獪岳と善逸 作:山筋
意外な、というか無茶苦茶な話だが、刀鍛冶の里戦乱における本部の判断は、極めて軽微である。
これにはいくつか理由がある。上弦の鬼二人に襲撃を受けておきながら、死者がたった十数人に留まった事。里そのものは全壊しているが、そもそも刀鍛冶の里は不定期に場所を入れ替えており、物的被害は被害の内に入らないという事。何より――些か非情な話だとは思うが――死者の中に熟練の刀鍛冶が居なかったのが上げられる。
ともあれ、復興は迅速だった。
見つかった刀鍛冶の里は放棄され、今後二度と立ち寄らないそうだ。まあこれは当然で、既に見つかった拠点を使い続けるなど誰にとっても危険が高い。使われていないが即座に稼働可能な『空里』なる場所に刀匠達は移っていくらしい。柱とは言え一隊士に知ることができるのはそこまでで、次の里やら里の位置やらに関する情報は一切入ってこなかった。この辺り、やはり鬼殺隊は徹底している。
もはや隠す理由が失われた里は大々的に公表され、人員の撤収は迅速に行われた。それこそ近隣の隠が総動員されたのではという勢いだ。
こんな勢いで人が動けば、鬼側にも情報が漏れてしまうのでは、と思ったが。そこでふと、善逸は気がついた。刀鍛冶の里は本当に一つなのだろうか、と。
改めて考えれば、日輪刀を作る場所が一カ所だけというのは、いかにも危険性が高い。善逸が気がつく程度の事を、まさか本部が懸念していないなどという事もないだろう。それこそ今回の里は囮かはったりという可能性すらある。
色々な事が思い浮かんだが、しかしそれを問うてみたりなどはしなかった。正解であれ間違いであれ、自分如きが知るべきではないのだから。難しいかったり責任が大きかったりする何かは偉い人へ、これに限る。
まあともかく人員と必要物資の撤収は素早く、善逸達はいの一番に病院へと収容された。そこから立てるようになるまで一日、動き回れるようになるまでは二日を要する。退院まではおよそ三日だった。
自分だけではなく炭治郎や伊之助、杏寿郎も同程度だったため、微かに安堵したのは記憶に新しい。いくら昏倒した原因がほぼ疲労によるものとはいえ、意識が回復しない程の消耗だったのだ。それをたった三日で完治というのは、控えめに言って人間を辞めている。というか呼吸だけで毒までどうにかなったのは、我が事ながらとてつもなく怖かった。一体自分の体はどうなってしまったのだろうか。
ともあれ。そして今、彼らは胡蝶邸へと走らされていた。
「うぅ……もうちょっと休ませてくれてもいいのに」
「気持ちは分かるけど仕方ないさ。他の皆が働いてるのに、俺達だけのんびりなんてしてられないし」
気弱にぼやく善逸に、炭治郎が苦笑しながらそう返す。
今回の件で上弦の鬼を二人倒しているのだ。しかも善逸らは、倒した上弦の鬼全員と遭遇するという驚くほど運が悪い。休暇くらいくれたっていいではないか、とは思う物の、そもそも刀鍛冶の里でさんざん休みを貰っている。既にたっぷり休んだでしょ、と言われればぐうの音もでなかった。
唯一救いを述べるとすれば、行軍速度がきっぱりと遅い点だろう。これは玄弥に速度を合わせている為だ。呼吸を使えない玄弥は、体力で遜色なくとも最高速度で劣る。最高速度が低い分、高速を維持するための体力消費も大きくなるわけで。最初は伊之助の悪口にもいちいち反応していたが、今では青色吐息でなんとか着いてきているといった様子だった。
本来なら彼を誰かが背負って走った方が速い(炭治郎は除く。彼は既に禰豆子を負ぶっているし)のだが。それをしないのは、あまり意味が無いからだ。玄弥は速くないものの、遅くだってない。仮に背負って一刻速く到着したからといって、何がどう変わるものでもないし。彼の誇りを尊重しよう、という暗黙の了解ができていた。いや、伊之助は自覚していないだろうが。
ほとんどとんぼ返りのような状態で胡蝶邸に辿り着くと、即座に蝶屋敷へと通される。
中は珍しく静かだった。前に来たときは、診療所の方から入院患者のうめきやら、忙しく動き回る看護婦やらの音がひっきりなしに聞こえていたのに。たまたま誰も世話になっていない、という訳ではないだろう。
案内された場所を見て、善逸は小さくを目を見開いた。柱全員に、先代柱のしのぶと義勇までいる。
この頃になると、いかに鈍い善逸でも、柱の価値を僅かながら理解していた。いや、思い知らされたと言った方が正しいか。
単騎で戦況を覆す柱は、とてつもなく稀少だ。また、上弦の鬼に対抗するためには、最低でも柱が必要だという面もある。誤解を恐れず言うならば、上弦の鬼と戦うとき、柱未満では肉壁くらいにしかならないのだ。
柱の活躍は当然対上弦の鬼以外で求められる事が多い。だからこそ彼らは一般隊士以上に休みが取れないし、半年に一度しか柱合会議を開けないのだ。
にもかかわらず、勢揃いしている。これだけで尋常ならざる事態だと分かった。
「おう、来やがったかァ」
「ちっ。また貴様らか。なぜ上弦の鬼は俺の所へ現れんのだ。こちらへ来ればすぐさま殺してやるものを」
着いて早々、小芭内にぼやかれる。悪態ではなく、ただの独り言だというのは救いだ。
「お前達も座ってくれ。まだ幾ばくか時間に余裕があるとはいえ、無駄にして良いものでもない」
場を取り仕切っているのは行冥だった。こういうとき、最年長者が最強であるというのは心強い。必ず話が彼を中心にして回るのだから。
そそくさと、あらかじめ用意されていた席に座る。まだ柱という自覚が作りかけの善逸にとって、微妙に居心地が悪かった。
というかだ。
「しのぶさんと冨岡さんもいるんですね」
なんでいるんだ、ではなく二人がいるなら自分いらなくないか、という気持ちを込めて。
これは完全に見抜かれて、とりわけ実弥からは殺意すら籠った視線を向けられた。音が非常に怖いので辞めて頂きたい。
善逸の内心などしったこっちゃないという様に、しのぶは澄ました様子で言う。義勇のそれは、多分素だろう。
「私はここの家主ですからね。丁度暇な時期でしたし、情報共有くらいはしようかと」
「ここで世話になっている」
どちらもつっけんどんな様子だが、しかしそれを見て、一部の者はにまりと笑った。
「わあ、お二人ってそうだったんですね! おめでとうございます!」
「うむ。仲良きことは美しき哉」
「そんときゃ俺に声をかけろよ。派手に祝ってやるぜ」
「実にめでたい事だ!」
「そういうの辞めて貰えますか本当に! 下世話ですよ!」
「え? 何? 何なの?」
なんでだか祝言を述べられ、しのぶが真っ赤になって怒り出す。善逸は何が何だか分からず、当たりを見回した。実弥と小芭内から、とりあえず黙っとけという視線を貰う。
「えと、所でしのぶさんの体はもう大丈夫なんですか?」
訳も分からないまま、なんでだか異様に興奮している行冥の気を逸らすべく言葉を発した。なんだか近所のおばちゃんみたいだな、と失礼な事をひっそり考える。
この場に出てきている、という事はそれなりに復調しているのだろうとは予測が付いたが。大量の吐血をするほど毒を呷ったのだ、万全とも行くまい。事実、彼女の体から発せられる音は、見る影もなく弱々しくなっている。
「毒は日常生活に支障が無い程度には抜けています。ただ、隊士はおろか隠としても働けないほどに弱ってしまいました。幸いにもまだできる事はあるので、今後はそちらに専念したいと思っています。そこまで回復するまでは、寝台に縛り付けられたりもしましたけど」
最後に茶目っ気を含めて締めくくるが。そこは周囲も相当苦々しい思いをしたんだろうなと簡単に分かった。言って止まる人手無いのは、童磨との戦いを見れば分かる。
彼女の発言に、驚きはなかった。誰もが予想していた事を、改めて口にされた以上の話ではない。
一応、という風に幾人かが義勇へと視線を飛ばす。こちらは答えもなかった。片足を失ったのだから再起不能だというのは、まあ確かにあえて語るような事でもない。
「さて、少しばかり脱線したな。話を戻そう」
行冥が数珠を小さく慣らしながら手を叩く。完全に正論ではあるが、脱線した時真っ先に乗っかった人に言われるのはどこか釈然としなかった。
「その前に。お館様への報告は? そろそろ柱合会議の時期でもあるだろう」
杏寿郎の発言に、行冥が頷く。
「それについてだが、我々は二度とお館様の元へは向かわぬ。少なくとも事情が変わらぬ限りは」
「む?」
「現状を理解して貰えば、ある程度は理解して貰えるだろう。まずは話を聞いて欲しい」
「承知した!」
そして、まず口火を切ったのが小芭内だった。
「全国から鬼が消えた」
「……?」
端的な言葉に、杏寿郎が首を傾げる。
「それは何かの比喩か?」
「いいや。本当に、一斉に鬼が姿を消したのだ。時間を考えれば、丁度お前達が上弦の鬼を倒した当たりから行動を開始したのだろうな。三日も経った頃には、全ての鬼が姿を消していた」
「それは……由々しき事態だな」
「全くだ。きっかけは間違いなく、太陽を克服した鬼が現れた事だろう。竈門禰豆子を我々が確保できている事だけが救いだな。鬼が鬼を喰えばその力を奪えるなどという都合がいい事、本当に起きるかは怪しいものだが。少なくとも鬼舞辻無惨のボケカス無能はそうだと確信しているらしい」
「口悪ぅ」
「何か言ったか?」
滑った口を鋭く睨まれ、口をつぐんだ。
不死川実弥と伊黒小芭内。かなり似たもの同士な両者だが、一つだけ違う点がある。実弥が分かりやすく激発するのに対し、小芭内は静かに切れるという点だ。もっとざっくり言えば、前者には怒りという警告がある。しかし後者は傍目に分からないよう怒るため、気付いた時には必殺を貰う恐れがあった。
「本当に鬼の出現はないのか? いや、皆を疑っている訳ではないが、俄には信じがたくてな」
懐疑的な言葉に、無一郎がそっと挙手する。
彼は、たしか小鉄が毛嫌いしていた柱だ。いつか髪の毛を全部むしってやるだとか、やたらと過激な言葉を向けていた記憶がある。
死ぬほど性格が悪いという話ではあるが……当の小鉄少年こそ社交的とは言いがたい苛烈な性格のため、話半分にしか聞いていなかった。この分だと、彼が勝手につっかかっていたという可能性の方が高そうではある。
穏やかな、というよりはぼんやりとした様子で言葉が紡がれる。
「少なくともここ最近は鬼が全く出現してないよ。怪しい話は何件かあったけど、実行犯はどれも人間。そっちはまあ、僕たちの仕事じゃないから、証拠を警察に提出して終わらせたよ。で、いいんですよね、宇随さん」
「おう、上等だ。あまりにも鬼が絡んだ事件がないもんだから、最低限の隊士を残して撤収させた程だ」
「……思っていたより大分洒落にならない事態なのだな」
杏寿郎が難しげに眉をひそめた。
言葉にされても、どれほど大事なのか善逸には分からない。居ないなら居ないでいいんじゃないの、と考えるのは多分阿呆の戯れ言なのだろう。
大きな嘆息の後、行冥が悲しげに呟いた。
「奇しくも、獪岳が遺書にしたためた予言の通りになってしまったわけだ。我々が集められ、なおかつお館様の元に赴かないのも、ただ少しでも相手に場所が知られるのを遅らせる為だけではない」
「俺達も、少しでも強くならなければ、という事か」
「柱もだろうがなァ、問題は一般隊士よ」
「ああ全くだ。今の隊士は弱くて困る。今までのままでは何もできず死ぬだけだ。せめて成り立て程度は問題なく蹴散らせる程度にはなってもらわねば」
「全体の底上げをしつつ俺らも強くなる、まあめんどくせえがやるしかねえよな」
「そこで――杏寿郎さん達を差し置いて申し訳ないですが――柱稽古を開催しようとなった訳です」
「昼は隊士の指導をして、夜は柱同士で連携の強化って大雑把に決まってるよ。僕はどうでもいいけど」
「ま、指導内容が被っちゃいけねえからそこは応相談だがな。まだ計画が立ち上がったばかりって所だ」
皆が頭よさげな会話をする中、馬鹿四人がぼうっと眺め……四人?
はっと、三人同時に横を見た。いつの間にか、自分達のすぐ近くに移動していた冨岡義勇が、まるで仲間のような面をして座っている。
「いや冨岡さん。なんでこっち側にいるんすか。アンタ向こう側の人間っしょ」
「俺はやることがない。胡蝶ほど頭も良くないし」
「いやいやいや」
だからって馬鹿のふりしてこちらに来るのは絶対違う。今までさんざんお世話になった炭治郎など、滅茶苦茶言いづらそうな表情をしているではないか。
義勇は至極真顔で言った。
「世の中には居ない方が上手く回る人間もいる」
「なんでそんなせつないこというの……」
そういう台詞は善逸に刺さる。とてもやめてほしい。
「テメェ何他人事みてえな面してんだゴラァ!」
直後、義勇は実弥に頭を思い切り引っぱたかれた。頭の中すっからかんなのじゃないかという程いい音が鳴る。それでも無理に連れて行こうとしないあたり、扱い方が分かっているという事なのだろう。それこそあの炭治郎すら向こう側に連れて行こうとしない。
「お前達に分かりやすく言えば、今、我々と鬼舞辻無惨は競争をしているのだ」
皆を代表した風に、行冥が答えてくれる。
「鬼側は今、総力を挙げてお館様ないしは竈門禰豆子を探しているだろう。我々はそれに体し、いずれ見つかる前提で行動している。なるべく発見を遅らせて、隊士の能力を底上げしようという話だ。準備が整うまで引き延ばせればこちらの勝ち、という程簡単な話でもないが、優位に立てる事は事実」
「逆に、こちらの態勢が整うまでに見付けられたらかなり厳しいという事でもありますね。なにしろ現状、下位の隊士は補助戦力としてすら期待できないので」
「へー」
それがどれだけ重要な話かは分からないが、偉い人は色々考えていて大変だなあと子供みたいな感想を持った。などと言っている自分も同じ階級なのを棚に上げて。
ちらりと見れば、炭治郎と伊之助も似たような状態である。
あからさまに理解していない三人に、しのぶは苦笑しながら続けた。
「とはいえ、現時点で我々はかなり恵まれていますよ。十二鬼月は残り三名、欠員を補充できたとして、一人か無理をしても二人が限界でしょう。柱が九人揃っているというのも大きいですね。欠員をすぐに補充できたのはかなりの幸運でした」
そこに自分も数えられていると思うと、かなり複雑ではある。
九名の柱。実のところ、この数に意味はない。あえて言うなら最大数が九だったというだけだ。
鬼殺隊は極端に古い組織である。それこそ、記録だけならば平安時代から存在することになっていた。しかし、鬼殺隊が真に鬼を殺す組織となれたのは戦国時代――一人の天才が『呼吸』という技術を編み出したからだ、と伝えられている。
戦いは長く、現代まで繰り返された。途中、突然変異でも起きたかのように幾人もの天才が生まれた事があったし、逆に一人として突出した存在が居なかった時期もある。そして、下弦の鬼を単独でねじ伏せられる力を持った者の最大数が九名だった。今に至るまで、その数を超えたことはない。
というのが獪岳から聞いた話だ。これも慈悟郎からの聞きかじりらしいが。
まあ考えてみれば特別おかしな話でもない。上弦の鬼は討伐記録が残っていないほど強く、下弦の鬼は最大で六名。討伐の末に入れ替わりがあったとしても、早々素早く入ってくるものではないだろうし、遭遇率となれば言わずもがな。どれだけ討伐を急いだとしても、九という数字は限界に近い線だろう。
だから、前任の三人が脱落していなければ、柱の最大数は十二人になっていたと思われる。意味の無い仮定だと言われればそれまでの戯れ言でしかないけれども。
一説には始まりの呼吸の使い手が九人だったからという説もあるらしい。が、こちらはあまり信憑性がないだろう。それで柱を九人と数えるのは、なんというか、あまりにも雑だ。
(ん?)
と、ふと知らなければ良かった事に気がつく。ものすごく目をそらしたかったが……そうしたらそうしたで、確実に後から大きなしわ寄せがやってくるだろう。いや、今知ったところで何が変わるとも思えないが。
「あの、しのぶさん」
「はい」
「なんか、その。俺にもう一度上弦の鬼と戦え、みたいに言ってるような気がするんですが」
「逆になぜ戦わなくていいと思ったのか知りたいですね」
とても美しい笑顔できっぱりと告げられる。菩薩もかくやという微笑みであるが、中身は祟り神だってもうちょっと慈悲があるというものだった。
さっと善逸の顔から血の気が引く。
現状を理解するのには、幾ばくかの時間が必要だった。それだけ脳が理解を拒んでいたのもある。やっとの思いで全てを理解した後に現れたのは、まあいつもの如く恐怖だった。
「やだやだやだ! なんで俺ばっかりこんなに上弦と戦うの!? 絶対おかしいって! 何かずるしてるよ! いーやー! やああぁぁぁだああぁぁぁ!」
その場で転がり、とにかくどったんばったん暴れる。まるで幼子がそうするように恥も外聞もなく。
根本的に、普通の鬼と戦うのだって未だに嫌なのだ。滅茶苦茶おっかない。それでも最近は、普通の鬼と戦う分には小さく愚痴るくらいしかしなくなった。これは大変な成長だと善逸は自負している。
が、柱なんぞになってから向こう、異様に強い鬼とばかり戦わされる。それこそ上弦の鬼ってなんだ。事実上、鬼の頂点ではないか。こんなのもう死ねと言われているに等しい。これでまた上弦の鬼と遭遇したらどうだ、もう半数も戦うことになるではないか。今度こそ死ぬ。確実に死ぬ。今までだって限界ぎりぎりだったのだから死ぬ。
そんなの絶対嫌だ。そもそも上弦の弐はもう倒したのだ、これはもう獪岳の敵を取ったと言っても過言ではない。自分はもう十分戦ったはずだ。これならもう隊士を辞めたって何も言われまい。いや、実際に言ったら酷いことになるだろうが。
善逸の判断は速かった。隣でぼんやりとこちらを見ている炭治郎に絡みつく。
「たんじろぉ、助けてくれよぉ! 俺を守ってくれよぉぉ……!」
「えぇ? 無茶言うなよ、俺より善逸の方が強いじゃないか」
「そんなことないよぉ。絶対炭治郎の方が強いよぉ。だから守ってくれよ頼むよぉ」
しくしく泣きながら、とにかくかぶりつく。これで無理矢理引き剥がそうとしないところが炭治郎のいいところだ。これが伊之助だと近づききる前に殴られる。
最近になってようやく禰豆子は自我を取り戻しつつある。彼女を元に戻したいという気持ちは、当然善逸にもあった。が、それと戦い続ける事とは話が別。どうしたって怖いものは怖い。可能な限り死なないようにしたい、できるならば切った張ったなぞせず生きていきたい。そう思うのは何もおかしくないはずだ。だから泣きつく程度、恥ずかしくもなんともないのである。きっと禰豆子も許してくれる筈だ。
しばし、どこをどう介錯しても発展性が欠片もないやりとりが続き。誰かのため息が響くと同時に、実弥がすくりと立ち上がった。
おもむろに善逸の肩を掴んで体の向きを変えてきて、危ないと思う間もなく、中指の第三関節が鳩尾に深くめり込んだ。
人間、完璧な形で肺を強打されると、うめき声も出せないものだ。空気を強制的に吐き出さされ、視界が一瞬真っ暗になる。なのに意識だけはやたらと鮮明であり、痛みもなくただただ苦しさだけが打撃部位を中心に反響する。急所に完璧な攻撃が入るともんどり打つ事もできないのだ、と善逸は実弥の付き人になってから知った。
「……! ……!!」
小さな痙攣を繰り返すだけの善逸を、実弥が冷ややかな目で見下ろしている。
「なんだ、動き出すまでに随分遅かったではないか」
「これでいいんだよ。ある程度騒がせてからじゃねえと後までうるせえからな。ぶん殴ったら黙るようになるまで待ってたんだ」
常にやたら皮肉げな小芭内の言葉に、しかし彼はどうでも良さそうに返した。このどうでもいいと言うのは、小芭内の言葉に体しても、悶絶している善逸に対してもだ。彼は基本、生きていれば後はどうでもいいだろという極めて大雑把な価値観の元動いている。
ちなみに、この間善逸を助けようとする者すら一人としていなかった。こういう人間、というか生物として知れ渡っている証拠である。
情け容赦なく殴られた上、腹を蹴飛ばされて邪魔にならない位置まで避けられた。扱いがひたすらに雑だ。とても悲しい。最近この扱いに慣れてきた自分が。
「さて、今度はそちらの情報を共有して貰いたい。実際に上弦の鬼と戦って気付いた事があれば教えて貰いたい。鎹鴉伝いにも情報は届いているが、如何せん伝達量に乏しい。やはり重要な話は、直接顔を合わせるに限る」
善逸は無理矢理首を捻って、顔を行冥の方に向ける。やや避難げな視線を向けるものの、一顧だにされなかった。恐らく柱の中で一番優しい彼をしてこの扱いである。この中で、善逸の立場がよく分かる反応だった。
「とりあえず、上弦の参はとてつもなく強かった。はっきり言おう、痣を出した柱三人がかりで勝てる気がしなかった! 猗窩座――いや、狛治は人間だった頃の自分を思い出し、同時にとても悔いていた。鬼となった事も、生前も。そうした心の隙が無ければどうなっていたことか」
「煉獄ほどの使い手がそこまで言い切るか……」
頑とした彼の言葉に、思わずといった調子で小芭内が呻く。
実際、これは洒落にならない事態だ。鬼殺隊最強は間違いなく悲鳴嶼行冥であり、それに不死川実弥と煉獄杏寿郎が続く形となっている。冨岡義勇が現役であったなら、ここに割って入るのだが。
とにかく、杏寿郎は柱の中でもさらに上澄みだ。こう言っては何だが、自分達新人やしのぶとは実力が違う。
善逸は密かに伊之助を観察する。彼も、不承不承といった様子だが、反論はしない。ということは、謙遜の類いではなく純然たる事実なのだろう。そんなのと戦う羽目にならなくて良かった、と独りごちた。
「上弦の参で三人、上弦の弐で四人。この調子だと上弦の壱は五人必要かな」
ぼそりと、しかし事実を淡々と言ったという様子な無一郎の言葉に、場の空気が重くなる。
残る鬼は壱、肆、陸。楽観を排除して、二人補充されたとする。仮に上弦の鬼下位は柱一人で倒せたとしても、どうしたって数が足りなかった。しかも、上弦の鬼を抑えればそれで終わりではない。恐らく上弦の壱より強いであろう鬼舞辻無惨までもが控えている。
仕方ない事だ、と簡単に言うことはできないが。そもそも鬼殺隊は、鬼舞辻無惨含む十二鬼月と総戦力で戦うことを想定していない。どうしたって状況は手に余った。
かといって、これからの稽古でそれを可能とする者を生み出すというのもほぼ不可能だ。さすがに現実味がなさ過ぎる。善逸とて、獪岳の刀がなければ柱にまで到達できなかったと断言できるのだから。
「無いもんをねだったって仕方ねえ。それより俺は刀が赤く発光したって方が気になるぜ。確か、そいつをぶっ刺すと鬼が苦しんだんだって?」
天元の言葉に、思わずきょとんとする。それは善逸も初耳だ。
「赫刀の事ですよね」
「呼び方はなんでもいい。てかまんまだな。地味だ」
「すみません、捻った呼び方とか思いつかなくて……」
「いや、そこは別に申し訳ない顔するとこじゃないだろ」
転がったまま忠告はするが、どうでもいい事なので誰も気にしない。なんとか呼吸は整えたものの(隊士は整息が得意なのだ)、体はまだ痺れているため起き上がれなかった。
「ぎゅっとしてがっとなったらぼわっとして……」
「甘露寺の同類かよ。口で説明しなくていいから実戦して見せろ。できるか?」
「はい。難しい事ではないので」
言いながら、炭治郎は刀を抜くと、柄を思い切り握りしめた。
異様な光景ではある。刀に限らずおよそ武器というのは、振る瞬間にだけ力を込めるのだ。最初から力を入れていては、返って加速に支障が出る。獲物を振った瞬間に発揮する握力にしたって、遠心力に負けない程度で十分なのだ。柄を思い切り握りしめる機会はまずありえない。
「……なるほど、これは盲点だったな」
悩ましげに、小芭内。
炭治郎の、本来漆黒であるはずの刀は、煌々と燃えさかるように輝いていた。明らかに色が変わっただけではなく発光している。刀身から吐き出される朱が、人々の顔を朱色に染めている事からも明らかだ。
発動条件は何か。はっきりとは分からないが、恐らく柱ないしはそれに準ずる握力の持ち主が全力で金属を圧迫する、というあたりか。これはさすがに歴代の隊士が気付かないのも無理はない。剣士は力量が上がれば上がるほど無駄を無くす。剣術に卓越するほど、柄を思い切り握るなどという無駄な行動をする機会は失われるわけだ。
それこそ刀匠でも気づけない。間違いなく金属を最も圧迫しているのは彼らだが、そもそも火入れによるものか玉鋼の特性によるかの判断は難しいだろうし。というか鉄が曲がる程に熱を入れているのに、金槌の衝撃で発熱したことに気づけたら、それは才能ではなく妖術か何かだ。
正に無意味な抵抗が生んだ怪我の功名だろう。
だが、善逸が注目したいのはそこではない。この音は、まるで。
「太陽?」
「うん、俺もそう感じた」
皆が興味深げに見る中、炭治郎は何かを思い出しながら続ける。
「多分これ、日輪刀の、ええと……」
「猩々緋鉱石」
「そう、それです。猩々緋鉱石に込められた太陽の光を一時的に発散しているんじゃないかなって」
義勇に助けられながら、なんとか言葉を紡いだ。
「だから赫刀状態の日輪刀は、ただ熱いだけじゃなくて、鬼にとってはとても痛いし熱いんです。当然血鬼術も効果は大きいですし、傷の治癒も遅くなります」
「……検証の必要があるな。どれくらいの圧力で赫刀になるのか、一度の効果時間はどれほどか、使用回数に限界はあるのか。宇随」
「おう、任せろ。こういうのは俺の得意分野だ」
小芭内と天元が、示し合わせたように応答する。
これが実用化されれば、来る決戦はかなり楽になるのではないだろうか。血鬼術への対抗手段としてはさすがに信用できないとしても、鬼の再生力を遅らせられる、これだけで十分おつりが来る。それこそ必殺を連続して放つ形式を取る善逸には大きな助けだ。今まで無意味でしかなかった一撃で、相手の動きを抑制できる。
「そういう小難しい事は他の奴に任せる。最悪、無惨の糞野郎にさえ使えればそれでいいしな。それよか俺ァ……」
と、実弥は横目に善逸を見て。
「いつまで寝てんだボケェ!」
「オゴ」
腹につま先がめり込んだ。
身もだえる間もなく、今度は立ち上がって足をこれ見よがしに振り上げるのが見える。慌てて身を起こした。
くそぅ、と思いながら、善逸は座り直した。蹴りは内臓をかき回したような衝撃があったものの、絶妙な加減と角度で肺には通っていない。息さえ吸えればどうとでもなるだろ、とこの程度どうにもできなきゃ地獄を見ろ、という二つの意図が込められていた。実際、構えられた足は脅しでもなんでもないと幾度かたたき込まれたし。
「オメェの持ち帰った情報で気になったのは二つ。何だか分かってんな?」
「うぅ……ちくしょう、いつか絶対やり返してやる」
「やってみろ」
まあ無理なのだが。
元より獪岳以上に喧嘩の腕がある上、体格も軽く上回られている。勝ち目などあろう筈がなかった。幸いにもというか何というか、勝てない相手に負け惜しみを言うのだけは慣れている。それで相手を逆上させない言い方も。
いてて、と小さく腰を叩きながらあぐらをかく(股間にまで響いていたのだ)。そして、もう聞いているとは思うけど、と前置きをしてから答えた。
「えっと、それじゃあまず一つ。鬼達は互いに情報をあまり密に行ってないと思う……います」
なんとなく口調を丁寧に直す。
思ってみれば、ここにいるのはほとんど年上だ。若くて杏寿郎の二十歳である。炭治郎と伊之助は一応年下らしいが、そもそも名前も誕生日も慈悟郎に貰った善逸には、たかだか一歳程度の違いは無いも同然。二歳下の無一郎とはそれなりに分かりやすく差があるものの……柱の先輩な上、実力も上回られている。砕けた口調で話す程度ならばともかく、大きな態度を取る気にはなれない。天才怖い。
年が若ければ実力も低い。善逸は間違いなくこの中で一番の下っ端だった。気後れくらいする。しない事こそないという話もあるが。
「一番驚いたのは、玉壺――上弦の伍――が“痣”を知らなかった事です。俺が痣を発現してるか知らなかったんじゃなくて、痣そのものを知らないといった風でした。おかげで使いどころを盛大に失敗しましたよ」
最後は愚痴になってしまいつつ。
これは明確な違和感だ。なにせ直近、童磨を討った時点で痣の者がいたのだし。これの危険性がどの程度かを教えるかはさておき、知らしめておいてそんのない情報ではあるはずだ。まさか無惨が知らないという事もないだろうし。
皆が悩む中、ぽつりと義勇が口を開く。
「あえて伝えなかった可能性がある」
「どういう事ですか、冨岡さん」
「俺達と上弦に共倒れしてほしかった……」
「鬼舞辻無惨が、上弦を扱いつつも邪魔に見ている、ですか。それも、禰豆子さんが太陽を克服する前の時点で」
無いわけではない可能性ではあるものの、その先まで考慮すると恐ろしい。それは奴にとって、上弦の鬼は絶対に必要ではない程度の力に他ならないのだから。
かなり身勝手に、善逸は今まで鬼舞辻無惨を、柱六人から七人分の力だと計算していた。が、もし上弦を使い捨てても痛くない程の力だとしたら。柱九人がかりでも手に余るのならば、勝算は限りなく低くなる。
「いかにも臆病な鬼の頭領らしいと言われりゃらしいがなぁ」
「うむ。釈然とはせん。既にあれは、自分の名を徒に呼ぶだけで自滅するほど強く縛っている」
その食い違いが気になるのも仕方ない。
最近は例外が多く忘れそうになるが、元来鬼は複数での行動を嫌う。正確に言えば、同族に対し非情に攻撃的になるよう精神をいじられている、か。加えて基本的に同族を喰える能力もないため、鉢合わせても千日手にしかならない。最終選別が分かりやすく証明している。
反逆は不可能。徒党を組む事も難しい。加えて、太陽を克服した鬼を横取りした所で無意味。この上情報統制をしてどんな意味があるのかと言われても、さすがに理解不能の一言だった。善逸では足下にも及ばない臆病者でも、そうはならないと思うのだが。
「……興味がないのかもな」
「あん?」
半ばただの思いつきといった様子の小芭内に、実弥が反応する。
「わざわざ情報を共有してこちらの抹殺率を高めるより、いちいち広めてやる手間の方が勝ったのかもしれん。最初からそうだったのか、最近、少なくとも竈門炭治郎の小僧が現れて以降のいつからそうなったのかは分からんが」
「そう言えば、炭治郎くんは奴直々に「殺せ」と広められていたんでしたっけ?」
なぜ炭治郎が目を付けられているかは知らないが、少なくとも痣と炭治郎、戦力的にどちらが重視されるべきかは言うまでもない。
無論、才能が無いとは言わない。何せ柱にまでなっているのだから。とはいえ、修行開始から柱になるまでの期間と考えると、決して速くはなかった。それこそ無一郎は正式な隊士になってたった一ヶ月足らずで下弦の鬼を倒しているという話だし。彼に剣士の才能を見たとしても、特筆すべきものではなかった筈だ。柱随一の剛力を誇る行冥、日輪刀もなしに鬼を殺して回っていた実弥、才能は歴代の中でも最高峰の無一郎……死んでいてしかるべき者はいくらでもいる。
元より手間を省くための十二鬼月だと言われればそれまでだし、炭治郎以降に何かがあって心変わりしたと言われても納得できる。同時に、同じだけ釈然としないものもあったが。
「痣は……まあ痣じゃなくても何でもいいが。そんなに手間ァ惜しむようなもんか?」
「分からん。が、とりあえず状況が悪くなっているとすれば後者だ。痣について周知させるなど、それこそ他の上弦に伝えさせてもいい。力の真価までは理解できずとも、注意くらいは払うだろう。その程度すらしなくなったというならば、もはや上弦に価値を見いだしていないという事になる。最低でも、多少の情報を面倒くさがる程度には」
淡々とした小芭内の言葉に、実弥が大きく舌打ちをする。
「ただ鬼共の結託を嫌って、てんならこっちも気が楽なんだがな」
「あれにそれほどの意気地はないだろうが、かといって油断は禁物だ。組織力がなければ無いなりにやりようがある。そう上弦の弐が知らしめたのだしな」
忌々しげな呻きに、皆が同意する。人を無作為に鬼化させて解き放つ、あれは一種の爆弾だった。いや、火薬を持たせれば正真正銘爆弾か。
言うまでもなく、隊士にとって鬼の組織図というのは不気味な存在だ。鬼が鬼殺隊にそう思うのと同程度には。柱以上の脅威が存在するかも知れないという圧力は、鏡映しにこちらの恐怖でもある。いや、鬼舞辻無惨という存在が分かっているだけ、こちらが感じる圧力が上か。
最古の鬼にして鬼の始祖、鬼舞辻無惨。およそ一〇〇〇年前から存在するとされている。武技に関して上弦の壱を超えるとは考えづらい(というか考えたくない)が、少なくとも鬼としての完成度は上だろう。力の程はもとより、血鬼術すら明かされていない。
こちらの最悪は、無惨一人で全ての採算を取られてしまう事。できるという自信があり、かつ十二鬼月に愛着がなければ価値を見失っているならば。これまでの行動に、一応の説明は付く。
(あー、ほんと分かりやすく綱渡りだよなあ)
太陽を克服した鬼が現れ、しかもそれが鬼殺隊の手の中にある以上、決戦は確実視されている。ともなれば、考える事は実に多かった。絶対事前に答えの出ない悩みが。
一瞬、鬼舞辻無惨と和解するか、という弱気が頭を過ぎったが。さすがに馬鹿しすぎて己を失笑した。
相手が禰豆子の身柄を要求してくるという時点で、既に許容しがたい。その上、相手は人間を何千何万と殺そうが顔色一つ変えない気狂いだ。仮に人を喰う必要がなくなったとして、そんな奴が殺人を辞めるだろうか。まあ、楽観とすら言えない妄想としか言いようがない。
わかり合えないのではない。単純に、どちらもが相手を拒絶している。拒絶せざるをえない。そうなれば、後は強い方が我を通すだけになる。話し合って解決できればいいのだが……ひたすらに詮無さすぎていっそ泣が出そうだ。
「あと、絶対にこっちの方が問題だと思うんすけど、頚を斬っても死なない可能性がある鬼……の方が問題ですよね」
ただでさえ快活とは言いがたかった雰囲気が一際沈む。
幾ばくかの時間、沈黙の後。しのぶが小さく嘆息する音が響く。
「冗談にもならない情報ですね。ただでさえこちら唯一の対抗手段だと言うのに」
ぼやく彼女に、しかしお前が言うのかという雰囲気は確かに出てきた。なにせ日輪刀で頚を断つという方法以外で鬼を殺しまくっていた、唯一の女傑が語っているのだから。殺すまでには至らなかったとはいえ、上弦の弐、童磨すらアナフィラキシーなんたらで行動を大幅に制限している。
「我々も詳細を知りたいが、なにせ初めての現象だ!」
「お前の言う事だけが頼りだぜ、小僧」
言いながら、天元がちょちょいと指を動かした。可能な限り詳しく話せと仕草が語っている。
まあこの点に関しては、絶対に委細まで求められると分かっていたため、頭の中で纏めていた。語る分に問題は無い。話した情報が本当に重要か、満足いくかはさておき。
「玉壺の首を切ったとき、まず首の出血を止めていたように見えました。あいつは人一倍忠誠心が厚くて、俺を殺すまで死ねるものかという気迫がひしひしと伝わってきました。……なんか根性論でどうにかなる、と言ってるように聞こえますけど。個人的な見解を屁理屈でこね回すなら、血の濃さといかにして出血を止めるか、この二つが殺しても死なない鬼を作っている、そんな風に見えました」
「いや、屁理屈などとは思わぬ。とても貴重な情報だ。無根拠な訳ではないのだろう?」
柱の代表にそう言って貰えると、少しほっとする。
「はい。げん……、いや、一緒に戦った隊士がいるんですけど。そいつが頭をとにかくみじん切りにしたら普通に消滅しました。だから、その、鬼の死には一定以上の出血が必要だと思ったんです」
一応、理屈は通っていると善逸は考えている。
日輪刀で受けた攻撃は、治りが遅い。例えば、日輪刀で手足を寸断された鬼は、それらを破棄して新しく生やさなければいけないわけだ。とはいえ、これも十二鬼月ほどになれば斬った先から接着する事も可能だが。
未だに頚を斬れば鬼が死ぬ理屈は解明されていない。しかし、少なくとも再生能力は概ね鬼としての強度と比例することは経験則で知られている。だから、生き残るに足る血さえ残せていれば、絶対にあり得ないことではない、とは言える。
ともあれ、簡単でないのも事実だ。なにせ上弦の弐すら首を失ってあっさり死んだのだから。上弦の鬼ですら並ならぬ苦労が必要だと簡単に予想できる。加えてあの状態の玄弥が滅多打ちにできたことから、首を断たれた鬼はある程度再生、というか蘇生に集中しなければならないだろう。問題ないとまでは言えないが。上弦の鬼を始末した所で、誰か一人でも生きていればどうとでもなる。
問題は鬼の血を後付けで得られたそちらではない。鬼そのものと言っていい化け物だ。
「――鬼舞辻無惨は頚を斬っても死なぬ、と考えておいた方がいい。少なくとも楽観はできぬ」
顔を歪めながら、行冥がそう纏めた。
「チッ。本当にクソ面倒くさい奴だな。まあいい、派手に刻んでやるぜ」
「生き汚さだけは一流だと認めざるをえんな。まるで油虫だ。これで本当に黒光りでもすればいっそ笑えるのだがな」
「関係ねえ。最悪朝まですり潰し続けて、磔にして日光に晒してやりゃあいいんだァ。カスにお似合いの末路ってやつをなァ」
柱の中でも飛び抜けて物騒な三人が口々に言う。漏れ出る殺気が怖いからほどほどにしてほしいかった。
「相手もそれを分かってるだろうから、日光の危険がない場所におびき寄せる、もしくは血鬼術で連れ去るんじゃないかなあ」
と、ぼんやり水を差す無一郎。いや、ぼんやりと言うよりどうでも良さそうに、と言った方が正しいのかもしれない。今まで一度として熱意らしきものを感じたことがないため、いまいち掴みづらい。
「うむ、時透の懸念ももっともだ! 故に決戦の際は、転移血鬼術の使い手が最優先標的となるだろう! ともすれば上弦や無惨より上だ!」
「他人事みたいな顔してますけど、君達が頼りなんですよ。善逸くん、炭治郎くん、伊之助くん」
「え?」
と、いきなり話を振られて思わず困惑する。炭治郎と伊之助も似たような調子だった。いや、伊之助はよく分からないが。
「他の人は君達みたいな超感覚を持っている訳ではないんですから。恐らく隠れて居るであろう空間転移血鬼術を持った鬼を見付けるのは、あなたたちの役割ですよ」
「なるほど! 頑張ります!」
と、炭治郎だけは景気よく返事する。
対して善逸は、全く自信が無かった。人より耳がいいとはいえ、実の所、それほど便利なものでもない。より大きな音で聞こえない事なんてざらにある。炭治郎だって同じで、彼の鼻は風上に立つと役に立たない。それを承知しているのかいないのか、先輩達の視線は熱い。
期待と責任の大きさに、思わず胃が痛んだ。無理だと言えないのがなおのこと辛い。適正という意味では、確かに善逸ら三人を超える者はいないのだ。
「そ、それで一緒に戦った隊士は玄弥って言って、そっちにも効いて貰えると……」
「――あァ?」
息苦しさに話題を変えようとしたが。話選びを盛大に失敗したと気付いたのは、顔面に血管を浮かせている実弥がこちらを睨んでからだった。
「その“ゲンヤ”ってなァ不死川玄弥の事かァ……?」
「ひ、ひぃっ。そうでしゅ」
「俺の愚弟の玄弥かァ!?」
「愚弟かは知らないけど弟ではあります!」
誤魔化そうかと言う思考は即座に破棄した。ばれたら半殺しにされかねないし、実弥に対して嘘が通じた試しもない。
「なんであいつが上弦と戦ってんだよォ」
「ぐ、偶然居合わせたから、じゃないですか……?」
何に怒ってるか分からないが、他の言葉も見つからなかった。
実弥の怒りはとてつもない。怒髪天を突いていると言ってもいいほどだ。反面、憎しみの音はない。鬼に対するそれとは全く違う点だけは良かったが、相変わらず玄弥に向けている怒りは善逸を中継している。事態は何も好転していなかった。
善逸の頭に手が乗せられる。というか指が食い込んできた。
「なんでェ! あいつがァ! まだ隊士続けてんだアァ!」
「ちょ……不死川さん? 玄弥さん? まっ……いだだだだ! おっさん痛い! 割れる! 頭割れちゃう!」
頭蓋骨がみしみしと軋む。まごう事なき死の足音だ。できればそういうのは当事者だけでやって欲しい。とばっちりもいいところである。
兄弟仲がどうかまでは分からないが、とりあえず実弥は、玄弥が隊士をしている事が気に入らないようだ。嫉妬、という線はありえない。あらゆる面を測っても、玄弥が実弥に優越している面などないのだから。
違いがあるとすれば、それはとても些細な、いくつかの事だけ。
「いづづっ! げ、玄弥が玉壺にとどめを刺した事が気に入らないんすか!? それとも、鬼を喰って力を取り込める事が……」
「んだとテメェ! 今なんつったァ!」
「ひいい!」
頭を鷲掴みされたまま、胸ぐらを持ち上げられる。二人の身長差は一尺弱、腕の長さまで考えたら、善逸をつり上げる程度簡単だった。頭が割れそうになるだけじゃなく、息まで苦しくなる。
「不死川さん! 何を怒ってるか分かりませんけどやり過ぎですって! 善逸が死んじゃいますよ!」
「なんだ傷オヤジ、やる気か? いいぜ、俺も混ぜろ!」
炭治郎が腕を押さえ、伊之助が脛を蹴る。が、実弥はぴくりとも反応しなかった。血走った目は真っ直ぐ善逸を貫いている。
「説明しろや。あいつが、鬼を、何だって?」
「鬼を、なんか鬼を喰ってました。特異体質だとか言って、再生したり日の光が弱点になってたり……あと血鬼術なんかも使えるようになってましたぁ!」
そこまで言った時には。ぶちり、と。実弥の中の何かが確かに切れた音がした。
「ふざけんな! 何んなことまでして鬼狩りなんざ続けてやがる!」
俺に言われても、と内心叫んだ。言葉にしなかったのは、これ以上云われ無き暴力がこちらへ向くのを避けるため。
もはや何が怒りの琴線に触れているか分からない。通常の呼吸を使えないのは大変だと思う。柱を目指しているのは偉いと思う。鬼を喰って一時的に鬼化できるのは凄いと思う。その程度だ。それらのどこかに怒りはあるのだろうが、ここまで狂乱されると迂闊に言葉もかけられない。まあ怒りの果てを知る前に、絞め殺されるなり頭を握り潰されるなりされそうではある。
こちらをただ眺めている柱達も、大分困惑している様子だった。
彼が怒っているのはいつものことだが、今回はなんというか、方向が違う。実弥は自他共に厳しく、隊士の脱落を許さない。負けるにしても相打ちになる覚悟で突っ込め、と平気で言う男だ。にも関わらず、今回は明確に辞めさせようとしている。
いい加減ぼんやり見てないで助けて欲しい。こちらは息の根が止まる寸前なのだ。
「げひっ」
なんとも情けない呻きを上げたのは、いきなり板の間に落とされたからだ。腰から墜落してひっくり返る。
善逸を落とした実弥は、もうこちらを見ていなかった。いや、最初から見ていなかったと言われればそうだが、今は視界にも入れていない。その上でなお瞳が怒りに燃えているのが怖いが。
ひとまず手が離れた事で、炭治郎も動きを止めた。無意味に叩いていた伊之助は顔面に肘を入れられ昏倒している。
それら全てどうでもいいのだろう。少なくとも今の実弥には。彼は周囲のあらゆるものを無視して、出口へと早足に進み始めた。
「ちょっと、不死川さん? 一応聞いておきますけど、どこへ何をしに行くんですか?」
嫌な予感でもしたのか、しのぶが問いただす。
それに対し、彼はこともなげに言った。
「決まってんだろ、あの馬鹿をぶちのめして隊士を続けられなくするんだよォ。手足の一本でも引き千切れば諦めもつくだろおがァ。ああそれとも目でも抉りゃいいかァ?」
「ちょっ」
いきなり猟奇的な事を言い出し、さすがに皆が絶句する。行冥は何故か冷や汗をたらしていた。
彼を止めるべく、一斉に飛びつく。一歩出遅れた善逸ら三人も、前から彼を押しとどめようとした。しかし。それでもなお実弥の歩みは遅くはなれど停まりはしない。興味を持っていない無一郎と足が動かない義勇を抜いたとしても、九人がかりで抱きついているにも関わらずだ。
「落ち着いて下さい不死川さ……力つよ!」
しのぶがなんとかなだめようとするも、返事すらない。見なしてずりずり地面に跡を残してく。行冥が根負けするほどの力を発揮するなど、さすがに人間やめてないかと思った。そもそも行冥からして人か怪しいのに。
「おい、さすがに見逃せんぞ。曲がりなりにも上弦と戦って生き残った隊士だ。貴重な戦力になる」
小芭内の言葉は、心のそこからそう思っていると言うより、理詰めで説得しようというものだった。が、完全に感情論で動いている今の実弥に響くはずもなく。ほとんど無視される形で腕に絡みついている。
正面から腰に抱きつきながら、善逸は彼がそれを実行する確率はどんなものかと勘定した。実弥は基本、カタギには手を出さない。物語に出てくるいいヤクザ者みたいな人格をしていた。そんな人間が特に瑕疵がない者を再起不能にするとは考えたくない。とはいえ、そこは兄弟という色眼鏡がある。獪岳も善逸に対してかなり容赦が薄かった事を鑑みれば、ありえないとも言いづらい。
「かくなる上は……」
いきなり行冥が手を離す。腕力一番の者が離れた事で、実弥の足は一気に早まった。しかしそれも僅かのこと。
「御免!」
手刀が脳天に振り下ろされた。
一撃は直接的に周囲の者を巻き添えにこそしなかったものの、実弥の勢いに釣られて全員がすっころんだ。
何回転かひっくり返って顔を上げると、そこには上半身を床にめり込ませた実弥の姿。怪我はなさそうだが、さすがにあの威力で殴られれば気絶くらいはしているだろう。床から生えた足が脱力し、脱力して転がっているのがその証拠だ。
「あー……もうちょっと穏やかになんとかなんなかったのかよ、悲鳴嶼の旦那」
天元が不満そうに、体を叩きながらぼやく。
「すまなかった。しかし、確実に止める方法が他に思い浮かばなかったのだ」
「ま、この様見ちゃなあ」
吐息を一つ吐いてから、彼は実弥を引っ張り出した。木の破片に塗れた彼は、白目を剥いている。
ひっそりとしのぶが、修理費が、と悲しげに呟いていた。頼めば必要経費として落としてくれそうなものだが、反面こんな下らないことで請求できるかと思う気持ちも分かる。もし費用に困っていたら自分の給料からも出そう、と善逸は密かに決めた。
「善逸くん、納屋に縄があるので、新しいものを持ってきて下さい。さすがにこの調子で暴れられてはたまりません」
微笑んでこそいるものの、目が全く笑っていない。大分お怒りなのは音を聞くまでもなく明らかだった。炭治郎と伊之助がひっそり距離を置く程なのだからよほどである。
こういうときは唯々諾々と従うに限る。小さく返事をして、小走りに縄を探しに向かった。
「情報共有はこのあたりでいいだろう。それではこれから、我々、ひいては隊士の『次』を考えたいと思う……」
行冥が取り仕切って今後を語らうのを聞きながら。ひとまずそこらにいる胡蝶邸住み込み職員を探して、納屋の場所を聞こうと動き出した。