獪岳と善逸   作:山筋

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辿り着いた

 我妻善逸は、およそ集中と呼べる物とは無縁だった。

 修行していれば痛いだ逃げたいだサボりたいと弱音ばかりが出てくる。素振りのような単純作業をしていたらしていたで、大体は女の子の事が頭を過ぎっていた。雑念の塊、それは恐らく、師や兄弟子も否定できない事だっただろう。

 昔に一度、獪岳にどうやって集中しているのか、集中するとはどんな感覚かと聞いた事がある。問われた時、彼はとても難しい顔をしていた。

 

『集中できねえのはお前が余計な事ばっか考えてるからだ』

 

 と、軽くぽこんと頭を小突かれてから。

 

『集中してる時の感覚、ねえ。ジジイは目の前に光の筋ができる感じって言ってたかな』

 

 じゃあ獪岳はどうなのだ、と問うてみると、なんだか微妙な顔をされる。

 

『先に一つ言っとくが、集中の感覚ってのは人それぞれなんだ。自分の感覚を知ってそれに気がついた。俺も集中を知る前に、ジジイに同じような事を聞いたことがある。あんときゃ大変だったぜ。なにせ集中の感覚が違ったのに、俺はジジイの集中を目指しちまった。おかげで随分遠回りした、と今になっちゃ思うよ』

 

 でも俺は、簡単な集中すらできないし。そんな事を言うと、頭を叩かれる。

 

『そりゃおめえが剣に真剣じゃねえかだろアホタレ。……で、それでも知りてえのか?』

 

 善逸は即座に同意した。あの頃は幼かったのだ。兄弟子の事なら、何でも真似したい年頃だった。真に受けるなよ、と前置きしながら、獪岳は語った。

 

『俺の場合は頭がまっさらになるんだ。だけど、少しだけ霞がかってる。見る物全部が遅く感じて、何もかもを掌握できてる気がすんだよ。いいか、完全にまっさらなんじゃなくて、少しだけ霞んでるのが肝だ。微妙に頭を区切り切らないって部分が、頭を動かしてくれる』

 

 獪岳の言うことは難しいし感覚的すぎて、よく分からないと言った。彼はにこりともせず、それでいいと答えた。

 

『俺は頭良くねえから上手く説明できねえよ。それに、最初に言ったろ? 集中の感覚ってのは人それぞれだって。まあ、本気の集中ってのは難しいぜ。一度感じることができたからって、ぽんと入れるもんでもねえしな』

 

 そういうものなのかな、とぼんやり考えた。それから、彼は長いこと言葉の意味を知ることができず、いつしか忘れていた。

 こんなに昔の記憶が掘り起こされたのは、恐らく自分がそこに入れたからだ、と思っている。

 どうやら自分の感覚は、獪岳のそれに極めて近いらしい。

 頭の中が限りなく透明になっている。すっきりしているのとはまた別なのだ。無数の文章を無理なく同時に読めている、というのが近いかも知れない。頭は、ただ情報を受け取っているだけではない。透明の片隅にある、靄のようなものの中に、善逸の全てが収まっていた。そこで思考やら何やらを十二分に行っていた。今まで見えなかった玉壺の動く予兆が全て見抜け、さらには対処法を頭の中で何通りも生み出せる。

 集中の影響なのか、妙な万能感もある。当然、感覚通り万全に振る舞える訳がない。今は呼吸の微細な操作で無理矢理押さえ込んでいるが、体はこの瞬間にも壊れつつあるのだ。童磨と戦った時に比べ、肉体の性能は格段に落ちている。

 

(でも、そんなことは多分関係ないよな。そうだろう?)

 

 誰にともなく問いかける。

 今の状態なら、玉壺に勝つのは当り前。そう自然に思っていた。負ける気がしない。依然玉壺が全てにおいて上回っており、また圧倒的に有利なのも同様。なのに、一欠片も負けるとは思わない……

 これはある種の境地だと理解した。もしかしたら、慈悟郎や獪岳だって入ったことがないかも知れない。二度と得られる感覚では無いのかも知れない。しかしこの瞬間だけは、間違いなく我妻善逸という人間は“最高”だ。

 玉壺は憤怒と困惑が交ざった感情のまま、こちらへ襲いかかってくる。

 感情の種類は、今までも聞き分けられていた。しかし今は、それらがどれだけの割合で、どれだけ深く考えているかすら分かる。

 急に耳が良くなったわけではない。変わったとすれば、それは頭の方だ。今まで処理しきれなかった細かい部分までもを、正確により分けられている。それを戦闘に利用した時の精度たるや、もはや未来予知の領域だった。敵がどの方向から、どのような角度で、どういった攻撃を仕掛けてくるかが全て察知できる。

 鉤爪が斜めに振り下ろされる。指は伸ばしてこない。確信して、善逸は軽く半身になって避けた。眼前を通り過ぎる爪は、しかし鼻先にかすりもしない。そのまま斜め前に踏み込んで、頚に刃を走らせる。

 

(……あれ?)

 

 一撃は、しかし玉壺の頚を断てていなかった。振り遅れたようで、相手の首、右側から斜めに抜けるような跡だけを残す。

 

(ああしまった)

 

 これで始末できなかったのは痛手の筈だが。しかし善逸は慌てることなく自戒した。自分の体は万全ではない。毒に蝕まれた分だけ、体の反応が理想から遠ざかっている。

 しかし焦ることはない。この程度の一撃はいつでも放てる。天上天下、自由自在。善逸を止めることは何物にも不可能だ。

 体を動かした事で、少しだけ毒が回った。代わりに、集中はさらに高まる。自分が自然へ、自然が自分へと互いに溶け込み合うような感覚。大丈夫、何も恐れる事はない。自分が極めた壱ノ型と、獪岳から授かった他の全て、そして極度集中があれば、それこそ鬼殺隊最強たる悲鳴嶼行冥にだって負けないのだから。

 たった一度のすれ違い、たった一合で玉壺は悟り呻いた。

 

「化生となったか……!」

 

 失礼な奴だ、と思う。化け物はお前だ。自分はただ、人としての高みに触れただけ。

 彼の言葉は、妙にゆっくりと聞こえた。しかし途切れるわけでもない。不思議な感覚だ。音が間延びしているのに完全な連なりを見せているのは。

 

「負ける――この私が――!?」

 

 玉壺の葛藤など相手にしていられない。解毒は早ければ早いほど良かった。

 鬼が生み出す毒には、二つの種類がある。血鬼術で生み出した毒と、血鬼術そのものが毒であるものだ。

 前者の場合、鬼を倒しても解毒はできない。代わりに、この世に存在しない毒というのもまた生み出せなかった。後者の時はどんな効果の毒でも生み出せるが、代わりに術者が死ねば同時に消える。

 分かりやすい例が那田蜘蛛山の蜘蛛鬼だろう。あれは間違いなく血鬼術そのものが毒だ。人を蜘蛛に変質させる毒は脅威の一言ではあるものの、術者が死んだ時点で毒そのものは消える。つまり肉体の変化がその時点で停止するわけだ。まあ副作用として残る痛みや痺れまでは消えてくれない様だが。まあ血鬼術で調合した毒ですらも藤が弱点となるのは、ある意味において、鬼の盲点だろう。

 善逸は玉壺に注入された毒を、自然のものではないと当たりをつけた。効果に心当たりがないというのもあるが、単純に自然毒である可能性を考慮しても意味が無い、というのが主だった。その時は確実に死ぬし。それに、玉壺はあらゆる意味で『芸術家』だ。ただそこに存在する物をそのまま扱うのは彼の誇りが許さないだろう、という予想も多分にある。

 まあどうであれ、全ては相手を殺せば分かる。

 

(壱ノ型)

 

 頭の中でだけ唱えた。手慣れた動作。

 

(霹靂一閃)

 

 神速、とまでは行かないが。限りなくそれに近い速度で、玉壺に死に神の鎌を振り下ろす。防御も回避も不可能な一撃。

 だが、それでもなお相手は上弦の鬼。

 善逸と玉壺の直線上に、無数の式神が召喚された。間合いを潰されてやむなく型を停止、弱点である壺を斬っていく。ほんの一瞬だったが、玉壺が逃げ切るには十分な時間を稼がれた。

 

「忌々しや。ああ忌々しや」

 

 彼の逃げた先は、善逸ならば一歩で届く程度の距離でしかない。が、すぐさま詰める事はしなかった。

 勘は正しく、辺り一面に無数の壺が現れた。特に玉壺の周りは、所狭しと並んでいる。攻め急いでいたら、最悪血鬼術に押しつぶされて死んでいただろう。

 

「これで刀鍛冶どもを見失った。追撃はもはやできぬ……あのお方にお叱りを受けるだろう。それもこれも、全て貴様のせいだ」

「そんなこと心配する必要はない。お前はここで死ぬんだから」

「口だけは達者、とはもう言えんな。貴様の脅威は十分に理解した。お前は……絶対にあのお方の前に出してはいけない存在だ。この場で、差し違えてでも死んで貰う!」

「あんたには無理だ」

 

 冷静に切り捨てる中、一つの確信も得た。やはりこの毒は血鬼術そのもの。毒では殺しきれないから、残りの壺を持ってきた。壺から生える姿に戻らないのも同じ理由だろう。以前の姿では善逸に対して時間稼ぎしかできない。今ならば転移での移動も十分に読み切れるし、相手も楽観してないからこそだろう。

 壺を持ってきたのは、現形態では新しく壺を召喚できないから。もしくは既に底をついているか。無い事を前提にするが、完全に切り捨てもしない。思考の片隅に可能性は取っておく。

 

「玄弥」

「お、おう。何だ?」

 

 二人の攻防に追いつけず、式神の梅雨払いだけをしていた玄弥が、いきなり話しかけられて声を上ずらせる。善逸があまりに様子を変えたから驚いたのだろう。これは仕方が無い。自分の変化に一番驚いているのは、他ならぬ彼自身なのだから。

 

「俺は玉壺を中心に攻める。玄弥は壺の破壊を優先してくれ。鬼の頚は、狙える方が狙う。それでいいか?」

「あァ。分かった」

 

 返事が聞けたならば、これ以上言うことはない。

 玉壺は配置した壺に力を与えるとでも言いたげに、両手を広げる。

 

「奥義・十二界(じゅうにかい)海原(うなばら)

 

 言葉と同時、全ての壺からあらゆる海洋生物が溢れた。今までのように法則性などない。とにかく出せるだけ出して、暴れるだけ暴れさせるといった風だ。単に規模だけで言うならば、蛸壺大阿鼻(たこつぼだいあび)と同程度なのだろうが。こちらは完全に制御を手放している。利用できそうな隙間と、手出ししてはいけない危険地帯とがまぜこぜで、ある意味とても厄介だった。法則性がないため、隙を隙と断言できない。まさに海を模している。

 

「これは私の命全てを注いだ。もはや自分の意思で止める事はできません。これが終わるのは、私が死んだ時のみです」

 

 姿も見えぬ奥まった位置で、玉壺が粛々と語る。その穏やかさに悟った。これは遺言だ。

 

「私はあのお方に何もかもを捧げました。命も、家族も、己の人生さえ。胸を張って言える、それは間違いではなかったと。あぁ……無惨様、私から貴方へ最後の奉公です。この男を必ずや始末します。どうか不出来な私を許さないで下さい。――さあ逝くぞ鳴柱ァ!」

「――来い、化け物」

 

 獣が二匹、雄叫びを上げる。

 玉壺が魚ごと巻き込むようにして飛び跳ねる。陣殺魚鱗、そんな言葉を聞いた気がした。蛇のような下肢になれたとして、それを最大限に活かして動き回られれば、確かにそう易々と捉えられるものではない。

 今や視界を埋め尽くす大量の魚も問題だ。一歩動くごとに魚ごと体液を弾き飛ばす必要がある。雷の呼吸最大の利点である機動力が大幅に削がれた。もっとも、ここに至って止まるつもりなど毛頭無いが。

 まずは玉壺の隙を狙いつつ、移動しながら凌ぐ。多少毒液を浴びても仕方ないと割り切った。玉壺最大の毒を喰らった今となっては、下手に逃げる方が戦いを長期化させて危険だろう。

 壺の位置は全て覚えている。玄弥もそうだろう。移動しないとも限らないので過信は禁物だが、全くの当てずっぽうよりはマシだ。それに、善逸であれば音である程度位置を把握できる。壺の入出現に音はない。が、魚が出てくる音までは消せていなかった。音の濃い場所に壺がある。

 

(でも、俺が狙うのは簡単じゃない)

 

 なにせ自分だけは好き放題動ける玉壺が、常にこちらを狙っているのだから。自然と彼に集中しなくてはならなくなる。壺は玄弥任せにするしかなかった。

 技の冴えが変わった剣筋、しかし再び玉壺の体を容易く切れなくなる。両断できない事はないが、腕一本切るのにそれなりの負担を感じた。命を注ぎきったというのは伊達ではなく、彼の体は、金剛石すら一方的に破砕せしめる程となっているだろう。それでいて防御は最低限。

 

(本当に心中でもするつもりか)

 

 忠誠心を考えると、むしろ行わないと思う方がおかしいのかも知れない。この夜、一晩だけに全てを賭けようとしている。

 だからって相打ちになってやる事などできはしなかった。生きるのだ。獪岳の分まで。彼がそれを望んでいるとは、口が裂けても言えなかったが。善逸が手向けとできるものなど、それくらいしかない。ならば、何でもやってみせる。

 負担が大きすぎて、終ぞ獪岳が実践で投入しなかった型。およそ時間稼ぎとは対極にあるのに、攻撃目的ではないそれ。だが、今こそ使うときだ。

 雷の呼吸 歩ノ型・陰電荷は二ノ段・春雷(しゅんらい)

 視認と魚、二重に善逸の位置を把握している玉壺が、なおも善逸を見失った。

 春雷は陰電荷の変形であり発展型だ。急加速と方向転換による残像だけではなく、大気の調子や障害物も利用して己を欺瞞する。最大の特徴は、相手の感覚を欺くという点だ。そこにいるのに、存在を認識できない。玉壺のように、動きが分かっていてなお見失うのだ。早さに特化した雷の呼吸を、ただ速いだけではなくす。それが二ノ段・春雷の正体だった。

 当然そんな技が容易いわけも、ましてや多用だってできない。負担は足だけではなく、精神にすら多大な物だった。常に隙間を見極め続けなければならない都合上、任意の場所に移動できるほど便利な技でもない。

 春雷と陰電荷の入れ替えを繰り返し、結構な数の壺を割る。空間を埋め尽くすほどの量だった魚が、はっきりと薄れてきたのを自覚できるほどになって、玉壺に捕まった。浴びた毒液は少なくないし、時間が経てばさらに動きが鈍るだろう。だが、それだけの成果はあった。もはや魚群とは言えず、遊泳する魚の隙間から玉壺が見える程度になっているのだから。

 

(とはいえ、この程度相手も織り込み済みだと思った方がいい)

 

 互いに持久戦をするつもりがない以上、いかに相手を鈍らせるかが鍵だ。その点、敵は完全な形で成功している。避けようがなかったというのがなお嫌らしい。

 直接の相対が避けられぬとなって、玉壺の両腕が不自然な肥大化を見せた。今までも十分に異形だったが、今回のすれは様子が違う。膨れ上がった腕が悲鳴を上げていた。内部に収まりきらない程の筋肥大を起こし、皮膚や血管を圧迫している。表面が割れて、血液が漏れ出ていた。

 

「おおおォォォ!」

 

 咆吼というよりは、獣の絶叫を上げながら。腕が無茶苦茶に振るわれる。その威力たるや余波だけで地面を抉る程だった。その上で、触れた物を魚にする神の手とやらも健在だ。が、それはもう関係ないだろう。なにせかすっただけで体が千切れる。

 

(なんて豪腕だ)

 

 突風に煽られながら、なんとか回避を続ける。未来を読み取るまでに進化した善逸の聴覚をもってすら、知ってからでは間に合わない。とんでもない速度だ。刀も受け方をほんの僅か間違えれば、そのまま折られるだろう。

 永遠の命を持った鬼が一夜に賭ける想いの底力を教えられた。

 

(でも)

 

 善逸は痺れ始めた手で、強く剣を握る。

 

(俺と獪岳が積み重ねた物だって負けてない)

 

 なりふり構わない暴走を正面から迎え撃つ。

 雷の呼吸 弐ノ型・稲魂

 雷の呼吸 陸ノ型・電轟雷轟

 雷の呼吸 参ノ型・聚蚊成雷

 連続して型を放つ。

 全身をズタズタに切り裂いたにも関わらず、首だけには刃先一つも触れさせてくれなかった。ただ腕を振り回しているように見えて、その実、最後の一線だけは絶対に超えさせない。

 また、回復速度も桁違いになっていた。斬った先から肉が回復している。それこそ腕を跳ね飛ばすことすら難しくなった。

 周囲の障害物という障害物は、既に消え去っている。壊されたのではない、消滅だ。無数に浮かんでいた魚が、建物の残骸すら食い散らかした結果である。春雷の使用を完全に止めて、陰電荷一本に絞る。

 体の動かし方こそ素人だが、玉壺の戦い方はこの期に及んで知的だった。とにかく壱ノ型だけは出させないように立ち位置を調整している。無茶な強化に回復にと、彼の負担だって決して少なくはないだろうに。

 命を消費してこの瞬間だけ強くなるなど、覚悟があったとしても簡単ではない。ましてやそれを実行しながら考えて戦うなど、一体どれだけの胆力を消費しているのか。

 とは思うものの、善逸とて人のことを言えるのかどうか。この異様な集中力が、痣以上に寿命を捧げていないとは言い切れないのだから。

 しばし伺うような応酬が続く。玉壺は神の手を無視されているからか、もうそれに頼ることはなかった。わざと地面に打ち付けて、表面を魚で満たすと言ったことも含めて。正真正銘、命の削りあい。

 分かっている。体が極端な衰弱を始めている事に。それは善逸だけではなく、玉壺もだ。喰らってきた人間の命が、ただの燃えかすとなり始めている。

 限界を超えたやりとりの中、ぼんやりとしのぶの言葉が浮かんできた。柱一人の命で上弦の鬼を一体倒せるなら、取引としては採算が取れると。善逸はさすがにそこまで達観できない。意地でも倒す。倒して生き延びて、そして――。いや、先のことなど分からない。とにかく今は役割を全うする事だけを考える。

 玉壺の体に刃を通しても、火花が散る事が減ってきた。それだけ表皮の強度が落ちている。力を維持できていれば、ここで決められもしたのだろうが。善逸の側とて、痣がなければとっくに動けなくなっている状態だ。

 腕を弾いて懐に潜り込む。もう片方が振るわれ、無理矢理距離を作られた。もつれそうになる足を動かして、玉壺の殺戮圏内から抜け出す。そして再び刃の届く距離に、この繰り返し。戦いは泥沼の様相を呈していた。

 この均衡を崩せるのは、当然一人だけ。

 全ての壺を破壊し終えた玄弥が、力の限り玉壺に襲いかかる。

 

「くたば、れええええ!」

「邪魔をするなァ!」

 

 が、力の差は歴然だった。善逸と玉壺が生み出す嵐に巻き込まれる形で、容易く腕ごと吹き飛ばされる。なんとか日輪刀を破壊される事だけは避けたようだが。頚を斬る程の隙にはなっていない。

 両腕を吹き飛ばされた玄弥は苦しみに悶えながらも吠える。

 

「指でもどこでもいい! 落とせ!」

 

 これ以上喰うのかだとか、人間のままでいられるのかとか、思い浮かんだ考えは色々ある。しかし、それを吟味している暇はない。ただ彼を信じて、掌を半ばから吹き飛ばすように切った。

 落ちた手を器用に咥えながら、玄弥が一瞬躊躇を見せる。逆に言えば、躊躇したのは一瞬だけだった。覚悟を決めたように頭を振って、一気に胃袋へと流し込む。

 

「ガ……!」

 

 漏れた呻きの意味は理解できなかった。悲鳴なのか歓声なのかすらも。ただ、彼の中の『人間』がとんでもない勢いで失われ、同時に『鬼』が浸食しているのが伝わってきた。人が人である事を無理矢理辞めさせられる、吐き気を覚えずにいられない不協和音。無数の甲殻類が皮膚の内側に潜み、ぎちぎちと金切り声を上げていれば、こんな音が響くのかもしれない。

 見るからに分かる肉体の変異を起こしながら、しかし玄弥は僅か足りとて立ち止まる事はなかった。

 顔すら変形する異様な形相で、こちらへ突撃してくる。走りながら、とんでもない速度で腕を再生していた。親指と人差し指の二本だけで刀を引きずりながら、元通りになるのも待たず、とにかく疾駆する。

 

「頚ィ寄こせや!」

 

 技もへったくれもない、力任せの薙ぎ。確かに鬼の膂力があるならば、下手に技術を生かそうと考えるより有効かも知れない。

 問題は、彼の動きが遅すぎるという点だろう。実際に剣が振るわれる時には、既にそこには誰もいなかった。

 

「クソッ」

 

 玄弥があちこちを見回しながら吐き捨てる。完全に目で追うこともできていなかった。しかし、それはある意味当然のことだ。

 片や鬼殺隊最高の速度を持つ柱。片や上弦の鬼屈指の肉体を持つであろう鬼。ましてや玉壺は明日を完全に捨てている。これで追いつけと言う方が無理があった。

 

「せめて銃がありゃあ……!」

 

 悔しげに吐き捨てながら、なんとか捉えようと奮闘するものの。特異体質を持てど、ここが()()だ。なんとなくだが、音で分かる。これ以上、それこそ完全に鬼になってしまう程喰ったところで、強くなれない。

 だから、玄弥は諦めた。自分が頚を取ることを。

 日輪刀を投げ捨て、両手を地面に突く。

 それに感づいて、善逸は少しだけ跳ねた。身動きが取れなくなった所に、鋭い貫手が迫ってくる。思い切り首を捻って避けたものの、肘が深々と頬を切り裂いた。次があれば躱せないだろう。ただし、次は絶対に来ない。玄弥が別の未来を作り出すのだから。

 

「血鬼術……!」

 

 言葉にしたのは、扱いに慣れてないが故か。

 彼を中心に、植物が辺り一帯を侵食する。木の幹だけ、或いは根だけのそれは、驚くほど簡単に地表をひっくり返した。同時に、地面に接触していたものを例外なく絡め取る。例えそれが術者本人だろうと、長く強靱な海蛇の足だろうと。

 終わりへの道が開かれた。

 玉壺の足が刹那にも満たぬ間、止まる。一瞬をさらに何十にも分割した時間の中で戦っていた彼らにとって、それは正しく致命的だった。

 ――かつて善逸は考えたことがある。自分は壱ノ型しか使えない。突っ込む事しかできない。それでもなお獪岳と並ぶには、どうすればいいか。

 まずは壱ノ型を極めた。そして連続で発動できるようにし、さらに発展系の神速も生み出した。が、それらは所詮、壱ノ型の枠を出る物ではない。つまり、隙がある敵へ最後の一撃を放つくらいしかできない。

 明確に『別の型』と呼べるものが必要だ。考えては破棄し、また考案し、物にならないもしくは壱ノ型と大差ない、そう持っては捨て去り。何度も何度も繰り返した。その果てに見いだした、一つの答え。

 突撃からの必殺しかできないのならば、必殺の突撃に牽制まで組み込めばいい。そんな馬鹿みたいな結論から生み出されたもの。草案はあってもずっと形にならなかったが、獪岳の技術を得たことで初めて使用可能となった。いわば二人で生み出した型。

 雷の呼吸 漆ノ型・火雷神

 雷の龍に炎が宿る。

 血鬼術が反応できないほど短く木を蹴り、渾身の力を込めて玉壺へと飛ぶ。ここに至って、もう小手先の技など無い。本当に、ただひたすら出しうる全ての力を一つの型につぎ込んだ。

 刃に雷光が走り、それが龍の形を取り、炎を噴き出す。最短距離を断つ霹靂一閃とは対照的に、抜刀から極端に大きな弧を描いて頚へと噛みついた。

 玉壺が両腕で頚を守ったのは、咄嗟のことだっただろう。だが関係ない。この型は、防御の上から無理矢理ねじ切る事までをも想定している。

 今までにない鋭さを持った刃が、抵抗などないのではと見間違う程にあっさりと腕を裂いた。玉壺が顔色を変える合間もなく右腕は断たれ、さらに進み、ついに喉へ到達する。

 

「悪いね」

 

 鞘から抜いた刀を、思い切り右後方へ振り抜いた。両腕と――胴体から離れた頭部が、寒々しい空に踊る。

 

「最後の最後まで手札を残した俺の勝ち」

 

 鬼にとって致命的な一撃を食らった体が倒れ込む頃。やっと、頭が地面へと墜落する。

 

「ぎ、ぎいいいぃぃ……」

 

 本来ならば目の位置にある二つの口が、怨嗟の声を上げた。悔しげに、口惜しげに、とにかく必死になってうめき声を漏らし続ける。

 きぃ、きぃ――人体からは絶対に鳴らない音を、頚だけになった鬼が上げる。

 

「まだだ……まだ私は……お役に……無惨様……」

 

 もはやその男は、死を待つだけの、ただ執念が凝り固まった存在だ。

 ただし。その純然たる執念が、何かを生み出す事も、この世にはある。

 斬られた頚の断面から崩れ始めるでもなく、そこがぶくぶくと肉腫が泡立つようにして膨れ始めた。いや、崩れていない訳ではない。それを上回る速度で体を生産しているのだ。

 生まれてくる肉も奇妙極まった。青白いのは今までのままだが、しかし玉壺の生み出す物は全て海産物に由来した。しかしその『肉腫』は、およそ海洋生物を祖とするようには見えない。どう言えばいいのか分からないが、ぱっと思いつくのは『鬼』という存在そのものだった。

 このまま放置してはいけない。勘が告げる。頭を粉微塵に切り刻もうとして……

 がくん、と膝が落ちた。

 

「時間切れ……ここに来て!」

 

 時間の感覚が戻り、頭から靄が消えていく。忘れていたものも次々と思い出していった。無茶をしすぎた体の痛みやら、恐怖心やら雑念やら。恐らく痣も消えているだろう。が、それらは致命的ではない。最悪なのは、体に力が入らない事だ。刀が手からこぼれ落ちる。

 根性だけではどうにもならない領域に、とっくに踏み込んでいた。

 

「まだ……まだ……まだぁ!」

 

 大量の水疱瘡を潰したような手がやたらめったら生えて、ついには自立する。遅々としていたが、しかし確実に玉壺は鬼以外の何かへの道を進んでいた。

 悪いことは重なる。玄弥の血鬼術は、とうに制御できる範疇を超えていた。膝を突いてしまった善逸にも絡まり、拘束を始めている。

 

「いや待って待って待ってここまでやって俺死ぬの!? うっそでしょオイ! 誰かー! 誰か助けてー! たすけってーぇぇ!」

「情けねえ声出すんじゃねえよ!」

 

 悲鳴に怒声が返される。まあ誰かと問うまでもなく玄弥だ。

 彼は足から生えている血鬼術を、ある時は力尽くで無理矢理引き千切り、ある時は日輪刀で斬って進んできた。ふと元いた場所を見てみる。引き千切られた腕が残っていた。即座に見なきゃ良かったと後悔する。

 

「グダグダグダグダ……」

 

 いちいち足を取られているので、歩みは決して速いものではなかったが。それでも確実に玉壺だったものの前まで進み、そして目一杯刀を振り上げる。

 

「いい加減しつけえんだよ! 頚斬られたんなら素直に死んどけボケ!」

 

 罵倒しながら、とにかく全力で刀を振り下ろした。一度ではない。何度も何度も。

 足を止めているので、血鬼術で作られた木が玉壺だったものを押しつぶしたり、逆に刀の動きを阻害したりと、いまいち手間取っていたが。そんなもん知ったことかとばかりに、ぐしゃぐしゃにすり潰していく。

 再生と崩壊の連鎖は、長く続かなかった。玉壺だったものの再生が目に見えて遅くなり出し、やがて本来あるべき自壊を思い出した。善逸との戦いで過剰に消費した結果の栄養不足も無関係ではないだろう。ともあれ玄弥の滅多斬りで崩壊は早められ、最終的に完全に消えた。

 やっと終わった――万巻の思いで体を脱力させる。

 頭も体も、双方完全に消えたのを確認してから、恐る恐る血流を戻す。とりあえず、これ以上体を壊される感覚はなかった。そのことにほっとする。

 時を同じくして、玄弥も血鬼術を止めた。どうやら制御ができないだけで、発動自体は停止できるらしい。血鬼術が崩れていった。地表は元より、地下にも結構深く潜り込んでいたようで、消えると同時に地盤沈下を起こす。

 終わりには玄弥も安心したようで、大きな安堵のため息を吐きながら、その場に座り込んだ。

 

「これは俺が鬼の頚を取ったって事でいいよな?」

「好きにすればいいんじゃないかな」

 

 実際どうでもいい。未だに柱である事に忌避感を持つ程度には死にたくないと思っているし。給料だって元の額でも使い道がない。

 が、言葉を聞いて、玄弥はため息をつく。

 

「嘘だよ。俺はおこぼれに預かっただけだ。今回でそれがよく分かった。俺にゃ柱はまだ全然速い」

「だから好きにすればいいって」

 

 なんで柱に拘るのかが分かっていない彼からすれば、そうとしか言いようがなかった。

 

「しかし、なんでお前まだ転がってんだよ」

「いや、体動かないんだと本当に。正直今にも吐きそう……」

 

 土下座に近い形で突っ伏しながら、そう答える。

 疲労もあるのだが、一番の原因は毒だ。どうやら玉壺最後の攻勢時、使った毒は血鬼術の毒のみではなく、術で生成した毒もあったらしい。いや、状況を鑑みるに、毒を作ったのではなく自然毒をそのまま流用したが正しいか。ともあれ、鬼の消滅と共に消えない毒も混ざっていた。幸いなことに、そちらは麻痺毒が主であり、他のものもとりあえず死ぬようなものはなさそうだ。解毒は必要だろうが、まあそれは後回しにするしかない。体は死ぬほど痙攣しているけど。

 

「ところで、実は鬼がもう一体来てるって言ったら信じる?」

「あ? まあここの重要性を考えたら、居てもおかしくねえだろうなとは思うが」

「じゃあそっちの救援に行ってくれない? 俺はさ、ほら、この通り動けないから」

「本当に動けねえんだろうな」

 

 なんでだか懐疑的な目を向けられる。

 が、これに関しては胸を張った(体は動かないが)。なにせ本当に指一本動かない。触覚も非常に曖昧で、体が地面に触れているのも分からない程だ。そのくせ痛みだけは一丁前に伝えてくるのが、なんとも鬱陶しかった。

 

「いいけどよ。どっちみち無意味だぜ。ほら」

 

 と言いながら、玄弥は気だるそうに立ち上がり、物陰、というか地面の中に隠れた。

 気付けば周囲がうっすら明るくなっている気がしなくもない。朝日が差しているのだ。

 

(俺、すっげえな)

 

 ぽつりと漏らす。上弦の伍とほぼ一対一で一晩中戦っていた上、倒したのだ。中々凄いのではないだろうか。大人数で囲み、袋たたきした方がよっぽど善逸の好みではあるが。絶対そっちの方が苦労しないし痛くないし。

 

「てか、玄弥は何やってんの?」

「見て分かんねえか?」

「分からないから聞いてるんだけど」

 

 見た目はかなり特殊な変態である。

 

「元から強い血鬼術を飲んじまった上に、最後にきついの追加で喰っちまったからな。いくら体を再生して使ったって言っても、体から影響が抜けきらねえんだよ。多分こりゃ三日くらいこのまんまだな。その間は日光の前に出られねえ」

「凄いは凄いけど、難儀な体だなあ。よく今まで生きてたな」

「俺だってこんな強い鬼喰ったの初めてだよ。普通なら強めの鬼でも四半刻も経たずに元通りで、後はちょっと再生力が高いって程度の人間だからな。こんなに引っ張られるのは初めてだ」

「いいけどさ。あんまり無茶するなよ。兄貴も心配するぞ」

「……ああ、分かってるよ」

 

 思い切り含みを持たせて、玄弥。不死川兄弟の関係はやはりよく分からない。両者ともに憎からず思ってるのは確かだが、かといって気の置ける仲でもない。

 

(いっそ二人とも伊之助くらい簡単になればいいのに)

 

 ぼやくが、そう簡単にいかないだろう事も分かっていた。できるならとっくにやっている、と本人達は言うだろう。まあ兄弟喧嘩で仲が悪いのは、本気で憎悪しあっているか、譲れないものがぶつかり合っているかのどちらかだ。今までの諸々を鑑みて後者なのは間違いない。

 おーい、と声が聞こえる。式神が一斉に消えた事に気がついた隊士達が、引き返してきたのだろう。

 

「ふりゃはへー」

「何言ってんだお前」

「ほぎあはへあははふぎおとごおごえふえあ」

「いや本気でなんなんだよ」

 

 単に毒のせいで舌が回らないだけである。が、そのせいで説明もできない。

 

(本当なら今すぐ炭治郎達を確認しに行きたいけど)

 

 できないものはできない。根性論など言うは簡単だが、実際にそれで体を動かせるかと問われれば全くの否だ。

 せめてこれくらいはと、善逸は炭治郎達の(特に禰豆子の)無事を祈り続けた。

 

 

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