獪岳と善逸   作:山筋

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変幻連鎖

 異空間の中を跳ねるように走っていると、思うところはあった。

 落とされた初期に比べて、中は大分静かになった。それはつまり、大量に死んだという事だ。人も鬼も。

 上弦との戦いに全神経を集中しなければならなかったのは、多分、幸運な事だったのだろう。数多の怨嗟を聞かなくて済んだのだから。その末に、どれだけの人が残ったのかは……正直考えたくなかった。

 煩雑としすぎていた音が、今は透き通っているようだ。その隙間を縫うようにして、けたたましい音が届く。場所は二つ。そのうち、激しい方が上弦の壱だろう。この空間を維持していると思われる方(確か新たに補充された上弦の伍だったか)は、比較的大人しい。音を探る限り、杏寿郎がほぼ戦況を制圧しているようだった。カナヲと玄弥がどれだけ助けになるかは知らないが、どのみち彼一人でもしばらくは均衡状態が続くだろう。

 

(後は、速やかに黒死牟を倒せばいいんだけど……)

 

 それこそが難しい、と言わざるを得なかった。そもそも、柱五人がかりで(うち二人はまだ休んでいるが)なお劣勢というのが意味不明である。

 獪岳の残した記録通りならば、血鬼術は斬撃の延長上に生まれる、つまりありふれた血鬼術でしかない。と言うことは、話に聞いた猗窩座(だったか、狛治だったか)みたく、本人が極端に強い類いなのだろう。

 ある種の欠点、というか盲点とでも言えばいいのか。

 隊士は上に行けば行くほど、血鬼術対応能力に特化していく。強い鬼は例外なく血鬼術を持ち、血鬼術の性能こそ鬼の強さになりやすい。これは肉体と体術を極めるより、血鬼術を高めた方が手軽に強くなれるからだ。ましてや特異な異能であればあるほど、初見の相手を殺しやすい。身体能力頼りに戦うのは、ほとんどなりたての弱い鬼だ。

 実のところ、隊士は武芸達者な鬼と戦った事がある者はほとんどいないのだ。才能を見せた妓夫太郎すら、才能頼りで正規の教育を受けた様子はないのだから。

 それだけ鬼にとって血鬼術は重視すべき事であり、体技というのは軽んじられている。

 

(黒死牟討伐は長引く)

 

 そう判断せざるをえなかった。

 善逸自身が戦った玉壺はともかくとして、上弦の参は柱三人がかりで日の出までかかった。その悪夢が蘇る。

 うなされながら走っていると、小さな音が近くにあると気付く。極端に聞きづらいとか、意図して音を消しているのとは違う。身のこなしから極限まで無駄を省いた結果、鼓動と関節部の摩擦音くらいしか鳴らなくなったのだ。大抵の柱は、こういった特徴を持っている。

 多少順路を変えて走る。と、そこには予想通りの人物がいた。

 

「伊黒さん」

「我妻か」

 

 善逸が無手だったのに対して、小芭内が剣に手を掛けていたのは、感度の違いからくるものだ。炭治郎達と一緒にいると忘れそうになるが、普通の人は視界に入れる前から誰が近づいているかなど分からない。いや、柱を普通の人と言っていいかは悩ましい所だが。

 

「お前が来たと言う事は、もう一匹も倒せたんだな」

「一匹て……。はい、炭治郎がやってくれました」

 

 隊士の中には、鬼の人権どころか人格すら認めないという者はままいる。小芭内はその最たるもので、一見優しそうに見えるしのぶも、実はあちら側だ。その事実を知った当初は、大分怖かった覚えがある。

 歩調を小芭内に合わせる。彼は蛇の呼吸の癖というべきか、微妙に体を左右に振りながら走っていた。おかげで速度が極端に測りづらい。

 

「……? どうした、先に行け」

「そのことなんですけど、実は上弦の壱と戦ってる人達、かなり苦戦してるみたいでして」

「だから臆したと言うのではないだろうな」

「まさか」

 

 軽く返すが、内心冷や汗を流す。十分に論理的な理由はあるが、そういった感情がないわけではなかった。

 思考は、恐らく察されているのだろう。小芭内の視線が冷たい。

 とはいっても、本当にそうせざるを得ない理由があるので、圧力に負けて引く事もできなかった。

 

「黒死牟が剣士だって言うのは知っていますよね」

「馬鹿にしているのか?」

「ただの前置きだからそんなに怒らないでよ! ともかく、俺達が思ってるより遙かにやばい相手です」

「……それほどのものか」

 

 呟きながら、小芭内は非常に渋い顔を作った。

 善逸の異常聴覚は、ほぼ全ての隊士が知っている。最初は懐疑的だった者も、あらゆる実験を軽々とこなす善逸を見て、認めざるをえなかった。その実験の中には、視線の届かない超長距離戦況の把握というものも含まれている。

 

「悲鳴嶼さんまでいながら、ほとんど一方的にやられてます。痣はまだ出してないみたいですけど、これは直ちに負けるような状況ではないからという程度で、単に踏ん切りがつかないからでしょうね。学習能力と対応能力が異様に高い」

 

 音からは、攻撃がほとんど通じていない事が分かる。

 現在戦っている柱は三人。行冥の音はかなり特徴的なので分かるが、残りの二人は把握しきれない。近くで待機している柱が二名いるが、こちらの音は酷く濁っていた。痣を維持できないほど疲労した炭治郎のそれに近い。

 どういった流れでこうなったのかは分からないが。どうであれ、事実上五人の柱と戦ってなお、戦場を制圧しているのだ。位が一つしか違わない上弦の弐と比べてなお、比較にならない化け物だ。

 

「散発的に混ざっても、あっさり対応されて終わりですよ。完全に下策です。一番勝率が高いのは、まだ刃を合わせてない俺達三人が一斉に混ざって、憶えられてない型で襲いかかる事だと思います」

「上弦はどいつもこいつも無駄にしぶとい。素直に死ねばいいものを」

 

 忌々しそうに吐き捨てる。しかし、決して安く見積もってもいない。

 小芭内は口先で鬼を侮る傾向がある。隊士にあれこれ文句を言うのも、死んで欲しくない事の裏返しだ。実のところ、上弦の鬼の脅威を一番危惧しているのは彼である可能性すらあった。

 だからこそ、善逸の言葉を疑わないし、善逸も安心して言える。必ず三人一緒に、理想を言えば奇襲の形で襲撃する必要がある。まあ武の達人であればあるほど感知能力が高いので、奇襲に関してはさほど期待できないが。

 

「竈門兄はどうだ?」

「俺達よりちょっと後ろの方を走ってます。少し進行方向をずらせば、合流できるかと」

「なら任せる」

 

 言いながら、小芭内は善逸のやや背後に回った。

 三人はかなり近場で(あくまで異空間の規模と比較しての話だが)戦っていたため、合流をここ見るのは比較的簡単だ。炭治郎は善逸より遅いが、小芭内よりは速い。自然と、小芭内に合わせて走っていれば、追いついてくれた。

 しかし、この空間は本当に、やたらめったら広い。階層一つだけでも、大都市ほどありそうだ。それが何層にもなっているのだから、柱の足でも移動に時間がかかって仕方ない。一体何を考えて、ここまで大きくしたのか。まさか来る決戦に向けて、とはあまり考えたくない。

 炭治郎も匂いでこちらに気付いていたのだろう、進路を調整し、合流できるようにしていた。

 

「おーい!」

 

 背後から、善逸の耳でなくとも届く距離で、声を掛けられる。

 一瞬、小芭内が怒るかと思ったが。幸いにも雷が落ちる事はなかった。鬼が寄ってくる分には望むところ、といった所か。

 

「善逸、無事だったんだな! 伊黒さんも!」

「炭治郎もなんともなくて本当よかったよ」

「うるさい。黙って走れ」

 

 とはいえ、会話そのものは煩わしいようだった。ちらりとも見ずに切り捨てる。炭治郎は若干しょんぼりしていた。

 しゅんとしていたのは短い間で、すぐに顔つきを正す。そして、聞いてきた。

 

「善逸、気付いてるよな」

「分かってるよ。本当にめちゃくちゃな強さだ。獪岳が残した情報がなければ、もう一人か二人は死んでたんじゃないかって思う」

 

 まだ戦場までかなりの距離があるのに、もう鳥肌が立っている。鬼として強いだけではないのが明白だ。

 斬撃拡張。言ってしまえば、陳腐な血鬼術だ。少なくとも童磨や玉壺のように、ろくな対策すら思い浮かばない程のものではない。きっぱりと弱い血鬼術だと言う事すらできる。血鬼術の方向性としては、間違いなく上弦の鬼最弱だろう。それでなお柱複数名を圧倒しているのは、本人がべらぼうに強いからだ。

 

(可能性としては、頭の中になかった訳じゃないんだよな)

 

 恐らくは、柱の誰もが頭の片隅に置いていただろう。黒死牟は裏切った隊士――それも、柱である可能性が高い。

 鬼の身体能力と呼吸の融合、しかも最大で四〇〇年もの研鑽。血鬼術など関係無しに化け物だ。正直に言ってしまうと、柱が鬼になった時点で、単独での討伐は絶対に不可能。玉壺や妓夫太郎の時は駆け引きで誤魔化したが、元隊士ともなればそれも通用しない。

 

「なあ炭治郎。上弦の壱が元柱だっていう前提で話すけどさ、どうする?」

「どうするって、どういう意味だ?」

「何をするのが一番有効かなって。このまま突っ込んでも二の舞だろ」

 

 現在、黒死牟と戦っている柱は三人。こちらも三人と人数の上では同じだが、あちらに行冥が混ざっている以上、実力には差がある。

 

「そうだな……。俺と伊黒さんが可能な限り気を引いて、その間に善逸に仕留めて貰う、くらいしか思いつかないなあ。どうだ?」

「一応、手がないわけじゃないよ。一撃で倒せなくとも、動きを止められるかもしれない。成功率はあんまり高くないけど……」

 

 不安げに呟く。最後の方は、口ごもりすぎて聞こえなかったかもしれない。

 頭に浮かんだのは、()()()だった。獪岳の経験と善逸の力、それら全ての集大成。一応技術としては完成しているものの、まだ二割強という、あまり分がいいとは言えない賭けだった。

 成功すれば面食らってくれるという自信はあるし、一瞬でも動きを止めれば、他の柱が倒してくれるという信頼もある。責任の重さに、胃が痛くなりそうだった。

 

「伊黒さんはどうです?」

「そうだな」

 

 彼が続けようとした、その瞬間――

 善逸と炭治郎は、その場に急停止した。

 

「おい、何だ一体」

 

 小芭内が若干批難げに聞いてくる。止まった時こそ、少しつんのめった為か恨みがましい色が視線に篭っていたが。二人が全身から冷や汗を垂らしている姿を見て、尋常ではない何かが起きていると感じ取っただろう。

 

「炭治郎」

「ああ」

 

 声は震えていた。

 死だ。直感が叫んだ。いや、本能の悲鳴だったのかもしれない。生物なら決して逃れられない、絶対的な上位者に対する恐怖。命ある存在が天敵に牙を剥けられればこうなるのだと、初めて知った。

 

「伊黒さん。鬼舞辻無惨が現れました。しかもこれは、多分、毒が効いてない」

「やばいですよこれ……吐き気すら感じる。こんな音、今まで聞いたことがない!」

 

 死を想起させる音なら、今まで何度でも聞いた。鬼は大なり小なり、そういったものを持っている。しかし、鬼舞辻無惨は違った。音そのものが死なのだ。意味が分からないし、善逸もよく分からない事を考えている自覚はあった。しかし、本当にそうとしか言いようがないのだ。

 こんな悍ましい音が唐突に現れた事にも驚くが、それこそ人間を凍り付けにするような血鬼術に比べればなんてことないのだろうと自分を納得させる。前例もある以上、悩んだところで意味も無い。

 

「炭治郎……」

「いや、前はこんな匂いを放ってなかった。多分、もう人として誤魔化す必要がなくなったって事だと思う」

 

 体が思うように動かない。頭がクラクラする。鬼の始祖たる鬼舞辻無惨がこれほどだったとは。完全に想定外だ。

 

「小僧共」

 

 小芭内の強い言葉に、はっとする。

 彼の目は、いつもの、どこかやり場のない怒りを抱えたものではなかった。強い、そして断固たる決意を秘めている。柱の先達として、後輩を導くものになっていた。

 

「この場合の最悪は、鬼舞辻無惨と他の上弦を合流させてしまうことだ。俺達は全力で阻止しなければならない。ついてこい。いいか、これはお願いではなく命令だ。恨むなら俺を恨め」

 

 普段の嫌味九割で罵るのではなく、そんな言い方をされてしまえば。

 呼吸を強くし、精神制御を行う。凍り付く思考を、無理矢理頭から弾いた。それで勝負に成る程都合良くはないだろうが、どちらにせよ、普段の力が出せない状態でなんとかなるほど甘くはない。

 

「当然行きますよ。むちゃくちゃ怖いけど」

「俺もやれます! 伊黒さん、行きましょう!」

 

 強い言葉は、使い方さえ間違えなければ、自分を誤魔化してくれる。今回もそうなってくれるだろう事を期待して、二人同時に強く頷いた。

 

「ならいい。速く案内しろ」

 

 言われて変えた進路に、小芭内は眉をひそめた。何せ、向かった方向がほとんど変わらなかったのだ。余りの近さに危惧を抱いただろう。

 もしかしたら合流しやすいよう、わざと近場に潜んでいたのかもしれない。

 二人の抜刀と同時に善逸も刀を抜いたのは、最初から壱ノ型が入るなどと思えず、また決まっても意味が無いからだった。雷の呼吸に、抜刀術で始まるのは壱ノ型以外にありえない(善逸が独自に編み出したものを除いて、の話だが)。だから、壱ノ型を使わないならば最初から抜いていた方がいいし、獪岳もそうやって戦っていた。

 最大の激戦区からほど近く。道は入り組んでおり、普通に向かおうとすればそれなりに時間がかかるものの。鬼がその気になれば、つまり壁を力尽くで破壊していけば、一〇分ほどで到着してしまう距離でしかない。

 辿り着いた先に居たのは。

 

「ふむ、柱が三人もか。対応が早いな」

 

 埃一つついていない洋服を着た、いかにもな優男だった。

 前に炭治郎が提出した人相書きとは、全く似ていない。まあこれは炭治郎に絵の心得がなく、また伝えるのも下手だったからだろうが。所々から感じられる特徴は合致しているものがあった。

 緩やかなくせっ毛。優しげな視線からは隠しきれていない、人を侮った視線。後は、もう欺瞞を辞めたのだろう、強大という言葉では追いつかない、余りにも大きな鬼の気配。

 目の前にして、小芭内も善逸らが何を感じ取っていたか理解したようだ。いつもの涼しげな顔の裏に、引きつったものがあった。

 

「さて……塵掃除を始めるか」

 

 無惨はそう言いながら、首帯(ネクタイとか言ったか)を緩める。

 

「お前達、二人がいたのは幸運だったな。俺は連携の邪魔にならんよう努める。出し惜しみは無しだ」

「うっす」

「分かりました」

 

 三人同時に痣を、炭治郎と小芭内は赫刀まで発動させた。

 その隙を埋めるよう、善逸は構えていたが。十秒前後という致命的な時間を前にしかし、無惨からの攻撃はなかった。油断でもあり余裕でもあり、明らかにこちらを舐めている。それが利益になる以上は、いちいち指摘するような事ではない。

 こちらに手を向ける無惨の挙動からは、武の匂いは感じななかった。鬼の大分部分がそうであるように、血鬼術特化型なのだろう。救いと言えば救いだ。鬼でも最高だろう性能を持っている者に、武術など振るわれたらたまらない。

 鬼は悠然と、隊士は緊張した面持ちで構える。勝っても負けてもこれが最後の戦いだろう。そう、善逸は予感した。

 

 

 

 べべん、と連続して琵琶の音が響く。その度に、部屋の景色が移り変わる。光景はそのまま世界の改変であり、それこそ室内の体積すらをも犯し、想像できる限りあらゆる変化を起こした。

 いや、そもそもここはもう部屋とは言えまい。もはや怪物の胃の中とでも表現した方が分かりやすいだろうか。人を軽く押し潰す質量が四方八方から、無尽蔵に襲いかかってくる。底の見えなかった地面は、今や残骸でうっすら見えるまでになっていた。

 これほどまでに戦っていれば、杏寿郎もいい加減血鬼術に慣れる。攻撃の間合いや速度、窓を生み出す呼吸、あらゆる物を体で覚えた。

 それでも距離を詰め切れないのは、上弦の伍もまた成長しているからだった。

 恐らく、上弦の伍は今まで戦った経験がないのだろう。少なくとも隊士との交戦経験は絶対に無い。そう断言できるほどに、術の扱いに違いがあった。時を置くごとに、どんどん己の血鬼術を理解していく。

 杏寿郎がどれだけ攻撃を読んでも、未だ触れることさえ出来ないのはそれが主因だった。彼の学習速度以上に、血鬼術が先頭方面へ偏っていく。

 

(さすがは鬼の要とも言うべき存在。よもやだな!)

 

 この鬼は強くない。ただし、とにかく殺すのが難しい。混じりっけのない本音だ。

 

(これを突破せねばならぬとは、どうしたものか)

 

 はっきり言って、今のままでは倒せる気が全くしない。そもそも接近が難しいのだから、痣を発現しても焼け石に水だろう。それこそ赫刀は意味が無いし、赫刀にするため数秒棒立ちになるというのは致命的だ。

 他者の奮闘と献身に報いるため、そろそろ倒したくはあるのだが。今のところ、手立ては全く思い浮かばない。

 均衡させるだけなら難しくないというのが、なおのこと厄介だ。思わず、このままでいいと勘違いしてしまいそうになる。

 先ほど鎹鴉から伝えられた話から、上弦二体を討伐したと報告があった。反面、上弦の壱には予想以上に手間取っているらしい。増援を求めたい所だが、ここでも厄介なものが顔を覗かせる。一応でも均衡を生み出せているならば、苦戦している方に戦力を投入するのは当然の判断だ。

 援軍は欲しい。しかし、相手はいやしくも上弦の伍である。下手な者がやってきても、即潰されて終わりだ。来るならば甲、それも柱に近い者でなければならない。

 完全な千日手。であれば、最終的に勝つのは鬼だ。どこかでこれを崩す必要がある。それも、自分がたった一人でだ。

 

(弱音など吐きたくはないが)

 

 既に無茶ならば何度もしたし、その度に潰された。相手は決して危険を冒さず、防御の姿勢を解くそぶりすら見せない。

 実のところ、こういった事例に覚えがないわけではなかった。というのも、柱が下弦の鬼らしき相手を捕捉した場合、高確率で似たような事が起きるのだ。全力で逃げるか、今のようにひたすら防御に徹するかという違いはあるものの。

 こうなると、例え柱でもどうしようもない。忘れてはならないのは、上位の隊士は決して鬼の能力を超えているが故に刈れる訳ではないという点だ。逃げの一手を取る鬼には、絶対に追いつかない。恐らくは、最速たる我妻善逸ですら無理だろう。それで何度、下弦の鬼と思わしき相手を逃したことか。

 得手不得手で語りたくはないが。最初から戦うつもりがない鬼を倒すのは、ひたすらに苦手だった。

 

(倒せる気がせん。それで済まないのは分かっているが)

 

 背負っている期待以上に、責任が重くのしかかる。

 煉獄杏寿郎に、他の柱みたいな突出した才はない。物心ついた頃から剣を握っていた、彼の持っている優位はたったそれだけだ。故に、誰よりも成果を出さなければならない。少なくとも杏寿郎はそう思っている。

 一進一退と言うにはあまりにも変化がない時間が流れて幾ばくか。ひたすらにけたたましい音と共に、中へ何者かが飛び込んできた。

 これだけ騒がしく乱入されれば、鬼のみならず、杏寿郎も多少は意識せざるをえない。

 

「ラああああぁぁぁ!」

 

 気合いというよりは、ほとんど雄叫びを上げて、上階から躍りかかってくる。

 

(不死川少年……!)

 

 判断に一瞬迷ったのは、気配がほとんど鬼のそれだったからだ。まあ逆に、鬼の気配を持った隊士だからこそ、姿が完全には見えない状態で誰かを判断できたとも言える。

 攻撃参加はいい。上から強襲するというのも。だが、自由落下だけは致命的な失敗だ。

 弦が一本弾かれると同時に、玄弥の姿が消し飛んだ。襖でどこかに飛ばされたのではない。横から現れた二本の柱に、両側から押し潰されたのだ。

 

「不死川少年!」

 

 攻撃を緩めないまま、思わず絶叫する。もろに食らってしまった。間違いなく即死だ。

 

(くっ!)

 

 無意味に命を散らさせてしまった不甲斐なさに、歯噛みする。今の隙に、何かができたのではないか。今まで何度も経験し、そして悪夢にも見た経験。

 しかし、悪夢が積み重なる事はなかった。

 

「がああぁぁぁぁぁ!」

 

 平らにされたはずの玄弥が、力尽くで自分の体より太い柱をへし折り、中から飛び出してくる。

 

「なんと!」

 

 驚愕に声をあげた。

 彼に直撃したのは、ひしゃげて原型を留めていない全身からも分かる。が、その姿はみるみるうちに戻っていった。それこそ鬼のように。

 再び落下を始めた玄弥に、さしもの上弦の伍も眉をひそめていた。相変わらず杏寿郎に防御を集中しながらも、玄弥を撃墜しようとする。

 柱で攻撃するのは正しい。かなりの速度と攻撃面積があるそれは、初見では柱以外だと対処が難しいだろう。しかし、こと玄弥に限って言えば、それは間違いだった。どんな攻撃があるかを教えてしまっただけだ。彼は粗暴に刀を振るい、柱だろうが襖だろうが、無関係に全てを破壊する。

 玄弥が上弦の伍に接触する直前で、複数の柱で横殴りにされた。軌道が逸れ、真っ逆さまに落ちそうになるのを、壊した柱にしがみついて堪える。

 そのまま壁に叩き付けられ、剣を持った右手だけがはみ出ていた。都合二度目の死。しかしそれは終わりなどではなく、破砕音の後、体を再生させながら玄弥は身を乗り出した。状況から察するに、障害物を殴って吹き飛ばしたのだろう。

 

「ぐるるるる……」

(鬼化とはこれほどのものか! しかし、彼は大丈夫なのか?)

 

 口の端から涎を垂らしながら唸る姿は、完全に飢えた鬼だ。日輪刀を守っている様子から、最低限の理性は残してるようだが。放っておいて大丈夫なのか不安になる。鬼になった隊士の介錯というのは、仲間を無駄死にさせてしまうのと並んで、最悪の瞬間だ。

 再び絶叫をしながら、直線的な動きで上弦の伍に迫る。まだ隊士として役割を果たす意思があると信じて、玄弥の能力評価を始めた。

 

(再生力こそ鬼そのものだが、身体能力は呼吸未満。完全な鬼になった訳ではないからか? 悪い訳ではないが、理性が薄まって剣技も最低限となれば、戦力として数えるのは難しい)

 

 それはそれでやりようはある。つまり、下手に連携など考えず、単純に挟み込んでしまえばいい。

 これならば、玄弥が下手を打っても問題なかった。それに、いちいち味方のみを案じなくていいのも有り難い。限界がどこにあるかは分からないが、すぐにどうこうというのはなさそうだ。善逸の話を素にすれば、一晩は持つだろう。

 状況は変わらないだろう。そう思っていたが、意外にも上弦の伍は戸惑いを見せていた。どうも、玄弥の獣じみた、洗練さの欠片もない突撃が、かえって雑音になっているようだった。上弦の伍は、杏寿郎に適応しすぎてしまった。

 案外いけるかもしれない。そう思う反面。

 

(あと一押しが足りない……)

 

 これは勘でしかないが、頚を斬るより相手が慣れる方が早い。玄弥は結局の所、相手を驚かしているだけなのだから、対応された後は悲惨だろう。

 無謀を承知で痣の特攻を考えた、その時。極限まで気配を消していたそれが、宙を裂くように飛び出てきた。

 視界の端に映る姿を見て脳裏に浮かんだのは、胡蝶カナエ。が、すぐに違うと気がついた。彼女よりも小さいし、腕も及ばない。それでも見間違えたのは、鋭さだけは匹敵していたからだった。

 花の呼吸 壱ノ型・一重桜(ひとえざくら)

 死角からの、最短最速の突撃。その巧みな扱いから、杏寿郎すら発動まで気付かなかったのだ。ましてや視界の外から迫られた上弦の伍は、さらに一歩、気付くのが遅れていた。

 咄嗟だったのだろう。上弦の伍は琵琶を庇いながら、ほとんど倒れ込むように体を捻った。やはり、その場から動くことができないというのが、この膨大すぎる血鬼術を維持する制約の一つらしい。

 栗花落カナヲは、限界まであらゆる物を削ぎ落としたのだろう。その中の一つに、射程距離があった。刃先でギリギリ鬼の頚を落とせる程しか、余裕を持たなかったのだ。

 この判断は正しい。もしあと半歩分余裕を持たせていたら、血鬼術による防御が機能していただろうから。しかし、何もかも上手くいくとは行かず、惜しくも鬼の頚を半分だけ斬るに留まってしまった。

 

「あっ、ギ……!」

 

 喉すらも半分断たれた状態で、上弦の伍が初めて苦悶の声を上げた。よく見れば、断面が爛れてる。赫刀の特徴だ。

 

「くそっ、失敗したか!」

「ごめん、浅かった」

 

 いつの間にか、玄弥から狂気じみた雰囲気は泣くなっていた。気配は相変わらず鬼のそれ。ということは、今までの様子は、ただの演技か。

 カナヲが身を引くのと同時に、玄弥も片手でほとんど棍棒みたく扱っていた刀を、しっかりと握り戻す。実力という面ではまだまだ甘い部分が目立つ二人だが、しかし位置取りは完璧だった。決して前に出すぎず、さりとて引きすぎず。杏寿郎を主力として扱うよう陣取っている。

 

「不死川少年、驚いたぞ! もしや鬼になってしまうのかとはらはらした!」

「すみません煉獄さん。でも騙すにはこれが一番だと思って」

「あと少し腕が長ければ……。ごめんなさい」

「うむ、全然構わん! 誰かの指示でここに来たのか?」

「善逸……鳴柱の指示っす。本人は上弦の壱の方へ行きました」

「善い判断だ!」

 

 脅威の算出に、この二人を派遣したこと。見事と言う他ない。

 

「奴の血鬼術を理解しているという前提で話す! こいつを倒すには一撃の重さでも鋭さでもない、多方面からの制圧力だ! つまり個の力よりも人数! 二人では駄目だったが、三人ならば或いはという所だ! いや、必ず三人でなんとかする!」

 

 ましてや今は、赫刀の一撃により、鬼が弱体化している。

 狛治との一戦で学んだこと。鬼は痛みに慣れていない。そして赫刀による斬撃は、唯一鬼に苦痛を与えられる術だ。

 杏寿郎が考える柱の条件の一つに、いついかなる時も瞬間的に最大限の性能まで持って行ける事、という考えがある。この要項は、恐らく上弦の鬼にも通ずるだろう。赫刀化した日輪刀の傷は、集中を阻害してくれた。

 最大限の力を発揮するには、相応しい精神状態が必要なのは、人も鬼も変わらない。そこを妨害できただけでも、玄弥とカナヲの策略には大きな価値があった。

 

「囲み、血鬼術を分散させ、機があれば誰でも頚を狙え!」

「了解っす!」

「行きます」

 

 変化した状況がどういう意味を持つのかは、今まで鉄面皮を保っていた上弦の伍の引きつった顔が、簡潔に証明していた。

 

 

 

 情報網の再構築には、思いのほか時間がかかっていた。というのも、鎹鴉が大分混乱してしまったからだ。

 仕方の無い事でもある。元々、本部を切り離して移すというのは苦肉の策だった。加えて、情報の統括をしていたのはお館様たる輝利哉であり、くいなとかなたはその補助でしかなかった。元々の仕事量が膨大だった上にまとめ役がいなくなったのだから、宜なるかな。

 加えて、鬼、それも上弦の鬼に迫られたという事実。これが、二人の少女に多大な影響を及ぼしている。ましてや実の兄を生け贄にした。普通の子であれば、とうに精神が決壊していただろう。

 

(どれだけ気丈に振る舞っていても、まだ八歳の子供なのだ。むしろ今でも表面上は何事もなかったかのように働けているのが凄まじい)

 

 刀をいつでも抜けるように鯉口を斬りながら、槇寿郎は哀れな少女達を見る。必死になって地図に書き込みを続ける二人を見て、臍を噛んだ。本来、そういった事をすべきは自分達大人なのだ。

 

(妻に先立たれて酒に逃げた俺とは大違いだ)

 

 余りの愚かしさに、苦笑する事すらできなかった。

 情報は集まりつつあるが、まだ万全とは言いがたい。とりわけ上弦の鬼に関しては、不透明な部分が多かった。

 鎹鴉。鬼殺隊が特別に調教した鳥の総称であって、実は鴉だけとは限らない。ようは情報の伝達ができればいいので、最低限の命令さえ理解できれば、全てを鎹鴉として扱っていた。鴉という名称を使われているのは、単純に鴉の数が飛び抜けて多いからだ。

 いくら人語を解し、会話できるからと言って。人間ほどの思考力や柔軟性までをも持てるわけではない。本部移動時に遅滞なく通信網を維持させるよう仕込むのは、さすがに無理があった。そもそも、異空間の創造主である上弦の伍が予想以上に能力が高く、初期は本部すらも混乱していたのだし。

 中には飛び抜けて知能が高い鎹鴉もおり、そういった特異な存在が辛うじて隊士の命を繋いでいる。

 

「もどかしい……」

 

 口の中に生まれた苦い物を飲み込むようにして、呟く。

 義勇がお館様の側付きになったのは、何も足が不自由だったからだけではない。もっと大きな理由は、隊士としての純度だ。現場を離れて久しく、また鍛錬までも怠っていた自分と、つい先日まで最前線で戦っていた男。これに差がない訳がなかった。少なくとも、槇寿郎はそう思っている。

 後悔が押し寄せてくる。何故自分は、酒など憶えてしまったのだろう。初心を忘れて、自分の不幸だけを嘆くようになってしまったのだろう……

 お館様の献身があったおかげで、ここは暫く大丈夫だろう。といっても油断はできないが。上弦の鬼が狙って来る事はなくとも、理性を失った鬼の突発的な襲撃は、十分考えられる。

 

(などと思っている側から)

 

 足音が二人分近づいてきた。こちらに迷い無く向かってきているが、所詮は一本道である。

 体を強ばらせた甲を尻目に、槇寿郎は観察を続けた。足取りはまばらだが、しっかりしている。獣にされた鬼のそれではなかった。という事は、異能の鬼が二匹といった所だろう。

 楽であり、同時に面倒でもある。異能の鬼は通常の鬼ほど強化されておらず、頚を斬りやすい。しかし当然、血鬼術を有効活用してくる。この場合、どれほど強力な血鬼術を使うかより、血鬼術を有用に使えるだけの頭があるかどうかの方が問題だ。なにせこちらは、産屋敷家のご息女を狙われただけで、ほぼ反撃の暇がなくなる。

 

「逃げる準備をしておけ」

 

 そう甲達に言い、刀を抜いた。

 要点は、どれだけ素早く鬼を始末できるかだ。鬼がどうやって情報のやりとりをしているかは分からない。血鬼術によっては、即座に他の鬼へ居場所を伝達する事だってあり得るだろう。

 鬼が持つ異能の一番嫌らしい点だ。蓋を開けてみるまで、中に何が入っているか分からない。時には速攻こそが下策になる事もあり――近年で言えば、元花柱である胡蝶カナエも、童磨にそれで負けた。

 

(あれほど悪辣な異能を持つ鬼は中々居るまいが……)

 

 自分の死を引き金に相手を道連れにする、確実な一人一殺を実現した血鬼術も、例がない訳ではない。此度の鬼がそうでない事を願うしかなかった。

 もっとも、仮に相打ったとして。被害は所詮、とっくに引退した老いぼれ一人。現役の甲を温存できるなら、十分帳尻が合う。

 部屋は通路の突き当たり、つまり入ってくるまでこちらがどうなっているか分からないようになっている。当然、これは偶然ではない。不意打ちをしやすい場所を探した結果、ここを見付けた。

 音が直前にさしかかったところで、槇寿郎は疾駆を開始する。呼吸の使い手としては、余りに情けない身のこなし。錆び付いた経験で補うしかない。

 刀を振った瞬間、甲高い金属音が鳴り響き、肘まで痺れが貫通する。

 

(受けっ……!)

 

 防御された事自体は、驚くような事ではない。問題は、曲がりなりにも元柱の一撃を完璧に受け止めた、相手の腕前。ここまで完全に止められてしまえば、攻めるも逃げるも中途半端になる。

 無駄死にを覚悟したが――相手を確認して、杞憂を悟る。

 冨岡義勇。相手もまた元柱であれば、起きるべくして起きた事だった。

 体ごと剣を引く。動きに戸惑いが混ざっていたのは、まあ仕方ないだろう。

 

「鬼は、上弦の陸はどうした?」

「水柱が救援に来てくれた。それに、つい先ほど、上弦の陸及び上弦の肆討伐の報も入ってきた」

「おお……!」

 

 代わりに答えたのは輝利哉だった。毅然とした姿は、先代とはまた違う威厳を感じさせる。

 予想以上に猛威を振るった異空間の血鬼術。殺せない鬼、それも二体の存在。ほぼ全ての鬼を下弦の鬼相当まで強化。悪意に満ちた中で初めての、それもとんでもない朗報が飛び込んできた。これには甲達だけではなく、くいなとかなたも思わず声を上げる。

 

「これで我々が優位を取れますな」

「ああ。鳴柱と共闘していた二名は、そのまま炎柱の補助に回された。水柱と蛇柱も続いている。上弦の壱は未だ底を見せないが、上弦の伍ならば遠からず討てるだろう。最良を語るならば、それまでに上弦の壱を倒したいが、こればかりはな」

「柱八人かがりとあらば問題ありますまい」

 

 希望的観測というよりは、それで倒せなければ鬼舞辻無惨もどのみち倒せない、という身も蓋もない結論から来たものだが。こればかりは、今代の柱を信じるしかない。

 

「くいな、かなた。もう本部の再構築は終わっているか?」

「い、いえ」

「まだです」

「ならばすぐに取りかかろう。機能を取り戻すのが一分一秒でも速ければ、それだけ剣士の助けになる」

 

 今まで動揺の色が濃かった二人が、同時に自分の頬を叩いた。痛みを十分に味わった後、開かれた目は、鬼殺隊の機能に戻っていた。

 鬼殺隊の頭脳たる三人を守るように再び陣取りながら、槇寿郎はひっそりと義勇に話しかける。

 

「冨岡、よくぞお館様を生還させてくれた」

「いえ……炭治郎のおかげです」

「それでもだ。お館様の存在は、誰が思っているより大きかった。鬼殺隊にとっても、妹君にとっても。これで首の皮一枚繋がった」

 

 言葉に、義勇は答えることをしなかった。代わりに小さく頭を下げる。

 相変わらず、不器用な男だ。今の柱からは反感が多いらしいが、槇寿郎には好ましく見える。無骨を好むのは、年を取り過ぎた為だろうか。

 ただ老いて退場するだけの人間がどう思おうとどうでもいい、と考えを改める。今はただ、最良を引き出せた勢いに乗れる事を祈るのみだ。

 意識を新たにして、槇寿郎は胸を張った。

 

 

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