獪岳と善逸   作:山筋

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猗窩座

 古武術と呼ばれる技法が存在する。

 額面通りに受け取るならば、これらはただ単に古くから伝わる武術、というだけである。古武術と現代武術に明確な区切りはないが、おおよそ皆は幕末と明治の境目を区切りとして認識している。

 無論、武術が“古い”と認識される理由はあった。最も分かりやすいのは、連射式銃の登場である。これによって接近戦そのものの重要性が極端に下がった。未だ軍刀というものは利用されているし、警察隊も基本的にはサーベル装備だ。が、戦争となれば歩兵銃に銃剣をつけたものの利用が基本であった。そのために現代武術として銃剣術なるものも編み出されている。

 現代式というのはつまり、時代に即したものという事だ。そういった意味では、呼吸を利用した剣技も立派な古武術である。

 格闘術一つをとっても、古武術は無数に存在した。例えば骨法術。例えば柔術。例えば(ティー)。ここからさらに忍術やら武器を持った武術の無手派まで数えたらきりが無い。

 格闘術の中でも古武術に分類されるものはどういったものだろうか。相手が剣ないしは槍を持っている場合を想定しているか。違う。答えは、相手が鎧を装着しているか否かだ。

 甲冑剣術――族に介者剣法と言われるものだが。現在における古武術とは、概ねそれを相手した場合も考えている。今の時代は鎧を考慮していない。装着しないからだ。鎧という武具は、銃という兵器に対して何ら優位性を持たない為に廃れてしまった。

 古武術とはいにしえの技、時代遅れの遺物。ただ伝統芸能としてしか存在を許されないもの。実用的な価値というのはおよそ無い。だからこそ『古』武術という呼び方をされている。

 現代戦において、古武術に活躍の場はない。

 が、逆に言えば。時代を逆行した戦い方をするのであれば。その威力は依然絶大なままを保っていると知った。

 

「どうした柱達よ! 踏み込みが甘いぞ!」

「ぐっ」

「クソぁ!」

「これは……敵ながら見事という他ないな」

 

 攻勢を仕掛け、それを跳ね返される。この手順を一体何度踏んだのだろうか。地面に膝を突きながら、炭治郎は呻いた。

 杏寿郎が来て守勢一辺倒から攻撃に転じられたはいいものの、今の今までこれといった成果は全くない。猗窩座は現在、握りしめていた拳を開いて腕を小さく広げ、防御の構えに移行していた。半ば攻撃を放棄し、徹底的に防御からの反撃姿勢に入っている。その姿たるや、まるで城だった。いかなる攻めをも寄せ付けない絶対的な堅城。

 猗窩座の言葉から察せられる言葉から考えても、唐手(からて)のような現代的格闘術に明るいとは考えがたい。技術というのは世代と共に進化する。打撃の型だけでも古いというのは、幾ばくかの救いだ。とはいえ。

 刀を持った相手との戦闘。武器を持った人間に囲まれた場合の立ち回りと技術。もっと単純に、人を殺す技。それらにおいて、現代の技術とは比べものにならないほど卓越している。いっそ隔絶と言ってしまってもいい。

 

(まずいぞ……)

 

 不格好でもいい、とにかく呼吸を整える。

 さっきから喰らっているのは、恐らく柔術、だと思う。炭治郎は本家の柔術というものを知らないための、完全な聞きかじりだが。とにかく相手に触れた時点で投げられているという意味不明ぶりだ。触れた部位が刀であったとしても。

 当然生半な威力の筈がなく、受け身を取り損なえば体が潰れて死ぬ。その次元の技を、柱三人の内二人は未熟者だと言え、簡単にやってのけていた。

 禰豆子はもはや人間並みにしか動けていないため勘定していない。いくら怪我を負っていないとはいえ、血鬼術を連発しすぎた。とうの昔に睡眠の備蓄は切れている。

 

(煉獄さんほどの人が助けにきておきながら、勝てる姿が全く想像できない)

 

 冷や汗を垂らしながら、そんな事を考えた。

 動きの妨げになるもの、頚を取りかねない攻撃のみを的確に見極め、いなされる。その上で反撃は全て、貰えば致命傷たり得るもの。そのせいで、迂闊に深く踏み込めなくなっていた。

 命が大事ではないとまでは言わないが、かといって必要な時に賭けられないと言うほど腑抜けているつもりもなかった。その上でなおできないというのは、猗窩座に対してある種の信頼があるからだ。破れかぶれに命を掛けた程度で、頚を斬らせてくれるほどの隙など見せはしない、という。達人というのがどういった次元に存在するのかを、嫌でも思い知らされた。

 気を抜けば一瞬で制圧される。それを感じ取って、炭治郎は不完全なまま牽制に入った。

 

「ははは、いいぞ!」

 

 水と獣と炎。三つの乱流に晒されながら、しかし猗窩座は小揺るぎもしない。まるで巨大な岩……いや、山を砕いているような気さえしてきた。

 

「俺の見込んだ通りだ! 炭治郎と伊之助は『資格』を持っている! 杏寿郎、お前に至ってはやはり既に“至高の領域”へ入りかけているぞ! 素晴らしい闘争だ!」

 

 楽しそうに笑う猗窩座からは、一切負の感情が見えない。本気で心の底から闘争を楽しんでいる――と言うことはつまり、本気ではあっても、まだ自分の命が危険にさらされていると感じるほどではないという事だ。

 こちらは損害こそ目立ったものはないものの、痣という切り札は既に切っている。はっきり言って、これ以上は望めない。

 水の呼吸 壱ノ型・水面斬り

 頚を狙ったものではない――猗窩座にそのような隙は存在しない。だからこそ、現在における最大戦力である煉獄杏寿郎を支援すべく片腕を狙った一撃なのだが。刃は手の甲ですくい上げられ、絡め取られ、その場で半回転したたき落とされる。これは体をわざと回転させ、なんとか頭蓋骨を破砕される事だけは防いだ。同時に、半端な威力ではあるが、陸ノ型・ねじれ渦を足に向かって放つ。これは無視された。両断こそできたものの、僅かも姿勢を崩させる事ができず癒着してしまう。

 攻撃は間をおかずの三人同時攻撃だった。筈なのだが、それでもなお猗窩座の速さが勝る。それは体の動きという意味でも、再生能力という意味でも。

 猗窩座の体は脆い。恐らく岩以上鉄未満といった所だろう。単なる強度で言えば、それこそ下弦の伍である累にも劣るかも知れない。

 恐らくだが、これは彼が『これ以上の強度は攻撃の上で余分』だと考えているからだろう。硬さは攻撃において重要な要素だが、硬ければ硬いほどいいというものでもない。その代わり、再生能力は童磨を軽く凌駕する。そちらに特化させたと考えるのが妥当だ。

 血鬼術、体の特性、会得している技術、そして思想。全てを近接格闘に特化させた、正しく武神。それが猗窩座という鬼の正体だ。

 

「炭治郎少年、ここで猗窩座を抑えても里の混乱が収まらん! 別の鬼がいるのか!」

「はい。恐らく上弦の鬼だと思われる鬼を、善逸が一人で押さえ込んでくれています」

「ああ、玉壺の事か。その善逸とやらも大変だな。奴の血鬼術は物量が飛び抜けている上に、本人も卦体な技を使う。ましてや一人であれば、そう長くは持つまい」

 

 即座に否定しかかったが。上弦の脅威を理解しているが故に、おいそれと口にはできなかった。ましてや猗窩座がここで大人しく足止めされているのは、玉壺に対する信頼あってこそなのだろうし。

 飛び抜けた物量攻撃を可能とするという話は嘘でもなんでもなく、匂いで辿るまでもなくそこかしこから悲鳴が上がっている。幸いな事に、善逸の足止めが成功しているため他の隊士が護衛に集中できており、血の匂いはさほど漂ってこない。

 とはいえ、この均衡はさほど期待していいものではなかった。

 いつもそうだ。『いずれ』というのは必ず鬼殺隊の敵になる。杏寿郎はともかく、痣まで使っている炭治郎と伊之助はそう長く持つと考えてはいけない。痣を発現した隊士は例外なく二五歳までに死ぬ。までにという事は、その前に死ぬ事も多分にあったという事だ。痣は間違いなく寿命を急速に消費する技。下手をすればこの戦いの中で命が尽きる。

 

「やめろやめろ」

 

 猗窩座が興ざめと言った様子で呟く。

 

「どのみち俺を倒さなければ助けになど行けんのだ。まずは俺だけに全てを注ぎ込め。余計な事を考えて負けるなどという、つまらん終わりだけはしてくれるなよ」

「もはやお前は修羅か」

「いいや、俺程度ではまだ届かん。修羅になるべく研鑽を続けている最中だ」

「これほどの力を持ちながら、まだ上を望むか」

「無論だ。まだまだであるからこそ、俺はあのお方から打診された上弦の弐就任をお断りさせて頂いた。まだ童磨に劣る、それが分かっているからな」

 

 猗窩座の意識は、ほぼ杏寿郎に集中している。本来ならば、これならば付け入る隙になった。あの童磨ですらそうだったのだから。だが、彼からはそれが一切感じられない。あくまで杏寿郎に集中しつつも、炭治郎と伊之助を全く侮っていなかった。あくまで武人。常在戦場の体現者。

 弱いことには弱いなりの価値がある。そう思っていた。弱者にまで気を配るのは難しい。だからこそ不意を突けると。

 だが。真の強者には、そんなものないのだと初めて知った。弱さとは本当に、単なる無力であり罪だ。それこそ足手まといにすらさせてもらえない。

 

(冨岡さんに教えて貰った呼吸の最適化だけじゃ足りない……痣を足してもなお……)

 

 もっと上が必要だ。今この瞬間、ほんの少しでもいい。猗窩座を脅かすだけの何かが。

 

「惜しいな、全く惜しい」

 

 五月雨のように荒れ狂う刃に囲まれながら、なおも猗窩座は余裕を持って呟いた。

 

「お前達の誰か一人だけならば、純粋な力比べをしてみたかった。しかし三人とあっては仕方が無い、俺も技に徹さざるを得ない」

「余裕ぶりやがってェ!」

「余裕などあるものか。だからこそ俺は全てを出し惜しみせず吐き出している」

 

 苛立った伊之助が単独で突っ込む。

 まずい、と咄嗟に走り出していた。三人がかりでも崩せなかった防御を、たった一人でなんとかなる訳がない。ましてや突出などしてしまえば言わずもがな。

 伊之助の双剣突き、壱ノ牙・穿ち抜きが放たれる。当り前のように破壊殺の感知にかかり、技は空振りした。猗窩座は身をかがめると同時に足払いを放ち、伊之助の体を宙に浮かせる。

 出した足の先端だけで地面を掴み、それを軸に半回転。超低空からの後ろ回し蹴りが頭部へと放たれる。

 伊之助の頭が弾けた。少なくとも炭治郎の位置からは、そう見えていた。それが間違いだと知ったのは、猗窩座がさらに追撃をしかけたからだ。伊之助はどうやってだか、首関節を外して、蹴りを避けていた。

 なんとか死は免れたものの、依然危機は去っていない。炭治郎と杏寿郎はお互い即座に反応した。

 炎の呼吸 捌ノ型・蛇炎腔(じゃえんこう)

 水の呼吸 漆ノ型・雫波紋突き

 杏寿郎は三連続の、炭治郎は乾坤一擲一撃に秘めた、お互い突き技。が、これすらも猗窩座は物ともしなかった。

 燃えさかる三匹の蛇は、一段目を手、二段目を肘で払われ、三段目を肩で受ける。雫波紋突きは背中を狙って筋肉の動きを阻害しようとし、こちらは成功した。だが同時に、両者とも筋肉にとらわれる。

 一体どんな術理が働いているのか知らないが、猗窩座の放つ(やわら)は踏ん張るという行為がまるで意味を成さない。まるで最初からそうなる事が定められているように、勝手に体が跳ねるのだ。だからこそ解決方法は抵抗ではない。上手く流れに乗ること。

 人間ではあり得ない、腰伝いから伝わってくる筋肉の動きだけで炭治郎は膝を突かされる。当然刀も落ちるので、勢いに乗りつつ刀を引いてなんとか引き抜いた。そして、眼前には踵が迫る。

 転がる事を覚悟しながら、必死に体を倒した。頬を抉って蹴り上げが貫通する。べったりと、皮膚を抉られる感触。大丈夫、皮一枚で深くはない、と念じた。傾いた視界で確認すれば、杏寿郎も浮かされ、背後に吹き飛ばされていた。

 炭治郎に対して、追撃はない。代わりに狙われたのは伊之助だった。半ば転がった状態の炭治郎よりも、彼の方が始末しやすいと判断されたのだろう。

 狂暴な拳が、伊之助の胸へ吸い込まれんとする。

 

「――嘆く事はない。次は永久に続く戦いの渦の中で会おう」

 

 拳が伸び、彼の心臓が破壊される。今すぐには動けない。立ち上がった後では、致命的に間に合わない。

 仲間が殺される様を見せつけられると思った時。伊之助と猗窩座の間に、炎が舞い散った。

 肘から先が消えた腕に、猗窩座が目を剥いている。が、それも瞬きに見たぬ間。即座に再生し、伸ばした腕をそのまま振るった裏拳が軌跡の跡を辿って食らいつこうとする。だが、これは掠りもしなかった。またもや驚嘆する猗窩座。

 どちらの行動にしたって、今までの戦いから学習し、十分に追いつかない間合いで放ったはずだ。それを、杏寿郎は易々と越えて見せた。

 彼の顔半分を覆うのは、まるで燃えさかる炎のように煌々とした朱。

 

「ぶっつけ本番だったが、できて良かった!」

「ふふ……成る程。力で劣る二人にできて、お前にできぬ筈もなしという事か、杏寿郎」

「そうでもない。なにせ今まで幾度となく試してもできなかったのだからな」

「極限状態が進化を促し、また少し“至高の領域”へと近づけたか。ははは! やはり闘争こそが戦士を高めてくれる!」

「その点だけは否定できぬな」

 

 今まで猗窩座が圧倒していた闘気。それが、ほんの少しだけ押し返されている。些細な違いと言うこともできる。だが些細であろうとも、天秤がいい方へ傾いたのには違いない。

 二人のにらみ合いを余所に、伊之助がばたばたと精彩を欠いた動きで寄ってくる。

 

「おいひ、ギョロ目ら痣をだしらぞろ」

「そうだな。でも頭ぐらぐらさせながら喋るのは怖いから、とりあえず戻してくれ」

「おろ」

 

 めきり、と音を立てながら、伊之助が刀を持ったままの両手で首関節をはめた。なんか思い切り体から鳴ってはいけない音が聞こえた気がしたが。まあ彼が平気な面をしているあたり、問題ないのだろう。多分。

 伊之助が首を回して調子を確かめているのを確認しつつ、炭治郎は僅かに立ち位置を変えた。たったそれだけで、杏寿郎、猗窩座共に意図を察してくる。

 今まで、こう言ってはなんだが、伊之助と杏寿郎の間に攻撃力の差はほとんどなかった。 いや、経験による濃淡は勿論ある。ただ、鬼の頚を取るという、決戦決定力とでも言えばいいのか。とにかくそういった点において、両者に明確な優劣は誤差程度しかなかった。

 が、痣を出したならば明らかに杏寿郎が優勢。これを活かさない手はない。

 もう炭治郎は、『できる事をとにかく頑張る』などという曖昧な思考の元動く人間ではないのだ。柱になったと共に自立した、というのもあるだろう。しかしそれ以上に、人を――既に隊士すらも――守る立場になった事が、彼の意識改革を促した。当人に自覚はないが、しかし意識だけは既に“柱”となっている。

 炭治郎が猗窩座の正面に立つ。今までは杏寿郎が担当していたそこを、防御に富んだ炭治郎が代わりに請け負った。二人の力を活かすならこれが最良だと信じて。

 いかに猗窩座が武人として優れていると言っても、所詮は人型。正面以外に対する攻撃や防御はどうしたって数段落ちる。後は、二人の内どちらかが頚を落とすまで耐え凌げばいい。

 

「炭治郎、お前の考えている事は俺も承知しているとも。だからこそ、簡単にやられてくれるなよ」

「おおおぉぉ!」

 

 豪腕に力を貯める鬼に対して、一等深く息を吸い込む。全てを見据えろ。全てを感じ取れ。己に一部の隙も許すな。

 水の呼吸 玖ノ型・水流飛沫

 恐らく(正規の技術に組み込まれた奇襲技まで含めて)あらゆる技法への対処に卓越した猗窩座に、最も有効な型。水のように柔らかく、水のようにしなやかで、水のように無形で踊る。目指すは捉えきれない、ではない。捉える事自体が無意味である姿だ。

 初めて真正面から受ける猗窩座の攻勢は、ただ絢爛の一言に尽きた。不可思議な技など無い。術理に不思議も無い。ひたすら基礎に忠実で、だからこそ分かっていてもどうにもならない一撃のなんと多いことか。強さとは、力とは本来かくあるべき。そう突きつけられている気さえした。

 こうまでも競っていれば、気づける事はあった。猗窩座には大まかに三種類の技法がある。一つは何の変哲も無い通常攻撃。二つに、古武術として存在したであろうそれを昇華した技。三つに、破壊殺と組み合わせた無双の型だ。

 どれなら無視していいというものではない。が、特に気をつけなければいけないのが三番目だ。破壊殺は知覚拡張の血鬼術。それと組み合わさった技は、必ずこちらの動きを先回りしてくる。当り前に、破壊殺併用の技が飛んでくる度に型を中断させられた。

 炭治郎がなんとか正面を引きつけている間にも、二人の柱は果敢に攻めていく。猗窩座も頚に近い所、ないしは頚そのものを半ば斬られる事が出てきた。逆に言えば、痣を持った柱が三人居てもまだ足りない。

 あと半歩なのだろうか、それとも一歩か。はたまたもっと先か。感覚が麻痺して最強の闘士に届かせるための必要な距離が測れない。

 鬼神の与える重圧に苦悶を漏らしながら注目したのは、杏寿郎だ。

 

(おかしい)

 

 脳の大部分を鬼への対処に追われながら、ひっそりと思う。

 炎柱・煉獄杏寿郎は強い。そんな事は最初から分かっている。炭治郎と伊之助が痣を出してやっと匹敵するといった程の実力は、間違いなく柱上位だ。自分程度が及ぶべくもないのなど最初から分かっているが、問題はそこではない。

 

(能力の上がり幅が大きすぎる)

 

 逆突きに似た破壊殺の一撃を、打ち潮で迎撃しながら。

 例え話だが、痣を発現した場合、全ての能力が三割増しになったとする。これは身体能力だけに留まらず、意識の速さや身体制御と言った至る所までだ。あらゆる面で確実に前より強くする、それが痣という力なのだろう。

 炭治郎、伊之助、善逸と見た限り、この見立てはまず間違いない。にもかかわらず、杏寿郎は技の冴え一点において、この数値を明らかに超えていた。

 彼とその他に、一体何の違いがあるというのだろう。

 

(俺達が痣を使いこなせていない? それとも全集中の呼吸・常中の時みたいにまだ先がある? あるいは、痣によって他の何かが目覚めたのか?)

 

 分からない。柱になったとはいえ、依然底辺である炭治郎が簡単に答えを出す事はできないだろう。

 そうこうしている間にもどんどん追い詰められている。未だ致命傷はないものの、生傷は増え、また体の芯に近くなっている。痣の上がり幅を持ってしても鬼の体を超えられない証左だ。傷自体に動きを損ねるほどのものは存在しないが、そろそろ出血が無視できない領域に入りかけている。

 一瞬、杏寿郎と視線が交差する。代わるか、と訴えかけていたそれを否定する。自分達はこれから衰退の一途を辿る以上、ここで仕留めきれなければどのみち終わりだ。

 崖っぷちに立たされて、色々な事が勝手に頭を駆け巡っていった。童磨と戦ったこと。獪岳との別れ、始動して貰いながら鬼を討伐、善逸に獪岳を紹介して貰った。元下弦の鬼との遭遇、初めて出会った異能の鬼。最終選別、真菰と錆兎、鱗滝左近次。冨岡義勇との出会いに、家族が血まみれで倒れ伏していたあの瞬間――

 順々に記憶が遡っていき、最後にたどり着いたのは舞いだった。父が毎年見せた、ヒノカミ神楽と呼んでいた演舞。

 舞踊の手順そのものはさしたる問題ではない。体の弱い身でありながら一晩中踊り続けられていた絡繰りも。注目すべき点は、あれに『意思』が込められていなかった事だ。

 父はかつて、獣狩りにヒノカミ神楽を転用していた。獣は人間より遙かに感覚が鋭く、また勘もいい。にも関わらず、獣はまるで頚を差し出すようにして死んでいった。今考えてもあり得ない。人が獣の五感を出し抜くなど不可能だ。父の動きは当時の炭治郎から見ても特別速いとは言えなかった。ならばなぜあんなことが起きたのだろう。もしかしたら、あれは反応できなかったのではなく、そこに存在しながら、居る事に気づけなかったのだろうか。

 もはや回答は得られない。父は病に倒れて死んだ。

 だが。

 炭治郎はそこから、己だけの答えを導き出す。

 

(自然と同化する。意識しては駄目だ。俺は水であり型であり、刃そのもの。そこに『己』は必要ない)

 

 確信が、痣と混ざり合う。融合し合ったそれは、彼を次の段階へと押し上げた。

 迫る鈎突きを、斜めに切り落とす。猗窩座は驚愕に顔を染めた。腕を切られた事ではなく、それを察知できなかったのに。

 あり得ない。あってはならない。なぜなら、破壊殺によって炭治郎に限らず三人全ての動きを完全に掌握しているのだから。動きを視認せずとも、どのような奇襲があろうとも、事前に完全な形で読み切れる。それこそが破壊殺の強みだ。その前提を、彼は覆した。

 

(分かる)

 

 意識が溶ける。水の呼吸そのものが炭治郎になる。自己が破壊殺を乗り越えた存在になった事を強く感じた。

 その副作用なのだろうか。猗窩座が透き通って見えた。いや、実際に透けて見えている訳ではない。彼の中で最も敏感な五感、嗅覚から得た情報が脳内で可視化された。服や皮膚を通り抜け、下にある筋肉の微細な動きが読み取れる。なんとなくだが理解した。この技は、隙の糸の先、さらに向こう側にあるものだ。

 ほとんど流れのままに、炭治郎は追撃を行っていた。

 水の呼吸 壱ノ型・水面斬り

 刃が頚に迫る。いかに破壊殺をすり抜ける動きであっても、さすがに真正面から、しかも防御に徹されれば捉えきれるものではなかった。切っ先が喉を捉える物の、頸椎にまでは届いていない。

 異常事態に囚われたままの敵を見逃すほど、気の抜けた者はここにいなかった。左右からそれぞれ刃が殺到する。

 しかし上弦の参。炭治郎が補助に回り、動きを邪魔しながらもなお捌ききって見せた。刃の領域を潜り抜け、そして初めて猗窩座が退()()

 退避に、一番驚いたのは当の本人だった。三人を眺め、次に両手を見下ろして。視線を上げたときには、穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「そうか……。炭治郎、お前もまた“至高の領域”へとたどり着かんとしているのだな。俺や杏寿郎が踏み込んだそことは違う場所へ。まだまだ未来の事だと思っていた。謝罪しよう。俺はお前を舐めていた。これほど急激な成長を間近で見られるとは、戦士冥利に尽きる」

 

 感謝に、しかし答える事はしなかった。この感覚をどれほど維持できるか分からなかったし、それこそ今すぐ解けてもおかしくない。可能な限り余分を減らしたかった。

 ただ一つだけ。感覚という一点に限り、炭治郎は猗窩座と同じ舞台へ立てたと自覚した。

 

 

 

 眼前の戦いを見ながら、嘴平伊之助は苛立っていた。

 要因はいくらでもある。自分の力が全く以て鬼に通じていない事だとか、炭治郎が自分を置き去りにしていきなり強くなっただとか。そこまでして未だに猗窩座とか言う化け物には届かない、だとか。

 

(どういうこった、クソッ!)

 

 思い切り吐き捨てる。

 いきなり爆発的に強くなると言うのは、伊之助にとって未知の現象だった。どんな生き物だって、強くなるには順序がある。力を付け、それを使いこなし、磨いて初めて次の段階へと進めるのだ。痣もそうではないかという気がしないでもないが、そちらは許せる。自分も使えるし。

 善逸は元から自分より強い。獪岳の刀を受け取ってから、彼は化けた。

 伊之助は強い奴にとにかく突っかかるが、自分の弱さを認めていない訳ではない。自分は相手に劣ると分かった上で挑んでいるのだ。自分は強い。そして、自分より強い奴と戦わなければ強くなれない。それが彼の持論だった。

 しかし。こうして身近な人間に容易く置いて行かれるというのは、初めての経験だった。

 

(ざけんなざけんなざけんな!)

 

 苛立ちを起因とする雑さは、そのまま実力に影響した。技の冴え、行動の選択、果ては立ち回りに至るまで、全てにおいて少しずつ劣化していく。分かったからこそ、痛烈に感じてしまった。自分は今この場で足手まといなのだと。

 何より、この程度の同様でどんどん弱くなっていく自分が一番許せない。

 俺は何なのか。問いかけに返ってくる言葉はない。ただただ無力感だけが押し寄せてくる。

 違うんだ。全力で叫びたかった。俺はもっと強い。もっとできる。だから()()()()()()。人生で初めての懇願。違うだろうが。嘴平伊之助はそうではない。どれだけ叱咤しても、哀願の絶叫は消えてくれない。むしろ時間ごとに増すばかりだった。

 置き去りにされる者が感じるもの。それに対し、伊之助は上手く名前を付けることができなかった。もし余人が彼を知ったならば、こう答えるだろう。その感情は『恐怖』であると。

 

(助三郎にできて俺にできねえ筈がねえ!)

 

 存在しない力がいきなり生えてくるなど在るはずがない。鬼でもあるまいに。どこかに必ずとっかかりがある。ならば、自分もそれを見付ければ『次』へ進めるはずだ。

 炭治郎を追いかけてはいけない。自分は嘴平伊之助なのだから。別の人間に同じ物は宿らない。だから、伊之助だけの『伊之助』を見付ける必要があった。

 嘴平伊之助という人間の源流とは一体何だろうか。剣士だろうか。違う。隊士だろうか。違う。全て、全て全て、今存在する全てが違う。

 伊之助は一人で生き、戦ってきた。ずっとだ。猪に育てられ、並み居る山の獣どもを薙ぎ倒した。たまに麓に住んでいたジジイから食べ物を奪ったり、その孫である変な奴をからかって遊んだりしたが、やはり孤独の中に君臨した。

 我は山の神。獣の王。それが伊之助の誇り。

 そう言えば、あの時はどうやって戦っていただろうか。自分の山に侵入してきた隊士をぶちのめし、ついでに余っていた日輪刀を奪い取り、呼吸を見よう見まねで会得して夜の王へと挑みかかった。その遙か昔。

 

(そうだ)

 

 最初は何も考えず戦っていた。吠えて叫んで殴って蹴って。考えるよりも先に体が動いていた。

 自分の『原点』はそこではないのだろうか。

 

(ならよお)

 

 もし、今の技術を維持したまま、それを再現したらどうなるだろうか。

 面白い、とそう感じてしまった。誰もが必死になる中、挑戦すべき事が目の前にできた。失敗するかも知れない。いや、それだけならいい。もしかしたら最悪、他の二人を巻き添えにして死ぬかも。

 だが。

 

(そこでびびるのは俺じゃねえ!)

 

 ならばやることは一つ。

 伊之助は、呼吸の技術はまた別に、深く息を吸い込み。そして思い切り吠えた。

 

「ガアアアァァァァ!」

 

 絶叫しながら思い切り剣を振るう。その程度では鬼が僅かな動揺も見せない事など分かっていた。が、どうでもいい。雄叫びなど所詮付加価値でしかない。

 走る刃に、鬼が今まで通り掌を使って刀を絡め取り、投げ飛ばそうとしてくる。しかしその目論見は失敗した。

 鬼の扱う技は、成る程、確かに人間の域を超えた正しく化け物の所業だ。技術による対抗は考えるだけ無駄だと伊之助程度でも感じるほどに。だが、勝敗は力だけでも技術だけでも決まらない。彼が見据えたのは、その向こう側。

 刃が手を両断する。今までの状況が嘘なのではないかと思えるほどあっさりと。

 鬼の反応は早かった。瞬時に首を傾け、直撃だけは避ける。

 それを見て、細やかに過ぎると言う者もいるだろう。実際、鬼の頚は両断できなければ、全てかすり傷にもならない。だがこれは、鬼がわざと受けた以外で、初めて伊之助が頚に刃を届かせられた攻撃だった。

 

「おっしゃぁ!」

「闘気が……攻撃より遅れて来ただと?」

 

 まるで信じられないといった風に、鬼が伊之助を見る。全てが終えてから、初めて目を見開いていた。

 

「これで俺も届いたぜ、昆布郎!」

「ああ凄いぞ! もう誰だか全く分からなくなってるけど!」

 

 胸を張りつつ、切っ先を鬼に向けながら、高らかに宣言する。

 

「どうだ、これが俺様の極みだぜ! 名付けて(けだもの)の時間! これでお前のなんたらとかいうので感じ取ってからじゃ遅ぇ! そろそろ混ぜて貰うぜ、テメェの頚取りによ!」

「破壊殺な」

 

 なんか言われたが無視する。前々から思っていたが、炭治郎はいちいち細かい。

 名称などどうでもいいと思っていたのは伊之助だけではないらしく、鬼と杏寿郎は話を聞きながらも構えたままだ。いや、鬼の反応は少し違った。喜びに震えながら、拳を強く握っている。

 

「素晴らしいぞ伊之助。お前までもが俺達の領域にやってくるのか。今日はなんという日だ」

「自分が死ぬかもしれないのに、随分と楽しそうだな」

「何を言うか杏寿郎。雑魚を殺した所で何が楽しい? 俺は今日ここで死ぬかも知れない。その予感をお前達が与えてくれている。これ以外に何が必要だと言うのだ。ははは! 俺は生きている! 真なる戦いに身を投じている! 命を脅かされるのは一体何百年ぶりだ? そうだ、これこそ俺が待ち望んでいたものだ!」

「正に闘神か……」

 

 この後に及んで、まだ鬼の闘気が高まる。肌に突き刺さるそれは、もはや物理的な痛みすら憶えさせた。

 肌に纏わり付くそれを振り払うようにして、伊之助は言う。

 

「へっ、こけ踊りだぜ」

「虚仮威し、な。それじゃ踊った拍子に転んだだけだ」

「そう言ってくれるな。俺はお前達に深く感謝している。同時に期待もな。お前が俺を殺すのだろう?」

「ったりめえだ!」

「ふふ……背後から追いすがってくるのではなく、同列に並ばれるこの感覚、たまらんぞ。この悦楽をお前達にも分けてやりたいくらいだ」

 

 鬼が構え直す。見た目は今までと同じだが、しかし伊之助には分かった。先ほども隙などなかったが、今はさらに付け入る合間がなくなっている。完全無欠の攻にして防。上弦の参の最大値がやってくる、そう感じた。

 

「杏寿郎以外の二人は破壊殺で追い切れない事は既に学んだ。はっきり言おう、ここからの俺はさらに強い。お前達が俺をそうしてくれた。『人』か『鬼』か、雌雄を決するのだ」

「最初からそのつもりだ!」

「言われなくとも!」

「分かってらあ!」

 

 三者三様に答えながら限界を、そして限界のさらに向こう側を引っ張り出す。

 夜明けまであと少し。決着の時が近づこうとしていた。

 

 

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