【本編完結】とある武術家ウマ娘がトレセン学園に転入する話 −流れ星の転校生−【リメイク版】 作:カンヌシ
………
……
…
ダッダッダッダッダッダッダッダッダッダッ!!!
ダッダッダッダッダッダッダッダッダッダッ!!!
マリンアウトサイダとルリイロバショウ、2人の足音が重なっている。
500メートルという超短距離は、ウマ娘なら常に全力疾走しても全く問題無い距離だ。つまりは純粋なスピード勝負だった。
ルリイロバショウもウマ娘だ。『走るための筋肉』は武術の鍛錬を積み重ねる中で自然と鍛えられる。超短距離という限定された条件ならば、レースウマ娘とも十分に張り合える。それが『ウマ娘の肉体』というものだ。
スタート地点から目算で中間地点を過ぎた。
ルリは頭一つ分リードしている。体力は消費してないも同じ。フィジカルではマリンより彼女の方が優っている。
(ハンデでも何でも構わない、マリン……このまま……アンタに……!!!)
ーーーーー
十数年前……
年季の入ったとある道場の稽古場で、灰髪と紅碧の瞳をした道着姿の幼いウマ娘が空手の型を演じていた。歳のわりに芯の通った型を見せ、その実力は見た目以上だと言うことを伺わせる雰囲気があった。
「ふっ! すぅ……はぁっ!」
突き、蹴りを繰り出しながら幼い武道家ウマ娘は、つい先日あった出来事を思い出していた。この道場で一緒に空手を習っていたルリ以外で唯一のウマ娘が、道場を去ってしまったのだ。
(〜〜〜ッ!! みんなレース、レースって!! ウマ娘はレース以外しちゃダメなの!? レースなんて嫌い……大っ嫌い……!!)
ルリは湧き起こる激しい感情を抑えることができなかった。
彼女は幼いなりに、自分の父親の道場と空手の技に誇りを持っていた。それを全て否定された気がして、どうしても我慢ができなかった。
幼いルリイロバショウは取り残されてしまった。ぶつけどころのない感情が、涙になって溢れ出そうになるのを、がむしゃらに拳に乗せて1人耐えていた。
「ッ……!! はぁぁあああああ!!」
ルリは力任せに飛び蹴りをする。嫌な思い出を頭から振り払おうとする様に。
「こら、ルリ!!!」
そんな彼女に、稽古場に入ってきた壮年の男性が声をかけた。彼はこの道場の師範であり、幼いウマ娘の父親でもあった。
「そんな魂のこもってない蹴りは、達人には決して当たらない。心が乱れているな」
「っ……ごめん、お父さん……」
ふぅ、とルリの父親は小さくため息をつく。彼は自分の娘がやり場のない怒りに何とか向き合おうとしてるのは理解していた。だが、それがすぐに解決できない事でもあると知っていた。
「……ルリ、今日はお客さんが来るんだ。稽古はそこまでにして一緒に待とう」
「……? お客さんって、だれ?」
「父さんの師匠の古い友人でね、とても強い武術家で、父さんも昔お世話になった方だ。その方と連れが1人来ると聞いている」
暫くして道場に小柄な老人が訪れた。父親が彼に頭を下げて挨拶し、何か会話をしていた。幼いルリイロバショウには、その老人がとても強い武術家だなんて思えなかった。
「ルリ、こっちに来なさい」
タタタッとルリは2人の側に駆け寄って、2人を見上げる。
「娘のルリイロバショウです。ルリ、こちらは角間源六郎さんだ。ご挨拶なさい」
「こ、こんにちは……」
ペコリとルリは頭を下げる。
「ああ、こんにちは。実はお前さんが赤ん坊の頃に会ったことがあるんだが、まあ覚えていないわな。ほれ『ミドリ』、お前も隠れてないで挨拶せんか!」
よく見ると、老人の陰に隠れて誰かが覗いていた。グイッと老人に首根っこを掴まれて、前に引っ張り出される。
「……!」
ルリは驚いた。隠れていたのは黒髪の小さなウマ娘だった。何故か明らかに大人用の緑色のパーカーを胸に抱き締めて、緊張した様子で上目遣いでルリを見ていた。
しかしルリが興味を引いたのは抱えているパーカーではなく、彼女の服装だった。足元を見れば、それが武術家の着る袴だと言うことが分かった。子供用のサイズのようだ。
「ねえ! あなたも武道をやってるの!? わたし、ここで空手を修行してるの! お名前は!? わたしはルリイロバショウ! ルリって呼んでいいよ!」
「あ、あの…えっ…と…」
その黒髪の幼いウマ娘は相当な人見知りらしく、目を逸らして胸のパーカーを更に強く抱き締める。
そんな様子を見て老人は彼女のお尻をパン!と軽く叩いた。「ひゃん!」と声を上げて、彼女は1歩ルリに近付いた。
「わ、わたし……マリンアウトサイダ……」
「? さっき『ミドリ』って呼ばれてなかった?」
「それは……あだ名……本当は……『マリンアウトサイダ』……」
「ふーん、じゃ『マリンちゃん』って呼ぶね! マリンちゃんは、どんな武道を……あっ……」
ルリの顔が突然暗くなる。先日の出来事が頭をよぎったのだ。そして悲しそうな声で、マリンに尋ねる。
「マリンちゃんも……いつか、武道を止めるつもりなの……? わたしのウマ娘の友達も……みんな、やめてレースに行っちゃった……」
その質問に、マリンは一瞬キョトンとして、緊張しながらも答える。
「レースって……ウマ娘の、かけっこの? わたしは、あんまり興味ない。山の中で走るのは好きだけど……おじいちゃんから空手と合気道を習ってる時の方が……楽しい」
それを聞いてルリの顔がパァッと明るくなる。そして父親が彼女に言う。
「ルリ、マリンさんに道場を案内してあげなさい」
「うん!!!」
ルリは嬉しそうにマリンに呼びかける。
「行こう! マリンちゃん!」
マリンはチラリと老人を見上げた。目線で「いいの?」と聞いている。
「ああ、行ってこい」
「まずはこっち! ついて来て!」
タッタッタッタと2人の幼いウマ娘たちが駆けて行く。父親と老人は微笑ましく彼女たちを見送った。
「あの娘の両親……まだ見つかってないんですか?」
真剣な声で父親が尋ねた。
「ああ、警察からはなーんも連絡は無い、山にアイツを探しに来たヤツも居ない。木の股から産まれて来たって言われた方が自然と思えるくらい、手掛かりが何も無えな。あのパーカーもメーカーの量産品で捜索には役立たなかったらしい。あれを取り上げると泣き喚くからよ、警察から取り返すのに苦労したぜ」
警察のお偉いさんの中には元UMAD所属のウマ娘も居て、その繋がりで何とかなったと老人は言った。
「源六郎さんも、本来ならUMADの理事長クラスになれるでしょうに。基盤となった団体を作ったのあなたでしょう? 僕からしたら勿体無いですよ」
「俺じゃねぇよ、俺の嫁がやったんだ。俺は手伝っただけだ……」
源六郎は何かを懐かしむように道場を見回した。隅の方で、ルリが壁に掛けてある棒やヌンチャクなどの武具をマリンに見せていた。
「なあ坊主……頼みがある。ミドリはそろそろ小学校に通う歳だ。ここは寺子屋みてぇなこともやってるだろ? アイツをたまにここへ通わせてやりたい。アイツは山で生活してるからよ。俺以外と話さないもんだから、人見知りになっちまってやがる。同じ年頃のガキと交流させてやりてぇんだ」
老人の真剣な声色に、父親は笑顔で答える。
「もちろんですよ、ルリもきっと喜びます。同い年の格闘ウマ娘が居ないことを寂しがってましたから……」
「……友達のウマ娘たちがレースに行った、とか言ってたな。まぁ、世間ではそれが普通だろうよ」
すると、おーい!とルリが父親に呼びかける声が聞こえた。
「お父さーん! マリンちゃんとお手合わせしていいー!? ケガしないようにするからー!!」
父親が老人を見る。
「構わんよ。おーい、ミドリ! 手加減するんだぞ!」
コクンとマリンは頷いた。父親も注意するんだぞー!と返す。
「手加減しろだなんて、良いんですか? 言っておきますが、ルリは中々強いですよ。まだ大会に出られる年齢ではないですが、同世代の中でも頭一つ抜けてます」
「言葉を返すようだが、ミドリはな……何つーか、『怪物』だぞ」
そう2人が目線を交わして会話していると、
ドタタターーーンッ!!!! ガンッ!! ガラララララ!!!
と、大きな音が道場に響いた。見てみると、マリンがルリを投げ飛ばして、転がったルリが壁に激突して掛けてあった棒が何本か床に落ちていた。
「バカやろ、ミドリーーー!!! 手加減せいと言っただろうがぁーーー!!!」
「えっ、で、でも、おじいちゃんはこのくらいなら……!」
マリンがアワアワと戸惑っていた。
「その子供と俺と一緒にするなぁ!!! いいからその娘んとこに行けぇ!!!」
マリンがタタタ!と慌ててルリに駆け寄った。
「だ、だだ、大丈夫!? ケガ、し、してないっ!?」
マリンがルリに尋ねると、ルリは「イタタタ……」と言って、立ち上がる。すると……
「す…………すごい、すごい、すごーーーーい!! ねえ、今のどうやったの!? わたし、あんな風に投げ飛ばされたの初めて!! フワってしていつの間にか飛んでたの!! マリンちゃんってすっっごく強いんだね!!」
ルリは紅色と碧色、両方の目をキラキラさせてマリンに言った。
「え、あの、えと、今のは合気道の技で……その……」
特に問題なく仲良さげに話す2人を、保護者たちがホッとして見つめている。
「……驚きました。確かに『怪物』ですね。ルリはあんな簡単に投げられるような娘ではないのに」
「ああ。ドウザンの奴が、ミドリが小学生になったらUMADに絶対に入れろ!ってうるさくてな」
「ヤマブキドウザンですか、UMAD理事長の孫娘の。シニア級のトップ選手に見初められるとは、将来有望ですね」
「俺はそんなのどうでも良いんだがな……ミドリがやりてぇなら、そうさせるさ。俺はアイツに、ヒトとウマ娘の身体の壊し方と……山で生きる術しか教えてやれねぇからよ……」
「……それでも、あなたは立派な親ですよ」
フン、と老人が鼻を鳴らす。
「……なあ、坊主。もう一つだけ、頼まれちゃくれねぇか? ……もし俺に何かあった時には、ミドリの奴を頼む。お前さんだから、頼みてぇんだ」
「……あなたは、殺しても死なない男じゃないですか。『角間源六郎』にそんな事を言われるなんて、思ってもみませんでしたよ」
「人生何があるか分かるもんじゃねぇさ。だから頼む……俺も良い歳だからな、でっかくなっていくアイツを見てると、つい考えちまってな」
「……ええ、妻にも伝えておきますよ」
「すまねぇな、恩に着る」
2人は黒髪と灰髪のウマ娘たちを見やる。正に、未来を感じさせる光景がそこにはあった。
「ねえ、マリンちゃん! 2人でさ、日本一の格闘ウマ娘になろうよ! そうすればさ、レースじゃなくて武道をやってくれるウマ娘たちもたくさん増えると思うんだ!」
「え? 日本一って……1だから2人じゃ無理だよ?」
「だから、最後は2人で闘うの! わたし、これからマリンちゃんのライバルだから! いつか絶対にマリンちゃんに勝ってやるんだから!」
「え、えぇ……ライバルって……わたし、あまりそんなのは……」
「いいから! もう決めたの! それがわたしの『夢』! だから約束、絶対2人で日本一の格闘ウマ娘になろうね!」
顔を輝かせて言うルリに、マリンは渋々ながらも答える。
「むぅ……わかった。約束する……」
これは過去の一場面、ルリイロバショウという格闘ウマ娘が同い年のマリンアウトサイダに心から見た、遠い日の『夢』だった……
ーーーーー
「ハァ!! ハァ!! ハァ!!」
マリンアウトサイダは死に物狂いで走る。彼女は頭一つ分、ルリイロバショウにリードされていた。
中盤は過ぎた、あと少しで残り200メートルを切るだろう。
マリンは、ルリの方が身体付きも脚力も上なのは分かっていた。でも彼女自身で決めたルールだった。なので文句など無かった。
彼女はただ全力で、同じ土俵で、幼馴染みの格闘ウマ娘と『喧嘩』をしたかったのだ。
ダッダッダッダッダッ!!
(あぁ……脚がターフを蹴っている。小さい頃は想像もしていなかった。自分がレースに挑戦するなんて……ルリイロバショウと、全力で走ることになるなんて……)
「ハァッ!! ハァッ!! ハァッ!!」
マリンは走れる限界まで、既に脚を酷使している。それはルリも同じだろう。マリンの脳裏に幼き日のルリの顔が浮かんだ。
『ねえ、マリンちゃん! 2人でさ、日本一の格闘ウマ娘になろうよ! そうすればさ、レースじゃなくて武道をやってくれるウマ娘たちもたくさん増えると思うんだ!』
(言われてやっと鮮明に思い出すなんて、私は本当に人の気持ちが分かってなかったんだな……)
それは過去の『夢』……
幼馴染みが自分に見てくれた『夢』……
(私は……それを否定しようとしていたんだ……本当にどうしようもない……)
『君が「誰かの夢」であったのならば……そのことを否定してはダメだ……他ならない、君自身だけは、決して……それがどれほど自分を苦しめていても……』
オグリキャップの言葉がマリンの頭の中に反響する。彼女は今ならば、その意味がほんの少しでも理解できる気がした。
(けれど……私は知ってしまったんだ。多くの格闘ウマ娘が苦しんでいた……でも、多くのレースウマ娘も苦しんでいたことに)
マリンの脳裏に、先輩ウマ娘の笑顔が浮かぶ、そしてそれは別れの時の涙の顔に変わり、最後には去っていく背中しか見えなくなる。
(……ごめん……ルリ……)
マリンはゴールを先を見つめる。
(私は……
ダンッ……!!!
マリンアウトサイダは、大きく足を踏み込んだ。
…
……
………
「ッ………!!!」
ゾクリと、何かが背中を撫でた気がしてルリは一瞬振り返る。
そこには……自分の知らない『ウマ娘』が居た……
「ぐう……うあああああああああああああ!!!!!!」
マリンの体勢が一瞬、沈み込む。そして、雄叫びと共に、限界を超え『加速』した。
(!!!……なんだ、コレ!? 限界のスピードで走っていたはずなのに……まだ余力を残していた!? いや、そんな気配は全く無かった!!!)
ルリイロバショウにとって産まれて初めての経験だった。彼女の理解の範疇を超える現象に脳が混乱する。
ゴールまで200メートルを切った。少しずつ……少しずつ……マリンはルリよりも前進する。
そしてついに
ルリの紅碧の瞳に
マリンの背中が映った。
………
……
…
「そうだ……マリンアウトサイダ」
シンボリルドルフは走るマリンの背中を見て呟く。
「ウマ娘が限界を超えるのは……その背中に『夢』を背負う時だ。それは時に『奇跡』を起こす……誰にも想像できない『奇跡』を……」
ルドルフは思い出す。
過去の有馬記念で……怪我に泣き、1年ものブランクに屈せずに、奇跡の勝利を掴み取った『帝王』の姿を。それに心震えて、溢れる涙を止めることが出来なかったことを。
「行け、マリンアウトサイダ。君なら、きっと……」
ルドルフは、マリンの背中から目を離さなかった。
同じく、歩道のギャラリーにもどよめきが起こった。
イベントの見物気分で来ていたタマモクロスも目を見張った。残り200メートル地点での、マリンの限界を超えた加速……
(何やこれ……これはまるで……)
『芦毛の怪物』みたいだ……と、彼女は思った。
…
……
………
「……あああああああああああ!!!!!」
(どうして……ッ!)
マリンが横に並ぶ。
(何で……ッ!)
マリンが先に進む。
(なん……で…………)
そして、ルリの瞳に……マリンの『背中』が映った。
(…………ああ…………)
その瞬間、ルリは感じた。
(……そっ……か……)
理解してしまった。
(マリンは……もう……『格闘ウマ娘』じゃ……ないんだ……)
その眼に映るのは
背中に夢を乗せて走る『レースウマ娘』だということを
(あぁ……綺麗だ………)
ルリはただただ思った。
(きっとマリンは………走る為に、生まれてきたんだ……)
そして、2人のウマ娘はゴールに到達した。
………
……
…
ナリタトップロードの前を、2人のウマ娘が駆け抜けた。
彼女は右手を上げ、皆に聞こえるよう高らかに宣言した。
「勝者は……2バ身差で……マリンアウトサイダ!!!!!」
その声はギャラリーにも届いた。
「や……やりましたぁ〜〜〜〜!!! マリンさ〜〜〜〜ん!!!」
メイショウドトウが彼女の性格にしては珍しく飛び跳ねて喜んだ。心優しい彼女は、誰よりもマリンの心配をしていたのだろう。
「…………はぁぁ………良かった……」
アドマイヤベガも深く息を吐いた。彼女は緊張感からやっと解放されたのだった。
「あぁ……胸が高鳴る……闘いだったね」
オペラオーは静かに2人に賛辞を述べ、静かに拍手を送るのだった。
…
……
………
走り終えた2人は息を整える。マリンは地面に手をついて、ルリは膝に手をついていた。
「ハァッ………ハァ………ハァ………!」
(……今までの……どんなレースよりも……疲れた……何だったんだろう……先輩のことを思うと……身体が熱くなって……)
マリンも初めての経験で、自分のことなのに、何が起こったのか分からなかった。
肺がやっと楽になってきたので、マリンは立ち上がって、ルリの方を見た。そこには……
「はぁ……はぁ……ぐすっ、うっ、う、ああ……ひぐっ……」
大粒の涙を流す、彼女の幼馴染みが立っていた。
彼女はゆっくりとマリンに近付いてくる。そして……
トン…………
とマリンの上着を掴んで、俯いたまま、彼女の胸に額を押し付ける。
「ひぐっ……う……なん…で…よ……」
そのまま、彼女は泣きながら訴える。
「なんで……レース……なんかに……」
マリンは胸元が涙で濡れていくのを感じた。
「約束したのにッ……一緒に……日本一の……ッ」
ルリの言葉が、自分の汗と混じって、溶けていく。
「一緒に……日本一の……格闘ウマ娘、に……マリン……ッ」
マリンは胸が詰まる思いだった。でも、その『夢』はもう……
「……ごめん……ルリイロバショウ……ごめん……」
2人は暫く、同じ姿勢で立ち尽くしていた。
自分はルリの泣き声を、この涙を、きっと一生忘れることはないだろう、とマリンは彼女の灰髪を見つめながら思った。
………
……
…
涙を出し尽くして、ルリイロバショウはマリンアウトサイダの胸から顔を上げた。
彼女は上着でグシッと顔を拭った。
「あーー……ムカつく……ムカつくムカつくムカつくムカつく!!!」
彼女は泣いて赤くなった目で下を向き、自分の履いているシューズを睨みつける。
「走って……こんなに気分がスッキリするなんて……ムカつく……!」
ルリは消えそうな声で、呟いた。
「……ルリ……」
マリンは彼女に呼びかけた。でも、その先になんて言えば良いのか分からなかった。
「はぁ……私の負けよ……完敗だわ。『納得』も……した」
ルリが腰に手を当てて言った。
「もう……アンタがどれだけレースを走ろうが……格闘技の世界に戻って来なかろうが……文句は言わない」
その言葉に、マリンは一抹の寂しさを覚えた。自分がルリイロバショウのいる世界から離れてしまったのだと、今までで1番強く感じた。
「でもね!!!」
ルリはマリンを再び睨みつける。
「私の『夢』を切り捨てるなら……それと同じくらいの事をしてみせてよ!!! レースの世界で!!!」
ルリは腕を伸ばして、マリンの胸元にそっと拳を当てた。自分がさっきまで泣いていた場所に。
「G1レースくらい、楽勝で勝ちなさい!!! 出来なかったら、私がアンタをレース場で、観客の目の前でぶん殴ってやる!!!」
「………………ッ!」
マリンの胸が熱くなった。
「それは、死んでも嫌だな……分かった。『約束』だ……G1レースに……楽勝で勝ってみせる」
マリンアウトサイダは潤んだ瞳で、笑顔で誓ったのだった。
その『約束』が果たされる時が来るのかは誰にも分からない。ただ、彼女が手繰り寄せた『小さな奇跡』により、誰もが無謀だと言わざるを得ない挑戦をするのは、ほんの少し先の未来のお話である。
…
……
………
「はぁ〜〜〜、思ったよりオモロいもん見れたわ。お釣りで財布の中がパンパンになりそうやわ」
タマモクロスが両手で頭の後ろを抱えて言った。
「なんや、見所あるやん『転入生』……走りは荒削りでまだまだやったけど、最後のあの加速……」
『白い稲妻』が横に立つ『芦毛の怪物』を見る。
「むっちゃ似ていたなぁ〜、『誰かさん』を思い出したわ」
それを聞いて、オグリキャップも答える。
「そうだな。とてもよく……『似ている』……」
オグリキャップはゴールの先の2人を、懐かしむような眼差しで見つめていた。
「………あれ? なんか会話が噛み合ってへん気がするんやけど……おーい、オグリー、おーい……」
オグリキャップは空を見上げた。きっとカサマツまで続いている、晴れた青空を……
ーーーーー
コンコン、とチーム『シリウス』のトレーナー室にノック音が響く。夜は遅く、寮の門限もとっくに過ぎている時間だ。
残業をしていたトレーナーは誰だろうと思って振り向いた。
「失礼します、トレーナーさん」
そう言って入ってきたのはマリンアウトサイダだった。真剣な面持ちでトレーナーの座るデスクまで歩いてくる。
「マリン……どうしたんだい、こんな夜遅くに。寮の門限は大丈夫なのか?」
「はい、ヒシアマゾン寮長から外出の許可を頂いております。トレーナーさんに、どうしても話したい事がありまして……」
トレーナーはマリンの目を見つめる。どうやら真剣な話だと、トレーナーは感じ取った。
「分かった。ソファーに座っててくれ、麦茶を出すよ」
自分がやります、と言いかけたのをマリンは飲み込んで、大人しくソファーに座った。
程なくして、トレーナーが2人分の麦茶のコップを用意して、マリンの正面に座った。
「聞いたよ。昼間、君の友人が食堂に現れて、ちょっとした騒ぎになったみたいだね。そして、何人かのウマ娘が授業をサボってレースをしていたって……」
トレーナーが話を切り出した。
「はい……それで本日のトレーニングを欠席してしまいました。申し訳ございませんでした」
マリンは深く頭を下げた。
「大丈夫だよ。もう既に理事長室でこってり絞られたんだろう? 聞いたところによると『覇王世代』に『伝説の世代』の4強、そしてシンボリルドルフまで正座して説教を食らっていたとか……それ、本当かい?」
「えっと……はい、本当です」
そしてマリンは事の顛末を語った。
〜〜〜〜〜
マリンとルリの500メートル走の後、『覇王世代』と『伝説の世代』&シンボリルドルフで分かれて撤収しようとしていた中、不意にオグリキャップがポツリと言ってしまったのだ。
「500メートルか……本当に短いな。でも、この中だと多分、私が1番速いだろうな……マイル適正も私が1番高いし」
「「「「…………は?」」」」
マリンとルリの胸の熱くなる闘いを見た後の空気もあったのか、伝説の世代の3人と『皇帝』がこの言葉を無視できるハズがなかった。
そして、この5人の500メートル走のスタートとゴール役にと覇王世代が無理矢理引っ張られた。
先輩たちが5人で勝負して、誰が1番速かったかを揉めていると、ナリタトップロードが………
『あ、だったら5本走って最も多く勝った方が1番速いというのはどうでしょう!!!』
と心からの親切心で余計なことを言ってしまい、更に『覇王世代』もアドマイヤベガがテイエムオペラオーの口車に乗ってしまった事により、結局全員が午後の1時限をまるまる超短距離走に使ってしまった。
ちなみにマリンとルリは芝で並んで体操座りをして、彼女たちのレースを眺めていた。
そして、気が付くとニコニコとした笑顔なのに背後に巨大な鬼のオーラを出しているたづなさんが現れ、その場の全員が理事長室に連行された。
理事長室には各ウマ娘のトレーナーたちも呼び出されたのだった。そして、理事長が言った。
「……困惑!!! マリンアウトサイダとルリイロバショウについては、学園の運営者として許す訳にはいかないが……『理解』は出来る! だが、君たちまでもが、その500メートル走とやらを走る必要はなかったのではないか……?」
理事長の前にはシンボリルドルフ、伝説の世代の4強、覇王世代の計9人が床に横一列に正座させられて並んでいた。
トレーナーたちは「やれやれ」と言った表情で黙っていたが、タマモクロスのトレーナーだけは腹を抱えて大笑いしていた。
マリンとルリの2人は気まずそうな顔をして、トレーナーたちの横に一緒に並んでいた。
暫く理事長とたづなによる説教が続いていると、コンコンとノック音の後に誰かが部屋に入ってきた。
皆そちらを向くと、そこに居たのは事務員に案内されて来たUMAD副理事長だった。彼女もたづなさんに引けを取らない鬼の形相だった。
「ル〜〜〜リ〜〜〜!!!!!!!」
ルリイロバショウの耳と尻尾がピーンと伸びて固まった。
「ほんっっっっっとうに、ウチのバカウマ娘がご迷惑をお掛けしましたあああああ!!!!」
ヤマブキドウザンは右手でルリの頭を床に押し付けながら土下座をした。ミシミシと床が嫌な音を立て始めたので、たづなはやめて欲しいと思ったがドウザンのあまりに迫力のある土下座で言うタイミングを失った。
彼女は『全ての責任は自分とこの格闘ウマ娘にあるので、正座しているウマ娘たちのお咎めは無しにしてやって下さい、後でお詫びの品を送ります』と、トレーナーたち全員と名刺交換をしてルリの首根っこを掴んで引きずって出て行った。
そして、理事長は『流石にお咎め無しには出来ない』と、この説教をもって厳重注意とし、夕食時間までの自室謹慎をその場のウマ娘たちに言い渡したのだった……
〜〜〜〜〜
「……と言う感じだったのです」
「そうか……僕もその知らせを受けたんだけど、たづなさんに『マリンさんは1番巻き込まれた立場なので大丈夫です。ただし、当事者なので理事長室に居ます』って言われてね。結局どうなったのか、気になってたんだ」
マリンは少しだけ話疲れた喉に麦茶を流し込む。
「うん、話してくれてありがとう。でも……多分、他に話したい事があるんだよね?」
マリンは黙ってコップをテーブルに置いた。
「はい……私はトレーナーさんに改めて……その、決意を述べたいというか……ご挨拶したいと言うか……」
マリンにしては曖昧なことを言っているな、とトレーナーは思ったがまずは彼女の話を最後まで聞く事にした。
「……私は……『格闘ウマ娘』でした。レースのことなど殆ど分からないのに、この世界に飛び込みました。浅はかにも……私の幼馴染みや……他の格闘ウマ娘たちの気持ちも……考えずに」
マリンは俯いたまま話す。
「ですが私はこのトレセン学園で、レースウマ娘の現実を知りました。勝てないまま……誰にも注目されないまま……人知れず去っていくウマ娘たちがいることも、知りました」
そして……彼女は顔を上げる。
「私の同室の先輩も、その1人でした。私は彼女から……『夢』を預かりました。そして今日、幼馴染みと『約束』を交わしました」
彼女はソファーから立ち上がった。その顔には、並々ならぬ覚悟があった。
「トレーナーさん……私は、その『夢』を叶える為に……『約束』を果たす為に……強くなりたいのです。改めて、『レースウマ娘』のマリンアウトサイダとして、お願いがあります……!」
黒髪のウマ娘は、トレーナーに頭を下げる。
「トレーナーさん……私を……
チーム『シリウス』に入れて下さい……!!
どうか……私を鍛えて下さい……!!」
そんなマリンを見て、トレーナーもゆっくり立ち上がった。
「顔を上げて」
マリンはゆっくりと姿勢を戻した。
「……メイクデビューの前に、保健医さんが言っていたこと、覚えてる?」
「……はい、本格化のピークは過ぎていて、レースウマ娘としての能力が伸びる余地は小さい……と」
「うん、そうだね。けど……」
トレーナーはマリンの目を真っ直ぐに見つめて……言った。
「それでも、君は強くなれる。
君はきっと、レースウマ娘たちにも、
格闘ウマ娘たちにも、希望を与えられる。
そんなウマ娘になれると、僕は信じている」
『シリウス』のトレーナーはマリンに手を差し出した。
「ようこそ、チーム『シリウス』へ。マリンアウトサイダ……一緒に、強くなろう」
マリンは瞳を潤ませて、トレーナーの手を握った。
「はい……よろしくお願いします……!!!」
次回
12話 初勝利と小さな奇跡