獪岳と善逸   作:山筋

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最強

 宇髄天元。御年二三歳。忍びという前歴を持ち、里抜けをしたところ、先々代お館様に勧誘され隊士となる。忍者としての素地があったからだろう、みるみるうちに強くなって、今では柱最古参の一人。

 積み重ねてきた分の誇りと自信はあるつもりだ。当然、実力も。

 そんな彼が、しかし。

 

「っぐぅ!」

 

 あからさまに、足手まといとなっていた。

 戦況は、黒死牟が能力を一段上げてもなお互角かやや優勢だった。これは無一郎の働きが大きい。彼が月の呼吸、もといツクヨミ舞踊から逆算して、相手の型を事前に予測している為だ。意識を彼と黒死牟に分けて、他の柱も間接的に動きを察知している。さすがに強大化した血鬼術まで完璧にとは言わないが。相変わらず化け物じみた才能だ。

 他の柱も、それぞれ持ち味を生かして食らいついている。

 

(俺だけが何もできてねえ!)

 

 攻撃を全て読み切られ、いなされながら。自分を思いきり罵った。

 こうなった理由というのも、一応はあった。そもそも、天元の行使する技術は、ほぼ全てが忍びとしてのものが根元となっている。つまり忍者としての力が通じない場合、天元の能力は柱として相応しいか微妙な線にまで落ち込むのだ。

 忍びの技は知らない者に対して最大の力を発揮する。というか、知られている場合、どうしても正道には及ばなかった。忍者はあくまで日陰者なのだ。大正の世となって忍者の存在そのものが伝説に近くなったからこそ、最大限の力を発揮できていたと言える。

 間違いなく、黒死牟は忍者を知っている。それも、とても詳しく。恐らくは戦国時代最盛期から生きているのだろう。技術を発展させ続けた頃の忍びに対し、現代では細々と技術を伝えているだけ。どちらの方が高い能力を持っていたかなど、火を見るより明らかだ。この時点で、天元はほぼ無力化されたと言っていい。

 問題は、忍者の業を知られている事ではない。解決方法がない事だった。

 音の呼吸は雷の呼吸から派生させたものだ。そう言えば聞こえはいいが、実際は雷の呼吸を体得出来なかったために、忍びの技術を応用できるよう、劣化させながら改造したものでしかない。根本部分の忍びの技術が通じなければ、同様に封じられてしまう。

 振れば音の爆発を発生させる日輪刀も、はっきり言って虚仮威し程度の意味しか無い。元々忍者の技に慣れさせない工夫の一つなのだから当然だが。

 結局の所、天元を柱たらしめているのは、唯一、他者に真似できない技能と自負している『譜面』だけだった。しかし。

 

(また変化した……! 譜面が完成しねえ!)

 

 『譜面』を表現するのに一番相応しいのは詰将棋だろう。相手の情報を周囲の環境、自分の能力を全て一つの譜面上に描き、それをなぞる。炭治郎が、確か隙の匂いを嗅げるとか言っていたか。感覚と理論で違うが、性質としてはそれに近い。当然、性能は桁違いだが。

 ともあれ、譜面は未来を変更し、頚に刃を導く技術である。情報が増えれば増えるほど、譜面の完成は遅くなるのだ。

 が、ここで譜面が完成しないのは、人数の多さが故ではなかった。黒死牟が強すぎ、また底が見えなく、こちらの手管までもが知られている。これらが最たる要因だ。

 忍術を知られていてほぼ戦力外なだけでも厳しいのに、実力を測りきれないが故に譜面も完成しない。柱を舐めているから全力を出さないのではなかった。むしろ、最大限警戒しているからこそ、力を見せきっていないのだと推察する。恐らく過去に、天元と似た能力を持っている者がいたのだろう。

 

(そりゃ数百年分の経験がありゃあ、似たような人間の一人や二人は思い当たるよな。クソッ、ふざけた引き出しの量だ)

 

 天元はこの中で一番安く見られているが、同時に無視もされていない。注視するに値しないが、切り札の一つや二つは持っているという評価は、正しすぎる程だった。図星を突かれすぎて痛くすらある。

 忍びとしての技術と譜面、支柱たる二つを封じられれば、天元にできる事は余りに少ない。

 

(そりゃ悲鳴嶼の旦那も攻めあぐねるってもんだよ)

 

 この鬼は強いだけではなく、非常に頭が回る。多くの鬼みたいに、元の強さにあぐらを掻き、対して考えもしない鬼達とはひと味もふた味も違った。痩せても枯れても腐っても、さすがは元隊士、それも間違いなく柱なだけはある。足りない側の戦い方というのをよく弁えていた。

 できる事がほぼないからといって、手をこまねいている訳にはいかない。とはいえ、おおよその忍具は相手の意表を突くものである。つまりは、驚かす相手が敵ばかりとは限らないのだ。隊士歴が長い行冥と実弥には安心感があるが、新参の無一郎と伊之助にそこまで期待するのは、少々酷というものだろう。万が一、先に黒死牟が復活して柱を落とされたりなどしては目も当てられない。

 

(あーあ。ったく、嫌になるぜ。ここに来てまた、才能のなさを嘆く羽目になるなんてな)

 

 過去に二度ほど、天元の心は折られている。一度目は行冥の圧倒的な肉体に、二度目は無一郎の輝かんばかりな剣才に。

 幸いにも、お館様にすら知られる事がなかった秘密だ。それを、またここで思い知る羽目になろうとは。……いや、見抜かれてはいたのかもしれない。知られなかったなどというより、気を遣ってくれていたという方がよほどありそうだ。

 ないものをねだっても仕方ない、と頭を作り替える。これも忍びの技――というほど大層なものではないが、ともあれ技術としては初歩であり実用的なものだ。

 

(譜面に完璧を求めねえ。とにかく暴れて状況を乱せば、他の奴らが必ずなんとかしてくれる)

 

 それは恐らく、信頼と言うには余りにも甘えすぎた考えだろう。せざるを得ない無力は、恥として刻み込む。同じ分だけ結果で返すと決めて。

 頭の中で旋律を奏でた。状況を無数の音に変換して、一つの音楽にする。どれだけ複雑であろうとも、そこに因果がある以上、ひとつなぎの音楽として完成する。さながら西洋にあるオーケストラのように。だから、この技術に譜面と名付けた。

 今は穴あきや音ずればかりで、とてもではないが美しいと言えないものだが。これほど不細工なものでも、要所要所であれば使えないことはない。

 深い呼吸で、脳にこれでもかと酸素を送り込む。

 

(久しぶりだな、こんな真似をするのは)

 

 ここまで思考を集中させるのは、譜面を考案した頃以来だ。頭を使いすぎれば、体の扱いが疎かになる。逆もまた然り。ほどよい部分というのは必ず存在し、今では一度譜面が完成してしまえば、意識せずともなぞることが出来るように訓練した。

 つまりこれからやろうとしている事は、死と生の境目で踊るも同然。少しでも思考に回しすぎれば、その時点で殺される。ということは――何も問題なし。

 即興で譜面を作り出す。自分も含めて五人の仲間の位置と能力、そして黒死牟の戦闘技能と速度。全てを入力した、ごく短い不完全な譜面。極めて短時間の未来予測。

 行冥の鉄球が斜め上から振り下ろされる。片手には斧を持ったままだ。彼の手慣れたやり方。一度両方を放ってしまうと、後には鎖を踏んで斧と鉄球を落とす天面砕きしか型が残らず、それすら対処されたら鎖で防御するしかない。故に、手元には斧を残す場合が多い。天面砕きは他の型から連動させやすい優秀な技である反面、最後の切り札という危うさも持っていた。黒死牟ほどの相手を前に無防備は危険極まりなく、まず使われる事はないだろう。

 さらに無一郎が、やや遠間から月の呼吸相殺を狙っている。その隙に伊之助が横へと周り、腕を狙っていた。いい判断だ。黒死牟の戦い方では、人間と同じく手が残っていなければ何も出来ない。なぜ異能の鬼になってまで、そんな迂遠を残しているのかは知らないが。

 実弥は前衛二人より半歩ほど離れた位置から、虎視眈々と隙を狙っている。二人の攻防が成功すれば追撃に回れ、失敗すれば補える絶妙な位置。現役の柱では三番目に長く努めているだけある。

 ただしい旋律は、同時に美しく強い。では醜くするにはどうすればいいか。譜面に落書きを一つ書き込めばいい。

 頭の上で日輪刀を半回転させ、遠心力を稼ぐ。この程度では上弦の頚を取るには不足しているが、今回の狙いはそうでないため十分だ。

 左掌の中で峰を滑らせ、腕ごと思い切り伸ばす。切っ先をつまんだだけで維持し、そのまま振り切った。二刀に加えて鎖で繋いだ分、さらに腕の長さを加算すれば、血鬼術まで含めて黒死牟の射程外だ。無防備であっても問題ない。

 狙うは鬼の足下、床を軽く削ぐように斬る。

 踏み込む際にほんの僅か力が入らないという、つまらない邪魔ではある。それでも、際の際にされれば、無視できるものでもなかった。

 黒死牟が持つ六つの目の内一つが、こちらを向く。今までにない小技の意図を確認するためか。何も悟らせないよう、無表情を取り繕う。

 床が滑って、ほんの一瞬だけ初動が遅れた。それでもなお、相手は現代最高の武辺者にして上弦の壱。鉄球と鋸刀の連携を難なく潜り抜ける。しかし動き出しが遅れたのに変わりは無く、実弥の接近を許した。

 彼の外見に似合った、荒々しい風の呼吸。動き出しのついでに血を飛ばし、ほんの僅かに視界を邪魔するというおまけ付きだ。

 これを迎撃すべく、黒死牟の七支刀擬きが小さく振られる。刀が斬るという機能を果たすのに必要な二つの要素、振りと引き。そのうち振りを短縮した唯一の型、月魄災渦で迎撃しようとしている。

 実弥は傷を恐れない。いや、これはおおよそ全ての隊士に言える事だが。彼の場合は相手を酔わせるため、ことさら攻撃の中に突っ込む癖がある。故に、月魄災渦という三日月の波へも深く踏み込んでいった。

 ――ここまで読めていた。故に、視認もしていない。

 天元は床を削いだ時点で、日輪刀から手を離していた。さして勢いなどついてなかった上、日輪刀としては行冥のそれに次ぐ重量のため、ほとんどその場に落ちるような形になった。

 軸足を左から右に変更。左腕を折りたたんで回転の勢いを増し、あらかじめ用意しておいた苦無を射出。今度の目標は黒死牟の首だ。

 広義で言えばその苦無も日輪刀であり、つまりは鬼を殺すに足る道具だ(当然、こんなもので実際に鬼と戦うのは御免被るが)。投擲技術も正規の訓練を受けたものであり、完全な我流である善逸のそれとは比べものにならない。

 所詮は苦無、知らなければ無視しても構わない程度だ。しかし、一度意識してしまえば、放置もできない。

 黒死牟は左腕を上げて、肘で苦無を受け止めた。当然、その分は動きが減退する。三日月は発生こそするものの、威力は今までと比べものにならないほど弱々しかった。本来ならばいくらかの傷まで付けていただろう攻撃は、実弥を受け止めるに留まった。

 

「おいおい、お前にしちゃあ随分と地味じゃねえかよォ」

「うるせ。俺が一番自覚してんだよ」

 

 実弥の後退と、天元が日輪刀の先端を蹴り上げて再度掴むのはほぼ同時だった。

 

「……ただただ小癪」

 

 毛色の変わった連携を、そう黒死牟が切って捨てる。が、同時に理解もした。口に出す程度には鬱陶しいのだと。効果を実感するには十分な一言だった。

 忍びという存在を指す言葉は多い。現代主流として(主に物語として)流行っている暗殺者としての側面も、勿論あった。傭兵として求められた事もあるし、影働きをする者全般を忍びと呼称したりもした。そんな複数の性格を持っていたため、ただの焼き働きを忍びと呼ぶこともあった。厄介なことに、実際忍びとして働いていた者がそういう行いもしていたため、あまり声を大きくして否定も出来ない。

 今になって、かつて卑しいと蔑まれた戦い方をする羽目になるとは思わなかった。

 

(これも運命なのかねえ)

 

 上から下まで、忍びの働きそのもに対し、特に何かを思ったことはない。どれだけ悪辣な手段を取ろうとも、所詮は遙か過去の話だ。無論、お前がやれと言われたら御免被るが。

 思えば、派手に傾倒したのはその反動なのかも知れない。忍びが忍びらしく動くという事は、業も背負い込むという事なのだから。結局天元は、理想の忍び――任務達成の為にいかなる者をも犠牲にする人間にはなれなかった。

 欠片ほどとはいえ、それを覗かせるのは、あまりいい気がするものではなかった。

 まあ。そんな拘りなど、人を生かすためならばいくらでも捨ててやる。

 

「お前らぁ! 見ての通り、俺の力が一番こいつに通じてねえ! その代わり全力で支援するから、()()()()()!」

 

 こんな事を言って、かつての父や弟は自分を笑うだろうか、と苦笑した。忍者とは裏切り者の代名詞でもある。およそ忠誠とはほど遠い存在、だからこそ戦国の世で賤業と蔑まれていた。

 でも。

 

「今更何言ってやがんだァ」

「任せるぞ、宇髄」

「とりあえず突っ込ゃいいんだろ! ハハハハ!」

「分かった」

 

 ここには仲間がいる。信じて背中を任せてくれる仲間が。ならばいくらでも戦えた。

 まず、自分が隊士であるという事は忘れる。隊士として積み重ねてきた技術と経験は、あくまで道具の一つ。忍びのそれと同列まで落とした。

 

(懐かしい心地だな)

 

 鎖双剣を構えながら、考える。

 隊士になりたての頃は、さほど呼吸の型というものを重視していなかった。十年以上鍛え上げた技と、僅か数ヶ月、つまりは付け焼き刃を同列にできないのなど当然だ。それに、当時はまだ不完全な雷の呼吸を使っていた。

 やがて剣士数百年の歴史を紐解き、そちらを主力にした方が効率がいいと気づき。雷の呼吸と自分の体質が合わないと見切りを付け、忍びの技と混ぜ合わせた音の呼吸に着手し始め。音の呼吸を最大限に生かす日輪刀を開発して貰い、今の戦法に至った。

 

(そうだ、俺の強みは音の呼吸でも、忍びの技でも、体の強さでもねえ)

 

 人一倍物覚えが良く、それらを最適に使い回す頭があった。手札の多さと小器用さ、それこそ真に宇髄天元の力だ。

 

(全部やってやろうじゃねえの! 俺様がいる限り、奴には何もさせねえ!)

 

 刀を構えながら、一定の距離を保つ。下手に飛び込むことはしない。攻撃を捌くというだけならば、それなりに上手くやる自信はあるものの。攻勢で役に立たないのではあまり意味が無い。

 下手に踏み込み、呼吸を読まれて逆撃を食らっても面白くないし。いくら忍びの技をなるべく出さないようにしているとは言え、攻守の駆け引きで自然と出てしまう所にまで気を遣っていられない。一番読まれやすいのが天元なのは、依然変わらない。

 

(理想は、俺を集中的に狙ってこねえ程度にうざったい事だ)

 

 不本意な上、柱となってからは図らずも封印してきた戦い方だが。それは忍び本来の戦い方であり、同時に最も得意とする所だった。

 ふ、と失笑が漏れる。

 

「……何が面白い?」

 

 それに反応したのは黒死牟だけだった。彼以外にそうするだけの余裕がなかったとも言えるが。

 

「お前に対してじゃねえよ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、なんて感傷が俺にあったのが馬鹿馬鹿しくてな!」

 

 忍びの技などというものはあくまで手段の一つ。そういった意識すらも忍びの教えであり、故に隊士としての己に、知らず拘っていた。これを滑稽と言わずしてなんと言うのか。

 元忍びの現隊士。どちらかではなくどちらも。忍者の技術を素地にして剣を振るうのではなく、双方を並列して行う。それが天元にできる、精一杯の回答だ。

 黒死牟は、剣士としてほぼ完璧な存在だ。少なくとも現代に、彼以上の者はいない。しかし、決して無敵ではなかった。弱点、というか欠点はある。ならば、そこから一枚一枚剥がしていけばいい。

 

(俺なら出来るはずだ。いや、俺にしかできねえ)

 

 数百年という歴史を、徹底して人間という種の短所を突く研究に没頭した、真なる忍者に伝えられてきたもの。それを継ぐ自分にしか。

 全員の位置と能力を入力し続ける。ここまではいつもやっている事だ。さらに敵の能力更新を繰り返し、不完全な譜面を作っては破棄する。いつ頭痛で動きを止めてもおかしくない作業だ。擬似的に、これを譜面詩編とでも呼称しようか。

 今までの戦法は、とても簡単だ。月の呼吸をある程度先読みできる無一郎が防御の要となり、実弥が遊撃を努めている。行冥が均衡の維持に苦慮し、その間に伊之助が切り込むという、言葉にすればとても分かりやすいものだ。天元も実弥と似たような立場を取っていたが、基礎に忍びの技があると見抜かれてからは、ほぼ戦力外となっていた。

 ここで意外な活躍を見せているのは伊之助だ。彼も天元と同じく、ある意味邪道を行く者だ。違いは、天元のそれは前例尽くしなのに対し、伊之助の動きは予想外の連発だという点だろう。

 独自に編み出した獣の呼吸は、あえて言えば風の呼吸に似ているが、それでも無理矢理当てはめればという程度。極端な柔軟性と、嵌め外し自在な間接、いちいち曲調を変える動きは、正に正道殺しと言える。音の呼吸と同じく当代で生み出されたものであるが、対処の難しさには天地の違いがあった。

 この場に居る全員が、獣柱を生かすように動いている。或いは、彼を巨大な布石にしようと。

 思考に負荷を掛けない為のこつは、物事を単純化する事だ。複雑な事をさらに複雑に考えようとすれば、あっという間に破綻する。人間の脳はそこまで便利にできていない。

 とりあえず、どう考えても使いどころのない爆薬丸を捨てた。擦るだけで爆発し、人一人くらいなら簡単に殺せるほどの威力がある親指大の爆薬は、非常に便利ではあるものの。自爆の危険は無視できない。無一郎と伊之助が対応できないならば、かえって邪魔にもなる。無論、必要になればすぐ取りに行ける場所にはした。

 敵味方入り乱れた戦いの中、徹底して嫌がらせに集中する。さすがにこれだけ邪魔されれば、いかに上弦の壱と言えども天元に対する意識の比重を大きくせざるをえなかった。

 それはつまり、今までより強力な攻撃に晒されるという意味でもある。

 

「うっ……ぐ!」

 

 三日月に裂かれた腹に、思わず呻いた。決して浅いとは言えない。筋肉をいくらか切られた、という事は能力を僅かにでも削がれたという事でもある。

 

(そりゃそうだ。覚悟を新たにしたからって、別にいきなり強くなれる訳でもねえんだからな)

 

 所詮は目障りになったというだけの話だ。この程度でなんとかできるなら、そもそもとっくに倒せている。

 

(こうなるなら忍者刀でも作って貰っとくべきだったな)

 

 今更になって、選択肢から排除していた事を悔やんだ。

 天元の持っている日輪刀は、隊士の中でも最大級の重量である。これ以上の得物は、行冥が持つゲテモノくらいしか存在しない。柱でも二番の膂力を持つため、普段は意識したことなどなかったが。

 人の背丈ほどもあるどでかい包丁、とでも言うべき日輪刀は、当り前に取り回しが悪い。さすがにこればかりは、筋力でどうにかできない問題だ。

 忍者刀――片刃直刀の小太刀。通常の刀と比べて七割程度の長さであり、大昔は仕込み杖として多用された暗殺向きの武器だ。

 これが、真正面からの叩き合いに向かないかと言うと、案外そうでもない。なんだかんだ防御という意味ではかなり優れた性能を持つし、想定している戦場が障害物の多い場所だ。周囲の邪魔に左右されない使い勝手がある。言い方を変えれば、思い切り振り回しても共闘者に当てる心配が低い。乱戦にもってこいの武器だ。

 柱が複数人共闘しなければならない上、忍びの技が通用しない相手など想定の埒外だったと言えばそれまでだが。さすがにここまで痛いと、愚痴の一つでも吐き出したくなった。

 

(はい弱音終わり!)

 

 吐くだけ吐いて、無理矢理中断させる。

 今の状況に向かないからと言って、鎖付き鬼斬り包丁が弱いという意味では決してない。例えばだ。

 何があっても絶対に届かない距離で、刀を振るう。当然意味など無いし、歯牙にも掛ける必要などない。本来ならば。

 日輪刀が轟音を立てて、空気を揺さぶる。それを意識の片隅にでも捉えてしまったのは、黒死牟だけだった。一瞬の迷いは、七支刀擬きで広がった分の間合いを帳消しにした。長く、広く。潰すのが難しくなった距離が再び縮まる。

 

「だよなぁ!」

 

 その姿を見て、天元はけたたましく笑った。なるべく黒死牟がこちらを注意せざるを得ないように。

 

「音、匂い、視界の端でちらつく何か……こういうもんは乱戦になればなるほど気になるだろ! 頭ん中で意味がねえって分かってても、もしもを考えちまってな!」

 

 一見無意味で派手な行動とは、しかし場が荒れていればいるほど、荒らせば荒らすほど効く。ましてや日輪刀によって起こされたそれならば、伊之助と無一郎も承知している為、爆薬丸と違って気を取られる心配はない。

 何度も通じる手ではないし、もしかしたら二度と通じないかも知れない。特に王手がかかってないこの状況で行うのは、一見無駄撃ちだ。

 しかし、無意味ではないと最も感じたのは黒死牟だろう。この程度のやり方なら、いくらでもあると錯覚させられる。これはそのまま、天元への警戒心へと繋がっていた。

 

「昔にも忍びの隊士はいたが……これほどの……鬱陶しさはなかった……」

「そんなに褒めるなよ!」

 

 素直に気を取られていると告白した黒死牟に、そう返す。

 どれだけ強くとも、長く生きようとも、根は求道者。この手の駆け引きは不得手なのだろう。

 黒死牟の隙――それは人間である事を()()()()()()事だ。いくら体が人のそれとは別物であろうとも、処理するのは飽くまで脳。五感を過剰に刺激して感覚器官を狂わせれば、それを人間らしく処理せざるをえなかった。ある程度の精神構造もまた然り。思考の処理に余計なものを混ぜれば、嫌が応にも受け取ってしまう。

 とはいえ、繰り返せばいずれ慣れる。こればかりは仕方ない。相手が慣れてしまうのは、既に既定の事実だ。問題は、それがいつかという点。

 彼がこちらの強さと連携にまで慣れてしまうまで。時間はあまりに短い。

 

(なんて亀みてえに引っ込んでるのは、俺の柄じゃねえ。いくら戦力で劣るったって、そこまで引っ込むこたあねえよな)

 

 振りであるならば、己の腕力で無理矢理勝機を引きずり込む。それが宇髄天元という男だ。不確かな可能性は頼らない。

 希望は人を生かすが、盲信すれば愚者にもする。賢者を気取るつもりなどさらさらないが、分かっていて愚か者になるつもりもなかった。

 

「時透ォ!」

 

 こちらも見ずに対応した無一郎だが、しかしぎょっとしたのも気配で分かった。感じられるのは、僅かな懸念。

 無一郎と天元が位置を入れ替える。つまり、天元が黒死牟の真正面へ。正対した彼の姿を見て、ひっそりと嘆息が聞こえた。

 

「ただ……下策……。愚かなり……」

 

 黒死牟の評価は、ひたすらに正しい。彼の剣技に食らいつく、というだけならば行冥も可能かも知れないが、相殺は無一郎しかできないのだから。ましてや一番動きを読まれている天元では、自殺行為以外の何物でもない。

 しかし、それこそ油断に他ならないと天元は断じた。何をするか分からないと評価した直後に自由な行動を許すのは。

 

「さすがに俺を舐めすぎだぜ!」

 

 叫びながら、日輪刀を放り投げた。

 この暴挙には、さすがに全員がぎょっとする。しかしそんな様子など無視して、天元は飛ばした日輪刀に続くような形で走った。

 回転する鎖双剣は、さながら渦のようであり。その形容に正しく、黒死牟の刀を巻き込んだ。鎖が七支刀擬きの突起に引っかかって刀身だけが互い違いに回り、刀を絡め取る。鬼をして、決して軽いとは言えない重量のそれは、床に深く突き刺さって七支刀擬きを縫い付けた。

 咄嗟に黒死牟が、刀を手放す。初手を失敗したとは言え、さすがにこういった判断力は図抜けていた。

 だが、忘れてはいけない。今、無手で対峙している相手は、宇髄天元――鬼殺隊で最も近接格闘技術に優れた存在。鬼殺隊の中でも、たった二人だけ鬼と殴り合える人間の片割れ。

 黒死牟は瞬きの合間に、七支刀擬きを作り直していた。が、後手の後退と、先手の前進。いくら鬼と人の差があれど、どちらが優位なのかは語るまでもなく、天元は懐に潜り込み終えていた。

 

「オラァ!」

 

 豪腕を真っ直ぐ、顔に向けて突き出す。

 通常、高位の鬼に対して布越しであろうとも、触れるのは下手だ。鬼は布だろうと無関係に飲み込んでしまう。しかし天元の拳は、仰け反った黒死牟の頭部前面半分をごっそりと削り落としていた。

 

「今までの柱にゃこんなことする奴いなかったよなあ!」

 

 天元の拳は、血と肉と少量の脳漿、そして六つの目を潰した拍子に飛んだ硝子体に塗れていた。拳の形は無事なまま。

 絡繰りは至って単純、手袋を新調しただけ。いつものそれから指抜き手袋に変更し、猩々緋鉱石で作った鋼線を編み込んだ。さらに拳頭あたりに袋を作って、その中に砂鉄を詰めた。拳を握れば手軽に槌となる工夫だ。

 はっきり言って正気の発送ではない。制作を依頼した刀匠には狂っていると思われたし、実際、自分でも奇人の類いだと思っている。

 弁明をするならば、こんなもの積極的に使うつもりはなかった。いくら天元が鬼に近い身体能力を持つと言えど、さすがに殴り合いをしようなどとは思わない。あくまで保険、苦し紛れ程度のものだった。ましてやここまで上手く意表を突けたのは出来すぎだ。

 

「今だ! 畳みかけろ!」

 

 拳を引いた勢いで、邪魔にならぬよう背後に倒れ込みながら叫ぶ。

 これで殺せるとなど思っていなかった。元々、首は鬼の中で最も硬い部位。刀でも難しいのに、殴って可能だとは思えない。しかもそれは、相手が避けなかったらというあり得ない前提での話だ。

 故に天元は、鬼から目を奪うことに注力した。

 血鬼術で特別に改造でもしていない限り、人間の機能は変わらない。つまり、肌で触覚を感じたり、目で視覚を得たりなど。六つ目以降の感覚が欲しくば、血鬼術に頼るしかないのだ。

 黒死牟は見た目の通り、目による情報獲得容量がとてつもなく高い。逆に言えば、それさえ無ければ人並みでしかなかった。

 

「何も見えねえ状態で四対一! これでお前はどこまで戦えんだ!?」

 

 天元が後ろ足に剣を蹴り、強度を落として半分に折れた七支刀擬きを振り払う頃には。既に四人の刃が、頚に届こうかとしていた。顔は半ばまで再生しているが、今更視認したところで、四人同時に打ち落とすなど不可能。

 さらに。

 

(ダメ押し!)

 

 即興で譜面詩編を描く。

 剣を持っているのとは逆の手で、棒手裏剣を二本指で挟み、それを投擲。肩関節を狙う。関節に噛んでもいいし、筋を傷つけるのでもいい。一瞬の遅滞さえあれば、誰かが成し遂げてくれる。

 さらに、と身を低くして棒手裏剣に続く。

 既に必殺の連携ではあるが、それに甘えて大丈夫な相手かと問われれば少しばかり疑わしい。仮に頚を斬れたとしても、それだけでは死なない鬼という前例が挙がっている以上、過信は禁物だ。

 最後の一手であっても、死なない相手を細切れにするのであっても、後詰めはあった方がいい。それに――仮に反撃があった場合にも、肉の盾くらいにはなれる。

 上弦の壱を倒すのに柱一人の犠牲というのは、最良とは言えないまでも、合格点はつけられるものだ。

 音の呼吸は使わず、下から掬い上げるように刃を振るう。型を放ってしまうと、爆発が生じるからだ。連携として見た場合、音の呼吸は全呼吸の中で最も不向きである。

 相手の懐に潜り込んで密やかな殺しを目論むというのは、嫌でも自分が忍びである事を思い出させた。

 一番早く動いていた実弥の刀が、黒死牟の薄皮に触れたくらいだろうか。いきなり、視界が滅茶苦茶に揺れ動いた。

 

「なん……っ!」

 

 宙に浮ききりもみする中、手に感じた衝撃から、思い切り殴り倒されたのだと気付く。正確に言えば、それ以外にあり得ないというのが正しいが。

 

(んなことあり得んのか!?)

 

 普通に戦っただけならば、黒死牟はそれくらい、簡単にやってのけるだろう。しかし、視界を防がれていれば。対応する間もなく四人の柱が同時にかかっていれば。天元が余計な邪魔を入れていなければ。その上、最後の詰めとしてかかられていれば。

 ここまで計算された状態でなお返されたというのは、津宵を通り過ぎて最早喜劇だ。

 とにかく手足を伸ばし、がむしゃらになって床を探す。指先が何かに掠り、それを頼りに体を振った。幸いにも触ったのが柱だったなどと言う事はなく、静かに着地する。

 前を見る頃には、強烈な金属音が連続して弾けていた。唯一その場にとどまれた行冥が、死に物狂いで追撃を止めている。どうやら自分が死ななかったのは、彼の献身によるものらしい。

 

「っ、他の連中は……!」

 

 無闇に割って入る事はせず、現状把握を優先した。すぐに助けたい気持ちはあるものの、両腕が使い物にならない以上、足手まといにすらなれない。

 他の三人は、案外近くにいた。少なくとも天元よりは。が、それは救いとはならない。

 全員倒れ伏している。意識はあるようだが、体が上手く動かない様子だった。血も飛び散っており、出血量から見て決して浅くはない。まだ戦えるかは、微妙な所だと踏んだ。

 恐らく、攻撃途中だったの功を奏したのだろう。刀が緩衝材代わりを果たした。そのおかげで、一応は死を免れた。

 

(一体、何が起きやがった)

 

 驚嘆で乱れる呼吸を整えながら、腕が回復するのを待つ。

 必殺を期したが失敗した。それ自体は、よくはないが、まあ理解できる。問題は、何をされたかすら理解できなかった点だ。

 相手の技に対応できなかった事は数あれど、動きの起こりすら察知できなかったのはこれが初めて。最初は隠し球の血鬼術でも持っていたのかと思ったが、行冥の様子を見る限り、そうでもないようだった。

 黒死牟が鎖の中心を叩いて行冥の動きを止める――と見せかけて、そのまま接近した。技術そのものは今まで見せていたものの延長なのに、動きの次元が違う。単純に、身体能力が何段も上がっていた。それに呼応するようにして、技も冴えている。

 刀を持ったまま、肘の内側で行冥の腕を絡める。甲冑組手の一つだ。

 行冥の巨体が派手に回転し、返す刀で両断されそうになったとき。天元は思わず動きそうになったが、それを制したのもまた行冥の気配だった。彼は鎖で環を作り、それで刀を縛り上げる。節に絡んだ鎖が、強引に行冥の体を後方へと弾き飛ばした。

 行冥を斬ろうと思えばいくらでもできただろうに、しかし黒死牟はそうしなかった。まさか天元を警戒した訳でもあるまい。

 彼から感じるのは、慢心ではない。少しの余裕と、そして大部分を占める賞賛。

 

「お前達は……よくやった……」

 

 呟きながら、彼は行冥から順番に一人一人を見回していった。そんな事をしている間に、一人また一人と止血鎮痛を行って立ち上がるのに、気にもとめない。

 

「これを使うのは……およそ二百年ぶりか……。見事也……」

 

 それこそ脇目を振っているようにも見えるのに、行冥は攻撃を行わない。

 理由は、黒死牟が最後に天元へと視線を向けたことで理解した。

 

(ああそうかよ、クソッ。そういう事かよ)

 

 忌々しく吐き捨てて、歯ぎしりをする。

 簡単に予想できた、と言えばその通りだ。古い時代に隊士を努め、何十人という柱を見てきた。十二鬼月どころか鬼として見ても、相当な古株に違いない。

 知っていて当り前なのだ。ならば試しもするし、試行錯誤を繰り返せば実用化だって、そんなに難しくない。一番の問題である肉体の酷使ですら、鬼であれば何ら欠点にはならないのだから。

 

「お前の手管も……最早鼠が如しなどとは言わぬ……。あらゆる妖刀を引き抜いてこその力……。私に全力を出させたのは……間違いなくお前だ……」

 

 黒死牟の左額と右頬にあった、炎がゆらめくような紋様。それが三日月型に変形し広がっている。

 七支刀擬きなど、全く本気ではなかった。それこそ、彼からしてみたらちょっとした工夫や、小手先程度であったのだろう。十分考えられるそれから目をそらしていたのは、単純に、もし事実なら手が付けられないと誰もが考えていたからだ。

 

「痣……」

「然り……。我もまた……痣の者……。今まで使うほどでなかったこれを引き出した事……誇るがいい……」

 

 ただでさえ強烈だった剣気がさらに強まる様を見せられて。地獄はまだ始まってすらいなかったのだと、強く思い知らされた。

 

 

 

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