獪岳と善逸 作:山筋
「そういやお前ら」
ぴんっ。ぱしっ。
獪岳たち四人は、森の中を走っていた。獣道ですらない、全くの未踏の地だ。
那田蜘蛛山へ舗装された道を通ると、大分回り道をする事になる。普通の道であれば馬を借りるなり乗合馬車を利用するなりできるのだが、さすがに時間がかかりすぎる。多少無理をしてでも真っ直ぐ向かった方がいいと判断した。
幸い山育ちが多く、道中はさほど苦労していない。最初から能力を知っている善逸と野生児の伊之助はともかく、炭治郎は少しだけ心配していたが。難なく追ってきているのを見て、そういえば彼の師は深山である狭霧山に住まう鱗滝左近次だ、と先生がぼやいていた。それを思い出す。ならばこの程度の森は散歩のようなものか。もっとも、山が苦手な鬼殺隊員はそういないので、無用な心配と言われてしまえばそうだ。
などということをつらつらと考えてしまう程度には暇だった。
「常中の練習してねえんだな」
ぴんっ。ぱしっ。
かけた声に、疑念が浮かんだのを感じる。反応に、逆に疑念が浮かんだ。正規の訓練を受けていない伊之助はまだ分かるのだが。
ちらりと空を見上げて、鎹鴉を確認した。さすがに山中を走りながら遠く離れた土地を正確に把握する事はできない。そのため、定期的に方向を確認していた。
「ジョウチュウ、って何なんだ?」
ぴんっ。ぱしっ。
代表して聞いてきたのは炭治郎だった。
「全集中の呼吸・常中。早え話が常に全集中の呼吸をしようなって事だ。これができるできないじゃ戦力が大分変わる。上級者への壁ってとこだな」
「ちなみにどれくらい違うんだ?」
「体感でいいならだが、通常時が五で全集中時が十だとすると、常中の場合は常に八で全力出せば十二くらいになる」
「へー、すげー。初めて知った」
「あぁ?」
ぴんっ。ぱしっ。
阿呆なことを言った善逸を、獪岳は全力で睨んだ。物理的な力があったなら刺さりそうなそれに、小さな悲鳴が上がる。
「なんでテメェが知らねえんだコラ。先生がさんざっぱら説明してたろうが」
「だって知らないものは知らないんだよぉ」
「それは知らないんじゃなくて聞いてなかったっつうんだよボケ! あんま寝ぼけた事言ってんとぶっ殺すぞ!」
「ひいぃ!」
ぴんっ。ぱしっ。
情けない悲鳴を上げる善逸をさらに睨め付ける。内心では深くため息をつきながら。
なぜこいつは定期的に締め上げないと学ばないのか。脅されて怯えるくらいなら最初からちゃんとしていればいいのに、なぜだかそうしない。それもこれも師が甘やかしていたせいだ、と勝手に断じた。
実のところ、彼を甘やかしているという意味では大差ないのだが。
ぴんっ。ぱしっ。
「というか、獪岳はさっきからずっと何をやってるんだ?」
「小石飛ばしてるやつ? あれ手癖みたいなもんだよ。なんか暇になるとどうしてもしちゃうんだってさ」
言ってる間にも、投げた小石がその辺の木の葉を打ち抜く。
本当に最初の方は、投擲練習のつもりでしていたのだ。孤児で何の加護も得られない子供が手軽に手に入れられる武器など、本当に石くらいしかない。
だんだんと練度を上げてやがて満足するようになり、そのうちに主に使うのが石から小柄になった。この辺で今している事は練習にもならなくなったため、癖と言うのは間違いではない。なんとなく納得いかない所はあるが。
「小石遊びかよつまんねえハハハ!」
どすっ。ほざいた伊之助の喉仏に、親指大の石が突き刺さる。
唐突に呼吸を乱され速度が下がり、足取りもよたつくようになった。その様子を見て、二人がぎょっとする。
「一つ、ただの投石でも正確に飛ばせりゃそれなりの武器になる。二つ、戦い慣れた鬼は真っ先に足と喉、正確に言えば呼吸器官を狙ってくる。鬼狩りの弱点だからな。覚えとけ」
「いづがぶっどばじでやる! おぼえどげよ!」
「忘れねえからとっとと強くなれよ」
喉を枯らしながらも吠える伊之助は適当にいなしながら。
「とにかく、このまま意味なく走ってるだけなのももったいねえから、常中の練習しろ。コツくらいなら教えてやる」
言うと、背後から嬉しそうな気配が二つ、嫌そうな気配が一つした。どれが誰かはあえて言うまい。
それから常中というものの説明をし始める。彼らは全員(一人だけは強制的に)真面目に聞いていた。
なぜ全集中の呼吸・常中などという強力なものが最初から教えられないか。これは自分が会得していくうちに、なんとなく理解した。
はっきり言って、常中は強力すぎるのだ。力が、ではなく肉体にかかる負荷が。最終選別に迎える剣士というのは、はっきり言って“一応呼吸を修めた”という程度でしかない。もっと言えば、呼吸という特殊な技術に肉体が適応しきっていない時期なのだ。
ただでさえ悲鳴を上げている体に、さらに常日頃から圧力をかけ続ける。こんな真似をすれば、人の体など簡単に壊れてしまう。故に、修行中は常中の知識だけ与えられる、または全く知らされない事になっていた。本格的に覚えるのは、先輩隊士に指導されてが基本である。基本的な技術だろうがなんだろうが、何よりまず必要なのは体力と最低限の耐久力なのだ。任務の達成件数や能力はここを測るためと言ってもいい。
確か鱗滝左近次の指導は、言葉足らずでかなり抽象的だ、と先生が言っていたのを覚えている。もしかしたら教育の中に常中もあったが、炭治郎が理解できなかっただけなのかもしれない。
かく言う桑島慈悟郎もかなりの感覚派で、人のことを言えた義理ではない。あの先生の教えは、根本的に解釈の部分から努力が必要だ。慈悟郎の大雑把で擬音ばかりの指導をなんとか噛み砕いて善逸に教えるのは、獪岳の仕事だった。だが相手が修行を嫌がる善逸なものだから、そのたびに殴り怒鳴り脅しあの手この手で苦労をして……
どうでもいい嫌な記憶が掘り起こされそうになって、思考を遮断する。
各々常中を試しているが。全く上手くいっていないのは、振り向かずとも呼吸音だけで分かる。彼らが行っているのは、常中ではなく、ただ全集中の呼吸を連続しているだけだ。
当り前に、それでは常中の意味が全くない。常中は負荷を増やさず能力の底上げをするためのものだ。間違っても無意味に負担を増やして、勝手に体力を切らすためのものではない。
(だからやり方があるっつってんのに)
中級者あるある、今までと同じ事を拡大すれば上に上がれると思っている類いの者だ。特別があるから鬼殺隊に入れたのをすっかり忘れている。トントン拍子に上がれすぎて実感を得る間もなかったのか。
いくらか、的外れな試行錯誤をしている姿をにやにやと眺める。先達の特権だ。
無茶な全集中の連発で足まで遅くなってきた所で、少しばかり横やりを入れることにした。
「いつもと同じ事したって駄目なんだよ。全集中の呼吸に慣れれば常中になるって訳じゃねえんだ。お前ら、普段どうやって全集中の呼吸してる?」
「そんなもん気合い入れてガッと息を吸うだけだぜ!」
「お前はそうだろうなあ」
ふざけているような回答だが、本当にそうなのだろう。天才はそれだけで成し遂げてしまう。ヤなもんだ、と肩をすくめた。我流で呼吸を修めたなど、鬼殺隊で多くの隊士と会った中でも初めて聞いた。
残り二人はうんうん唸っている。まあ、言語化は難しいか、と話を進めた。
「肺がどうの横隔膜がどうの、小難しい事は置いとく。呼吸をする時は、胸と腹を前と下に広げるだろ? 今度はそれを横にも広げんだ。とにかく腹に入る空気を増やす、っつうのを頭に置け。吸った息を“常中”に繋げるのはその次だ」
他の者も同じかは知らないが、少なくとも彼にとって常中は、吸う息の量を増やすことにある。後は上手く息の感覚を調整できるようになれば、ほぼ常中の完成だ。
「獪岳は説明が上手いんだな」
四苦八苦しながらも、なんとか肺を横に広げる感覚を得ようとしながら、炭治郎。
「俺は理論派だからな。いちいち考えて筋道立てねえとできねえんだよ」
「獪岳が理論派……ぷっ」
というふざけた言葉が聞こえた時には、獪岳の指から礫が放たれていた。
礫は見てもいないのに正確に善逸の気道へめり込み、先ほどの伊之助みたく変な声を上げながらよたつき始める。一つ、先ほど違う点は、今度はなんとか姿勢を保つ事ができず、まっすぐ木に激突した事か。
奇妙な声を二度上げた阿呆は、ものすごい早さで後方に取り残されていった。
炭治郎が目元を押さえて嘆息する。
「なんでいちいち余計な一言を付け加えるんだ……」
「お前らと一緒の時はどうだか知らねえが、俺といる時、あいつは大抵ああだよ。すぐ調子に乗るしすぐ泣く」
背後から、やかましい音を立てて迫り戻る気配。動きが直線的かつかなり焦っているので、小枝やらを折りながら走っている。正直なところ、それらよりもえずく声の方が遙かにうるさかったが。
「なんで喉を刺すんだよぉ! 痛いし苦しいし酷いじゃんかよぉ!」
「しかも案外情けない方向に逞しいんだ。訳が分からん」
「……本当だな」
呆れたのと驚いたのと半々くらいの心地で、炭治郎が答える。
鼻水まで垂らして抗議する善逸だったが、当り前のように誰も相手する意義を持っていなかった。
というか、だ。
竈門炭治郎が面倒見がいいいい子ちゃんに見えて、案外いい性格をしている。人の話を聞きはするが受け入れない類いだ。今までも、善逸の甘えを通した事は一度もない。善逸が得意なようで一番苦手な相手だろう。好きは好きなのだろうが、それとはまた別の話だ。
それぞれの息吹が、格段に常中へと近くなる。といっても今までと比べて、という話であり、まだまだ先は長そうだ。
ただ待っているのも暇なので、勝手に他の修行も並列して行うことにした。まあ、集合場所に遅れずできる事などたかが知れている。せいぜい今までと同じように、喉に向けて石を投げてやる程度だ。
「ちょっ……まっ……!」
「うぎぃ! がふ!」
「おま、ごの野郎!」
全員がだいたい三十ぐえーくらいずつしたところで、いい加減慣れてきたらしい。飛んでくる何かを払うか避けるかするようになった。単調に投げるだけは獪岳も飽きてきたので丁度いい。虚実や不意打ちを交えて、さらに五十ぐえーほどずつ上乗せしてやる。
道中は雑談などもする。鬼の事について、鬼殺隊の事について、そして鬼殺隊の要たる柱について。思いつく限りのことを語った。というか、ただ走っている時間より長い。ついでに軽く手を上げて、びくりとさせるのも、まあ暇つぶしにはなるし。
「お前ら真面目にやれよ。間違ってもここは手を抜くな」
「じゃあ喉潰そうとするのやめてよ!」
「『走』は隊士の基本なんだよな。鱗滝さんからも聞いたことあるぞ」
「正確に言えば少し違え。人間が鬼に対抗できる唯一の部分が『速度』なんだよ。判断力、予測能力、技術向上による走行能力を統合したもんだ。鬼はほぼ全ての面で人間を凌駕する。あらゆる部位を漁って、ただそこだけが鬼に近づくことができた。だから鬼殺隊員は徹底的に早さを求める。当然、他の部分を疎かにしていいわけじゃねえが」
と言って、ふと思い出す。
「いや、一人例外がいたな。今代の岩柱が、長い鬼殺隊の歴史でもただ一人、鬼に匹敵する膂力を持つとか」
「なら俺も鬼に力で勝ってやるぜ!」
「無理だから絶対やめろ」
「無理じゃねえ!」
ムキーと伊之助が憤慨する。
話が本当ならだが。伊之助は天才だが、岩柱もまた天稟を持って生まれた者だ。努力で才能に追いつくことはできる。だが、努力する天才に普通の人間が追いつくことは、絶対にない。鬼が人に届かないのと同じだ。だから無駄なことはやめて、自分の得意分野で勝負する。人が鬼にするように。
「獪岳は柱についてどれくらい知ってるんだ?」
「柱かー……」
「あ、いや。言いにくいなら別にいいんだ」
「言いにくいってか、言える事がほとんどねえわ。耳に入ってくる特徴的な柱は岩柱くらいなもんで、面識ある柱は二人だけ。それも柱になる前にな」
「柱になる人って、やっぱり昔から凄かったのか?」
「凄い、凄いか……。どっちかってーと、こいつはヤバいと思ったな」
思い出すのは最終選別だった。あの訳が分からない光景は、今でも忘れられない。
「そいつの刀と鞘は特別製で、刺突に特化したもんだった。当然、鬼の頚なんざ斬れねえ。なのに鬼を刺しただけでぶっ殺してた」
「え、なにそれ」
「意味分からんだろ? 本人曰く、鬼を殺せる毒を生み出したらしい。だがこれが難物で、都度調合し直さなきゃならんとか。だから鞘を特殊な機構にして、内部で毒を組み合わせ変えられるようにしたと言ってたな。俺も自分で何を言ってるのか分からんから詳しくは聞くな」
そいつは入隊したてなのに、柱の条件である『鬼を五十体倒す、もしくは十二鬼月の討伐』のうち、後者を成し遂げた。彼女もまた、天賦の才を持つ者だ。もっとも、当人は頚を切る力の無い自分に口惜しげであったが。
あの表情を思い出すと、どうしても苦笑してしまう。
鬼殺しの毒を編み出すまで、当人には当人なりの苦難があっただろう。才能の一言でかたづけて欲しくないとも。だが、どう言いつくろった所で、彼女は『持っている』側の人間だ。
獪岳とて人の事を言えた義理ではないが。でなければ、甲になどなれない。
素質。かつて渇望したものだ。あって悪いとまではいかないが……できればもうちょっと、普通に生きるのに向いたものがよかった。そうだったら少なくとも、櫛の歯が欠けるように知古がいなくなる事から、目をそらしていられた。
「もう一人の方はどうだったんだ?」
「ああ、そっちには勝った」
「勝ったの!? 凄いじゃないか!」
「その時は虫の居所が悪くてな。思わずボロクソ罵ったら泣いて逃げてった」
「全く凄くなかった……」
瞬時に掌を返す炭治郎。
当時は階級も低く、出来損ないの雷の呼吸の使い手と陰口を叩かれていた。そのせいで苛立っており、不用意に近づいてきた相手を、そういう奴らに対するのと同じ調子で罵倒してしまった。今では悪かったと思っている。
そんな他愛のない話が数日ほど続いた。
常中を会得するのは簡単な話ではない。だが、実はさほど難易度が高い技術でも無かった。所詮は全集中の呼吸の応用技であり、つまり全集中の呼吸を会得できるなら誰でも習得できる素養を持っている。難しいのは足掛かりを感じられるかなのだ。
喋っているのも暇なだけではない。会話中でも、気を散らしても、正しい呼吸を続けさせる。集中しているときだけ常中ができても意味がないどころか、むしろ危険だ。急場こそ常中を維持できなければならないのだから。
そんな風に重要な部分は、獪岳が懇切丁寧に(もとい暴力的に)与えている。習得はさほど先ではないだろうと、最初から思っていた。
とはいえ。
「なんだこりゃ、体が滅茶苦茶軽ィぞ! はははははは!」
こんなにあっさりと習得されるとも思っていなかったが。
いや、最初に習得するのは伊之助だろうとは思っていた。なにしろ才能が図抜けている。だからといって四日であっさり使えるようになられると、ちょっとへこんだ。
「ノロマどもが! もっと早く走れ!」
「伊之助は元気だなあ」
「あれはうるさいって言うんだよ」
こっちが(獪岳基準で)とろとろ走っている中、伊之助は右に左に上に下にと走り回っていた。木の上を飛び回るのは非常に目障りなのでやめて欲しいのだが。興奮具合を見ると、言ってやめそうにもなかった。投石で邪魔しようにももう通じなければ、わざわざ追いかけて叩きのめす程でもない。
先んじている間、猪小僧は調子に乗り続けた。
彼に遅れること二日、さらに二人がほぼ同時期に習得した。という事は、鱗滝左近次は、やはり炭治郎に常中の下地を作っていたのだろう。
「体が全く疲れない……いや、それ以上に軽い! 凄いな!」
「喋りながら走っても全く辛くないぞ。ここまで行くとなんか怖いな」
「血液の循環量がなんちゃらって話だったっけかなあ。後はサンソ? だかってのを増やすのが目的だとか」
「サンソ? なんだそれ? 山菜の仲間か?」
「てめーの体には山菜が流れてんのかよ。流せるもんなら流してみろ」
むしろ山菜が体の中に浮いてる人間こそ見てみたい。流れていたら人間扱いできそうもないが。
奇妙な妄想にとらわれそうになりながら、努めてそれを振り払いながら言う。
「常中を使えるようになっても調子に乗るなよ。あくまで基礎能力を高めてくれるだけで、劇的に強くなる訳じゃないんだ。一番恩恵を受けるのは体力であって、瞬発力にそう差は出てこない。過信すると死ぬぞ」
一言だけ注意をしておき。
ともあれ、全員が常中を会得した事で話は変わったのも事実だ。
「修行しながらだったせいで日程に少し遅れが出た。これから巻き返すぞ」
「おぅ!」
「ああ!」
「俺はゆっくりでもいいかなー、なんて……」
戯けた事を言う阿呆の額には、石をくれてやって。
一応鎹鴉の位置を確認し、走る速度を二割速めた。