獪岳と善逸   作:山筋

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鬼の城

 産屋敷輝利哉はあらゆる重圧から耐えていた。想定外の事態が重なりすぎている――それが偽らざる本心だ。

 父たる耀哉が鬼舞辻無惨をおびき寄せる所までは上手くいっていた。いっそ拍子抜けするほど予想通りに。しかしそこからケチがつき始めた。

 悲鳴嶼行冥を中心とした柱の一時的な離反。これはまあ許容範囲内ではある。計画そのものに狂いはなかったし、その、本来こんな事を言ってはいけないのだろうが、両親や姉達が生き残ったのは素直に喜ばしい。親が子に死んで欲しくないという願いと同程度には、子供だって両親にいつまでも居て欲しいと思っている。

 が、問題はここから。

 第一に、先代当主が己ごと巻き込んで無惨の装甲を剥がそうと起こした爆発が、思っていたより効果を発揮しなかった。決して相手を舐めていた訳ではない。爆薬は秘密裏に集めうる限界まで貯めていたし、ただの爆弾では足りない威力を錬成した猩々緋鉱石製のまきびしで補った。ここまでして四肢の一つすらもぎ取る事ができなかった。

 さらに、無惨は血鬼術すらも瞬時に吸収して見せた。この現象は、以前から観測されていたものではある。弱い鬼が強い鬼に血鬼術を放つと、それを飲み込んだという例が少数ながらあるのだ。普通は再生の方が早いので、ほとんど見る事はできないが。だから珠世配下の鬼が放った拘束用血鬼術では、さしたる時間を稼げないのは分かっていた。それでもほとんど無意味だというのは悪い意味で大きな誤算だ。

 最後に、これが一番の理由だが、鬼舞辻無惨が思っていたより大分冷静だった。彼が最後に観測されたのは安土桃山時代にまで遡る。そこから伝えられる人物像は、利口ではあるものの不遜で激しやすいというものだった。罠にかかった事実を叩き付ければ、もっと動揺してくれると思ったのに。現実は逆に利用されてしまった。珠世と愈史郎、二人を失い毒すら盛れないという最悪は防げたが、それでも視界を歪める血鬼術を失ったのはあまりに痛かった。

 愈史郎の血鬼術は、本来この大戦において要になるはずだったもの。戦場の外側、比較的安全な地に本陣を敷けるという利点は強大である。彼が礎になった為に、輝利哉達三人も異空間に飛び込む羽目になってしまった。姉であるひなきとにちかが生き残ったおかげで妹たち二人を連れて行けたのは不幸中の幸いだろう。

 輝利哉とて産屋敷の男。死ぬ覚悟は出来ている。だからといって恐怖を、それを起因として襲いかかる重圧までも感じない訳ではない。

 

(普通の鬼とは今のところ互角――柱は散り散りになってしまった――見付けられた上弦は今のところ一体、ただし何かしらの理由で不死――今は鳴柱が単独で抑えてくれている――く! 考える事が多い! 情報が遅い!)

 

 血鬼術で視界共有できていれば、ここまでの問題はなかった。鎹鴉達とて頑張ってくれているものの、大量の鬼が蔓延る現状においては致命的な遅れだ。

 自分達に護衛を置かなければいけないというのも状況を難しくしている理由の一つだ。隊士らの奮闘で今はなんとか均衡を保っているものの、こちらが戦力を出し尽くしているのに対し、相手はまだ上弦の鬼すら半分も見付けていない。状況が好転することはまず無いだろう。戦力が一人でも惜しい状況で、甲を三人も置いておかなければいけないのは痛恨である。地上なら側に置くのは隠だけで済んだのに。

 これら全て、愈史郎が健在だったならばなかった問題だ。悔やんでも悔やみきれない。

 

(いや……)

 

 馬鹿め、と自分の頭を叩く。過ぎた事を悔やんでも仕方ない。やらなければならない事は、それこそ無限にある。

 

「珠世さんはどうしてる!?」

「霞柱の部隊に帯同し、救援部隊の一員となっています」

「鬼舞辻無惨にだけは接触するなと厳命して! 彼女の血鬼術は必ずどこかで使い道がある!」

 

 あらゆる解毒薬、中和剤を持ち、猫を使役して支援できる彼女の価値は柱と同等だ。愈史郎ほど広域には無理だが、狭い範囲であれば彼女の惑血は愈史郎のそれ以上の力を持つ。毒の注入ができている以上、彼女が無惨に直接できる事はもうない。

 本来なら先に通しておくべきではあったが。珠世は優しく、また自罰的すぎる。愈史郎が自分に変わる第二の爆弾だなどというのは、絶対に承知しなかっただろう。

 現状における最善が何かは分かっているはずだ。しかし、自暴自棄になった者がどういった行動をするのかも知っている。釘を刺しただけで自覚してくれればいいのだが。

 

「ア―七地点、鬼ノ大群アリ! 鬼ノ大群アリ!」

「音柱、鬼ノ集団撃退ィィ! 傘下部隊ヲ切リ離シ進軍!」

「獣柱部隊、救援求ム! 劣勢! 壊滅ノ恐レアリ!」

「獣柱に引き返して貰いますか!?」

「駄目だ! 音柱がかかりっきりな以上、水柱と獣柱まで足を止めさせる訳にはいかない!」

 

 水柱、獣柱、鳴柱はある意味突入部隊の切り札だ。それぞれが別の理由で特殊な探索能力を持っている。彼らにはこの空間を維持している鬼を見つけ出して貰わなければならない。ある意味、鬼舞辻無惨の現在地を探すよりよほど重要な任務だ。

 以前から鬼を神出鬼没たらしめていた空間を操る鬼。こいつを倒すのは、今作戦の根幹であり大前提だ。こいつを最低でも夜明け前までに倒さなければ、負けが確定してしまう。

 

「別の部隊を向かわせるから、それまでなんとか耐えて貰って!」

「空間、入レ替ワリ! 入レ替ワリィ!」

「ああっ、もう!」

 

 苛立ちを思わず吐き捨ててしまう。これがあるせいで、部隊の編成どころか地図まで引き直しさせられる。こいつを排除しなければ、下手に作戦も立てられない。

 

「お館様、落ち着いて下さい」

「必ず、我らが守ります……」

 

 護衛、というよりは側付きである義勇と槇寿郎にたしなめられ、なんとか落ち着きを取り戻す。

 

「すまない、二人とも。無様な姿を見せた」

「いえ」

「それが役割ですから」

 

 この二人は護衛ではない。正確に言えば、もうそれだけの力は残っていなかった。

 自分達の為というよりは、護衛を務めている甲三人の為の采配だ。元とはいえども柱が、それも二人。かなりの安心感を与えてくれる。敵地かつほぼ戦力無しに孤立している状態で隊士が落ち着いていられるのは、彼らの存在が大きい。

 

「くいな、かなた。各人の位置再把握を急いで」

「はい」

「分かりました」

 

 相変わらず頭は茹だつ程に熱い。それでも回す頭は止めなかった。

 誰も彼もが命を掛けている。自分の指令に命を賭している。なら、死ぬ気で頭を使わなくてどうするというのか。今こそが、自分の命を捧げる時だ。

 

「急報! コチラヘ真ッ直グ向ッテクル鬼アリ! 襲撃! 襲撃ィィィ!」

「ッ!」

 

 ついに捕まった――臓腑を吐き出すような感覚を覚える。

 

「槇寿郎!」

「承知しております。くいな様、かなた様、こちらへ。お前達、行くぞ」

 

 言われ、槇寿郎が手際よく荷物を片付け始めた。

 これもまた、予想の一つにあった事だ。輝利哉、くいな、かなた。全員が生きて戻れるなど、そんな都合がいい妄想はしていない。

 二回だけ行える秘中の策。産屋敷直系を囮にして司令部の位置を欺瞞する。父が行った事の焼き回しだが、効果の程は保証できた。撒き餌でしかないとしても、意味があるならば食らいつく以外の選択肢はないのだから。

 これを現柱に隠しておいてよかった。密かに思う。もしそうでなければ、父の時と同じく柱が駆けつけてしまうかも知れなかった。

 一つだけ、心残りがあるとすれば。

 

「すまない、義勇。一緒に死んでくれ」

「……お供させていただきます」

 

 その場に産屋敷しか居ないのであれば、意味は半減する。鬼達が殺して満足できる程度の格は必要だ。例えば、元柱など。

 足を悪くした義勇がその役割を担うのは最初から決まっていた。

 後はギリギリまで使命をこなしながら、殺されるのを待つだけ。そう思っていたが。

 

「ヤッテクル鬼、無数ノ隊士ヲ従エテイル! 鬼ハ無数ノ隊士ヲ率イテイルゥ!」

「……は?」

 

 続く言葉が理解できずに、輝利哉は思わず間抜けな声を漏らした。

 

 

 

   ×××

 

 

 

「猪突猛進! 猪突猛進!」

 

 げたげたと笑いながら、伊之助はとにかくこの奇妙な屋敷内を走っていた。

 ここは全く以て奇妙だ。奇妙で、とても面白い。上下左右が何一つとして信用できない部分が特に。もしかしたら今まで戦ってきた鬼で一番面白いかも知れない。思う様、いろんな場所を跳ね回った。

 

「おっといけねえ」

 

 楽しすぎて遊んでばかりいたが、いつまでもそうしてはいられない。ここが大一番だという事を思い返す。

 

「ええと、俺がやる事、何だったか……」

 

 伊之助がやることは、他の柱より少しばかり単純で、同時にややこしい。

 まず最初、雑魚の中でも比較的マシな弱味噌どもを引き連れて無惨に襲いかかる。もし相手が逃げたら、罠だとか考えずに突っ込むべし。これは達成した。

 向かった先が知らない場所だった場合、連れてきた奴らは放っておく。これはまあ、伊之助が出来る事などない。元々配備されたのは戦闘専門部隊であり、かつ指揮官も何人か混ぜてある、らしい。放っておけばいくつかの部隊に別れて勝手に戦うだろう。

 事前に話されたほとんどはどうでもいい話だ。だから、伊之助が憶えておくべきなのは一つだけ。

 

「上弦の鬼、どこだァー! 俺と勝負しろー!」

 

 これだ。

 元は――何だったか。確か、鬼共をあっちこっちに移動させられる血鬼術を持つ鬼を探す為、だったと思う。多分。

 色々と小難しい事は話していた。やれ日本をほぼまるごと血鬼術で網羅するのだから相当階位の高い鬼だとか、十二鬼月ではないにしても鬼舞辻無惨の側近だろうだとか。だいたいはどうでも良かったので憶えていない。

 伊之助の悪癖だった。興味を持てない事には、そもそも記憶にすら残せない。しかし、要点を掴む能力だけはずば抜けている。

 詰まるところ、残る全ての上弦を見付けてしまえばいい。伊之助はそう解釈した。

 

「でけえ気配、でけえ気配。ゲハハ、四つもあるぜ! ……ん? 上弦は三人倒したんだから、残り三人じゃねえのか? まあどうでもいいか」

 

 ひょいひょいとまるで我が家の庭みたく軽快に跳ね、ついでに遭遇した鬼はとっとと斬り殺す。

 上弦の鬼と思われる相手を探すのは簡単だった。なにせそれ以外の鬼は、全てが下弦の鬼ほどに強化されており、つまりは平たくなっている。力に上下があるより、特別出っ張っている部分を探す方が遙かに簡単だ。

 ここまでは、炭治郎と善逸も似たようなものだろう。しかし伊之助には、現状況において一つ、突出したものがあった。

 環境適応と予測の力。つまり、やたらめったら勘が鋭い。

 普段は経験やら何やらで、さほど目立つことのない能力。状況を上手い具合に決定する能力は、ここに来て神通力じみた力を発揮していた。

 足下で急に穴が空く。方向感覚を滅茶苦茶にかき回される。いきなり鬼の集団と遭遇する事があれば、酷いとすぐ目の前の光景がいきなり代わりもした。しかしその全て、伊之助にはまるで通用しない。まるで空間の歪みすらも織り込み済みのように、一切の遅滞や動揺が見られない。

 敵味方の位置がどう動くのか、自分がこれからどこに向かわされようとしているのか、その流れに乗った方がいいか降りた方がいいか。これを行っている者が、こちらを弄ぼうとしており、しかし伊之助だけは上手く操れず焦っている事まで。全てがなんとなく分かる。

 一切の未知を無くし、既知に限りなく近い空想で埋め尽くす。自覚なしに、伊之助は己をそういう存在へと進めていた。

 伊之助が標的へ近づくごとに、妨害は激しくなる。既に視界すら定まらないような状態だった。もっとも、彼にとってはお遊戯以上の意味を持つものではなかったが。

 

「中々楽しめたが……ここだろオラァッ!」

 

 最後に立ち塞がった薄い壁を、無理矢理蹴り開ける。

 粉々に砕けた木片の向こう側が奈落だというのはあらかじめ分かっていた。即座に壁へ刀を刺し、足の指で壁面を掴む。

 内部は広間というよりは、一カ所だけ地面が残った運動場というような広さだった。ここだけで煉獄邸が丸々収まりそうなほどである。まあ実際に入れたら、ごく一部を除いて地の底へ真っ逆さまになるが。

 壁を走って、上へぐんぐんと昇っていく。その間にも縦から横から、家を無理矢理死角に圧縮したような柱が襲いかかってきた。物理的な影響力があり、一撃も下手な下弦の鬼より威力があるため、下手にごちゃごちゃ移動させられるよりよほど厄介だ。とはいえ、猗窩座の猛攻を体験した伊之助にとっては、無いに等しい。

 強い気配を発する鬼の高さまで駆け上がり、視線が合ったところで止まる。ピタリと切っ先を相手へ向け、堂々と告げた。

 

「やいやいそこのごちゃごちゃ鬼! 伊之助様と勝負しやがれ! テメェをぶっ殺せば俺が上弦の鬼を三匹倒した! つまり最強の柱だ! ウヒャヒャヒャヒャヒャー!」

 

 しかし鬼は、言葉を返しはしなかった。額すらも埋める大きな単眼で、ちらりとこちらを一瞥しただけである。

 ただし、伊之助はそれだけで気付いていた。あの鬼は柱の到着に焦っている。つまりはびびっている弱味噌だ。鬼として強い気配はするが、しかし猗窩座のようなひりつく強者の雰囲気はない。少しばかり不安になったが、まあ童磨のような例だって存在する。狙い通りの相手ではなかったとしても、どっちみち殺すのには変わりないし。

 と、ふとそこで気付いた。

 

(あの野郎の目……上弦の、伍?)

 

 確かそれは、伊之助が倒した上弦の鬼ではなかっただろうか。なんだったか。ぎょ、ぎょ……まあ思い出せないからどうでもいい。

 あいつは上弦の伍を倒したと言った。しかしここに上弦の伍が存在する。つまり。

 

「なんだあの野郎、上弦を勘違いしてやがったか! 仕方ねえ奴だな、ハハハ! いいぜ、獣柱様が代わりにぶち殺してやる!」

 

 何を言われようと、鬼は一切無駄口を叩かなかった。代わりに来たのは、今までなど比べものにならないほど苛烈な攻撃。

 もはや視界を埋め尽くすそれは、柱というよりも壁だ。避け筋など考えるだけ無駄だと確信させる物量。どうしたって圧殺は免れない。柱でなければ、と注釈が付くが。

 

「知らねえのかぁ!? どんだけでかくても脆けりゃ意味がねえんだぜ!」

 

 一発で何十何百人と殺せるような一撃であろうとも。それが正しく効力を発揮するかは相手による。

 猗窩座の殺気が籠った打撃を知った後では。こんなもの赤子の手を捻るより簡単に対処できる。

 一足で端へ寄り、二刀で壁を削って内側に潜り込み、三手目で攻撃の上に乗り上弦の伍へと接近した。幸いにも、相手の血鬼術で足場だけは確りしている。己の出せる最高速度で突っ込もうとして。伊之助はその場で上に跳ねた。

 いつの間にか、目の前に襖が生まれていたのだ。扉は開かれており、当然その向こう側には上弦の伍が見える。が、彼の勘は語っていた。あのまま進んでいても、絶対に上弦の伍へはたどり着けなかったと。

 いったん距離を置いて、柱の上に立つ。そこでもまた似たような感覚。今度は軽く左に移動した。一瞬前まで居た場所に穴が空く。こちらも想像する通りにあべこべ屋敷の通路が続いているだけだが、一度入れば出られるのは別の場所だと直感した。

 少しばかり悩みながら、頚を回す。いや、血鬼術に理屈を求めるのは無為なのかもしれないが、それでも。

 

(この感じはあれだな、ここに来てからずっと味わってたもんと同じだ。てことは……)

 

 視線だけで周囲を見回し。

 

(でけえよく分かんねえ建物全部が血鬼術って事か? そういや人をあっちこっち動かす鬼が居るみてえな話を聞いた気がすんな。確か獪岳もこんな感じで落ちてきたし)

 

 その鬼は、最優先討伐対象だったと記憶している。それが上弦の伍だと言うならば。

 

「これはあれだ、一石二鳥ってやつだな! ハァーッハッハッハ!」

 

 そうと分かれば。改めてぶち殺す。

 

「ハ! ハ! ハ!」

 

 再び走り始めると、少しばかりふらついた。決して足を滑らせた訳ではない。自分はそんな間抜けではないのだから。

 これは、地面そのものが動いている。

 揺れる地面にはそれなりに慣れているが。動く地面で戦うのは初めての経験だった。足下が覚束ないという程ではないが、慣れるまで全力疾走は難しい。

 動きが鈍くなった伊之助に対し、三方向から柱が迫ってくる。

 

「狙いが甘ぇんだよ!」

 

 これが童磨や猗窩座のような相手なら致命的な隙になっただろう。しかしこの程度ならば、いくら足場に慣れていなくとも問題ない。二度三度と体を動かし、いとも簡単に躱していく。

 短い攻防の中で確信した。上弦の伍は、前に戦った上弦の鬼より遙かに弱い。昔の自分ならば太刀打ち出来ないほどの力ではあるのだろう。しかし今ならば、何ら問題なかった。

 しかし、相手はいやしくも上弦の鬼に任命されるほどの者。

 柱同士が叩き付けられあって砕け、大量の廃材が積み上がる。いつの間にか自分が囲まれている事に気がついた。間髪入れずに、逃げ道がなくなった哀れな蟻を踏み潰そうと落ちてくる一際大きな柱。

 

「だから……」

 

 しかし、伊之助もまた柱。この程度でどうにか出来るほど柔ではない。

 

「甘ぇっつってんだろうが!」

 

 動き回らせてくれた事で、動く床の上で走るこつは掴んだ。踏ん張る事さえできるなら、でかいだけが取り柄の脆い攻撃などものの数ではない。

 獣の呼吸 肆ノ牙・切細裂き

 連続して放つ刃で、囲いと柱、双方を同時に攻撃する。避けるためだけではない、動きはそのまま、上弦の伍へ向かう道を拓いていた。

 駆ける間も柱の叩き付けや、謎の襖などが出てくるが、そんなものに引っかかる訳がない。

 戦っていて、伊之助はある法則に気がついた。奴にとって攻撃手段と言えるのはあべこべ屋敷の一部を叩き付けてくるもののみ。しかもそれらは急に生み出して急に消すという事はできないのだ。発生こそそれなりに早いものの、距離があれば十分に対処可能。そもそも距離がないと十分に加速できず攻撃たり得ないという使い勝手の悪さ。一度出した柱は戻すしかないため、使い勝手がいいとは言えず逆に利用できる。触れるだけで危険な童磨の氷とは大違いだ。

 真に警戒すべきは襖の方だが、こちらはなんとなく、いつどこに出てくるかが分かる。無様に通ってしまうような間抜けは晒さなかった。

 問題は……

 

(っ、近づけねえ!)

 

 上弦の伍の攻撃は、本当に体したことなどない。真に厄介なのは、守勢がとてつもなく上手い点だった。

 根本的に、こいつの血鬼術は攻勢に向いていなかった。ましてや当人はその場から一歩も動かず、ずっと琵琶を弾いている。襖と柱はある種の盾だ。これらを上手く連携させる事により、どうしても本体に切っ先が届く距離まで踏み込めない。

 方向性は違うが、炭治郎と戦ったときに似ている。守りに徹されれば、まさに鉄壁。負けはしないが勝てる気もしないという、ひたすらに面倒で厄介な状態だ。ただ、炭治郎は強く上弦の伍は弱いという違いはある。

 全力で殻に篭る奴が一番倒しづらい。稽古時、こんな事をして何になるんだという経験をまさかここでする羽目になるとは。

 

「くそっ! 強くねえのに倒せねえ! モヤモヤさせやがって!」

 

 なんとなくだが、こいつは戦う気が無いのだろうと思った。

 今までどれほど弱い鬼でも、とりあえず戦う気はあった。なのにこいつからは、戦意というものが全く感じられない。精々煩わしい障害物といった程度だろう。それがまた苛立ちを助長させる。

 認めるのは癪だが、こういう相手は善逸が向いている。瞬間的に最高速へと達し、まるで空を飛ぶかのように駆ける。その上鬼ですら反応が困難な速さなのだから、これ以上の適任はない。残念ながら、全て伊之助には持っていないものだ。

 無理をしてでも懐に潜り込むか、と考える。それはすぐ却下せざるをえなかった。勢いをつけた柱くらいならば、上手く当たれば一発程度食らっても問題ない。しかし襖の方は、通ってしまうのは不味い。本能がそう告げていた。この手の勘は、外した事がほとんど無い。多分だが、通ったら死ぬなどという事はない。ただし、もう一度上弦の伍を捕捉できるかは極めて怪しいと踏んでいる。

 ここで上弦の伍を見失うのは、恐らく自分が思っているよりも遙かに危険だ。下手をしたらもう二度と捕まえられないと考えた方がいい。

 漠然とした危機感。それは時として、整然とした正しい理論にも勝る。

 

(どうすりゃこの野郎をぶち殺せる?)

 

 ちまちましたやり口は性に合わない、などと言っていられない。かといって、今以上の方法も思いつかなかった。ここで延々時間を取られるのも、あまり面白い事態ではない。伊之助ら三人は、少なくとも上弦全てと無惨を捕捉するまでは可能な限り自由に動くべきだと言われている。

 来る直前の鎹鴉が、善逸は上弦の陸と、炭治郎は上弦の陸の弱点を探すのにかかりきりだと聞いた。この状況が相手の思惑という事もないだろうが、図らずとも索敵能力に飛び抜けた三人が足止めされる形となってしまった。

 上弦の伍の血鬼術は、類を見ないほど強大なもの。それこそ出力で言えば過去最大規模を持っていた童磨すら及ばないだろう。どうする、どうする、どうする……

 

「ああああああ!」

 

 ぐちゃぐちゃになった思考に、伊之助は絶叫した。その辺にあった木材に頭を叩き付ける。

 

「ごちゃごちゃ考えんのはやめだ! とにかくぶっ殺す! 速攻ぶった切る!」

 

 自分を人だと考えるから悪いのだ。俺は獣。獲物に食らいつく牙そのもの。なめらかな刃を不揃いにし、まるで噛みつくようにしたのものだからだ。

 

「ちまちまちまちま逃げんのは上手えけどよお……こんなのはどうだァ!?」

 

 その辺にいくらでも転がっている瓦礫に剣をぶつける。ただし、今までのように斬るのではなく叩くようにして。

 上弦の伍が初めてぎょっとしたように見えた。飛散してくる木材など、鬼にとってはどれほども意味を持たない。ただ、伊之助はなんとなく感じていた。あの鬼がその場から動かない事、何故か琵琶を弾いている事には意味がある。

 小蠅がたかってきても鬱陶しいと感じるだけ。しかし、獲物を前にした状況ではたったそれだけで失敗に繋がる。今までは自分だけに集中させたから悪いのだ。とにかく余計な事をして、徹底的にやりたいようにさせない。

 自分へと降り注ぐ小窓を開いてその中に飲み込ませた。見た目は、その向こう側に上弦の伍がいるのだが。桟を通り抜けた瞬間、まるでそこに何もなかったかのように消える。一瞬後、少し遠くでかつんかつんと何かがぶつかる音がした。

 あれを通り抜けてしまうと別のどこかへ飛ばされてしまう。感じていた危惧はこれだったか、と納得した。

 上弦の伍は当り前の事を判断したつもりだったのだろう。しかし伊之助は、とんでもない阿呆だと断じた。今のやり方がとても有効だと証明してしまったのだから。

 

「ハァーッハー! もっと食らいやがれー!」

 

 一度分かってしまえば、後は簡単だ。とにかくその辺を手当たり次第にどかすか飛ばしていく。

 上弦の伍が次々と窓やら襖やらを作って、それらを防いだ。が、今までとは比べものにならないほど頻度が高い。

 

(確か獪岳の野郎は見極めろって言ってたよな)

 

 にたにた笑いながら思い出す。

 

(あのクソ女は琵琶を弾くのを邪魔されるのは、それこそ俺に近づかれるよりまじいってこった。それに、あの変な窓もあんま長い時間維持してらんねえ。だいたい十数秒が限界ってとこだな。んで、一度弾いて出せるのは窓か柱のどっちか。片方を一度に複数出せても、両方いっぺんにはできねえ)

 

 証明するように、柱を突撃させの攻撃頻度はどんどん減っていった。鬼から余裕がなくなっていくのを如実に感じる。

 柱が向かってくる頻度が下がったため、攻撃の材料は少なくなったが。代わりに動きを制限される頻度も減ったため問題ない。人が鬼と戦うときは、どれだけ自由に動けるかが勝負できるかの境目だ。そういった意味では、これまで上弦の伍は隊士に隊士をさせない事が極端に上手かった。

 伊之助が自由に動き始めた事で、相手はより一層こちらから意識を離せなくなっただろう、と予想する。なにせ、一瞬でも余裕を持たせれば即座に頚を狩るべく動くと分からないほど阿呆でもないだろうから。

 

「……ちっ」

 

 しかしここまでして。なお攻撃圏まで踏み込めない。

 仕方の無い事でもある。今の攻撃はあくまで嫌がらせであり、頚を斬るための順手ではない。刃を届かせるには、まだ二手も三手も足りなかった。

 力が足りる足りない以前に、そもそも相手が勝負をする気すらない。鬼が逃げただけならただ追いかければいいだけだが(大抵追いつかないが)さすがにここまでガチガチに守られると殺すまでの順序というものが全く想像できない。

 

(牙のねえ相手ってのはここまで厄介だったのか)

 

 兎でも追い詰められれば牙を剥く。人でも鬼でもそれは同じだった。しかしこいつからは牙を感じない。驚くほどに。まるで巨木でも殴っているような気分だ。

 互いに決定打を打てない――いや、現状はやや上弦の伍が目標を達成しているか――状態のまま、千日手になり幾ばくか経った頃だった。状況を変える存在が突入してきたのは。

 最初に見えたのは、人でなければ鬼でもない。ましてや屋敷の破片ですらなく、ただの塊だった。

 巨大な炎の塊。それこそ、ただの幻影だと分かっていながらも熱量を感じてしまうほどの。何よりびっくりするほど真っ直ぐで、馬鹿でかい気配。こんな気を放つのは鬼殺隊といえども一人しか居ない。

 解ける幻の内側から現れたのは、柱が一人。煉獄杏寿郎。

 

「ギョロ目!」

「よくぞ上弦の鬼を見付けてくれたぞ、嘴平少年! 君がこの異空間の主を抑えていてくれたのだな! おかげで分断される事が随分少なくなったぞ!」

 

 突如現れたもう一人の柱に、上弦の伍は即座に押しつぶそうと――あるいは押し返そうと――幾重にも柱を放つ。

 いきなりの大質量攻撃に杏寿郎は驚きを見せたものの、しかし動きには僅かばかりも遅滞はなかった。すぐに地形を把握し、即座に跳ねて避ける。彼の広域での観察眼は柱の中でも優れているとは言いがたいため、かなり大振りな回避になってしまっていた。

 

「ギョロ目ぇ! 柱の攻撃は大した事ねえ、ぶった斬れるし足場にしろ! それよか問題は変な窓だ! 向こう側が見えるからって下手に潜るとよく分かんねえ場所に飛ばされちまうぞ!」

「なるほど、感謝する! 窓は冨岡達が見たという奴だな!」

 

 とはいえ、対応能力そのものはずば抜けて高い。一度理解してしまえば、結果は今の通り。ほとんど伊之助と同じように潜り抜けて接近を始める。

 柱二人の猛攻。ましてや炎の呼吸と獣の呼吸は、全呼吸の中でも上位に位置する攻撃力を持っている。彼らが完璧な連携をして波状攻撃をしかければ、あの上弦の弐すらも落とせる、それほどの炎牙(えんが)を前に。しかし上弦の伍は崩れなかった。

 

「クソがぁ! これでもまだ駄目かよ!」

「なるほど、嘴平少年が手こずる訳だ」

 

 まるで山を削っているような気分になる。それも土でできたものではなく、巨大な綿の塊。手応えなどほとんど無く掘る事はできるが、対象があまりに大きすぎて全く減らせている実感が湧かない。

 攻略が進んでいない訳ではないのだ。例えば、入った物を転移させる襖も、枠を壊してやれば機能を停止する、など。これで大きすぎる回避を必要としなくなった……と言うほど簡単ではない。

 上弦の伍は小さな、それこそ手足しか入らないだろうという程度の窓を多用するようになった。

 相手の血鬼術は、異なる空間同士をつなぎ合わせて渡り歩くというもの。一つの疑念がある。果たしてこれは、本当に攻撃へと転用できないのかと。

 人が通りきらない内に、意図して途切れさせる。そうされたらもしかして、繋がっていた一つは無理矢理二つにされてしまうのではないだろうか。

 『通路』は常に閉じてから消えていた。可能性としてはあまり高くない。が、もしそれが嘘だとしたら。手なり足なり、致命的な部位を無くす。

 実態は分からないが、少なくとも上弦の伍はこちらがそれを警戒していると分かって虚構を作っているだろう。窓の出現速度はさほど速くない。有効に使えるのは、そう多くない回数だ。使えるなら必ず致命的な場面で発動する。そう考えさせられているのも、間違いなく上弦の伍の思惑通り。

 掲げている看板ほど強くない。ただし、上弦の伍という数字より数段厄介な存在。それが彼女だ。

 あと一歩で頚まで手が届く。そう見えて限りなく遠い。

 

「この状況は不味いな」

「分かってらあ!」

 

 小さな杏寿郎の呟きに、噛みつくようにして伊之助が返す。

 上弦の伍は確かに最優先討伐対象だ。最低でも彼女を倒さなければ、鬼舞辻無惨を日の光が届く場所へと引きずり出せない。しかしそれ以上に、まだ上弦の壱と上弦の肆を見付けていない状態で、柱が二人も釘付けにされているのは危険だ。ましてや現在は、善逸と炭治郎までもが足止めを食らっている。現在、柱の中でも飛び抜けた索敵能力を持つ者全てが封じられている形になっていた。

 善逸は不死身である上弦の陸を封じるのに苦心している。彼を解放するために、炭治郎もまた奔走せざるを得なかった。

 

「……嘴平少年、ここは俺に任せて君は行け!」

「あん? 何言ってやがんだ」

「この鬼は夜明けまでに倒せばいいが、上弦の壱だけは、絶対に無惨が動き出す前に殺さなければならない! 君はそちらを探してくれ!」

「んなこと言ってこいつを横取りするつもりだろ!」

 

 幼稚な反感をしたのは、どう考えても杏寿郎の言葉が正しいからだ。正しいのは嫌いだ。そこから弾かれて生きていたのだから。故に、伊之助は強弱を尊ぶ。

 どこまでも前を向く杏寿郎と、直線的に見えて、しかし心の深いところがねじ曲がってしまった伊之助。二人の性格における相性はあまり良くない。それは訓練でも分かっていた。

 とはいえ。

 

「俺は誰がどれだけの功績を挙げたかなど気にしていない! できれば他の柱を連れて、上弦の壱へ向かってくれ!」

「誰の命令も聞かねェ! 俺の主は俺だけだ!」

「これは命令ではなくお願いだ! 頼まれてはくれないだろうか!」

「しゃあねえな、聞いてやるぜ」

 

 杏寿郎も噛み合っていないのは感じていた。故に上手い操縦方法も心得ている。

 伊之助は前進を辞めて、後ろに跳ねた。

 勝てるかどうかはさておき、杏寿郎であればこの程度の鬼に負けることなどあり得ないだろう。彼の強さはよく知っている。悔しいが、現時点では確実に自分より上だと。性格に、奇態な動きと政党派剣士、生い立ちに至るまで。どこまでも違う二人だが、ただ一つ、秘めたる心の熱量だけは同質だった。

 だから分かった。本当なら、上弦の壱と戦いたいのは杏寿郎であり、譲られたのは自分の方だ。鬼を探す適性がない為、壁役に徹する覚悟をした。

 

(ちっ)

 

 気に入らない。が、そこまでされて無碍にも出来ない。

 誰もが命を賭して戦っている。分かりきった事だ。こんな所で個人的な我儘を言っている場合ではない。

 少なくなった足場を使って、手近な通路へと向かっていく。今の伊之助は索敵特化の型たる空間識覚を常時発動しているほど感覚が鋭い。残りの上弦とて、位置はすぐ把握できた。位置だけは。

 伊之助、炭治郎、善逸。それぞれ超感覚を持っているが、同質ではない。伊之助は位置こそ分かるがそこへ至るまでの順路は分からないし、炭治郎は風下に立っていないと匂いを辿れない。善逸は順路こそ筒抜けだろうが、代わりに反響する音が多すぎると正確な捕捉が難しくなる。

 場所は分かっても道筋は不確か。壁を壊して真っ直ぐ進もうにも、さすがに物量が多すぎた。だからこそ、偶然道の繋がった上弦の伍に辿り着いた訳だが。

 他者より早く上弦の壱まで辿り着く自信はあるが、どれだけの差があるかまではさすがに保証できない。杏寿郎から向けられる期待は、少々重たかった。

 しかし。どこまでも強くあるのが嘴平伊之助。

 

「ギョロギョロ目ん玉! そいつきっちり仕留めとけよ!」

「承知した! 君も武運を祈る!」

 

 果敢に切り込む中でも返ってきた言葉を背にして、異空間の中心部とも言える場所から離れる。

 誰かに期待されるのは苦手だ。獣の世界とは強さの世界。獣の王とは力の王。ただそれだけの頃は、全てが自分だけで完結できた。

 日輪刀を手にして剣技を編み出し、鬼と鬼殺隊なるものを知って闇の世界に飛び込み、山のように鬼を斬って己を証明し続け。いつしか一人ではいられなくなった。昔より強くなったのに独りでなくなった今を、なんと言えばいいのか。伊之助には表現の方法がない。

 だが。託されるという事がどれだけ尊いのかは知っている。なんとなく、そうやって人間は永久に続いてきたのだろうとも。

 勝たなければいけない。役割を果たさなければいけない。これまでだけではなく、これからも望むなら。

 上弦の伍、煉獄杏寿郎、全てを振り払って伊之助は走った。まず上弦の壱を倒すところから始めなければいけない。

 

 

 

(さて……)

 

 去り行く伊之助を気配だけで感じる。さすがに背中を目で追いかけるだけの余裕はない。ただし、その程度の事を考えるくらいの余裕はある。この微妙な隙間が、上弦の伍の厄介なところなのだが。

 この鬼の戦い方は極めて分かりやすい。専守防衛。もっとも、それだって一般隊士では何十人同時にかかろうとひねり潰されるだけの力は持っているが。

 今までの攻防で分かったのは、この防御を短時間で突破するには柱が三人必要だと言う事。必要なのは攻撃力ではなく手数と機動力だ。可能な限り柱での攻撃を無視しつつ、転移門を回避ないしは破壊し続けて刃が届く距離まで接近する必要がある。

 一人で戦っても死ぬ心配はないし、現時点で無理して柱を三人揃えてまで倒す利点もない。上弦を二人(できればそのうち一体は上弦の壱がいいが、さすがに高望みだろう)倒してからでいい。

 ではなぜ杏寿郎がここに残ったのかと言えば。一つは、一度見失ったらもう二度と見付けられない可能性があるから。もう一つは……

 

「ここでお前に負荷をかけ続ければ、外で戦っている者の助けになる。お前の血鬼術はひたすらに強大かつ無尽蔵だが、それとて制限がない訳ではない」

 

 言葉で下手くそな揺さぶりをかける。

 こういうのが向いているのは胡蝶なのだがな。そんな事を考えながらも続け、相手の顔色をつぶさに観察した。

 

「入れ替えの血鬼術は、恐らく大雑把に部屋単位でしか行えない。また転移門も、異空間の内側では、同じ部屋のにしか開けないのだろう?」

 

 自信満々を装って言うが、確証は全くない。転移門に飲み込まれたものが近場(と言っても柱二名と上弦の鬼が暴れ回ってなお余る広さはある)にしか吐き出されなかったからという、かなり根拠に薄い状況証拠からねじ曲げただけだ。一番負担が低い方法だった、と言われればそれまでの推論である。

 が、無意味ではない。

 当たっていればそれでよし。外れていても、つまりはそうするだけの余裕をこちらが奪っているという事の証左なのだから。

 

「そして! この異空間はお前の血鬼術そのもの! だからこそ自由自在に扱えている!」

 

 こちらに対しては、それなりに根拠がある。

 日本全国津々浦々に鬼を送り込み、今もそこらの都市程に広大な空間。これらを都度入れ替えているというならば、それこそ話に聞いた上弦の弐に数倍する強大な血鬼術だ。これだけでも上弦の壱でおかしくない。しかし異空間を製造し、それを任意の場所に繋げるというならば。まだ理解の範疇にある能力である。当り前の話として、血鬼術は必ず人が思い描く内側にしか成立しえない。

 

「何より、君が我妻少年と接触したと思わしきあたりから、露骨に空間入れ替えによる邪魔が減った。彼が余裕を奪ってくれたからこそ、俺はここまでたどり着けたのだ!」

 

 鎹鴉が迷わずここへ案内できたのもそのおかげだ。もし途中で一度でもどこかへ飛ばされていれば、杏寿郎は上弦の伍まで辿り着けなかっただろう。

 この異空間は無敵の血鬼術に見えて、いくつかの法則が存在する。例えば、部屋を閉じた空間にはできないなど。かならず順路として成立させなければならない。そういった無数の制約と大きな力の二つによって、この異空間は存在を許されている。どこにどれだけの人間がいるかも察知しているだろうが、同時に鬼と人の見分けも付いていない。分かっていれば、もっと効率的に隊士を殺しているだろう。完全に把握しているのは、恐らく上弦の鬼と柱だけ。これも隊士に、いくらか不利になりきらない状態を維持させていた。

 そして、法則の一つに彼女が動けない事と、琵琶を鳴らさなければならいのも含まれていると杏寿郎は踏んでいた。

 琵琶を一度鳴らす度に、血鬼術が発動する。それはつまり、ここで攻め込み続け、無駄撃ちさせればそれだけ外の隊士達が楽に戦えるという事。

 

「お前を徹底的に攻め続ける。絶対に楽をさせん」

 

 そう宣言しても、上弦の伍の顔色は変わらない。しかし、ほんの少しばかり気配が揺らいだ。それを確認できただけでも、ここで圧力をかけ続ける価値を見いだせる。

 間違っていないという確信は必要だ。迷いはそのまま剣に出る。宣言して相手に目的を強く意識させるのも同様だ。

 動きをさらに早め、鉄壁の守護を少しずつ剥ぎ取っていく。今すぐ届かせようなどとは考えない。とにかく抉って抉って抉り続けて、嫌が応にも相手にこちらの目的はとにかく邪魔をし続ける事だと意識させる。

 ここまで、思い通りにいっている風に語ったが。秘している問題もある。

 

(どうにも鎹鴉の動きが鈍い。もしやお館様に何かあったのか……?)

 

 次善の策、つまり鬼舞辻無惨から離反した鬼の片割れである愈史郎。彼の血鬼術が使えなかった場合、司令部そのものが後を付いてくる事になっていた。現在お館様と側近である妹君二人は、無力な状態で敵陣に孤立している。襲撃は致し方ないと言えた。

 これが普通の鬼であればまだいい。甲三人に、最近まで柱であった者が二人。そこらの鬼であれば十分撃退できる戦力だ。さすがに被害がなしとはならないだろうが。

 しかしこれが上弦の鬼であった場合、ただでは済むまい。最悪、既に壊滅している事態すらあり得る。産屋敷の尊敬しつつも恐ろしい部分は、そうなっても情報網が機能する何かを構築している可能性があるという点だ。現場の人間は、敬愛するお館様の死にすら気づけずに。

 駄目だ、惑うな。少なくとも上弦の伍に悟らせるな。そう自分を叱咤する。

 自分は不器用な人間だ。強さこそそれなりであるという自負はあるが、飛び抜けた才能などない。愚直に積み上げていった結果、なんとか柱になれただけ。なればこそ、愚かしいほど一つの目的に集中する。

 

(俺は俺を信じるのみ! たったそれだけが、いつでも俺を支えてきたのだから!)

 

 この選択は間違いではないはずだ。そう念じて、目の前の鬼以外、全てを意識から追放した。

 

 

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