話していたわけではないのです」

(いや、それは嘘だろ)

 

 そこだけはきっぱりと断言した。

 

「距離の問題、時間の問題、それら全て、私には関係のない話だからなのですよ。ほら、そのうち聞こえてくるでしょうね」

 

 言葉のすぐ後、ぎょっとした。あらゆる位置、それも里人の逃げ道を塞ぐような位置から、異音がしたのだ。これは壺だろうか。とにかく空洞の中から、あからさまに危険と分かる何かが溢れているのを感じる。

 個体ごとの力はどれほどか分からないが、どうであれ数がとてつもなく多かった。護衛の隊士だけで守り切るのは無理だし、そもそも彼らが勝てるか怪しいほどの強い気配を発している。いや、確実に守護者を殺す力を持っているだろう。そこで詰めを誤るほど、目の前の鬼が甘いとは思えなかった。

 

「どうやら貴方は耳がいいらしい。私の血鬼術は、広域殲滅にとても向いているのですよ。人を散らした時点で、既に型へと嵌っていたのです」

「くそっ!」

 

 吐き捨てるが、その場を動くことはできなかった。玉壺が満足げに頷く。

 

「そうでしょうともそうでしょうとも。貴方がここで助けに走れば、私は背中へ斬りかかります。当然無駄死にとなりましょう。かと言って、このままほぞを噛んでいれば刀鍛冶は全滅、我らの目的は達成します。趨勢とは、戦う前から決しているものなのですよ、坊や」

 

 頭の足りない子供へと言い聞かせるような言葉に、しかし全く言い返せない。ぐうの音も出ない正論であり、また反証している程の余裕もなかった。

 このままでは、どれだけ健闘しても無意味になる。かと言って打てる手もない。そもそも目の前の鬼を倒せるかすら怪しいのだ。

 顔面蒼白になりながらも、頭を回す。何か危機を抜ける手段は、何か、何か……

 

「ヒョヒョヒョッ。いくらでも悩みなさい。貴方の顔を見るのに飽きた時、里人もろとも殺して、私の作品にしてあげますよ」

 

 さらに、周囲の建物からいきなり壺が溢れた。高い位置から転がり、地面に叩き付けられて割れるかと思ったそれは、半ば当たりであるものは壺の中から、あるものは壺の周囲から不気味な肉の塊が溢れてくる。それらは即座に形成され、いろんな水棲生物を混ぜ合わせたかのような姿になった。

 一つ一つにさほど強さは感じない。せいぜい並よりちょっと上くらいの鬼といった所だろう。刀鍛冶の里を囲んでいる血鬼術と類似した音であり、通常ならば、さほど苦労する相手ではない。ただし、一般人という足手まといを抱えていれば話は別だ。

 それは善逸にも同じ事が言える。上弦の伍ほどの相手を前にして意識を裂かざるを得ないのは致命的だ。

 どれだけ悩んだところで、何も思い浮かばない。この状況で、精神を平静に保つなど無理だった。濁った意識では、頭も空回りだけを続ける。

 誰も助けられず、自分の力も発揮できず、呆気なく玉壺に殺される未来しかない。

 ――善逸が一人だったならば。

 仮に、この血鬼術を式神と称するが。唐突に、式神の一つが両断された。姿勢を崩して倒れ込んだ式神の向こうから飛んでくるのは、華やかな髪を舞わせて飛んでくる、一人の女性。

 

「頚を切っても再生してる? なら」

 

 足が地面に着くか着かないかという所で急転身、今度は壺を斬って割る。

 

「あああああ! 私の壺が!」

「ここが弱点なのね!」

 

 浴衣のせいでかなり危ない格好になっている甘露寺蜜璃が、左手に刀を携えながら対極に降りた。右腕はだらんと垂れたままだった。

 玉壺に怒りを向けられているが、そんなものの相手をする余裕など無いという風に、式神を潰しながら声を上げる。

 

「ごめんなさい善逸くん、効き手の使えない私じゃこれが限界だわ。この程度しかできないけど……」

「十分ありがたいです! そんな事より甘露寺さん!」

「ええ、分かってるわ。あっちは()()()

 

 何気なく言われただけの言葉だが。そこには、問答無用の説得力があった。これが柱の在るべき姿なのか。

 玉壺の爪を紙一重で躱し、蜜璃は姿を闇に紛れさせた。

 

「逃げるなァァァ! この野蛮な猿めがァァァ!」

 

 追いかけようとする玉壺を背中を見ながら、貰った一瞬を無駄にしないよう、善逸も動き出した。

 雷の呼吸 肆ノ型・遠雷

 長射程、広域の横薙ぎで、周囲の式神を一掃する。生み出そうと思えばすぐにでも次が出てくるだろうが、この瞬間に存在しない事が大事だ。蜜璃が襲われる確率を少しでも減らせる。

 連続して呼吸を深める。

 続き、雷の呼吸 弐ノ型・稲魂

 相手に傷を負わせる事よりも、やや回り込んで蜜璃に向いた意識を引き戻す事を優先する。ついでに、太刀の一つを壺に向けてやるのも忘れない。

 稲魂は獪岳が好んで使う技だった。自身の機動力に自信があったというのもあるだろうが、一番の理由は対個体制圧能力の高さだ。端的に言って、稲魂はひたすらに避けづらい型だった。

 だが、その全てが空振る。本当に一切合切、空しか捉えられていなかった。

 ぎょっとしながら周囲を探す。幸いにも、いきなり背後から攻撃されるという事はなかった。幾ばくか離れた位置から、余裕綽々にこちらを見下している玉壺。

 

「ヒョヒョッ、柱を相手によそ見はいけませんでしたねえ」

「高速移動……いや、瞬間移動か?」

「ご明察。もっとも、私の場合は短距離しか移動できない上、直線上に太陽光があったら自滅してしまいますがね」

「いいのかよ、そんなにべらべら喋っちゃって」

「これから死に逝く者への手向けというやつですよ。それに、分かったところで対処できますかな?」

 

 無理だろうね、とは心の中でだけ呟く。瞬間移動だと分かったところで、付け入れそうな弱点までは教えていない。そこらの線引きははっきりしている。

 同時に、収穫と危惧があった。

 空間を渡る性質の問題。以前獪岳が送られてきた時は、襖が開かれその中から飛び出てきた。もしかしたらそう見せる事に意味などないのかも知れないが……とにかく、同じ性質かも知れないが、運用は全く違う。以前の血鬼術なら、つなぎ合わせた空間同士を対象が動かなければならなかった。こちらの場合は、自由度が下がる代わりに即応性がある。戦闘における実用面では遙か上だろう。

 だが、これで空間を渡る類いの血鬼術が、決して唯一無二ではないと証明されてしまった。もしかしたら三人、四人と、さらに増えるかも知れない。いや、既に存在はしていて、未だ血鬼術が高まりきっていない可能性の方が高いか。

 

(あれも厄介、これも厄介)

 

 ぼやくが、どのみち鬼など理不尽の権化だ。対策に関して言えば、それこそ本部に任せるしかない。

 

(慌てるなよ、俺。一つずつだ。一つずつ、確実に自分ができる事をこなしていけ。そうすれば結果は自ずと着いてくる)

 

 我妻善逸という人間は、決して器用ではない。不器用で、愚直で、短絡的。柱になろうが、根元の性質まで変えられるわけではない。

 できない事を高望みするより、できる事を突き詰めるべきだ。師だってそう言っていた。

 この場でできる事とはなんだろうか。決まっている。上弦の伍を自分へ釘付けにし、可能であればこれを討伐。もっと理想を語れば、手早く終わらせて炭治郎達の救援へ向かう事だ。

 少しだけ、弱気が胸をくすぐった。

 本当にそんな事ができるのか。壱ノ型しか使えなかった出来損ないに。今までだって全て、自分を活かしてくれる仲間がいたからこその戦果だろうに。お前は何も、一人では成し遂げることなどできない……

 浮き出てくる言葉が、ただの被害妄想でない事など、自分が一番よく分かっている。およそ『強い』と言える鬼に対し、善逸は単独で勝った経験がないのだから。

 

(じゃあどうするんだよ俺。いつまでも腰が引けてるままか?)

 

 それは無理だ。ただの一隊士であった時代なら、戯言(たわごと)を表に出せたかも知れない。

 柱なのだ。彼は今、鳴柱・我妻善逸なのだ。失敗も、弱音も、そして死ぬことさえも。全ての権利は失った。

 

「なあ、あんた。ここで俺があんたを殺すって言ったら笑うか?」

「冗談としては面白い部類なのでは? たかだか柱一人で上弦の鬼を倒せると思い込む傲慢は、まさに喜劇」

「だよな」

 

 こんなもの、同意するしかない。

 童磨と戦った時は四人がかりだった。全員あの時より強くなったとはいえ、だからといって間近に感じた上弦の鬼の脅威を忘れられるものか。

 善逸は笑みを浮かべた。引きつったものだった。

 

「なんでも柱ってのは、その喜劇を現実にしなきゃいけないもんなんだってさ。大変だよな、全く」

「ええ、ええ! 知っておりますとも! 私も、幾人もの柱を殺してきたのですから! ですが安心して下さい。貴方の悲壮な覚悟、そして愚かしい最後は、私が責任を持って最高の芸術として昇華してご覧に入れましょう」

 

 だから、と玉壺は顔をにやつかせた。

 

「安心してお死になさい」

 

 宣言して、玉壺の両手から魚が溢れるのを。善逸は、神経を総動員しながら睨め付けた。

 

 

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