獪岳と善逸   作:山筋

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二人で一人、二人は一人

 正直なところ、善逸が不死川玄弥について知っている事は少ない。

 例えばいつの間にか自分を継子にしていた不死川実弥の弟だとか、誰かの継子をしているだとか、綺麗なお姉さんに弱いだとか。持っている情報は、概ね隊士としてはどうでもいい事だ。ただ一つを除いて。

 目の前には、濡れ鼠になった玄弥が立っている。上弦の鬼が使用した血鬼術で、死ぬまで封じられていると思った男が。

 はっきり言って、善逸は彼の生存を悲観視していた。制限時間以内に助けるのは無理だと。だが、結果はこの通り。

 何が起こったかは分からない。恐らく鬼殺隊随一の頭脳を持つしのぶですら、理解しきれないのではないかと思う。そんな中で、善逸が見たままを語るのだとすれば。血鬼術を吸収して、体を半分鬼にした。

 そんなことがあり得るのかという問いは、既に意味が無い。目の前で起こされてしまっては、可能なのだと思うより他になかった。

 玄弥はまだ喉に水が詰まっていたのか、少々咳き込んで。口の中の水を、地面に吐き捨てた。

 

「流石にちょっと喰い過ぎたかな」

 

 口元を拭いながら、しかしいとも簡単に告げる。

 音で分かった。今や彼の身体能力は、下弦の鬼に匹敵しようかという程になっている。が、それを無邪気に喜ぶ気にはなれなかった。こんな力を使っておきながら、何事もないとは考えがたい。

 玄弥の姿から、少しずつ鬼の部分が表面化していく。白目の部分が鬼みたく紅に染まり、顔中に血管が浮き出ている。どこか苦しそうですらあった。

 

「喰った、喰っただと? この私の崇高な血鬼術を!」

「ああ、クソ不味かったぜェ。すぐにお礼してやるよ」

 

 ひひっ、と牙をむき出しにして、異様な笑い方。

 善逸は玉壺を警戒しつつも玄弥に寄って、小さく耳打ちした。

 

「おい玄弥、大丈夫なのか?」

「あァ? うるせえよ、今いい気分なんだ。あ? いや違う、それじゃ駄目なんだ。俺は隊士、俺は柱にならなきゃならない……」

 

 ぶつぶつと唱える姿は、明らかに正気を失いかけている。精神が鬼と人の狭間で揺れているのだろうか。

 

(この援軍が有り難くない、と言えば嘘になるけど……)

 

 玉壺の血鬼術は、間接的に影響を与えるものが多い。直接的な攻撃は、速度だったり攻撃力だったり範囲だったり、どこかに欠陥があった。そんな中、間接的な攻撃の影響を遮断できそうな者がいるのが、有り難くない訳がなかった。

 同時に鳴り響く強い警報。もしこのまま鬼を吸収し続けたら、彼は鬼から戻れなくなるのではないだろうか。今ですら自己が曖昧になっている。ましてや上弦の鬼の血鬼術を喰った経験などないだろう、あっさりと限界を超えて鬼になってしまう可能性は否定できない。

 とはいえ、玉壺は気を遣っていられるほど余裕のある相手でもない。

 

(頼むから踏み越えないでくれよ)

 

 その時は、善逸が介錯を務める事になるのだから。

 可能な限り素早く倒す。どうしたって最適解は変わらなかった。

 

「行くよ、玄弥!」

「命令すんじゃねえ!」

「そういうの後にして本当に!」

 

 下らない諍いをしつつ、善逸は剣を、玄弥は銃を構えた。弾丸は水に浸かって動かないはずだが、と思ったが。

 パァン、と水を勢いよく叩くような音が響いた。吐き出された散弾が、通常ではあり得ない軌道を描いて鬼に接近する。それが接触する前に、玉壺には逃げられてしまったが。着弾した部分からは、植物が生えていた。木の幹、もしくは根だけでできた歪なもの。

 

「血鬼術……だと? 人間風情が!?」

 

 混乱に、玉壺が悲鳴を上げる。声こそ上げなかったが、善逸も心地は大差なかった。彼の能力が既に人の範疇を超えている証拠なのだから。

 戦いやすくなった代わりに、時間制限も短くなった。正直、玄弥にどれだけ負担をかけていいのかも分からないまま戦い続けるのは恐怖しかない。短時間なら問題ないと信じるより道はなかった。

 

「玄弥!」

「今度は何だよ!」

「俺が足を止めさせたらお前が斬る! お前が足を止めさせたら俺が斬る!」

「上等だァ!」

 

 同時に別方向へ飛ぶ。威勢の割には連携を分かっていた。そこだけはほっとする。

 

雲母大海嘯(うんもだいかいしょう)!」

 

 壺四つを四方に掲げ、中から大量の魚群が現れた。今までの様に、一度に一種類ではない。間違いなく性質の違う魚が一斉に現れた。

 玉壺は鬼の中でも、飛び抜けて意味不明な血鬼術を持つ。そのためかどうかは知らないが、制約らしきものがいくつか見受けられた。例えば、壺を起点にしなければあらゆる血鬼術を発動できないとか、一部技名を叫ぶ必要があるとか。後者に関しては、ただの美学という可能性も捨てきれないが。

 どうであれ、血鬼術を『見ても』理解できない分、言葉で間だけでも知れるのは有り難かった。

 縦横無尽に泳ぐ魚をなぎ払っていく。同時に、血鬼術に完全な理不尽はあり得ないという法則に従って、というか縋って、危険度を設定していった。

 素早い魚、巨大で獰猛な魚は、普通に斬っても問題ない。少々速度で劣る魚は、斬ると体液をまき散らす。これに触れてはならない。そして中に紛れるように存在する、河豚に似た魚、これには手出ししなかった。多分、破裂させるのは不味い。下手をすると即死だ。

 善逸が斬撃と回避を利用して動いているのに対し、玄弥は真っ直ぐ突っ込んでいった。自分に直接危害を加えてくる切って落とし、それ以外の全て、体に叩き付けられるがままにしている。河豚に似た魚に触れて爆発し、大量の毒らしきものを浴びてもなおだ。

 

「何故だ!? 貴様はもう動けないはず、いや、死んでいる筈だ! どれだけの毒を浴びたと思っている!」

「忘れたのか!? 俺は()()()血鬼術を吸収したんだぞ! 俺の一部が何で作られたか、本当に理解してんのか!?」

「私の毒耐性を得たとでも言うのか……!」

 

 毒魚の群れをかき分ける姿は、控えめに言ってえげつなかった。

 この状態を幸運、とはあまり言いたくない。玄弥が自分の体質をどう思っているかなど、おおむね予想が付いたのだから。だからといって、この好機を逃すわけもなかった。恐らく玄弥は、唯一玉壺の天敵たりうる隊士だろう。

 

「毒は吸収するなよ!」

「分かってらァ!」

 

 念のため忠告する。帰ってきたのは檄だった。

 玉壺が、戦いの中で初めて迷いを見せる。あらゆる意味において、注意しなければいけないのは善逸だ。一瞬の隙が無ければ倒せない、というのは逆に、一瞬でも隙があれば倒せるという意味でもある。だが、血鬼術の相性において気になければ行けないのは玄弥の方だ。割く意識の割合、そして扱う血鬼術に悩んでいる。

 またしても弱点が見えた。

 

(一度に展開できる血鬼術の限界が来てる!)

 

 陽動と本隊に分けている以上、式神の血鬼術は解除できない。転移の血鬼術も、常時発動していなければいけないのだろう。壺から出られるのかどうかは知らないが、少なくとも入ったままでは機動力が著しく制限されている。そして攻撃のための血鬼術。この三つで打ち止めだ。

 また、童磨のように、一つ手前に使った血鬼術を維持したまま次の血鬼術には繋げられない。解除した場合は全て消える。それこそまき散らされた毒に至ってもだ。さすがに一度体内に入り込んで影響を与えた物まではなくなってくれないだろうが。

 鬼の頚を取るまでの展開が、やっと見えてきた。

 

「ゥオラ!」

 

 玄弥が人間離れした腕力を発揮する。片手で木を抉り、そのまま折って玉壺に投げつけた。

 木が直撃したところで、玉壺の体はなんともない。そもそも下弦の鬼の時点で、鋼より硬いのだから。が、大半が破壊されること前提の魚群までは、そうもいかなかった。真っ直ぐ巨大な道を作る。その中に、玄弥は強引に体をねじ込ませた。

 ここに至って、玉壺が注意を払ったのは善逸だった。とてつもない精神力で玄弥を無視し、可能な限り存在を消していた彼を見付ける。その判断は極めて正しい。

 雷の呼吸 弐ノ型・稲魂

 続き、雷の呼吸 壱ノ型・霹靂一閃

 高速の型二連発が、玉壺を噛み千切らんと狙っていた。

 完全に捉えた――そう思っていたが、刀は頚を斬っておきながらすり抜ける。意味が分からないが、本当にそうとしか言いようがなかった。

 何が起きた、と考える前に、善逸は玄弥を真上に蹴り上げていた。勢いを利用して自分も背後に転がる。寸前まで居た場所を、何かが強烈に抉った。とんでもない激震だ。それこそ一撃の重さであれば、あの蛸足をも軽く凌駕する。

 地面を転がった後、さらに蹴って距離を作る。そこに居たのは、蛇と魚と人間をそれぞれ足したような化け物だった。

 一瞬で状況を理解しろ、と己に命じる。

 

(脱皮して回避した……いや、そこは重要じゃない。玉壺が自力で移動した。それも、とんでもない早さで。あの姿は、壺を利用した瞬間移動の利点を捨ててまで扱うに値する形態なんだ)

「お前達はよくやった」

 

 蛇のような下半身をうねらせ、腕が二本となって今までよりは大分人間らしくなった姿の玉壺がそう語る。

 

「この姿を拝謁できたのは、お前達で三人目と四人目だ。誇るがいい、あのお方及以外で見ることができたのは、過去に柱ただ一人なのだから」

 

 前進がくまなく鱗で覆われ、青白く光を反射している。中でも両腕の肘から先は、ことさら硬そうだ。明らかに雰囲気が違う。それを証明するように、振り下ろした地面から魚がびちびちと跳ねていた。打撃によって抉れたのとは明らかに違う、不自然な窪み。ただでさえ腕力が高い上に、触れたものを無差別に魚へ変換してしまうのか。だとしたら、確かに洒落にならない。

 

「腕力に頼るのは、私の好みではないのですがね。それでもなお開帳した。これから確実な死が訪れるお前達への、せめてもの手向けだ。もはや今までとは、我が体は別物だ。爪は金剛石すら切り裂き、肉体強度も上弦の参たる猗窩座殿に迫る」

 

 言葉がうぬぼれでないのはすぐに理解できた。音を聞くまでもなく、存在感が違う。本当に、あらゆる矜持を捨てて強さだけを求めた姿なのだろう。

 救いがあるとすれば、上弦の参に匹敵する身体能力を持ってなお上弦の伍だという事は、それだけ技量が低いという点か。どうであっても、まともに一撃食らえばひとたまりも無いのに変わりは無い。

 

「さあ、私の美しく練り上げられた姿に恐れおののくがいい!」

「……いや、普通に怖いだけだけど」

「気色悪ィ」

「どこまでも無教養で悪趣味な糞坊主どもがあああぁぁぁ!」

「あ、怒るのそこなんだ」

 

 なんだかどこまで行ってもずれてる相手だなぁ、などと思ってしまう。いやまあ、おかしくない所など最初から無いと言ってしまえば否定もできない。

 端から端までどうしようもないやりとりだが。本番がここからなのは言うまでもなかった。本気を出させてしまったのは失敗だが、これは仕方ないと割り切る。転移の血鬼術でぴょんぴょん逃げられ、遠距離からすり潰されるよりはまだやりようがあるのだから。少なくとも玉壺に()はない。

 後は玄弥がどれだけ持つかだ。彼が力尽きれば、玉壺はまた壺に戻っていくだろう。善逸は単独で転移と物量の血鬼術を攻略できていない。その方が安定する。逆もまたしかりで、善逸が力尽きれば、鬼は肉体性能差にものを言わせて玄弥をすり潰すだろう。

 そして、最後の朗報。

 敵が壺を捨てた。つまり、壺を起点にしたあらゆる血鬼術が封じられたと考えていいだろう。今まで相手に有効でなかった故に使えなかった『陰電荷』を解禁できる。もう善逸の足を止めうるものはない。

 上弦の壱すら捉えきれなかった、超速の抜き足。いかに身体能力で上回られようと、こちらを捉え切れなければ意味が無い。

 

「ほう! これが彼の甲が編み出したという究極の歩法! まさか鳴柱に引き継がれてるとは!」

「そうだよ、獪岳は凄いんだ! 俺なんかより、ずっと凄かった!」

 

 捉えきれない動きに慌てないのは、対処法など最初から知っている、いや考えておいたからだろう。

 玉壺がぐっと体を弓なりに引き絞る。そして一気に両手を解放した。僅かに確認できる水かきのついた掌、その指先が伸びていた。金剛石すら斬ると語っていたのは伊達ではなく、その切れ味は凄まじいの一言。里の隅で僅かに残っていた建物までをも全て斬り砕いた。

 

(くっ)

 

 さすがにこれを掻い潜って一撃は放てない。点で捉えきれなければ面で制圧する、単純かつ非常に理に適っていた。

 歩の型・陰電荷はあくまで実態を捉えさせない技であり、実態を消失できる訳ではない。どこかに必ず使い手がいる。そこさえ間違わなければ、倒せはしないまでも近づかせない事くらいはできる。

 指の最下段を掻い潜り、受け止めた刃からとんでもない重圧がのしかかってくるのに歯噛みする。

 

(壺を起点とした血鬼術は使えなくなっても、肉体変形くらいは当り前のようにしてくるのか!)

 

 強度の関係上、あまりにも現在の姿から離れすぎる変形はできない、と思いたい。あくまで普通の鬼の上位互換だ。ただし、枕詞に超と付くが。今の姿になってなお壺の血鬼術を発動できれば、最初の一撃で死んでいた、というのもある。

 攻撃をいなしながら、玄弥を確認した。直撃こそしていないものの、刀で身を守るのが精一杯だったようだ。威力に負けて思い切り吹き飛ばされ、瓦礫の上で何度も転がっている。

 彼は隊服を着ていた。隊服は異様なほどに頑丈だ。流石に鬼の攻撃を受け止めきれる程ではないが、ちょっと尖った物の上を転がった位ではなんともないだろう。流石に衝撃はどうにもならないものの、そこは玄弥の身体強度と根性に期待するしかない。

 陰電荷で即座に距離を詰め、鬼の頚に一閃。間に腕を挟み守っている事は分かっていた。その上から切り伏せるつもりで放ったのだが。

 

「ッ!」

 

 剣は、腕の半ばまで断った所で止まってしまった。

 型を使う暇まではなかったが、それなりに気合いを入れて攻撃したつもりだった。それでなお腕すら切れない。玉壺の腕は、というより恐らく肉体全体が、金剛石の強度がある上、肉体生来の粘りまでもを共存させている。

 慌てて刀を引き抜き、体を倒した。直上を裏拳が抜けていく感触に、背筋が凍る。

 

(なんて強靱さだよ! 型を使わなきゃ倒せないのか!?)

 

 下手をすれば最大の攻撃力を持つ壱ノ型すら通らない。鬼にとって首を一番柔らかくする事はありえないだろうから。一体どんな構造だ、と罵りたくなる。成る程、確かにこれは全力だ。

 ひゅ、といきなり玉壺の体が消えた。またもや寒気を覚えて、勘にまかせて右に飛ぶ。今度は爪が頭を狙っていた。

 

(下半身も嫌らしいな、くそっ)

 

 蛇のような下肢が繰り出す動きは、極端に見切りにくい。本来人間にあるはずの予兆がないからだ。目視は元より、音ですら移動の瞬間とその方向の判別がつかない。走行技術が無いのは救いだが、そもそも直線的な早さだけで言えば善逸を上回っている。

 互いに素早く動きながら、攻守がめまぐるしく入れ替わる。

 玉壺の目的は至って単純だ。善逸に陰電荷以外の型を使わせない。向こうとて、並の一撃では首を断たれないと思っているのだろう。先ほどの一撃で確信を与えてしまったというのもある。同時に、こちらに確信を与えないよう立ち回っていた。

 全力状態の玉壺を相手にする時、最も厄介なのは何か。それは両手から発動される、触れた物を何でも魚にする血鬼術だ。日輪刀は太陽の光を吸った鉱石でできている。そのため、血鬼術すら断ち切れた――理論上は。あくまで絶対を補償する物ではなく、経験則でしかない。もしあの拳を真正面から迎え撃ったとき、獪岳の刀はどうなるだろうか。切り裂けるかもしれないし、魚にされるかもしれない。そんな賭けをする気にはなれなかった。

 陰電荷で常にこちらを掌握できない状態を保ちながら、とにかく拳と爪をいなし、躱す。山のように降り注ぐ攻撃は、触れれば魚にされるという点を度外視しても全て必殺。動きが素人でなければ、やはり死んでいた。もっとも、下半身が人以外の状態で冴えた技というのがあるのかなど知らないが。

 玉壺の上体が僅かにぶれ、回転しながら尻尾の一撃が飛んでくる。その先端を斬って、僅かに距離が空いた。

 

「互角!」

「ならば最終的には私が勝つという事です!」

 

 宣言と共に距離を詰める玉壺に、しかし善逸は笑った。彼の言葉は、騙し合いに勝ったという意味でもある。あちらはもう、こちらに手札が残っていると思っていない。最大の手札、痣を。童磨との戦いにおける情報は共有されていないのだろう。であれば、炭治郎と伊之助の方も僅かばかり、安全性が増す。

 とは言っても、痣を発現した所で身体能力で上回れる訳ではない。相手が隙を見せるまで、まだ我慢の時間は続く。

 あくまで剛力に頼った玉壺の攻勢を捌いていると、彼の後ろからけたたましい音が迫ってきた。

 

「俺を忘れてんじゃねえ!」

 

 吹き飛ばされた玄弥が戻ってくる。玉壺が舌打ちをした。

 この形態になった以上、玄弥はもう戦力たりえない。それは善逸と玉壺に共通する考えだった。ただ一つ、植物を生やす血鬼術だけは玉壺にとって致命的たり得る。あれが入れば、善逸も即座に『決め』にかかれた。

 正体が何かは分からないまでも、不穏は感じていたのだろう。玉壺は善逸を見下してはいても、舐めてはいない。自分と互角の、殺しうる相手だと理解していた。故に、この闖入をひたすらに嫌う。

 大技を放って間を広げ、玄弥から殺そう。その考えは至極同然のものだった。

 

海嵐(うみあらし)

 

 指と同時に水かきまでもが伸びる。大技が来ると察知して、善逸は指を切ろうとしたが。結果的に、それは実現しなかった。

 玉壺が狙ったのは、二人の隊士ではなく地面。大きな団扇のようになった手で、地面を思い切り薙いだ。暴風と水飛沫が地面へと叩き付けられ、あらゆるものを水圧で巻き上げる。水と木片、さらにそれらがぶつかり合う音で、善逸は完全に位置関係を見失った。

 僅かな裂け目から見えたのは、上下を失って舞い散る玄弥に接近する玉壺。そして、彼の振り上げられた腕。

 

「――――!」

 

 玄弥、と叫んだつもりだった。しかし、声は轟音にかき消されて届かない。足場がない以上、何かしらに型を放って追いすがる事すらできなかった。

 なんで接近した、と罵りたくなる。彼は、そこに存在するだけで常に鬼へ圧力を与えていた。どこかに隠れているという状況が鬼札だったのだ。それを捨てて突っ込むなど、正気の沙汰ではない。

 腕が振り下ろされる。

 なんとか頭部を破壊されるのだけは回避した様だが、それでも拳は左胸を完全に貫き、腕まで引き千切っていた。溢れる血液が飛散し、体と左腕がそれぞれ別に墜落する。

 玉壺は静かに着地して、肩越しにこちらを見ながら笑った。

 

「私の血を吸収した影響か、“神の手”までは発動しなかった様ですが。命はきっちり貰いましたよ」

 

 にっと勝利を確信した笑みを浮かべる玉壺に、返せる言葉はない。これで状況は最初に戻ってしまった。いや、体力を消耗した分、最初より悪いかも知れない。

 と。

 

「勝手に殺してんじゃねえよ」

 

 玉壺の喉から、僅かに切っ先が覗く。完全に貫くには至らなかった様だが、間違いなく刀だ。

 鬼は驚愕の表情を見せながら後退する。

 

「まだ死んでいない、だと!?」

「鬼がこのくらいで死ぬかァ? 死なねえよなあ! 忘れたのか、俺はお前の力を奪ってんだ!」

「ちぃっ! 出来損ないの分際で!」

 

 左胸を完全に破砕されてなお生きているなど、いよいよ人間を辞めている。だが、今はそんなことを気にかけている状況ではない。追求だろうが何だろうが、後からいくらでもすればいい。

 雷の呼吸 壱ノ型・霹靂一閃

 瞬時に間合いを詰めて、頭部の破壊どころか体ごと吸収されそうになっていた玄弥から引き剥がす。

 彼の横に立って、しかし視線までは向けない。声だけで返事を求めた。

 

「体、なんともないのかよ」

「痛くねえ訳じゃねえが、鬼の血が途切れない限り死にはしねえ。速度は遅いが、腕もひっつけときゃいずれ元通りになる」

「散弾銃、血鬼術は?」

「そっちはさっき破壊された。多分、日輪刀ごしじゃ出てくれねえ」

 

 小声でのやりとりは、恐らく玉壺まで届いてはいないだろう。念のため潜めておいて正解だった、と安堵する。彼が善逸以外で警戒しているのは、玄弥本人ではなく彼の血鬼術だけなのだから。

 ひとまず玄弥が死なない事に安堵しながら続けた。

 

「まだ戦える? いや、戦えるふりだけでいいや。とにかく玉壺を元に戻させない事に集中して」

「俺が上弦の頚を斬るつっただろうが!」

「その意地って一体どこから出てくるの……? 何でもいいけど、とにかく無理だけはしないでね。そこにいるだけで意味があるんだから」

「チッ。仕方ねえから聞いてやる」

 

 粗暴という言葉でもなお足りない暴力性を見せる玄弥に、ひっそりと嘆息した。柱とか獪岳とか、こういう人達を纏めてたんだなあ、凄いなあ。自分など一人をなだめすかすだけで精一杯だ。

 こちらが話している間に気を取り直した玉壺が、突撃の構えを見せる。

 

「足手まといを守りながら戦うつもりか」

「言うほど邪魔じゃないのは、お前が一番分かってるだろ」

 

 良くも悪くも玄弥は楔。存在するだけで戦いの展開がまるで変わる。厄介極まる存在だ。善逸と玉壺、どちらにとっても。

 雷の呼吸 歩ノ型・陰電荷

 風柱・不死川実弥を持ってして『捉えきれない』と評した走術の極地。ある意味これは、雷の呼吸を象徴する型だった。

 しかし悲しいかな。陰電荷は守るものがない状況で最大の力を発揮する。

 

「狙う相手がいれば価値が半減する、分からぬ訳ではないだろう!」

 

 玉壺が動き回る善逸を無視して、治癒に佇む玄弥へ襲いかかる。狙われた彼はなんとか剣を掲げるが。胸に体が千切れる程の大穴が飽き、腕だって辛うじて張り付いている程度。この状態で迎撃など臨めるはずがなかった。

 今度こそ命を刈り取らんと振り下ろされる巨腕に、善逸が線を走らせる。伍ノ型・熱界雷。腕を跳ね飛ばした代わりに、位置を確定させてしまう。守るためならば必ずそこにいなければいけないという場所に、攻撃が置かれていた。

 不可避の一撃。本来ならば。

 

(獪岳ならもっと上手く追い詰めて来たよ)

 

 いかに先読みされた攻撃とはいえ、所詮は素人の技。攻撃の手が分かっていれば、対処は不可能と言う程でもない。

 地面を蹴って急停止、体を折りたたんで巻き込み、迫る攻撃は手首の辺りで切り落とした。遠雷が変形。この手の型をいじった技は、獪岳の最も得意とする事だった。彼の全てを引き継いだ善逸にならば、できなくはない。

 さらに潜り込むか考えたが、それは断念して剣を地面に突き立てた。地を這うような尻尾が、止まった善逸の足を狙って放たれると予想。これは的中し、剣ごと地面を抉りながら後退させられる。

 引き抜いた時には、既に両腕が戻っていた。さすがは上弦、再生速度が瞬きにも満たない。

 戦場は、先ほどまでと比べて非常に小さなものとなった。両者ともに玄弥を起点として駆け回る。いかに彼を守り、或いは殺すか。それが焦点となっていた。

 玉壺が玄弥を狙えばそれを打ち落とし、逆に善逸が囮にすれば対処せしめる。一人回復を待つ男を台風の目とし、周囲に分け隔て無く破壊の嵐が広がっていった。今や地割れに陥没に魚の山に、無事な場所など存在しない。

 善逸は、こと速度に限れば間違いなく現柱最高だった。それに追従、ないしは凌駕する玉壺も、恐らくは上弦屈指のものを持っているだろう。限りない乱流、先に隙を見せた方が負ける。

 

「クソ……速ぇ、何が起きてるかも分からねえなんて……」

 

 玄弥が悔しげにほぞを噛む。

 上弦の鬼を倒すという意気込みは買うが、流石にまかっていられない。失敗しなければ即座には死なないというのは、余計な事に気を取られれば即死であるという事の裏返しだ。一瞬一瞬が精神をヤスリで削っていく。

 状況だけで言うなら、先ほどより楽にはなっているものの。それで上弦の伍の強さが褪せる訳ではない。触れるだけでも危険な攻撃ならばなおさらだ。足場がどんどん毒液を含んだ魚になっていくのも、地味ではあるが問題だった。隊服をこれほど求めたことはない。

 経験に任せて戦い続ける中、ふと違和感を感じた。

 

(玉壺はどちらかと言うと搦め手を中心にして戦っていた。ここまで素直に戦ってくれるものなのか?)

 

 今の状態に対する自信の裏返しなのかもしれない。もしそうでないとしたら。思い至った所で、この均衡を崩していいほどではなかったが。依然、劣っているのはこちらなのだから。

 

「もう少しで腕が戻る! それまで耐えろ!」

 

 声に、気が抜けたという事は決してなかった。失礼ではあるが、玄弥を戦力としては全く数えていなかったのだから。それでも起きてしまったそれをあえて言葉にするならば、運命としか言いようがない。

 魚を避けて踏み込んだ先、草履を貫通して何かがチクリと足の裏に刺さった。

 それ自体は問題になどならない。異変は直後に起こった。

 最初に感じたのは目眩だ。視界がぐらぐらと揺れ動く。次に何度も咳き込み、少しだけだが吐血する。最後に、全身が弛緩し始めて。体が緩み、刀を構えているのすら億劫に感じ始める。

 

「なん……?」

 

 何だ、と言いたかったが。頬が緩んで、上手く言葉にできない。放っておけば脳すら痺れてきそうだ。

 

「ヒョヒョッ」

 

 その様子を見ながら、玉壺が嬉しそうに笑う。

 

「お前がそれを踏むかどうかは、正直賭けだったが。どうやら私が勝ったようですね。海胆世羅(かいたんせら)、我が血鬼術の中で最大級の毒です。それこそ千本針魚殺

だって比較にならない。血液に直接注入しなければならない所だけが難点でしたが。お前はもう、動くこともままならず死ぬだけですよ」

 

 くつくつと含みながら、もはや玉壺の目はこちらを見ていなかった。爪を鋭く構えながら、復調した玄弥を睨み付ける。

 

「本来ならば、いと尊きあのお方の力をかすめ取った大罪人は、苦しめ抜いて殺すのですが。生憎お前になど構っていられない。すぐにお前達を始末して、刀鍛冶どもを壊滅させなければ。あぁ……あのお方に褒めて頂ける! この玉壺がやりましたぞ!」

 

 嘉悦に高笑いしながら、玉壺は腕を大きく振りかぶった。玄弥は青い顔をしながら剣を構えている。理解はしているのだ。自分一人では、どう足掻いても玉壺に対抗できないと。

 人など塵のように引き裂く一撃が振り下ろされて。同時に、そのまま明後日の方向へと吹き飛ばされていった。

 

「……ヒョ?」

「本当なら、もうちょっとマシな所で使いたかったんだけど」

 

 呆然と呟く玉壺。腕が斬られた。ただそれだけの事を理解できないと言った風な顔。

 善逸の頬に、雷模様の痣が走っていた。

 

「流石に死が確定した状態だと、四の五の言ってられないや」

 

 呼吸の技術。それは、ただ身体能力を底上げするだけに留まらない。高度な呼吸の使い手ともなれば、痛みを止めたり血流を操作して出血を止めたりなどもできる。痣はいわば呼吸の次段階にある技だ。さすがに最高潮とまでは言えないが、それでも毒の巡りを遅らせつつ効果を弱める事くらい訳ない。

 今回は即死するような毒でなかったのに救われた。時間制限は消えていないものの、鬼を倒せば毒も消えるだろう。後は体が壊れきる前にそれをこなすだけだ。

 

「馬鹿な……私が生み出す最高の毒を喰らって反撃するだと? 動くことはおろか、喋る事すらもう無理なはずだぞ! それに、頬の痣は一体……」

「なんだ、痣の者を見るのは初めてだったのか。じゃあ面倒な駆け引きなんてしないで、すぐ使って倒せば良かった」

 

 深読みしすぎたな、とぼんやり考える。

 この感覚は一体何だろう。いつになく頭が冴え渡っている。これには覚えがあった。何だっただろうか。そう、寝ぼけている時に近い。毒と痣が奇妙な釣り合いを見せて、あたかも最適な状態なのではないかと錯覚するほどに頭脳が切れた。何もかもが透き通る。全てが見通せる……

 

「おい、おま……善逸、か? 何があった?」

「なんだろう、自分でも分からないな。ただ、なんでだか、負ける気が全くしないよ。本当に不思議だ。本当に、本当に……」

 

 ぶつぶつとうわごとが漏れる。何を言っているんだかよく分からない。

 ただ、なんとなく感じた。今、自分には獪岳が宿っている。誰憚ることなく断言できた。この瞬間、自分は真に獪岳を超えたのだと。

 いや、それも違う。柱だ。獪岳と善逸の力が合わさって、柱となった。主力たる壱ノ型と、その補助たる数多の型。それらを十全に使いこなす鳴柱。本物の二人で一人の鳴柱が、そこに立っていた。

 

「そんなもので私に勝った気になっているのか!」

「もう勝ってるんだよ。獪岳を背負った俺に、負けは絶対あり得ない」

「舐めるな小童が! そうして図に乗った柱を、私は何人も倒しているのだ!」

 

 善逸の意識が水面に浮かされたまま、三度戦いが始まった。この夜の勝者を決める戦いが。

 

 

 

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