獪岳と善逸   作:山筋

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柱稽古・上

 鬼に対抗できる隊士は極端に少ない……とは言わないまでも、実のところ、あまり多くないという話だ。

 理詰めで言われると、あえて否定できる要素もなかった。幸いにと言うべきか、数は少ないものの、善逸らだってそういった戦場に遭遇した覚えはある。あの毒と血の匂いが、何より悍ましい人を侵す音がひしめく那田蜘蛛山だ。

 善逸達、というか柱になるような人間は勘違いしがちだが、どちらかと言えばあれこそが普通の光景なのだという。普通の鬼ならばまだしも、異能の鬼などに遭遇すれば当り前のように幾人かが死ぬ。ちょっと強い鬼に遭遇すれば壊滅だって当り前。

 隊士は厳選に厳選を重ねて任命されるが、その上でなお死亡率が極端に高い。需要と供給は崩壊一歩手前の線でなんとか釣り合わせている状態であり、痣が出たから二五歳で死ぬだ何だなど遠い夢の話だという。隊士とは、命と引き換えに鬼を殺す存在なのだ。

 伊黒小芭内などは、隊士の質が落ちていると嘆いている。しかしこれに、しのぶが真っ向から反対意見を上げていた。もっとも、あまり宜しい言葉があったわけではない。隊士の死傷率は以前から変わっていない。つまるところ、大体の時代で隊士の平均的な強さはこんなものだという。

 事実として、隊士の能力は柱が求める値に届いていない。

 今まではこれを仕方が無いで済ませていた。多大な労力、育手の少なさ、金銭的負担……直接的な方面だけではなく、政府側との折り合いを付けるための金銭や人員だって必要だ。少なくとも秤が鬼側に傾いていない間は、一時の優位に拘って無理に均衡を崩せなかった。

 それが今まで。最終決戦を目前にした以上、日和見はしていられない。

 数と質、どちらを重視してくるかは分からないが、鬼舞辻無惨はなりふり構わないだろう。隊士の数を急速に増やすことなどできない以上、質を上げるしかない。

 そこで悲鳴嶼行冥から考案されたのが柱稽古だ。

 柱稽古は二部構成になっている。基礎能力向上と剣技・戦闘技法向上の二つである。

 長く剣もしくは戦闘に携わった者が剣技・戦闘技法を受け持ち、その他が基礎能力担当である場合が多い。例外として、時透無一郎は剣技を担当し、宇随天元が基礎能力を鍛えるようになっている。なお悲鳴嶼行冥は例外であり、最後の仕上げを行うという。これは彼が、根本的に剣士でない上、肉体的にも例外づくしだからだ。

 まあつまり、善逸ら新米柱も当然開催側として参加させられており。

 

「どうしよ……」

「うーん、どうしようか」

「ふわぁ」

 

 絶賛、どんな稽古内容にするか三人で悩み中だった。いや、一名どうでもよさそうに寝転がってあくびをしている者もいるが。

 新人は皆基礎能力上昇担当だった。

 本来ならば善逸は、技法へと回されてもおかしくない。徹頭徹尾我流であり、あえて分けるなら風の呼吸の分流と言えなくもない、という程度の伊之助や、水の呼吸を習って僅か数年の炭治郎。彼らとは異なり、善逸だけは長く元鳴柱の薫陶を受け、名実ともに正当な鳴柱の後継者と言える。他の二人とは剣術に対する練度が違うわけだ。そんな善逸が基礎に回して貰えたのは、偏に他の柱が温情をかけてくれたからである。

 今更かもしれないが、いい加減善逸にも、柱としての自覚はある。一応ではあるが、そう振る舞う事もできるようにはなってきた。具体的には、むやみやたらに敬語を使わずにいられるようになった。

 が、そこはそれ。振る舞いを多少ただせたからと言って、実務能力が追いついたわけではない。まだまだ柱練習生の域を出るものではなかった。一人前に柱の仕事をこなすには、残念ながら半年は時間が足りない。

 とにかく、できる事からやろうというのが今の状態ではあるものの。ある意味統括者としての初仕事は、いい案など一つとして浮かんでこなかった。

 

「やっぱりしのぶさんか冨岡さんに話を聞いて貰うべきかなあ」

「ええと」

 

 ある意味暢気な炭治郎に、善逸は少しだけ困った風に眉を曲げた。

 これは誰にも言っていないが、善逸は既にしのぶへと話を通していた。後はまあ、ここで頭を付き合わせているのか答えである。苦労はあるだろうが、柱になったからにはこれくらい自力でこなしてね、という事だろう。

 当然だが、義勇には聞いていない。善逸とはほとんど関わりが無いため話すきっかけすらないというのが一番だが、それを差し引いても、はっきり言ってまともな答えが狩ってくるとは思えなかった。有能無能の話ではなく、柱で一番とっつきにくい、それが冨岡義勇に対する印象だ。

 まあ柱の評価などどうでもいい。誰も彼も癖の強いやつしかいないのだから。悲しいことに、自分を含めて。

 

「どうしよう、全然思いつかないぞ」

「そもそも基礎能力を上げるってのが今更なんだよなあ」

 

 根本的に、隊士の時点で人間の限界近くまで鍛えている。これ以上となると、普通に鍛錬をさせるだけでは足りないだろう。長く隊士を務めていればなおさらだ。かといって、技術はそれこそ一朝一夕であがるものでもない。

 二人でああでもないこうでもないと悩んでいるところ、気遣いなどさらさらないあくびが一つ。

 

「いつまでそんなどうでもいいことくっちゃべってんだ」

 

 横向きに寝転がり、付いた肘に頭を乗せ、尻などぼりぼり掻きながら。ひたすら億劫そうにそんなことを言う。

 

「んなこと言われてもなあ。俺達だって一応責任とかあるし」

「アホか。ちょっとやそっと鍛えて強くなれるなら誰も苦労しねえ」

 

 彼にとっては何気ない一言だったが。言葉は的を射ていた。

 決戦の日までどれほどか、或いは柱稽古が終えるいつかまでどれほどの間隔を想定しているかは分からないが。年を跨がなければならないほど鬼も無能ではあるまい。数ヶ月でどれほど強くなれるか……正直、気休めだ。

 なにより。

 こんなもの、隊士全員が実感しているだろうが。訓練と実践はまるで別物だ。力を発揮できるできないを抜きにしても、ありえないと思っていた事が平気で起きる。問題はそれ自体ではなく、一度味わってみなければ備えられないという点だ。

 鍛えれば強くなれるが、鍛えただけでは強くなれない。矛盾した言い方だが、他に表現方法もなかった。修行だけで上を目指そうなど絵に描いた餅だ。

 

「結局戦わなきゃ強くなんざなれねえ」

「まあ……そうだけど……」

 

 さすがに炭治郎も、反論はしなかった。それをしなければならないのが自分達だと分かっていても、理は完全に伊之助側にある。

 彼は仰向けになり、頭の後ろで腕を組み。ひたすら気軽に続けた。

 

「ようは死ぬほどおいこみゃいいんだろ。しんどい思いすりゃ誰でも気付く」

「そんなもん、なのかなぁ」

 

 善逸は、思わず炭治郎の方を見た。彼も同じように、こちらを伺っている。

 それからも申し訳程度に、方針を話し合いはしたが。当り前に革新的な案など出てくるはずもなく。

 かなり久しぶりな感覚を、善逸は味わっていた。結局の所、物事などなるようにしかならないのだと。

 最終的に。訓練内容は、ひねりなど全くない簡素なものとなった。

 馬鹿の考え休むに似たり、というのもあったが。一番の理由は時間が足りないからだ。柱稽古は隊士が結集するのなど待たず、やってきた者から随時始まる。そのため、出るかどうかも分からない案を長々と待っている暇などなかったのだ。

 訓練内容すりあわせのため、それから三日後には柱が顔を合わせた。意外なことに、了承はあっさりされる。その様子を見るに、自分達が思っているほど、訓練に意欲的な者は少なかったのだろう。他者の内容を聞いていたが、隊士候補生時代に毛が生えた程度の今しかやろうとしていなかった。いや、小芭内の「障害物があるだけではつまらないから人間を柱にくくりつけてその中で戦わせる」という案には普通に引いたが。

 まあ、それはそれとして説教もされた。天元に曰く、「俺はお前らの同僚であって上司じゃねえんだよ」とのこと。責任感の問題なのだろうが、これも今日明日でなんとかなるものではなかった。このときばかりは、伊之助の図太さがうらやましく思った。

 ともあれ。予想外に何事もなく、柱稽古は始まった。

 

 

 

   ×××

 

 

 

 全国で、鬼が一斉に消えた。これは鬼殺隊創設以来の大事件である。

 鬼の首魁たる鬼舞辻無惨が、そこらに放置していた鬼をどれほど重視していたかは知る術がない。しかし殺されたら新しく作ればいい、という程度の行動から鑑みるに、大した興味を持っていなかったのは想像に難くなかった。

 しかし、大物から生まれたての木っ端まで一斉に消えた。鬼に何が起きているかの詳細など知らされない下っ端隊士でも、ある種の予感をさせるには十分だった。つまり、鬼どもは大攻勢を目論んでいる。

 よって、鬼の捜索は一端全てを隠に委託され、隊士全員が集められ。柱主導による大規模な修行で、全体的な実力の底上げが図られた。

 のだが。

 その第一陣たる村田らが集められたのは、ただの山だった。

 人が入った形跡すらない、完全な自然の要塞。寂れた場所が得意な隊士でも、踏み入るのに躊躇するような場所である。

 というか、ここに案内された時、村田はちょっと胃が痛くなった。思い出すのは少し前、蜘蛛の化け物に死ぬほど追い立てられた山。鬼と会って碌な記憶がある人間こそ稀だろうが、それにしたってあれは最悪の思い出だった――一緒に入山した仲間がほとんどいなくなった、という意味でも。

 まあさすがに、今更、最終選別よろしく鬼を狩れなどという内容ではないだろう。そもそも集めたくても集まらないのが現状なのだし。

 

(ま、仮にそうだとしても平気だろ)

 

 そう村田は楽観していた。

 これは何も無根拠なのではない。那田蜘蛛山大討伐以降も、彼は確実に経験を積んでいた。階級も上から五番目の戊まで上げ、共同を含むとはえい鬼の討伐数も十五を数えている。今なら那田蜘蛛山でもそれなりに活躍できているだろう。

 この全体鍛錬(柱稽古というのが正式名称らしい)は、一番下の階級である癸から参加している。柱稽古前半くらいは軽々突破しなければ立つ瀬が無い。

 内容はまだ知らされていないが、ある程度予想はついた。この場にいる全員、帯剣を許されていない。ということは、ある程度進むまで、普通に体を鍛える内容となるのだろう。つまるところ肩慣らしだ。さすがに後半までお気楽に構えてはいられないだろうが、まあ最初くらいは気軽にやらせてもらおう。

 後は、ええと……

 もう考える事などなかった。というか、そもそもこれだって今まで何周かした思考だ。

 

「おっせえ」

 

 誰かが呟く。

 そこまであからさまに口を突く者はあまりいなかったが、内心は大体の者が同じだった。ただでさえ見る物がないような場所で棒立ちになっているのも、いい加減嫌気がさしている。

 山間の荒れ地に放置され、かれこれ半刻といったところだろうか。肩すかしを通り過ぎて、だらけた空気が周囲を支配している。立っているのも面倒くさくなって、座り込んで雑談している者が多数派だ。柱の恐ろしさを知っていれば絶対そんなことはやらない行為だが、悲しいかな、そうしたくなる気持ちも分かった。

 

(まさか忘れられてる、なんて事はないだろうな)

 

 柱がいかに多忙かを考えると、ないとも言い切れないのが怖い。さすがにこのまま一夜を過ごすような事態は御免被りたかった。

 といっても、願ったところで誰かがやってくることもなく。

 しばしの時間が経ち。ついに会話も途切れていた。最初からほとんど面識がない者達が集った上、生涯を鬼狩りにかけてきた者ばかり。話題が豊富な筈もなかった。

 いくらか沈黙が続いた後、ついに爆発する者が現れた。

 

「あああ! っざけんな!」

 

 絶叫したのは、おかっぱ頭の男だ。始めて見る、と思ったが、ふと記憶の端に引っかかるものがあった。

 おかっぱ男(名前は知らない)は、確か那田蜘蛛山攻略で一緒に居た気がする。当時は軽く顔を合わせただけで会話もなかった上、突入部隊はほぼ全滅だと聞いていたため死んだものだと思っていた。彼は生き残りの一人だったのか、と己の薄情を自覚しながら考える。

 

「俺は強くなるって言うからここに来たんだぞ! 階級も上がらないのにぐだぐだやってられるか!」

 

 ずいぶんとまあ短気な男だ。少なくとも村田には、柱がいるかもしれない状況で堂々と悪態などつけない。

 が、まあ一理はある。なので、こちらが安全な状況で言いたい事を全部代弁して貰おう。これの何がいいって、誰だか知らないが柱に聞かれ逆鱗に触れたとしても、自分には何ら痛手がないのがいい。

 と言っても一向に来ない柱に対する愚痴は早々に終わり、文句は鬼殺隊そのものへと変わっていった。それも、かなり身勝手な。

 

「だから、俺達は命を張ってるんだからもっと給料を貰ってもいい! そうだろ!?」

 

 つまり、もっと金を寄こせという事だ。本人は扇動して賃上げ要求をさせるつもりなのだろうが、ほぼ全員からかなり冷ややかな目で見られている事に気付いていない。

 彼は分かっていなかった。そもそも鬼殺隊は、復讐者の集団だという事を。大半の隊士にとっては、鬼と戦う際に受けられる色々な支援が重要なのであり、金銭は二の次なのだ。自分が最大の利益を得られないのはおかしい、などという言葉に賛同する者はまずもっていない。

 語っている内に熱が入りすぎてしまったのか、おかっぱ男の自称ご高説は止まらなかった。

 

「そもそも柱がどれほどのもんだって言うんだ! 所詮は同じ人間……」

(本気で言ってんのかコイツ)

 

 ひっそりと呆れる。こちらがひーこら言いながら殺している鬼を鼻歌交じりに、それも複数始末するのが柱だ。同じ人間と思う方がおかしい。

 この時点でほとんど聞き流していたが、いきなり遠方から声が聞こえて、一瞬にして彼のことを忘れてしまう。

 

「……なんだ?」

 

 草木のせいで見えるわけもないが、それでも声がする方へと視線をやった。

 なんと言っているかははっきりと分からない。ただ、同じ言葉を繰り返しているようだった。が、村田が驚いたのはそこではなく、声はするの音がない事だった。こんな森の中を動いているのだから、草を踏みしめるだけでもかなり騒々しい。にもかかわらず、不気味なほどに近づいてくる声しか聞こえなかった。しかもちょっとずつ近づいてくるのではなく、全力で走ってもこれほどじゃないという速度だ。

 咄嗟に左腰へと手をやって、何も掴めず素通りした。普段、それこそ眠るときでも近くに置いているため忘れていたが、今日は剣を佩いていない。どうするべきか、などとまごついている内にもうすぐそこまで……

 

「猪突猛進! 猪突猛進!」

「ゲハアアァァァー!」

「お、おかっぱー!」

 

 いきなり現れた猪頭の化け物に、おかっぱ男は頭を思い切り蹴飛ばされて吹っ飛んだ。

 飛び込んできたそいつは、傍若無人な振る舞いとは裏腹に、背が小さめだった。いや、恐らく平均身長と比べれば頭半分くらい高いのだろう。しかし隊士とは基本、鬼殺隊に志願した中でも体格に恵まれた者がなるものだ。平均よりちょっと背が高い程度では、隊士基準だと矮躯に映る。

 ほとんどの者が反応もできない中、上半身裸の猪人間は、腰に佩いていた木刀――というかただの木の棒――を引き抜く。そのまま、容赦なく手近な一人に振り抜いた。

 

「さあやるぞォ!」

「な、名も知らぬ人ー!」

 

 めごし、と鈍い音を立てて、さらに一人が沈んだ。いきなり二人が鼻血をまき散らして倒れる光景は、なんとも言えない終末感がある。

 

「待て待て! まず説明をくれ!」

 

 とりあえずいきなり頭を殴られないように、両手で構えながら前に出る。実は既に稽古が始まっている可能性も考えたが、その場合はどう転んでも全員殴り倒されて終わるので可能性から外すより他なかった。

 

「あん?」

 

 と、動きを止めた猪男をよく観察すれば。

 思い出した。彼は確か、嘴平伊之助という名前だったか。あの地獄そのものな那田蜘蛛山で功績を挙げたという、癸詐欺の化け物三人衆が一人。癸とは入隊一年目の者が与えられる称号であり、例え鬼を一体も殺していなくとも、一年後には自動的に壬となる。つまり確実に新米なの筈だが。

 そんな奴が今、柱として目の前にいる。どれだけ長く見積もっても、二年足らずで甲まで階級を上げたと言うのか。想像を絶しすぎてお近づきになりたくない類いの人間だった。いや、竈門炭治郎は非常にいい子だったが。

 伊之助は僅かばかり首を傾げ、ふとこちらと面識があるのにも気付いた様子だ。

 

「なんだ、うんこたれの小便漏らしじゃねえか」

「誰がうんこたれだ! 小便だって漏らしてない! おいお前ら、俺から距離を置くな!」

 

 すす、と離れていった仲間に、大分心を刺されながら。とにかく必死になって弁明する。

 

「説明って何だようんこ。何も聞いてねえのか?」

「うんこ呼ばわりはやめろ! 村田だむ・ら・た! 俺達はただここに呼び出されただけだから! とにかく説明くれって!」

「めんどくせえな……」

 

 心底嫌そうに、木の棒をぷらぷらさせながら、伊之助。面倒くさいは説明に対してか名前に対してか、いまいち判断が付かない。あとため息をつくのは辞めて欲しかった。こちらは一つとして悪くないのに、なんか稽古を受ける側が極端な無理解であるような錯覚に陥る。

 

「俺の試練は簡単だ。使っていいのはこの山一つ! 俺といいって言うまで戦え! 終わったら四六郎の所へ行っていい!」

「四六郎って誰だよ」

「水柱だ!」

「なおさら誰だよ」

 

 水柱は恋柱、蟲柱と共に引退したと聞いている。話を聞く限りでは伊之助と同時期に新しい水柱が就任したのだろうが。四六郎などという名は聞いたことがない。上位隊士の中でも突出した者なら、噂にくらいなっていそうなものだが。

 そもそも稽古内容にしたって無茶苦茶だ。この場に集まっているのは下位中位の隊士ばかり、一番階級が高いのだって村田が精々である。そんな連中が寄ってたかったところで、柱に敵う訳がない。

 確かに伊之助は年下だし隊士になったのも自分の後だが、逆に言えばそれだけ短期間で柱になったという意味でも無い。こと才能という一点においては比べるべくもない。鬼殺隊は実力主義。運で階級が上がるほど安くないのは、嫌と言うほど知っている。

 

「とにかく四の五の言ってても始まらねえ。とにかくやんぞ!」

「待って! 待ってー!」

「今度は何だよ」

 

 いらいらと膝を揺らしてくる。が、ここで引くわけにもいかない。

 

「こっちは丸腰なんだぞ! さすがにそっちだけ武器持ちは駄目だろ!」

「その辺で木の枝でも拾えばいいじゃねえか」

「そう手頃なもんがほいほい落ちてて堪るか! それ以前に隊律違反だろ!」

 

 まあ理由の九割以上はまともに戦っていられるか、というものだが。古今東西、必要なのは本音ではなく建前である。これで訓練内容まで見直してくれたなら儲けものだ。

 などと思っていたが。

 伊之助はあっさりと木の棒を投げ捨てた。

 

「なんだ、んなら殴り合いだな」

「ちょ」

 

 そうじゃない、と言葉が出てくる前に。限界を迎えたのは、やりとりを眺めていた隊士達だった。

 

「いきなりぶん殴ってきやがって!」

 

 いつの間にか立ち上がっていたおかっぱが、怒声を上げて躍りかかる。

 とっさに止めようと思った。おかっぱ男は背後から伊之助に迫ったのだ。いくら柱が化け物じみていると言っても、鬼のような身体能力があるわけではなければ、背中に目が着いている訳でもない。さすがに後頭部を強打されれば怪我では済まないだろう。

 しかし、村田の思考は全くの杞憂であり。同時に、柱は予想など遙かに超えて化け物だった。

 伊之助がほとんど無造作に放った裏拳が、おかっぱ男の鼻先を掠める。外したかに思えたそれは、きっちり顎を掠めていたらしい。男は下半身の力を失い、勢いに逆らえずつんのめる。

 

「ハッハァ! いいじゃねえか、やる気十分だな!」

 

 一撃目の勢いを利用して、続く左の大振り。これが顔面に突き刺さる。相手に吹き飛ぶ暇も与えず、今度はつま先で顎を蹴り上げて。ひっそりおかっぱ男に便乗していた二人の内、一人の動きを遮り、もう一人は上げた足をそのまま踵落としにして脳天を貫いた。

 二人を沈めた時点で体を落とし、残った一人の懐へ潜り込む。彼はおかっぱ男に視界も動きも制限され、何が起こったか全く分かっていない、つまり完全な無防備状態で奇襲を受ける羽目になった。肋骨の下、脇腹に一発、追撃で鳩尾に一発、下からすくい上げるような打撃を二度受け、口から泡を吹いた倒れ込む。

 一連の流れは本当に一瞬だった。あまりの鮮やかさに、その場にいる全員が青ざめる程には。

 伊之助の動きは特別洗練されていたという訳ではない。むしろ素手での戦闘は素人寄りだと言っても良かった。ただし、戦いの組み立てとでも言うのか、或いは勘がとてつもなくいい。的確に自分が自由に動け、かつ敵が動きづらい状況に持ち込んでくる。

 いや、それ以前に不意打ちにあっさり対応してくる部分が化け物じみているのだろうか。どこもかしこもおかしすぎて何から指摘すればいいのやら。

 こちらが悩む間もなく、伊之助はもう一度拳を握りしめる。

 

「んじゃ始めんぞぉ! ハハハハハハ!」

 

 人の都合などお構いなしに殴りかかってきて。その場にいた全員が三々五々、逃げ出した。

 それからはまあ、単純明快だと言えばその通りだし、どうしようもないと言えばまたそれも正しかった。

 追い立てるという意味において、伊之助は全く以て容赦が無かった。手加減はしているのだろう。何せ誰も怪我と言える程の怪我はなかったのだし。しかしどういう理屈か、どこにいたって必ず見つかるし、どんな場所にも潜り込んでくる。一度、何人かで立てこもりを目論んだのだが。どう見ても人間が通れない穴に、関節を外したとかで入ってきた時は、思わず全員で悲鳴を上げたし。狭いところからぬるっと滑り込んできた様は、怖いし気持ち悪いし気持ち悪かった。

 なによりやたらめったらに強かった。頭にできたたんこぶの数がこれでもかと証明している。一発二発で昏倒させられる中、こちらの攻撃は一度たりとて当たらなかった。

 一応食事はまともに取れていた。多分隠が、どこからともなく食べ物を置いていったために。ただし、この時も伊之助に狙われており、へたすると叩きのめされた上に食べ物を奪われる。心安まる時は一瞬たりとて無かった。

 そんな、戦いという名目で行われた柱からの休み無し逃走訓練は。ここに来てから十五日後、飽きたし次の獲物が来たという理由で、次に回される事となる。

 

 

 

 十五日も経っておいて今更だが。村田は、此度の合同稽古を舐めていた。

 決してぬるい事を期待していたわけではない。ただ、もうちょっと順序を経て慣らしていくのだと思っていた。さすがに一つ目だけでは、単に伊之助がどぐされだっただけか、それとも全体としての方針かは測りかねるが。少なくとも頭の箍が外れている奴は信用してはいけない、と、全身にできた無数の青痰をおっかなびっくり撫でながら自戒する。

 伊之助の話が確かなら、次は水柱の元で修行を受けるらしい。

 最近まで水柱を務めていた人は既に引退している。それからさして間を置かずに水柱が現れるというのは、実のところかなり凄いことだ。さすがは五大呼吸の一つと言うべきか、使い手が多く層も厚い。かく言う村田も水の呼吸を収めている。残念ながら、さほど優れた使い手ではないが。

 新たな水柱が気にならない訳ではないが、気にしている余裕がないのも事実だ。体を引きずるようにして歩かなければならない時点で当然ではある。なにせ休みらしい休みがなかった。今だって気を抜けば立ったまま眠りそうだったし。

 半ばこれから殺される家畜の心地で歩く。

 次に呼ばれた場所も、また山だった。まあこれはある意味当然だと言える。隊士は数百人、下手したら一〇〇〇人を超えるのだ。さすがに三桁近い人数を十分に運動させられる施設を用意するのは、鬼殺隊とて骨だろう。順次合格し上に行った後ならばともかく、序盤は野外が主になる。そして、鬼殺隊が持つ土地の大半は山間部だ。

 今度は(不幸にも)待たされることはなく、人が待ち構えていた。三人ほどの姿が見える。一人は杖を突いた先代柱であり、彼は那田蜘蛛山で顔を見たことがある。天狗の面を被った老人もいるが、さすがに六〇をとうに過ぎて居るであろう年齢で今更柱ということもあるまい。とすれば、先代柱より頭半分ほど小さい人影が現在の水柱なのだろう。

 というかだ。こちらの気配に気がついて振り向いた顔には、またもや覚えがあった。遠目からでも見える額の火傷痕(なんか依然見た時より変形していて、揺らめく痣のようになっているが)は、間違いなく竈門炭治郎だ。

 

(獪岳のおまけ三人衆の内、二人が柱かよ。新しい柱の残り一人は鳴柱って話だし、これは本当に善逸が柱の可能性もあるんじゃないか?)

 

 さすがにそこまで都合がいい話があるものでもないだろう。雷の呼吸は、水の呼吸ほどとは言わないまでも使い手が多い。どうでもいいが、五大呼吸の中で一番使い手が少ないのは岩の呼吸だ。あれはそもそも使うのが刀ではない。

 こちらを向いた炭治郎は、折り目正しく腰を折りながら言った。

 

「みなさん、新しく水柱に任命して頂きました、竈門炭治郎と言います。よろしくお願いします!」

 

 やたらめったら元気に、かつ礼儀正し様に、幾人かが安堵の声を漏らす。村田もその一人で、炭治郎の人となりをいくらかでも知っているため、そう大げさな事にはならないだろうと踏む。

 

「ちなみにこちらの人達は、それぞれ先代柱の冨岡義勇さん、俺の師匠でもあり以前水柱を務めていた鱗滝左近次さんです。鱗滝さんは本来狭霧山から出ることはないんですが、今回他に用事もあってこちらに来られたため、柱稽古に協力して頂けました」

(うっわぁ)

 

 内心で呻く。

 まさか全員柱だとは予想していなかった。しかも全員が水柱。それこそ同じ柱でもおいそれと見ることができない光景ではないだろうか。

 鱗滝左近次。年齢から察するに、間違いなく育手だ。元柱の育手ならば、下手な上位隊士より稀少な筈だが。そんな人間が山を下りてくる事情というのも思いつかない。まさか今更戦力として期待している訳ではないだろうし。

 どちらの方が強いかはさておき、どちらの方が役に立てるかならば恐らく自分だろう、と村田は思っている。若く、体力を維持できる時間が長いというのは、それだけ価値がある。という事は、戦闘面以外での招集なのだろう。

 

(と、いかんいかん)

 

 小さく頭を振って、余計な思考を振り払う。自分が考えるべきではないし、知るべきではもっとない。仮に知ってしまった時は、最悪腹を切って情報を隠す必要まであった。好奇心は時に命を秤に乗せる。それを忘れてはならない。

 

「これから稽古の内容を説明します。俺の後ろにある道、分かりますか? これらは全て山頂まで繋がっています」

 

 と言いながら、三人は体を脇に寄せた。

 彼らの正面には、都合七つほどの道がある。山はなだらかな代わりにそれなりの広さがあるようだった。とはいえ、隊士の足ならば大した労力でもない距離ではある。どれだけ足に自信が無くとも、四半刻とかかるまい。

 ……ただ走るだけならば、だが。

 

「やることは単純、山頂に辿り着くだけです。上には人が待機していて、その人に割符を貰えば次に行ってもらいます。ただそれだけ」

「嘘だッ!」

 

 言葉を遮って絶叫したのは、おかっぱ男だ。ちなみに彼は要領が悪かったためか一番伊之助に殴られており、今も右目の瞼が腫れて塞がっている。

 いきなり叫ばれてきょとんとしている炭治郎に、なおもかんしゃくを起こして続ける。

 

「そうやって油断させておいて、俺を背後から襲ってくるんだろ! 分かってるんだよ!」

「なんて?」

 

 強弁され戸惑う。のは炭治郎だけであり、他二人は動揺するそぶりすらなかった。興味が無いのかわかりきっている事をという事なのか、後者とは思いたくないが。重に自身の平穏がかかっている。

 

「それともあれか! 実はどの道も山頂に繋がってなくて、延々無意味に走らせるつもりなんだぁ!」

「どうしてそんなに疑り深いんです!? しないしできませんよそんなこと!」

 

 と、ここで気付いたのだろう。皆が皆、おかっぱ男と似たような、猜疑心に満ちた目をしている事に。中には村田も含まれている。

 これだけ疑りの目で見られると、さすがの炭治郎もたじろいでいた。

 

「いや、でもその、あり得ないし無理ですよ。青木ヶ原じゃあるまいし。ですよね?」

「ああ」

「うむ、もっと起伏が激しく険しい場所ならばともかく、こんな場所で誤魔化しはきくまい」

 

 元柱の二人が同意する。

 青木ヶ原は、隊士ですら用もなく踏み入れるなと言われている場所だ。詳しい理屈は不明だが、人の感覚を狂わせる特殊な環境にあるのだとか。おかげで、あまり深入りすると隊士ほどの体力をもっていてすら、抜け出すにはいくらかの運が必要になる。

 疑る気持ちは痛いほど分かるが、同時に柱側の言い分ももっともだった。なにせ山頂はここからでも見えるのだ。いざとなれば道を無視して突っ切ってしまえばいい。

 立地だけの問題ではない。完全な自然であった伊之助の試験場と違い、こちらはかなり人の手が入っている。例えるならば、寂れた旧街道といった所か。たいして違わない、と思うのは素人考えである。踏みしめられた地面というのは硬く、背の高い草が育ちにくい。これだけの事がどれだけ歩きやすく、また迷いにくいか。最悪の場合、真っ直ぐ突っ切ってしまえばいいし。少なくとも惑う事はない。

 だからこそ嫌な予感がする。

 

「絶対に俺達を騙すつもりだろ! 俺は信じないぞ!」

「そーだそーだ!」

「くたばれ柱!」

「絶対報復してやるからな!」

「いったい伊之助の所で何があったんだ……?」

 

 一方的に追い立てられ、ぶん殴られ続けた。絶対に許さないと皆で深く誓った所業である。おかげで同時期に柱稽古をした者達に一体感は生まれたが、あまりにも空しく切ない対価だ。

 

「そう言われてもやらなくていいとは言えないし、困ったなあ」

 

 そんな風にぼやかれると、非難の声も小さくするしかなかった。

 ここで稽古を投げた所で、罰則などたかが知れているだろう。しかし、こなした者からの視線はどうだろうか。冷ややかなものか、嘲笑か。一番酷いのは哀れまれる場合だろう。少なくとも同じ鬼狩りとは見てくれまい。村田なら絶対見ないのだから。

 結局、どんな試練であろうとも受ける以外の選択肢はないのだ。

 

「ああいいよやってやろうじゃねえか!」

 

 またしても先陣を切ったのはおかっぱ男だった。なんのかんのと言っても、金や功績に貪欲な所は長所だろう。あと生け贄としても価値が高い。この場にいる皆が、彼に続くふりをして独走させている辺り、共通認識にもなっているのだろう。

 手近な道におかっぱ男が飛び込んでいき。すぐにぱす、と何かが切れるような音がして。しなる棒状のもの――恐らく竹だろう――が目にもとまらぬ速さですっ飛んできて、おかっぱ頭の顔面を痛烈に引っぱたいた。

 どんな威力で殴られたのか、おかっぱ男は地面と水平に飛ばされて。続いた者の中でも、逃げ場がなかった幾人かを巻き込んで盛大にひっくり返り。ごろごろと何回か地面を転がって、仰向けに倒れた。白目を剥いた顔は完全に鼻が折れており、大量の鼻血を噴き出している。

 沈黙。

 白髪の老人、左近次は彼に近寄ると、鼻を握ってごきりと元に戻した。ついでに小指を立てて、鼻の穴に思い切り突っ込む。窒息しないための措置だと分かっているが、中々に容赦が見えない。指を抜いたとき、ねっとりとした血の橋が作られていた。

 全てを見終えた後、炭治郎がこともなげに言う。

 

「こんな風に、大量の罠が仕掛けてあります。これらを潜り抜けてください」

「うむ、儂も現役隊士を対象にした罠を作るのは初めてでな。気合いを入れたぞ」

「頑張った」

 

 涼しい顔をして、水柱もとに鬼畜ども。

 その場にいる全員が一斉に息を吸い、そして叫んだ。

 

『嘘つきいいいぃぃぃ!』

 

 心の底からの声に対する答えなど分かっている。わざわざ全隊士を集めてまでする稽古で、ただ四半刻走るだけなわけがないじゃん、と。

 ふつふつと湧き上がる何か。怒りではない、かといって、それに上手く名前を付けられそうもなかった。ただ、心の底からよく分からないものが湧き上がってくるものだけは理解できた。

 本気で全くどうしようもない心地になりながら、それを思い切り吐き出す。

 

「やってやらあクソッタレー!」

 

 つまるところ、ただのやけくそになって。村田は地獄のような罠の中へと突撃した。

 稽古の内容は、まあ。むやみやたらに動かなければ、とりあえず痛みがないだけ伊之助のそれよりはましだったと言える。実際、罠の匙加減もかなり慎重に設定しているのが分かった。集中してよく観察すれば、罠があると見付けることはできる。

 ただし、ゆっくりじりじりと進めば突破できるかと言われればそうでもない。これは当然だ。なめくじのような速度で這い進むなどというのは、当然隊士に要求される技能ではないのだから。

 罠は所詮受動的なもの。ただ突っ立っているだけでは何も起こらない。そんな事は当然、相手も承知しているわけで。

 

「あああぁぁぁーーー……」

 

 ちょうど今し方、一人の隊士が空高く打ち上げられた所だった。空の彼方まで人の体が飛ばされる姿は、恐怖を超えて喜劇じみている。

 動かない奴にどう対処するかの答えは、極めて簡単だった。能動型の罠をしかけてしまえばいい。ちんたらしている奴を見付けては、そういったものを発動させるのだ。柱……というか人員が三人も必要だったのは、罠を張るためだけではなく、隊士の監視観察にも必要だったのだろう。

 厄介な事に、能動的な罠が飛んでくる条件はそれだけではない。普通に走っていても、常中が途切れるとやはり飛んでくる。

 全集中の呼吸が隊士入門の基礎だとすれば、全集中の呼吸・常中は隊士の基礎だ。隊士になれば、およそ三年から五年ほどで教わる。が、これは実のところ、他者が考えるほど簡単ではなかった。

 基本的に、常中を使ってできるようにさせられるのは動くことまで。常中を維持しながら神経を尖らせるというのは、よほど才能があるか、もしくは熟達していなければ不可能な芸当だった。

 普通にしていてもよく観察しなければ見付けられない罠のため、常時動きながら神経を張り巡らせる。なるほど、と思わず納得せずにはいられなかった。理不尽な仕打ちはさておき、確かにこれはよく考えられた稽古だ。罠にかかる度死にそうになるのは激憤しそうになるが。

 事実、修行の成果は着実に出ていた。修行して五日も経つ頃には、常中を使いながら罠の三割ほどを見付けられるようになったし。

 

「村田さん、頑張ってますね!」

「おわぁ!」

 

 咄嗟に首を倒す。側頭部を削るようにして、竹の細枝が通過していった。

 罠は踏んでいない。これは炭治郎が仕掛けてきたのだ。

 

「挨拶代わりに攻撃しかけてくるのやめろよ!」

「いや、でも一応これが俺の役割ですし」

 

 などと、のほほんとした調子で言ってくる。

 昔はこんな人間ではなかった。もうちょっと人を労るというか、限度というものを知っている子だったのに。これは間違いなく、あの忌々しい冨岡義勇と鱗滝左近次の影響だ。

 

「なんだよ! 俺は常中を途切れさせてないぞ……おぉっ!」

「分かってますよ」

 

 下らない話に気を取られて、罠を発動させてしまった。縄が腕に絡みつこうとするが、寸前で払うことができた。

 罠は、何も全てを避ける必要はない。かかったとしても、後から対処できれば不問となる。ようは全てを潜り抜けて突破したという結果が重要なのだ。過程は重視しない、とまでは言わないものの、最低限の事ができていればいい。だから、この修行を始めた段階で常中を憶えていない者には、無理に要求していなかった。

 

「村田さんはあと二、三日で突破できそうなんでちょっと見に来ようと思って」

「そいつはありがたいね!」

 

 話しながら、全く嫌になると考えた。

 こちらはあれにこれにと必死になって全く余裕がないのに、炭治郎は鼻歌交じりに付いてきていた。いくら自分が罠をしかけたと言っても、単純計算で彼の分担は三割と少し。残りは把握していないのに、結果は見ての通りだ。というか、憶えていてもあまり関係が無い。

 罠は全て、場所と方法を変えて設置してある。多少ならばともかく、これだけの数では憶えきれるものではない。条件的には村田と大差ない筈なのに、まるで散歩でもしているような気軽さだ。

 ましてや炭治郎は、道からやや外れた場所を走っている。一人分しか幅がないからだが、そこを通っている事に頬を引きつらせる。

 ここで道から外れることの脅威は初日に知った。罠の密度こそ同じだが、障害物の多い場所でそれを見付けるのは元より、避けるのはさらに困難だ。つくづく実力の違いを思い知らされる。

 村田には罠をより分ける才に乏しかった。なので、発見は最低限に、かかった罠を片っ端から弾くことで進んでいる。

 

「村田さんは順調に進んでますけど、なんというか、罠に対する感度が低いんですよね。さすがに実践じゃちょっと危ないと思いますよ」

「簡単にっ、言ってくれるな!」

 

 これでも全力だし必死だ。これ以上なんとかしろと言われても、はいそうですかとならなかった。

 

「ちゃんと気配なり音なり勘なり匂いなりで感じ取らないと」

「他はともかく匂いって何だよ!」

「危険な匂いとか罠の匂いとか、そういうものです」

「分かるか!」

 

 しかも平気で雑な指摘をしてくる。これだから天才は嫌なのだ、と内心で呻いた。

 

「すみません、俺って説明が下手で……。とにかく、ええと。あ、そうだった。何でもいいからとにかく感度を上げなきゃいけないって事らしいです。感覚を頼れるものにすれば、いつか必ず自分の身を助けるって」

「聞きかじり、かよ!」

「そうですね。獪岳に貰った言葉です」

 

 などと言われてしまえば。さすがに強く返す事はできなかった。故人の言葉を否定するほど恥知らずにはなれない。

 だから、ただ小さく。

 

「そうか」

 

 とだけ返す。

 炭治郎は聞こえるか聞こえないか程度の小さな声で、はいと返してきた。そんな様子に、村田はあえて何も言わない。

 この手の感傷は、鬼殺隊にはありふれている。村田だって、同期で生き残っているのは三割を切っていると聞いていた。だから珍しくない。珍しくないが、慣れられるものでも決してない……

 などと余計な事を考えていたのがいけなかったのだろう。気付いたときには、腹に太い木の枝が巻き付いていた。

 

「あ」

「あ」

 

 それ以上何も言うことができず、村田は宙を舞った。

 手足が何にも触れられない。炭治郎の姿がものすごい速度で遠ざかっていく。空が憎たらしいほどに青い。

 隊士ならただ高く投げ飛ばされた程度ではしなない。と言っても、受け身で逃がせる衝撃には限度があり、痛いものは痛い。とてつもなく痛い。たまに骨が折れる事だってある。

 

(結局俺って、いつもこうなんだよなあ)

 

 どうしようもなくぼやきながら。達観と悲観を半々にしながら、すぐそこまで迫った墜落の時を粛々と待ち構えた。

 

 

 

   ×××

 

 

 

「施設よし、設備よし、心の準備……多分よし」

 

 指折り確認をしながら、一つ一つ数えていく。といっても特別な準備など必要ない上、もう三日も前から何十回と同じ事を繰り返しているので、いまさら見落としがあるとも思えなかったが。

 今の自分はどう考えても気負いすぎだった。そこまで思案する必要はない、というか思案する段階はとっくに過ぎている。後は考えたことを実行すればいいだけだ。と知っているところで、生来の心配性が抜けるわけも無し。

 

(いやでもやっぱずるいよ炭治郎は。経験豊富な柱二人に手伝ってもらってるんだから)

 

 こういうとき、縁がものをいう。

 柱が育手である善逸もそう人のことが言えた訳ではないものの。五体満足な鱗滝左近次と片足の桑島慈悟郎とではやはり違いが大きい。距離の差も地味にあったし。

 そういった意味では伊之助を見習うべきだったが。さすがにあの心臓に毛が生えている様は真似できない。未だにどうやったらあれほど周りを顧みずに生きていけるのか不思議なのだから。

 ともあれ、今回は善逸にとって、上位隊士としての初仕事になる。

 今までは勝手に突っ込んで勝手に頚を斬っていればよかった。いや、それはそれでとても大変なのだが。人に命令をする、人を育てるというのは未知の事である。昔なら、安全圏にいられると手放しで喜んだのだろうが……今となっては、人の命を背負わなくていい分、前線に立っていた方が楽だと思うようになった。

 これは成長したのか腰抜けたのか。とりあえず、責任感だけは前よりあると思っている。

 

(いつごろ来るんだろう)

 

 そわそわうろうろ、落ち着きなくふらつく。

 柱稽古第二門の突破者第一陣が現れたと報を受けたのが昨日の晩。今日の早い内に人がやってくると隠に伝えられていた。

 といっても、早い内というのが具体的にいつなのかまでは分からない。これは仕方の無い事だった。各訓練場はなるべく近場に誂えようとはしてるが、あまりに密集すると鬼に発見される可能性が高まる。待ち構えておきながら奇襲を受けた、などというのは一番馬鹿らしい展開だ。なので宿泊所やら何やらの兼ね合いを考えて、芋づる式に全てが発見されない限界の距離で設定している。そのため、いつ到着するかは一番足が遅い隊士にかかっていた。短距離ならささやかな違いでも、遠くなればそれなりに大きな差となる。

 重要拠点以外は夜間の施設間移動を許可されているため、そう遅くはならないと思いはするものの。さすがに夜明け前から待っているのは少々早まった感がある。肌寒いしなにより眠い。

 そこそこに開けた林で待ちぼうけを食らうというのは、深い森の中で夜を越すのとは別種の寂寥感がある。

 

「あー。なんかさびしーなー」

 

 膝をかかえてうずくまる。そう言えば、長いこと一人きりでいるのは久しぶりだ。

 炭治郎と伊之助。いつしかあの二人と過ごすうち、孤独を紛らわす方法を忘れてしまった。

 独りは嫌いだ。親に存在しないものとして扱われたことを思い出してしまうから。後から先生に救われたとしても、嫌なものは嫌なのだ。永遠に治らぬ疵として、善逸の心に残っている。

 吐息の音に耳を傾けて誤魔化している内に、遠くから複数の足音が聞こえた。早くはない。せいぜい競歩といった程度だろう。ちんたらして、と思う反面、疲れが残っているならそんなものかなと自分を納得させた。

 太陽は、ちょうどてっぺんを少し覗かせようとしている頃だった。

 まだ目に見えない距離で、音だけを頼りに周囲を観察し。気付いたのは、集団がやけに剣呑だという事だ。殺気立っている、と言うのとはちょっと違う気がする。不信感、猜疑心、警戒心、そういったものがまぜこぜになって、本人もよく分からない感覚になっているのではないだろうか。

 

(あいつら一体何をしたんだ?)

 

 自分の手前で仕事をしていた二人に対し、そんなことを考える。伊之助はともかく、元柱が二人もついている炭治郎は、そう滅多な事は起きないと思っていたのだが。どうやら予想は大幅に外れたようだ。

 

(いや待て待て。大丈夫大丈夫)

 

 内心で唱える。なんかやたら自分の稽古が困難になった事実から目を背けて。

 

(三番手なのは心情的に随分楽な筈なのに。なんでこう……おおぅ……何なんだよ本当にもう……)

 

 完膚なきまでに善逸の勝手な指標ではあるものの。基礎も技術も、始めと終わりが一番気を遣う。その点、中盤はある程度こなれてきた者達が集まり次もあるため、気を抜いていられる予定だった。どうしてこうなったのか。

 一団の姿が見えてくると、いよいよその異様さが際立ってくる。

 一言で言って、彼らはやさぐれていた。ぼろぼろの姿に鋭い目つき、世界の全てが敵だと言わんばかりの気配。綺麗に整備されている刀が、いっそ異様に映った。三〇〇年だか四〇〇年だか前の浪人と言われた方がまだ納得できる。

 敵意むき出しで一列に並ばれると、さすがに気圧される。こちらが口を引きつらせているのに気付いているのかいないのか(いや、気付いていない訳がない)、一層視線を尖らせ、吐き捨てるように言った。

 

「第一団、鳴柱の指導下に着きます」

「えっと……その……お疲れ様です」

 

 気の利いた言葉など全く出てこず、口から出てきたのはクソみたいな台詞だった。

 内心の焦りを隠しながら――絶対に丸わかりだっただろうが――稽古内容の説明を始めることにした。

 

「とりあえずざっくり言うと、俺の稽古は『追いかけっこ』なんだ」

 

 何故だか。そういった瞬間、殺気が溢れた。

 余計なものを踏み抜いた感触を確かに感じた。が、理由が分からない以上悩むことに意味は無く、ただただこちらが怯えさせられてるだけである。

 皆、話を聞いていない訳ではない。むしろ一言一句逃すまいとよく耳を傾けている。ただ、誰一人としてこちらの話を信じていないだけだ。まるで善逸が皆を騙す事が当然だと言わんばかりに。

 

(なんで俺がこんな目に……)

 

 心の中でちょっと泣く。なぜ詐欺師扱いされているんだろうと悲しくなった。

 気を取り直そうとしたが、どうしたって場の空気を変えられる気がしなかったため、かなり引きつった声色で言う。

 

「それじゃあ、早速始めるんで……」

 

 瞬間、全隊士が背中合わせになって死角を隠し、周囲を警戒した。ご丁寧に刀にまで手を添えている。思わずぽかんとしながら、その光景を見送って。

 当り前に何事も起きず、いくらかの時間が過ぎる。妙に寒々しい木枯らしが吹いて、葉の一枚が柄頭に当たって逸れ、彼方に消えてゆく。状況を変えたのは、この中で数少ない見覚えがある隊士(確か村田と言った)が発した一言だった。

 

「とりあえず、何もないみたいだな」

「いやあるわけないけど」

 

 いよいよ堪えきれず、ぼそりと一言。まあ、誰も言葉に反応してくれる人はいなかったが。

 本気で一体どんな稽古を受けてきたのか聞いてみたい。というか伊之助と炭治郎に問い詰めたい。彼らは情緒がもう限界であるし、半ばぶっ壊れているようにすら見えた。

 今から訓練内容を変えるべきか。いやいや不可能だ。時間も道具も何もない。

 

(まさか俺の稽古がとどめになって発狂したりしないよな)

 

 さすがにそれは、責任の大半を炭治郎と伊之助に押しつけられたとしても目覚めが悪かった。まあ言い訳をする前に殺されそうだが。実弥か小芭内か、もしくはしのぶあたりに。

 気取られぬよう嘆息して諦める。様子を見ながら可能な限り優しくする、以外の方法は、善逸の頭では思い浮かびそうになかった。

 

「それじゃあ、前から五人出てきて。さっきも言ったけど、これから追いかけっこをするよ。俺が逃げる側だから、五人がかりで捕まえてね」

「……じゃあ俺達はどうして刀をもってこいって言われたんだ?」

 

 絶対そこに何か(というか嘘)があると断言する口調で問いかけてくる。それに対する答えは、最初からはっきりしていたので楽だった。

 

「隊士が刀持たずに走る事なんてないだろ? 刀と同じ分の重量をわざわざ用意するくらいなら刀でいいかなって思っただけで、俺の稽古じゃ抜く事はないよ」

 

 安心させようと説明を挟むが、本当かよ、という視線の色は変わらない。

 

(いやこれ本当おかしいだろ。俺達が決めた訓練なんて、候補生だった頃の延長上でしかないんだぞ。伊之助はともかく、炭治郎は普通に育手の元で教育うけてるし。別に物珍しい事なんてしてない、筈なんだよな)

 

 善逸とてこのおいかけっこは良くやった。慈悟郎は一歩以上速度を維持できないため、相手は大抵獪岳にしてもらっていた。無論、当時の獪岳は隊士候補の腕前、今は柱と一般、それも中級以下の隊士だという事も分かっている。それを加味したからこそ五対一にしたのだ。

 全ての隊士が同じ教育課程を通過している訳ではない。当り前に元柱の育手に育成された者は稀少だ。これが物珍しい者だっているだろう。

 まあそれでは彼らの目つきに心当たりがなさ過ぎるため、また別に何かあったのくらいは察する事ができる。今もじろりと探るように睨まれているし。

 

「本当に……刀が必要だったんじゃないのか?」

「えっと、まあ。普段と同じ状況にするなら、似たような別の物を用意するより同じ物を持ってた方が安上がりって程度だし」

「刀を……抜くような状況にはならなんだな?」

「ないない。と言うかそれだと俺が一方的に斬りかかられる事になるんだけど」

 

 殺気立って刀を振ってくる隊士に、こちらは武器なしで逃げ続けろ等というのはどういう類いの地獄だ。

 

「嘘つけぇ!」

「だからなんでだよ!」

 

 いい加減面倒くさくなってきて、地団駄を踏みながら。

 

「ああ分かったよ! じゃあハイ! 俺の刀を結ぶから……結びました! これで俺は刀が抜けないでしょ!」

「そんな事言って鞘でぶん殴って来たり、人を隠しておいて四方から矢が飛んできたりするんだろ!?」

「何したんだよあいつら!」

 

 絶対に事前に話し合った以外の、もしくは以上の事をやっている。でなければこんなにとち狂わない。

 

「ハイハイやめ! この話やめ! いいから始めよう!」

 

 いい加減余計な時間を食いすぎた。下手にここで躓かせると、次に控えている天元が怖い。

 不承不承といった風ではあるものの、隊士達から反対意見は出てこなかった。こんな所で立ち止まっていられない、という点だけは共有できるようだ。

 軽く手を叩く。それを開始の合図とした。

 善逸は一目散に林の中へと潜り込み、耳だけで追っ手を確認する。さすがに隊士をしているだけあって、やると決まってからの切り替えは早かった。五人全員、一人として出遅れる事無く追従してくる。

 常道で言うならば、このまま全速力に移行し振り切るべきだが。それは稽古の趣旨から反する。そのため、近くの木へと飛び乗った。

 手前味噌になってしまうが、彼らは自分よりも実力が格段に低い。しかし彼らも隊士だ。勝てというならばともかく、自分に触れろという程度なら難なくこなしてしまうだろう。簡単に合格させないためには、立体的な動きが必要となる。だからこそ、木々の上を飛び移り易い林を選んだのだ。これは経験で知った事だが、人間が前横に追加して縦の動きを要求されると、途端に膨大な経験もしくは才能を要求される。

 思っていた通り、隊列はあっという間に崩れた。そこはいいのだが。

 

(うーん、やっぱりすごい自分勝手に動いてる)

 

 最低限、こちらを囲もうという努力は見えているのだが。本当に努力しかない。

 今回参加した隊士で一番階級が高いのは戊で、低いのが辛といった所か。こういった場合、全員が辛を中心にしなければいけない。というのも、一番実力が低い人間というのはそのまま部隊の穴だ。何かがあった時、真っ先に出遅れるのがそこになる。すぐ誰かが補うためには、穴を真ん中にして陣形を取る必要があった。

 これはある意味、隊士全体の欠点なのだろう。日本全国津々浦々を、隠も含めて一〇〇〇〇人に遙か及ばない人数で網羅しなければならない。党勢を組んで鬼を倒す機会というのは極端に少ないのだ。数で圧殺できるような人的余裕などない、というのが一番の理由だろう。

 別々に育ち、別の呼吸を扱いながら高度な連携ができる善逸、炭治郎、伊之助こそが例外中の例外だった。団体で戦った場合、柱上位三人を集めたよりも善逸ら三人の方が強いと言い切れる程度には高い次元で理解し合えているし、それだけ隊士の連携は拙い。

 別に一糸乱れぬ波状攻撃をできるほどは求めていない。ただ、位置取りを合わせられる程度にはなって欲しい。この上で瞬間的な走力を強化できれば言う事がない。まあ、この短期間であれもこれもは高望みだろうと思ってはいる。

 

(最初はとにかく露骨すぎるほどにやる)

 

 とにかく推定辛を狙って、囲いを崩していく。直接攻撃はできないため、そいつを機転にして突破するという形で。

 目に見えて訓練生が苛立ってきた。が、どうやらそれは、自分の不甲斐なさやこちらに対してではなく、足手まといに見える隊士に向いているようだった。辛も辛で、自分が狙われていると分かっているから青い顔をしている。

 全く以て見当違いなそれに、声を張り上げた。

 

「一番強い奴を中心に囲もうとしたって無理だって分かってるだろ! 包囲するときは一番弱い奴を、攻める時に一番強い奴を前に出すんだよ!」

 

 声を聞いて、はっと四人が顔を向ける。自分達の無様と、すべきことを理解した様子にひとまず安堵する。

 指摘の通り辛を中心にして逃げ道を塞ごうとするが、まあ当然位置取りは甘い。

 自分で気がついた方がいいのだろう(師もそんな事を言っていた)が、訓練に取れる期間は長くて十日ほどと見積もっている。待っていられるだけの余裕もないので、どんどん指摘していった。

 

「上を塞げ、そこにいるだけでも一歩目を躊躇させられるから! そっち、詰めが甘い! 簡単にすり抜けられる! ただ追い詰める事だけに集中するな、最終的に刀を振れなきゃ何の意味もないんだぞ! 一番強い奴が一番働かなくてどうするんだ! 仲間が気を引いている内に率先して回り込め!」

 

 指示する度に動きが悪くなる。言われた事を飲み込む時間が必要だろうから、しばらくは同じ失敗をしても何も言わなかった。

 劇的な改善はない。ただし、少しずつ厄介さが増していく。極端な能力向上などありえないのだから、互いの動きが噛み合いだしている証拠だ。

 初めて半刻も経つ頃には気がついていただろう。善逸は、いくらかの法則の下動いているという事に。隊士の追跡を振り切らない。それぞれの働きを邪魔しない。わざと連携を取りづらい、もしくは一端崩さざるをえない位置取りをしている。最後に、追い詰めた際は一番大きな穴だけに加速して逃げるようにする。

 そう、これは最後の飛鳥を誘い、押さえ込ませる為のものだ。

 雷の呼吸は全呼吸の中で最速、当然全力では走らない。例え一個人が突出していても、制限は取り払わないようにしていた。五人が連動する事こそ最上だが、一人で善逸を捉えられると言う事は、五人分の働きを一人でできるという意味でもある。それならそれで、次に進めさせていい。単独達成しても、目的のさわりくらいは理解できるだろうし。

 隊士は慌てふためく。普段慣れない、下手したら初めての試みをさせられているのだから当然と言えば当然だ。だからこそ余計に、善逸も容赦しなかった。

 

「地形は瞬時に憶えろ! いちいち足場を確認するな! 包囲するって言ったって、互いの距離を均等にする必要は無いんだよ! 重要なのは即援護に割り込める事だ! 一番強い奴がサボろうとするな、あんたが中心になって示さなくてどうするんだ! 全員呼吸が雑になってるよ、それだけはなんとしてでも死守しろ!」

 

 そうして駆けずり回る事、およそ一刻。さしもの隊士も息切れを始めたところで、稽古を中断させた。

 

「第一陣はこれで終わり。次の五人、出てきて」

 

 訓練を終えた者は軽く休ませ、自習をさせる。呼吸のおかげで隊士の回復速度は人より速いため、さほど時間はかからない。仮にサボっていても、密かに監視している隠が尻を叩く手はずになっている。

 また、訓練ごとに組む面子を変えている。これはしのぶからの提案だ。常に同じ相手と組める訳ではないため、固定した組で最高の連携を取れるより、初見の相手でもそこそこ合わせられる方が使い勝手がいいから、とのこと。

 こうして訓練は続き、三日も経過すると警戒心はすっかり抜け、五日目には完全に打ち解けていた。

 というか何かめちゃくちゃ尊敬されていた。

 どうも炭治郎と伊之助は、俺ができるんだからお前達もできるようになるだろう? やれ。という無慈悲な発想の元行われていたらしい。そりゃいずれはできるかもしれないが、問題なのは今できない事なのであって。

 二人はさておき。懇切丁寧に教えながら、かつ休憩も十分に取らせる善逸は、彼らにとってとてもいい指導者らしかった。

 

「はははははは!」

 

 などという声が、修行後の茜空に通る。

 隊士達が就寝する場所、などと言えばちゃんとした施設を思い浮かべそうになるが。実際はただの大きめな掘っ立て小屋である。一応新しくはあるのだが、それでも一年持てばいいという程度の考えで作られたため、隙間風が酷い。季節柄寒くはないし、雨を凌ぐには十分なのが救いだろうか。

 そんな場所で善逸は隊士らと語らって、というか一方的に絡まれていた。酒なんてない筈なのに酔っているのではないかと思えるような様子だ。

 時には肩を組まれて揺さぶられ、時には背中をばしばし叩かれながら、食後のお茶をちびちびと飲む。安茶ではあるがまあまあの贅沢品であり、修行中はこんなものだけが楽しみだ。

 

「善逸さんの教え方は本当分かりやすいよ!」

 

 最初は視線すら向けられなかったが、いまではさん付けで読んで貰えるようになった。

 全体的に機能の向上も著しく、成果が目に見えている事で隊士達の表情も明るい。二重に良い知らせがあれば、まあ、悪い気はしなかった。己の気質もあいまって、戦闘で戦うよりこっちの方が性に合っているという気さえしてくる。

 

「善逸さんに教えて貰ってから俺らすげえ強くなったっすよ!」

「やー、そう言って貰えると嬉しいなあ」

「正直善逸さんはあの畜生らと同類だと思ってました!」

「それ褒めてる? あと本人に言うのはやめてあげてね」

「善逸さんマジパネェっす」

「どこ弁だよ」

 

 そこそこの頻度で飛んでくる、よく分からない単語を軽く躱す。隊士は、北は北海道から南は沖縄まで、まんべんなく人が集められる。一応標準語が浸透しているものの、理解できない方言を使う者はそれなりに多かった。ここら辺を気にしないというのも、鬼殺隊暗黙の了解だ。

 食事を終えれば、その場で寝っ転がる者も少なくない。まあさすがにそんな姿を見せるのは階級が低い隊士ばかりだが、どちらにしろ立ち上がる気力がある者はいなかった。対して自分は、まだまだ余裕。これだけでも随分と強くなったものだと感じられた。

 実感を噛みしめられるというのは、つまらない事のようで案外重要だ。長期間くすぶっていると、心は案外簡単に折れる。というのは、獪岳からの聞きかじりだが。彼は厳しいようで、案外善逸が逃げても投げはしないよう気を遣っていたのだという。あれほど上手くやれている自信は全くなかったが、それでも実感を感じやすい形式を取ったつもりだった。

 あとはまあ。いろんな人にちやほやされるのは思っていたより大分心地よかった。というのは余録だろう。

 お茶を飲み終え、ほっと息を吐く。

 

「じゃあ、俺はお暇しようかな」

「たまには鳴柱も一緒すればいいのに」

 

 と言ってくれるのは、すっかり隊士の代表格となった村田だ。

 善逸は曖昧な笑みを浮かべながら、しかしきっぱりと首を振る。

 

「そういう訳にもね。さすがに柱の集まりをすっぽかすのは」

 

 柱稽古の昼間は、あくまで一般隊士の時間。柱にとってはむしろ夜こそが本番だった。

 決戦までの猶予は正確に測られていないが、さほど無いと本部は目している。むしろ柱こそ一般隊士以上の無茶が必要だった。

 

「昼は俺達を見て夜は柱で集まって、大変だなあ」

「本当にね。控えめに言って地獄だよ」

「柱が地獄だと思うってどんななんだ……」

 

 ぼやかれる言葉に、またしても笑み。しかし今度は引きつったものだった。

 この段階の互稽古となれば、性格がああだ気性がどうだなどというものは関係無しに、全員が本気だ。さすがに殺気まで滲ませる者は少ないものの、誰も彼もが溢れんばかりの闘気を滾らせている。

 はっきりとがらではない。が、だからといってついて行けないなどと言っていられる話でもなかった。

 

「まあ、大変だよ。知らない方がいい。とにかくこれで」

 

 と手を振って、その場を後にした。

 さてと、と小さく息を吐きながら、善逸は足に力を送り込んだ。昼間にさんざん走り回っていたため、体は温まっている。半分以下の力でしか走っていないため、微妙に本調子とは言いがたいが。

 

(早くしないとな。今日はちょっと長く取られたせいで遅れ気味だし)

 

 遅刻した時に実弥と小芭内が揃っていたら最悪だ。殴られるし体をねじ曲げられるし。

 二度とそんな目に会わないためにと、善逸はいつもより一段早い速度で走り始めた。

 

 

 

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