獪岳と善逸   作:山筋

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悪鬼滅殺

 それを見たとき、炭治郎が真っ先に思い浮かべたのは旗だった。竹竿に括り付けられたそれは、風に煽られて不規則にたなびく。軽く薄いが故に、けして予想しきれるものではない。

 日輪刀に寄り添って放たれる帯は、それこそ数えるのも馬鹿馬鹿しい。一見しただけでは空気に負けているそれだが、実のところ、日輪刀を欠けさせる強度すら持っていた。

 隊士でもまま勘違いしがちだが、基本的に鬼の体や血鬼術で生成した物体は、日輪刀より硬い。それでも鬼が斬れるのは、隊士の技量もあるが、一番は日輪刀の性質が大きいだろう。太陽光を内包した金属で作られた日輪刀は、それだけで鬼が生み出すあらゆるものを解体する。無論、完璧にとはいかないし、本家本元たる太陽には遠く及ばないが。

 鬼は強くなればなる程(という表現は正確ではないだろうけれども)、日輪刀に対する抵抗力が上がる。十二鬼月ほどともなれば、その効力はないも同然だと言っていい。高位の鬼に隊士が殺されるのは、何も強さだけが原因ではないのだ。日輪刀の効力低下による、相対的な鬼の強度上昇。これがかなり大きい。

 つまり、十二鬼月と相対するには、最低でも全ての斬撃で斬鉄を行えなければいけなかった。

 拘束で振り抜かれる鋼の布を切り裂くだけならば、炭治郎には問題ない。ただ、ちょっとした気圧の違いですら軌道が変わるのだけは、如何ともしがたかった。威力だけは上とはいえ、素直に真っ直ぐ飛んでくる上弦の陸の帯の方が遙かに対処しやすい。

 自由に動けるならば、この程度いくらでも対処のしようがある。というか対処する必要すらない。ただ真っ直ぐ向かってくるだけならば、圏外に退避してしまえばいいのだから。

 だが、炭治郎の背後にはまだ、義勇と輝利哉がいる。素早く動くことができない二人が、せめて視界から消えるまでは、ほとんど足を止めた奮闘が必要だった。

 

(大丈夫)

 

 鬼、それも十二鬼月の攻撃を真正面から受け止める。誰に聞いても正気とは思えない所業にしかし、炭治郎の心は僅かも揺らいでいなかった。

 

(童磨の血鬼術は、これより遙かに強力だった。今のおれならいける!)

 

 隊士としては決して長く務めたとは言えないが、それでも時間は濃密だった。時には勝ち、時には命からがら生き延びて。そういった積み重ねの上に自分が存在する。一つとして無駄にはせず、全てを血肉とした。

 炭治郎が強敵との戦いを経て得た、迷わないという技能。それはもしかしたら、嗅覚以上に大きな財産となっていた。

 数十という攻撃を視野に収めつつ、切り離した帯からも意識を離さない。これだけの情報を頭に無理なく収められるのは、少しだけ不思議な感覚だった。柱稽古をする前の自分ならば、どこかで破綻していただろう。

 一瞬だけ首を振って、周囲を確認する。しんがりを務めていた義勇の背中が、ちょうど通路の暗がりに消える所だった。ここで初めて、炭治郎は回避を選択する。

 避け様に、元隊士幾人かの頚を切り落とす。

 隊士の頭が胴体から零れる度に、胸が痛んだ。当然だ。かつての仲間を殺すことに、何も感じない筈がない。それでも行えたのは、これこそが彼らに対する弔いだと信じたからだ。鬼にされて人を殺すくらいなら、殺された方が全然いい。

 

「なんだい、今更逃げ始めて」

 

 状況をよく分かっていないのか、或いはただ単にお館様よりも柱の方が優先順位が高いのか、上弦の陸は面倒くさそうに呟いた。

 刀に撒かれた帯の射程距離は長くない。一度距離を離してしまうと、届くのは本体が放つ攻撃のみだ。

 少しずつ労力を思考に任せるようになって、ふつふつと怒りが湧いてくる。それを押し止めるには忍耐が要求された。感情を燃やすのはいい。しかし、爆発させてはいけない。激情は動きを単調にさせる。鬼に力で対抗できない以上、それは弱体化以外の何物でもない。

 それでも、余計な言葉が口を突くのは止められなかった。

 

「お前は……人を何だと思っているんだ?」

「はぁ?」

 

 全く意味が分からないと言った様子で、女が返す。

 

「こんな、人を道具のように扱って、一体何がしたい?」

「何を意味が分からない事を言ってるんだい」

「なんで人の命をそんなに軽んじられるんだって聞いてるんだ!」

「……はっ、そんなどうでもいい事か」

 

 精一杯感情を抑えつけ、それでも溢れてしまった言葉に対し、上弦の陸はどうでもよさそうに吐き捨てる。

 

「元々、雑魚も不細工も生きてる価値なんてないんだよ。塵屑はより上の存在に何されたって、文句の一つも言う権利すらないのさ!」

「そんな事で……たかだか強さなんてもので……人を平気で踏みつけるって言うのか……?」

 

 思わず唖然とする。阿呆のように、口を開けるしかできなかった。

 時間をおけば、怒りが蘇る。

 死者は戻ってこない。死は終焉だ。一個の命が潰える。後に残るのは記憶だけ。だから全ての生き物は、今日を必死になって生きるというのに。

 刀を握る手に不自然な力がこもる。こういったものが余分なのだと分かっていても、荒れ狂う奔流を止められない。

 

「俺は! 絶対に! お前を許さない!」

「吠えるんじゃないよ糞餓鬼ぃ! アタシは柱を七人も喰ってるんだ! アンタみたいな馬鹿餓鬼一匹でどうにかできると本気で思ってるの!?」

 

 知った事か、と心の中で吐き捨てた。

 こんな時であっても、頭は回る。善逸の推論が正しいならば、彼女は斬っても死なない鬼だ。いくら柱が精強と言っても、さすがに不死性に飽かせた持久戦に持ち込まれれば危うかった。多分それこそが、彼女が柱を倒し続けた絡繰の正体だろう。

 ただし、今は善逸がもう一人の上弦の陸を相手している。ある意味彼女たちは、弱点をむき出しにして戦っているのだ。

 強さはどう見ても、男である上弦の陸の方が上だ。こちらの方は、防御力だけで言えばあちらより上だろうが、戦力は何段も見劣りする。隊士鬼という取り巻きを含めてもだ。ならば、善逸がいつあちらの頚を斬ってもいいように、彼女の頚を落とし続ける必要がある。

 難しい事だ。が、それくらいやってやる。鬼にされ、自意識すらをも奪われ、言うがままに人を殺さねばならない隊士達の無念に比べれば、その程度なんという事はない。

 弱かった自分も強くなった自分も、全てよく知っている。それが、無数の人々が絆を繋いで初めて至れた事も。

 今を無意味になど、絶対に否定などさせない。命を軽んじるような奴に、弄ばせたままでなるものか。

 

(まずは……)

 

 心を整えようとするが、上手くいかなかった。炭治郎の未熟な点だ。

 これが上位の上弦ではなくてよかったと、心底思う。こんな心境で挑んでいたら、すぐ殺されていただろうから。

 

(守りを剥ぎ取る!)

 

 まず狙うべきは、隊士にされた鬼達。

 上弦の陸を消耗させる事無く、融通が利くとは言いがたくともある程度自立して動く彼らは、かなり厄介だ。一対一で負けることはないと断言出来るが、囲まれた状態で延々戦えるかと問われれば、さすがに限度がある。

 外側から螺旋を描くようにして回り、一人ずつ確実に仕留めていく。

 幸いにして、炭治郎の走る速度は、柱の中でも中盤ほどだ。それこそ走力だけならば義勇と同程度はある。

 対多数の場合は速度で引っかき回すのが一番有効だと、無一郎が言っていた。高速で走り回る相手を叩くには、どうしても周囲の仲間が邪魔になると。万世極楽教で一番の激戦区を戦い抜いた彼の言葉だ、信憑性は高い。

 まるでその場からかき消えるように、炭治郎は横移動を始めた。上弦に隊士に、目で追いかけはしている。ただし、反応そのものは遅い。

 

(やっぱり)

 

 炭治郎の中で、いくつか思うことがあった。当り前と言えば当り前だが、鬼は経験によって得手不得手が違う。

 武器を生み出す血鬼術か、もしくは武器に血鬼術を上乗せする類いの鬼は、速度で優位を作ろうとしても上手くいかない。逆に、血鬼術が主力の鬼は、速度についていけない事が多い。

 分かりやすい例が童磨と猗窩座、もとい狛治だろう。

 童磨は何度か善逸を見失っている節があった。気付いたのが今更なのは、血鬼術が死角を潰すのに最適だったというのもあるが、一番は彼がすこぶる嘘をつくのが上手かったため。

 対して狛治は、速さによる誤魔化しは一切きかなかった。それこそ血鬼術を実質的に無効化した後でもだ。彼が不意を突かれたのは、あくまで探知型血鬼術に触れられなくなった動揺からだ。

 上弦の陸の血鬼術は確かに強力ではあるものの、全方位を収められる程ではない。付け入る隙はいくらでもある。ましてや童磨の氷より数段斬りやすく、かき回すのに十分な欠点だった。

 二人、三人と順序よく数を減らしていく。その度に、上弦の陸が苛立ちを増すのが分かった。

 

「ちいっ、死んでも使えない連中だね!」

 

 叫びながら、隊士鬼に密集陣形を取らせた。

 間違ってはいない。が、正解でもない。横列密集陣形は古来からある戦闘の基本ではあるものの、当り前に、一個の強力な存在を相手することなど想定していない。ましてや血鬼術が、本人から伸ばす類いなのだ。これで炭治郎は、上からしか奇襲を警戒する必要がなくなった。

 七人、八人。壁がどんどんと減っていく。その場に残るのは、破かれた隊服と日輪刀だけ。すでに彼女の周りは、戦闘部隊から、たたの取り巻き程度まで減じていた。

 とはいえ。

 

(勝負はここから)

 

 自我を無くした鬼を操りながら戦うのは、鬼側にとっても新機軸の技術だ。謂わばこれまでは、慣れない方法で戦っていた。ましてや相手は経験豊富な上弦の鬼、本領が来るとしたらそろそろ……

 

(っ、来た!)

 

 上弦の陸を守るように配置して隊士鬼が、急に炭治郎を囲むように配置した。いや、正確に言えば、こちらの動きをほんの一瞬制限する為だろうか。

 その間に、いつの間にか生み出されていた膨大な帯が、折り重なって穿孔具の形を取る。

 

「血鬼術・櫓葛籠(やぐらつづら)!」

 

 歪な円錐状のそれには所々、刃だと思わしき突起があり、それを高速回転させながら放ってくる。

 これは斬れない。そう判断するしかなかった。

 それの密度がどれほどかは知らないが、ただでさえ帯一枚が鋼鉄と比肩できるほどの強度。ましてやそんなものを回転させながら放たれれば、円錐を斬きりきる前に刀が折れてしまう。

 分かっていたが、血鬼術が防御向けだと言っても防御ばかりではない。ただの盾だって、頭を殴れば人を殺すのだ。

 隊士をまた一人始末しながら、圏外へと逃げた。肩を浅く斬り裂かれる、この程度なら許容範囲内だ。

 

(やっぱり上手くなってる)

 

 本当ならば今の交錯で、二人を殺すつもりだった。しかし、一人目に上手く抵抗されたせいで、二人目に手を付ける余裕を無くす。

 上弦の陸が操作に慣れたというだけではない。隊士鬼を減らしたために、操る適正数になりつつあるのだ。

 二十人以上を十分に操りながら、自分も十二分の力を発揮して戦うのが難しいなど、経験のない炭治郎でも簡単に予想できる。恐らくは隊士鬼と上弦の陸、双方が最大の力を発揮しつつ戦えるのは、六、七人といった所だろう。それでも多いと思うが、多分これは才能の差だ。彼女には人を使う天性がある。

 上弦の陸だけならば問題ない。隊士の群れでも同様。しかし、上弦の陸が隊士の()()を率いたなら、話は全く別だ。精強な軍隊に、それを十分に活かせる隊長。しかも隊長は、中でも飛び抜けて強い。

 

(でもそれだけだ)

 

 炭治郎の心には、さざ波の一つとして立たない。

 どれだけ強くとも、所詮は手が届く範囲。童磨や狛治のように、絶対に勝てないと思えるほどではなかった。

 柱を名乗ると言う事は、最強に相応しいと周囲が認めたという事でもある。つまりは期待であり願いだ。どうか勝ってくれ、鬼を倒してくれ、という。ならば、それを裏切ったりはしない。絶対にしない。

 多少状況が変わっても、やることは変わらない。まずは隊士鬼から減らしていく。上弦の陸に隊士鬼を上手く使うことは頭にあっても、守るという発想はない。いくら扱いが上手くなっても、こればかりは意識の問題だ。彼女が己を顧みらない限り、条件が変わることはない。

 いくら相手が手強くなろうとも、瞬間的には一対一の状況がある。後はそれさえ見逃さなければ、落としていくのはそう難しくなかった。何も問題は無い。仲間を切り捨てていくという罪悪感を除けば。

 残る隊士鬼が二人になったところで、攻撃の密度が目に見えて落ちた。

 血鬼術を使いすぎて消耗したため……とは違うか。単に、護衛の隊士が減りすぎて執れる手段が減ってきたのだろう。今まで隊士鬼が担当してきた、炭治郎の誘導。それを帯でせざるを得なくなったのが証拠だ。自由に動ける分だけ、防御に回す労力が減った。

 最後の二人を安らかな眠りへ誘う。結局、獪岳のような飛び抜けた血鬼術の持ち主はいなかった。多分、彼は相当特殊な類いだったのだろう。柱三人を戦闘不能、うち二人は再起すらできなかった事を考えれば、そうそういてたまるかという話でもあるが。

 鬼と人、一人ずつになり、改めて正対する。

 上弦の陸の血鬼術は概ね味わった。結果、出した答えは、問題なしというものだ。硬く鋭い、確かに強力な力だ。ただし、致命的に物足りない。本人に武の心得でもあればまた別だったのだろうが、反応速度が遅ければ、それを補う経験もなかった。

 

「アンタみたいな糞餓鬼にぃ、このアタシが!」

 

 帯が大量に溢れて、折り重なる。確か、八重帯斬りという技だったか。逃げ場を無くしてから切り刻む血鬼術だ。欠点は、帯を一撃で複数枚切り飛ばす技量の持ち主相手には、鳥籠たり得ない点。

 彼女から不死を抜いて見た場合、さして厄介な相手ではない。強度であったり、速度であったり、搦め手で攻める頭脳であったり。或いはその全てが少しずつ、柱と戦うには足りなかった。

 頚を斬る。再生される。腕を斬る。再生される。足を斬る。再生される。胴体を斬る。再生される。上弦らしい生存能力であるが、次に繋がらなければただの時間稼ぎでしかなかった。

 どれほど刻み続ければいい、などという思考を頭から排除する。普通の鬼でないならば考えるだけ無駄だ。こうし続ける事が、善逸の助けになるとだけを信じる。

 どれだけ斬ったかなどという事を、いちいち考えはしなかった。ただ、およそ十回ほどだろうか、頚を落としたところで、唐突に上弦の陸が座り込む。

 何かしらの予兆かと懸念し距離を開けたが、しかし懸念が現実になりはしなかった。代わりに、上弦の陸がまるで幼い少女のように、大声で泣き出す。予想外すぎて、さすがに困惑を隠せなかった。

 

「わあああぁぁぁん! なんでアタシばっかりこんな目にあうのよおおぉ! お兄ちゃぁぁぁん! 助けてよおおぉぉぉ!」

 

 彼女にとっては、当り前に感じ、そして発散すべき理不尽だったのだろう。

 しかし。炭治郎は。

 今まで胸の裏にしまっておいた怒りが零れ出る。制御にはあっさりと失敗した。こんなことを聞いて何も感じないほど、炭治郎は大人になれなかったし、また仲間の無念を安く見積もる事もできない。

 

「なぜ泣く……?」

 

 自分でも底冷えするような声。

 皆の笑顔と、感情を映さない顔。それらが交互に移り変わる。

 

「なぜ泣けない……?」

「なに意味わかんないことばっかり言ってるのよおおぉ! わあああ!」

 

 泣きながらも体は再生している。しかし、速度は遅い。衰えたのかと思ったが、多分違う。意識した方が再生速度が速いというだけだ。戦おうという意思さえ持てば、まだいくらでも戦える。

 でも、どうでもいい。そんなことはもう、どうでも。

 

「なんでお前は、自分のために泣けて、人のために泣けないんだ……! なぜ平気で人を喰える! 死者を弄べる!」

「知るかああぁ! 人のことなんてどうでもいいわよお! アタシは奪われた! 何もかも奪われた! その分を他人から取り立てる事の何がおかしいって言うのよお!」

「それが自分と同じ思いをする人を作ることになってもか!」

「知るかって言ってるでしょ大馬鹿ああぁぁぁぁ!」

(何を言っても……)

 

 届かない。そう感じざるを得なかった。彼女はどこまでも、自分本位にしか生きられない。

 炭治郎は諦めた。

 禰豆子や狛治のように、己を取り戻す者もいる。しかし、どうしようもない鬼は、その数倍、数十倍する数がいるのだろう。中には生前から、他者を搾取する事に一欠片の罪悪感も抱かない者だっている。

 彼女は本当に哀れな人間だったのかもしれない。自分の胸に抱く思いは、正しいものではないのかもしれない。それでも。

 炭治郎は剣を握る手に力を込めた。

 

「精算しろ。お前が奪ってきた全て……返すことはできなくても、せめてあの世で詫びろ!」

「お兄ちゃん! 助けてよお! おにい――」

 

 彼方へと向けられた哀願は最後まで聞かず、炭治郎は彼女の頭を、塵に成るまで刻み続けた。

 

 

 

   ×××

 

 

 

 実のところ、小芭内はかなり追い詰められていた。上弦の肆――確か去り際にちらりと聞こえた会話によれば、半天狗と言ったか――の痕跡を、全く見付けられていないのだ。

 既に周辺はあらかた探し終わったと言っていい。それこそ、壁の向こう側やら床に天井までをも壊しながら、本体を探し続けた。結果は悉く空振り。足跡ところか、本体がいたという痕跡すら見付けることができなかった。

 

「どういう……事だ!」

 

 歯ぎしりしながら吐き捨てる。苛立ちで、眉間にしわが寄った。

 

「推測を間違えていた? いや、これでもかなり広めに見積もって探索した。上弦と言えど、必ず限度はあるはずだ。あの中に本体が居たと言う事はあり得ない。自分の名を呼ぶことすら厭う小心者だ、そんな奴を生かしておくはずがない。だとすれば……本体は予想している姿ではないのか?」

 

 だとすれば、厄介などという言葉では済まされない話だ。全ての前提が覆る。

 あれだけの血鬼術を並列して扱う鬼だ、まさか本体が無防備であるという事はないだろう。さすがに、戦闘用の分裂体ほど力があるとは思えないが。

 考えられる可能性を、一つずつ潰していく。

 まずは、変装して隊士ないしは木っ端鬼になりすまし潜んでいる可能性。これはないと断言できた。上弦の陸に続いて肆まで混ざってきた時点で、余計な隊士は、善逸が退散させている。隊士の集団は鬼を討伐しながら離脱したため、残っている鬼もいない。

 建物に擬態しているというのも、まずないだろう。小芭内はそこら中を切りながら進んでいたのだ。これだけ念入りに逃げ回っている鬼が、うっかり頚を斬られる危険は犯すまい。他の鬼に混ざるのと同程度には危険だ。

 

「ある程度自由に動け、自衛手段も持ち、なおかつ発見されづらい……。まさか、大きさを変えているのか?」

 

 予想が当たっていたとしたら不味い。小芭内は顔を引きつらせた。

 彼は、恐らく隊士の中で一番の弱視だった。過去の軟禁生活がそうさせたのか、もしくは生まれつきのものか。今となっては知るよしもないが。

 一般的な、視界がぼやけるという類いのものではない。暗いところで極端に見通しが悪くなったり、動く物体を捉えるのが難しかったりといったものだ。故に眼鏡も意味がなかった。まあ、どちらにしろ、激しく動き回る中で付けられるものでもないが。

 蛇の呼吸を扱うのも、最初は苦肉の策だった。自分と相手が高速移動し続けて戦う環境では、小芭内の目は対象を正確に捉えてくれない。そのため、少しでも被弾率を下げる動きをする呼吸が必要だった。蛇の呼吸で柱になれるだけの適性があったのはたまたまだ。

 この異空間は薄暗い。月のない深夜、家の中に点々と灯しているのに近かった。この中で小さな捜し物をするというのは、小芭内にとってとてつもなく難易度が高い。いや、彼単独でならば、不可能と言ってもいいだろう。

 

(我妻はどれだけ持たせられる……?)

 

 最大の懸念はそこだ。

 我妻善逸の強さは、それこそ柱の中でも上位に食い込める程だと小芭内は踏んでいる。なにせ上弦の弐と上弦の伍を倒しているのだ。しかも、上弦の伍に至ってはほぼ単独で、である。

 しかし、上弦の鬼は鬼殺隊にとって目の上のたんこぶであると同時に、恐怖の代名詞だ。存在を確定できる機会そのものが少ないため、正確な数字は出てこないが。大体上弦の鬼一匹につき、柱が二十人から三十人を殺されていると推測されている。根本的に、一人で挑んでいい相手ではないのだ。

 そんな相手を二匹も同時に押し止めている。長く続く訳がない。過去の柱が逃げに徹しながらも、増援が来る前に殺される。上弦の鬼とはそういう存在だ。

 善逸が殺されれば、最悪、上弦の鬼二匹が解き放たれる。趨勢が一気に鬼側へと傾くのは火を見るより明らかだ。防げるかどうかは、小芭内の働きにかかっている。

 

「鏑丸、どうだ?」

 

 問うてみるが、返答は否定だった。

 鏑丸には、先ほどからもずっと索敵してもらっている。が、小芭内に精緻な探索が難しい以上、鏑丸に、より頼らなければならない。

 

(鏑丸でも分からんか)

 

 小芭内は渋い顔をする。なんとか実際にため息をつくことだけは堪えた。

 蛇の感覚器官は人のそれと違う。この場合、具体的にどこがというのはどうでもいい。重要なのは、人間とは見えている、感じている世界が違うという点だ。対人間に特化した欺瞞は通用しない。

 確かに、この空間において小芭内の索敵能力は、柱の中でダントツの最下位だ。ただし、それはあくまで彼が一人で行った場合の話。鏑丸と一緒であれば、超感覚を持つ新人三人に次ぐ力を持っていると自負している。それでも分からないのだから、半天狗の臆病は相当だ。その一点だけは褒めてやってもいい。見付けたら口の中に窒息するほど糞を詰め込んでやる、とも思うが。

 鏑丸は十分以上に働いている。そこに疑う余地はない。

 であれば、小芭内も選択をしなければならなかった。予想より遙かに強大な血鬼術であるから、探索範囲を広げるか。それとも、狭い範囲を逃げ回っていると当て込み、今まで探した場所をもう一度回るか。

 こんなことでいちいち悩まなければならないのは、異空間の構造故だ。

 横に広いだけならばいい。隊士にとってはさしたる問題ではない。しかし、この異空間は建築物のような造りをしている。縦にも広がっているのだ。ましてや順路が入り組んでおり、行き来にも手間がかかる。探索範囲をほんの数間広げるだけで何十倍の労力になるのか、考えるだけで頭痛がしてくる。

 集中力とて無限ではない。気力がいくらあったって、補えないものはある。そもそも、自分の集中力がまだ維持できているかさえ保証できない。

 

(何か……何か情報はなかったか? せめてどちらにするかを決断できるだけの何かが。思い出せ、必ず何かがあったはずだ)

 

 完全無欠の血鬼術など存在しない。制限のない血鬼術も。

 だから、強い鬼であればあるほど上手く騙す。騙すと言う事は、欠点そのものであるのと同義だ。

 見落としは必ずある――と、強く信じる。一秒とて無駄にできないのだから、当て推量でも運でも、とにかく正解を引き寄せなければ。

 

(血鬼術の範囲は当初想定したとおり……これはもう信じるしかない。今から範囲を広げれば、我妻は確実に死ぬ。なら俺が考えなければいけないのは、鬼が逃げている方法だ)

 

 呼吸を深くする。体を運用するためのものではない、頭に活を入れるためだ。

 

(追跡者を感知しつつ、体を逃げやすいように変えている、両得の可能性。これはもう切り捨てるしかない。そうならばもうお手上げだ。感覚強化と身体変化、どちらの血鬼術が簡単か、答えは後者。奴の分体が扱う血鬼術は直接的かつ物理的な影響しか持っていなかった事からも、これは間違いない)

 

 思い返せば、半天狗の分裂体は合体して若返っていた。当時は特に意識しなかったが。もしかしたら、小型化は血鬼術に力を回したが故かもしれない。

 屁理屈だが、筋が通っていなくもなかった。小さくなりつつ、血鬼術に燃料を回す。おまけに自分の発見も難しくなり、一挙両得だ。分かりやすいと言えば、分かりやすすぎる論法ではあった。

 

(どこにでもいる動物への擬態。これはない。基本的に生き物の侵入を許さないここでは、かえって目立つ。慣れない姿になって痕跡を減らすというのも、簡単だとは思えん。最低でも融合分裂体より小柄……恐らくは小動物程度だ。虫ほどまで小さくなれば、歩幅が狭くなりすぎていざという時の逃走に向かない)

 

 一度考えを掘り返す。矛盾はない。少なくとも、すぐに思いつくものは。

 

(まだ血鬼術を残している。ただし、それは移動用のものではない。これだけ自分に逃げ道を用意する臆病者が、最後の最後に自衛の手段を残していないわけがないからな。つまり見付けさえしてしまえば、後は普通に鬼を殺せばいい)

 

 そこで、また呼吸を一つ。今度は覚悟を決めるためのものだ。

 小さな違和感と情報から捻り出したそれを、正解だと思い込む。大部分を経験で補った回答が間違っていれば、上弦の肆討伐は失敗となるだろう。

 無能などと言う言葉では許されない過ちは、絶対にできなかった。恐怖心が呼吸を乱そうとする。沢山の仲間が、自分を柱と崇め従ってくれた。それは、鬼を倒すからだ。必ず鬼を殺してくれるという信頼あってのものだ。そこを裏切ってしまえば、何が残る?

 汚れた血。汚れた体。汚れた心。汚れた生。そんな人間を、誰もが信じて託した。時には命をかけてまでも。これに報いる事ができなくて、なぜ柱を名乗れよう。

 誇りではない。義務感でもない。そんなに高尚なものは、どうしたって持てない。

 せめて演じる。絶対的な鬼の殺戮装置として。伊黒小芭内という人間性を捨てて、“柱”という存在になりきる。

 

「鏑丸! 兎から鼠程度の生き物を探せ! 今までは無視していた、小さな隙間を重点的に頼む!」

 

 シイィ、と歯の隙間から息が漏れるような音が聞こえる。それが肯定だと、小芭内は知っていた。この世で最も信頼できる存在であり、同時に己の半身。後は賭けたものに全てを注ぐ。

 今まではむやみやたらに総当たりしていたが、今度は予想半径の外周から調べていく。

 あの半身は、言うなれば飛び道具だ。自動で動き相手を追尾し、勝手に殲滅する。そういった意味では、自意識を持っているのが玉に瑕だろうが。ともかく、あれに全部任せるならば、理想としては射程範囲ギリギリに位置取りたい筈だ。相手が屑の卑怯者だというのを抜きにしても、当然の判断だろう。

 人類は有史以来、徹底してより遠くへ届く武器を望んできた。長射程武器の利点は、相手に気付かれにくく、一方的な攻撃をし得る事。欠点は、一度放った後からの調整が不可能な事だ。恐らく、あれはそういった欠点に引きずられている。

 

(俺が本体へ接触したのを分裂体が感じ取れたとして、その後どれだけ猶予がある? 本体を一瞬、一撃で倒せるなどという甘い見積もりを無しにしてだ。最悪は、転移か何かで瞬間的に戻せる場合。最悪の場合は振り出しに戻されてしまう。そうでなければ、我妻が気付いてある程度時間を稼いでくれると思うが……上弦の陸を一方的に嬲っていたのは、間違いなくかなり幸運に恵まれたからだ。そもそも上弦の鬼複数を同時に相手するのが無茶な話、止める余裕もない事とて考えるべきだろう)

 

 最も確実、と言うか可能性が高い方法は、痣と赫刀の同時使用だろう。だが、これだって問題がある。根本的に、小芭内の筋力が低すぎた。

 

(痣の発動は一歩手前まで訓練したが、さすがにこの状況でぶっつけ本番をする気にはなれん。赫刀……俺が使おうとすれば、足を止め、周囲への意識もせずに全力で握り紺でなお、20秒以上の時間が必要になる。その間にも本体が移動していると考えたら、やって意味があるかは、正直難しい所だ)

 

 今更使って探索済みの場所へ逃げられたら元も子もないし、第一、まだ攻撃を当てる見込みもないのだ。予想の中で一番小さな、つまり鼠程度の大きさになられていては、赫刀であるかどうかは関係が無い。重要なのは精緻に頚を刈り取る技術。

 いや、そもそも無数の血鬼術を使い、自己を切り分けた化け物だ。自分の肉体くらい改造して頚の位置を変えていると思った方がいい。さらに必要な時間が増えた。

 可能性で言うなら、既に善逸が殺されている事だってあり得る。むしろその方が自然だ。その場合、彼の死は全くの無駄になってしまう……

 自然と歯ぎしりをしていた。是が非でもここで仕留めなければ、あの世で彼に掛ける言葉もない。

 通路を駆け、時に部屋を横断し、無意味に高低差が激しい場所を跳ねて抜け。

 一度通った道であるために、頭の中に地図はできている。地形を憶えて整理する能力は、視力の弱い小芭内には必須の能力だった。

 いや、そんな事よりも。

 

(地形に変化がない。誰かがこの空間を維持している鬼を見付けたか? 倒せば崩壊している可能性が高い……動きを封じるのに徹しているのか、それとも倒してなお存続する血鬼術なのか。後者とは考えたくないが。いや、そこではない。なぜこんなに重要な情報が伝わってこない?)

 

 小芭内が動き回っているのも、間違いなく一因ではあるだろうが。それにしたって遅すぎる。

 空間を頻繁に入れ替えられた為に起こった、鎹鴉の混乱。地図を描ける様になったため、再編集の最中。そういった何かしらを考慮しても、なお遅い。

 これが、上弦の鬼全てを捕捉したため、柱への情報伝達を後回しにしているだけならばいい。鬼舞辻無惨の発見へと集中しているなら願ったりだ。そうでなかったとしたら、かなり危険だ。

 

(まさか、本部を捉えられたのか?)

 

 それは、お館様の命を救いたいという感情論を抜きにしても、憂慮すべき事態だ。このだだっ広い敵地で、全ての隊士が孤立した事になる。

 

「チッ! どこもかしこもだな!」

 

 どれだけの懸念が積み重なろうとも、小芭内にできる事はない。あれもこれもと解決するには、彼の手は余りにも小さく、また短すぎた。

 とはいえ、だ。

 

(普通の隊士よりはいくらかマシか)

 

 そんなことを思わされるのは、この先に、複数の気配が集まっているからだった。それこそ、小芭内の能力では把握しきれないほどの。

 

(この先にあるのは、融合部屋だな。転移が発動していなければ、だが)

 

 まんまの命名だが、どうせ二度と見ることもない。仮称が雑だろうが気にしないことにした。

 六つほどの部屋が不揃いに折り重なり、繋がる通路は七つ。それも高さが全て違う。普通の建築思想からだとあり得ない構造は、まあこの気色悪い空間を象徴したものだと言えた。

 多少足場は悪くとも、集団で戦うには向いている地形だ。だからこそ悪い。

 小芭内は部屋に飛び込むのと同時に、下を確認した。十数名――部隊二つか三つ分の隊士が、三十を優に超える鬼に囲まれている。

 隊士の育成に膨大な時間と手間をかけ、その上選別まで行っている。それに対し、鬼は鬼舞辻無惨の血を分け与えるだけでいい。こちらが数で劣るのは分かりきっていた。ましてや突入する者は、さらに選別をしているのだから。

 強化鬼と戦うときに留意すべき点は、とにかく硬い事だ。甲以上ならば当り前のように斬れても、それ以下だとかなり手間がかかる。反面知能は獣並なために、本部は早々に閉所での戦闘を命じていた。逆に言えば、開けた場所で力の勝負をしたら、ほぼ勝ち目がないと読んだ訳だ。

 眼下の光景は、分かりやすい証明ではある。

 壁面のずれた場所、恐らく部屋同士をくっつけた際に正確ではなく、飛び出してしまったであろう突起に足を掛けて。真下に思い切り加速した。

 蛇の呼吸 参ノ型・塒締め

 本来ならば一体の敵を複数方面から切り裂く技だが、歩幅と進行方向を変えれば、対多数にも使える。この程度の小技を扱えなければ、柱を名乗れない。

 連続して塒締めを放つ。塒締めに限らず、型というのは短時間に多用すべきではない。相手に呼吸を憶えられてしまうから。が、獣相手ならばそこまで気にする事ではない。事実、さほど時間を掛けずに全ての討伐を終えた。

 最後の一匹を始末してから、小芭内はその場に止まった。休んだわけではない。ただ、考える事があった。

 

「伊黒様! ありがとうございます!」

「…………」

 

 声を掛けてくる隊士を、ちらりと見やった。瞬間、彼はびくりと肩をふるわせる。

 睨まれたとでも思ったのだろうが、そんなつもりはない。こういう反応をされると地味に傷つく。阿呆の義勇や目つきで人を殺せそうな実弥でもあるまいに。

 単純に、小芭内は彼らの使い方について思案していたのだ。上弦の肆の情報を与え、捜索を手伝わせるか。それとも、このまま露払いをさせるべきか。

 

「閉所での戦いを厳守しろ。それと、甲はいるのか?」

「あ、私が……」

「ならばお前が最後に頚を斬れるよう、隊列を組み直せ。少々多いが、これで一つの部隊にしろ。無駄に死ぬな。相手に餌を与えるな」

「はっ、はいっ!」

 

 結局、派手に人手など使って、相手に察知されてしまう危険の方を重視した。どのみち、彼らが上弦の肆を発見したとして、頚は切れないだろう。ならば、無駄に危機感を与えてしまうだけになる。

 本当ならば二部隊くらいに再編成しなかったが、人員不足の為に断念せざるをえなかった。やはり下弦の鬼相当の頚を斬れる者は貴重だ。そうほいほい、いないと分かっていても悔やまれる。

 頭を切り替えて、再度聞く。

 

「お前達はどちらから来た?」

「あっち、ですけど」

 

 指さされたのは、一番下段にある通路だ。頭の中の地図と照らし合わせ、運がいいと頷く。

 例えそれが鬼に追い立てられている隊士であったとしても、人気がある場所に臆病者は留まるまい。そして折良く、彼らが来た方向は、丁度分裂体を中心として外周を走る二つの道のうち一つだった。

 

「あの、それが何か……」

「俺の動きを気にしている余裕があるのか? あの程度の鬼に手こずっている貴様に?」

「いえっ、すみません!」

 

 特に脅したつもりもないのだが。隊士は体を縮めてかしこまった。何故だか、普通に話していても、こういう反応をよくされる。

 普段なら理由を問いかけたかも知れないが、今はそんな余裕など無い。とっとと行動させるべく、急かした。

 

「いつまで間抜け面を晒している。とっとと動け」

「はい! 全員集まれ! 今居る人員を二つに分ける! 一つは私と、積極的に鬼を倒す部隊! もう一つは可能な限り戦闘を避け、甲ないしは鬼の頚を斬れる者と合流して指揮下に入る部隊だ! 基本は竈門一班と嘴平三班、残った人員をそれぞれ分ける形にする!」

 

 やることが決まれば、さすがに甲、行動は早い。

 元々面倒は見れなかったが、それでも安心しておいて行けるというのは大きい。誰かに死なれるのは嫌いだ。例えそれが、既に死ぬ覚悟を決めている人間だとしても。そんな姿を見るくらいなら、自分が死んだ方が何倍もマシだと思う程度には。

 壁を駆けて最上段まで上がり、一番上の通路へと入る。半天狗が推測通りの性格であれば、この通りにいる可能性が高い。

 

「大丈夫か、鏑丸」

 

 これまで随分と、鏑丸には負担を掛けている。今までは、ここまで長時間、集中させる機会などなかった。そのため、限界がどこにあるかなど分からない。

 返事は、軽く首筋をさすることで返された。冷たい鱗の感触が心地よい。

 通路は、破壊跡を抜きにしても隙間が多かった。建物自体は新造といった雰囲気があるものの、梁の上やら通路のつなぎ目やら、犬猫ならばともかく、鼠程度の大きさなら潜めそうだ。

 そういった場所さえ見ていればいいという反面、小さな穴も見逃せないというのが精神を削る。と言うかいい加減、視界が明滅してきた。

 

(分かっていたつもりではあったが……隠達の働きはここまで大きかったのか)

 

 通常、鬼の発見は藤の家紋の家のような、一般協力者から募る。そこを起点として隠が精査し、ただの噂であれば撤退、人のしわなら警察に情報を流し、鬼だと分かって初めて隊士が派遣される。大抵は時間制限など無く、炙り出しをすればいいだけなので、ここまで集中して探し回る必要はなかった。

 隊士が鬼殺隊の主力である。これは変えようのない事実だ。しかし、それだけでは全く成り立たない。一から十まで全て自分の手でやらなくてはならない状況になって、強い無力感と無能を思い知った。

 人の助けがなければ何も出来ない。それこそ、唯一の取り柄である暴力で解決する事すら。

 

(弱音を吐いている場合か? 柱ならば柱に相応しい働きをしろ!)

 

 強く叱責して、目に力を込めた。暗くなりかけていた視界が開く。目の裏側が熱くなった。危険な兆候だが、知ったことか。役割を果たせるならば、目など二度と見えなくなったっていい。

 総当たりで探索した期間も含めれば、既にかなりの時間、本体を探し続けた事になる。つまりは同じ分だけ、時間を無駄にしたという意味でもあった。いい加減集中力よりも忍耐の方が限界を迎えそうだ。

 これだけ探し回っているのに、痕跡すら見付けられないのはさすがにおかしい。鬼は消えているのではない、分かりづらくなって移動しているだけだ。それこそ半天狗専用の通路などというものがあったら、一発で見付けられるくらいには破壊活動をしてきたつもりだ。

 あらゆる生物で、存在した痕跡すらなく動けるものなどいるのだろうか。隊士の中でそういった動きに一番卓越した時透無一郎ですら、どこにいるかは分からなくとも、そこにいただろう痕跡くらいは残す。

 何を考えているのか全く……

 いや、と考え直す。

 何を考えているのかなど、本気で考えたことはなかった。真剣に探していないという意味ではなく、立ち位置の問題。

 小芭内は弱い。それは体であったり、心であったり。だからこそそれらを否定して、強く在ろうとした。時には無意味な虚勢すら張った。そうして、張りぼてでもなんでもいい、強い自分を演じ続ける。彼の目には、あの日――炎を纏って鬼を切り裂き、甘やかしたりなどせずしかし支えてくれた、偉大な炎柱の背中がある。

 対して、半天狗はどうだろうか。弱さを肯定し、卑劣たるを肯定し、戦いを分けた自分任せにして逃げ回る。いくら情報網が麻痺しかけていても、上弦を発見すれば、柱の元に鎹鴉が飛んでくるだろう。一般隊士が上弦の肆に倒されたという報告すら入ってこない事が、鬼の性根を証明している。

 弱者の事を想った事はある。だが、弱さの上に胡座をかいた者の事は、そういえば考えた事もなかった。

 

(卑怯で卑劣で、それをなんとも思っていない臆病者の立場になって考えろ。そういう奴の安心はどこにある?)

 

 胸焼けを憶えながら、昔を思い出す。

 当時の炎柱・煉獄槇寿郎に助けられる前。小芭内の世界は格子のついた部屋と、屋敷のごく僅かな範囲だけだった。いつも何かに怯えていた。それは鬼だけではなく、自分を不気味に甘やかす親族に対してもだ。

 あの時、自分の安心は果たしてどこにあっただろうか。鏑丸が側に居てくれた時、脱出のため一心不乱に格子を挽いていた時。そして――

 

「鏑丸! 後ろだ!」

 

 叫び、小芭内は全力で停止した。高速移動をしている状態から無理矢理止まったものだから、床を踏み抜いてしまう。

 背後、視界に映るギリギリの位置から、小さな気配を感じた。意識していても、ともすれば見逃してしまいそうなものだ。こちらを確認して(あるいは認識された事を悟って)すぐさま離れようとする、鼠ほどの大きさしかない人型。

 そうだ、弱くて臆病な自分の安心はどこにあった? それは相手が見える時だ。どこにいて、何をしているか分からない。それは、目の前で刃物をちらつかされるよりよほど大きな恐怖があった。

 

(この糞野郎は、ずっと俺の跡を付けていた! 通りで見つからん筈だ!)

 

 逃げ回っていたのではなく、つけ回されていた。確かにこの大きさで背後にいたのならば、二週目に入る頃などには、既に痕跡は風化しているだろう。

 完全な盲点だ。度の過ぎた腰抜けというのを甘く見ていた。まさか恐怖を否定するために、常に懐へと入り込んでいたとは。

 

「ヒ、ヒイイィィィ!」

「逃がすか!」

 

 鼠ほどだった体がどんどん肥大化していき、人間程まで戻る。額の大きな瘤と角を除けば、見た目はただの老人だ。

 歩幅を最大値にまで上げ、一目散に逃げる。とはいえ、その足は決して速いとは言いがたかった。通常、鬼が全力で逃げに徹したら柱とて追いつけない。逃走する鬼の頚を刈れるのは、それこそ善逸くらいだろう。元の身体能力が低いと言っても、さすがに下弦の鬼以下というのはおかしい。

 

(力の使いすぎ――いや、吸われすぎたのか。これも飛び道具の弊害、供給源はあくまで本体であり、奴には消耗を制御できないと見た! この上ない好機!)

 

 使った力をどの程度で補充できるかは分からない。しかし、そこら中に隊士の死体で溢れている。一度逃がしてしまえば、奴は姿を眩ませつつ補充に走るだろう。

 今だけ。上弦の肆が衰弱し、速力すら小芭内以下となった今以上の好機は、この先存在しない。

 

「貴様に逃げ場などない!」

「なぜ、なぜ儂がこんな目に! か弱く哀れな儂が、なぜ命を狙われねばならぬのだ……!」

 

 ひいひいと、小声で泣き言を言いながら走る半天狗。身勝手な物言いに、青筋が立った。屑はどこまで行っても屑。

 一本道の通路、鏑丸が常に動きを監視し、奴に残された手札は多くて二つ。発見した時点で半身が来ないあたり、転移はさせられないのだろう。もしかしたら、遠距離で意思疎通すらできないかもしれない。

 距離はみるみるうちに縮まった。平坦で開けた場所は蛇の呼吸に向いていないものの、相手は走り方も分かっていない素人。ましてや鬼の真骨頂たる人間を鼻で笑うが如し身体能力を発揮できないならば、この結果は当然だ。

 いよいよ刃が届くかといった所で、半天狗が振り向く。

 予想した通りの動きだ。自分の身を危険にさらされた事が無い者は、最後の最後に逆上して自棄になる。何度も見てきた鬼の行動。自分は鬼であり、根本的に人より優れた能力を持っているという自負があるのだからなおさらだろう。

 鬼の体がぶくぶくと肥大化する。五尺と少しだった背丈が、今や行冥を遙か超えて一丈ほどにまで巨大化していた。枯れ木のようだった体つきも、巨体に相応しい肉を宿している。なにより、見た目こそそのままだが、舌に刻まれた文字が『怯』から『恨』へと変わっていた。

 これが最後の最後、半天狗を守る盾。

 

「正しくか弱き者を追い立てて何が楽しい!」

 

 絶叫と共に、豪腕が迫る。人間を粉砕するどころではない、鍛え抜かれた分厚い鉄板すらをも貫く威力だ。

 だが、その程度が一体何だと言うのか。

 本体を捉えた。その時点で半天狗の命運は決まっている。

 

「貴様のような屑に生きる資格など無い!」

 

 蛇の呼吸 壱ノ型・委蛇斬り

 両腕共々、頚を跳ね飛ばした。同時に、不自然だと察知する。攻撃力に反し、体が余りにも脆すぎた。逃げの一手を取り続けた鬼として、およそ相応しくない。

 生き別れになった頭と体を同時に見る。頭の方は崩壊が始まっているが、首の断面は綺麗なまま。いや、断面から再生が始まっている。これもまた、上弦の鬼と言うには遅すぎるものだったが。

 

(この上でまだ分身か! つくづく気色の悪い!)

 

 つまり『恨』の文字を持つ鬼は最後の砦であると同時に、囮なのだろう。殺したと思わせ、そのうちに反撃する。もしくは逃げる。

 腕の断面から指を生み出し、鋭い爪を貫手の形にし、再生の勢いで突き出してくる。この不意打ちも、散々猜疑心に蝕まれていなければ、素直に貰っていたかも知れない。しかし、分かってさえいれば、先ほどの一撃ほども脅威ではなかった。今度は上下の二連撃で、両手を肩から落とす。

 本体が逃げていないのは分かっていた。鏑丸からの忠告がない。ということは、鬼の体内に潜んでいる。

 口まで再生した鬼が、ひたすらに薄汚い身勝手を吐き捨てた。

 

「弱い物いじめを! するなああああぁぁぁぁ!」

 

 もはや型も何もなく、むちゃくちゃに掴みかかってくる。破れかぶれの攻撃に、しかし気分は少しも良くならなかった。ひたすらに怒りが増す。

 こんな、自分だけが良ければいいと思っている奴に。ひたすら己の安寧しか頭にない奴に。数々の死と不幸を生み出しながら、その上で平穏を当り前のように享受する奴に。

 隊士達が、殺されてきたと言うのか。

 邪悪は、居る。鬼舞辻無惨のような、存在自体ではなく。ひたすら自分勝手な精神性を持ち、どれほどの悪行でも我が身可愛さに正当化できる悪党。

 人間の屑。人でなし。

 溢れる感情は、そのまま刃の速さに変わった。

 

「俺はな……」

 

 蛇の呼吸 伍ノ型・蜿蜿長蛇

 全身を切り刻み、つぶさに断面を観察する。再生はあくまで本体がいる部位から始まっている。それさえ気付いてしまえば、後は簡単だ。体を刻むごとに位置を特定していき、ついに見付ける。心臓――そこに潜んでいた。

 体を切り開かれ、光を確認した半天狗急いで逃げようとする。この期に及んでまだ逃走を考える鬼に、小芭内は渾身の怒りを刃に込める。

 

「貴様みたいな「この世で自分が一番不幸だ」と思っている奴が大嫌いなんだよ!」

 

 蛇のようにうねる鋭い牙は、背を向けた半天狗の頚を正確に捉える。

 小さな小さな頭が跳ね飛び、絶望の表情でくるくると回る。音も立てずに頭が墜落するのとほぼ同時、『恨』の鬼は本体の体を巻き込んで、その場に倒れ込んだ。

 小芭内はなおも油断なく構え、鬼を見下ろす。体全てがグズグズと腐るように解けるのを見て、やっと上弦の肆死亡を確信できた。

 鬼を殺しても日輪刀に血糊など付かないが、それでも軽く一振りする。まるで、屑の血など一滴も残さないと言っているようだった。

 僅かに残った半天狗の体をわざと踏み潰しながら、意識を次へと向ける。まだ上弦の鬼を一匹撃ち取っただけ。他の上弦も、首魁たる鬼舞辻無惨も残っている。

 もう一瞥もせず、小芭内は半天狗に対して、ぽつりと言葉を残した。

 

「悪鬼滅殺……。貴様には地獄すら生温い。そこで誰にも想われず朽ちるがいい」

 

 

 

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