獪岳と善逸 作:山筋
竈門炭治郎は嘴平伊之助や我妻善逸らと一緒に、林間の道すがらで待機していた。切り株を椅子に見立てて、途中の茶店で買った団子を食べ、のんびりする。伊之助だけは早々に食べ終わり、刀を振り回しているが。
丁度二本目のみたらし団子を食べ終わったところで、炭治郎は自分の鎹鴉に話しかける。
「なあ、俺たちはいつまで待ってればいいんだ?」
「カァー! 不明! 不明! 追加人員ハ鬼ノ討伐ヲ終エテカラ来ル!」
ううん、と炭治郎は悩んだ。
鬼を討伐するまでにかかる時間は、実のところかなりまちまちだ。
相手が自信満々で隠れもしない(つまり強い)鬼であれば、さほど時間はかからない。前提として人が鬼と長時間戦い続ける体力が無いので、必然的に短期決戦になるからだ。逆に隠れられると、相手の強弱に関わらずかなり面倒くさい。とりわけ血鬼術が関わると能力の仕組みから解かなければならないのだ。
「いいじゃんか炭治郎。鬼となんて戦わないに越したことないんだからさ。もうこのまま三日くらいのんびりしようよ。むしろ一生鬼と戦いたくない」
「のんびりって、もう藤の花の家紋の家で十分休ませて貰ったじゃないか。それにいい加減体を動かさないと」
かなり暢気な、というか弱腰な事をのたまう善逸に注意する。
鬼屋敷の一件で、三人とも少なくない負傷をしていた(炭治郎に至ってはその前から骨折していた)。骨が癒着するまでおよそ一ヶ月も休養を取らせてもらった。それでもまだ体に響くが、これは痛みも動きも呼吸でごまかせる範疇なので割愛する。
むしろ致命的なのは、衰えた体の方だった。筋肉の衰えは元より、思い通りに体が動かない。どうしても思考と実際の動きの間に、数瞬の開きがあるのだ。些細に見えて、いざ命を張る時に致命的となる。
それを一番感じているのが、おそらく伊之助だった。
「情けねえ事言ってんじゃねえ断逸! てめぇらも体動かせ! クソッ、休んでから体が鈍って仕方ねえぜ!」
「善逸だよ、いつになったら覚えるんだ! 俺たちだって元通り動けるようには鍛え直してるって」
「でも以前まで戻るにはどれくらいかかるんだろうなぁ」
伊之助ほどではないにしても、二人も鍛錬をしてはいるものの。これがまた遅々とした物で、本当に戻っているのかと疑いたくなっていた。
だから人を増やしてもらえたのだろう、と予想は付いた。
なんにしろ、一仕事終えてからなら、あと半日くらいの待機は覚悟しておかなければいけないだろう。家族を喪ってから向こう、修行に鬼退治にと何かを考えている余裕すらほとんど無かった。それがここに来て月単位の余暇である。時を持て余すのも仕方ないだろう。善逸と伊之助がいるのが救いだった。日中はどうしたって一人だ。しゃべる相手もなくぽつりとしていると、めげそうになる。
笹包から三本目の団子を取り出し(一人二本ずつしか買わなかったのだが、店の人がおまけしてくれたのだ)、口の中に放り込みながら。
「どんな人が来るんだろうなあ」
「強い人! 断然強い人だって! それはもう俺が何もしなくてもいいくらいの人!」
善逸がやたら力んで叫ぶ。
いつもの事なので、炭治郎は苦笑しながら受け流し――
強烈な匂いが、鼻に突き刺さった。今まで嗅いだことのない、それこそ鼓の鬼や鱗滝すら鼻で笑うような、強者の圧力。鬼ではない、と思う。今は昼だし、少なくとも鬼特有の濃い血の匂いもしていない。
炭治郎は、自分でも気付かぬうちに戦闘態勢を取っていた。全身から冷や汗が溢れ出る。柄に添えた手が、小さく震えているのを自覚した。体が理解する。どんな抵抗すら無意味だ。自分はここで、一切の抵抗すらできず、無意味に死ぬ……
周りを気にする余裕があったのは、奇跡的だったと言えよう。
伊之助も同じく、気配の方向に向かって構えていた。鳥肌が発疹のように浮き出ている。
善逸、こちらはよく分からない。恐怖を明確に感じているのは見て分かるし、実際思い切り腰が引けている。だが、なんと言えばいいのか、妙に反応が薄かった。刀には手も触れず、どころか何か怪訝そうにしている。
圧倒的な圧に、草木がそれを避けている錯覚すら感じた。
現れたのは……
言ってしまえば、どうという特徴がある訳でもない男だった。身長は炭治郎よりやや高い程度。鬼殺隊の隊服を着て、髪の不揃いさは無頓着な性格を感じさせる。後は、目つきが鋭い程度か。少なくとも、やたらに刺々しい匂いには全く合っていない。
「か……」
炭治郎と伊之助が男を測りかねている中、善逸が声を上げた。今までの警戒心など忘れて、嘉悦一色の匂いを振りまいている。
「獪岳ぅ!」
「うっせ」
ぼごぉ、と、これは飛びついた善逸の顔に、男――獪岳の拳がめり込んだ音だ。不意打ちを食らった善逸は、ひっくり返って悶絶する。
獪岳は邪魔だとばかりに善逸に蹴りを入れて退かすと、ちらりと二人を見ながら。一応の確認という風に告げた。
「で、てめえらが俺が面倒見るひよっこどもでいいんだな?」
「えっ……あ、はい! 竈門炭治郎です! よろしくお願いします!」
「俺は嘴平伊之助様だ! 一目見て分かったぜ、お前強えだろ! 肌にびりびり来やがる! 俺と勝負だ!」
「ちょっ、待つんだ伊之助!」
制止の言葉も聞かず、彼は獪岳に向かって飛びかかった。刀を持ったままだ。止めようとしたが、間に合わない。
だが、どのみち炭治郎の行動など関係なかった。
獣のように素早く動く伊之助に対し、獪岳は歩きながら彼に迫った。振り下ろされる二本の刃。それを半身ずらしだけで避け、踝のあたりを横から蹴る。ただそれだけで、幾人もの鬼を刻んできた必殺の動きが潰された。ひっくり返った伊之助は善逸の上に叩き付けられ、二つのぐえっという声が響く。
「とりあえず、これで分かったろ。お前がいかに弱いかが」
どうという事の無いように、獪岳が告げる。
(つ、強い……!)
他に思いつく言葉がなかった。仮に自分たち三人が同時に襲いかかったとして、獪岳に刀を抜かせる事すらできないだろう。それほどの実力差。
同時に知った。これが本物の鬼殺隊員。これぞ本当の鬼狩り。人喰いという真なる脅威から人間を守護する、本物の剣士。そして、自分たちが目指すべき場所。
「そこのアホタレが言ってたが、俺ぁ獪岳だ。好きに呼べ。あと喧嘩ならいくらでも買ってやる。喧嘩が成立する程度にゃ強ければだがな。お前の事だぞ、猪小僧」
「猪じゃねえ、伊之助様だ!」
がばりと起きて、反論するが。言われた方はどこ吹く風だった。
やっと起きた善逸が、顔をさすりながら非難の声を上げる。
「酷いじゃんか獪岳! なんで殴るんだよ!」
「お前が抱きつこうとするからだろ。キメェんだよ」
「ああそうだった……獪岳ってこういう奴だったよ忘れてた。懐かしいけど痛いよちくしょう」
「あの、善逸と獪岳、さんはお知り合いなんですか?」
「さんはやめろ。あと敬語も。背中が痒くなって仕方ねえ」
心底嫌そうに手を振る獪岳。
「兄弟弟子なんだよ。同じ先生ん所で育った」
「同門だったのか」
気配を感じた時、善逸の反応が妙に鈍かったのが気になっていたが。なんとなく兄貴分だと気付いていたのだろう。もっとも、完全に気付けていなかった当たり、実力はほとんど別人と見て間違いない。
んで、と獪岳は改めた。
「んで俺がここに呼ばれたのは、お前ら
と、そこでいきなり言葉を止めて。三人をじろり(としか言い様がない)と見回した。
「お前らなんで刀丸出しなんだよ」
胡乱げな様子でそう問われる。
全員が答えに窮した。伊之助だけは、そもそも質問の意図が分かっていない様子だったが。
炭治郎が代表して、なんとなく手を上げながら答える。
「えっと、鬼殺隊だから、です?」
「自信ねえなら答えねえ方がマシだあほたれ」
叱られ、しゅんとなる。
「お前らそのせいで警察に追っかけられた事あんじゃねえのか?」
「はい。いざこざ起こして危うく捕まりそうになった。なんとか逃げられたけど」
「ハハハハ! クソ雑魚どもに追いつかれる訳ねえだろ!」
「俺はしょっ引かれたし半日説教食らった……」
「このアホどもが……」
獪岳はため息をついてうつむいた。
彼は背嚢を下ろすと、その中から三つの袋を取り出しそれぞれに投げた。広げてみると、長細くて縛り紐が付いている。
「竹刀袋だ。そん中に入れて背負っときゃまず問題にならねえ。夜はともかく昼はしまっとけ。上半身素っ裸のお前は……まあ好きにしろ」
などと、さりげなく匙を投げられる伊之助。
さらに追加で、獪岳は背嚢の中を手繰った。追加で渡されたのは、草履だった。
受け取りはするものの、意図が分からず困惑する。
「あの、草履は持ってるんだけど」
「予備に決まってんだろ」
獪岳は端的に答えた。
「鬼殺隊なら足と刀には常に気い遣え。特に草履はすぐ駄目になる。ちょっと消耗したと思ったらすぐ履き替えるようにしろ。もったいねえと思ってもだ。もし戦闘中に足滑らせりゃ即死ぬ事になんぞ。俺はそれでいっぺん死にかけた。懐か袂に入れとけ、邪魔にはなんねえ」
いったん言葉を閉じると、獪岳の雰囲気が変わった。ここからが本題だと言わんばかりに。
「これからお前たちに、鬼殺隊隊士が超えるべき第三関門を教える」
「第三? 一と二って何なんだ?」
「一つ目は呼吸の卒業試験。二つ目は藤襲山での最終選別。三つ目が――上位の鬼との戦いだ」
「おい、俺は一つ目なんざ知らねえぞ」
伊之助が、何故かふんふんと鼻を鳴らしながら言う。
不可思議な様子の獪岳に、炭治郎は注釈した。
「伊之助は自己流で呼吸を会得したんだ。だから卒業試験も受けてない」
「あぁ? チッ、本物の天才様かよ、嫌んなるぜ。まあどのみち最終選別を超えてりゃ関係ねえ。そんなもんもあるとだけ思っとけ」
「おうよ」
全く分かっていない様子で、伊之助が頷いた。
その時。
炭治郎の背負っていた筺が、かたりと鳴る。
瞬間、その場にいた全員が金縛りにあった。全身が極端に硬直して、指一本動かせない。感情がごちゃ混ぜになって、何も考えられなくなる。それこそ鼻すら麻痺して、何一つとして嗅ぎ取る事ができなくなった。
止まった時の中でただ一人動いている獪岳。彼は腰の刀に、軽く手を添えていた。その仕草で気がつく。この圧力は、今までのようになんとなしで漏れていたものではない。混じりっけなしに、本気の闘気だ。
全く理解できていなかった。本当に強い鬼殺隊という存在がどれほどのものか。彼ほどにもなれば、ただ睨んだだけで目をそらす事すらできなくなる。
「炭治郎、テメェ……。薬売りにでも扮してるのかと思ったら、その中身は鬼だな? なんで鬼なんざ連れてやがる。答えによっちゃあ……ここで終わりだ」
言葉に、嘘の片鱗すら感じることができない。
全身を砕くような圧力に口が開かななかった。ひたすらに喉が渇く。このまま飢えて死んでしまうのでは、とすら思えた。
誰も何も言えず、いよいよ獪岳が痺れを切らして近づいてきた時。善逸が飛び出した。
「ま、待ってくれ獪岳! 禰豆子ちゃんは、大丈夫なんだ! その、とにかく大丈夫だから!」
「大丈夫大丈夫って中身が何もねえじゃねえか。頭ぶっ壊れてんのか」
「そ、うなんです! 禰豆子は俺の妹で、鬼にされて、でもこの二年以上、一度も人を食べた事はありません! お願いです、助けてください!」
自分でも何を言っているか全く分からなくなっていたが。恐怖をねじ伏せながら、必死に頭を下げた。
戻ってきたのは、小馬鹿にした、そして哀れんだ目だった。
「一つ、俺たちゃ鬼殺隊だ。鬼を殺すための組織なんだよ。二つ、鬼の中には人をたぶらかすのが極端に上手い奴もいる。本当に食ってない可能性より、鬼がお前らの記憶か何かを操って食ってないように思わせているって言われた方がよほど信憑性がある。んで最後の三つ目」
獪岳はゆっくりと、指を指した。炭治郎の頭に向けて。
「お前は甘くて弱え。仮にお前の話を信じたとして、そいつが今後人を食うようになったらどうする? お前が殺せりゃいいさ、何も問題ねえ。だが負けたら? 家族が家族のために死ぬってだけなら、俺は否定しねえ。だがもし他人を食ったら? 誰かの大事な人を食ったら? そんときゃ俺は絶対に許さねえ。その鬼だけじゃなくてお前もだ」
言葉には、何の感情も込められていない。淡々と事実を告げられているだけだからこそ、深く突き刺さった。
それでも。決して譲れないものはある。
「俺は……何があっても、絶対に禰豆子を守る! そして人間に戻して見せる! そのためなら、たとえ獪岳とだって戦う!」
がたがたと震える体を無理矢理突き動かして、剣を握った。構えとも言えないような、ひたすら不格好なそれ。
永い沈黙が続いた。実際はほんの数秒だったかもしれない。しかし炭治郎には、数刻にも感じた。それだけの間命を握られている感覚など、二度と経験したくない。今にも恐怖に押しつぶされそうになりながら、必死に虚勢を張った。
やがて、嘆息が響いた。柄に触れていた獪岳の右手から、力が抜ける。
「おい、木陰に入れ」
「は?」
「木陰に入れっつってんだ。人一人が日光に当たらない程度の。んでもって鬼を出せ」
よく分からず、言われるがままに影へ潜り込む。
筺を下ろして開くと、十歳前後ほどに縮んだ禰豆子が、のそのそと這い出てくる。周囲を見回し、よく分かっていない様子で当たりを見回した。
「口枷を取れ」
言われるがままに解く。なんだろう、という無垢な瞳がこちらに向いた。
獪岳は木の枝を一本折ると、先端で軽く掌を割いた。少なくない血が滲み出たそれを、禰豆子の真正面に掲げる。丁度、顔を少し寄せれば傷口を舐められるような位置に。
目の前の“餌”を前に、しかし子供の鬼はきょとんとしているだけだった。それどころか、きょときょとと周囲を探し。炭治郎の私物から布きれを取り出すと、傷口の手当てすらした。
最後にぺちぺちと治療跡を叩き、むふーと自慢げに鼻息を鳴らす。
全てを見届けて。
獪岳は渋柿でも口に詰め込まれたような顔をして、頭を仰け反らせ、叫ぶ。
「ああぁ! クッソ! もう勝手にしやがれ!」
「獪岳! 認めてくれるのか!?」
「認めねえよカスが!」
八つ当たりの拳骨が額に飛んできた。炭治郎はちょっと頭に響いただけでさほど痛くなかったが、獪岳は右手を押さえて悶絶している。どういう頭蓋骨してんだクソが、とぼやいていた。その姿に、禰豆子がオロオロとしていた。結局状況がよく分からないまま、彼女は筺の中に戻っていった。
痛みに堪えながら、きっぱりと宣言される。
「いいか、俺はお前が鬼を連れてるのなんて知らねえ! 見たことも、当然お前らからも何も聞いてねえ!」
「ありがとう、獪岳!」
「だから感謝とかすんじゃねえよ! 俺は何も知らねえっつってんだろ!」
かなりの威力で殴られたが、しかし炭治郎はニコニコしていた。
「善逸、獪岳はいい人だな!」
「だろ? 獪岳は口も態度も悪くていつも勘違いされるけどさ、いつも人を気遣ってる音がしてるんだ」
「余計な事言ってんじゃねえグズ!」
威圧されるが。彼の心根を知った今となっては、既に微笑ましいだけだった。ついでとばかりに善逸は尻を蹴られていたが、それでも悪い気はしていない顔だ。
「んなこたどうでもいいけどよォ。いつまでやってんだ?」
いつの間にか寝そべって片肘ついていた伊之助が、目の前の茶番(としか言い様がない)に飽きた様子で言ってくる。
思い出したという風に、獪岳が眉間を揉む。気苦労の多そうな人だなあ、と丸きっり他人事に思った。彼は自分たちだからとか関係なしに、いつもこうなのだろう。ただの予想でしかないが、なぜだか間違っていない確信があった。同時に、善逸が強い信頼を寄せるのも頷けるとも。
「ああそうだな。クッソ余計な事で時間を食った。残りは歩きながらすんぞ」
獪岳が林道へと戻っていく。つまらなそうにしていた伊之助も、善逸もついて行った。炭治郎は慌てて筺を背負い、小走りに追いかける。
先行していた獪岳が歩調を緩め、ぽつりと呟いた。
「そういやどこまで話したっけか」
「上位の鬼がどうのって所までだけど」
「そう、それだ。んで、鬼にゃ大雑把に分けて二種類いる。普通の鬼と、異能の鬼だ」
緩めた足が戻されながら、話は続く。
「普通の鬼に関しちゃ、特筆すべき所はなんもねえ。人以上の事はできるが、そんだけだ。人
「こういう言い方はあまり好きじゃないけど……鬼は全部化け物なんじゃないか?」
「次元が違う。いや、この場合能が違うと言うべきか?」
炭治郎の疑念に、獪岳は即座に否定した。
「鬼は人以上の膂力と強度と再生能力、おまけに殺す手段は極めて限られてるときた。が、それだけだ。基本的に人ができねえ事はできねえ。例えば……そうだな。炭治郎、お前一〇歩くらい先にある木をこっから燃やしてみろ」
「ええ!? そんな事言われても……」
「まあ無理だよな」
当り前だ、という風にぼやかれる。
「だが“異能の鬼”はそんなまねを当り前にしてくる。ざっくり言っちまえば、ガキみてえな妄想をそのまま現実にする拡張能力だ。妄想であるが故に予想が付かない。必ず――いいか、必ずだ――俺たちの予想を裏切って動く。鬼殺隊の死因第一位は、初めて異能の鬼と戦かった時なんだよ」
「ひぃっ!」
悲鳴は判断するまでもなく善逸だが。
声が短かったのは、気がついたからだろう。
「も、もしかしてこれから異能の鬼と戦いに……?」
「そうだよ。だから俺が呼ばれたんだろうが。鬼殺隊が隊士を殺さないために作った苦肉の策ってとこだな」
「やだあああぁぁぁ! 死ぬ死ぬ死んじゃう! 俺今度こそ死んじゃうよ!」
「うっせえ」
泣きわめく善逸の頬を、獪岳が殴り飛ばした。非常になれた動作だった。
「何が死ぬだふざけやがって。なんで俺が来てやってると思ってんだ。てめえらカスどものお守りしながらだって死なせやしねえよボケ」
「ほんとだよな!? 嘘じゃないよな!? 俺は弱いんだから守ってくれよ!」
「だ・か・ら! お前らの面倒を見るくらいなんてことねえって言ってんだろうがぁ!」
「ひひゃひゃひゃひゃひゃ! ひひゃいひひゃい!」
獪岳が善逸の頬を思い切り引っ張った。冗談みたいによく伸びている。失礼だが、ちょっと人としてそれはどうなんだろうというくらい伸びていた。
手が離され、真っ赤な頬をさする善逸。ついでとばかりにその頭を叩いた後、獪岳は再び前を進んだ。
「つう訳で、下っ端が初めて異能の鬼と戦う時は熟練者が付くことが多い。といっても、人手不足甚だしいから絶対じゃねえけどな。お前ら、運がいいよ」
「俺にはんなもん関係ねえ! とにかく斬って斬って斬りまくるだけだ!」
「お前はそうだろうなと思ってたから好きにすりゃいい」
「いや、あの、さすがにそんな扱いは。伊之助も実は割と考えて、考えて……? とにかく、頑張ってるんだし」
できる限りの援護をして、なんとか見捨てられないよう努力したが。振り返った獪岳の目は、なぜだか諦め切ったものだった。それも、伊之助や自分に対してではなく、己に向けて。
「お前は知らねえんだな」
「え?」
「本物の天才をだよ。俺は見捨てたんじゃねえ。こういう奴はな、経験、蓄積、時には技能まで飛び越えて……正解をたたき出すんだよ。普通の奴には絶対理解できない形で。こんなこた理解する必要はないが、覚えてはおけ。世の中、そういう奴もいるんだ」
平坦な言葉に落胆を感じたのは、気のせいだろうか。これ以上続けるのは、雰囲気に圧されて憚られた。
だが、気を遣うまでもなく、獪岳はすぐ切り替えて続けた。
「こっから先は俺の勝手な分類だがな、異能の鬼にも三種類いる。変形型、拡張型、独立型だ。変形型は肉体を変える。単に肉を増やしたり、爪を伸ばしたりとかそんなんだ。こいつはさほど気にする必要はねえ。厄介なのは拡張型からになる。こいつは元から持っていた技術やら身体的特徴やらを異能の技、血鬼術として昇華させたもんだ。単に技術を伸ばしもんもあれば、好き勝手に弄くりまわしたもんまで多種多様。下手に予想なんざしたら確実に不意を突かれる。最後に独立型、俺としちゃこれが一番厄介だ。こいつは理屈やら何やら全部無視して、あり得ない事象を起こす。ある意味で一番異能らしい異能だな。多くの場合、中・遠距離に卓越してる。単純に近づく事が困難ないしは危険ってだけでも、剣士にとっちゃ最大の脅威になる。んで当り前だが、全ての場合でこちらの目算を裏切るぞ。ちなみに型と区別をつけちゃいるが、一種類しか仕えない訳じゃねえ。特に上位の鬼は当り前に複合してくるから気をつけろ」
言葉の一つ一つに、炭治郎はふんふんと頷きながら。ふと思い出して、口を滑らせた。
「俺、異能の鬼と戦ったことがある」
「あん?」
疑問というよりは、本当かよという視線だ。
炭治郎はそこから大雑把に説明した。最初に個人討伐したのが分身し闇に潜る鬼だった事。元十二鬼月の鼓鬼の事。
全てを話し終えた炭治郎に、獪岳は信じられないものを見る目で見てた。
「お前……よく生きてたなあ」
「自分でもそう思う……」
「聞いた限り、影鬼はお前の妹がいなきゃ死んでたな。鼓鬼の方も、そこらの鬼に不意を突かれるほど弱ってて、その上血鬼術まで一部欠いてたからなんとか勝てたってとこか。なんかもう、運が良すぎて気持ち悪ィ」
「さすがに物言いが酷すぎないか!?」
あけすけすぎる言い方に、若干へこむ。
「ちなみに俺は強え」
「それは匂いで分かるけど」
「ハハハハ! んなこと分かってらあ! 俺と勝負しろ」
「匂い……? まあいいが。あと喧嘩ならいつでも勝ってやる。俺が言いたいのはそういう意味じゃねえ、
上位五分。その単語を、炭治郎は噛みしめた。それは、彼は紛れもなく鬼殺隊最強の一角であるという事だ。
「つまり俺が戦う鬼は自動的にクッソ強え奴になる。お前ら死なねえように精々きばれ」
言うが早く。
獪岳は、逃走しようとしていた善逸の背中に蹴りを入れていた。地面を派手に滑った彼の首根っこを掴んで、脇に強く抱え込む。
「無理無理無理絶対無理だって! 獪岳と勝負になるような鬼と戦って俺が生き残れる訳ないだろぉ!」
「面倒見てやるっつってんだから諦めろ」
善逸必死の抵抗も空しく、軽々と引きずられていく。
首を固定されながらもばたばた暴れ続けたが、さすがに膂力が違いすぎる。最後には善逸も抵抗を諦めていた。代わりに脱力し、歩く力も人任せにしていたが。
そこで、善逸がふと獪岳を見上げた。
「なあ獪岳、じいちゃんから貰った羽織はどうしたんだよ」
多少の非難がましさがこもった善逸の一言。
「あ? あんなもんとっくに駄目になったっつうんだよ。大体なんだよあの柄はよお。補修しようにも反物が売ってねえんだよ。一体どっから仕入れてやがったんだ」
後半は、ほぼ愚痴になっていたが。まあ確かに、黄色のものも、細かい三角形をあしらった反物も見たことがない。
途中から獪岳は、意地の悪い匂いを漂わせた。
「お前もそうなるんだぞぉ? 羽織がぼろっぼろになるくらい戦わされんだ。ちなみに俺の隊服は一八着目だぜ?この頑丈な服をそんなに変えなきゃならないくらい激しい戦いにばかりかり出されんだよぉ。これはお前の二年後の姿だぜぇ善逸ぅ」
「イヤアアアアァァァ!」
善逸が甲高い悲鳴が響く。それを聞いて、獪岳はけたけた笑っていた。
林道、と一口に言っても、それなりに人通りが多い場所であるため舗装はされている。まあ、踏みならされて邪魔な石を避ける程度には。とはいえ、こうして四人が歩いていてもすれ違う者がいない程度には寂れてもいた。
鬼殺隊は基本的に人が多いところを避ける。これは人口密度の高い場所にいる鬼は基本的に強く、また人の中に紛れることに卓越しているためもある。……それ以上に、大都市は廃刀令が徹底されているからだろう。腰から刀などぶら下げていれば、たとえ竹光でも見咎められる。よって、まず隠による情報収集がはじめに行われた。
これから向かうところは、丁度中間という所らしい。複数の隠を動員するほどあからさまではなく、刀を下げていても過去の栄光を忘れられない武士もどきの子孫と思ってくれる。いやまあ、これはこれでかなり微妙な気分だが。
ともあれ、今現在とこの先の町では、わざわざ刀を隠すほどでもないという。ついでに、鬼にこちらの動きを察知され奇襲を食らうのも馬鹿馬鹿しいので、獪岳も腰に刀を佩いていた。
道中は概ね平和だった。
順調に進めば夕刻前には町に着き、情報収集と挑発を始める。日が暮れた頃には、鬼らもこちらに気付いて襲いかかってくるだろう、というのが獪岳の推算だった。
歴戦の獪岳に対し、まだ幾度も鬼と戦ったことがない三人。判断という一点において、口を出せる所はない。
だからまあ目の前の光景に対しても、特に意見すべき所はないのだろう。多分。
「そうだ分かってきたじゃねえかァ! わざわざ相手に合わせて戦うんじゃねえ! 自分と同じかでけえ相手なら潜り込め! 小せえ相手なら自分の伸ばした腕より内側で戦わせんな! 強えってのはまず相手に何もさせねえって事なんだよ!」
「ヒヘハハハハー! 当然だぜ! 俺様にかかればこれくらい余裕だ!」
「ちょっと教えただけで足腰での殴り方も覚えたやがって。認めてやるよ、やっぱお前はとびきりの天才だ。こんだけ教えてやったんだから俺以外に負けんじゃねえぞ!」
「当り前だ馬鹿野郎! 俺様はいずれ最強になる男! そのうちお前もぶっ倒してやるぜ!」
「やってみな未熟な小僧が! 言っとくが俺はそんな安くねえぞ!」
これを喧嘩と表現していいのか。伊之助が一方的に殴りかかり、獪岳がそれを容易く捌いている。実力の差は歴然でほとんど指導だが、この短時間で大分勝負のような形になってきた。
というか正直、伊之助と素手で戦って勝てる気がしない。
「なあ善逸」
「どうした?」
暴れる二人の数歩後から共に眺める相方に、ぽつりと声をかける。
「俺、もう伊之助と喧嘩しないよ」
「俺は最初からする気なんてない。頭突きでぶっ飛ばしてたの忘れてないからな」
「ちょっと頭が堅いだけなんだがなぁ」
「同じように頭ぶつけて片方だけ脳震盪起こしてぶっ倒れるなんて絶対おかしいって……」
なぜだか、やや怯えた様子の善逸。頭を叩き付けただけなのだから、そんなに怯えるような事でもないと思うのだが。
「というか、なんで獪岳はあんなに喧嘩が強いんだ?」
「あー、俺も詳しくは知らないんだけどさ」
思い出すように頭を掻きながら、善逸はつっかえつっかえ続けた。
「獪岳って、物心ついた頃には親がいなかったらしいんだよ。で、同じ年頃の奴らとちびっこヤクザみたいな事してたらしくてさ。しょっちゅうもめてて、喧嘩の勝ち方逃げ方もその時に覚えたって言ってた……気がする」
「気がするって?」
「正直よく覚えてないって言うか、頭が覚えるのを拒否してるんだよなぁ。なんか聞く話聞く話全部血生臭くて、頭が理解を拒絶するんだよ……」
「なんとなく分かるかも」
今まさに、目の前で血生臭い事を行っているわけだし。
効率よく人を叩きのめして心を折る方法というのは、きっぱりと理解の埒外だった。そういうのが生きるのに必要な人もいたんだなあ、と思っても怖いものは怖い。だいたい伸ばした指突っ込んで内臓を潰せそうすりゃ死ぬって何だ。
誓うが、獪岳は悪人ではない。むしろ精神的には善人の類いに分類されるだろう。ただ、善人だから悪いことをしないわけではないというだけで。
「こうなるとは思ってたんだよなあ」
「何がだ?」
善逸が若干の諦めを含ませながらぼやく。
「獪岳と伊之助だよ。どっちも似たところがあるから、ひたすらいがみ合うかめちゃくちゃ気が合うかのどっちかだろうなって。本気で喧嘩されるよりは全然いいんだけどさ、仲良くされるとそれはそれで怖い」
「うーん……」
後半はともかく、炭治郎はうなるしかなかった。
二人はどちらもいい人だ。これは自信を持って言える。伊之助からは実直を好む匂いが、獪岳からは他者を気遣う匂いがいつもしていた。が、それはそれとして喧嘩っ早い……というか喧嘩大好きなのも否めなかった。一度拗れていたら洒落になっていなかっただろう、という点には同意せざるを得ない。自制心云々に関しては彼も人のことを言えた義理ではないのだが。
「ああそうだ」
唐突に、獪岳が振り向いた。姿勢を低くして突撃する伊之助の頭を掴んで、軽く放り投げる。音も立てずにひっくり返った猪が、背中から地面に着地した。受け身は取っており(というか取れるように投げたのだろう)、苦しがる様子もなく、すぐ立ち上がる。
「これからぶっ殺しに行く鬼は、異能持ちなだけじゃなくて、既に鬼殺隊員が四人殺られてる。はっきり言ってかなり強ぇ鬼だ。気ぃ抜いたら即死ぬと思え」
そして(また)獪岳が瞬間移動もかくやという速度で移動し、善逸をぶん殴った。
ひっくり返った状態から即座に顔を上げて絶叫する善逸。
「なんで殴るんだよ!」
「じゃあ逃げねえのか?」
「逃げるに決まってるだろ!? なんだよ四人も死んでるって! そんなの絶対死ぬじゃん俺死ぬじゃん! やだああああああああ怖いやだあああああああああ!」
暴れられるものの、背中を踏んづけているため抵抗ができない。どころか、とどめを刺しにかかった。
「だいたいただの弱え鬼ならなんで俺が派兵されんだよ。鬼狩り上位一握りが呼び出されてるって時点で気付け。ああ、ちなみにここは既に鬼の勢力圏に入ってる。一人で逃げてみるか?」
「見たか伊之助! 聞いたか炭治郎! 獪岳はいつもこうなんだよ! 俺がいくら嫌だって言っても無理だって言っても絶対聞いてくれないんだ!」
もはやただの駄々だったが、しばらくするとそれも収まった。同時に足が退かされる。善逸はしょんぼりと立ち上がると、とぼとぼと前へ――つまり鬼が潜む方向へ――歩き出した。
何というか、この短時間で過去の修行風景がどのようなものだったかがとてもよく分かった。自分は恵まれていたのかもなあとも。
獪岳が一応逃げないように背後から監視しながら、呟く。
「お前らもだが、んな深く考える必要はねえ」
戯れるように肩をすくめながら。
「俺がいるんだからな」