獪岳と善逸   作:山筋

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柱稽古・下

 こう言ってはなんだが。柱が一般隊士を指導した所で、実力は僅かたりとも上がらない。基礎能力を指導している者は特に。

 なにせ柱のそれも上位と言えば、甲だろうと鎧袖一触になぎ払える程の実力を持っている。それこそ新人三人衆ですら、甲複数を同時に相手しても、基本的に負けることはないのだし。

 柱が強くなるには十二鬼月か柱が相手するしかない。長年の経験から算出された結果を基に、夕方からは柱のみが集められた稽古の開催が実施された。

 煉獄邸、あるいは煉獄道場。柱が集まる際にはここを提供されることとなった。

 とはいえ、どうにも快くと言う訳ではない様子ではある。なにせ現煉獄家当主である煉獄槇寿郎は、こちらに対して強い隔意を持っている。いや、別にあからさまな反抗勢力という訳ではないのだ。鬼殺隊を嫌っているわけでも、柱を厭んでいる訳でもない。ただ、寄る辺ない感情を結果的に隊士(というかこれは呼吸だろうか)に向けるしかないといった風だった。当然それでも普通に迷惑ではある。

 ちなみに槇寿郎も元柱であり、そのため新旧含めて十四人(引退済みの柱も別件で集まる事が多い)もの柱が一同に介している事となる。これだけ集うと、柱のありがたみというのもあるんだがないんだか。

 煉獄道場には正門から堂々と入る。わざわざ鬼を警戒しないのは、胡蝶診療所と同様に、煉獄道場はとっくの昔に鬼へと知られている鬼殺隊の拠点たからだ。ついでに、ここへと攻め込んでくれるのはむしろ望むところだというのもある。しのぶ、蜜璃、義勇、左近次、槇寿郎が戦力外だという点を加味しても、囲んで倒せるというのは大きい。まあ、いくら鬼の消耗に興味がなさそうな鬼舞辻無惨であっても、無意味に殺させたりはしないだろうが。

 半ば本部との情報を断絶した柱は、自分達であらゆるものを完結する必要がある。毎回ではないにしても、こうして全員が集まっているのはそのためだった。

 道場の戸を開く前に、激しく木刀同士が打ち合う音が聞こえていた。

 

「ちわーっす」

「遅いぞ貴様」

「善逸くん今晩は」

「すみません、今日はちょっと長引いて。甘露寺さんも今晩は」

 

 小芭内に軽く頭を下げながら、中を観察する。今は二対二で戦っている所らしい。

 柱同士の稽古では、基本的に一対一では戦わない。いや、戦うこともあるのだが、それはあくまで自主練の範疇だ。どちらの方が伸びしろを期待できるか考慮すれば当り前の判断である。

 今戦っているのは行冥、実弥と無一郎、伊之助だ。伊之助は最初、連携に向かないと目されていたが、そこは柱の中で才能二番手と言われた男、すぐ環境に適応した。今では誰とでもそつなく合わせる。ちなみにそういった面で不器用なのが炭治郎と小芭内であり、彼らはこの訓練に四苦八苦していた。伊之助の評価は概ね同じ、いると凄く便利だ。

 それを眺めているのは残りの者。蜜璃以外は概ね現役か引退かで別れている。槇寿郎は最初、やさぐれ尽くして酒を呷りながら見ていたが、さすがに左近次からこんこんと説教を受け、今ではお茶で堪えていた。まあ、やさぐれている点だけは変わらないが。ともあれ左近次が近くに居る時はしゃんとしており、杏寿郎も随分安心していた。

 最後に、稽古を見ていない者。これは――非常に珍しい事に――炭治郎としのぶだった。二人で顔をつきあわせながらしゃがみ込み、熱心に何かを見ている。

 

(何見てんだろ)

 

 訓練を見ているべきではあるものの。基本的にクソ真面目な二人が何をしているのか、非常に気になった。

 背後からこっそり覗いてみると、それは本だった。内容全部が漢字だけで書かれている。紙の古さからみるに古文書の写本といった所だろうか。善逸が古文なんて読めないのを差し引いても、解読は難しいだろう。明らかに人の手で、かなりの項が破られている。

 辛うじて分かるのは、『呼吸』という文字が何度も使われている部分。鬼殺隊の、それも呼吸に対する記録といったところか。

 

「それ読んで何か分かった?」

「あ、善逸」

「遅くまでお疲れ様です」

 

 こちらに気付いた二人に、小さく会釈される。

 軽く挨拶を返して、善逸は炭治郎の横に座った。本当はしのぶのとなりに座りたかったが、禰豆子の自我が復活しかけた事で多少の自重を憶えるようになっていた。けして下手をするとしのぶの音が怖いからなどという理由ではない。

 改めて見直すが、やはり読めない。分からない漢字が多すぎるのだから当然だ。慈悟郎に教わった文字はあくまで街に出て困らない程度であり、とてもではないが言語に卓越しているとは言いがたい。

 

「これはですね、始まりの呼吸に関する資料ですよ。始まりの呼吸については知ってますか?」

「ええと、炎、水、雷、岩、風の五つに加えて、失われた四つの呼吸、ですよね」

「ええ。正確に言えば、悲鳴嶼さんが現れるまで岩も失われた呼吸の扱いでしたが」

「そりゃあ、まあ、うん」

 

 棘付き鉄球と手斧を鎖で繋ぎぶんばか振り回すような技の使い手がそうそういて堪るかという話だ。善逸では鉄球を持ち上げるだけでも一苦労する。あれほどの怪力を持たなければ扱えない技術など、そりゃ廃れるだろうとしか言い様がなかった。

 案外、残りの四つも似たような理由で失われたのかもしれない。鉄球手斧鎖鎌に匹敵するとんでも武器は何か、という点に関してだけは気になるが。

 

「この本は、その中でも特に全ての呼吸の元となった『日の呼吸』について記されていますね。実用的かはともかく、大変興味深い」

「でも破れてますね」

「そうなんですよ……」

 

 と、上辺だけは困った調子だが。額に青筋が浮かんでおり、怒っているのが一目で分かった。

 

「どこかの誰かさんが感情任せに粗雑に扱ったおかげで、記述の大半が失われてしまいまして。もし完全な形で残っていたら、『日の呼吸』を復活できたかもしれないのに」

「う……」

 

 わざと大きくした声は、槇寿郎に届いたのだろう。珍しく素面な彼が、申し訳なさそうに顔を伏せていた。

 柱が集まるようになって、分かりやすく不文律が成立した。鱗滝左近次に逆らってはいけない、胡蝶しのぶに口答えしてはいけない。これに失敗して一番割を食っているのが煉獄槇寿郎だった。

 

「それで、なんで炭治郎が?」

 

 ただ一緒に見ていただけという可能性もなくはないが。それよりも、『日の呼吸』と炭治郎の間に何かしらの関係があると思った方が自然だ。

 

「どうも彼の地元には、日の呼吸らしき何かが踊りとして残っていたみたいなんですよ。それで、少しでも何か思い出していただけないかと」

 

 言われて、善逸は思わず顎を撫でながら考えた。そんなことがあり得るのか。

 呼吸の剣士を支えるのは、言葉に含まれているとおり『呼吸』だ。全集中の呼吸なくば、型の一つとて再現できない。逆に言ってしまえば、全集中の呼吸を扱わずに型だけを真似た所で、それはただの剣舞にしかならないのだ。

 とてもではないが、意味があるようには見えなかった。少なくとも興味を引かれる程には。

 怪訝な様子は外に出ていたのだろう、しのぶが小さく、皮肉げな笑みを浮かべながら、こちらを横目に見ている。

 

「今する事か、とでも言いたげですね」

「うえっ!?」

 

 完全な正解ではなくとも、ほぼ全てを見抜かれて思わず声が上ずる。

 

「論理的な疑問ではあります。でも、即物的にも過ぎますね。こういった小さな疑問が、案外大きな答えへと至るんですよ。記録が正しいくば鬼殺隊の歴史上、呼吸が生まれたその時代は、最も鬼舞辻無惨を追い詰めた瞬間でもあります。もしかしたら『日の呼吸』にそれが隠されているかもしれません」

「そ、そこまで繋げて考えるものなんですね」

「まあ、そうじゃなければ毒で鬼を殺そうなんて発想には至りませんよ。私は隊士としてやっていくには、あまりにも足りないものが多かったんで。こうして僅かな違和感から大きな結果を出さざるを得ないんです」

 

 一体何を見て鬼を腐らせ殺そうなどと思い至ったのか、多いに興味があったものの。聞いたら戻れない場所まで行きそうな気がしたため断念した。

 

「炭治郎」

「どうした?」

「それで、日の呼吸ってどうなんだ? 何か見付けられた?」

「うーん、どうだろ……」

 

 歯切れ悪く、腕を組み首を傾げながら。

 

「うちの方じゃヒノカミ神楽って言って、言葉通り踊りっていう形で伝わっててて、父さんが踊ってるのを見たことがあるけど。正直言って、あえて指摘されなきゃ共通点があるかもと思わないような内容だぞ。使ってる剣だって脇差しよりちょっと長いくらいの直剣だったし。それを一晩中踊り続けるっていうのは、確かに呼吸や鬼を意識してる可能性もなくはないって気がするけど」

「お、思ってたより大分過酷なんだな」

 

 随分と前時代的な神楽だ。現代では神楽など、神に捧げる物という感覚はほぼ失われている。今や祭りと言えば、大体どこに行っても飲めや歌えやの大騒ぎをする江戸神輿ばかりだ。

 

「ちなみにですが、案外呼吸は別の形で残っていたりするんですよ。まあほとんどは原型が見当たらないくらい改造されたものですが。ともあれ、私は記述の中で、日の呼吸以外にもう一つ注目しました。それは月の呼吸。恐らく日の呼吸と対を成す、ある意味もう一つの呼吸の原点と言うべきもの」

 

 言って、彼女はぱらぱらと項をめくり、そこを指さす。確かに月の呼吸と読めそうな一文があった。いちいち探したという事は、記述はかなり少ないのだろう。

 

「月の呼吸、私が独自で調べた限り、どうも時透君に関係ありそうなんですよね……という所までを、炭治郎君としていたんです」

「霞柱に?」

 

 ふと、まだ戦っている無一郎に視線をやる。

 相変わらず飛び抜けた才能だ。同等以上の相手と戦っておきながら、なお天稟を感じさせるのが化け物じみている。扱う呼吸も独特で、飛び抜けて緩急の使い方が上手かった。

 霞の呼吸は常時、劣化陰電荷を使用している。こう聞くと、たいしたことないと思ってしまいそうになるが。緩急を重視した歩法から繋ぎ目なく型に移行する点を考慮すると、少なくとも攻撃力だけは上回っている。

 そもそもの話だ。高速移動をしながら上手く刃を当てるのは難しい。ましてや急速な速度差があればどうかるか。それこそ獪岳ですら、陰電荷を歩ノ型として切り離さなければいけなかった程の難易度である。

 

「彼の霞の呼吸は、風の呼吸の派生なのです。しかし、明らかに風の呼吸だけではない要素が混ざっています。本人に気候にも、時透君は過去の記憶を失っています」

 

 記憶が無いというのは初耳だ。が、これも鬼殺隊ではさほど珍しい事ではない。

 多少の差はあれど、鬼殺隊に記憶が欠落している者は多い。専門的な事は分からないが、どうも精神に強い負荷がかかると稀にある事らしい。彼もその類いなのではないだろうか。

 

「気になって調べてみて貰いましたが、彼が住んでいた場所にも剣を使った神楽があったみたいです。それの元になったのが『月の呼吸』なのではないか、と予測しています」

「へー」

「気のない返事ですねえ」

 

 しのぶに苦笑される。そう言われても、話がどれほど大事か全く理解できないのだから仕方ない。

 

「些細だと思っているでしょうね。ですが、そんなものが大きな発見となり、役に立つかもしれない。この『かも』というのが大切なんです。と言っても、こればかりは一度実感してみないと分かりませんよね」

 

 ま、いいんです、と彼女は続けた。

 

「どうせこれは片手間ですからね。本業に支障が出るような真似はしていませんよ」

 

 確か、鬼舞辻無惨ないしは上弦の鬼に通じる汎用性の高い毒薬の発明だったか。

 今まで彼女が生み出した毒は、あまりに扱いが難しすぎて、胡蝶しのぶ以外誰も使えないという欠点を抱えていた。まあ納刀の方法と刀を捻る角度で随時毒を調合するなど、霞の呼吸以上に正気の沙汰ではない。

 

「それって聞かない方がいいやつですか?」

 

 鬼殺隊は隠し事が多い。むしろ隠し事しかない。実際、隠の中でも多くの秘密知っている者は、自決用の毒薬を常備している。これは訪ねていいのだろうかと不安になった。

 

「大丈夫ですよ。理解できるかはさておいて」

「……やめときます」

 

 絶対知らない方がいいやつだ。そう確信して、丁重にお断りした。下手に知って毒など渡されてはたまらない。

 

「そこまで!」

 

 と、鱗滝左近次の声が響く。

 どうやら訓練は、伊之助の木刀が折られた為に試合終了という形になったようだ。彼が地団駄を踏んで悔しがっている。

 木刀を使うという性質上、どうしたって伊之助の戦績は低くなる。片手で剣を扱うために、一本一本の精度は両手持ちに劣った。誰がどう見ても分かっていたし仕方の無い事なのだが、それで納得できるほど大人しい人間でもなかった。

 荒れている伊之助を、ぼんやりと眺める無一郎。相変わらず何を考えているか読めない。一度本人に問いかけてみたところ、いつだって何も考えていないし何も思わないという答えが返ってきた。どこまで言葉の通りかはさておき、まるで植物のような人間だと思った記憶がある。

 

「無一郎、伊之助組はそのまま構え! 次、小芭内と……善逸、行けるな!」

「え、あ、はい!」

 

 いきなり呼ばれて、慌てて木刀を手に持ち向かう。その間に、伊之助も壁に立てかけてあった木刀を無造作に取って入れ替えた。

 善逸は二人の真正面に移動したが、小芭内はその場に立っただけだ。

 この連携訓練、特に決まった規則など無い。まあ剣道でもあるまいし、礼節がどうのなんて言っても実践では役に立たないのだ。とにかく息を合わせる事だけが重要となれば、ともすれば必要に思えそうな部分まで削ぎ落としてしまう事もある。

 なんにしろ、この訓練で必要なのは仲間、相手、開始の合図、それだけだ。

 

「我妻、俺の足を……まあ、お前に限ってその心配はないか」

「信頼して貰えるのは有り難いけど」

 

 連携の高度さはさておき、相方に合わせて戦うという意味なら柱の中で一番である自負がある。伊達に人の顔色をうかがい続けて生きてはいない。女の人に対してはまあ、分からない訳ではないのだ。ただ、空気を読むより欲望が前に出てしまっているだけで。

 全員の準備が整ったところで。

 

「始めィ!」

 

 開始の合図が響いた。

 声が発せられた所で、いきなり飛び出したりはしない。先手必勝を望むには、お互い手の内を知りすぎている。隊士が持つ決定力のある手は数個から十数個に絞られているため、把握は容易だ。こうまで理解し合ってしまうと、実力うんぬんの問題ではなくなる。

 じりじりと間合いを調整しながら、陣形も作っていく。善逸が前、小芭内が後ろという風に。善逸が盾役をこなすというのは、訓練時のお決まりだった。

 雷の呼吸は、あらゆる呼吸の中でも型が極端に少ない。とりわけ使い手が一人だけといった独自の呼吸を抜いた場合、最低数になるだろう。さらに決定力のほぼ全てを壱ノ型に頼っており、つまり居合いができない状況では攻撃手たりえなかった。恐らく、雷の呼吸は木刀での戦いにもっとも向いていない流派だろう。

 が、そんなものは善逸が前に出れば解決する。問題は。

 

(伊之助と無一郎か……これ絶対意図したもんだよな)

 

 共に新たな呼吸を生み出した天才隊士。双方得手不得手や連携の難はあれど、間合いの壊し方が抜群に上手かった。間合いが命の雷の呼吸とは極端に相性が悪い。それこそ連携すらも距離感で作っている。しかも味方は飛び抜けて連携が下手な小芭内。むしろ連携と言うよりは介護の領域だ。

 鱗滝左近次。思っていたより厳しいと言うべきか、意地悪いと言うべきか。なんにしろ、あの炭治郎の師匠をやっていただけはある。

 とはいえ、こうも分かりやすく「一芸だけで誤魔化そうとするな」と言われれば対応しないわけにもいかない。

 総合力で劣っている以上、先手先手で動かなければならない。相手の裏を突いて踏み出した、のだが。

 読まれていたのか、それとも予想外でなお対応が簡単なほど温かったのか。出だしを無一郎にあっさり潰されてしまった。木刀は伸ばす事もできず半端な状態でつばぜり合いする形となる。

 こうなれば当然。

 

「うらああああ!」

 

 伊之助がやってくる訳だ。

 こうなった場合でも小芭内は助けにやってこない。どころか、獲物を刈り取る隙を危機として狙う男だ。こういったところが、散々駄目だしされている部分だと分かっていてなお、彼は修正しない。

 

(まあ)

 

 この程度で我妻善逸がやられるわけないという信頼の裏返しだというのは、ちょっと嬉しかったりする。

 雷の呼吸 弐ノ型・稲魂

 体を捻りつつ腕を折りたたみ、極小空間に型を放つ。

 向き不向きという話の蒸し返しになるが。霞の呼吸と獣の呼吸、共に狭い間合いでの戦いに向かない。とりわけ霞の呼吸は歩法が重要であり、足を止めると型の大半がただの剣術に成り下がってしまう。

 廻した体を無理に戻そうなどとは考えない。素直に一回転して、さらに型を放った。

 雷の呼吸 肆ノ型・遠雷

 攻撃を立てる深さを変えて、無一郎を遠くへ飛ばさせる。一当てされ半端な威力になった伊之助の攻撃を受け止めた。さすがに押し込まれそうだったが、均衡は一瞬だけあればいい。なにせ今回の相棒は、協調性皆無な代わりに好機を絶対見逃さない男だ。

 本人の日輪刀に似せた波打つ剣が伊之助に情け容赦なく振るわれる。しかし、それを見届ける暇はなかった。どうせ仲間が一人死ぬなら、敵にも同じだけ消えて貰おう。冷徹な計算だが冷淡という程ではない。同時に珍しくも。

 肩に木刀を添えて、全身を固める。直後、強烈な衝撃が体に走った。いや、鋭い衝撃と言った方が正確か。首をへし折るのも止む無しといった勢いで木刀が押し込まれ、体ごと後退させられる。時透無一郎の一撃。筋力で劣る彼はしかし、柱随一の技の冴えを持っている。

 足を踏ん張る前に追撃はやってくるだろう。小芭内は、同じく崩れかけた伊之助を攻め落とすのにかかりきり。この場に至っては、善逸と伊之助、どちらを先に落とすかという勝負になっている。

 一瞬、熱界雷で牽制をすべきかという弱気に侵されかけたが。

 

(いや、駄目だ)

 

 半端な姿勢から放つ半端な型など柱には通じない。これは獪岳や慈悟郎に散々突撃癖として怒られてきた。今更ぶりかえせない。

 牽制と反撃を最低限に、とにかく時間を稼ぐ。すぐに立て直して小芭内と優位を作るのが理想だが、さすがにそれほど伊之助は甘くない。善逸が整えば、あちらも再度合流しているだろう。

 そして。初見ならばいざ知らず、何度も繰り返していれば千日手になるのは目に見えていた。呆気なく振り出しに戻る。

 これが二度目三度目の戦いならにらみ合いにもなっていたものの。何度も繰り返せば、様子見をしている余裕もない。速力に優れた善逸と無一郎がぶつかり合いつつもう片方を牽制し、空白を伊之助や小芭内が埋めるという形に収まった。

 これもありがちな事なのだが。初動に失敗すると、退屈な泥仕合に変化する。

 念のため、なんだかんだ言っても柱同士の戦いであり。当然高度な技術や駆け引きの応酬だ。ただまあ同格の者が見ても学ぶ事はあれど面白いものではないとなるのは仕方ない。こちらを目の端に捉えつつも、徐々に雑談の花が咲き始めた。

 

「宇随、煉獄。隊士達の様子はどうだ?」

「思っていたよりは悪くねえなあ。体力はまだまだとはいえ、足はそれなりに速え」

「足捌きと位置取りが格段に良いぞ! 剣技の拙さと比べものにならないから気になったが、どうやら我妻少年が教えたようだな!」

「へえ、そうだったのかい。妙に走るのが上手いと思ったら」

「成る程。我妻は案外育手の才能があるのかもしれぬな」

「うむ! 短期間であれだけの歩法を仕込むのは驚嘆に値する!」

「……下らん」

「父上! そんなこと言うものではありませんぞ!」

 

 なんて話が聞こえてしまえば、目尻も緩もうというもの。なにせ善逸はおだてられればおだてられるだけ調子に乗る類いの人間である故。耳の良さも手伝って、自分を褒めてくれる声は絶対に聞き逃さない。

 が、声に気を取られれば、動きが弛緩するのもまた当り前であり。あ、という小さな声と共に無一郎の木刀が額を、情け容赦のない双剣が動体を、ついでに背中から味方の蹴りが飛んできた。

 

「おい、いきなり気を抜いてどういうつもりだ貴様。死にたいのか? それとも俺に殺されたいのか?」

「ごめんなさいごめんなさい!」

 

 何度も蹴手繰り回される。威力こそ実弥のそれに劣るものの、こちらは急所攻撃に対して一切の躊躇がないため総合的に見れば遙かに響いた。というか体を庇いつつ転がる人間に対して、どうやったら精密に急所ばかり攻撃できるのだろう。技術的にも、心情的にも。

 ごろごろ転がり続けると、やがて行き場を無くす。壁ではない。平らではなくごつごつしていて、後はなんというか、とてつもなく重たい。床を貫通し地中に強く根を張るようなそれは、まるで人間ほどの太さもある竹を連想させた。

 

「何やってんだテメェ」

 

 呆れたように声を出したのは、炭治郎らに次いで関係の深い柱、不死川実弥。残った四人の中で彼にぶつかってしまったのは、とてつもなく運が悪いとしか言えなかった。

 実弥と小芭内、片方でも容赦という言葉を知らないため死にかけるのに、両方揃ったら死ぬを通り越して抉れる。間違いなくいくらか後には道場の汚いシミになってしまうだろう。

 明日の朝食は確か椎茸のおひたしが出たな、食べたかった。などと現実逃避する。ああ、もう朝日を拝むことは二度と無い。

 などと思っていたが、予想に反して返ってきたのは嘆息だけだった。

 

「あでっ」

 

 つま先で軽く頭を小突かれ、強制的に距離を開かされる。

 とりあえずお仕置きの時間ではない事に安堵して、体を持ち上げた。

 

「お前は訓練より優先すべき事があんだろうが。血鬼術は出せるようになったのか?」

「あー……」

 

 思わず気のない返事をしてしまう。

 忘れた訳ではない。忘れたくはあったが。

 獪岳の残した刀は、血鬼術が使えるはずだと目されている。実際、童磨との戦いではそれらしき現象が確認されていた。詳細までは分からないが、獪岳の力がそのまま善逸へと継がれたのも、血鬼術の仕業だという予想だ。

 鬼殺隊は夢想家の集団である。人間以上の化け物である鬼を絶滅させようという組織なのだから、語っている言葉が夢でないと言った所で説得力はない。ただし、それは現実を見ないという意味でもなかった。原因をこれでもかと追求し、徹底的に明かすという夢を忘れた一団という側面も持っている。今回の奇跡が何の理由もなく、ただ獪岳の精神力が成して見せたと暢気に考える者はいなかった。

 獪岳の血鬼術が攻撃的なのは、あくまで能力の一側面でしかない。真価と言えばいいのか本質と言えばいいのか、とにかくそういったものは別にあるはずだ。それをひもとけるのは善逸以外にいないのだが、如何せんまだ発動すらも上手くいっていない。

 

「その、ほんのりと」

「ほんのりとって何だァ。はいかいいえで答えろや」

「ぷふっ」

 

 突っ込む実弥の横で、何がツボに入ったのか、蜜璃が必死に笑いを堪えている。

 誤魔化す善逸に対し、聞き分けのない子供を諭すように、実弥。

 

「本当に分かってんのか? 血鬼術が使えりゃあ、それこそ赫刀以上の切り札になるんだぞ」

 

 当然分かっている。理解できない訳がない。

 血鬼術と言ってもピンキリだが、獪岳のそれは柱三人を戦闘不能にし、内二人を引退まで追い込んだという実績がある。いくら赫刀が鬼に刺さると言っても、血鬼術の威力には足下にも及ばない。

 が、善逸にだって言い分はあった。そもそも血鬼術を使うというのはどういう事なのかと。

 当り前にできる事は全て試したが、刀はうんともすんとも言わない。そもそも善逸の意思で発動できるのかすら定かではない代物だ。善逸に分かるのは、刀を通じて獪岳が持っていた何かが伝わってくる感触は健在のため、血鬼術は消えていないという事だけだ。

 駄目元で、恐らく鬼殺隊でもっとも血鬼術に詳しい玄弥に持ってもらったりもした。結果は現状が語っている。

 

「そ、そんな事より赫刀の実験はどうなったんですか!?」

「誤魔化してんじゃねェ」

 

 ぺしり、と頭を叩かれる。

 

「で、そっちはどうなんだよ。鱗滝サンに冨岡ァ」

 

 険が強い言葉に、小さく悲鳴を上げてしまう。話題選びを間違えた事を悟った。

 実弥は彼らに隔意がある。というのも、まだ禰豆子を庇ったことに納得しきっていないのだ。

 炭治郎はまだいい、というか諦めている節がある。彼の中で炭治郎は、ただの分別がないガキでしかないのだから。見放されたとも言える。しかし二人は違った。共に長く鬼殺隊に籍を置き、柱として組織を支えた実績があるのだ。その怒りは、おいそれと解消できるものではない。

 が、挑戦するような闘気を当てられておきながら、二人は涼しい顔を崩さなかった。

 

「うむ、一般隊士も一応は使えるようになっている。ただし自力でとはいかん。二人の隊士が全力で刀をぶつけ合ってやっとだ。そういった意味では、あまり実用に足るとは言えんな。刃毀れが酷い。一度の戦いで二回、それが限界だろう」

 

 淡々とした業務連絡に、舌打ちが響く。表だって喧嘩する事はできないが、さりとて口では溜飲を下げられない。苛立つだけと分かっていても止められなかった、といいうのがひしひしと伝わってきた。気持ちは分からなくもないが怖いのでほどほどにして頂きたい。

 ただ、一般隊士でも使えるという情報は心強い。全容までは分からないが、善逸もさわり程度なら赫刀の力を把握していた。

 さすがに獪岳の刀を赫刀にする、などという暴挙は行っていない。どれだけ控えめに考えても赫刀と血鬼術の相性は最悪。血鬼術を失う危険を犯すのは、誰一人として承知しなかった。試したのは玄弥の刀でだ。太陽光の力まではさすがに分からないが、相手を斬って焼けるというだけでも意味がある。そう彼は判断した。

 挑発は無意味だと悟って(いつものことだ)、善逸に向き返り。頬をつねってくる。

 

「いいか、テメェが血鬼術を使えるようになりゃ取れる手が広がるんだ。意地でもできるようにしろ」

「ひひゃいひひゃい」

 

 さすがに無茶だろうと思うし、実弥とて自覚がないわけでもあるまい。それでも言うのは、大きな戦いが迫っているが故だろう。普段ならここまで滅茶苦茶な要求はしない……しない、と思いたい。

 話は終わったと、しっしっ、と猫を払うように扱われる。

 こちらは殴られ蹴られ転がされ、散々な目に合っているというのに誰一人として止めてくれない。誰かちょっと優しくしてくれ、と目尻からちょっと涙が零れた。

 稽古は中断され、それを指摘する者もいない。必然、休憩の時間になる。

 小芭内はいつの間にか蜜璃と話し込んでいた。というかこの二人、最近妙に距離が近くないだろうか。許せない。

 善逸が参加した事で一回りしたのだろう、休憩に入った様子だった。

 休むと言っても、それでお茶の一つでも出るわけではない。いや、ここで下手に飲み食いしようものなら地獄を見るのだから当然だが。脇腹が痛くなる程度ならいい方で、攻撃を受けたとき、下手をすると血と一緒に戻してしまう。胃袋に限らず内臓を内外から圧迫されるというのはそれだけで危険だ。

 会話そのものはそこかしこから聞こえてくるが。やはり一番目立つのは、声の大きな伊之助のものである。耳が良すぎる善逸にとって、意識せずとも注意を引かせる声があるのは有り難い。複数の会話が混ざると、たまに気持ち悪くなるのだ。

 

「お前中々強えな。俺程じゃねえが」

「僕の方が強いよ」

「柱って認めてやるぜ!」

「聞いてる? 僕の方が強いって。あと柱になったのも僕が早いから」

 

 興奮して思ったままを口にする伊之助に対し、あくまで淡々と返す無一郎。ある意味炭治郎と組み合わせた時より極端だった。

 

(ていうか時透君怖いんだよなあ)

 

 ばしばしと肩を叩かれる彼の横顔を見ながら、そんなことを独りごちる。

 強い弱いはさておき、無一郎は柱の中でもダントツで一番戦いづらい相手だった。というのも、彼は極端に音の起伏がない。

 これに関しては炭治郎も、そして聞いては居ないが恐らく伊之助も同じ意見だ。善逸と似たような逸脱した感覚を持ち、それを当り前のように行使する類いの者は、感覚が通じない相手と戦うとどうしても狂わされる。とにかく行動の起こりを察知しづらい。

 彼以上のやりづらさは、既に引退した義勇くらいか知らない。逆に分かりやすいのは行冥で、あんな大仏のような面をしておきながら、内面はかなり感情豊かだ。まあ先手を読めるからといって勝てる相手でもないのだが。

 一つ、彼が義勇と違うのは。義勇はただの戦達者な口下手なのに対して、無一郎は本当に感情の起伏がないという点だ。

 はっきり言って、善逸には彼が人間以外の何かに思えて仕方ない。むしろ同じ世界が見えていて普通に接することができる炭治郎こそおかしいと考えていた。

 

「ガハハ! 俺はすげえんだぜ! 最近漢字を覚えたんだ!」

「そう」

「お前の名前、ムイチローって言うんだろ! 俺ぁ読める!」

「誰でも読めるよ」

 

 そして、ある意味異常な胆力の持ち主でもある。

 伊之助と付き合うのは無一郎と真逆の意味で忍耐を要する。端的に言って鬱陶しい。とにかく相手が怒るまで絡んでくるので、ひたすら仲良くなるかすぐさま喧嘩になるかの二択である。あっさり受け流す人というのは初めて見た。無一郎は無一郎で普通じゃないから、という意見もある。

 肩を揺さぶるを通り越し、既に全身を振り回しているような状況だ。意外かもしれないが、無一郎は柱の中でも非力な部類である。平均的な筋力を持つ伊之助には腕力で逆らえない。今のところ、逆らうそぶりも見せていなくはあるけれど。

 

「俺ァ知ってるぜ! ムイチローのムは何も無えって意味なんだろ! ハハハ!」

(おっと)

 

 善逸は言葉に、軽く腰を沈めた。いつでも伊之助を掴んで引き剥がせるように。

 彼の言葉は無一郎を馬鹿にしている――本人にそのつもりはないだろうが、取り方によっては名前を馬鹿にしているものだ。

 名前とはある種の聖域。そこに愛が籠っていたり、或いは他の何かが込められていたりする。善逸とて、慈悟郎から貰った“善逸”という名を馬鹿にされたら激憤する自信があった。例えそれが無自覚な伊之助の言葉でも。

 だが、無一郎の反応は想定したものではなかった。全くの無視ではない。かといって怒るでも。これは、なんと言えばいいのか。驚嘆と郷愁、だろうか。珍しく目を見開いている。

 

「今、なんて……」

「他にも知ってるぜ! 無限の“無”だ! 無限は知ってるか? 最初は何もねえけど、代わりに何をいくらでも得られるって意味だ。そういや“有無”ってのもあったな。お前に兄弟がいたら有一郎だぜ。簡単な名前だな、ガハハ!」

「その、言、葉……」

「どうだ頭いいだろう! 昨日憶えたんだぜ! もう頭もお前よりいい!」

「いや、ちょっと黙っ……」

「オメェも弱味噌だ! ハーッハッハッハッハ!」

「うるさい」

 

 即座に腹へ拳がめり込み、伊之助は悶絶した。鳩尾に真っ直ぐ突き刺さっていた。あれは痛みこそ大した事ないが、とにかく苦しいのだ。

 理由は分からないが感情の色が聞こえてきた無一郎から、再び揺らぎがなくなる。といっても、今までと同じではない。表現は難しいのだが、とにかくこう、少し前より高水準で安定しているとでも言えばいいのか。

 一瞬。

 ふと無一郎の音が華やいだ気がした。そして、彼が微笑みを浮かべた気がした。

 見間違いかも知れないし、幻想かもしれない。むしろ光の加減でそう見えてしまっただけと言われた方がまだ可能性がある。だが。嘘である明確な根拠もないと思ってしまうのは、そうだったらいいなと考えた故だろうか。

 

「……、ありがとう。兄さんのこと、思い出せた」

「お、め……いきなり、腹、殴、っといて……ありがと、だ?」

 

 つっかえつっかえ、怒りを滲ませて吐き出す伊之助。最後の力で足を踏みしめ、なんとか倒れまいとしていた。お面の下から微かに聞こえる変な音は、口の端から泡を吹いているからだろう。

 

「僕は誰かの為になれる自分になりたいと思って……それは兄さんに否定されて……でも僕のためを思った言葉で……ああ、そうか。僕は兄さんになって自分を誤魔化そうとしていたのか」

 

 言葉は、多分伊之助に聞かせようとしている。が、言葉が上手くないのと伊之助が聞いていないので、全く意味を成していなかった。

 勢いのまま盗み聞きみたいな形で聞き続けていたが、本当に自分が聞いてしまっていいものなのだろうか、と悩む。多分怒られないし何なら歯牙にもかけられないだろうが、据わりは悪かった。

 呼吸を整え終えた伊之助が、跳ね上がって起きた。

 

「ブッ殺ス!」

「あ、そう言えば君、山出身なんだっけ? それにしては弱いね。指導してあげようか?」

「引き千切って殺す!」

 

 無一郎の挑発めいた言葉も悪戯っぽい様子も初めて見るものだった。それは伊之助だけではなく、周囲の柱も同じだったらしい。彼の台詞を聞いて、視線が一瞬集まった。大半はすぐ目をそらしたが、一部、小さく頷いていた。彼らは事情を知っていそうだ。あとで聞いてみるのもいいかもしれない。

 木刀を掲げた伊之助を、無一郎が迎え撃った。私闘のように見えるものの、誰も指摘しないあたり許容範囲内なのだろう。

 景気よくぶつかり合っているように見えるが、実際は小さくこすれる音がするだけ。と言うことは、無一郎が完璧に守り切っている証明でもある。本調子でない上、柱が防御に徹すればこの結果を見るまでもない。

 無一郎は防御も上手い。霞の呼吸は風の呼吸の派生、かなり攻撃的な呼吸の筈だが。こういった姿を見ると、水の呼吸の使い手と比べても遜色ないように見えた。さすがに水柱である炭治郎ほどではないけれども。

 

(……てか、ちょっと上手すぎないか?)

 

 気のせいでなければ、彼の動きが一段洗練されているように見える。いや、ちょっと違うだろうか。思い切りが良くなった、もしくは判断の出だし早くなった。

 柱が極端に強くなる事はない。正しく言うなら難しい、か。今、それがあったようには見えなかったが。とはいえ理屈より目の前で起きている現実を信じるしかない。ある程度いい勝負をできていた二人だった筈なのに、今は片方が手玉に取られている。

 

(天才)

 

 そんな単語を思い出す。陳腐な、そして無責任に過ぎる言葉。

 無一郎が常日頃から尋常ではない努力をしているのは周知の事実だ。しかし努力がそのまま実力に結びつく姿を見せられると、同時に細やかなきっかけで数段飛ばしに強くなる様を披露されると、他に単語が思いつかない。彼は剣に愛されている。壱ノ型以外に恵まれなかった自分や、壱ノ型に嫌われた獪岳とは大違いだ。

 どんどん鋭さを増す剣技を、ぼんやり眺めながら。

 

(ま、嫉妬できるほど、俺は熱心じゃないけど)

 

 生き残れる程度に強ければいい。できれば五体満足で。ついでに敵を倒せたらいいな。善逸が抱えるものなんてそんなもんだ。何を見せられても自分如きとは違うな、以外に出てこない。

 そもそもずるいと言ったら善逸が一番ずるいのだし。何せ獪岳のお情けで柱になれた。なってしまったとも言う。

 

「そろそろ再開……と言いたいところだが、儂はこの辺で去らねばならん。後は任せて良いか、槇寿郎殿」

「ああ、お館様への忠誠分くらいは働くとも」

「うむ、何より」

 

 呟き、左近次は仮面を避けて顎を器用に撫でた。

 実のところ、この古い柱は特に意味も無く山から下ろされた訳ではない。彼にしかできない役割があり――

 

「…………」

「ギリギリギリ……」

 

 それがとてつもなく妬ましい。

 

「威嚇してんじゃねえよバカタレ」

 

 後頭部を実弥に引っぱたかれた。

 

「その、なんだ。儂を睨まれてもこればかりはどうしようもない。禰豆子の位置は教えてやれんし、無闇に接触できる者を増やすわけにもいかん。」

「ええ、ええ。理屈の上では分かってますよ」

 

 禰豆子は最上級の餌であり、同時にむき出しの弱点でもある。

 こちらが鬼を全て討伐しなければいけないのに対し、実のところ鬼舞辻無惨は鬼殺隊を相手にする必要など全くない。禰豆子さえ喰らってしまえばそれで済む話なのだ。ただ本部の隠蔽があまりにも巧みすぎるため、鬼殺隊壊滅を先に実行せざるをえないだけで。

 厄介なのは、鬼の目的と鬼舞辻無惨の目的は同じようで違うという点だ。恐らく鬼舞辻無惨にとっては、自分だけが生き残り太陽を克服すればいいのだろう。なにせ鬼はいくらでも作り出せる。鬼舞辻無惨に鬼を見捨てさせない為には、可及的に速やかに鬼殺隊の殲滅と竈門禰豆子の確保を両立する必要があった。

 理想で言うなら、相手が思いも付かない場所に封じ込めるのがいいのだろう。しかし禰豆子が自我を取り戻したとて、未だに内面は幼子のそれ。ましてや膂力が鬼のままとあれば、下手に閉じ込めておく事もできない。世話役が必要なのだ。そこで白羽の矢が立ったのが、交友のある鱗滝左近次だ。

 禰豆子の居場所を知る者はまずいない。本部直属の隠とて知っている者は極端に限られているだろう。いや、もしかしたら本部すら正確な居場所は知らないかも知れない。

 今はそれぞれの思惑を元に慎重な駆け引きをしている。「どこでぶつかり合うか」という要点だけを共通して。

 無惨の勝利条件は緩く、それ以外の者にとっては厳しい。面倒な話だ。

 分かっていてもずるいものはずるい。嫉妬あふるる。

 

「なに、もうすぐ鬼舞辻無惨は倒されるし禰豆子も人に戻る。そうなったら存分に語らってやれ」

「むう……」

 

 これが別の人間なら、まだつっかかりもするのだろうが。彼には貫禄があった。有無を言わせない畏怖ではない。なんとなく言うとおりにしておいた方がいいのだと納豆してしまうようなもの。

 この感覚には覚えがあった。まだ小さい頃、慈悟郎に優しく諭されると同じ感情を抱えたのがうっすら記憶にある。いつからか、怒鳴られ頭を叩かれ育てられるようになったので忘れていたが。

 

「いいもんね。禰豆子ちゃんが戻ったらたっぷり話すんだ」

「是非ともそうしろ」

 

 言いながら頭を撫でられると、さすがに子供扱いされすぎて気恥ずかしい。とはいえ、齢六十に届くような老人から見れば、善逸など赤子も同然でしかないか。

 

(俺も同じくらいの歳になれば分かるのかなあ)

 

 と考えて。自分の寿命は現在二十五歳だと思い出し、少し落ち込んだ。痣を出せば本当に寿命がそこまでになるかはっきりしていないが、今のところ否定できる要素も存在しない。痣を使っている時、自分の中の何かがごっそり抜け落ちていく感覚をはっきり感じ取っているだけ余計に。

 慈悟郎が退出するのを見送って間もなく。いきなり襟首を引っ張られた。

 

「善逸、付き合え」

「え、何、なんすか」

 

 表面上は隠しているが。思い切り不機嫌な音を鳴らしている実弥に、強い警戒心を出す。

 警戒心を肯定するかのように、実弥は顔をへし曲げた。

 

「楽しい楽しいお話をすんだよォ。いいから付いてこい」

「ひえっ」

 

 考えていた中でも最悪のお声かけである。こんなの何をどうしたて酷い目にしか合わない。最悪、自分が盾にされて無抵抗で殴られ続ける。

 

「い、いやでも、基本接触禁止になってるでしょ!?」

「立会人がいりゃあいいって話だろうがよォ」

「二人! 二人必要だから! 俺だけとか無理だから!」

「チッ、細けえな。じゃあオイ、時透」

 

 声をかけられ、無一郎が小さくこちらを見る。戦いは佳境とでも言えばいいのか、伊之助の背後に回ってなんだかよく分からない関節技を仕掛けている所だった。伊之助は関節がやたらめったら柔らかい上、全身脱着自在なので、恐ろしく奇妙な形で絡み合っている。

 

(げっ)

 

 実弥が指名した相手を見ながら、善逸は思い切り頬を引きつらせた。

 彼は大体何に対しても、我関せずという態度を貫く。つまり実弥が激した場合、善逸がたった一人で止めなければならないのだ。いくら興味が無いからって、人がボコボコに殴られている様を眺めながらあくびをするのは酷いと思う。

 止めない人間と逆らえない人間の組み合わせに味を占めた実弥は、それ以降、何かと理由を付けてこの二人を指名していた。きっぱりといい迷惑だ。

 しかし。今日はそこで待ったの声がかかった。

 

「不死川! その二人を帯同にするのは許されんぞ! お館様から連れて行くなら片方もしくは三名にしろと連絡があった!」

「あァ?」

「ほっ」

 

 杏寿郎の声に、いかにも面倒くさそうに声を上げる。反対に、善逸は安堵に息を漏らした。

 思ってみれば、前回前々回と仲裁役の役割を全く果たせず、結局話を聞かない実弥が暴れるがままだったのだ。そりゃ誰だって失敗の実績がある二人に任せようとは思うまい。それこそお館様でなくとも下す判断だ。

 これで自分は巻き込まれないかも知れない。密かに安堵した直後。

 

「仕方ねえ。善逸、テメェはとりあえず付いてこい」

「ですよねぇ!」

 

 まあどちらかしか連れて行けないなら、少しでも御しやすい善逸を連れていこうとするのはわかりきっていた。善逸は風柱の元継子だと思われているし、否定できる要素もない。ましてや秘密でも何でも無いのだし。実弥に逆らえないというのは、それこそ今更の話である。

 わかりきった事実を改めて突きつけられただけ。そう思うことにして、全身を脱力させる。元より実弥が本気になって逃げられた試しなど無い。

 

「煉獄、お前時間あるか?」

「む。父上、どうでしょうか」

「……お前如きの腕前で、他人にかかずらう余裕などあると思っているのか?」

「これは耳が痛い! しかし決して無駄な時間などではありません! 不死川に必要な事です!」

「ふん。勝手にしろ」

「はっ! 確と勤めを果たしてきます!」

 

 いちいち大仰というかうるさいというか、とにかくそんな様子の杏寿郎。正反対にうらぶれている槇寿郎。親子仲が悪いわけではないものの、拗れてはいるようだ。微妙に噛み合っていない。

 とはいえ程度など知れているのか、それとも鬼狩りには影響がない為か。いちいち是正させようとする者はいない。

 

(家庭の問題かぁ)

 

 思い返せば、そういったものにとんと縁が無い人生だった。いや、問題があるにはあった。物心つく頃には既に親から捨てられていたという事実は、さすがに円満と表現するには語弊がありすぎる。ただまあ、慈悟郎に助けられるまではおよそ家族と言える存在はいなかったし、山に招かれてからは概ね満足している。

 鬼殺隊には、案外家庭環境に問題がある者は多い。鬼に壊されたという点を度外視してもだ。

 心地よい家庭がどれほど救いになるかを知っている。だから、できるなら助けになりたいと思っていた。同時に、他人の事情に嘴を突っ込むのはどうか、という思考もある。

 まあ、何がどうであっても無意味に殴られるのは御免被るが。

 引きずられ続けるのも心地よくはないため、自分の足で歩く。それでも逃亡防止に襟を掴まれているのは、信頼のなさを嘆けばいいのか。まあ自由であったら逃げるので間違いではない。

 

「……あの」

 

 柱三人で夜を歩くという、ある意味異様な空間で。ぽつりと善逸が呟く。

 返事はなかった。実弥は声をかけても視線を飛ばしてくるだけなので、返答がない事事態は特におかしくもない。ただし、聞いているという仕草すら見せないのは不機嫌な証拠だ。

 

「今日は暴力なしでお願いします」

「相手次第だなァ」

「それ絶対殴りかかるやつじゃん!」

 

 両者の意見が合わないだけならまだしも、即殴りかかって押し通すというのは、およそ文明的な人間のすることではない。いくら鬼殺隊が前時代的な蛮族の集まりだと言っても、彼は飛び抜けて頭おかしかった。

 

「そう悲観するな我妻少年。今回は俺もいるのだからな」

 

 呵々大笑する杏寿郎を、一体どこまで信じていいのやら。

 善逸は杏寿郎とほとんど関わりが無い。というか、実のところまともな会話すら初めてではないだろうか。こうなるならば、炭治郎あたりに人となりを少しでも聞いておけばよかった。一応、短い会話でも人の良さは伝わってくるが。

 ちなみに、炭治郎ら三人はまだ少年呼びだった。甘えが抜ければそのうち呼びつけにしてもらえるのだろうか。年下の無一郎は時透と呼ばれている姿を見ると、さすがに威厳の違いを感じる。

 

「それに、彼はいい隊士だ。不死川も分かっているさ」

「多分この中で誰より知ってるけど。だから絶対喧嘩になるとも思ってるし。それより一緒に体張ってくれよ! 俺だけ殴られんの絶対嫌だからな!」

「はっはっはっ! 分かっているとも!」

「さっきからテメェ……俺を何だと思ってやがんだ?」

「異常者ぁぁぁああ! いだだだだだ!」

 

 本音を言ったら首の骨が折れんばかりの勢いで捻られた。理不尽が痛みと共に全身を伝う。

 さほど本気では無かったため、手はすぐに離され、再び襟を掴まれた。多分跡が残った首筋を軽くさする。

 どれほど時間はかからず辿り着いたのは、煉獄邸にある部屋の一つ。実弥が声もかけずに障子戸を開くと、中の視線が一斉に集まり、そして思い切りぎょっとされる。まあ柱がいきなり三人も現れれば当然の反応だ。

 部屋の中には布団が六つ敷いてあり、当然同じだけの隊士が転がっている。彼らはいくつかの柱稽古を突破し、煉獄杏寿郎の訓練まで到達した者達だ。その顔ぶれの一は、善逸も知っている顔だった。かつて共闘し上弦の伍討伐に少なからず貢献した男、不死川玄弥。風柱の弟。

 他の者が全員ただただ驚愕しているのに対し、玄弥だけはとこか沈んだ雰囲気がある。

 不死川兄弟。彼らの間にどんな事情があるかなど知りようもない。ただ玄弥からは強い後悔と引け目の音が聞こえるし、実弥は常に怒っている。玄弥を憎々しく思っている訳ではないのは分かるのだが、それ以上は判断できなかった。ぼんやりと、玄弥を取り巻く何かが許せないのだろう、とは察していたが。

 

「来い」

 

 顎をしゃくりながらの短い一言に、無関係な五人が一斉にびくりと震えた。柱だという点を差し引いても、顔中傷だらけで目も血走った巨漢の男に言われれば怖いだろう。

 残る一人、玄弥は顔面蒼白になりながら体を起こした。呼ばれたのが彼だと知って、残りの者が露骨にほっとする。

 玄弥に言葉はない。正直に言って有り難かった。何が実弥の琴線に触れるか分からないのだから。以前実弥が激した時は、それはもう大変だった。自分はボコボコに殴られるし玄弥は逃げてくれないし無一郎はただ見ているだけだしで。

 気まずい空気のまま空き室へと連れて行かれる、と思っていたが。空気を読めないのかそれともこの上なく読んだのか、杏寿郎が声をかけた。

 

「そう暗い顔をするな、不死川少年……では判別ができんな。玄弥少年! 君の実力は今までの柱が認めたものだし、俺も高く評価している」

「あ、ありがとうございます」

「やめろ煉獄。コイツに余計な事言うんじゃねえ」

「不死川は何が気に入らんのだ? 彼はよくやっているぞ。なあ我妻少年!」

「えっあっはい、そうですね」

 

 思わず肯定してしまうと、ぎろりと上から睨まれる。思わず体を竦ませた。

 玄弥の柱稽古合流は後発と言っていいほど遅かったが、反面突破はとてつもなく早い。ほぼ最短と言っていいだろう。善逸の稽古は単独で接触できた者も突破させていたが、その一人が彼だ。

 聞けば、玉壺討伐助力の功で丙にまで階級が上がったという。はっきり言って、これは低すぎる。体質の特殊性や血鬼術まで加味すれば、最低でも乙上位、甲であってもおかしくない。そうなっていないのは、誰かの手が回った気がしてならない。どうにかして玄弥の動きを制限したい誰かの。

 辿り着いた部屋は、中央に囲炉裏がある古風な部屋だった。使うことは最初から想定されていたのだろう、炭が焚いてあり、中は暖かい。都会では部屋の隅に金属の箱を設置し燃料をくべるストーブなるものが主流になっており、田舎ではそもそも貴重な燃料で室内全部を暖めるという発想がない。そのため、現役で囲炉裏が活躍しているのはかなり珍しい事だった。

 こんな部屋を宛がわれたのには理由がある。言わずもがな、実弥の動きを少しでも鈍らせるためだ。

 囲炉裏を中心に実弥の対面に玄弥を座らせ、さらに両脇を柱二人で固める。これならば怒りにまかせて突進されても、先に止める事を期待できた。

 

(そんなことをしなくて済むのが一番いいんだけど)

 

 実弥はとてつもなく強い。それは剣を持っていても、素手だとしてもだ。

 獪岳も喧嘩はとてつもなく強かったが、その経験を持ってしても止められない。本気になって暴れられたら、押さえ込めるのは行冥だけだろう。獪岳は十歳にも満たない頃から大人の筋者相手に戦い続けた。それを一蹴するなど、一体どんな人生を歩んできたらそうなるのか。少なくとも相手機にしてきたのはチンピラ程度ではない。最低でも軍の正規兵、下手をすれば鬼だ。

 

(確かに日輪刀なしで鬼を殺した人間に前例がない訳じゃないけど……)

 

 いつごろ日輪刀が開発されたかは知らないが、少なくともそれまでは通常の武器で鬼を殺してきたはずだ。柱にしたって、少なくとも行冥と無一郎は夜が明けるまで鬼をすり潰し続けたと聞いている。が、どうも実弥がぽろりと零した所によれば、一度や二度ではないらしい。発想も行動も異次元過ぎて頭が追いつかなかった。

 全員が座ると、静かな吐息……というか実弥の威嚇音だけが響く。

 今更だが。そもそも話とは何だろうと、ふと思う。これまでの顔合わせは全て即座に暴れられたため、会話という土台にすら立っていなかった。

 いきなり半殺しにしようとはしなかったが、しかし口から出た言葉は暴力と大差ないものだった。

 

「テメェ鬼殺隊辞めろ。才能ねえんだよ」

「あるぞ!」

「お前は黙っとけ!」

 

 いきなり野次(で合ってるのかは微妙だが)を飛ばす杏寿郎に、思わず怒鳴り返す実弥。といってもそこに本物の怒りはない。両者の信頼関係が窺える。杏寿郎が柱きっての人格者というのもあるだろうが。

 ともあれ、杏寿郎が比較的玄弥側に立っていくれるのは有り難い。後味悪くならない限り結果に興味などない。可能な限り今回で終わらせてほしかった。何かある度に呼び出されるのは自分なのだから。

 気を取り直して実弥が告げる。

 

「呼吸は仕えねェ銃を使う、おまけに鬼喰いだァ? んなことしなきゃいけねえ奴が隊士なんざやってるんじゃねえよ。いいから辞めろ」

「…………」

 

 玄弥は青い顔をして俯いた。善逸は勿論、杏寿郎すらも口を挟まない。言葉は一種の真理だったから。

 そもそも、なぜ呼吸という技術が隊士の基礎となり、持て囃されているのか。これは鬼の性能に由来する。異能の鬼だろうがそうでなかろうが、共通する部分。ある意味において不死身である点以上に厄介なそれは、純然たる身体能力だ。

 仮に鬼が不死身ではなく再生能力もなかったとして、普通の軍隊に鬼が倒せるだろうか。全く通用しないという事はないだろう。ただし、たった一人を討伐するのに数百人という犠牲を出す羽目になる。

 銃を装備して隊を組んだとして、照準を合わせる事ができない。運良く狙いを定められたとしても、引き金を引く頃にはそこにいない。弾丸さえ当たらなければ、そこにいるのは棒立ちの人間だ。

 こんな状態だからこそ、銃が生まれて数百年も経った現代で刀を持って突撃などという狂気の沙汰に身を浸している。

 呼吸は鬼に追いすがれる、現状唯一の手段だ。それができないなら隊士をすべきでないというは、正しすぎるほど正しい。

 

「俺、は……」

 

 今にも消えそうな声で囁く玄弥。顔はずっと青いままだし、視線も下を向いている。一度として兄である筈の男へ向けることができていない。

 

「ずっと兄貴の役に立ちたくて……」

「テメェの助けなんざいらねェよ」

「それに……あの時の事も謝りたくて」

(あの時?)

 

 玄弥は気付いていなかっただろうが。彼の言葉で、実弥の心が強く揺れた。杏寿郎もそれに気付き、小さく眉をひそめる。

 あの時とやらが何だったのかはこの際どうでもいい。誰にだって人に言えない事情はあるのだし、そもそも鬼殺隊になど入っていれば、それが鬼に関する事だと簡単に察せられる。

 問題は、実弥が苛立ちを憶えたという点だった。怒りではなく苛立ち。善逸も初めて見る反応だ。

 彼は基本的に感情をため込まない。殴れない場合でも、怒鳴りつけるなりしてその場で全て発散し、尾を引かない。そこで抑えるという事を知らないからこそ誤解の多い人柄でもあるのだが。

 ぎりりという音がする。実弥が強く拳を握りしめた音だ。いつでも動けるように、静かにつま先を立てた。そんな動きもお見通しだっただろうが、何もしないよりはましだ。

 が、体を跳ねさせる事はなかった。限界ぎりぎりで実弥が堪えたために。

 

「俺が謝罪を受け入れたら、お前は隊士を辞めんのか?」

「違う! 俺は……」

「ぐちぐちぐちぐちとクソみてえな我儘ばっかり言いやがってよォ! そんなに鬼殺隊にいたきゃ隠でも何でもいいだろうが! なんでよりにもよって隊士なんだよォ!」

「少しでも兄貴の、兄ちゃんの力になりたくて!」

「なるわけねえだろォが! テメェ如き雑魚が!」

 

 兄弟で一言発する度に炉縁を叩き、灰が小さく浮き上がる。もう玄弥に遠慮は見えず、いつかのように己の感情丸出しにしていた。

 興奮すると見境を無くす姿は、確かに兄弟そのものだ。

 互いに好き放題叫び、中にはただの罵詈雑言まで散見される。しかし善逸は気付いていた。そんな状態であっても、彼らは最後の一線、心の奥底に隠した本音だけは明かしていない。

 嘘など無い。本音を吐いてもいる。ただし、真実だけはどこにもない。

 

(そこを明かしてくれないと、多分話は終わらないよなあ)

 

 ついに手が出始めたのを、体を張って止める。幸いにも実弥を杏寿郎が止めてくれたため、自分より弱い玄弥を押さえ込むだけで済んだ。

 

(てか煉獄さんは殴らないんだな。俺は容赦なくぶん殴るくせに)

 

 こういう所でも信頼の違いを感じる。同時に、昔殴られた場所が疼いた。

 時間があいたおかげで、なんとか両者、暴れるのはやめてくれた。と言っても何かが改善した訳ではなく、互いに息を荒らげながら睨み合っている。二人とも体格がよく目つきが鋭い、おまけに顔傷まであるため、知らない人が見れば殺し合いに思えただろう。

 誰もが平静さを失う中。静謐な、しかし決して無視できない力のこもった声が響く。

 

「不死川」

 

 混乱の中、ただ一人杏寿郎だけが冷静だった。長く柱を務めた者だけが出せる何かで、強制的に実弥を押さえ込む。

 

「それでは駄目だ」

 

 真っ直ぐ燃えさかる瞳に射貫かれ、男がたじろぐ。

 

「言うべき事はしっかりと言葉にしなくてはならない。態度で見せる、などというのは虫のいい話だ。しっかりと相手を見て、本音を吐き出せ。手遅れになってからでは遅いのだ。それに――お前の弟が強いのなんて、お前自身が一番よく分かっているだろう?」

 

 純粋な目。しかし無垢な物とは違う。現実を知り、打ちのめされ、それでもなお真っ直ぐである事を辞めなかった者だけに宿るもの。炭治郎と同質の、それでいて彼を何倍も太くした寛容な威厳。まるで太陽が宿ったみたいだ、などと善逸は思った。

 最初、実弥は子供じみた反抗心で杏寿郎を振り払おうとしていた。しかし、どう言いつくろった所で実行してしまえば惨めなだけだ。力を込め手が杏寿郎に接触することはなく。諦めの吐息と同時に力が抜けた。

 実弥と杏寿郎の体が離れた――のは、実弥が後退したからだ。さして遠くない壁に背中を預け、ずるずると座り込む。自在鉤を伝って天井に向けられた視線は、どこにも焦点を定めず茫洋としていた。

 

「お前は、家族が殺された日の事を憶えてるか?」

「あ……」

 

 紅潮していた玄弥の顔から一瞬で血の気が引く。一目で分かるほど全身が弛緩していた。顔を伏せる様は、まるで罪人が懺悔に頚を差し出すようだ。

 

「ごめん……ごめん、なさい。あの時は気が動転してて、母ちゃんが、鬼になっちまったんだって分からなくて。兄貴を、責めちまった……」

「んなこたあいいんだよ」

 

 言葉は、しかしばっさり切り捨てられる。

 玄弥はぽかんとしながら顔を上げた。ぼんやりとしたままの男は、未だに曖昧な状態で空を仰いだままだ。

 

「どうでもいいんだ。本当に。お前は弟で、俺が兄貴なんだから」

 

 家族として、そして兄としての言葉に、杏寿郎も大きく頷いていた。

 弟と呼べる存在が居なかった善逸には、彼らの感情を理解しきることは難しい。ただ、兄がそういう目で弟を見ているのだというのは知っていた。どれだけ突き放されようと、山ほど罵られようと、しこたま殴られようと、決して見捨てない。獪岳が、ずっとそうして見守っていた。

 

「怖くなった」

 

 言葉を続けても、実弥は視線を戻さなかった。頑なにすら思える様子は、多分、玄弥を直視できないからだろう。

 

「他の兄弟みてえに、お前が殺されるのが怖くなった。お袋みてえに鬼にされて、最後は俺が殺す羽目になるんじゃねえかって思ったら吐き気がした。だから……鬼を殺すって決めた時、お前を置いてったんだ。そうすりゃあ、お前はこっちの世界なんざ関係ねえ所で生きててくれると思った。思ったのによォ……」

 

 ぎりり、と派の軋む音。視線を上げた実弥からは、また激情が復活していた。ただし、今回は殺意など混じっていない。やり場のない感情の渦。

 

「いつの間にか隊士になって……悲鳴嶼さんの継子になんざなってて……あげくに上弦へ特攻なんてしやがってよォ。本当に、馬鹿な奴だよテメェは」

 

 合点がいった。

 死なれるくらいなら。鬼になってしまうくらいなら。二度と戦えなくなる程に痛めつけた方が何倍もましだと思ったのだろう。

 それで暴力に頼るというのは、控えめに言っても利口なやり方ではないが。ましてや玄弥は鬼の体質を奪い取れるため、理論上では無限に再生できる。骨を折ろうが四肢をもぎ取ろうが、ただ痛めつける以上の意味は無い。

 隊士は鬼を狩る存在であると同時に、疵を知るでもある。体の痛みではない。心に深く刺さった棘。だから優しいと言うほど簡単ではないが、それでも共感はしてしまう。実弥が弟の弱い部分を抉ろうとする事に、何も思わない訳がなかった。

 

(強く在るのは難しい。でも、それと同じくらい、弱くなるのの難しいんだ)

 

 逃げるのと弱いのは、似ているようで全く違う。善逸だって今まで何度も逃げ出したが、弱くなろうと思ったことは終ぞなかった。もしその選択を一度でもしていたら、獪岳も慈悟郎も、自分を引き留めようとはしなかっただろう。

 弱点をむき出しにして生きるというのはとても辛い。少なくとも彼には、死ぬのとどちらがマシか判断つかなかった。

 実弥は死ぬくらいなら弱くなってくれた方がいいと願った。玄弥は兄の前でもう弱くはいられないと決めた。互いを想うが故のすれ違い。

 

「お前は普通に生きろよ、玄弥。いい嫁貰って、子供作って、家族の為にひーこらいいながら金稼いでよ。そんな人生でいいじゃねえか。死んじまったお袋や兄弟達がそうしたかったように。鬼の事なんか……俺の事なんざ、忘れて、よ」

「嫌だ!」

 

 言葉を遮りながら絶叫する玄弥。

 一瞬、ぽかんとしていたが。実弥はすぐに状況を理解し、眉をつり上げた。

 

「テメェ……!」

「誓ったじゃないか! 兄貴と俺で家族を守るんだって! 結局守れなかったけど……だからって今更、俺だけを置き去りにしないでくれよ!」

「我儘ばっかり言いやがってブチ殺すぞガキィ!」

 

 膨れ上がる意思に、思わず総毛立つ。

 ここまで感情が強くなってしまえば、もはや殺意害意のあるなしなど関係ない。ましてやこの実力差だ。どれほどの時間も要らずに、二度と動けないまでに体を破壊するだろう。たった二人で止められる自信もなかった。

 善逸と杏寿郎が死ぬ気で足止めして、どれほど稼げるか。騒ぎが届いて行冥が駆けつけてくれるまでどれほど必要だろう。半殺しくらいは覚悟せねばなるまい。

 だが結局、それが試される事はなかった。実弥は正面を向いたまま、石のように固まる。

 視線を追いかけてみると。そこでは、玄弥が土下座をしていた。

 

「お願いします。兄貴のためだとか格好付けた言い方はもうしません。せめて最後だけは、兄貴と一緒に戦わせて下さい」

 

 動きが止まった二人に戸惑い、善逸は杏寿郎に視線をやる。彼は小さく頭を振った。ここで鑑賞するのは野暮だと言う事だろう。そう判断されては、静かに住まいを正すしかない。

 視線と共に強烈な意思を叩き付けながら、どれだけの時間が経っただろうか。状況が動かないまま、炭が熱に弾かれる音だけが僅かに届く。

 

「最後の戦いだけは……兄ちゃんの隣にいさせてくれ」

 

 血を吐くような言葉に。もしかしたら、それこそが玄弥の弱さだったのだろうか。

 そして。

 

「…………。死んでみろ、あの世まで追いかけてぶっ殺してやるからな」

 

 それだけを吐き捨てて、実弥は部屋を出て行った。

 ぽかんとた顔で、玄弥が顔を上げる。身勝手にとっとと消えてしまった兄の背中を、目だけで追いかけていた。

 呆けたままの彼に、杏寿郎が軽く肩を叩いた。

 

「君の勝ちだ。いや、兄弟喧嘩に勝ち負けを付けるのもおかしい話だろうがな。不死川は君を認めたのだよ。とても不器用だったがな!」

 

 はは、と笑い飛ばす声に。実弥と善逸は、同時に脱力していた。彼同様、善逸までもかなりの緊張を強いられていたらしい。

 

「おい玄弥、お前本当に死ぬなよ」

「死ぬ気なんざさらさらねえよ。と言うかなんでお前にまで言われんだ」

「俺はお前の兄貴に下僕か何かだと思われてんの! 何かあったら真っ先に蹴り出されるんだからな!」

「断れよ、弱えなオイ」

「うるさい! お前の兄貴怖いんだよ! 逆らえる訳ないだろ!」

「声を大きくして言う事じゃねえだろ……」

 

 ぐうの音も出ない正論だが、正論で世の中動かないのもまた正論だ。なので自分は間違ってない、と念じた。

 

「オイ」

「ひぃ!」

 

 と、いきなり戻ってきた実弥が、体半分だけ出して声をかけてくる。あまりにも予想外だったため、変な声を上げてしまった。

 

「テメェは人一倍扱くからな。生半可な事で俺の稽古を通り抜けられると思うんじゃねえぞ」

「あ……。分かったよ!」

 

 玄弥は嬉しそうに返事をしたが、それを見ながら善逸は青ざめる。

 実弥が容赦をしないと言ったら本当に容赦が無いのだ。具体的には、青あざがない部分の方が少ないほど殴られ続ける。

 言うだけ言って、とっとと去ってしまう。今度は耳を澄ませて、途中で折り返してこない事を確認し、ほっと一息ついた。

 ちらりと横を見る。気合いたっぷりといった様子の玄弥に、何も知らないって幸せだなあとぼんやり思った。多分、その幸せはどれほども持つまい。

 

「玄弥少年、君は必ず期待に応えなければならないぞ!」

「うっす!」

 

 気合いを入れる様子に。善逸はひっそり、うらやましいと感じた。

 どれだけ苦しい目が待っていようとも、それは自分がいくら望んだところでもう二度と得られないものなのだから。

 できれば二人とも生き残って欲しい。生き残れるように努力しよう。そんな風に思いながら、ただただ彼らから感じる眩しさを眺め続けた。

 

 

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