獪岳と善逸 作:山筋
(篠窪)
古びた、と言うにはくたびれ過ぎた柵に肩肘をついて背を預けながら、獪岳はその紙を眺めた。鎹烏の足にくくりつけられていたため折り目が非常に多く、しかも達筆なためひたすら読みにくい。ましてや頭の悪い獪岳にとっては、一行解読するのにも時間がかかった。
(なだらかな山に囲まれたそこそこ広い町。人口は多い訳じゃねえが、人の出入りはそれなりに多い。古臭ぇ町ではあるが、都会に繋がる経路の一つだからそれなりに重宝されてる。でかい通りは東西に一本ずつで、ここだけは馬車で入れる。他に出入りしようって考えたら、俺らが通ったような林道だか獣道だか判断付かねえような道ばかり)
町の情報と言えば、まあこんな所だろう。山間の交通路であるという点以外に特筆するような部分はない。あえて言うなら、規模はそこそなため人も多め。
折れているせいで読みにくい紙を引っ張って伸ばす。
(町民の傾向はやや閉鎖的……にさせられた。流通はそれなりだが頻繁に行き来する奴なんざ少ねえのも手伝って、変化に気付く者はいねえ。死者数も鬼殺隊以外が違和感を感じる程じゃねえ……上手く人間を管理してる証拠だな。鬼の隠れ家、と言うよりは鬼の城と言った方が正しい状態、か。利口で狡猾、一番厄介な類いだな)
そこまで読んで、獪岳は振り返った。今度は両肘を突いて、眼下を見る。
町の東西に作られ、半ばうち捨てられた櫓の上。ナントカ戦争の時に作られたらしい。軍を進めるのに適した地形ではないが、無視できるほど険しいわけでもなく。最終的に物見櫓で監視をするのが落としどころだった。
ちなみになぜまだこんなものがあるかと言うと、壊すのにも予算がいるからだ。勝手に倒壊したところで町に影響がある位置にはないため、取り壊しなどいちいち誰も主張しない。細かい事をつついて責任など求められるのは御免被る、と考えるのは仕方がない。
まあこうして気軽に一人でいられるのだから、獪岳にとってはありがたい限りだったが。
見下ろす町にはそれなりに活気がある。が、同時に恐怖も滲み出ていた。過去の経験からか、こういった感情の機微や揺らぎを読み取るのは得意だった。
視線を紙に戻し、下の方を弾く。
(最初に派遣された鬼狩り二人は、相手の姿を見ることすらできずに殺される。これにより鬼殺隊は“異能の鬼”と判断した。次に派遣されたのも二名、ただし片方は虎の子の丙だった。にも関わらず、これも破れる。かくして本部は最終手段として、柱以外の最高位である俺と、元とはいえ十二鬼月を倒した期待の新人三人を向かわせた。俺らが負ければ――あんま考えたくねえが――次は柱が来る、というか出さざるを得ねえ)
まあ、柱がどうのはどうでもいい。と思うしかない。当然死ぬ気などないが、それはそれとして自分の死後まで考える程面倒見は良くないのだから。
(あいつらも上手くやってるみたいだな)
ぎしりと音を立て、そろそろ崩れそうな危機感を感じさせる柵から腕を退かし。忙しなく動く三人を眺める。
(ちゃんと言った通り、派手に聞き込みしてんな……伊之助の馬鹿たれ以外は)
善逸と炭治郎は、真面目に町の異常を聞いて回っては煙たがられている。鬼の事を明かせば鬼に食われる――恐らくそんな“規則”でも作られているのだろう。
伊之助は、ただただ唖然とされている。まあ猪の剥製を被った上半身裸の男が走り回ってれば、言葉の内容にまで頭が回らないのも当然だろう。ただただ場を荒らす鬼狩りに空いても混乱くらいはしてくれるかも知れない。だとして特に意味は無いが。
獪岳も少し前までは似たような事をしていたが、人酔いしたので少し休憩をするためここに来た。指令の確認というのも嘘ではないし。こういう時、司令官もどきなどをしていると非常に楽だ。どのみち、鬼を探し出す事は目的ではないのだし。
前提として、鬼は非常に好戦的だ。そして基本的に、奴らは鬼狩りを恐れない。
そもそも生きている鬼というのは、『鬼狩りに出会ったことがない』か『鬼狩りを返り討ちにした』かのどちらかである。格上の鬼狩りに遭遇していながら命からがら逃げ切った、という事例は、実は相当に稀だ。
故に、ここの鬼は絶対逃げたりなどしないだろう。ましてや襲撃者を恐れる事など。
それでいい。獪岳は考える。
鬼を狩る時に一番厄介なのは、脇目も振らず全力で逃げられる事だ。
どれだけ呼吸で身体能力を底上げしようとも、人の体が鬼に届く事は絶対にあり得ない。呼吸など、所詮は鬼との差を誤魔化しているに過ぎなかった。現鬼殺隊の中でも最速の一人に数えられるであろう獪岳とて、本気で逃げに徹した鬼を斬る自信はない。
自信と誇りは、時として枷になる。四人もの鬼狩りを食った化け物は、さぞやいい気になっているだろう。少なくとも“餌”を前にして、逃げることなど許せない程度には。
後は、散々聞き込みと称した挑発に乗ってくれれば言うことなしだ。何日もかけて探し出す手間が省ける。
太陽が傾き始め、町並みを茜色に染める。人々から、どこか落ち着きがなくなり始めた。今日も誰かが食われるのか、それとも明日も同じ顔ぶれで会うことができるのか。――いつか、この恐怖から解放される日がくるのか。
絶望と恐怖の中に沈められながら、しかし日常の維持を強要される。これもまた“規則”なのだろう。
「それも今日で終わりだがな」
わざと言葉に出して。
鬼と鬼狩りの夜が来る。
夜の帳が下りきった頃、四人は篠窪の北端近くを歩いていた。歩調は緩く、付いてくる三人はどこか訝しげだ。昼はしまっていた刀を佩き、周囲を警戒している。が、当然のように何もなかった。
これではまるでただの散歩だ、という気配が背後からひしひしと伝わってくる。まあ間違ってはいない。今のところ、本当にただの夜廻りなのだから。
「おい獪岳。この辺に鬼がいんのかよ」
真っ先に痺れを切らした伊之助が問うてくる。その様子に、彼は至極あっさりと答えた。
「さあな。いねえんじゃねえか」
「あん?」
意味が分からない、という反応が三人一緒に返ってくる。示し合わせた訳でもないだろうに全く同時なのが可笑しくて、思わず笑ってしまう。
「そもそも聞き込みだって、それ自体には意味なんざねえ。あれは「俺たち鬼狩りがお前らを殺しに来たぞ」って宣伝するためのもんだ。鬼は既に四人もの鬼狩りを返り討ちにして自信満々だろうからな。挑発さえできりゃよかった」
「じゃあ今は何をやってるんだよ。どこに鬼がいるかも分からないんだろ?」
やや声を震わせながら、善逸。鬼を倒さなければいけないという使命感と、戦いたくないという恐怖心の間で揺れているのがよく分かる。
「だから探すんじゃなくて向こうから来させるんだよ。ここを選んだのもそういう理由だ」
と言いながら軽く手を振るが、光源が月光だけでは見えているか分からない。
篠窪は町の中心を貫く通りに商店やらが集中しており、交通都市らしく眠らない。南は宿泊施設があり、同時に馬車や荷物の管理もしており、こちらも四六時中人がいる。利便性の関係か、居住区も南東南西に多い。反面北は資材置き場などが中心であり、夜に多少騒いだところで問題ない……とまでは言わないが、少なくとも人的被害に関しては多少無視ができる。
半日で町を全部見て回るのは済ませるのは、それなりに苦労を要求された。十分暴れられる場所を見つけられたのだから、甲斐はあったと言える。
と、獪岳は急に足を止めた。
善逸らに警告しようと思ったが、その前に彼らは柄に手を添えていた。なるほど、勘はいいらしい。鍛えればかなり良くなるだろう。
暗い、提灯の明かりすらない。まるで町に追いやられたような小道の少し先。それはのそりと現れた。
一目見て鬼だと分かるほどの異形ではない。ただ、体が人と認識できる限界まで大きく、また筋肉も異様な形に膨れ上がっていた。獪岳もこれほどの巨体は行冥くらいしか知らない。
両手には斧のような何かを持っている。全体が白い上に、太い針金を無理矢理編み込んだような形をしているため、武器と信じるのも危険ではありそうだが。
巨漢は嬲るように、こちらを一人一人じっくりと観察した。
「ヒヒ、今度は四人か。まったく鬼殺隊ってのは頭が足りねえなあ。俺に勝てるわきゃねえのによ」
あからさまな嘲笑に乗る者はいない。憤って精神の軸を崩す者も。さすがに感情を動かさない、というのは難しいようだが。
とりあえずそこには満足する。が、まだ甘い。経験不足が原因だろうから、これは仕方がないか。
三人が即座に構えを取った。それをいちいち待ちながら、しかも自分は備えもしない鬼。その場にいた全員が戦場に集中しきった空気を壊すように、獪岳は地面に手を伸ばした。
さすがにこれは味方どころか鬼まで怪訝に思ったようだ。が、全てを無視して、獪岳は足下から丁度いい大きさの石を二つ拾い。そして無造作に、
弾けるような音はしなかった。一つもだ。片方は巨躯の鬼に掴まれる。もう一つの音が
獪岳も肩越しに覗く。そこには女の鬼がいた。
小柄で、手足がやや長い。薄汚れた、いかにも貧困層出身という身なりをしている。が、注目する点はそこではないだろう。女の周囲から暗闇が波のように溢れ出ており、その一つが石を捉えていた。両手には漆黒の、恐らく投擲用と思われる小刀。男の方と共通する点など何もないのに、人を小馬鹿にした笑みだけはうり二つだった。
「へえ、あたしを見つけるなんてやるじゃないか。あんたは、あの間抜けな鬼狩りどもとは違うのかねえ?」
「そんな……! 今まで匂いなんて全くしなかったのに!」
「お、音もなかったぞ!」
「いきなり気配が出てきやがった! 気持ち悪ぃ!」
「へっ。どうやらちっとでもできそうなのは一人だけみたいだな。なあ
「全くだよ
男の鬼が阿漢で、女の鬼が離吽と言うらしい。特に覚える意味も無いが。
「丙が殺られる訳だ。男の方が気を引いて、女が背中から刺す。単純だが、単純なだけに対処が難しいよな」
「おめえ、俺たちと同じ匂いがするなあ。きっと糞みたいな場所で糞みたいに生きてきたんだろ?」
「前の奴らは傑作だったよ。わざと急所を外して足と腹を切るのさ。そしたら泣いて悲鳴を上げるんだ、鬼狩り様だと粋がってる奴らがね。笑えるだろう?」
鬼らの言葉に、近くで気配が膨れ上がる。怒りに体を震わせていた。
同時に、なるほどとも思った。ただ単に人を餌と見ているのではなく、わかりやすい外道だ。鬼になる前から強盗か何かをしていたのだろう。
強い腕っ節と、人並み程度に回る頭。それだけあればお山の大将を気取っていられる。獪岳もそうだったからよく分かった。
「テメェらいきり立ちすぎだ。ちったあ抑えろ」
呟きながら、獪岳も刀を抜いた。雷の呼吸の使い手としては異例だろう。雷の呼吸は、まず抜刀術が骨子になるのだから。
「お前らはそれぞれ超人じみた感覚があるみてえだが、それに頼りすぎなんだよ。相手に接触した瞬間から全てを観察して見抜く事に集中しろ。戦い始めてからじゃ遅え。事実、お前らだけでこの鬼と会ってたら戦う前に全部終わってた。疑い考え続けろ。自分の直感すらもだ」
「獪岳は……どうやって気がついたんだ?」
挟撃され、どちらを警戒すればいいのか迷いながら、炭治郎。
獪岳は刀を肩に担ぎながら答えた。
「阿漢とかいう奴があからさまに自分へ気を引いてた――あからさますぎたんだよ。その割には俺たちの後ろに視線を送ってた。背後からの奇襲がないことこそあり得ない条件だった。「匂いで分かるからよく状況を観察しない」なんて言ってるといつか死ぬぞ」
う、という小さな呻き。
「まず一呼吸して、それぞれ気付いたことを述べろ」
言われて、真面目に深呼吸したのは炭治郎だけだった。まあ頭さえ冷えれば、クソ真面目にやる必要もない。
鬼たちは余裕綽々でこちらが話すのを眺めていた。完全に舐めきっている。今まで単純な奇襲だけで撃退し続けてきたのならば、それこそ脅威と考える理由こそ無いが。どうであれ時間をくれるというならありがたく貰っておく。
「たぶん奇襲だけの鬼じゃない。阿漢が近距離、離吽が遠距離を担当して戦うんだと思う」
「獪岳が言ってたあれ、ええと、型だっけ? 男の方が変形型中心で、女の人の方が独立型中心、かな。男の方は筋肉の音が凄いし」
「どっちもクソ強え! ビリビリ感じるぜ!」
「……ま、及第点はやる」
なんとなく新米時代を思い出した。自分を率いた先輩らも、こんな心地だったんだろうか。
「鬼は基本的に群れない、どころか会えばいがみ合う。が、当然例外もあるわけだ。その例外で一番多いのが、生前に強い関係があった者同士だよ。親兄弟、親友なんかがそうだ。鬼が統制を取るのはさして問題じゃねえ。厄介なのは連携を取られた場合だ。鬼に劣る人が突くべき穴を塞がれる。二人以上の鬼がいたらまず分断する事から考えろ」
まあ、鬼に限らず連携を取る存在に連携を崩させるというのがそもそも難しいのだが。
語っている頃には、大分落ち着きを取り戻したようだ。三人は話に耳を傾けながらも、隙なく両者を注視している。
「強い鬼と弱い鬼がいるように、戦い慣れている鬼とそうでない鬼がいる。戦い慣れている鬼は強弱に関係なく
言い終えて、やっと獪岳が刀を構える。応じるように、鬼たちもそれぞれ武器を掲げた。
「へへっ。敵の前で作戦会議かよ。おめえをちょっと高めに見積もっちまったかぁ?」
「ガキどもを『生け贄』にしてくれる上にそっちの戦略まで教えてくれるなんて、中々粋な諮らないしてくれるねえ」
「関係あるのか?」
「あ?」
阿漢が、眉をひそめて聞き返してくる。
「俺は勝つし、この小僧どもも当然勝つ。ついでに、これから死ぬ奴らに何を聞かれたところで問題なんざ起きねえ」
鼻で笑ってやる。二人の腐った笑みが始めて崩れた。
「いい顔するじゃねえか。そっちの方がお似合いだ」
「……決めた。てめえは簡単に殺してやらねえ」
「生きたまま木に吊って、鳥に食わせてやるよ」
「ちゃんと口から糞も垂れられんじゃねえか。気に入った、俺もお前らをじっくり殺してやるよ」
いよいよ二人の顔が歪んだ。強烈な憤怒は、強い鬼に相応しい威力がある。これだけ心を乱してやれば、善逸らも多少は楽に戦えるだろう。
阿漢の斧がぎちぎちと音を立てて蠢く。体も、筋肉の動きではあり得ない蠢動をしていた。逆に離吽の方は肉体に変化がないものの、纏っていた黒が大量に溢れる。家の三軒くらいなら簡単に飲み込んでしまいそうな量だ。
阿漢は牙をむき出しにして、獪岳に向けて言葉を発した。
「絶望的な事を教えてやるよ。俺たちゃ二人揃えば、十二鬼月に匹敵する強さを持ってる。わざわざ奇襲なんざしなくても、てめえらなんざ一捻りなんだよ!」
絶叫して、体を沈める。こちらに突撃するために。当り前に、そんなものを悠長に待ってやる訳がない。
雷の呼吸は全呼吸の中で最速。その謳い文句に恥じる事無く、獪岳の体は瞬時に消えた。
相手が反応するより早く阿漢の懐に潜り込み、体ごと蹴り上げる。屋根より高く浮いたそれをさらに追って、追撃をくれてやった。二軒離れた家の瓦に巨体が落ちる。つぶれこそしなかったが、屋根全体がひしゃげていた。
鬼が目を白黒させているのを眺めながら。獪岳は悠々と、別の屋根に降り立った。
並の人間なら二度内臓破裂して死んでいるような打撃を食らいながら、しかし阿漢は平然と体を起こす。蹴られた部位を軽く叩いて、にんまりと笑った。
「小蠅だなあおい。確かに早えが、俺様に効くほど強かねえ」
無論、これで悶絶してくれる事など期待していたわけではない。もう一人から距離を空けさせるのと、どの程度鬼としての強さを持っているかだ。
鬼の力を測るのは、以外と厄介である。人を食う事による『鬼としての特性の強化』と、『強化された特性をどれほど上手く扱えるか』、この二つで決まる。故に、素地が低くとも人間時代に強ければ関係ないし、逆に大量の人を食っていても扱いがなっていなく案外簡単に始末できる事もある。そしてなにより、鬼と戦うのにまず重要なのは、その両者の数値がどれほどなのか、という事だった。
獪岳は鬼を見据えたまま、上げた足の裏に指で触れた。不揃いなはずの草履底が、真っ平らになっている。すり減ったとかそういう次元のものではない。まるで斬り削ったような、完全な平面だ。
鬼は人を食う。そして、より多く人を食って強大になった鬼は、捕食能力そのものが進化する。口からしか食えないような奴は本当になりたてだ。まず浴びた血を裸から吸収できるようになり、そのうち口の中で血肉を消化できるようになる。やがて人が触れただけで飲み込めるようになり、やがて簡単な装備品、つまり服の上からでも一瞬で捕食できるようになる。
この鬼は……まあそこそこと言った所だろう。二度も触れて草履の底が平坦になる程度なら、恐らくは直接触れても擦り傷とさほど変わらない。とはいえ、肌から人を食えるというだけでも十分に強いと言えるのだが。
そしてもう一つ、当人の戦闘能力だが、こちらは全く問題にならないと判断した。
確かに戦い慣れてはいるだろう。人殺しに忌避感を持たない鬼の中で、殺人そのものに悦楽を感じている。こういう言い方は嫌いだが、鬼としての素質が限りなく高い。だが、それだけ。
阿漢の武(という程の水準にはないが)は、「素人相手に優位に立つ」程度のものでしかない。武術を修めた強敵を相手にする事を全く考慮していなかった。だから獪岳が懐に潜り込んだ時反応もできなかったし、蹴りも素直に食らった。
つまり、種族的素養任せの典型例だ。絶対とは言えないが、負ける要素はほぼ無い。
(あっちの女も似たような程度だとすると、もし派遣されていたのが丙二人なら普通に倒してたかもな)
まあ、どの程度のかも分からない鬼に、そこまで贅沢な隊員の使い方ができる組織ではなかった。さらに言えば丙二人を喪ったなどと言ったら洒落にならないのだし。
なおさら新人に経験を積ませる場として適したのは、鬼殺隊としてはありがたい限りだろう。任された方は面倒極まりないが。
鬼の足が膨れ上がる。明らかに筋肉由来のものではなかった。
ただでさえ半壊していた家が、跳躍により完全に倒壊する。弾丸のような速度で迫ってくるそれを、獪岳はわざとその場で迎え撃った。
引き絞られる白い斧。それがいきなり、まるで鳥の羽の骨みたく広がる。翼型の斧は、射程距離が軽く三倍は増えただろう。それが獪岳をいくつもの肉片にすべく、左右から襲いかかってきた。
間合いが大幅にずらされた。上体を捻ってやり過ごすのは諦め、刀で押し上げるようにいなす。互いに行動できない無防備な姿である筈だが――勘と理性が強烈な警報を鳴らし、それに従って体を思い切り左へ倒した。
一歩飛んで、相手を睨め付ける。阿漢が展開した斧を振った姿勢までは変わらない。ただ、彼の胸のあたりから、白い棘が何本も飛び出ていた。
一瞬、口を開くべきか迷ったが。反応がわかりやすい相手ならやってみるだけ損はないと思い、いかにも見抜いたという風を装った。
「なるほど。お前の血鬼術は骨か」
「ひひひ、良く分かったな。そう、俺は鋼より堅い骨を自在に操る。体の内側を鎧にすることから、外に出して武器にするまでなんでもござれなんだよ。てめぇがいくら早かろうが関係ねえ。頚を断てなきゃ何をしたところで意味が無いんだからな」
ついでにべらべらと余計な事まで喋ってくれる。まあ虚偽や誇張があるかもしれないので、鵜呑みにはできないが。ある程度の信憑性もある。
あの斧は、自分の骨を組み合わせて作ったものなのだろう。ならば形がやたら歪なのも、自在に変形する理由もつく。
総じて見て。
(問題なし)
そう結論付けた。
骨が振るわれる。今度は翼のようにではなく、一本に伸ばして。鬼の膂力と遠心力で振るわれた骨剣の速度は凄まじく、避けるのはほぼ不可能。
だが。獪岳は剣を斜めに走らせて、骨をいとも容易く切り落とした。
「――あ?」
「知らねえみたいだから教えてやるが、斬岩は戦闘部隊入隊の、斬鉄は戊以上の最低技能なんだよ。この程度で俺を殺れると思ってるならお前は大馬鹿だ」
「ク、ソがぁ……! ナメやがって!」
怒りを発露しながら、阿漢が全身に力を込める。
体の変形は今までの比ではなかった。体中の肉と皮膚を裂いて、骨が幾重も露出する。太い線を中心に白が蜘蛛の巣状に張り巡らされて、妙な形状の全身鎧になる。一番分厚いのは首だ。もはや肌は見えなく、全体が骨組みで構成されていた。持っていた斧までが、一回り大きく太くなっている。
「血鬼術・
(馬鹿な奴……)
顔には出さずに、獪岳は呆れかえった。
いかにも切り札として出した血鬼術。自分からこれ以上は何もないと言い回っているようなものだ。少なくとも、相手の実力も測り切れていないうちにやる事ではない。
所詮は驕った鬼か。まあ、接近戦に集中してくれるならこちらとしてもありがたい。そんな事しか思い浮かばなかった。
阿漢の身体能力は、今までよりも明らかに上がっていた。どうやらあの骨の鎧は、筋力だかを高める効果まであるらしい。もっとも、動きの初動が丸見えなのであまり意味はない。両手の斧と、たまに骨の鎧か飛び出してくる爪にだけ注意しながら、距離を調整しつつ遊んでやった。
(だがまあ、二人なら十二鬼月に匹敵すると嘯くのも頷ける)
軽々攻撃を捌いているが、これは獪岳だからこそだ。並の鬼殺隊なら防いだ剣ごとお陀仏だろう。動きは素人臭さが目立つが、全く心得がない訳でもなさそうだ。何より当て勘がいい。鬼の力がなくとも、ちょっとそこそこの剣道家くらいはねじ伏せていただろう。
仲も血鬼術の相性も良い鬼の共闘。これの単独撃破を考えるなら最低でも甲は必須だ。
頭を狙って振られた斧を避け、さらに避けた先を読んで伸ばした爪は切り落としながら、側面へ滑り込む。真面目に戦っているふりをして、三人の戦いを観察できる位置にさりげなく移動した。
癸三人衆は、やはり大分苦戦しているようだった。
(いや、こんだけの鬼を相手に苦戦で済んでる事を褒めるべきだな)
離吽は中・遠距離で絶大な力を発揮する鬼。しかも相手の感覚を潜り抜ける術も持っている。基本的に接近戦しかできない鬼殺の剣士が、そもそも近づかせてもらえないというのも難しい所だ。動きを見るに、恐らくこれだけ詰め寄らせてもらえない相手と戦うのは初めてなのだろう。
まさに弱点の目白押しだ。ただの癸であれば、既に一人か二人戦線離脱していてもおかしくない。これだけでも彼らの成長速度が分かる。
優位は全くないため、常に獪岳があちらを気遣っていなければならないが。これならば、思ったより負荷は少なそうだ。
目をそらしていた獪岳に、阿漢が体を捻って一撃を加えようとする。別の戦場を見ていたからと言って、こちらから意識を離していた訳がない。斧の腹に当てた刀を捻る要領でかち上げ、返す刀で腹を切る。
普通、鬼を斬るときは分厚い肉と束ねた金属棒の中間みたいな感触がするのだが。彼は完全に鉄塊のそれだった。おかげで入った斬撃はかなり甘い。
「ぎはははははは! 全然切れてねえぞ! 弱え弱え、弱えなあ鬼狩り!」
高笑いする鬼に、投げかける言葉はなく。
今の一撃は、ただ強度を確かめただけだ。もう覚えたし、手に負えないものでもない。
(正直、もう殺ろうと思えばいつでも殺れるんだが……)
悩まされるのは、対鬼の割り振りにやや難点があった事だ。
三人に女の鬼を任せたというのは、あらゆる面から見ても間違いではない。ただ一つの問題は、女の血鬼術による隠密能力が極端に高いという点だ。
感知能力という面で確実に獪岳より優れる奴らが、揃って察知できなかった。獪岳が見つけたのは、あくまで状況判断に過ぎない。
もしこれで、阿漢をとっとと殺した場合、離吽が逃げの一手を取る可能性が捨てきれなかった。その上、逃走に集中されたら追いつけないどころか、どこにいてどの方向に向かうのかすら分からなくなりそうだ。当り前だが、この状況は“任務失敗”になる。
倒す順番はあくまで女からでなければならない。
最悪の状況は、二人が健在な状態で「獪岳ならいつでも自分たちを殺せる」と気付かせる事だ。離吽の血鬼術を見た以上、絶対に逃がさないという自信は無い。これはこちらが全滅するより圧倒的に問題だ。鬼殺隊が一番頭を悩まされている存在は、鬼狩りから逃げ回る鬼なのだから。こちらは、それこそ任務失敗どころの話ではない。
(こいつを相手に加減しながら時間稼ぎはさほど難しいこっちゃねえが……面倒臭ぇなあ)
気を抜くと、阿呆丸出しで晒している首に、思わず刃を差し込みたくなる。とりあえず呼吸の型は封じることにした。下手に使うと真の実力差を教えてしまう。
何を考えてるんだか(多分何も考えてない)まっすぐ突っ込んでくる阿漢に、四連撃を放つ。手足の指を断たれて、鬼は半ば転げながらその場に跪いた。
「一つ教えてやる」
なるべく嫌みったらしく、それでいて見下すように顔を作り。ついでに構えまで解き、いかにも教えてやってるという風を見せて告げた。
「俺は鬼を寸刻みにするのが得意なんだよ。四肢の末端から少しずつ削ってやるのがな。お前もそうしてやるぜ」
「な……めやがってぇ……! 指くらいしか斬れねえ奴が偉そうに! 俺様を見下すだと! 地獄すら生ぬりい。奴隷だ、てめえは奴隷にしてやるぞお!」
完全に逆上し、もはや目も当てられないほど頭が鈍っている。必殺の鎧が容易く破られた意味もまるで理解していなかった。初めての状況だから仕方がない、と言うにはあまりにも愚鈍だ。
攻撃の勢いこそ上がっているものの、動きそのものは至って単調。たまに鬼らしく奇術じみた手も飛んでくるが、これも脅威という程ではない。このやりやすい状態を、後は三人が離吽を倒すまで続けるだけだ。
三人に対し、特に期待などしていない。失望も同様に。精密に実力と特性を加味し、自分が助けながらなら確実に首を取るだろうと分かっている。
後はその時を待つだけ。
来たる時まで、獪岳はひたすら鬼をおちょくり続けた。