獪岳と善逸   作:山筋

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地上へ

 新上弦の伍。もしくは、琵琶女。正式名称は知らないし、興味も無かった。殺した鬼の名を舌の上で転がすほど、玄弥は悪趣味ではない。まあ、はっきりきっぱり、苦しんで死ねと思うくらいはあるが。

 鬼嫌いという意味に関して、玄弥は鬼殺隊の中でも最高峰だという自覚がある。だが。その彼を持ってしても、認めざるを得ないものがあった。この琵琶女の忠誠心は本物だと。

 斬られた部位が常に焼かれ続ける経験など、一通りの苦痛を味わってきただろう玄弥ですら覚えがない。筆舌に尽くしがたい痛みの中、それでも歯を食いしばって血鬼術を維持しているのは、精神力が異常だとしか言いようが無かった。

 限界以上に精神を奮い立たせるには、恐怖だけでは成り立たない。自分の中に確固たる信念が必要だ。鬼になってしまうかもしれないという恐怖を抱きながら肉を口にした、在りし日の玄弥のように。

 

(こういう奴を崩すには、正攻法じゃ無理だ。かといって玉壺みたく精神的な揺さぶりをかけられる様子もねえ。というかこいつ、耳が聞こえてんのか? ずっとこっちの言葉に反応一つ寄こさねえんだが)

 

 さすがに全く聞こえていないという事はないだろう。それでまともに戦えるのなど、行冥のような例外中の例外だけだ。自分にとって有用なもの以外は無視を貫いている、とかそのあたりだろう。ここまで無視を徹底できるというのも、また強靱な精神力を感じさせる。

 戦えているのだから、とのぼせ上がるわけにはいかない。

 玄弥の強さは、カナヲと違って、本来上弦の鬼と戦っていい程ではなかった。何度も上限の鬼と交戦しているが、考えは変わらない。

 たまたまおいしいところをつまめただけ。たまたま才能ある同期と柱が一緒にいただけ。たまたま、古参の柱が牽引してくれているだけ。いつだって玄弥は、ただのおまけでしかない。

 後は、幸いにもこの琵琶女が補助特化だというのが上げられる。極端に後方支援能力だけを上げた血鬼術の使い手だ。良くも悪くも、ここまで温存されてきただけはある。

 ただ、その代償かどうかは知らないが、戦闘能力そのものは体したことはない。気を引くためにわざと喰らった攻撃を除けば、なんとか避けきれている。攻撃が三分割されているというのを考慮しても、なお物足りない。

 これが上弦の陸だったならば、玄弥はとっくにずたぼろにされていた。ましてやあの鬼の一番厄介な点は、攻撃即ち致死性の毒という点だ。最初の一撃を貰う前に毒の存在に気づけなければ全滅、という危険を持っていた。

 上弦の肆にしたって、過去最多の血鬼術保持者である。だいたいが直線的で、なおかつ発動方向が分かりやすかったとはいえ、全ての血鬼術が人を消し飛ばして有り余る威力だった。

 しかも、そのどちらもが不死身。奴らに比べれば、この鬼は、ただ守りが堅いだけだ。

 

(未だ攻略できてねえ奴がでかい口叩けるもんでもねえが、な!)

 

 突如足下に出現した窓を、踏み込みをずらして避け。正面に現れた襖は剣で割る。この『攻撃能力はないが相手を追放させる』血鬼術が、いまいち攻撃に集中できない最たる要因だ。

 とっとと始末したい、とは玄弥だけが思っている事ではないだろう。

 遅々としてはいるが、赫刀の斬撃による熱傷は治癒されつつある。傷にどれだけの効果があるかはさておき、時間を掛けて状況が好転する事はない。

 順序よく行っていれば、という前提ではあるが。そろそろ鬼をあらかた掃討していてもおかしくない。可能性としては、他の上弦を始末し終えている事だってる。

 もし、総力が鬼舞辻無惨に結集していたら。ここが血鬼術という筺の中か、それとも夜明けを待てる場所かというのは、精神面に大きな影響を及ぼすだろう。他の上弦討伐は、あくまで『好ましい状況』なのに体し、この異空間を操る鬼の討伐は『絶対条件』だ。鬼、というか鬼舞辻無惨にとっては、彼女を維持するだけで勝ちとなる。

 仕掛けるならば、早い段階でなければ。思いながら、玄弥はそっと背中に意識をやった。

 体がぐちゃぐちゃになるほどの圧力にも負けず、無事だった散弾銃。昔使っていたものは、玉壺との戦いで鬼化し、解除された時に崩れてしまったが。その後刀匠に新しく打ち直して貰っただけあり、非常に信頼性が高い。あの程度ならば、多少銃把の木材が砕けた程度で済んでいる。

 ましてや今は鬼を過剰摂取した影響で、血鬼術まで使えるのだ。隠し札にうってつけだ。

 奇襲をしかけるならばこの上ない。あとはいつ切るかだが。

 

(奇策の類いが通じるのは最初の一度だけ。再度たたき込もうと思ったら何らかの工夫がいるが……俺にはそんな技術も経験もねえ。初撃を外したら後がねえ)

 

 いくら自分がへぼだという自覚があっても、突きつけられていい気はしない。だが、弱いなら弱いなりに戦いようはある。

 呼吸も使えない雑魚。その下馬評を覆し続けたからこそ、不死川玄弥はここに存在する。

 

「俺に合わせろ!」

 

 と叫んだのは、半ば無闇にこちらへ注目を集める為だった。

 一対多、もしくは多対多の場合、意識を誰にどれだけ割り振るかが重要になってくる。この程度で均衡を崩してくれれば有り難いが、まあ今までの様子からして無理だろう。やるだけ損はない事をやっているだけだ。

 

「如是我聞 一時佛 在舍衛國 祇樹給孤獨園……」

 

 呟きに意味は無い。反復動作、つまりは特定の言葉を鍵にして身体能力を上げる技術。全集中の呼吸に比べれば細やかすぎる効果だが、こんなものでも玄弥には有り難かった。鬼化と合わせれば、それこそ馬鹿にならない能力にもなる。

 全集中の呼吸とはつまり、呼吸による身体操作技術。前提である全集中の呼吸が使えない玄弥では、どうしたって痣を使えなかった。どうしたって、ここから先は役に立てない。ならばせめて、杏寿郎とカナヲの消耗を最小限に抑える。

 無能で情けなく、隊士になった動機も不純。そんな男ができる、ただ一つの貢献だ。

 琵琶女の防御を、ほとんど力尽くでねじ伏せていく。先ほどまでの口だけとは違って、実行力を伴えば、相手とて余計な手間を割かずにはいられない。

 ただ基礎をなぞるだけの剣技に、我が事ながら才能のなさを実感する。斬撃の数と質において、他の二人とは天地の差があった。普段は嘆くしかない所だが、今だけは、このあからさま過ぎる才能の欠如が効いた。

 

「はあああああ!」

「フゥゥゥ……」

 

 ただ現状維持がいっぱいいっぱいな玄弥に対し、カナヲと杏寿郎は浸食速度を速めている。となれば、そろそろ考え出す頃だろう。

 

(俺の言葉はただのはったりで、本命は二人の内どちらか。まあ誰だってそう思うわな)

 

 つまらない謳い文句に気を引かれ、ほんの僅か、主力と雑魚の間で意識を惑わせる。その空隙こそ、玄弥が狙うべき部分だった。

 自分から意識が薄れた一瞬――玄弥は散弾銃を構える。鬼化は既に終えていた。銃身が脈動し、とりわけ力が集中しているそれは最早『弾丸』ではなく『種』だ。

 発砲の瞬間、しかし銃身は僅かにそらされてしまった。大きな物体を空間転移させる際に作る襖、それを開く動作で、銃口を僅かに下げさせられたのだ。

 弾丸は鬼に命中する事無く、近くの床を破砕するだけに留まる。いくら猩々緋鉱石の弾丸を使い、特製の火薬で威力を底上げしていると言っても、命中しなければ意味は無い。玄弥が鬼でなければ、だが。

 

「失敗か!」

 

 悔しげな杏寿郎の言葉にしかし、玄弥は笑った。彼の勝負はここからだ。

 打ち出した種が、爆発的に膨れ上がり、さながら樹木のように成長した。上弦の鬼であれば余裕を持って避けられる程度の速度だが、その場を動けないという制約を課したびわ女に対しては十分な脅威となる。

 狙い違わず、樹木が鬼を捉えて体に突き刺さる。体を内側から抉られながらも、柱を打ち付けて樹木をねじ曲げ、なんとか右腕だけは死守していた。

 ――玄弥の血鬼術には、ある特性が存在する。

 玉壺を喰った時に、幾度も検証して分かったこと。それは、玄弥の血鬼術は、自分単体では未完成だという事だ。

 樹に成長する種を射出する。これ自体は玄弥の血鬼術と言って差し支えない。ただ、彼の血鬼術にはその先がある。

 力の吸収合併、とでも言えばいいのだろうか。異能の鬼であり、一定上の力を持ち、多量の肉を喰らう。全ての条件を達成して、初めて玄弥の血鬼術は完成するのだ。

 即ち、血鬼術の簒奪。もしくは模倣。

 上弦の陸、妓夫太郎の血鬼術と予想されるのは三つ。血液の操作と血液の毒化、命の共有。最後の血鬼術は、今の状況だと意味を成さないが……それでも可能性は三分の二。ここ一番で当たりを引く自信は十分にあった。

 不死川玄弥は才能こそないが、悪運だけはある。体格に恵まれて生まれ、鬼の力を吸収できる体質を持ち、岩柱たる悲鳴嶼行冥に拾って貰えた。いつもいつも、最後の一線だけは越えずに居られている。

 当たりを引いた――その感触に狂暴な笑みを浮かべながら、血鬼術を発動する。

 

「血鬼術・血噛みィ!」

 

 吠えると同時に、琵琶女から血の制御を大半奪う。それは体の内側から暴れ狂い、内臓を破砕し、脳をかき回し。そして、内外から右腕を縛り付ける。

 

「殺れ!」

 

 血鬼術の操作に意識を取られて、最後に放たれた柱に思い切り吹き飛ばされながら。それでも決して術は解かない。

 右半身がひしゃげ、片目も潰されながら。残った左目で見えたのは、いち早く反応していた炎柱が放つ呼吸。壱ノ型・不知火。

 抵抗する術もなく跳ね上がった、単眼の化け物を見送りながら。玄弥はありったけの呪詛を込めて吐き捨てた。

 

「ざまあみさらせ、クソッタレ」

 

 そのまま壁に叩き付けられ、今度は全身がぐしゃりと潰される。いつもの事ではあるが、何度味わっても慣れることの出来ない感覚だ。

 いつもならば、そのまま地面に落ちるのだが。その前に、体を支えられた。残った左目で確認すると、カナヲが血で汚れるのも厭わず支えてくれたらしい。

 

「わいい……な……」

 

 壊れたままの顎で感謝する。さすがにまともな言葉にはならなかった。

 

「ううん、大丈夫。そっちこそ、えっと、その、大丈夫なの? まだ鬼の死体が崩れきってないから、持ってきた方がいい?」

「へい、き……ガガ、アガァ! あっ、これ以上喰ったら、さすがにどうなるか分からねえ。食い過ぎて身内に殺されるなんてのも馬鹿馬鹿しいな」

 

 最初は困惑の色が強かったカナヲの雰囲気も(表情は変わらない)、悍ましい音を立てて再生するのを身近に感じ、さすがに引きつっていた。

 

「良くやってくれた、不死川少年! 栗花落少女も! 君達のおかげでなんとか倒せた!」

 

 やたら暑苦しく炎柱に言われれば、まあ、さすがに悪い気はしない。玄弥は頬を掻きながら、小さく返事をした。

 足まで再生した所で、しっかりと地面を踏む。いくらか体を確認してみたが、目立つ不具合はなかった。鬼化して戦ったらいつも行っている、半ば儀式と化した行為だが。どうしても辞める気にはなれなかった。

 何度も繰り返しているからと言って、次も同じように行くとか限らない。人に戻れないかも知れないし、損傷がそのままかも知れない。もしかしたら、人に戻りながら、日光に弱いという欠点だけを引き継ぐやも。

 昨日と同じように明日がある。そう思うのは大切だ。ただし、当り前に享受するようになってはいけない。多分それは、心が鬼になってしまうのと同義なのだから。

 無事だった安堵は隠し、真っ直ぐに杏寿郎を見る。

 

「まだ戦れます」

「私も」

「うむ! その心意気や良し!」

 

 彼は満足げに大きく頷き――素っ頓狂な言葉を放った。

 

「では逃げるぞ!」

「……は?」

「はい?」

 

 二人揃って、間の抜けた声を出してしまう。端から見れば、さぞや酷い阿呆面を晒していただろう。

 彼は相変わらず自信満々な(というか、ここから表情が変化する事こそあるのだろうか)顔つきのまま、言葉を続ける。

 

「理由はだな――」

 

 言いかけた所で。異空間が、思い切り揺れた。

 というかこれは。

 

「傾いてる!?」

「わっ」

 

 あまりにも唐突な出来事に、思わず姿勢を崩しそうになる。実際、体格差のせいだろう、躓いたカナヲがこちらに倒れ込んできた。

 先ほどは意識しなかったが、急な女子の接近に、少しだけ動揺する。不死川玄弥十六歳、女の子が苦手な思春期まっただ中だった。

 

「という訳だ! 空間の創造主を殺したのだから、後は崩れるだけだな!」

 

 予想していた差もあるだろうが、杏寿郎は小揺るぎもしなかった。地震どころか、床が抜けたくらいの衝撃があったのだから、分かっていた所で踏ん張るくらいするのが人間だと思うのだが。やっぱり柱は、色々おかしい。

 

「とにかく上へ行くぞ!」

「上……。なぜですか?」

「勘だ!」

「勘!?」

「外れていたら、最悪埋まって死ぬな! だから運否天賦に身を任せるのだ!」

「ここに来ての運任せ!」

 

 玄弥は愕然と顎を落とす。カナヲですら、唖然としていた。

 言っている事は理解できるが、言い方が無茶苦茶である。

 

「さあ、付いてくるのだ! 瓦礫にぶつからないようにな!」

 

 まるで近所の子供を引率するかのような気軽さで言い放つ。実際、その程度の軽さで、落ちてくる梁を両断するから困った。

 他にどうしようもなく。付き添うようにして上を目指しながら、どこか頭痛を感じつつ、玄弥はぼやいた。

 

「もしかして柱って、変な人しかなれねえのかなあ」

「その……えっと」

 

 カナヲは蟲柱の継子だった筈だが。発言を否定するのも難しいらしく、言葉を詰まらせる。

 本来ならば、上弦の伍討伐に沸き立ってもいいはずなのだが。どうにも喜びきれないまま、杏寿郎の後に続いた。

 

 

 

 鬼舞辻無惨。始まりの鬼にして鬼の王。実のところ、その姿を知る者はいない。それは、姿という意味でも力という意味でもだ。

 過去に一度、接触に成功したらしい記述もあるのだが。当時は鬼の攻勢が一際強く、記録の大部分が喪失している。記録としては、ただ「鬼舞辻無惨という存在は実在した」という以上の意味を持たない。

 故に、鬼舞辻無惨の能力は、あらゆる面において最上級の評価を前提にしている。太陽光以外では死なず、消耗無く無限に再生し続け、見付けさえすれば単独で鬼殺隊を壊滅しうる。そんな化け物に。

 だからこそ打てる手を全て打った。善逸が知っているのはおびき寄せと精鋭の突入、あとは毒を盛るという程度だが、他にも仕掛けは山ほどあるだろう。

 それでも、なお。

 

「これも駄目だ!」

「チイッ! お前達、何か手はないのか!?」

「無茶言わないで下さいよ! 冗談みたいに硬い……!」

 

 元から、たったこれだけの人員で倒せるなどと思っていなかった。しかし、まさか痣を発動した柱が三人がかりで、その場から動かす事すらできないとは、さすがに予想外すぎる。

 鬼舞辻無惨は、いかにも舐め腐った態度でこちらを観察していた。洋服の衣嚢に手を突っ込み、動かしているのは、背中から生えた六本の鋼線みたいな触手だけ。それすら体して攻撃的な運用はしておらず、ほとんど様子見と言った程度だ。

 

「ふむ……少々慎重になりすぎていたか? それとも、私が強くなりすぎたか」

「余裕のつもりか!」

 

 小芭内が怒と共に、うねって予測しづらい動きで斬りかかる。しかし、鋼線によって軽々と受け止められてしまう。受け流されたのではない。真正面から止められた、つまり斬れなかったのだ。

 刃筋を立てて、なお通じなかった。この事実は大きい。下手をすれば、無惨本体に傷一つつけられないという事になりかねない。

 

「文句があるなら、私をその気にさせてから言え」

「チッ!」

 

 舌打ちを遺して、小芭内の体が吹き飛ぶ。いくら柱の中でも非力かつ軽量だとはいえ、技量は紛れもなく本物だ。軽々しく弾けさせられるものではない。

 壁にぶつかれば死ぬ勢いで飛ばされた小芭内も、空中で身を翻し、あっさりと受け身を取る。険しい目つきを向けたまま、彼は呟いた。

 

「毒が効いている様子もなしか」

「ああ、これのことか」

 

 言いながら、無惨は右手を衣嚢から引き抜く。彼の指には、黒い球がつままれていた。視線の高さにそれを持って行き、呟く。

 

「面白いものを作ったものだ。効いていれば、少々厄介だったかもしれないが……。お前達は分かっていなかったようだな。私は1000年もの長きにわたって、薬学を修めてきたのだぞ。小細工でなんとかなると思われるのは心外極まる」

 

 あっさりと言ってのけるが。それが現実的な方法ならば、しのぶは柱になれていなかっただろう。

 そんな頭のおかしな真似を平気でされれば、もう何が通じるかすら考えられなくなる。

 

(攻撃の手段にしたって、今が限界じゃないだろうし……。いよいよできる事がないぞ)

 

 鋼線を寸断できたのは、ただの一度きり。霹靂一閃・神速を鋼線を斬るためだけに放った時だ。それも、すぐに回復されてしまった。

 柱ならば全くの無力ではない。そう知れただけで、意味があったと言えなくもないが。喜ぶには、あまりにも無理矢理ないいとこ探しだという自覚はある。

 今はまだこちらを弄んでいるが、少しでも危険を感じれば、無惨もその気になるだろう。その時に選ぶ選択が、逃走か戦闘かはこの際どうでもいい。手前の時点で全力すら出させられないならば、太陽が昇るまでの足止めなど夢のまた夢だ。

 もはや無惨の手札がどうのと言っていられる状態ではない。その気になられてしまえば、今すぐでも全滅する。それくらいの戦力差があった。

 

(こうなたらいったん逃げるのも一つの手だよな)

 

 ここで戦っているのは上弦との合流を防ぐためと、無惨の戦力を測るためだ。後者に関しては完全に破綻している。ここまで能力があると、後者に関してもどれだけ意味があるか分かったものではない。鬼の極端な個人主義を考えれば、いっそ合流させた方がいい可能性すらある。

 もっとも、それで他の二人が納得してくれるかは話が別だが。炭治郎は融通が利かないし、それ以上に、小芭内には鬼殺しに対する強い執着がある。

 

(臆病風に吹かれたって言われたら、否定できる要素もなし。それに、特に説得力がある意見でも無し、か)

 

 だからといって、善逸の個人的な感情を抜きにしても、ここで柱三人の損失は痛すぎる。いや、当然死にたくないというのが先に来るのだが。

 とにかく勝負は、鬼舞辻無惨が今の状況に()()()までだ。何をするにしたって、現状維持だけはあり得ない。

 無い頭を絞っている内に。変わったのは、環境の方だった。

 今までつまらなさそうな顔をしていた無惨が、ふいに顔を上げた。そして、小さく舌打ちする。

 

「黒死牟め、しくじったか。案外頼りにならん」

「退避!」

「逃げろおおおおお!」

 

 善逸と炭治郎が同時に叫ぶ。

 音色が変わった。それがどんな変化か理解する前に、口は開いていた。恐らく炭治郎も似たような状態だっただろう。何かを感じたらとにかく知らせろ、という最初の取り決め通りに反応する。

 絶叫が咄嗟ならば、当然動きも考えたものではない。とにかく向かえる方向へ動いただけだ。結果として、それは正解ではあった。

 今までほとんど防御的にしか動かなかった鋼線が、いきなり距離を延長し、荒れ狂う。斬る、というよりは薙ぎ倒す、という風に駆け巡った。

 衝撃は、破滅の予感から随分遅れてやってきたように感じた。そして実態ある破壊は、間などなかったのではないかと思えるほど速い。

 当たりは既に、瓦礫しかなくなっていた。この空間が、暗くもよく整理された室内だった面影もない。床まで破砕されており、地面がとてつもなく遠かった。そもそも、この空間に地面という概念があるのかも分からないが。

 塵屑と一緒に中を漂いながら、無惨がただ、怒りにまかせて破壊行動を行ったのではないとすぐに分かった。

 今までは、ほとんど動いていなかったとは言え、一応は黒死牟の方に向かっていたのだ。目的地を見失って、わざわざ辺り一面を砕いたのは。耳を澄ませば、現在地からやや下の方に、強い鬼と戦闘音。

 

「伊黒さん、下です! 無惨は恐らくこの空間を作ってる鬼との合流を急いでいます!」

「この音……! 鬼を喰う気だ! 自分の中に取り込んで、空間を自分の支配下に置こうとしてる!」

「止めろ! 命に代えても止めるんだ!」

「……つくづく鬱陶しい連中め」

 

 宙を舞う大きな破片を足場にして、とにかく疾駆する。足場が悪いため、上手く速度を出せないなど言っている場合ではない。

 

「行け! 行けえええ!」

「近づ……けない!」

「俺が……っ、足場が!」

 

 鋼線による攻撃は、強力な代わりに大雑把なものだった。体のどこかにかすりでもすればまるごと抉れるという思想が、ありありと見て取れる。逆に言えば、精密性に欠けるという意味でもあった。ここが地上であれば、つまり破壊しきれない地面という足場があれば、やりようもあったのだろうが。

 自由落下の最中、自分の体重を上回る大きな破片にだけを狙われれば、打てる手などなかった。変に人へ放って、鋼線を利用した移動させさせない徹底したやり方。

 無惨は危機管理に徹底しすぎる性格が徒となっている、などと誰かが言っていたが。目の前で見せられれば、なぜ今まで捕捉できなかったのかがよく分かる。絶対に見られず、知られたら確実に殺す。なにより方針を曲げないため迷いがない。能力から思考まで、全てが生存する事に飛び抜けている。

 

「誰か……誰か――」

 

 小芭内の哀願するような声も届かず、無惨の背中は小さくなっていき。追いつくのは不可能だという絶望を叩き付けられた瞬間。異空間そのものが、まるで振り回されるかのように揺れた。

 無惨が鋼線を四方に放って、自分の動きを止める。そして接触してから初めて、顔を大きく歪めていた。

 

「鳴女ええぇ! この無能が!」

 

 憤怒の声を上げながら、またしてもこちらを無視して反転。弾丸みたく、真上へと飛んでいった。

 風圧に煽られて、外側へと追いやられる。が、これは幸運だった。破壊の中心地から遠ざかれば、足場がある。

 三人集まり直した後、一斉に無惨を追いかけた。

 

「煉獄がやってくれた。いや、誰が何を成したかなどこの際どうでもいい。速く追いかけるぞ」

「はい! もしかしたら、このまま逃げるかも……」

「それだけではない。奴のあの慌てぶり、間違いなく、術者が死んだらここが消滅する。それも、無惨すら無事では済まない程に」

「ひえ……。それって大丈夫なの?」

「全く大丈夫なものか。知らせる余裕もない以上、皆が上に逃げている事を祈るしかない。幸い、空間の異常は極めて明白だ。上に行くかはともかく、既に全員が撤退を始めているだろう」

 

 なら安心、とまでは言えないものの。彼の言葉通り、信じるしかない。

 小芭内はなおも、続けて嘆息した。

 

「崩壊の威力がそれだけあるならば、俺達で足止めし、道連れにしたかったのだがな。今更言っても仕方ない」

「それは絶対に嫌だよ」

 

 戦った結果死ぬならばまだしも(それだって嫌だが)、巻き込み自爆は御免被る。

 反論に返ってきたのは、冷淡な一睨みだけだった。

 

「貴様が生き汚いのは分かっているが、それも含めての決戦だというのは忘れるな」

「いいや、言わせて貰うけどね! 俺は絶対に生き残るからね! まだ女の子と付き合った事だってないし、みんなとお疲れ様会開く予定だってあるんだ!」

「ふん、馬鹿馬鹿しい」

 

 とは言うが、否定まではされなかった。

 善逸の耳は、あくまで感情の方向が分かるだけで、考えている事が分かるわけではない。小芭内からは、己の死を含む覚悟の音が大きすぎて、他の音がかき消されていた。願わくば、心の片隅にでも、生きる気が残っていて欲しい。

 

「無駄口を止めろ。出口だ」

 

 眼前には、ひび割れて底が抜けた天井がある。

 向こう側にあるのは、夜空、なのだろう。多分。曖昧な言葉になっているのは、景色がひたすら歪んでいるからだ。角度、距離感、音に至るまで、全てがちぐはぐ。辛うじて、既に消し飛んだ旧産屋敷邸の近くだと予想できる。

 それは、どちらかと言えば、異空間が原因なのだろう。歪んでいるのは、世界の崩壊が始まっているこちら側だ。成る程、予兆ですらこれなのだから、無惨があわくって逃げ出すのも分かる。

 

「向こうへ抜けたらとにかく無惨を見付けて教えろ。徹底して足を狙え。柱が集まる前に死ぬ事は許さん」

 

 炭治郎と二人して、小さく頷く。冷酷な言葉の裏には、常に優しさがあるのを知っていたから。

 後はもう、語ることなどなく。ひび割れた次元の狭間へと飛び込んだ。

 

 

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