獪岳と善逸 作:山筋
視界にある全てが粉砕され、目の前が赤一色になった、のは一瞬だけだった。すぐに暗闇となったのは、恐らく眼球が焼けてしまったからだろう。全身が叩き付けられるように揺さぶられ、体が削られるのを自覚する。
全ての感覚をかき回されながらも、無惨は答えに辿り着いていた。
(爆……弾!)
それも鬼の中で最高の強度を誇る体を壊すのだから、並大抵の爆薬量ではない。
幸いに、と言うべきかは分からないが、爆風に骨まで到達するほどの威力はなかった。猩々緋鉱石を使った金属片を混ぜて再生を阻害するよう試みたようだが、所詮は焼け石に水だ。自分にとってさしたる影響はない。これならまだ、あの骨まで砕いた鉄球の方が高威力だった程だ。
再生力を優先して目に回す。熱気に瞳を乾かされながらも、すぐに視界は復活した。
一帯は焼け野原となっていた。屋敷本体は元より、長屋門に至るまで綺麗さっぱり消し飛んでいる。それこそ木片の一つとして確認できない。
爆心地は正面、産屋敷が寝ていた場所の真下あたりだろうか。つまり奴は。
(己の身を囮にして、私を巻き込もうとしたのか!? 産屋敷……! どいつもこいつも頭のいかれた連中め!)
強く吐き捨てる。
が、何もかもが相手の想定通りという訳ではない。幸運不運入りじまいって、あらゆる不確定要素があった。それは柱による産屋敷の救出であり、そして無惨にほんの僅かな時間を与えたことだ。
この自爆こそが本来の予定だとするならば、ここで終わりの筈がない。必ず混乱に乗じて、何かしらの本命が来るだろう。
(どこから……何が……いや、目に頼るな。
わざとその場から動かず、周囲を見渡すふりをして、その何かを待ち構える。
未だ熱気で風が乱れ入り交じる中、そこにぽっかり穴が空いたように、もしくはそこだけ塗りつぶされたように、
無惨を囲むようにして肉腫が数個浮かび、茨が生まれて縫い付けられる。いや、正確には縫い付けられたように見せかけただけだ。体内に入り込んだ瞬間、全て消化しきっていた。突き刺されているように見えるだけ。
(成る程。それなりに考えてはいる)
爆発で鬼の表皮を剥ぎ取り、こちらの把握していない血鬼術で一瞬動きを止め、最後の一押し。
死角から迫ってくる腕を、無惨はあっさりと掴み取った。見た目には何もない存在、恐らく目眩ましだろう。勢いで血鬼術の込められた呪符が剥がれ、それが白日の下に晒される。
「やはり珠世、貴様か」
「っ……! なぜ……!?」
女は驚きに目を剥いてこちらを見ている。手には一本の薬瓶。
「この程度、小賢しい真似が本当に通じると思っていたのか? これは毒か。全く、悲しいなあ。私はお前の、調薬技術だけは認めていたというのに。あろうことか私に逆らうとは」
「黙れ! 私は鬼になどされたくなかった! お前のせいで夫と息子は……!」
「耄碌して現実まで正しく見られなくなってしまったか? お前の家族を殺したのは、他ならぬお前自身だろう。あんなに旨そうに喰っていたではないか」
「このっ……屑野郎!」
あらん限りの怨念をその言葉に込めて吐き付けてくる。本当に、どこまでもつまらない女。
元々始末するつもりではいたが、わざわざ向こうから現れてくれたのならば丁度いい。ずぶりと、無惨の指が珠世の腕へとめり込んだ。
「貴様の知識、私が有効活用してやろう。私の糧になれる事を光栄に思い安心して死ぬがいい」
「く、ぅ!」
今更逃げようとしても無駄だ。見た目は腕を絡め取っただけに見えるが、指から生えた触手は既に肩近くまで浸食しているのだ。ただでさえ血の濃度が違うのだ、存在の上下関係ははっきりしている。もはや体を動かすのにだって一苦労だろう。
人が絶望する顔に何かしらの感情を抱いたことはない。だが、今まで散々逆らってきた身の程知らずが失意の表情を見せる様は、中々に愉快だった。
腕が半分食い潰され、浸食は脳にまで達する寸前。いきなり背後から、首筋のあたりを貫かれた。一時的に喉が潰れて、声も出せなくなる。
「珠代様」
「愈史郎……? 貴方、何を……何をやっているの!?」
「最初からこういう予定でした。珠代様が失敗すれば、次は俺が無惨諸友と」
「やめなさい! 早く逃げるのです!」
「貴女の頼みならば、俺は断れません。でも……上手くいかなかったならば仕方ないでしょう? その時は、俺と珠代様の役割が逆になるのです」
「お願いだから……やめて……。これは命令です!」
「それは聞けません。――おさらばです、珠代様」
愈史郎の残った腕が、珠世の肩口あたりから切り裂く。無惨との接続が途絶えた。いきなり自由になったため、彼女は尻餅をつく。
時を同じくして、愈史郎の肘までを吸収し終える。やっと気道が開いた。
「おのれ……! どこまでも小癪で人を苛立たせる連中め!」
「俺は爽快だよ。珠代様を悲しませ続けた貴様に一矢報いたんだからな!」
「愈史郎!」
溶かされ逝く鬼を見て、珠世が声をあげ近寄ろうとしてくる。しかし、愈史郎がそれを全力で制した。
「来るな!」
「っ!」
「この状況でどうすべきか、珠代様ならば分かっているはずです。俺の死を無駄にしないで下さい」
「ゆし、ろう」
「お元気で」
「ごちゃごちゃと。いい加減聞き飽きたぞ」
体の再生を終えた所で吸収を早める。既に体の半分を飲み込んでいたのだ。それで愈史郎は、この世から細胞の一片すら残さず消え去った。
改めて珠世を喰おうにも、彼女は既に走り始めている。速度は鬼として決して早いものではない。追いつくのにさしたる苦労はないだろう。しかし。
(鬼狩りどもが来ている。私が毒を盛られる十分な時間を見ての行動だな。いくら独断で動いたとて、予定に狂いは出さないか)
いくつかの選択を迫られる。解毒すべきか、それとも早々に体外へ排出すべきか。または毒を抱えたまま鬼狩りを迎撃すべきか、一端鳴女の領域へと潜って間を置くべきか。この状態でも柱風情に負けるとは思わないが、かといって最適とは言えない選択を取るべきでもない。強硬とは愚か者のすることだ。
人の気配は十や二十では効かない。百人近く、恐らく鬼殺しの中でも上澄みの使い手が集められている。これだけ入り交じられてしまうと、さすがに柱だけを見分けるのは不可能だ。
本来であれば、柱を分断して一人ずつ上弦に殺させるつもりでいた。が、それは叶いそうにない。
(ちっ。小賢しい事にかけては私より上か)
できないのなば仕方ない。残った上弦があれらだというのは、ある種の天恵だろう。
鳴女。己の側近にして、最近より多い血を与えて玉壺の代わりに上弦の伍へ昇格させた鬼。強さと言う点で見れば上弦に値しないものの、その血鬼術はひたすらに優秀だ。特に長年練り上げた湾曲空間、無限城は無惨をして感嘆するものである。
そこに上弦の鬼最強たる上弦の壱と、こと死ににくさで言えば右に出る者のいない上弦の陸と上弦の肆。彼らは入り組み閉じた世界である無限城で戦うのに、この上ない存在だった。それに、上弦の陸の片割れたる堕姫には面白い仕掛けもしたことだし。
今はまだ、忌々しき産屋敷の掌の上。ただし、ここから先はこちらの番だ。
まるで蠅のようにたかってくる鬼狩りたち。十分に彼らの視界へ入った事を確認してから、無惨は告げた。
「鳴女、開け」
地面に無数の襖が生まれ、その中に無惨は落ちていく。
哀れで無知な鬼狩り共は、必死になって開いた穴へと群がってきた。そこでどんな地獄が待つかも知らずに。
×××
腕と背中がぎしぎしと鳴る。体がひたすらに重くて鈍い。こんなことを続けていれば遠からず体が壊れる。そう確信できる程度には、苦しさを感じた。
確かに善逸は鬼殺隊最速であるし、肉体的にもどこかが弱いなどという事はない。しかし、痩せ型二人とは言え、さすがに成人二人を抱えて全力疾走というのはかなり無理があった。無惨の脇を潜り抜けた時などは、本当に生きた心地がしなかったし。
背後から迫る熱気は、産屋敷邸が消し飛んだものの余波だ。天高く昇る炎が、まるで夜を昼間みたく照らしている。
息を切らしながら、なんとか合流地点へと着く。最後の力を振り絞って、抱えていた二人――あまねと耀哉をゆっくり地面に下ろした。疲労のぶり返しで、両腕がぷるぷると痙攣する。
あまねは気絶していた。恐らく急な加速に耐えられなかったのだろう。本来ならば耀哉もそうなっているはずだが、意識を保っているのは持ち前の精神力と、肉体から感じる痛みがそうさせなかった為か。彼は固い地面を自覚しながら、すぐに状況を理解する。
「なんという事を……」
善逸にいくらか遅れて、行冥もやってくる。この場に集まるのは四人だけであり、それは事前の話し合い通りだった。
――事の始まりは、行冥の告白からだ。彼はお館様より最も厚い信頼を受けており、だからこそ一番苦痛の伴う役割を仰せつかっていた。つまり、鬼舞辻無惨を自分自身の命を使って罠にはめる、というもの。
当然そんなものは、耀哉を信奉している柱は勿論、大して面識のない善逸ですら承服しかねる。行冥だけが唯一、己の意思を優先してくれると踏んだのだろう。彼だけにひっそりと、真の計画を明かしていた。
だからこそ、善逸は大声で言いたかった。ふざけるな、糞食らえ。そんな決断を平気でできるなら、誰も鬼殺隊になど入っていない。
「行冥……」
顔を包帯で巻かれ、目はおろか感覚全般がほとんど機能していないだろうに、そこに誰がいるかを言い当てる。凄まじい勘だった。なんでも歴代産屋敷当主は代々こういった超常的な力があり、そのおかげで鬼殺隊という金食い虫を運営しながらも資産を維持しているらしい。
「なぜこんな冒険を犯したんだ……これでは無惨を巻き込めたかどうかも分からない……。いや、仮に巻き込めたとして、珠代さんが上手くやれたかどうか……」
「……お叱りは、全て終えた後、命を以て償います。お館様への裏切り、許して欲しいとは口が裂けても言えません」
静々と行冥が呟く。膝を突く事はない。またすぐに向かわなければならないため。
爆発が起きてから三〇〇を数えて、無惨に突撃する事となっている。とはいえ転移の異能持ちはまだ健在であると予想されるため、最低でも大量の鬼が発生、恐らくはどこかへ誘導されるだろうが。
耀哉と運命を共にする道を選んだ子供二人は、先んじて実弥が確保し逃がした。善逸と行冥がそれぞれ救出と足止めを行い、残りは隊士十数人を率いて待機している。最低限の鎹鴉と隠は近隣全域に配置されており、無惨を地上へ引きずり出せたら連絡、残りの隊士を一斉に向かわせられるよう準備が整っていた。
故に。これが最後になるかもしれない会話だ。
「お館様、私はどうしようもない人間です。特に目的もなく生きていた頃、私は子供に生きがいを貰っていました。鬼に襲われたあの晩、獪岳が決断して私たちを生かしてくれました。その後は……お館様もよくご存じでしょう。貴方様に、道しるべいただいたのです」
「そんなことはない……そんな事はないんだよ、行冥。君はいつだって、己を確りと持っていた。私にそんな大それた力は無い。いつだって、ほんの少しだけ背中を押し、後は願うしかできないんだ」
「それでもです。それでも……だからこそ……」
呟きながら、行冥は涙を流してた。涙もろい人だが、今日のそれはいつものとは違う気がした。
「弱い私は、貴方様の意に沿う事ができませんでした。どうしても……見捨てることができませんでした。貴方様が、獪岳と重なって見えてしまったのです。自己を犠牲にする献身」
強く握った拳からは、僅かに血が流れている。
今まで堪えていたもの、黙って見過ごしていたもの。いくらでもあっただろう。しかし最後の一線だけは越えられなかった。
「そうです、これは単なる私の我儘でした。もう二度と、獪岳のような者を死なせたくなかった。先に死ぬのは……命を掛けるべきは私だ! お館様のような『優しい人』では断じてない!」
「…………」
彼は、慟哭を静かに聴いていた。一言一句を噛みしめるようにして。
彼の言葉は柱の総意だ。誰一人として反対しなかった。それこそ実弥や小芭内などは、囮に使うという点にすら大反対していたほどである。共々自爆という案などは、協力者である鬼二人すら眉をひそめるようなものだ。
珠世と愈史郎。無惨から寝返った、と言うより無惨の独裁から逃れた鬼達。産屋敷はかなり昔から彼女らの存在を知っていて、わざと知らぬ振りをしていたらしい。全くの放置ではなく、ちょくちょく動向を探っていたようではあるが。二人がしのぶと手を組んで毒薬を作っていたと知ったのも、つい先日の事だ。
炭治郎が抱えていた秘密というのも、この鬼達とのつながりだったのだが。それはさておき。
耀哉は慟哭に充てられながら、静かに頭を振った。
「私は、君の人柄につけ込んで、ずっと残酷な事を強いてきたんだね。ごめんよ」
「謝らないで下さい。全ては私の不徳が致す所」
本当は分かっている。行冥のみならず、柱全員が。ここで生かすことができた所で、耀哉の命は長くない。だからこれは、本当にただの我儘だ。無惨を倒し、帰ってきたときに。祝福して欲しいという。
誰かが欠けるのなんて、そんな経験はもううんざりだ。誰もがそう思っている。もう何も奪わせはしない。
「悲鳴嶼さん、そろそろ三〇〇です」
「そうか」
ここに至るまで愈史郎からの連絡は無い。彼の血鬼術で、成功した場合は鎹鴉を誘導しここに来る手はずになっているのだが。
となると、珠世は失敗したのだろう。次善の策である愈史郎が成功したのか、もしくは毒を盛るという行為自体が失敗したのかは知る術がない。ただ一つ、これは愈史郎にとってだけは良い結果なのだろう。最愛の人を生け贄に捧げず済んだ。
「行冥、善逸」
残り三十を切った所で、耀哉から声がかかる。初めて聞く、彼のか細く不安げな声。
「こんな事を今更言うのは卑怯なのだろうけど……どうか、生きて帰ってきておくれ」
「……はい」
「御意」
短く返事をして。残り二十五。
五つも数える内には、小山を跳び越えて未だ燃える旧産屋敷邸が見られる位置にまで飛んだ。二人はその場に放置していく。この状況は蜜璃にひっそりと伝えてあり、彼女が隠を連れて安全圏にまで連れて行ってくれるだろう。
残り十五。涙を流し、片腕を失いながらも走る珠世を見かける。なんとか愈史郎が成功させた、そう考えていいのだろうか。愛する人を亡くすか、愛する人を泣かせるか、彼には辛い決断だったに違いない。
残り五つ。結集した隊士らと共に、無惨へと躍りかかる。ほとんど時を同じくして、地面に空いた穴へと彼が落ちていった。素早い決断を放棄し、地の利と分断策を取った。これは予想の範疇であり、同時に最悪でもない。こちらをおびき寄せたという事は、相手も生半な状況では逃げないという意味でもある。
「総員、可能な限り集まって飛び込め!」
号令と共に、柱以外の隊士が近い者と体を合わせながら。一斉に、暗闇の向こう側へと身を投じた。
現世と異界の狭間を潜り抜けた瞬間、いきなり視界が入れ替わる。火が燻る廃墟から巨大な屋敷の中へ。ただし、普通の建築様式ではない。上弦の弐の居城ともまた違う、無数の建物を無理矢理寄せ集めて合体させたようなあべこべ加減だった。壁、床、天井、扉、全てが四方八方の区分無くでたらめに配置されている。浮遊感も手伝って、上下すら見失いそうになった。
落下した状態のまま、耳を澄ませる。下は暗くて見えないが、大分先にありそうだ。いくら柱稽古を受けたと言っても、下位の隊士を連れてこなくて正解だった。彼らでは下手をしたら着地に失敗して死にかねない。高所から落としてきたのはそれを狙ってもあるだろう。
そしてもう一つ。状況を理解しきれないままでの奇襲だ。
「悲鳴嶼さん! 下に十七!」
「承知した」
言葉に呼応して、行冥が姿勢を変えた。善逸も同じく体を捻り、横に倒す。足の裏を合わせて、同時に筋肉を爆発させた。
真っ直ぐ下に落ちていた二人が、斜めへと軌道を変える。完全ではないが、下に溜まる鬼達がどちらを追うか戸惑いを見せた。着地する時には、些細な混乱も収まっているだろうが、これで十分。目的は鬼に囲まれない事なのだから。
音でもある程度把握していたが、はっきりと見る鬼は、今までのそれと比べてもなお化け物だった。人の形をしていないというより、人という形から崩されてしまった、といった方が正しい。
足が着く前に、刀を一薙ぎ。鬼一体の頚を落とす。さらに連続して二体、遠雷で三体同時に潰す。手が届く範囲の鬼を全滅させ、踏み込もうとしたが。その前に鉄球が残った鬼の体を肩あたりから根こそぎ破砕した。
(相変わらずおっかない武器だなあ)
ぼんやり思いながら、刀を収める。
重量がどれだけあるかも分からない鉄の塊を高速で振り回されるなど、それだけで恐怖しか感じない。相変わらずどういう膂力をしているのだか。まあそれを言ったら、身長からして善逸より頭二つ以上大きいのだから今更という気はする。南蛮人だってこれほど巨大な人間はいない。
全ての鬼が崩壊し始めているのを確認しながら、行冥に話しかける。無論、耳と気配での警戒は続けながら。
「今の鬼、今までとは何というか、随分と趣が違いましたね。それにかなり強い。多分、下弦の鬼くらい力がありましたよ。思考力と血鬼術の分、厄介さは下弦の方が上でしょうけど」
「大方、無惨に無理矢理血を与えられたという所だろうな。哀れな……」
行冥が手を合わせて冥福を祈る。今は鬼と言えど、元はほとんどが無辜の民。祈りを捧げずにはいられないのだろう。
己を消され、過去を奪われ、人食いの化け物にされて。そんな状態であっても獪岳の様に、誰もが自分を取り戻せる訳ではない。可哀想ではあるが、善逸にできるのは精々来世の幸福を期待する事だけだ。
「でも、こんな事ができるなら、なんで今までしなかったんだろう」
ぼんやりと呟く。
無惨にとっては、下弦の鬼など所詮この程度でしかないのだろう。ならば、獪岳を使う際、使い捨てにしたのも頷ける。
ならば全ての鬼をそうすれば良かったのではないか、とは当然の感想だ。柱の就任条件の一つが下限の鬼討伐という点からも分かるように、隊士で下限の鬼を倒せるのは一握りどころかひとつまみ。今までこんな存在を量産されていれば、鬼殺隊をかなり楽に駆逐出来ていた。
「無惨が鬼を生み出すのは、鬼殺隊を始末するために非ず。間違いなく竈門禰豆子のような存在が生まれるのを期待したというのがあるだろう。血を与えすぎれば長く生きられないか、自力で階位を上げる事に意味があるのか、血鬼術の発現を妨げるのが嫌だったか、理性を無くされるのは不都合だったか……。どうであれ、わざわざ増やした鬼を自発的に減らすのは目的と合致しなかったに違いない」
「はへー」
解説されれば感心するしかない。偉い人というのは本当によく考えているものだ。
「しかし憂慮すべきだな。まさか鬼の悉くを下弦相当にまで強化できたとは。我々ならば問題ないが、一般隊士では連携しても苦労する」
「今の感じだと、そこまで心配する程じゃないと思いますけど」
「これが解き放たれたのは、何もこの空間だけとは限らん。外で待ち構えている隊士に解き放たれれば、尋常ではない被害が出る。最悪、対無惨の包囲網が崩壊するやもしれん。そうでなくとも穴が空くのは確実だ」
「あ……」
さすがにそこまでは思い至らず、呻くしかない。
鬼舞辻無惨は真っ当な戦士ではなく、卑怯を平然と行う。これは昔から察せられていた事だ。そういった者がもしもに備えて逃げ道を確保するだろうと考えるのは、むしろ当然の推測と言えた。
この作戦は無惨を殺すためのもの。その上で一番重要なのが、無惨を倒す事ではなく逃がさない事だ。ただでさえ逃げの一手を打った鬼を止めるのは難しい。ましてや鬼でも最高の肉体を持ったとなれば、不可能と言っていいだろう。そのために残った隊士を方々に配置して網を作った。最悪、命を対価にして足止めして貰うために。その計画が根底から崩されかねない。
「とはいえ、分析した所で我々にできるのは相変わらず鬼の討伐しかない。思い悩むならば、まずはこの異界を壊してからでいいだろう」
そう、行冥はこちらを落ち着けるように言った。
乱れ欠けていた思考を鎮める。そうだ、所詮自分があれこれ悩んだところで、利口な人に叶うわけもなし。出来るのはたった一つ、とにかく鬼を斬って斬って斬りまくるだけ。
「想定以上ではあるが想定外ではない。最優先事項を実行するぞ」
「まずは上弦の鬼を剥ぎ取る、ですね」
上弦だけは、いかな無惨と言えど替えが効かない実力を持っていると予想されていた。図らずも、今回の襲撃でそれが確定した形となる。量産できる鬼は、下弦の鬼でも下の方が精一杯。しかも血鬼術までは憶えられない。
同時に、相変わらず異能の鬼は無惨にとっても貴重な存在だ。過剰な血を与えられた鬼があれでは、せっかくの異能も宝の持ち腐れとなる。よほどつまらない血鬼術でない限りは、そのまま使われているだろう。
頭の中で整理する。相手すべきは上弦の鬼、異能の鬼、異形と化した鬼の順番。上弦の鬼以外は、柱が複数で当たってはいけない。逆に相手が上弦の鬼であれば、可能な限り柱が複数で担当し、確実に始末する。
「我妻、私は向こうへと行く。お前はあちらを担当してくれ」
「分かりました。行くよ、チュン太郎!」
相方の鎹鴉(なぜか雀)を呼んで、すぐさま指示された方角へと向かう。
途中、遭遇する鬼は即座に首を落としつつ。とりあえずこの空間内をつぶさに観察した。
(特に恐ろしい音の発信源は四つ……理屈の上で言えば、これが上弦の鬼なんだろうけど。やっぱり補充してきたな)
その中の一つは突出した恐怖を振りまいていた。それこそ童磨や、炭治郎達が戦った上弦の参より上だ。間違いなくこれが上弦の壱、黒死牟だろう。
行冥は真っ先に黒死牟の方へと向かった。感覚器官、とりわけ遠方を察知する能力は善逸に大きく劣る彼。それでも大まかな位置が分かってしまうほど、黒死牟の気配は強く、また濃かった。着いてこいと言わなかったという事は、他の上弦を潰せという指示だ。
「また……! くっ」
この空間は確かに広い。が、広いだけだったならば、実はさほど問題ではないのだ。一番厄介なのは、不定期に空間を入れ替えられる事。
相手の位置が変わるくらいならばまだいい。問題は、自分の位置を変更させられた場合だ。そうなるといちいち現在地の把握からやり直さなければならなくなる。
幸いにも、空間を生み出している鬼は隊士の力までは把握していない様子だった。柱をとにかく戦場から遠ざけつつ、邪魔な一般隊士を全滅。その後、上弦の鬼が総力を以て柱を一人ずつ殺す、これが考えられていた内の最悪だ。ひたすらに面倒くさくはあるが、最悪に比べれば大した問題ではない。と、言わざるを得なかった。
位置を変更させられたせいで、近場の上弦が変わる。同時に、もっと近い場所で隊士と鬼の戦いがあった。
走りながら悩む。隊士の救援と上弦の討伐、いったいどちらを優先すべきか。
考えている内にも状況は移り変わる。推定上弦の鬼の位置が、戦場にほど近く移動したのだ。同時に、複数あった鬼の音が一つ消える。苦戦はしているものの、鬼の討伐は順調に行えているようだ。もしここに上弦の鬼が割り込めば、一気に戦線が崩壊する。
(なんか気色悪くて嫌だな)
己の意思で何かを選んでいるようで、その実敵に権利を奪われている。それ自体は仕方ないとも言えるが、問題はどこまで相手の思惑通りかという点だ。戦略ではお館様も負けていないと思うものの、さすがにここまで便利な血鬼術を使われては全てをひっくり返されかねない。
一体どこからどこまでが相手の描いた絵図なのか、と気になるが。
(そんなことを悩まされてる事自体が、気圧されてる証拠だよな)
戦いなのだから相手を悩ませるのは、追い詰めるのは当り前。その上でどこまで自分を貫けるかが勝負を分ける。
一人でできる事などたかが知れている。短い人生の中で悟った事実の一つ。ここで善逸がどちらに向かおうが、或いは負けようが、大勢は変わらないのかも知れない。だが、ここ正解を選び続けられば、もしくは失敗でも折れなければ、いつかはより良い未来にたどり着ける。
上弦の鬼を倒す。一人でも多く生き残らせる。鬼舞辻無惨を太陽の下へ引きずり出す。
悩んでもいい。迷ったっていい。だが、筋だけは見失ってはいけない。
己の選択が間違っていないと信じて、善逸は再び足に力を込めた。推定上弦の鬼へ向けて最短距離で。
――これまで、善逸は上弦の鬼と二度戦っている。
明確な格上との戦いによって得た物は無数にあった。その中で一番実用的なものとは一体何だろうか。獪岳の遺産との同調? 鉄火場での勘の冴え? 不明瞭な血鬼術への対応能力? それらは間違いではないものの、正解でもない。
最大の成果は、上弦の鬼が待つ感知能力の最大半径だ。
察知されるギリギリ外で、善逸は足に呼吸で得た力の全てを注ぎ込む。
雷の呼吸 壱ノ型・霹靂一閃・韋駄天
いかに鬼といえども知覚困難な速度を誇る霹靂一閃・神速。それを気付くことのできない距離から維持し、最速最短にて鬼の頚を刈り取る。善逸の考え得る上弦の鬼討伐の最適解だった。
技は正しく発動し。上弦の鬼は防御すらできずに、あっさりと頭を転がす。
(まず一つ!)
数えつつ、自画自賛などもしてみる。
(やっば俺すごくね!? 上弦の鬼三体討伐とか半分じゃん! このやり方なら怖くないし!)
ウキウキしながら、次は救援へ向かおうとして。
即座にその場から飛び退り、遺体がある方へと向いた。警戒心を最大値に設定して、いつでも型が放てるよう納刀する。背筋からぞわぞわと、蟲が這い上がってくるような寒気が止まらない。
頚を落とした。それは間違いない。肉体変化が得意な鬼のように、首の位置を変えた訳じゃないというのもすぐに分かった。間違いなく致命傷。にもかかわらず、鬼から発せられる音はほんの僅かも弱っていなかった。
(どういう事だ?)
弱点が弱点として機能しない以上、迂闊に踏み込むのはあまりにも危険。そう判断し、善逸はその場で観察する。
かなり大雑把な目算だが、かなりの上背がある。玄弥と同程度だろうか。しかし身長に反して、肉体は不健康そのものだ。全身がガリガリに痩せ細り、しかも所々、病魔に冒されたと思わしき斑点がある。それらが鬼になったせいか、もしくは人間だった頃の名残かは判断がつかない。そして、斬った断面は未だに綺麗なままだった。
鬼が頚を斬られた場合、断面から徐々に崩れていく。しかし、鬼からはそういった様子が見えなかった。玉壺のように、無理矢理崩壊を止めているのとは違う。死の運命を矛盾なく遠ざけている、そんな印象だ。さすがに太陽の下へと引きずり出せば、その特異な不死性も適用されないだろうが。
「おい」
どの方向へもすぐ飛べるようにしながら、声をかける。
「いい加減死んだふりはやめたらどうだ。そんなものにいつまでも相手してやれるほど暇じゃないんだ」
「ずりいなあぁぁあ。本当に不公平だああぁぁぁ」
底冷えする怨嗟と嫉妬の声。頭だけになった鬼が、ぎょろりとこちらへ視線を向けた。瞳には、上弦の陸と刻まれている。
「お前いくつだぁぁ? その歳で柱なんてよおお、才能があっていいなあああぁぁ。妬ましいいぃ」
「上弦の鬼になるような才能がある奴に言われてもね」
「あぁ? はは、はははははは。それもそうかあぁ。お前上手いこと言うなああぁぁ」
ひひひ、と笑いながら首をくっつける。予想はしていたが、あっさりと元に戻ってしまった。
「でも、俺を殺した事は許せねええぇ。きっちり取り立てるぜええ、何せ俺は妓夫太郎なんだからなあああぁぁ」
「妓夫太郎……忘八、か? もしかして吉原に潜んでいた鬼っていうのは」
「ああぁ、そりゃあ俺達だなああぁぁ」
(なるほど)
納得する。こいつは阿呆だと。
鬼は基本的に群れて行動しない、もとい出来ない。二人以上で行動するのは、よっぽど力の差があって押さえつけているか、もしくは何らかの強い繋がりがある場合だ。妓夫太郎は無自覚に後者であると語ってしまった。そして間違いなく、それが血鬼術であり、かつ不死の絡繰りの正体でもあると。
ただ、分かったところで。
(どうするべきだ?)
悩みはむしろ増えている。
妓夫太郎を無視してもう一人を探すのは論外もいいところ。それを達成するまで、一体どれだけの犠牲が出るのか考えたくもない。できるならば誰かに伝えるか、または誰かにここを任せてもう一人を探したいが。この広大な空間を、手がかりもなく探すのは無謀というより他ない。そもそも、本当にこの空間内に弱点がいるのかも分からないのだし。
妓夫太郎がだらんと下げていた両手を持ち上げる。掌からぶちゅり、と肉が裂ける音がした。骨が増殖してせり上がり、途中で折れ曲がる。その上を赤黒く滴るもの、多分血が纏い、鎌の形になった。
(自分の体を無理矢理武器の形にする類いの技)
それ自体はさして珍しい事ではないし、鬼によく見られる技術でもある。
根本的に、鬼の膂力に耐えられる武器というのは少ない。それこそ日輪刀のような職人が技術の粋を集めて鍛え上げたものすら簡単に握り潰してしまう。ましてや量産品となれば言わずもがな。鬼にとって、耐久力と補充の安易さを両立できる一番の道具が己の肉体なのだ。肉体操作程度は血鬼術にもならないため、使い手は本当に多い。
ただし、血肉をそのまま武器にするのは位が低い鬼がほとんどだ。強い鬼ほど道具に求める性質へ変化させる事が多い。例えば童磨などは、扇を鋼鉄のようにしていた。見た目に拘らないからと、全く居ない訳でもないが。
上弦ほどの鬼が、そんな事すらできないとは考えづらい。
(てことは、あの鎌に何か仕掛けがあるんだろうなあ。もしくは鎌自体が血鬼術か)
なんにしろ、あれから注意を逸らすべきではないだろう。
「生きてる間に恵まれるなんて、悔しくて羨ましくて仕方ねえからよおおおぉぉぉ……死んでくれよおおおおおお!」
絶叫と共に鎌が振られたのはたった二度。しかしそれだけで、無数の刃が生まれた。血液を液体のまま薄く固めて飛ばしたのだ、と瞬時に見抜く。
迎撃しようとした一瞬前、かこんと音がした。
空間入れ替えの血鬼術そのものに音はない。ただし、入れ替えた中身が音を立てれば間接的に察知できた。善逸と妓夫太郎の丁度中間地点真上から、炭治郎が降ってくる。抜刀する一瞬前、声は確かに届いた。
「触れるな!」
忠告を咀嚼するより早く横に飛ぶ。飛んでくる血刃の範囲を考えれば大げさな程だったが、程なくして判断は正しかったと知らされた。
「曲がれ、飛び血鎌」
走る十数の刃が、今までの軌道を無視してこちらを追いかけてくる。さらに回避しようとして、逃げようとしていた方向から鎌が迫ってきていた。いつの間にか投擲され、こちらも術者の思い通りに動くらしい。
(戦闘勘、特に空間を潰す能力が超人的!)
距離感を正確に測る才能は善逸も持っている。が、妓夫太郎のそれは次元が違った。善逸のように彼我だけではなく、視界全ての間隔を正確に把握している。視界内にいる限り、この包囲から逃れられない。
全部切り落とすか、もしくは無理にでも懐に潜り込むか。善逸だけならば、その二つしか選べなかっただろう。
血刃に背を向け、鎌を大げさすぎるほど外側に向けて弾いた。無防備な背中に無数の兇刃が迫り……上から降ってきた剣が、一つ残らず破壊する。壁を蹴って急降下してきた炭治郎が守ってくれた。
二人で剣を構え、妓夫太郎へと向く。
「炭治郎、どういう事!」」
「あいつの血からは毒の匂いがする! 直接触れちゃ駄目だ!」
「げぇ」
わざわざ生み出した武器をより高度なものにしなかった理由はこれか。毒液をまき散らすのが主目的ならば、成る程、確かに骨の武器を金属なりにしない方が殺傷力も高まる。向けられる側からすれば堪ったものではない。
「匂い? お前、鼻がいいのかぁ? ずるいなああぁぁ。柱はどいつもこいつもとんでもない才能を持ってる奴らばかりでよおおぉぉ」
再度生み出した鎌を持ちながら、妓夫太郎は己の頬を掻く。爪が鋭すぎて肉まで抉っていた。その傷さえもすぐ治るものだから、延々体を抉る気持ち悪い音が続く。
「一気に倒そ……」
「炭治郎」
気合いを入れる彼を制するように、善逸は小さく耳打ちした。
「あの鬼は頚を斬っても死なない」
ぎょっと彼が目を剥く。
この間にも小手調べと言った様子の攻撃は飛んできたが、炭治郎の力もあって余裕を持って対処できた。こういった所で、驕りと自信を感じる。今まで無数の柱を殺してきたという、確たる支柱。
理由の一つのは、間違いなく殺しても死なないというものがあった筈だ。
「言葉の端々から、条件を満たさないと……高確率であいつの不死性を保証してる誰かがいるはずだ。俺の耳じゃ拾えない」
「…………! そうか、俺の鼻なら近しい匂いを辿って……!」
「こういうのほんと、ほんっと嫌なんだけどさあ。俺の命を預けるよ」
炭治郎が距離を開ける為に、血刃を次々と切り落としていく。斬られさえしなければいいのか、それとも触れただけで終わりなのか。どちらか判断が付かない以上、臆病な程に大げさな動きを強いられる。
「死ぬな善逸! 必ずなんとかするから、絶対に死ぬな!」
射程距離外にまで出た炭治郎が、大声を上げながら走り去った。
小さく息を吐く。これで少なくとも、苦手な防御をし続ける必要はなくなった。防御の型が存在しない雷の呼吸で、ほぼ足を止めながら守るというのは、短時間でも難しい。
去った炭治郎の背中を見送りながら、妓夫太郎がひひ、と笑う。
「悲しいなああぁぁあぁ。見捨てられちまうなんてなああぁぁぁ。哀れだよなあぁ」
「見捨てられたんじゃない、任せてくれたんだ」
などというのは、まあ、単なる強がりだ。上弦の鬼と一対一で戦う事の無謀は玉壺との戦いで嫌と言うほど思い知らされている。ましてや目の前にいる鬼は死なないのだ。自殺と言っても差し支えない。
(それで退けないのが、柱の辛いところなんだろうなあ)
いつの間にか責任感なるものを背負ったものだ。我がことながら苦笑する。
「安心しろよおぉぉ。お前を殺して、すぐにあいつもあの世へ送ってやるからなああぁ」
「こんなんでも一応、覚悟は決めてるつもりなんだ。簡単にやられるつもりはないし、やらせもしない」
呼吸を一段階上げた。
全集中の呼吸・常中を会得して以降、無自覚にやっていた事だが、全集中の状態からさらに深度を一段階上げられる。童磨との戦い以降、少しずつ自覚出来るようになってきて、最近会得できた。まあつまるところ、痣の一段階前の状態なのだが。
全集中の呼吸・深化が痣に勝る点はほとんどない。ほぼ唯一と言っていい利点が持久力だ。痣と違って、短時間で急激な運動能力の爆発、及び極端な低下を起こさない。
可能な限り、痣は無惨と遭遇するまで使わない。これも事前の取り決めだ。
(なんて言っても)
相手はしのぶも真っ青になるような、全身毒物男。ちょっとやそっとなら血流を操作して体外に排出する、というのも有効かも知れないが、さすがにそれなりの毒を貰ったら痣を使わなければならない。いや、毒を食らいそうになった時点で使うべきか。どちらであれ、あまり容易い話ではない。
それに、問題がもう一つ。彼の血鬼術について。
不死身化が血鬼術なのは確定だが、問題はもう一つだ。血液を毒にするのが血鬼術なのか、それとも血が毒なのは固有の体質であって、血液を操るのが血鬼術なのか。これは早い段階で暴かなければならない。もし後者の場合、相手に傷を与えれば与えるほど武器を増やす羽目になる。もし大量にまき散らした血を操られ、玉壺さながらの物量攻撃を仕掛けられたら、さすがに勝ち目が見えない。
(どっちにしろ……)
幾重にも飛んでくる血鎌。速く直線的で、数が多い。工夫の一欠片も感じないが、その分判断時間も要らないのだろう。ある意味、霹靂一閃に似た性質を持っていた。単純な技を突き詰めれば、それ即ち必殺。
距離を開けて戦えばいつか捕まる。
(接近戦しかないわけだ!)
踏み込むのには勇気が必要だった。しかし、恐怖さえ忘れなければ一歩目は竦まない。
こちらの強襲に、妓夫太郎が片方の腕を落とす。斬り様に背後へ回って、返す刀で首を狙ったがこちらは防がれた。分かっていた事だが、あの鎌も見た目通りの強度ではない。恐らく体のどんな部位より硬いだろう。
「なんだああ? 近づけば勝ち目があるとでも思ったかああぁぁあ?」
にやにやとしながらも、どこか苛立ちを含めながら、妓夫太郎。
「俺だってできるなら近づきたくなんてないよ。でも、遠くから逃げてばっかりじゃそう長く持たないだろ」
「……馬鹿だなあぁ。お前は本当に馬鹿な奴だあぁあ」
呆れたというよりも憐憫の様子で語りかけてくる。
「十五。この数字が何か分かるかぁ? 俺が喰ってきた柱の数だあ。お前はただの十六人目、一人だけ特別生き残れるなんて奇跡はねえんだよおおぉぉ!」
「まったく……その通りで嫌になるよ!」
即座に再生した腕と、両手に持たれた鎌と剣が交差する。
そうだ、善逸は特別でもなんでもない。柱になれたのだって、ほとんど獪岳のおかげだ。もし自分が特別だったならば、もっと沢山の人を生き残らせる事ができただろうし……獪岳も死ななかった。
自分は凄くもなんともない。その事実だけで投げ出せるものなど何一つとしてなかった。だからこんな所にいる。
血を浴びないようとにかく距離にだけは気をつけて、切り結ぶ。
鎌を高速で振り、自分の周囲を結界みたく守る技。腕に血を巻き付けて、それを回転させ辺りを吹き飛ばす技。鎌を複数生み出し、自由自在に飛翔させる技。いろんな攻撃を観察しながら、血鬼術を解析していった。
恐らく毒血は自前のものであり、血鬼術は血を操る方。しかし、善逸が恐れていた程のものではない。時間だ、と善逸は目星を付けた。血液操作の血鬼術は、一定時間を過ぎると解かれる。恐らくは血液の強度を保つため、そうせざるを得なかったのだろう。証拠と言うには弱いかも知れないが、地面に飛び散った血は乾きかけている。
試しに一度、ばらまかれた血の近くを踏んでみた。当然、仕掛けてくるならば即座に避けられるよう、細心の注意を払いながら。結果は白。毒を食らわせる絶好の機会でありながら、奇襲をしかけてこなかった。
(これで随分戦いやすくなった)
妓夫太郎の力は、良くも悪くも正面対決に向いたものばかりだ。本人の気質、というか頭脳と体質が噛み合っていない。
毒と不死性を最大限に生かすならば、血の針を大量に生み出して、致命傷ではないが避けきれない程度にばらまく。一発でも当てられたならば後は逃げの一手。致死毒ならばそれでよし、死ぬほどではなくとも動きに支障が出るまで隠れればいい。
(正面戦闘なら、こいつは大した脅威じゃない)
それは驕りでもなんでもなく、純然とした事実だった。
妓夫太郎の戦闘力を評価するならば、上手いが強くはない、これに尽きる。戦いの才能に溢れている。とにかく勘が良く、攻撃防御共に見事なものだ。典型的な『天稟ある素人』の動きである。呼吸の剣に限らず、数百数千と錬磨されてきた技術のいいカモだ。
童磨や玉壺と同じく、戦い慣れた素人なのは共通する。違う点は二つ、前者らは戦闘の重点を血鬼術に置いていた事、そして格闘の才能はなかった事。下手に恵まれていたせいで、妓夫太郎は近接戦闘を起点とする、ある意味最も隊士が与しやすい流儀になってしまった。
そしてもう一つ。善逸は恐らく、隊士の中で唯一妓夫太郎に速度で勝る人間だ。剣を交えてみれば分かる。彼は自分より速い相手と戦ったことがない、もしくは経験が極端に乏しい。
奇しくも、善逸の手札は妓夫太郎の未知を突き続けるものだった。
後はこれをどう気付かせないか。知られてさえしまえば、対策は容易く取られてしまうだろう。相性がいいだなんだと言っても、地力と経験では天と地ほどの差がある。柱と十五人も戦っておいて、今まで不死性の秘密を知られなかったなどという事はあるまい。それらを常に凌駕してきたからこそ上弦の陸だ。
あくまで現状のままならばという前提だが、負けはしない。ただし勝ち目もない。
(どうするか……なんて、手段がそうそうあるわけじゃないけど)
経験には経験を。善逸のそれで足りないならば、獪岳のものから引っ張り出す。これ自体は珍しい事ではないものの……
善逸は獪岳をとてつもなく信用している。それはいい意味でも、悪い意味でも。血の気は多いわ手段は選ばないわ、おまけに普通はやらないだろという事を平気でする。厄介なのが、大抵は有効だという点だ。
例えそれが、相手を滅茶苦茶に怒らせる結果になっても。目的だけは達成するのだ。
(やだなあ。すっごいやだなあ)
現状でさえ、攻撃は苛烈だ。要所要所で陰電荷を利用した動きを、妓夫太郎は全く見切れていない。現状、近接戦闘よりも広域制圧能力に重きを置いている戦い方だ。となると、相手に考える余裕も出てくる。何かしらの答えに辿り着くのはそう遠くない未来だ。
心の中で獪岳に悪態をつき、覚悟を決める。
進行方向を急激に変更、攻撃の合間を縫って懐に滑り込む。すぐ直情を鎌が通過し、髪をいくらか切断した。危険すぎる賭けに背筋が凍り付く。
雷の呼吸 弐ノ型・稲魂
鼻先が腹に着くような距離で型を放つ。連続し、右足を軸に体全体を捻って回転させる。
雷の呼吸 参ノ型・聚蚊成雷
続けざまの攻撃。双方共に連続攻撃、妓夫太郎の体を肉片になるまで分割した。
血に触れる訳にはいかないため、すぐに飛び退く。予想通り、元いた場所には血の津波が押し寄せていた。彼の血鬼術は鎌に乗せる事で最大の力を発揮し、それ以外だと強度はあっても鋭さや速さがない。
ぐぢぐぢという音は、肉が変形し繋がり合うと言うより、操っている血が体に纏わり付いているため立っているものだ。五体で無事な場所などなかったのに、ものの数秒で元の形まで戻る。
「分からねえかあぁぁ。意味ねえんだよ、お前の攻撃はよお」
守るための攻撃から、攻めるための攻撃へ。転じた様子を、しかし妓夫太郎は嘲う。
そんな様子に対し、善逸はわざと皮肉げに口の端をつり上げて言った。
「本当にそう?」
「あぁ?」
意味が分からないと、頬を引っ掻きながら呟く。その様子に、お返しとばかりに続けた。
「禰豆子ちゃんは人を食べる代わりに睡眠を取った。玉壺は溜め込んだ血を一晩で使い切ろうとしていたよ。それこそ自分を強化しすぎて自壊するほどに」
「何が言いてぇ?」
乗ってきた。内心で拳を握る。
「あんた達は完全な不老不死に見えて、実はそうでもないって話だよ。必ず消耗するし、無くなった分を回収しなきゃいけない。ただそれが、人間より遙かに効率的だってだけなんじゃないか?」
は、という鼻で笑う音。
「お前は阿呆だよ、本当に阿呆だなあああぁ。そんなもんで、俺が弱くなりもお前が強くなりもしねえんだよおぉお」
「今からお前を全力で切り刻む。それこそ頚だなんだと関係無しに」
ぴたり、と妓夫太郎の声が止まった。同時に、頬を掻く仕草も。怪訝な表情をしながら、しかし危険は感じ取ったのだろう、鎌を握る手に力がこもったのを確かに感じ取る。どこか卑しい目つきが鋭く尖った。
ありもしないよからぬ何かを感じ取ってくれている間に畳みかける。
「普通の武器じゃあ、成り立ての鬼でも夜明けまで生き残っているのは確認されてる。でもね、再生力を維持し続けた例って、実は存在しないんだ。これを日輪刀で頚を斬っても死なない上弦の鬼に実行し続けたらどうなるんだろうな。僅かな痛痒も与えられないのか、少しずつ力が削がれていくのか、もしかしたら――蓄えた力が尽きて死ぬのか」
「ごちゃごちゃと……」
「お前で試してやるって言ってるんだよ」
ぴきり、と初めて妓夫太郎から本気の怒りが発露する。
「てめぇごときにいいぃぃ。出来ると思ってんのかあぁ!?」
「少なくともあんた相手なら、その程度訳ないね」
わざと刀を鳴らし、見せ付けるようにしてやる。それがとどめだった。
「こおおろおおしいいてええやあああぁぁるうううぅぅぅあああぁぁぁ!」
激怒しすぎて、もはや言葉も曖昧な程に正気を失った妓夫太郎に対して。成功したと無邪気に喜ぶ事はできなかった。
やった事は至って単純だ。挑発と強がり。なんともありきたりなやり口だが、直前に上手くやり込めておけば、それははったり以上の意味を持つ。実際、妓夫太郎は徹底的に侮られたと認識しただろう。たかだか人間から、大上段から小馬鹿にされた。成功は言葉に説得力を持たせる。例えそれがどれほど荒唐無稽な内容でも。
妓夫太郎の動きが極端に速くなった。今まで手加減していた訳ではないだろう。自制心を失ったが故の上昇だ。人間ならばすぐに息切れを起こすだろうが、鬼にそんなものは期待できない。血刃の量も増えている。
しかし反面、動きは単調になっていた。敵に対応する思考まで捨てている。
身体能力と才能で無理矢理押し込まれるのは、当然大きな危険が付きまとう。代わりに、炭治郎が弱点を探っている事には気付かないだろう。ここまで怒らせた価値は十分にあった。しかし。
(こっえええええ! ほんとこっええええええええ!)
中てられる怒気において、過去に類を見ないほどのものが浴びせられる。怒りだけではなく上弦の鬼が持つ圧力が重なり、相乗されているのだからなおさらだ。
(炭治郎ほんと頼むぞ! できるかぎり速く!)
斬撃というよりはもはや暴風の中を潜り抜けて、攻撃を繰り出す。こちらの攻め気は衰えていない、そう信じさせ続けなければいけないのだから。
当然、こんなものはいつまでも(少なくとも夜明けまで)続けられる訳がない。あくまで相手と同程度の阿呆であるのが要点だ。勝利条件はあくまで炭治郎の弱点到達。ここでなんか凄い逆転の一手でよく分からない勝利を収める事ではない。いやまあ出来るならそれに越した事はないのだろうが。
異能の鬼以上は、下級の鬼とは蓄えている血の量が違う。玉壺のように自滅覚悟でないなら、能力の低下など期待するだけ無駄だ。
炭治郎が自由に動くためには、妓夫太郎に僅かな疑念も与えてはいけない。彼がなんとかしてくれると信じて、善逸は『自信満々な最高峰の柱』を演じ続けた。