獪岳と善逸   作:山筋

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強き者、強き事

 鬼、竈門禰豆子。異能の鬼という分類に入り、血鬼術なる超常能力を会得している。

 血鬼術の効果は至って単純であり、自分の血液を炎、ないしは爆発へと変換する。そしてここからが肝なのだが――彼女の血鬼術は、鬼ないしは鬼が産みだした物にしか効果が無かった。

 その影響かどうかは炭治郎に知る術はないが、爆血(仮にこう呼ぶ)は格上に対しても大きな効果を発揮していた。少なくとも当時は確実に能力で上回っていた下弦の伍たる累の糸を容易く燃やしている。こんな言い方は嫌いだが……禰豆子は鬼を殺すのに特化した鬼だった。

 強い弱いを論ずることに意味が在るかは知らない。ただ事実として、爆血はおおよそ全ての鬼が防げないという事実がある。

 もし仮に、禰豆子が童磨と戦うときに起きていたら、もっと簡単に倒せていただろう。当然ながら、それは禰豆子に出血を強いるという意味と同義であり、兄としては全くもって容認できない事だが。

 つまり何が言いたいかと言えば、禰豆子は対鬼に関しては限りなく最強に近いという事だ。

 鬼に日輪刀以外で苦痛を与えることはできない(それすら鬼としての属性が強まれば蚊に刺された程度になってしまう)。例え骨まで燃やそうが時間さえあれば元に戻る再生能力もある。そんな化け物に対し、唯一太陽に関するもの以外で鬼を完全に殺しうる能力を持つのが禰豆子だ。

 攻撃をすればするだけ血がまき散らされる。それはほとんど自ら火薬をまき散らしている行為だ。血液を大量に被れば、それだけで塵一つ残らず消滅するほどの炎で焼かれる可能性がある。仮に直撃しなくとも、爆発に巻き込まれるというだけでも脅威だろう。

 ある意味上弦の鬼を超える存在、だと思っていたが。

 しかし禰豆子は、猗窩座に対し全くの無力だった。

 

「うグァぅ!」

「禰豆子!?」

 

 鬼に襲いかかった少女の体は、しかしあっさりと投げ飛ばされ、木に叩き付けられる。即座に復帰できるあたり、怪我などはないようだが。

 好転しない状況に、思わず歯噛みする。

 最初の一撃だけはよかった。禰豆子は爪で両腕を切り裂き、大量の血を猗窩座に向けてまき散らした。さしもの上弦の参も、予想外な上に広域すぎて避けきれなかったのだろう、左手足に被ってしまう。即座に爆血が発動し、その隙に二人は切り込んだ。明確に攻撃が届いた初めての一撃だったが……しかし三つの太刀全てを猗窩座は右腕で迎え撃った。体の強度そのものは低いため、そのまま頚を断てると力を込めたものの。相手も歴戦の武道家、手札も経験も、数段上だった。

 腕に刃が食い込んだ瞬間、筋肉を締めて刀を固定される。それだけならば、力業で無理矢理頚を断てたであろう。しかし猗窩座は腕を千切れる前に、剣にかかる力に逆らわぬよう腕を捻った。結果、どうなったかと言えば。攻撃側だった炭治郎と伊之助が、刀越しに投げ飛ばされてしまっていた。

 発想もさることながら、技量が既に人間の域を超えている――そう感じたのは、地面に叩き付けられた後だった。

 そのまま殺されなかったのは、運が良かったとしか言いようがない。いくら上手くいなしたとて、腕は千切れかけていた。四肢の残った一つで無理攻めするよりは、再生を待った方がいいという判断だったのだろう。

 以降は、ほとんど今までの焼き回しだった。

 一度で学習したのか、猗窩座は血を喰らわない。貰ったとしてそれは少量であり、瞬きより早く再生できる程度だった。禰豆子は苦し紛れに、地面に展開する血鬼術の破壊を試みたものの。それはあくまで視覚的効果、つまり隊士が生み出す幻影のようなものでしかなく、破壊殺には僅かな陰りも見えなかった。

 再生にも血鬼術にも、相応の体力を消耗する。年中禰豆子が寝ているのがその証明だ。ある意味、禰豆子が人を喰わない事こそ弱点と言えるだろう。体力の限界を感じ取ってか、遠距離からの爆血を諦める。鬼の膂力と鋭い爪の攻撃に移行するが、これは先ほどよりさらに悪かった。猗窩座は禰豆子に対し反射だけで対応し、それこそ視線すら向けなかった。存在しないものとして扱っている。

 

「クソっ、俺たちゃ強くなってんだぞ!? なんでこんなに縮まらねえ!」

「青いぞ伊之助! 俺の力と技は、とうの昔にその先にあるのだ! 痣が出たくらいで攻略できるほど、二百年の研鑽を経た武技は安くない!」

 

 言葉と共に、猗窩座が裏拳を放つ。

 視認できないほどの速度で繰り出される打拳を、伊之助が迎撃しようとするが。彼は手の甲を刀の腹に滑らせ、片方の刀を巻き取った。引き寄せられて姿勢を崩す伊之助に、胴体を千切るべく放たれた横薙ぎの手刀。

 炭治郎は半歩深く踏み込んで、刀の根元近くで手首を両断した。勢いのまま、切っ先で双刀の自由を奪う腕までも斬ろうとするが。成功する前に膝蹴りが飛んできた。後ろに飛びつつ刀の軌道を変えて受け止め、勢いに逆らわず吹き飛ばされる。受け方が上手かったため、飛んだところで体幹は揺らがなかった。

 伊之助を確認するが、彼も奇妙な程に腕をくねらせて、なんとか拘束から離脱する。下手にそのまま斬りかからなかったのは、相手の利にしかならないからだ。この鬼を相手に、諸共は通用しない。確実に自分の致命傷だけを避け、相手を殺す。

 この間も、禰豆子は呆けていたわけではない。爪で背中を深く裂いたが、しかし完全に無視されていた。

 

(強い……いや、それ以上に、猗窩座にできる事が多すぎる!)

 

 注目すべきはそこだ。

 痣を出すまでは打撃一辺倒だった猗窩座が、急に柔術のような何かを織り交ぜ始める。剛柔併せ持った彼はまさに鉄壁だった。

 攻めるにしたって、ずっと『守りのための攻め』でしかない。あまりにも隙がなさ過ぎる。“隙の糸”を嗅ぎ取ろうにも、根本的に事前察知され、嗅ぎ取る準備の段階にも入れないのだ。仮に見えたとして、破壊殺の前では無力。隙の糸はすぐに千切られてしまうだろう。

 

(もしかしたら、いや確実に、一対一において猗窩座は童磨より強い!)

 

 普通に戦えば童磨の方が強いのだろう。それ故の上弦の弐と上弦の参である筈だ。だが、事『対人戦』となれば話は変わってくる。

 今までの鬼は誰も彼も、人にできる事を人以上にこなしていた。血鬼術ですら、ある種の法則と想像の内側に収まっている。しかし猗窩座は、『人以上』の事は一切しなかった。全てはあくまで人にもこなせる範疇で、それこそ血鬼術ですら『予測』と言ってしまえる程度のものだ。にもかかわらずやたらめったらに強い。挙動の一つ一つ、技の一個一個が、例外なく異常な質なのだ。

 堅牢な代わり、決定力に欠けると言えるかも知れない。だが、それが何の慰めになると言うのか。虎の子である『痣』を出してなお、敗北は時間の問題だ。

 

(正直、俺にはもう猗窩座に通じる手札がない。なんとか伊之助に任せるしか……)

 

 水の呼吸の利点、それは防御に重点を置いた技であるため生存率が比較的高い事と、使い手が多いため教本たる先達が無数にいる事。欠点は、長く生きた鬼には手札の全て、知り尽くされている事。

 加えて、炭治郎はお手本のような水の呼吸の使い手だった。

 奇抜な手など一切取らない、というかそもそも思いつかない。とにかく基本に忠実な技の使い方をする。長命の鬼、それも水柱との対戦経験がある相手であれば、炭治郎のやり方はさぞ読みやすいだろう。

 逆に伊之助に対して、猗窩座はやややりづらそうにしている。彼の呼吸は独自のもの、あえて言えば風の呼吸に近いらしいが。とにかく全ての型が初見だ。加えて動きそのものも、奇妙なほどの関節可動域も手伝って、常識から外れている。冨岡義勇の言葉に倣えば、動きに理がないのに理に適っているといった所か。もっとも、その獣の呼吸だって比較的という程度でしかない。

 結局、猗窩座に対する最適解は一つしか無い。総合値で上回る。今まで誰もできなかったからこそ、上弦の参として君臨しているのだが……

 顔を青ざめながら、深く息をする。呼吸の技法とはまた別の、凍る背筋を誤魔化すためのものだ。

 正直、これで勝算が僅かでも生まれるかは分からない。だが、どうせ今のままだって勝てないのだ。ならば試すしかない。

 

「伊之助、全部お前に合わせるし任せる! なんとしても頚を取ってくれ!」

「任せとけぇ!」

「敵を前にする相談ではないぞ。筒抜けではないか」

「黙っててもすぐ察知されるんだから関係ないだろ!」

「はは、分かっているではないか」

 

 どこまで楽しそうに、猗窩座が呟く。同時に、どこか悲しそうに続けた。

 

「だが決断が遅かったな。お前達にはもう慣れてしまった」

 

 握っていた拳を開く。腰を低くしているという点だけは変わらないものの、今までに見たことのない構えだ。

 伊之助が袈裟切りと横薙ぎ、二つの斬撃を放つ。どちらも頚を狙ったものだ。変則的な弐ノ牙・切り裂きだろう。猗窩座の腕が鏡写しの軌道で振りかぶられる。

 盾に徹して、攻撃のことは考えない。これが炭治郎の出した結論だ。とにかく伊之助の命に届きそうな攻撃に集中する。それを続ければ、いつか彼が倒してくれると信じて。

 二人の進行に合わせて禰豆子が背後から強襲した。首から下への攻撃には反応すらしてくれないと学習したのだろう、爪は頚を狙っている。が、これはやはり無意味だった。連携というには少し早すぎたというのもあるが、一番の原因は間合いの利がない点だろう。

 無造作のようにも見える上げられた足は、禰豆子の膝を横から叩いた。ほんの軽くに見えたそれはしかし、少女の体が斜めに倒れる。さらに腹を足の裏で押すと、それだけで背中から転がっていった。一瞬の出来事で、剣と手が交差する前に足はしっかり地を踏みしめ直す。

 片腕だけでも貰うべく、振り下ろされる方の腕に斬り上げを放った。これは肘で軌道を逸らされ、胸板を裂くに留まる。

 伊之助の技は、半分だけは成功していた、というべきなのだろうか。刃が真っ直ぐに頚へと走る。

 だが、それが届くより早く、伊之助が声を上げた。

 

「んなっ!?」

 

 猗窩座が、頚を真横から狙う刀を、真正面から折ったのだ。

 刀は硬いとも脆いとも言える。正面からの衝撃に強く、二重構造となっている鋼はとにかく粘りが強い。真横から金槌か何かで叩けばあっさり折れる反面、正面からの破壊はほとんど不可能に近い。それこそ刃毀れをさせたり、曲げたりする程度ならばともかく。ましてや日輪刀は普通の刀より強度が高い。

 だが、この鬼はそれをやってみせた。どうやって為し得たのか、もはや人知の及ばない領域だ。

 そして、もう一太刀は。浅く頚を切った所で、肩と顎に挟み込まれ止められていた。静止した刀を、軽く手で払われる。

 

「わざと刃毀れさせた刀で削り抉る。発想は悪くないが、ならば専用の刀を作らせるべきだったな。元の刀を無理矢理変形させれば、相応に強度が下がるし亀裂も生まれる。そこへ上手く衝撃を集中させればこの通りだ」

「そんなこと……可能なものなのか!?」

「して見せた、それだけが事実だ」

 

 嘲るでもなく、誇るでもなく。淡々と述べられる。

 動揺は伊之助の方が遙かに大きかったのだろう。よろけるようにして距離を置き。それを見逃す猗窩座ではなかった。

 伊之助の喉に放たれる拳は、なんとか斬って止めた。

 

(いや、違う)

 

 直感する。これは止められたのではく、止めさせるべく放ったのだ。

 真っ二つに割れた猗窩座の拳が、ぴたりと張り付く。刀を挟んだまま。武器ごと癒着したのだ。日輪刀と鬼の体は、すこぶる相性が悪い。腕から引き剥がすなら一瞬で済むだろう。と言うことは、逆に言えば一瞬だけ完全に動きが封じられた、という意味でもある。

 隙を突いて、猗窩座は残された双剣のもう一方を掴んだ。

 伊之助が慌てて剣を引き、指を切り裂こうとするものの。いくら猗窩座の体が柔らかい方だとしても、流石に勢いなくして切れるほど柔くはない。しかも伊之助の散切り刀は抉ることに特化しており、斬るには不向きだった。刃の割れた部分を握られれば、もはや抜け出す手段はなく、呆気なく握り潰される。

 炭治郎が脱出できたのは、一対の刀が失われた後だった。

 焦りがあったのだろう――ない訳がない。攻撃と防御、どちらともつかず曖昧な位置で刀を彷徨わせ。猗窩座の掌が、そっと刀に添えられる。少なくとも炭治郎にはそう見えた。しかし、たったそれだけで呆気なく刀が砕けた。

 

「まず……!」

「やっべ!」

 

 退避、というよりは全力の逃げ。実行は、命と繋ぐという意味ではなんとか間に合い、戦いを継続させるためと言うにはあまりにも遅い。

 回し蹴りを、二人は残った柄で体の代わりに受ける。鉄拵えの柄があっさりと砕かれた。破片が飛び散ってほとんどむき出しの体に刺さり、痛みを伝えてくる。傷こそ深いものはないが、とにかく数が多い。これも、隊服であればなんともなかった。

 反射的に受けられたおかげで、損傷はさほどではない。とはいえ被害は甚大だ。とりわけ唯一鬼に通じる武器を失ったのは致命的である。

 丸腰になった二人を見て、猗窩座は頭を振った。

 

「人はこの程度で戦えなくなる。鬼であればそんな制約はないのだ。さあ言ってくれ炭治郎、伊之助、鬼になると。最後の一撃すら大過なく受け止めたお前達には、その資格があるのだ」

「何度言われても答えは同じだ!」

「もう勝った気でいんじゃねえぞ! 噛みついてでもぶっ殺してやるわ!」

 

 猗窩座はしばし無言になって、小さく目を伏せた。次に開いた時、覚悟が宿っていた。

 

「そうか、残念だ。本当に残念でならない。お前達ならば、俺と同じ道を歩めると思ったのだが」

(く……!)

 

 もはや逃げることもままならない。自分たちを殺し終えれば、彼はすぐに里人の虐殺を始めるだろう。

 

(せめて、一人でも多く逃げられるように)

 

 悲壮な覚悟を背負って、炭治郎は鞘を刀の如く構えた。伊之助もそれを真似る。

 細やかな抵抗に、猗窩座は愚かしいとでも言いたげな苦笑を浮かべた。

 

「さらばだ。お前達との闘争は悪くなかった」

 

 拳を引き絞って構えた瞬間――

 猗窩座の体は、横合いから切り飛ばされていた。

 血鬼術の超感覚すらすり抜けて来たそれに、ぎょっとしながら振り向く。振るわれるは五本の腕。絡繰人形だった。

 

「わあああああ! 行け、縁壱零式!」

 

 幾ばくか離れた所から、少年の甲高い声が響く。小鉄が持ち運び、調整した絡繰は猛然と上弦の参に躍りかかった。

 

「闘気を……!? チッ、人形風情が!」

 

 上手く感覚の隙間を縫って不意を打てた、とはいえ相手も上弦の鬼。通じたのは初撃だけだ。一目で縁壱零式の技を理解すると、その攻撃全てを捌き、一本ずつ腕を破壊していく。

 

「小鉄くん!? なんでこんな所に!」

「だって、だってこんなに強い鬼が来てるのに、黙ってやられてななんていられないじゃないか!」

「ガキだけじゃねえぞカスぅ! 俺が打った刀をバカスカ駄目にしやがってヘボが!」

「危ない事は承知しています! ですが必ず必要になると思って!」

 

 鋼鐵塚蛍に、鉄穴森鋼蔵までいる。今来たばかりというにはあまりにも間が良すぎた。猗窩座の感覚外で、状況を見守っていたのだろう。

 

「なんて危ない事を!」

 

 思わず叫ぶ。これがもし白兵戦特化の鬼でなければ、今頃血鬼術に巻き込まれて死んでいた。

 

「うるせえ! 受け取れ!」

「伊之助さん、これを!」

 

 放り投げられたのは刀だった。鞘を捨てて受け取る。柄に触れただけで分かった。この刀は、今まで触れたどんな刀よりも手に馴染む。

 刀を引き抜くと同時に見えたのは『悪鬼滅殺』の文字。続いて根元から色が変わり、漆黒に染まる。柱が柱たるべく在る為に鍛えられた刀。最強の守護者、その所以となるもの。体の奥から一気に力が溢れてきた。

 これを託すために、危険を顧みず潜んでいてくれたのだ。

 

「ありがとうございます鋼鐵塚さん!」

「よくやった、ジジイ!」

「炭治郎さん、絶対勝ってください!」

「もう二度と俺の刀を壊すんじゃねえぞ!」

「それはあなた専用にしつらえたもの、今までの間に合わせとは格が違うのを約束します!」

「うん本当にありがとう! だから早く逃げて!」

「負けたら承知しませんからね!」

「早く行ってって!」

 

 なんだかぐだぐだになったが、怒鳴りつけるとわちゃわちゃと走り去っていった。

 改めて猗窩座に向く。彼はとうに縁壱零式を破壊し終わり、中に入っていた寂れた何か――刀だろうか――を粉々に破砕した所だった。強く拳を握り、開いた中から粉がこぼれ落ちる。刀を砂鉄ほどになるまですり潰したのだろうか。

 

「ほう」

 

 二人を見ながら、彼は感嘆の声を上げた。

 炭治郎の刀は、ごく普通の太刀。ただし、その黒は以前よりも深く、光を飲み込みそうな程となっている。

 藍鼠色をした伊之助の双刀は、以前のような不揃いのものではない。鋸刃とでも言えばいいのだろうか、規則的に刃の段が連なり、その全てが研ぎ澄まされ、斬って良し抉って良しとなっていた。

 

「ハハハ、こいつぁいいぜ!」

 

 既に体にかなりの負担がかかっているだろうに、そんな事も忘れてはしゃいでいる。

 二人の様子を観察して、猗窩座は今までに無い笑みを浮かべた。

 

「重心、構え、刀の馴染み。どれもこれも少しずつだけ良くなっている。だが知っているぞ、自分に合った獲物を持った時、戦士とは飛躍的に進化する。そうか、お前達はこれまでだったのではない、これからだったのか。まだまだ俺を楽しませてくれるのだな」

 

 声が震えるほどの喜びに、裂帛の気合いで返す。ここで足止めをし続けられれば数十人が、倒せば数百数千人を助けられる。

 

「おおぉ……」

「オオオォォォ!」

 

 呼吸が、力が、何より型が。今まで十全だと思っていた以上に伝わる。担い手を理解し尽くした刀匠の作品とはこれほどのものか。

 戻ってきて遮二無二掴みかかった禰豆子が空高く放り投げられると同時、両者は走っていた。

 下段から鋭く、断面を斜めにする形で足を狙う。再生力に優れた鬼に対する最も簡単な対処法、それは再生すべき面積や体積をなるべく大きくする事だ。広く奪えばそれだけ時間がかかり、体力も消耗する。それを続けた所で死ぬ事はないが、動きは鈍化していくだろう。

 猗窩座は足を軽く引いて避けた。今まではこの手の攻撃を無視していたのに。この意味は小さいようで大きい。僅かでも動きの質が下がることを嫌ったのだ。つまり、今の自分達はそれだけ危険な域に存在するという意味でもあった。

 

(いけるか!? いや、いくしかない!)

 

 戦術は変えない。あくまで伊之助主体で攻める。刀に対する信頼と同等かそれ以上に、猗窩座の強さもまた、認めざるを得ないのだから。

 

「術式展開」

 

 言葉に連動して、まるで抵抗のない水の中にいるような感覚に襲われる。

 なんとなくだか理解できた。これは、破壊殺を最高精度で展開しているのだ。もはや一挙一動どころではない、筋肉の微細な動き、もしかしたら心の内側まで読み取られているかも知れない。

 獣の呼吸 肆ノ牙・切細裂き

 伊之助の半ば身投げするような、双剣の連撃。頚を狙うもの、体のどこかを両断するもの以外は無視、致命的なものだけを正確に見極めて弾かれる。反撃の拳は体を前に倒しながらすり抜けた。その間に、炭治郎は背後に回る。

 水の呼吸 拾ノ型・生生流転

 攻撃の回数を経て威力を増す生生流転は、単発では壱ノ型に劣る。それでも参ノ型を選んだのは、伊之助が合間を必ず作ってくれる、合間さえできれば攻め尽くしてくれると信じたからだった。

 足から始まって、胴体、胸、腕、頚と順々に上げていく。胴体は体を捻ることで、半分ほどしか斬らせてくれなかった。肋骨は伊之助の伍ノ牙・狂い裂きと連携し、体に無数の大きな傷を作る。しかし、腕を狙った頃には大半が治っていた。肘から肩にかけて切り込み、片腕を一時的に封じる。狂い裂きはなおも続いていたが、流石に見せすぎたのか、ほとんどが最小限の動きで躱されていた。最後の一撃は壱ノ牙・穿ち抜きを合わさった。双刀の突きは身をかがませて躱され、背後からの強襲は強力な後ろ蹴りで型ごと吹き飛ばされる。ここで生生流転は途切れた。これは『避けながら攻撃した』のではなく、元からこういう技だろう。

 上体を低くして上げた足をそのまま下段に放ち、伊之助の両足を折らんとする。型の終わりで硬直したままの伊之助はしかし、両膝の関節を外して逆方向に曲げ、これをやり過ごすことに成功。

 次の回避はないと見るや、猗窩座はさらに踏み込んで鳩尾に肘を入れようとした。が、それをさせないための炭治郎だ。

 水の呼吸 陸ノ型・ねじれ渦

 体を浮かされた不安定な姿勢でも十分な威力を出せる唯一の型。それを以て、断頭台のように振り下ろす。

 さりとて相手は上弦の参。彼の血鬼術は永遠の戦いに身を投じた経験と相まって、もはや未来予知に等しい。伊之助への攻撃は嘘だった。前進していた体は急停止し、そのまま回転、裏拳が側頭部へと迫る。

 空中で、それも型を全力で放った直後。死の一文字が頭に過ぎる。それが現実とならなかったのは、伊之助の蹴りだった。片足だけ関節を戻したのだろう、膝が猗窩座の頬に突き刺さる。大した威力ではないが、拳から標的を見失わせるには十分だった。彼はそのまま後方倒立回転跳びし、もう片方の膝関節もはめる。

 追撃の可能性を考えて、捌ノ型・滝壷を放つが。これは半歩下がられて空振りした。

 

「ハハハ、楽しいな! やはり強き者との戦いはこうでなくては!」

 

 無茶な動きの連発に悲鳴を上げる体を、呼吸を使ってなんとかなだめすかす。

 猗窩座は確かに全力ではあるのだろう。しかし、余裕を剥ぐ事まではできていない。

 水の呼吸 玖ノ型・水流飛沫

 水の型唯一の、機動力と攻撃力を両立した型。ある意味、生生流転よりも攻撃的なものだ。鼓鬼の時とは違い立体的な対処は必要ないため、わざと型を乱す必要は無い。

 伊之助が即座に合わせてくる。全身が弓のように引き絞られた。

 獣の呼吸 捌ノ型・爆裂猛進

 片や流麗な動き、片や暴力的な直進。対照的な二つが、ただ一人の敵を起点に幾度も重なり合う。質の違う攻撃の乱流とは、それだけで対処が難しい筈だが。猗窩座は巧みに、時に立ち位置を変え、時に速度で動きを制限してきて、危うい瞬間というものを全く見せない。

 

「上手い、だが少々物足りんな。これはどうだ?」

 

 破壊殺・砕式 万葉閃柳。そう小さく呟かれる。

 二人が迫った瞬間に放たれた地面への一撃。大地を割り揺らがせる様は、ほとんど地震だった。足下が怪しくなる前に、防御のために剣を掲げる。その判断は正しく、独楽のように一回転する蹴りが襲いかかってくる。

 完全に防御した筈だが、鬼の前ではそれでもなお足りない。威力に負けて剣の背が体に食い込み、大きく背後へ弾かれた。

 恐らく威力を調整していたのだろう、炭治郎と伊之助が飛ばされた距離には差があった。猗窩座は迷いなく近くにいた炭治郎へと躍りかかり、連打を放ってくる。凪は間に合わない。体捌きと斬閃でひたすらに防御する。

 暴風に晒されながら、炭治郎は顔を引きつらせた。

 

(ここまでして、まだ届かないのか!?)

 

 痣に型に刀。使える物はとっくに出し尽くしている。これでなお攻略の糸口が掴めない。

 他にも厄介な点があった。猗窩座が尻上がりに調子を上げているのだ。肉体の差はあらゆる面で歴然、こちらは衰退していく一方なのに、相手はなおも強くなる。

 そもそも経験一つ取ったって異常なのだ。虚実が一切通用せず、むしろ隙を晒すだけ。対してあちらの陽動は、全神経を集中してなおも見抜ききれない。鬼の体より血鬼術より、戦闘そのものに対する適応能力が違いすぎた。

 

(いや、弱音を吐くな! 頑張れ俺! とにかく頑張れ!)

 

 強く念じるが、それがただの強がりだという自覚はあった。

 果敢に攻め続けるものの、こんなものは長く続かない。根性論とうのは、あくまで引き出せる『残り』がある前提の話である。存在しない引き出しに、根性は作用しない。それを具現できるのは奇跡だ。

 吹き飛ばされた禰豆子が戻ってくるものの、やはり事態は何も変わらない。彼女も一応考えて挑んではいるのだろうが、流石に無謀が過ぎた。

 禰豆子は鬼にされた際、記憶と知性を失っている。今は人間離れした力を持つ赤子同然だ。ましてや対人戦に優れた鬼相手では、戦いと言えるものにもならない。今回の突撃も、容易くあしらわれて投げ捨てられた。木の枝に絡まりながら勢いを減らしていき、最終的にぺしゃんと落ちる。幸いにも怪我はないようで、うんうん唸りながら通じそうな手を必死に考えていたが。

 

(…………?)

 

 ふと、違和感を感じた。なぜ禰豆子には怪我らしい怪我がないのだろう。

 禰豆子にとって猗窩座は相性が悪いように、逆もまた然りだからか。体を破砕すれば血しぶきを浴び、爆血の直撃を招く。

 いや、とその考えを否定した。猗窩座ほどの武技を以てすれば、体に血が触れぬよう相手を壊す方法などいくらでもあるはずだ。単純に頭部を破壊して血鬼術の発動を阻害してもいい。どんな鬼だろうと、発動型の血鬼術は頭で考える必要があるのだから。そうでなくとも、木か何かに思い切り叩き付けて再生に手間取るほど壊すくらい、試してないのがおかしいのだ。

 まるで、禰豆子の体に気を遣って、わざと優しく遠ざけているようにすら見える。

 

(確か……他にも不可解な事があったような)

 

 動きを止めないまま、頭を回す。

 

(そうだ、猗窩座は明らかに()()していた。殺す人間と、そうでない者を)

 

 どこにその違いがあるのだろうか。

 事実を見付けるのに、意味は無いのかも知れない。しかし一度疑問を持ってしまっては、無視もできなかった。

 消えた里人と逃げる事を許された者。殺され喰われた者と気絶するだけで済んだ隊士。そして禰豆子。鬼舞辻無惨の指示でここに来ている以上、ただの気分ではないはずだ。必ずどこかに共通点がある。

 気になるのは共通点だけではない。一体何が猗窩座をそうさせているのか。

 今まで戦ってきた鬼にも、『食』に対する好みや拘りは存在した。しかしそれが『殺人』にまで適応された例は見たことがない。

 戦いだけに全てを捧げた修羅の貌と相反する特性。強弱以外の取捨選択。これをなんと表現すればいいのだろう。上手く思い浮かばない。明確な形でこそないものの、ぼんやり浮かんできた形はあった。何というか、人間臭い……?

 

「悲しいな」

 

 呟きに、炭治郎ははっと我に返った。

 真正面には、苦笑のように眉をひそめる猗窩座。

 

「体力や気力より先に、集中力が切れてしまったか」

 

 遅れは致命的だった。

 眼前まで迫っている拳に対し、今更剣を振り上げた所で間に合わない。仮に間に合ったとして、それこそ諸共砕かれて終わりだろう。それこそ相打など夢のまた夢だ。

 伊之助が青ざめて猗窩座の背後から迫っているのが見える。が、炭治郎を助けるにしても鬼の頚を獲るにしても、圧倒的に時間が足りなかった。死ぬ事に何の価値も生まれない、完全な犬死に。

 最後まで抗う。そう決める反面、別の覚悟も持った。持ってしまった。

 

(ごめん、禰豆子……)

 

 自分が死んだら、妹はどうなってしまうだろうか。曲がりなりにも竈門炭治郎という隊士の庇護下にあったからこそ、彼女は生存を許されている。もしかしたら伊之助か善逸あたりが引き継いでくれるかも知れないが、過大な期待をしてはいけない。それは彼らに命をかけてまで、他人の妹を守らせるという意味なのだから。禰豆子か友人二人か、どちらかなど選べる訳がなかった。

 本物の死とは、迫ってみれば案外恐怖などないものだ。ただ口惜しさだけがある。志半ばで朽ち果てることの。そうか、殉職した隊士たちは皆こんな思いをしながら逝ったのだな。焦る精神の片隅にある冷静な部分がぼんやり考える。

 せめてできる抵抗は、最後まで目を閉じない事だった。自分を殺す相手から目をそらさない、などと言うほど殊勝でもなければ武士道に溢れてもいないが。目をそらしてはいけない、と感じていた。

 ぐしゃり、と頭部から何かが飛び散る音が響いた。死を告げる鐘。

 

(頭を潰されても、案外意識って残ってるものなんだな)

 

 下らないことを考える。

 そうして炭治郎の意識は徐々に消え失せて、失せて……

 

(あれ?)

 

 後退した、というよりはただよろけて、自身を確認する。

 あいもかわらず、意識ははっきりしている。痛みなど無い。両目だってちゃんと見えている。剣を握っている感触だって確かだった。痣も解けていない。つまりこれは、その、なんだ、つまり、あの。まだ生きている。

 大分遅れて、音は猗窩座の腕が発生源だと分かった。あの妙に生々しく水っぽい音は血だ。綺麗な断面から赤に塗れた骨の白と肉の桃色が覗いている。顔に張り付いていた血は目にまで入って多少の見づらさと違和感を見せたものの、すぐに揮発して消えていく。

 謎の答えを知るより早く、溌剌とした声。

 

「よもやよもや! 間に合わせで担当した甘露寺の担当地区から刀鍛冶の里がこれほど近いとはな! しかしそのおかげで助かった! 危うく貴重な柱が欠ける所であった! 炭治郎少年、戦いの最中に気を抜いてはいかんぞ!」

 

 燃えるような剣技、燃えるような髪、燃えるような刀身。その魂までもが燃えているように見える。

 炎柱・煉獄杏寿郎。不死川実弥と同じく、悲鳴嶼行冥に次ぐ最強格の実力者。そんな人間が、この土壇場で援軍に来てくれた。

 

「は、はははははははっ!」

 

 彼を見ながら、猗窩座は狂ったように笑った。

 

「今日はいい日だ。とてもいい夜だ! “至高の領域”に踏み込む資格を持った者の上、既に半歩踏み込んでいる使い手まで来るとは! なあ、そこの柱よ! 是非名前を聞かせてくれ!」

「炎柱、煉獄杏寿郎だ!」

「ならば杏寿郎よ、お前も鬼にならないか? それだけの力があれば、必ずや高みへとたどり着ける! 共に永遠を戦おうではないか!」

「断る。俺は既に俺の天命を定めているのだ。鬼になるつもりは毛頭無い!」

「だろうな。答えは分かっていた。この場に居る幼い柱達も似たような事を言っていたよ」

「無論だ! その意気が無くしては柱足れん!」

「であれば俺の答えも決まっている。殺してあのお方の前へ持って行き、無理矢理にでも鬼になって貰おう。永遠の戦いへ身を投じるのだ」

 

 掲げた腕から、ずるりと手首が生えてくる。無造作に開かれた掌を手刀へ、そして手刀から拳へ。杏寿郎に見せつけるように握って見せた。同時に、最大だと思っていた闘気がさらに膨れ上がる。

 ただならぬ気配に、歴戦の柱すら僅かに表情を硬くした。剣を構えながら呟く。

 

「新任とはいえ、なぜ柱を三人も遊ばせておくのかと思ったが。もしかしたらお館様はこの状況を予想していたのかもしれんな。まったく、お館様の深謀遠慮には恐れ入るばかりだ!」

 

 言う彼の体からもまた、猗窩座に勝るとも劣らない圧力が発散された。体を貫くようなそれと違い、彼のものは熱気に溢れている。

 大丈夫だ。炭治郎は自分を確かめつつ唱えた。まだ痣は保つし、体の限界にもたどり着いていない。武器は万全で、この息苦しいまでの気に挟まれながらも動ける程度には強くなった。

 生きてるならば抗うのだ。伏して得られるものなど何もない。かつて義勇に言われた言葉が浮かんでくる。

 

「役者は揃った! 第二幕と行こうではないか!」

 

 猗窩座の嘉悦と共に、再び拳と刀が相対した。

 

 

 

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